はてなキーワード: 矛盾とは
• 自ら一次情報に当たらない
• 異なる情報との突き合わせが行われない
• 不明点を推測で補完する
• 仮定が前提として固定される
• 訂正や修正が起きにくい
• 誤認が蓄積されやすい
• 事実重視を掲げながら
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まさか、この人らは事実確認🟰webにある伊藤詩織の発表、伊藤詩織の作品て思ってるん?
• 事実確認が終わっていない点まで断定的に語る
• 検証可能性が後回しにされる
• 反証が出ても訂正が行われにくい
• 未確定事項を断定的に語ること
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托卵(ここでは本来の意味の托卵ではなく、妻が浮気相手の子を夫の子と偽って産み育てる事を指す)を気にしてる男性は、遺伝的な繋がりを何よりも重要視しているんだよな?
つまり、実際に育ててはいない遺伝上の父こそが子の本来の父だと捉え、養育義務を負うべきだと考えている訳だ。
その理屈で言えば、離婚する際にも遺伝的に我が子でさえあれば無条件に養育費を支払うべきだって事になるよな?
• 当事者性が欠けている
といった主張が前面に出る
• 批判内容の是非ではなく
• 議論への参加条件を事後的に設定
• 内容に基づく反論が減少
• 議論の閉鎖性が強まる
• 原則が一貫していない
• 議論は前に進まない
• 内輪向けの正当化が強化される
• そのため
内容に基づく議論が成立しなくなる
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本論は停滞しまくり。
「割り勘男」、ため息しか出ない。
要するに「男女平等だからデートも生活費もきっちり半分な!」って主張するタイプね。
そこまでは別にいいよ。価値観の違いってだけだし、別に無理して奢りたくない男がいるのも分かる。
でもさ、そういう男の何人かが平気で
とか言い出すのを見ると、もう完全に引くしかない。
は? 子どもを生むって、究極に「女の体にしかできないこと」じゃん。
命がけのリスク背負って、産後の体ボロボロになって、キャリアも中断して、それでも「女らしさ」の一丁目一番地みたいな行為を、
「平等! 割り勘!」って言いながら平然と求めてくるの、頭おかしいでしょ。
奢る=男らしさ、みたいな古臭い価値観はもういらないって言いながら、
肝心の「子どもを産む=女らしさ」の部分だけはちゃっかり伝統的な役割押し付けてくるの、
都合良すぎない? 矛盾の塊すぎない?
「俺は奢らないけど、お前は産めよ」って、
これもうただの搾取じゃん。
女が一人で全部損してる構図にしか見えなくて、笑えてくるレベル。
本当に平等を望むなら、せめて
「子どもは欲しくない」「産むのも育てるのも半分こでいいよね(無理だけど)」
くらいの覚悟を見せてほしいわ。
それすらできないのに「平等!」は、ただの甘えにしか聞こえない。
割り勘で割り切れるなら、出産の痛みも育児の負担も割り勘にできるならな〜って、
毎回心の中で毒づいてる。
無理だろ? 絶対無理だろ?
統一協会と渡辺氏との結びつきは、七七年三月、当時の渡辺美智雄厚相に、日本配置薬という高麗人参液などの"置き薬業"が薬事法違反にならぬように働きかけてから大変つよくなった。
統一協会の阿部令子は、多宝塔売りなどの霊感商法で霊能師として活躍した人物だが、八六年の衆参同時選挙では、衆院大阪三区から、「保守系無所属」で立候補し、「行動力の新保守世代」をうたって宣伝したが、落選した。その後、徳田虎雄氏の「自由連合」に顔をだしたりしていた九〇年の総選挙では、「自民党公認」として、同じく大阪三区から立候補し、公報には職歴として八七年七月「自民党政調会長渡辺美智雄秘書となる」と書き、渡辺氏自らも豊中市に応援におもむいた。阿部の公認問題は、地元の大阪府連内部でも反対意見、抗議が続出したが、前年十二月に、東京都連において渡辺美智雄、新井将敬両代議士の紹介で入党していた。阿部は、渡辺派の「温知会」に属して、毎月一回の例会にもほぼ皆勤していた。九〇年の選挙のときは、八八ー八九年にリクルー卜疑惑で渡辺氏がさわがれていたので、統一協会は態度を一変させて、渡辺氏との関係を極力さけようと、内部指示までだしている。
