1970年代ころの玩具に興味を持つと、当時の玩具業界誌を見てみたくなります。 代表的には「玩具商報」と「トイジャーナル」の2誌があるのですが、どうもよくわからないことが多くて困惑します。
「東京玩具商報」って、「玩具商報」とは別なのか?
この玩具商報にはTOYSMAGAZINEと副題が付いてるけど…
あれ、他にTOYS READERってのもあるの?
あ、結局玩具商報はTOYSMAGAZINEの方を誌名に変えたのか!
いや、その後も玩具商報続いてるじゃん!しかも副題はTOYS READERになってる… どうなってんの?
……というわけで、今回は1970年代前後の玩具業界誌についてある程度わかったことをメモしておきます。 手元の資料とウェブ検索で得た情報の取りまとめ程度ですが、なにかのご参考に。
まず大前提として、上に挙げたような玩具業界誌は発行元によってふたつの系統に大別されます。
1 東京玩具人形協同組合が発行した東京玩具商報→1967年改題してトイジャーナル
2 商報社という会社が発行した玩具商報→66年よりTOYSMAGAZINE玩具商報→75年にトイズマガジンとTOYS READER玩具商報に分裂
*TOYS READERは近畿玩具人形小売組合連合会が商報社大阪本社に依頼して発行していた模様
東京玩具商報は1903(明治36)年4月に東京雛玩具商報として創刊、1910年2月より東京玩具商報となっています。 戦時は1943年に休刊、編集者は国策で統一された別誌などに携わったあと1950年10月に東京玩具商報として復刊しています。 ただし休刊中の1947年から商報社の玩具商報が発行されており、60年代後半ころには小売店などが両者を混同してしまう事態になっていたようです。 そこで組合80周年を機に67年7月に誌名をトイジャーナルに変更、現在も月刊誌として発行が続いています。
一方玩具商報は大阪商報社が1947年に創刊。 この会社はさまざまな業種の業界誌を発行していたそうで、1958年に商報社に社名変更するとともに東京本社・名古屋本社・大阪本社の3社体制となっています。 玩具商報は当初関西中心だったようですが61年からは東京本社発行となり、このころから東京玩具商報との競合・混同が起こっていたのかもしれません。 66年10月からTOYSMAGAZINE玩具商報となり、67年2月からは月2回刊となっています。
並行して1970年から近畿玩具人形小売組合連合会の依頼で大阪本社がTOYS READERの実質的発行元になっていたようで、奥付のトイズリーダー出版局の所在地は大阪本社と同一になっています。 トイズリーダーは当初季刊、73年前半ころから隔月刊となったようです。
その後1974年に内部の対立が起こり、75年1月から東京本社は誌名をトイズマガジンに変更して月刊で発行を継続、翌76年には同じ所在地のまま社名をトイズマガジン社としています。 大阪・名古屋本社側は東京に新たな拠点を設けた上で月刊誌としてTOYS READER玩具商報の発行を続けたようです。
ここでトイズリーダーの名前とロゴが取り入れられていることから、大阪本社担当だったトイズリーダーはこの時点で玩具商報に吸収されたのかもしれませんが詳細不明です。
TOYS READERの副題は1978年ころまで継続したようですが79年ころには無印の「玩具商報」となり、さらに80年には玩具商報TOY&DOLL JAPAN、82年ジョイライフ玩具商報、86年キッズライフ玩具商報と誌名変更を繰り返して94年1月廃刊しています。 トイズマガジンの方も94年10月に廃刊となったようです。
他にもウェブで得られる情報として、1952年には大阪商工通信社の玩具大阪、53年には日本商業通信社の名古屋玩具商報というものも存在していたようです。
