はてなキーワード: リスナーとは
紅白、最初から観ていたんですよ。リアルタイムだと源さんだけ、どこか異質に見えたんですよね。
改めて見返したんですが、元気な曲に挟まれている弾き語りの落ち着いた曲。照明や化粧の関係なのか疲労からなのか、源さんはやけに青白い顔をしている。表情も少しこわばっているように見える。
けれど、事実としてとても優しい声で歌っていて。
以前根も葉もないことでつらい思いをされて、今回は過去に関わった他者の影響で急遽対応に追われ。
年の瀬にバタバタで心身ともに大変だっただろうに、それでも「良いお年を」とあの場で皆に言える人に。
その後のラジオではリスナーからのメッセージに言葉を詰まらせ、年明けのバラエティではニコニコと楽しそうに過ごし、ドラマでは素敵な役を演じていた人に。
なるべく沢山の幸せがあってほしいなと強く、強く思った次第です。
土砂降りのような言葉の奔流を浴びることがたいそう辛い
漫才は基本的にその場で起こってることを観客の側が全部理解できていることを前提らしく、真剣に向き合う必要があるのがしんどい
少しでも聞き漏らせば何が面白いのかもわからぬままそっぽを向いて次に行ってしまうし、観客の笑いがBGMを超えてうんざりする
面白い漫才は確かに存在すると思うし、他人のおしゃべりが嫌いというわけではない
例えば深夜ラジオだったり、Vtuberの一人語りや解説動画の饅頭同士の掛け合いは好きだ
伊集院光は20年近いヘビーリスナーだし、月ノ美兎とかめっちゃ面白いなって感じてる
この違いがあまりよくわかっていないので、俺はM1とかの意味が未だに分からない
ただ、ミルクボーイのそれは漫才というより技法そのものであり、全然苦痛ではなかったしとても面白い
物事の本質に一定の入射角で焦点を当てているその手法はいろんな分野で応用されて使われてるし、確立された芸術の一派にも感じ取れた
漫才が嫌いなことを克服したいわけでもない
竹田ダニエル氏や能條桃子氏が「荻上チキ・ Session」にゲストとして出演すると必ずといっていいほど、一部リスナーに攻撃されている。
竹田氏や能條氏が女性であることが攻撃に拍車をかけているのだろう。
女性差別だ。
日々勉強して、価値観をアップデートしている人たちなのに、自分たちの気に入らない女性が表に出れば、差別的な対応をとってしまう。
女性に対して攻撃的な姿勢が反映されたXにおけるポストは読んでいて不快だ。
彼らにはすぐさま退場をしてもらいたい。
番組はこのようなリスナーによる攻撃に左右されずに(そもそも左右されるような番組ではないが)、今後も適切な人物をゲストとして呼んでほしい
自分が見てる某Vtuber事務所のメンバー(たぶん増田の例と別)は、数字の話をするどころか伸びた後輩のグッズ展開ツイにぶら下がって「私は?」ってクソうざ絡みしてたな。
先輩に刺されたのにその後も繰り返してたからなんつうか…自分の発言が人気に直結してることへの自覚すらなさそう。
人気ゲームをやるのは数字を気にしてる人がするムーブとしては順当な気がするから個人的にはそんなに嫌じゃない。
でも、なんのゲームをやるかよりリスナーが面白いと感じるリアクションを取れるほうが先だしまずそっちに力入れたら?って感じる。
お笑いの学校とか話術を学ぶとか歌ならボイトレとか色々あるだろうに、そういう面倒くさいことは避けて特定の条件さえ満たせば人気出るだろうってやってる感出してるのはなんかイラッと来る。
数年前から見ていた某Vtuber事務所のメンバーが「伸びないよ~!」と嘆いていた
その姿を見てイラッとしたので、伸びていないのは自分のせいやぞという思いを込めて、伸びていないVtuberの特徴を列挙していくことにする
数字ばかり気にして勝手にヘラってるVtuberほどつまらないコンテンツはない
人の目に触れるところで数字の話をしている時点で素人丸出しのつまらないVtuberであることが確定するのだから、伸びないのは当たり前である
数字の話でしていいのは良い結果が得られたときに感謝する、これだけだ