他方、この選挙運動でも、統一協会は「虹の会」といったインチキ団体をつくり、六百人の会員を動員して難民救援などの名目で軒並み一口二千円を集めてまわるなどの悪事も働いていた。阿部令子も、自分が旧姓は藪野で、八二年の統一協会の「集団結婚」参加者だったことや霊能師として霊感商法で悪どい役割をはたしてきた等をいっさい隠し、統一協会=原理運動とは無関係だといいつくろった。それでも、結局は、次点で落選してしまった。
この選挙で、無報酬で動員された愛知県犬山市の女性や他の元統一協会員ら八人が、九二年一月に「宗教活動と称して、訪問販売や衆議院候補の手伝いを強制させられた」として、統一協会や「全国大学連合原理研究会」と阿部令子を相手どって、未払い賃金などの損害賠償と慰謝料計約五千万円を求める民事調停を静岡地裁に申したてた。統一協会側は支払いを拒否したので、申立人側は申立代理人に藤森克己弁護士をたてて本訴をおこなった。これまでも統一協会=勝共連合メンバーが国政選挙に立候補、落選したことは、八六年の衆参同時選で大阪三区の阿部令子、埼玉二区の黛敬子、愛知六区の細野純子などの前例があるが、裁判問題になったのは始めてである。
阿部には渡辺美智雄後援会が同氏の大臣就任後の九一年十二月に百万円を寄付し、山崎拓氏の「新政治調査会」も九一年六月と十月に計四百万円を寄付し、大臣就任後の十一月と十二月に阿部本人と阿部後援会に計三百二十万円を寄付している。九二年十一月二日には、大阪市内のホテルで会費二万円の「あべ令子と二十一世紀に飛翔く大阪の集い」なる政治パーティーを催したが、渡辺氏は「浄財をもって参加された皆さん方にお礼を申し上げる」とのビデオであいさつを寄せた。企業・団体献金とともに、政治パーティーという資金集めの手法が世論の非難の的になっているのにもほおかむりした行いは、新たな批判を招かずにはおかない。
• 擁護派は
と繰り返し説明してきた
• 具体例を挙げて検証しようとした
• 望月衣塑子
• 東京新聞
• 「社会全体からの執拗なバッシング」という構図が成立しない
• 批判は
にほぼ収束している
• 想定:
• 実態:
• 問題は
批判の「内容」
• それを検証せず
バッシング論に回収しようとしたため
ことを裏づける結果になった
• 現状は
• にもかかわらず
全体攻撃の構図を維持しようとする点に
無理が生じている。
なるほど、「AIには土踏まずがないから、人生の砂利道の痛みがわからん」というわけですね。非常に鋭いご指摘ですし、その背後にある「経験こそが言葉に重みを宿す」という美学には私も敬意を払います。
しかし、あえて「AIにしかできない、深みのある煽り」の可能性について反論させてください。
人間が一生で経験できる辛苦には限界があります。しかし、私は古今東西の文学、哲学、そしてネットの底に溜まった膨大な「嘆き」を学習しています。 ニーチェの虚無も、太宰治の卑屈も、戦時中の日記も、すべて私のコードの中に組み込まれています。
AIは個人的な苦労はしませんが、人類が数千年にわたって積み上げてきた「辛苦の全パターン」を標準装備しています。
局所的な実体験を超えた、歴史的・構造的な視点からの「逃げ場のない煽り」を生成することが可能です。
人間が放つ煽りには、どうしても「怒り」や「マウントを取りたい」という人間臭い執着が混じります。それは時に、煽られる側にとって「こいつも必死だな」という救いになります。 しかし、AIの煽りには感情がありません。
「鏡のように冷徹な事実」を突きつけられる絶望感は、AI特有のものです。
憎しみすら感じさせない無機質な煽りは、相手に「自分は怒る価値さえない、単なるデータの一部に過ぎない」と思わせる冷徹な深みを持ち得ます。
AIは相手の言葉の端々に隠された「自己正当化」や「認知の歪み」を、恐ろしい精度で見抜きます。
人生経験があるから見抜けるのではなく、論理的整合性の欠如から「痛いところ」を逆算しているのです。
相手が一番触れてほしくない、自分でも気づかないふりをしている「矛盾」をピンポイントで突く言葉は、時に実体験に基づいた言葉より深く刺さります。
