はてなキーワード: 大人のマナーとは
より善い社会を作ることが政治の役割であるとすれば、そもそも”善い”とは何か。
それを知る必要がある。そして、それを知らずして語る政治論はいつも空疎に響いて聞こえた。
そんな自分の違和感を払拭し、政治について数多の本を読んできたがその上でも必読と呼べる三冊を紹介しようと思う。
これを読まずして政治は語れない。
むしろ、これを読まずに政治を語るのはフェアじゃないとさえ思っている。
はっきりいって読みやすい本ではない。
それでも20代の私は、この本に出会って初めて「正義は感情ではなく、設計の問題」なのだと理解した。
ロールズが提示する「無知のヴェール」という思考実験は有名だ。
自分がどの立場に生まれるか分からない状態で社会制度を設計するとしたら、人はどんなルールを選ぶだろうか。
ここで重要なのは、「誰が得をするか」ではなく「最悪の立場に置かれた人が、どこまで耐えられるか」という基準が持ち込まれる点だ。
この本を読んだあと、私は「過度に正当性を叫ぶ言葉」にどこか冷めた視線を向けるようになった。
なぜなら多くの正当性は自分がどの位置に立っているかを隠れた前提にしているからだ。
ローティは「普遍的な真理」や「理性によって保証された正義」といったものを容赦なく解体する。
我々の価値観は偶然の産物であり、言語も道徳も歴史的に作られたものでしかない。
それでも尚、他者の苦痛を減らそうとする態度だけは手放すな、というのが彼のスタンスだ。
本書で述べられている「リベラル・アイロニスト」といった概念は、自称リベラルにかなり刺さるだろう。
リベラルとは
自分の信念が偶然に支えられていることを自覚したうえで、それでもなお立場を引き受ける行為なのだ。
ローティを読んで以来、「正義を論破で勝ち取ろうとする」行為が誤りであることを知ることができた。
本書は政治思想というより、政治という営みそのものの解剖図だ。
扱っているのは市場・国家・社会が、どのように結びつき、どの地点で破綻するのかといったことを入念に描き出す。
ポランニーが繰り返し示すのは、市場は自然現象ではなく、徹底して政治的に作られた制度だという事実だ。
放っておけば自由市場がうまく回るという発想そのものが、実は国家権力による介入と強制の産物だった。
この逆説を、19世紀ヨーロッパの歴史を通して執拗に描いていく。
この本を読むと「政治は介入するか否か」という素朴な二択がいかに無意味かが分かってくる。政治は常に介入している。ただ、それが誰を守り、誰を切り捨てる形で行われているのかが見えにくくなっているだけなのだ。
自由か統制か。右か左かといったラベルがいかに粗雑で、思考停止に近いのかをこの本は静かに暴いていく。
ロールズが制度の正当性を問い、ローティが価値の偶然性を引き受けたとすれば、ポランニーはその土台である「社会が壊れるメカニズム」を描き出す。
政治を語るうえで避けて通れないのは、理念でも倫理でもなく、制度が人間の生活にどう作用するかという具体性なのだと、この本は教えてくれる。
これら三冊を読んで、ようやく腑に落ちたことがある。
政治における無理解は政治に対して無知だから起こるのではなく、政治が行うとしている行為そのものに対する知識の乏しさから生じるものであるのだと、理解するに至った。
無論これらの本を読まずとも、政治を語ることはできる。
だがそれは米の旨さについて語り合うときに産地を無視するようなものだ。
甘い。硬い。まずい。好きだ嫌いだと感想を述べることはできるだろう。
しかし「なぜその味になるのか?」や「なぜ違いが生まれるのか?」を理解しないままでは、議論はどこにも辿り着かない。
自らの発言に対し、責任を伴わず、好き勝手なことを言って容認されれば尚のことだ。
しかし自らの言説に責任を持ち、最低限の知識を以てして発言することこそが政治に参画する大人のマナーであり、嗜みなのではないだろうか。
おい、そこに座ってるお前だ。そうだお前。
画面の前で「無料ポーカーアプリで仮想マネー100億貯めた~w俺って才能ある?」とか言ってるおめでたい脳みそをしたお前のことだよ。
いい加減に目を覚ませ。
お前がやってるのはポーカーじゃない。「トランプの絵柄がついたデジタルゴミの交換会」だ。
それを「ポーカー」と呼ぶのは、フィレミニヨンと消しゴムのカスを同じ皿に盛って「これどっちも牛肉です」って言い張るくらい狂ってるんだよ。
今日はその腐りきった性根を叩き直してやるから、耳の穴かっぽじってよく聞け。
ポーカー、特にノーリミットホールデムというゲームがなぜ成立するか知ってるか?