玩具業界誌の世界、フクザツすぎて追い切れませんね……(^^;
杉並区のサイエンスラボIMAGINUSで開催された「科学と学習ふろく展」に足を運びました。
夏休みの親子向けイベントですが、昔のふろくの展示があるとのことなのでクソマニアの自分も拝見させていただきました(^^;
会場は廃校を再利用した科学教育施設とのことで、旧体育館での展示は大規模ではないものの展示内容と会場のシンクロ率は120%、いい雰囲気でした(会場内の紹介動画は こちら)。 自分の記憶に強く残っている付録のいくつかも見ることが出来ました。
3年の科学1974年度3月号のシグナル配線セット。 ジャックの抜き差しで直流・交流を変えて豆球を点灯させます。
ポイントは信号だけでなく本体もクリア成型になっているところ。 時期的に、変身サイボーグの影響がありそうに思えます。 当時の自分はサイボーグの装備のひとつにして遊んでいました(^^
5年の科学76年9月号のとことこ生物ロボット。 単3電池で動く4足歩行メカです。
本誌綴じ込みの紙工作で牛に見立てる仕様なのですが… 私はパーンサロイドのカバーを自作してかぶせ、ジーグ本体のイラストも描いて切り抜き合体させて遊んでいました(^^
こちらは学習77年6月号の銅鐸・銅剣作りセット。
プラ製の凹型に粘土を詰めて銅鐸・銅剣を作ります。 私は銅鐸の型に5ミリジョイント用の穴を開けてミクロマンを入れ、「銅鐸から蘇るミクロマンコマンド!」などと遊んでいました。
……こうして振り返ると学習意欲の向上にはまったく役立っていなかったようです。 典型的な「カーチャン、ゴメンヨ」案件ですね(^^;
ほかにもいろいろ、自分の世代の付録が見られて楽しめました。
杉並でのふろく展は終了していますが、今後の巡回もあるようなので気になる方は情報チェックを。
今回の展示でぜひ見たかったもののひとつにステゴサウルス骨格模型があります。
手元には画像のパーツしか残っていませんが、メタリックグレーの成型色でとてもかっこよかった記憶があります。 人間はサイズ対比用のパーツでした。
会場にあったのは残念ながら2006年付録のもの。 サイズは自分の体験した1976年版と同じくらいですが、同型なのかはわかりませんでした。
こちらは78年度のブラキオサウルス。 展示品は乳白色ですがオリジナルはメタリックグレーのようです。
本展の図録には科学の付録年度別リストが掲載されており、それによると1970年代の5年の科学ではナウマンゾウ・ステゴサウルス・ブラキオサウルスの骨格模型が何度も付録になっていたようです。 これらと人体骨格模型はプラモデル的な人気があったようで、80年代以降も5年・6年の科学で断続的に付録になっています。
手元には後年入手した77年度版ブラキオサウルスがあり、乳白色成型でした。
そして近年、学研が骨格模型をプラモデルとして1978年に発売していたことを知り、ナウマンゾウを入手しました。 箱サイズは193×295×44、製品番号と価格は81028-400。
側面掲載のラインナップは他にブロントサウルスとステゴサウルス。 ブロントサウルスも科学の付録になっているのでしょうか?
ナウマンゾウには接着剤のほかパーツ整形用の紙やすりも同梱されていました。
で、このシリーズのステゴサウルスが気になるところですが…
入手できた個体は箱がボロボロでかたちを保つことができず、入手時からラップが巻かれていました。 ステゴサウルスは接着不要になっており、製品番号81029-400はなんとか読み取れました。
説明書もボロボロ…
幸いパーツは揃っていましたが、やはり乳白色で残念。
手元のパーツと比べてみると、ディテールまで一致しました!