これを翻訳すると「現状で数字が取れておらず、新規リスナーが来ません、企画の中身もありません」になる
こういう言葉がタイトルについていたら確定でつまらないので、自分で見る価値なしのシールを貼っているようなものだ
例外は「登録者○人耐久」くらいだろう、応援してくれている人とともに記念すべき瞬間を迎えて盛大に祝ってもらうのは良いことだ
お互いに伸びていない者同士のコラボだから、知らないやつと知らないやつが絡んでいるだけになり、当然の如くつまらない
ただ一緒に遊ぶだけで新規の興味を惹く企画になってもいないし、互いのファンが少ないから互いに登録者が増えない絶望的な光景がそこにはある
教師役と生徒役に分かれた講座形式にして役に立つ内容にするとか、画面を見る指示出し担当と画面見るの禁止の操作担当に分かれてスイカ割りのようにするとか、見たくなるような工夫が欲しい
現状で数字が取れておらず、そのくせ歌枠ばかりしているVtuberの歌が上手いことはほぼ皆無である
上手くなるためのトレーニングをサボり、Vtuberという立場を活かしてゲーム配信やトークでファンを増やす努力も怠り、安易な歌枠に逃げているのだから当然だ
そんなに歌枠ばかりやりたければ基礎トレーニングの部分から全部配信で流して成長ログにしたほうがまだ価値のあるコンテンツになる
高価な機材など入手できないから音質は仕方ないとして、伸びていないVtuberは音量調整や画面づくりが高確率でガバガバだ
トランジションでもたつくことも多く、画面も地味、ゲームの腕前もトークの内容も平々凡々、もはやただの一般人である
伸びたいという気持ちが少しでもあるのなら自分の配信アーカイブを見て改善しなければならない、特に音量は他の有名配信者を参考に揃えて欲しい
自己管理能力が低いのかやる気がないのか知らないが、伸びていないVtuberほど配信を急にキャンセルしたり、延期したりする
ただでさえ伸びていないのに、見てくれている人まで裏切っていくのだから伸びるわけがない
伸びたいのならスケジュールは守れ、守れないならスケジュールなんて出すな
伸びたいと言っているくせに活動の量がそもそも少ないVtuberもいる
副業などで時間が取れないVtuberですら同じ曜日・同じ時間帯に出現することで遭遇率を上げる工夫をしている
時間を取れるやつがろくに活動せず工夫もしていないケースはわざとやっているとしか思えない、伸びたいなら活動しろ、活動しないと伸びないのだから
大して興味もないのに有名作に手を出して途中でやめるやつも伸びない
好きなゲームを楽しんでいる姿を見たいと思って訪れてくれた人に、つまらなそうにしている姿を見せつけ、あまつさえ投げるのだ
伸びていない自分は配信がへたくそだと認め、せめて好きなことをやって楽しんでいる姿を見せないと話にならない
漢字でGO、声真似キング、その他諸々の流行りの企画やゲームに便乗し、案の定伸びていないVtuberもいる
流行りに便乗して伸びるのは「あなたがやっているところも見てみたい」と思ってもらえる伸びているVtuberだけ、要するにファン向け企画であり、新規を呼び込める企画ではないのだ
伸びていないVtuberが伸びたいのであれば、最近よそで見たから知らない人のやつは見なくていいやと思われないよう、今やっている人がいない・少ないことを探さなければならない、とても大変だが仕方がない
案件、イベント、グッズ販売、ファンボ通話に、メンバーシップ……伸びていないくせに課金誘導ばかりしているVtuberも伸びない
推し活という言葉を免罪符に金を巻き上げることばかり考えて、リスナーに充実した時間を過ごしてもらうVtuberの存在意義すら忘れていたら、伸びることがもはや罪であろう
楽しんでもらう時間は楽しませることだけに集中しなければならない、宣伝や告知は基本的にエンディングでいったん区切った後だ
宣伝を見てもらえる数が減る? 二度と配信を見てもらえない数を増やしたければ、もう勝手にしてくれ
全然数字が取れていないけど驚異的に歌が上手いVtuberの情報なんかは普通に興味がある