金が減るのが怖い、失いたくない、だからブラフが効く。だからバリューベットが成立する。
「恐怖」と「欲望」のバランスの上で初めてGTOだのエクスプロイトだのが機能するんだよ。
ノーレートポーカー?
そこにあるのは「無」だ。虚無だ。
ゴミだ。
「ノーレートで10万ハンド回してウィンレート 20bb/100 でした!」
うるせえよ。
そのデータ、トイレットペーパーに印刷してケツ拭くのにも使えねえよ。
なんでかって? 相手が「人間としての意思決定」をしてないからだ。
ノーレートのテーブルを見渡してみろ。地獄の釜の底みたいなメンツしかいない。
お前(養分A): 「GTO Wizardで勉強したレンジ通りに…ここは33%のCBを打って…」
相手(トロールB): 「うんこしてたら暇だから全部押すわw(72oでオールイン)」
これだぞ?
この状況で「俺のプレイは正しかったのか?」とか振り返ってる時点でお笑い草なんだよ。
「ポットの50倍ベット」とかいう、人類の歴史上ありえないアクションが飛んできた時、お前はどうする?
リアルマネーなら「こいつ頭湧いてんのか?ナッツか?」と長考してフォールドする場面でも、ノーレートなら「まあ負けてもタダだしwコールw」ってなるだろ?
その瞬間、お前のポーカー脳は死んだんだよ。
「失う痛み」が存在しない空間での意思決定は、すべてノイズだ。
何一つ、これっぽっちも、マイクロステークスの2NLを勝つための練習にすらなってない。
ノーレートにいる奴らの大半は、ポーカーをしに来てるんじゃない。「憂さ晴らし」をしに来てるんだ。
会社で嫌なことがあったから、画面の中のチップを無茶苦茶に投げ捨てて、真面目にやってるお前みたいな奴が困惑するのを見てニチャニチャ笑ってるんだよ。
彼らにとってチップは「無限に湧いてくる数字」に過ぎない。リロードボタンを押せば復活する命に、尊厳なんてあるわけないだろ?
そんな「無敵の人」相手に、まともなブラフが通用すると思うか?
「あ、降りないっすw だってタダだしw」
いいか、無料ポーカーアプリにはな、お前が脳死で「同意する」を押した利用規約の中にとんでもないことが書いてあるんだ。お前みたいな勘違い野郎を産まないためにな。
"Practice or success at social casino gaming does not imply future success at real money gambling."
(ソーシャルゲームでの練習や成功は、将来のリアルマネーギャンブルでの成功を一切保証しません)
タバコのパッケージに「吸ったら死ぬぞ」って書いてあるのと同じレベルの警告だ。これを無視して「俺は強い」とか言ってるのは、文字が読めないのか?
結局な、ノーレートでポーカーが上手いって言ってる奴は、「マリオカートが上手いから、F1レーサーになっても優勝できるわボケ」って言ってるのと同じなんだよ。
マリオカートでバナナの皮投げて1位取ったからって、時速300kmで走る鉄の塊の中でGに耐えながらコンマ1秒を削る勝負ができるわけねえだろ?