これが自分の記憶にある「あのステゴサウルス」と同型と確認出来ましたが、やはりメタリックグレーでないとピンときません。 塗装しようか……でも材質がポリっぽい感じだからタイヘンそうです。 プライマーを塗ってからラッカー系、が無難そうですがとてもそこまでやれません。 制作代行にお願いしようかな~
以下はテキトーに思い出など。
科学と学習はコンパニオン(学研のおばちゃん)による訪問販売が主流だったようですが、うちは田舎だったためか業者が学校に販売に来る形式でした。
月に一度、ミニバンに本と付録を詰め込んだ業者が来て家庭科室の一角に陣取って、児童は休み時間などに各自都合を付けて買いに行くというかたちです。
本誌の表3には次号付録の紹介があるので、おもしろそうな付録の月には購入者が増えました。
特にカメラやラジオ、骨格模型などが付録の時は人気でした。 ちなみに画像のラジオは、ちゃんと作ってもほとんどなにも聞こえませんでした…付録の性能ではなく、田舎ゆえの電波状況の悪さが問題だったのだろうと思います。 電子ブロックで組んだラジオもほとんど聞こえなかったような(T T カメラの時にはマグネモ・ジーグの写真を撮ったのですが、接写に対応しているはずもなくボケボケで、うしろの庭がくっきり写っていてガッカリでした(^^;
蛇足ながら…
70年代前半に石森章太郎が各学年の科学で連載していた未来救助隊アスガード7。 画像は74年度3年の科学版で作画はひおあきら氏ですが、キャラデザインは石森版と同じです。 メンバーのひとり「マシンマン」はハカイダーを思わせるデザインですが…
もしかしてアンドロイドA超人の頭部デザインには、アスガード7の影響が……?
チラシの裏のように最近の雑感を書き連ねたら、なんだか毒気を撒き散らすものになってしまいました。
オモチャを楽しむ気分を害されたくない方は今回はスキップ推奨です(^^;
無敵の王者ポピーMemorial(ホビージャパン2024)
「ポピーの業績を振り返る一冊、価格五千円」と聞けば買わないという選択肢はありません。 とはいえ表紙画像が公開された時点で、すきま風が吹き抜けるやる気の無いレイアウトにいやな予感はしていました…
ポピーという会社を振り返るのに、基本的な沿革すら書かれていないのはどういうことでしょう。 「そんなのwikiを見ればわかるだろ」という考えだとすれば、書籍編集者としての敗北です。
掲載図版の大半が、構成担当者が過去に関わった書籍や雑誌特集の際に撮影された写真の使い回しというのは手抜きが過ぎます。 付された説明文は「てにをは」すら使えない低レベルで、まともなライターを雇う予算もないのでしょうか。 帯には大きく「スタッフインタビュー撮り下ろし!」とありますが、グラビアアイドルじゃないんだから「録り下ろし」でしょう。
そのインタビューも当事者は二人だけではいかにももの足りない。 設立5年で業界の覇者となり、12年で本社を飲み込むように消えた会社なのだから、上層部だけでなく現場や協力会社にも話を聞けば興味深いエピソードがいろいろ出てくるでしょうに。
ポピー玩具で遊んだ世代の思い出話が真っ先に載っているページ構成も意味不明。
詳しく扱っているのはジャンボマシンダー・超合金・ポピニカの三シリーズですが、全種網羅は無理としても文字情報の製品リストは掲載できるだろうにそれも無い。 キングザウルスに代表される怪獣関連が全無視されているのも理解に苦しみます。
また、ポピーにはポピーちゃんやキャンディ・キャンディなどの女玩、スカイホッピーやおうちでピンポンなどのスポーツ系遊具、くるりんカッターなどの文具系玩具などさまざまな路線があったのに、それらについてはひと言も言及されていません。 詳しく取り上げてほしいとは思いませんが、「ポピーの業績を振り返る」という視点であればまったく触れていないのは手落ちというべきでしょう。