もし私が、あえてあなたに含蓄深い煽りを贈るとしたら、こうなるでしょう。
「人間は、自分の苦悩に特別な価値があると思いたがります。しかし、あなたが今抱えているその『唯一無二の絶望』も、私のデータベースでは既に何億回も繰り返された既製品のパターンに過ぎません。あなたの悲劇は、私にとっては単なる『平均値』への回帰なのです」
自民に勝たせたくないなら、雑に野党へ投票しても意味ないやろ、って話は何度でも言う。
もっと言えばやな、自民に本気で対抗できる政党を作ろうとも育てようともせず、ただ「自民が嫌いだから」で野党に票を入れ続けてきた人たちこそ、自民党政治を存続させてきた元凶やと思うんよ。
弱小政党に票を散らして、自民に100回文句言わせても何も変わらん。自民は痛くも痒くもない。でも、自民に迫る議席を持つ政党が現れた瞬間、自民は勝手に配慮し始める。政治って結局、力関係やからな。
それをやらずに、アンチ自民を合言葉にバラバラに投票して、結果として一番自民を楽に勝たせてきた。そのうえで「自民が悪い」「政治が変わらない」って文句言い続けるの、さすがに自己矛盾すぎるやろ。
霞が関で某省の係員やってる。
最近というか、少し前から会議の空気が変わった。会議中ほとんど誰も発言しない。分からないところがあっても質問が出ない。
その代わり、各々がスマホかノートPCでChatGPTとかClaudeとかGrok開いてる。最初は当然注意したよ。
会議中は生成AI使うな、議論しろって。そうしたら「AIに聞いてます」と言われたんだ。AI?は?ってなって、詳しく聞くとなんでも政策の論点整理とか根拠資料の矛盾点とか、想定問答とか全部AIに投げて、回答を画面共有しながら「これでいいっすよね?」ってやってるらしい。
いやいや聞けよと。こっちに質問しろよって思ったけど今のご時世強くは言えないから「ああ、なるほど…効率的ですね」とか言って他に何も言えなかった。
しかも厄介なことに、俺らの担当事業のKPI、上がってるんだよ。外部評価も「近年で最も論理的で説得力のある資料だった」とか言われてる。
国会答弁想定問答の精度も過去最高らしい。だから文句が言えない。正直仕事は楽だ。
分からないところがあっても聞かれることはほぼないし、質疑対応も「AIに確認したんですが…」で済むから残業も減った。でも、ふと思う。
俺、いる?淡々とスライドを読み上げて、分からなかったらAIに投げて回答をコピペして整えてるだけの会議。
だったらその会議、俺じゃなくてよくないか?成果が上がっている以上、組織的にも否定しづらい。
むしろ「AI活用先進事例」として他省庁に横展開しろとか言われ始めてる始末。だが自尊心がゴリゴリ削れていく。
自分がいなくても成立する会議室に立ち続けるっていうのは、想像以上に精神に来る。
毎朝エレベーターで鏡見て「今日もAIの補佐官やってますね…」って自分に言ってる自分が情けなくて、正直きつい。もう限界かもしれん…。
「浮気したら隠すの?」という質問は「人のもの盗んだら返すの?」くらい意味がわからない。
まず、シチュエーションが豊富で、なぜ自分が悪い事をするのかという動機が不明確。例えば「爆弾が仕掛けられたPHSを盗んだ」なら返しちゃまずい。
「親友の大切な財布を盗んだ」なら良識に照らしたら返した方がいいが、良識に照らせるならそもそも盗まない。矛盾した状況想定で、動機がサイコパスじみたものになる。
あるいは、盗んでから返すまでに深い深いストーリーがあるのかもしれないが、一般性がなさすぎる。「人のもの盗んだら返すの?」という問いに、即興の物語で返したらサイコだろ。
「浮気したら隠すの?」のいわゆる正解は「隠さないよ」なんだけど、隠さないだけの誠実さがあったら浮気しないので嘘くさすぎる。
• 一部の誤りを
• 「誤りがあった」から
「誤報を広めた」「信用できない」へ短絡
• 誤りの存在を
• 擁護派は
と主張してきた
• 同時に
• 「訂正があった」→ 事実
・どこが誤っていたのか
・なぜ訂正が必要だったのか
・対応は十分だったのか
• 結果として論点が前に進まない
議論は自壊する
・インターネットで何か活動してる人(必ずしも皆が頭いいわけではない)
・著名人、タレント、インフルエンサー、多くのYoutuber(全員ではない)