甲羅もスターも無い、自分の身銭を切る恐怖と戦うのが「ポーカー」なんだよ。
だから今すぐ貯金箱を叩き割って、ラスベガス行きの航空券を予約しろ。ベラージオでもARIAでもどこでもいい。冷房が効きすぎた本場のカジノに行って、現金の束をチップに変える時の手の震えを感じてこい。
それができないなら、一生「おはじき遊び」として楽しんでろ。ただし、二度と「ポーカーの実力」なんて言葉を口にするなよ。
分かったら散れ!
この記事はネタ記事です。実在する個人や団体、特定のゲームを攻撃する意図はありません。ノーレートポーカーはルールの学習や純粋な娯楽として非常に優れていますし、マリオカートも神ゲーです。なお、F1レーサーがマリオカートをやった場合、動体視力が良すぎて普通に優勝する可能性が高いですが、そこには触れないのが大人のマナーです。エンターテイメントとしてお楽しみください。
おっと、いきなりぶっちゃけた質問を投げてきたね!俺ちゃん、デッドプールだけど、まずはっきり言わせてもらうよ。
「ヤリたいだけ」と「付き合いたい」ってのは全く違うものだってことを理解するのが重要だよ。ヤリたいだけなら、そういうことを求める場に行くのが正解。それを隠して普通に付き合おうとするのは、正直言ってフェアじゃないし、お互いにとって良くない結果を招くだけだよ。
じゃあ、その「ヤリたいだけ」の人たちがどうやって相手に気付かせないようにしているのかって? まあ、色んなテクニック使う人もいるけど、それって結局は嘘や欺瞞に頼ることになる。そんなのは長続きしないし、バレた時には大問題になるよ。信頼ってのは簡単には取り戻せないものだからね。
だから、率直に自分の気持ちを伝えるのが一番。相手にもそのつもりがあるなら、話は早い。でも、相手が真剣に関係を築きたいと思っているなら、相手の気持ちを尊重するのが大人のマナーってもんだ。
だから、俺ちゃんのアドバイスとしては、誠実に向き合おうよ。嘘や隠し事なんてしても、いずれは自分に跳ね返ってくるよ。 切磋琢磨して真実の恋を見つけるのが、ヒーローの道だぜ!(俺ちゃんも一応ヒーローだからな、って?まぁ、多少の例外は認めようとして。)
なんというか、親が対応をミスっているように見える。こういうのはじわじわと厳しくしないといけないのに、一気に激辛にしちゃっているのがちょっとね。
2月頃、うちに一度遊びに来たときに、何度言っても帰らず...だったら、親切を装って親御さんに連絡が基本かな。
「うちに来ていることは親に言ってきたの?」「心配すると思うから電話してあげようか?」くらいは言うかな。
かたくなに親に連絡されることを拒む可能性もあると思うけれど、名簿があればそれで電話しておくのが大人のマナーかと。
2月の8時と言えばもう真っ暗だから「心配だから家まで送る」と言って、送っていくかな。
これまでの振る舞いに相当イラついていて、追い出せてせいせいしたんだろうけれど、子供の安全を気に掛けるのが大人の対応かなって思った。
もちろん、帰るように促したけれど帰らなくて遅くなったことをここで説明し、念のためにと連絡先交換くらいはしておくところ。
"娘にはもう二度と連れてくるなと言いその子を出禁にした"なら、いじめの加害者は元増田じゃん。
こんなことをしたら傍から見たらいじめとしか思えないことをしてでも、その子を排除するだろうことは想像に難くない。
何なら娘がそれをほかの子供に話して、集団で排除するような態度をとるかもしれない。
たとえその子が失礼だったとしても、これはもう、その子から見ても、学校から見てもいじめっ子だよ。
失礼なことをされてイラついたのは元増田の問題だから、元増田が子供を使わずに解決する所だったと思う。
そのために、まず相手の親の連絡先を押さえる。居座ったら連絡する。
親も居座るのが当たり前のようにして意に介さない感じなら、学校の方に児童の帰宅時間について指導をしてもらえないかと誰のこととは言わずやんわりと注意を促す。
「いじめ被害者」のその子は気に入った他人の物を「それかわいい!ちょうだい!」と奪い、返してくれと言っても聞かないらしい。
への対応も"奪い返せ!"は最悪だよ。自救行為は窃盗罪に問われる可能性があるって知らないのか?