目先の数字にばかり気を取られ、広告で虚飾に満ちた数字を盛り、その実さっぱり中身がついてこないVtuber事務所を見るのはもう、ほとほと疲れてしまった
YMO(Yellow Magic Orchestra)は、日本の音楽史において極めて重要な位置を占めており、その評価の高さは革新性、音楽的影響力、そして国際的成功に基づいています。以下に、その評価を支える要素を日本の音楽における歴史的文脈と革新性を交えて詳説します。
a. ポップとテクノロジーの融合
• YMOは1978年に結成され、日本のポップ音楽(歌謡曲や演歌)が主流だった時代に登場しました。当時の音楽シーンにおいて、テクノロジーを積極的に活用した音楽制作は画期的でした。
• シンセサイザー、リズムマシン、シーケンサーといった電子音楽の技術を駆使し、日本独自の音楽性と融合させることで、ポップ音楽に新たな次元を開きました。
• 日本で「テクノポップ」というジャンルを確立し、他のアーティスト(坂本龍一、高橋幸宏、細野晴臣がそれぞれの活動を通じて影響を広げました)を巻き込む形で、テクノロジーを基盤とした音楽の普及に寄与しました。
• YMOの成功をきっかけに、テクノポップは一時的なブームとなり、プラスチックスやピチカート・ファイヴなど後のアーティストたちに影響を与えました。
2. 革新性
• 当時の音楽シーンでは、電子楽器の使用は主に実験音楽や映画音楽に限定されていましたが、YMOはそれをポップミュージックに取り入れました。
• アルバム『Solid State Survivor』や『BGM』では、シンセサイザーとリズムマシンを駆使しながらもキャッチーでありながら知的な楽曲を作り上げ、多くのリスナーを魅了しました。
• 楽曲「Technopolis」や「Rydeen」では、当時まだ一般的でなかったサンプリングやシーケンスの技術を駆使しました。このアプローチは後のエレクトロニカ、ヒップホップ、ハウスなどに直接的な影響を与えました。
• 細野晴臣のエキゾチシズム、坂本龍一のクラシカルな音楽教育、そして高橋幸宏のロック・ポップス志向が融合し、多文化的な音楽を生み出しました。
• 「東洋的なサウンド」を意図的に取り入れた楽曲(例: “Firecracker”)は、当時の西洋リスナーにとって新鮮かつ魅力的であり、日本独自の音楽文化を国際市場に発信しました。
• アルバム『Solid State Survivor』は日本国内だけでなく、海外でも高い評価を受けました。特に、アメリカやヨーロッパのエレクトロニカシーンにおいてYMOは一種のカルト的な人気を持つ存在となりました。
• 初期MTV時代にも、彼らのビジュアル表現やスタイリッシュなパフォーマンスが注目されました。
• YMOの音楽は、後にテクノ、エレクトロニカ、IDM(Intelligent Dance Music)といったジャンルの発展に寄与しました。Aphex Twinやエイフェックス・ツイン、ダフト・パンク、ジャスティスなどのアーティストにその影響が明確に見られます。
• YMOは、アジアのアーティストが世界的に成功する道筋を作ったパイオニアとして評価されています。彼らの音楽は、「日本の高度経済成長期」における技術革新を象徴する文化的な成果としても語られています。
• YMOの楽曲やアルバムアートワークは、常に「未来」を感じさせるものでした。例えば、『Technodelic』ではアルバムタイトル自体が「テクノ」と「叙情」を掛け合わせており、電子音楽と人間の感情を統合する試みが見られます。
• メンバー全員が音楽だけでなく、映像やテクノロジーへの深い関心を持っており、YMOのライブパフォーマンスやプロモーションビデオにおいて、当時としては非常に先進的な視覚演出を採用していました。
a. 後進アーティストへの影響
• YMOの活動は、坂本龍一や細野晴臣が手がけたソロ作品やプロデュース活動を通じて、多くの後進アーティスト(例えば、小室哲哉、電気グルーヴ、Perfume)に直接的・間接的な影響を与えました。