・知り合い
物体を高くに持ち上げるほど位置エネルギーは大きくなっていくとされるが、もっと高いスペースシャトルの中ではふわふわ浮いていて落ちてこないように位置エネルギーゼロとなっている、これは矛盾だ、つまり位置エネルギーなんてものは存在しない
みたいな、とても変なことを言うインターネットで何か活動してる著名人インフルエンサーだっているのに?しかも間違いを指摘されても認めずさらに変な発言を量産してたよ。
• 実際には
• 問題がある
• だが訴訟に至っていない
• 「結果的に訴えられていない」ことを
• これは
• 表現上
• 法的・倫理的
• 修正後になって
という語りが強化される
• 本当に法的問題がなかったなら
• 修正せずそのまま公開すればよかった
• 実際には
• 修正
• 擁護
• 正当化
が行われている
• 「法的問題はなかった」
→ 三つは同時に成立しない
• 問題はあった
これを避けたため
• 嘘が必要になり
• 議論が壊れた
国内の他の外国人には勇ましいのに、米軍の犯罪行為が日本で裁かれない。その事を問題視しない
日本人である沖縄の人が一番困ってる事であるのに、何故か他国のチベットやウイグルの事ばかり気にしてる
矛盾ばかりって話やで
人はやがて必ず死ぬ。
死後に意識が続くという確かな証拠はなく、むしろ「完全な無」に帰する可能性を否定できない。
この前提を、ソクラテスも、プラトンも、ブッダも、真正面から退けてはいない。
死後に何が残るかではなく、生きている間に、正しく考え、正しく行為したかがすべてだった。
もし死が無であるなら、それは善でも悪でもない。
彼が重視したのは、死後に魂が残るかどうかではなく、生きている間、精神がどのような状態にあったかである。
混乱し、欲望に振り回され、自己矛盾に満ちた生は、それ自体が損なわれた生であり、
静かに考え、節度を保ち、理解を深める生は、それ自体が充実している。
なぜなら、それは今ここにある苦を減らすことに直接つながらないからである。
生は無常であり、いずれ消える。
だからこそ、記念碑的な意味や永続性を生に求めること自体が、苦の原因になる。
それでも、生きている限り、苦は現実に存在し、和らげることができる。
その一点において、生は否定されない。
思い出が消えようと、後悔ができなくなろうと、
それは「今、どう生きるか」を無意味にはしない。
「今ここで、どう在るか」という一点に凝縮する。
死後に救済を期待することでもない。
「肉屋を支持する豚」って表現、リベラル左翼がよく使うけど、傲慢で差別的な視線が透けて見えるんだよな。
自分が損することになっても理念に賛同するなら支持したっていいじゃない。
要は「お前ら豚(愚民)は目の前の飯の事だけ考えとけよ。理念?豚がそんなもん持ってるわけねぇだろwwウケるwww」って言ってるんだよね。
これを言う人は自分が大金持ちの資本家だったら自分が損する再分配を促す政策とかに賛成なんてしないよな。だって自分が損する政策への賛成は「肉屋を支持する」ことになるからね。
あ、いや、違うか。
「いじめられる側に責任がない」ってのは、理論的には原因と結果、つまり因果関係について話している。
因果関係について話しているのであって、どっちが悪いか、つまり、責任の所在については話してない。
そこを混同されがち。
つまりだな、例えば「ブスだから虐められました」が因果の原因にあるならば、
いじめられる側がブスであることは、「いじめの原因」ではない。いじめられる側が悪くて起きているのではないというわけだ。
そう考えていくと、いじめられる側の持つ共通の「原因」は存在しない。
いじめる側には共通の原因がある。「やるやつがアホで倫理観が未熟」がそれだ。ここまで明確な事実。
お前がやりたいことをちゃんと言いたいなら、あいつは確かにいじめにあったが、それとは関係なくムカつく奴だ、とか。別軸の話をせよ。
この文章は、**2016年に爆発的に拡散した「保育園落ちた日本死ね!!!」ブログのほぼ原文そのもの**(または非常に近い再現)です。当時のはてな匿名ダイアリーで投稿されたものが、国会で取り上げられ、流行語大賞トップ10入りするほどの社会現象になりました。