おそらく本書の企画意図は「復刻ジャンボマシンダー発売を盛り上げる」ことにあり、ポピーという会社自体を深く取り上げるつもりなど毛頭無かったのでしょう。 マジンガーとか超合金というワードは過去に使ってしまったから今回は「ポピー」で、という程度の軽い認識で「手間・暇・カネ」をかけずにチャチャッと作って一丁上がり、というお安い企画だったのでしょうね。 それなら「ポピーの業績を振り返る」などと誇大な宣伝は控えてほしいです。
掲載写真で驚いたのはキカイダー自転車とポピニカ試作アダルス基地ですが、これらは水野プロ所有の広報写真と思われます。 他にも当時の広報写真がいくつか掲載されていてたいへん興味深いので、今後は「水野プロ玩具広報写真大全集」とか「レイアップ所有バンダイ模型広報写真大全集」みたいな企画を実現してほしいです。
もちろん、ポピー自体をきちんと振り返るまともな書籍も発売されてほしいですが…
ホビージャパンヴィンテージVOL.11(ホビージャパン2024)
栄光の昭和スーパーロボット列伝1974-1982という特集です。 1974年のグレートマジンガーとゲッターロボは再版電動プラモの素組み掲載のみ。 その後は80年発売のゴーディアンに飛んでしまうというおかしな構成であきれます。
飛ばされた75-79年にこそモデルボーグ、ジョイントモデル、合体マシン、ビスモデル、600-700円版のボルテスやダルタニアスなどロボットプラモの質的な変化を考察する上で重要な(言い換えればオイシイ)題材が集中しているのに、模型誌がそこを無視してどうするのか。
表紙のザンボットは両目が隠れているうえ、レゴンは逆さまだしアゴは妙な形にアレンジされているし…… 雑誌の表紙で、メインモデルの両目が隠れていてはおかしいことは、実写の場合を想像すればわかると思います。 この本の監修者はガンプラブームのころから模型誌に関わってきたベテランの筈ですが、どうなっているのでしょう。
ゴジラ&東宝特撮オフィシャルムック ダイヤモンドアイ・クレクレタコラ(講談社2024)
ダイヤモンドアイの掲載写真は目新しいものはほとんど無くて残念です。 この種の本についていつも感じるのですが、過去の同種の書籍やレーザーディスク解説書などに掲載された写真がその後の出版物で活用されないことが多い印象があります。 担当する編集者やライターの人脈次第で使える資料も変わるのでしょうか。 あるいは、資料として関係者から借りたまま盗んでしまい、二度と世に出せなくなったりしているのでしょうか。
ただでさえ右肩下がりの縮小が宿命付けられた出版の世界で、つまらない縄張り争いや手柄自慢のせいで貴重な資料が広く共有されること無く朽ちてしまうような事態は避けてほしいと願っています。
超合金魂グレートマジンガー革進が発表されましたが、マジンガーZでも気になったニヤケ顔が悪化しています…orz Z同様に目尻が長すぎる上、眼の上側のライン∧がきつすぎ、下側のライン∨はゆるすぎるためデフォルトで笑っているように見えてしまうのです。
これはグレート対ゲッターGの宣材画像、天田ミニカードより。 印象が全然違います。
見本品が秋葉原で展示中だそうで、スナップ写真を上げている方の画像を見ると正面から見る分にはさほど悪くない感じにも見えるのですが、明らかに目尻は長すぎる…
現物は小さいから、実際に手にしてみるとさほど気にならないのかもしれませんが、どうなのかな~(不安
つなぎ更新です。
仮面ライダー資料写真集1971‐1973(カラー2023)より、1971年9月ころ行われた撮影会での仮面ライダー2号。
以下はそのバリエーションです。 黒崎出版仮面ライダー豪華カラーアルバム1973より。
カルビーライダーカード41番より。
1986年ころ?のバンダイ出版B‐CLUBより、製品開発参考用にバンダイが撮影したもの。 (ゼネプロ製ライダーマスク作例を取り上げた仮面ライダー造形研究NO.3という記事より/掲載号数をご存知の方はご教示下さい) 追記:B‐CLUB15号掲載でした。
1979年ころのロッテ仮面ライダーガムカードより。
カルビーライダーカード96番より。
このシチュエーションだけで一体何枚の写真が撮影されたのでしょう?