• 日本の音楽制作において、MIDIやシーケンサー、デジタルオーディオ技術の使用を普及させた功績は非常に大きいと言えます。
まとめ
YMOは、日本の音楽史において「テクノポップ」という新しいジャンルを確立し、世界的な電子音楽の潮流をリードしました。その革新性は、音楽的、技術的、文化的な側面で非常に広範囲にわたり、現在でも多くのアーティストやプロデューサーに影響を与え続けています。YMOの存在は、日本音楽のグローバルな発展とその多様性を象徴するものと言えるでしょう。
聞いていたインディーズのPodcast突然おわたんだけど、リスナーが緩くすら繋がってないタイプの番組だったからただただそれぞれが呆然として面白い(俺含む)
ハッタグとか番組の略称もなかったし、「絶対エゴサしないから言いたいことはお便りだけで伝えてくれ」というスタイルだった。流石に見られる可能性0%だとモチベーション沸かないのであろう(俺含む)、感想ツイートをする人すらほぼいなかった。
ハッシュタグがあったりなど感想を促進するスタイルだったらリスナー同士がなんとなくコミュニティ然としただろうし、そうすると需要ができて番組の感想スレ的な場所ができて、場所があると「せっかく場所があるなら書くか」みたいに言わんでもいいこと書く人が現れて、それでハードルが下がると文句がたくさん書き込まれたりするんだろうし、そういうのに懲りてたから流れを作らないようにしてたのかもな(その配信者はそれ以前にもグループでポッドキャストをやっていた)。
エピソードタイトルも、入れた方が注目を集めそうな固有名詞も不自然なくらい入れないようにしてたし、静かにやりたい人だったのだろう。
⚫︎周年記念グッズ梱包と発送終わったー!
ほんとめんどくさかったなー。
開封した時にほんのり私の好きな植物フレーバーのする香水ふっといたから、開けた時びっくりするかな?
私の匂いだと思ってせいぜい使ってね!
好きな自分
本当の自分
罪悪感プログラム
偏差値50 70
なんで生きてるのか
なんで生き続けてるのか
なんで死なないのか
死んだらどうなるのか
この世の仕様
この世の原理
目的はなにか
ない
なにしてもいいよ
どうでもいいだろ
金使おうが 別に
ティッシュを落としたら落ちる
セイpあるし
事故で死んだ人
どうでもいいだろ
いかにコツコツ積み上げるかでしょ
そういうメンタリティでやってない
放送してるけど、リスナー鮮魚主任の給料とかボーナス信じへんな一昨日冬ボーナス入ってたけど97万やったで役職で手取り44万やのに
なぜリスクを回避できなかったのか なぜ未来を読めなかったのか こうなる未来を
おれのこころのもんだい
なんちげ なんかちがうんだよな
しにたくもいきたくもない ただ時間を消費したい
はやくはやくはやくおれを連れてってくれ
いつも仮の場所だと逃げて逃げて
逃げたい どっかに逃げたい
解放されたい
何も決めたくない 逃げたい
行動に対する『かわいい』には未熟であり不完全であるというニュアンスも含まれると思う。
文中の例で
例えば、「35:35のとこめっちゃ可愛かった〜🥰」ではなくて、「35:35の普段しないミスして焦ってたところ、あんま見られない顔見れて嬉しい🥰」の方が、配信者本人がリスナーのウケを分析する上でも役に立つはずだ。
というのがあるけど、
みたいことが魅力的だったとしても『かわいい』は合わない。
『かわいい』を使っていいかは未熟であり不完全だということを好感として受け取れる話題なのかということになりそう。
自分が何かが劣っている人間ではないとアピールしたい傾向の男性に対してだとその話題はかなり限られる。
ここで書かれている内容は既に予想されている程度の内容であり怪文書の類ではないことを前もって記しておく。
本日21:00、ホロライブ6期生HoloXに所属する沙花叉クロヱが来年1月末での卒業を発表した。卒業理由としてまず第一に会社の方針変化による不一致を挙げていたわけだが、これは8月末に卒業した湊あくあが挙げていたものと一致する。