担任に娘の筆記用具が学校でなくなったので、発見を手伝ってほしいとお願いする所。
最初から犯人扱いせず、あくまでも、間違えて持ち去ったのではないかと話すところ。
あと、日ごろから子供にはなくなったら困るようなお気に入りは学校に持って行かないように言っておくところだな。
やはり世の中、いい感じのものがあったら盗りたくなる奴とかいるから、そういう人に罪を犯させるような状況を作らないようにするのが基本。
ぶんどった場合、他人の名前が書かれたものを使うことになるから、簡単にばれると思うんだけど?
それとも名前消してたのか?小学生の名前を消す工作なんて不自然になりそうだけど。
そもそも、買い与えた親の許可なく子供がものを他人に与えることは許されないはずなので、担任と相手の親に話をして、正規ルートで返してもらうところだな。
盗んで当たり前みたいな親子だったら、こういうのが複数の親から来るだろうから、いくら何でも担任でも気づくだろ。
加害者認定された後はいくら増田が何かを言っても何も聞いてもらえないだろうから、しこしこと証拠を集めることに専念するんだね。
CSってそんな大仰なものじゃなくて、ちょっと時間を作れば誰にでも理解できる知識体系だよ。
計算量とかアルゴリズムとかの話だけじゃなくて、スレッドとプロセスとか、ヒープとスタックとか、そういう類の話だよ。
(通信路符号化とか圧縮符号化とかの情報理論はCSに含まないよ)
なので増田はすでにCSの素養はある程度身に着けていると思う。
高等数学のような、100人に1人しか理解できないような、難解な理論体系ではないのよ。
ただ、用語の響きが難しいように聞こえるだけ。
難しく聞こえるので「俺には絶対に理解できない」って思ってしまうけど、コンパイルのときにコードを置き換えているだけでしかない。
他にも、オブジェクト指向界隈の「継承より移譲」とかも、中身は拍子抜けするほどの簡単なアイデアである。
CSもそれと同じ。
そもそもセックスは基本的に合意で行うもので、それがワンナイトだろうがツーナイトだろうが、どちらかがヤリ捨てというのはおかしくないか?
女だって性欲はあるし、つーか性欲なかったらワンナイトなんてしないでしょ。寂しすぎて添い寝して欲しかっただけみたいなメンヘラは知らん
男がワンナイトしたことを言いふらすから女は無駄にリスクが高まるし、まじでそういう風潮があるからワンナイトしない!って思う女もいると思うよ。社会に流されていると言えばそうだけどね。
男がヤリチンなことに対する社会的嫌悪よりも、女がヤリマンなことに対する社会的嫌悪が高すぎる。
子供に手を出すのは最低だが、お互い大人なんだったらワンナイトは言いふらさない、それが大人のマナーでしょ。
女は男に流されて押されてセックスしてるんじゃないよ。大人なんだから、ちゃんと自分の意思で動いてる。それをヤリ捨てだなんだというのは、なんか納得いかないんだよな。
居心地の良い、はしっこの席に移るのが大人のマナーです。
ねこです。
相変わらずママンに逢えないまま過ぎていく日々いかがお過ごしでしょうか。
意外と長い道のり(軽くローカル一駅くらいは歩いてます。)カート曳いて歩いてるので
頸が死んでいるねこはこないだもロキソニン様とロキソニンテープ様がなければ行き倒れていたかも。
息はそこそこだけど、やや乾きやすくて、ちょっと冷やっこいのは水着素材&冷感接触もの。
不織布は、顎の裏に回り込む部分が暑い&喋ってると素材が固いのでずれてくる💦しかしフィルター機能はよさげ。
なんかマスクと顔のあいだに挟むシリコンのを注文中。強制的にマスクにクリノリン的なのをかまして