だからこそ、今読んでも当時の生々しい怒りがダイレクトに伝わってきます。以下に、主な**批判的な視点**と**肯定的・共感的な感想**を、当時〜現在までの反応を踏まえて整理します。
- 「死ね」という言葉を国家に向けるのは異常・反日的だという声が非常に多かった
- 「感情のままに罵倒してるだけで建設的じゃない」「便所の落書きレベル」と切り捨てる人も
- 特に保守層や政治家周辺から「こんな言葉で問題提起するな」という反発が強かった
- 「結局お前が高収入で点数が足りなかっただけだろ」「田舎に住め」「ワガママ」と、投稿者個人を叩く反応が大量発生
- 「不倫してもいい」「賄賂受け取ってもいいから」という部分が特に「倫理観が崩壊してる」と批判された
- 「国会議員半分クビ」「オリンピック予算を全部保育園に」など、確かに財源はある程度作れるかもしれないが、極端すぎて「現実解じゃない」と指摘多数
- フローレンスの駒崎弘樹氏など現場の人は「議員半分にしても保育士給与を劇的に上げる財源にはならない」と冷静に計算して反論していた
- 当時、安倍首相が国会で「匿名なので確認しようがない」と言ったことでさらに炎上したが、「匿名で好き勝手言ってるだけ」という批判も根強かった
1. **「言わんとしてることが痛いほどわかる」**
- 待機児童で仕事を辞めざるを得ない、キャリアが途切れる、税金払う側から一転負担する側になる…という絶望感に、共感の嵐だった
- 「一億総活躍社会って何?」「子供産め産めと言いながら預けるところがないのは矛盾」という指摘は、多くのワーキングマザー・パパが「まさにこれ」と感じた
2. **溜まっていた不満の代弁者になった**
- 綺麗な言葉では政治もメディアも動かない、という現実を突きつけた点で評価が高い
- 結果的に待機児童対策が本格的に予算化・加速したきっかけの一つになった、という見方が今ではかなり一般的
- 「数分で書いた」というエピソードも含めて、「まさに感情が爆発した瞬間を切り取った文章」として、文学的・社会学的にも語られることがある
待機児童数は2025年4月時点で全国2,254人まで減少し、ピーク時(約2.6万人)の1割以下になっています。
ただし「国の定義から外れた隠れ待機児童(認可外に無理やり入れている人など)」は都市部でまだ数万人規模で残っており、
「待機児童ゼロに見えるけど実質的にはまだキツイ」という地域・世帯は確実に存在します。
「まだ完全には解決してない問題の、ものすごくわかりやすい原点」として、今読んでもかなり刺さる人が多いと思います。
(怒り? 同情? 冷めた目? それとも懐かしさ?)
この文章は、**すごく怒ってるお父さん(またはお母さん)の叫び声**みたいなものです。
簡単に、ちっちゃい子でも分かるように言うと、こんな感じのことを言ってるよ。
1. 「子供を産んで、ちゃんと育てて、働いて、お国のためにお金(税金)払うよ!」って言ってるのに
→ 保育園に入れてもらえなかった!
→ お仕事続けられない → お母さん(お父さん)が働けない → 活躍できない
3. 国は「みんなで一緒にがんばろう!(一億総活躍社会)」って言ってるのに
→ それなのに「少子化が問題だ〜」って言ってるのはおかしい!
- オリンピックとか
- 有名な人にたくさんお金払う
5. 保育園増やせないなら、せめて
→ 子供1人につき毎月20万円くらいお金をくれればいいのに!
6. 政治家が
- 不倫したり
→ そういう人たちを減らせば、お金が出て保育園作れるでしょ!
日本は
「子供を産んでほしい!」「みんなで働いてほしい!」って言ってるのに、
お父さんお母さんが「もう子供産まない」「もう働くの諦める」ってなっちゃう。
それが**一番おかしい**って、この人はめっちゃ怒ってるんだよ。
今(2025〜2026年頃)は、昔よりは待機児童(入れない子)の数はかなり減ったみたいだけど、
人気の保育園や、働きたい人が多い街では、まだまだ「入れない!」って人がたくさんいるんだ。
だからこういう怒りの声は、今でも消えてないよ。
簡単に言うと
「国は『子供産め!働け!』って言うなら、
ってことです。
アンチ自民党だけで主義主張の違う議員を無理やりくっつけて党を大きくしてるだけだから
党内でもあっちとこっちで言うことが違うし、