いずれも200万人、130万人を超える登録者数を誇る配信者を失う(沙花叉クロヱより登録者数の少ない先輩配信者はたくさんいる)わけで、ホロライブにとっては大きい損失かもしれないが、しかしそうではない可能性もある。
そもそもの話、ホロライブは◯期生というグループ毎に順番にデビューさせており、ハッキリとした方針変化を予感させるのは6期生秘密結社HoloXのデビューだった。6期生と冠しているがこれまでのグループとは秘密結社という別の公称がある点で一線を画しており、今後のデビューする新人はこれまでとは異なることを予感させた。(もっとも、◯期生を何度も何度も繰り返すことは無意味だし、ちょうど6年で一区切りつけるというのはわからないでもない)結果的にはホロライブDev_isという姉妹グループを立ち上げるに至るわけだが、当然今後はこちらに企業リソースを注ぐことになるので、実質的には◯期生グループは終了ということになる。このあたりの温度感がハッキリと感じているのは他でもない当事者だろう。(思えば船長がBBAアピールをこれでもかと繰り出すようになったのは6期生くらいからだったか。ねぽらぼの頃はまだそこまで三十路ネタを擦っていなかったように思う。)
そんなこんなで引退する配信者を傍目にHololiveDev_isから新しくFlowglowがデビューしたわけだが、既にご存じの方も多いと思うが「中の人」の人選がハッキリと変わった。◯期生までは言ってしまえばニコ生とかで活動していたアマチュア配信者がメインだ。彼らは良くも悪くもその延長線上で配信活動をしているし、企業もそれを後押ししていた側面はあっただろう。しかし今度の人選はどうだ。中の人は他所で中身でも食べて行けていただろうプロばかりである。当然界隈では話題になった。まず初配信が初配信らしくない。大した緊張感もなく、今まで踏んできた場数を思わせる歯切れの良さ、(比較的)キビキビした受け答えに違和感を感じたリスナーもいただろう。しかし、これがこれからのスタンダードになるのは想像に難くない。Vtuber業界は既にアマチュア個人配信者の目標ではなくプロの転向先にまで成熟したのだ。他所の界隈に慣れている人を引き抜いてこれればギョーカイのジョーシキも通じているし市場規模の拡大も見込める。コネクションがある人物を引き抜ければ尚良し。これに不満があるというなら、なるほど方針の不一致だろう。草野球していたいだけなら企業に所属する理由はないだろうし、企業も草野球したい人のためにグラウンド整備する理由もない。
当然「案件」の存在も大きいだろう。市場規模が拡大し、Vtuber自体が広告としての価値を認められれば認められるだけ、Vtuberには「マネキン」としての役割が期待されるようになる。(この辺は顔出し配信者と事情が違ってくる。顔出し配信者で商品レビューをするのは辛めの批評も広告になるがVtuberにそんな気骨のある人は見たことないし、企業が認めないだろう。これはにじさんじも一緒だ)案件の数が増えれば増えるほど今まで個人でやってきた人格権は既存されていく一方だ。案件があるということは収録も増えるということ。沙花叉も引退理由に慢性的な喉の調子の悪さを挙げていたが、喉の酷使はおそらく声優以上ではないかと察する。そしてこの辺りの整備が進まないことも容易に想像できる。彼ら彼女らは個人事業主だから。組合もないだろう。
長々と書いたが何も驚くことは書いてないはずだ。時間が経てば人は変わり、組織も変わる。先に生まれたものは先に退く。これ以上のことは書いてないつもりだ。
前提として、私はとある女性Vの「ユニコーン」であり「後方腕組P」で、いわゆる「厄介オタク」です。
推しには絶対に男性Vとはコラボさせませんし、配信内容について「あれが良かった」「ここはダメだった」「次はこうしてほしい」といったフィードバックを送る、典型的なド厄介オタクです。
本来であれば排除されるべきコッテコテの厄介オタクである私ですが、推しの転生前を含めると約5年間、配信サイトの収益が推しのバイト代を上回った今でも応援させてもらえています。