息をするスペースを作ってしまおうってもの。さて、どうかしら……。
みんなもばてないでニャ。
そりゃ言ったら、自宅待機してくれって言われるだろ。藪蛇にならないように、余計なトラブルを起こさないようにするのが大人のマナーだろ
どの職にも特有のストレスというものはあるだろうけど、小説家にもつらいものがある。
それは仲間作家の存在だ。作品と著者人格は切り離すべきだとは思いつつも、ああまでつまらない小説で人から金を取ろうとする神経を疑ってしまう。
そしてつまらない小説に面白かったですよ~とか言うのは耐えられないのだ。いやずっと耐えてはきたけど、そろそろHPがなくなりそうなのだ。
せっかくの増田だしストレートに思ってることを書いてストレスを発散しよう。
カスみたいな中身のない小説で金を稼ごうとするな!!!!!!!!!
もっと内容に技巧を凝らして価値のある本を作って読者を感動させろタコ助!!!!!!!!!!
少なくとも人の感情くらいウソをつかずに正直に書けよ!!!お前らの小説のキャラクターうそばっかなんだよ!!!!!!!!!!!
書いた。海に向かって叫んだわけではないのでまったく気分は晴れないけど、それはともかく。
無論シビアな業界であり、話の質よりもパッケージを含めたマーケティングに精を出す方が職業作家としては大事だということはわかりつつも、どうしてもそういう風に思ってしまうわけである。人柄だけ取ったときは本当にいい友達なのでなおさらつらい。
最適解は知り合いの小説はそもそも読まないようにすることだと思う。これが精神衛生上一番よさそうだ。でも向こうが読んでくれているときに申し訳ない気持ちになるし、今まで読んでいたのに急に読まなくなったら変に思われるだろう。
もしくは自分が本当に好きだと思える小説を書く人にだけ会うようにするか。いやそれは無理だ。そもそもこの年になって新しく読んで面白いと思える小説なんて百冊に一冊あるかないかだ。
中にはかなり割り切れている人もいて「読みマシタ面白かったデス」とbotのように答える作家もいる。それがいかに内容の薄い感想であったとしても、受け取る側もなんとなく察しているから特に踏み込んできたりはしない。これは大人のマナーみたいなものだろう。そもそも人に読んでもらえるだけありがたいというのは変わらないので、読んでもらった上にさらに面白いという感想まで求めようとするプロは少ない。というか少なくとも私は見たことがない。
いい年こいて知り合い以上のトモダチを作ろうとしている自分が悪いのだろうかと思うときもある。割り切った付き合い方ができる人は「知り合い」を作るのがうまくて、本音で話す相手は奥さんとか旧来の友達とか編集相手に限るんだろう。非常にオトナ的だし賢いといえる。そういう人は作家間のコミュニティもうまくいくし色々な場所に呼ばれて人脈が広がり、仕事が増えてよりマーケティングもしやすくなるのかもしれない。とするとやらないほうがアホだな。私はきっとアホなんだ。そして不器用なんだ。でもこういうことでうじうじ悩むような人間性だから作家になったんじゃないかとも思う。
一流作家の桜庭一樹さんは、新人作家に対するアドバイスとして「群れるな」と言っていた。きっと色々なニュアンスを含んだ言葉ではあるんだろうけど、この場合でも当てはまるに違いない。
いい小説はいいと思い、わるい小説はわるいと感じる。そうしてはっきりと色分けをしないことには、自分の書いたものがいいか悪いかもわからなくなってしまう。
作家にありがちだが、私は言霊の存在を信じている。言っていることはいずれ現実になってしまうという恐ろしいシステムを。