そんな私が推しにやってきたことをつらつらと書いていこうと思います。
最初にやったことは、推しの夢である「歌ってみたを出す」「オリジナル曲を出す」の2つを叶えることでした。
楽曲制作、ボイストレーニング、レコーディング、動画制作などを知識が無いなりに調べ、用意しました。
つまり、あとは推しが「歌うだけ」で済む環境を私一人の「金の力」で整えたのです。
こうして「歌ってみた」を毎月出し続けられるように用意しました。
しかしながら、7本出した歌ってみたはどれも1000再生程度であり、あまり良い結果ではありませんでした。
また、最初のオリジナル曲は、公開してから転生までの約半年間でわずか500再生という拙い結果でしたが、それでも、推しが初めてオリジナル曲を公開したとき、ものすごく喜んでくれたことは今でも鮮明に覚えています。
そこで次に取り組んだのが「人脈作り」でした。
解釈不一致を解消するためには、その辺に転がっている安い素人クリエイターに依頼するだけでは私の推しの魅力を引き出すことが出来ないと考え、プロに依頼することが必要だと結論づけました。
当時、ちょうど転職活動をしていたので、推しのためにアニメ系のコンテンツを出しているエンタメ業界の会社に転職しました。
幸い、事務系のスキルがそれなりにあったおかげでスムーズに転職でき、生活も豊かになりました。
その後はひたすら仕事に励み、社内外のイベントや飲み会にも積極的に参加することで、サウンド系や映像系の技術者、イラストレーターなど、技術で飯を食えるクリエイター達と公私共に関係を築きました。
つまり、ハイレベルかつ、個人的な依頼を受けてもらえる環境が整ったことで、よりお金を掛け、クオリティの高い作品を制作できるようになりました。
その結果、投稿したとある歌ってみたは、たった2日で1000再生を超えました。
100、200、500、と再生数が跳ねるように増えていくごとに、推しと一緒になって喜びました。
このように、私が「金」と「人脈」を得たことで、厄介オタクとしての欲求を満たせるようになりました。
ここからは、後方腕組P、ユニコーンとして満たせる欲求についてより具体的に書いていこうと思います。
まずは、後方腕組Pとしての「満足感」です。
エンタメ業界に転職したことで、トレンドを常に追えるようになりました。流行のゲームやバズっている動画、ネットの時事ネタなど、推しのコンテンツになりそうな情報をリサーチし、即座に推しに提供できます。
これにより、推しが枯れることなく、次のコンテンツを出せるのです。
そして、私が「これやってみよう!」と提案したコンテンツが伸びる度に、今よりも誇らしげに腕を組むことができます。
推しが活動を辞めたとしても、転職した今は私一人で推しを養える程度には稼げるようになりました。
さらに、信頼できるクリエイターたちで推しのコンテンツを作れるため、某MIX師がやらかしたような推しが毒牙に犯されるようなこともありません。
また、出会った当初は半ニートだった推しでしたが、今では外に出られるようにもなり、
特にお母様から推しの情報を得られるようになったことで、変なリスナーが涌いたとしても圧倒的な情報マウントの力で角をピッカピカに保つことが出来るのです。
以下、まとめに入ります。
そもそも推しは推してくれる人がいるからこそ活動を続けられます。
なので、誰よりも推しを応援したいという気持ちは間違ってはいないんです。
厄介オタクと言われ忌み嫌われるのです。
厄介オタクは「金」と「人脈」を手に入れましょう。
「金」と「人脈」を使って推しの夢を実現し続けられればどんな厄介オタクだったとしても推しを推し続けられるのです。
まあ、推しが私のことをどう思ってるかは分かりませんが。
私のやってきたことが今を生きる厄介オタク達を救うきっかけになれば嬉しく思います。
以上。
俺らは輝こうとしてはいけない。
夜空を見上げ、星を見る人々はその後ろにある闇を認識できない。