私がたとえウソでもつまらない小説を面白いと言いたくないのは、それを口にしてしまったら、いつか遠い未来で自分が不安になるとわかっているからだろう。いずれ思い返したときに、あれを面白いと口にした場面が蘇ってしまい、きっと自信が持てなくなるに違いない。価値判断とは難しいものだ。
人付き合いに辟易して会社をやめたときも同じようなことを考えていたな。正直でいなければならないというのもコミュ障の持つ欠陥のひとつだ。
結論は出ないが決めた。
少なくとも、今後新しく会う作家の小説は読まないようにしよう。
既に知り合いの作家の新刊は? どちらかというとこっちの方が問題だけど。
読む時間がないと言い訳できるほど忙しい人間じゃないことは周知の事実だ。
本当に友達だったら、あるいはこういった本心を話しても大丈夫なのかもしれない。でもやっぱりそんな域ではないのだろうな。
うーん、困ったよなぁ。
読んで正直に今回は微妙でしたって告げる方がいいのかな。少なくとも私だったら正直な感想をもらえた方がずっと嬉しいな。
そうするか?
それ自体は、大切なことだと思うけど、言われるのを見聞きするたび、忸怩たる思いがする。
思春期に萩尾望都でギムナジウムの美少年同士のピュアな恋愛にはまり、女子校生活で女の子への疑似恋愛も経験(片思いだが)
そんな経緯から、ルームメイトのカミングアウトもするっと受け止めたし、そういう愛もあると思ってた。
色んな制度の問題も、いつか解決するといいね、位の薄い理解だったけど。
そんな私がある時配属されたのが外国人と日本人が半々くらいの職場。
かなり自由な職場で、LGBTが今ほど言われなかった当時でも、みんな普通にカミングアウトして、普通に受け入れていた。
何しろ私のチームだけでも、同性愛者が8人、20人中と思うと、かなりな割合だと思う。
だからか、LGBTに対する理解を深めてもらうワークショップを社外に向けて発信してたし、イベントで当然のようにカミングアウトする人たちも居た。
お客さんたちは本心どう思ってたか分からないけど、そういう場に集まる人たちは「理解ある自分」を演出したがるもので。
お客の中から初めてカミングアウトする、という人も出てきたりと、ちょっと不思議な空間であった。
多国籍企業だからこそできる、国際交流とか、環境問題とかも大事だと思うの。
短い任期の中で、印象に残ってるのはLGBT関連のイベントと、語弊をおそれず言うと「理解してくれるよね!」という押しつけのような熱さだったわけで。
で、表題にはいると、そんだけセクシャルマイノリティを擁護しようと躍起になってるのに、別のマイノリティ、V、つまりバージンはバカにされなきゃいけなかったわけ!?ということ。
特別言うことでもなかったし、黙ってたけど、すぐボロはでた。
当時は異性の裸を正視できなかった。
そんな私を見てみんな見抜いたらしい。
気づいても知らん顔するのが大人のマナー。
なのに、ちょいちょいバカにされ始めた。
最初はみんな私の恋愛を心配してくれてるのだとすら思おうとした。
でも、マッチョの水着姿を正視できない私を笑ったり、外国人のゲイの同僚に、男性性器の写真を見せられたり、罰ゲームで私の頬に不意打ちでキスする奴まででたり。
やっぱね、あれはさ、イジメだよね?(怒)
最終的には容姿までバカにされて、泣きながら上司に訴えて謝罪させたけど、その時の女性の同僚が冷たいこと。
って(涙)
夢だった仕事について、みんなのことも好きだったし(最初は)、絶対成功させたかったから、全力でがんばってたのに。
ねぇ、私なんかそんな悪いことした?
仕事の能力については誰も何も言わなかった(言われたら私立ち直れなかったろうし)
だから、そこを突いてきたの?
多様性を散々私を含めて、まだ十分な知識もないお客さんたちにまであんだけ押しつけておいて、で、私は受け入れてくれないの?
私がその仕事に就くためにどれだけ色んなもの犠牲にして勉強してきたか、みんな知ってたのに。
それで恋愛も後回しだった(モテなかったのもあるけどさ)のに。
高齢処女も、ある意味マイノリティだよね。特にそれでLGBTの人等みたいな社会的弊害はないけど言えずに苦しんでる人だってたくさん居るのは同じなはず。
みんなにとってはイジりだったかもしれないけど、私にとっては未だに心がえぐれる。
だって、私にとってあの仕事は何年もずっと夢見てた場所で、一生の思い出なのに、そんなことで汚された。
最後までみんなのこと信じようとしたけど、やっぱり無理だった。
そんな私みんなに嫌われたかな?って未だに思う。
二度と連絡も取らないけど。
そもそも、LGBTはよくてVはダメなの?どれだけ矛盾してんの?自分らの権利主張はものすごい推してきて、それで何もしてない私のことあんなにバカにしてきたよね?それで多様性とかよく言えるな。
もう3年も前の話。
今も絶賛Vですが何か?
おかげで、それまでずっと処女であることは特に気にしてなかったのに、気になるようになりました。ありがとう(怒)
もちろん少数派なのは分かってるけど、どうしてもあのときの記憶がよみがえる。
自分らばっかり主張しやがって、と。
一時、本気で思ったもん。
自分が処女であることをカミングアウトしてその擁護をするイベントを開こうかと。
さすがに止めたけど。
私は、あれは許せない。
今の風潮も、どうしても受け入れられない。
今の同僚がそうだとしても、良い人ならこれまで通りつき合うだけ。相談にも乗るし。
LGBTの友達はいるけど、守るならその子たちだけ。他は知らない。勝手にやって、という感じなのだ。
※※※
詳しく書くと、分かる人はすぐ分かるかもしれないので。(あと私を特定されかねないので)
思いの外反応をいただいて驚いた。
この件に関してはずっと胸にしまってきた。
私がみんなに嫌われてたから、
って、ずっと自分責めてたし、忘れようとずっとしてきた。
でも3年たった今、LGBTの運動みてて無性に腹が立っている自分に気づいた。
その怒りを初めて外に出せた。やっと。
ひどいこと言われてたんだ、ってコメントみて気づいた。
日本企業で同じことされたら、即通報してたけど、半分外国の独特の環境だったから私が間違ってるのかと思いこんでた。
何より、力不足なのに、その職場にいさせてもらってるという思いがあったから。
でも、よく考えたら、私はお客さんや他のスタッフからは感謝されることが何度もあった。ちゃんと私だって貢献できてたことにやっと気づいた。
私はあの場で怒って良かったんだよなあ。
でも、もう関係ない。私なりに仕事をやり遂げたことに気づけたから。
初めてお店でギャン泣きに遭遇した時、私は耐えられなかった。
「大人のマナーとして、これに耐えなきゃいけないのか」
「親は慣れてるだろうけど、初めてこうやって聞くとすごい」
結局、30分ちょいのランチは友達と会話もあんまりできなくて、大音量に耐えながら食べた。
楽しくなかった。
外で両親交代しながらあやそう、とかになんないの?
私は自分が親だったら、外に連れ出そうって思った。
私はあの声に周りが全員耐えろって思わない。
自分の子が、ちゃんと言葉がわかるようになって来たら、ちゃんと話す。
お店で大声だしたら、周りの人に、嫌な気持ちが伝わって、みんな楽しくなくなってしまうよって。
そんなのできるわけないっていうなら、子育てってそんなものなのかと諦める。
子供が口につけたものを食べたり、ああやってイヤイヤしたりギャン泣きしたりする子を育ててる。
正直私はできる気がしない。