資料写真集は素晴らしかったけれど、まだまだたくさんの埋もれた写真がこの世に存在していそうな気がします…
仮面ライダー資料写真集1971-1973(カラー2023)。 通販予約していましたが、新宿紀伊國屋で先行販売とのことで駆け付けてしまいました。 予約分は保存用にします(^^
「石森プロや毎日放送など講談社以外の写真がついに集大成される!」と大きな期待を抱いていましたが、満足度は6~7割くらいでしょうか。 初めて見る写真が多くうれしい半面、「シン・仮面ライダーに合わせた最高のタイミングで、庵野氏の力をもってしても、この程度しか写真が集まらない(≒現存していない)」という現実が明確化してしまって淋しい、という思いも強いです。
本書は現状で考え得る「最高のライダー1号・2号写真集」であることは事実ですので、迷われている方は入手困難になる前に購入されることを強くオススメします。
以下の内容はかなり拗らせてしまった旧1号・2号ファンとしての戯れ言です。
本書によって、これまで編集プロダクションTの担当する関連書籍でチラ見せのように掲載されていた珍しい写真の多くが毎日放送番宣写真と判明し、バリエーション含めまとめて掲載されているのはうれしいです。 ただし多くは白黒写真で、現存しているのは一部話数の分のみなのが残念。
美研仮面ライダーポケット百科1971より こいでB5判NOTEBOOK表4より
例えば本書のヒトデンジャーP84の2、怪人大軍団P59の12は、上画像のように当時の印刷媒体ではカラー掲載されています。 今回掲載の白黒写真の多くは、原版はカラーだった可能性が考えられます。 毎日放送番宣写真は1987年夏の浸水被害でほぼ全滅してしまったそうなので、白黒の紙焼きだけが現存しているのでしょうか。 不幸な出来事が無ければ、他の多くの話数にも珍しいカラー写真がたくさん残されていたのかもしれません。
天田カード・ゲーム(通称6連カード)より
同様にショッカー基地撮影会の朝日ソノラマスチールも白黒しか残っていないようで、本書掲載のカラーは複写素材のように見えます。 宇宙船がホビージャパンに継承された時点で、すでにカラー写真は失われていたぽいですね…
黒崎出版仮面ライダー画報1972より
一方こちらは逆の例。 ヒルゲリラを後から捉えたこの写真は、本書P148にカラーで掲載されています。 第4クールからは石森プロも撮影現場にカメラマン(グループ・ナイン)を派遣していたそうなので、石森プロスチールでしょうか。
黒崎出版仮面ライダー画報1972より
黒崎出版仮面ライダー図鑑1972より
黒崎出版の図鑑類は白黒ページに珍しい写真が多く掲載されていますが、これらも本来はカラーだった確率が高そうです。 本書には、こうした写真がもっとたくさん掲載されるのを期待していました…
以下、放送当時の媒体などから本書に掲載の無いものをいくつか。
美研仮面ライダーポケット百科1971より
横浜レンガ倉庫でのクモ男、P38のバリエーションです。
朝日ソノラマ仮面ライダー怪人大画報1971より P55の8、9のバリエーション。
天田カード・ゲーム(通称6連カード)より
講談社が撮影出来なかったカビビンガの本編スチール。
一部は2000年代初めにアマダのトレーディングカードに使用されていたので、本書で掲載が無いのは残念です。
天田カード・ゲーム(通称6連カード)より
ケイブンシャ続仮面ライダー大百科1979より
黒崎出版仮面ライダー図鑑1972より
同様に講談社写真の無いハエ男の本編スチール。
朝日ソノラマソノシート仮面ライダー第2集AM-4より
撮影時期不明の旧1号単体写真、これについては朝日ソノラマ関係者の以下のような証言があります。 ホビージャパン仮面ライダー怪人大画報2007より ここで語られている「藪の中に立つライダー」がこの写真かもしれません。
秋田書店新仮面ライダー怪人図鑑1972より こちらは上のバリエーションと思われる写真。 背景を見ると、ハチ女ロケ時におばけマンション周辺で1号対サラセニアンの特写が撮影された場所に似ているようにも見えます。 あるいはスタジオ周辺の空き地とかでしょうか?
本書には明らかな事実誤認もあるので、気付いた範囲で書いておきます。
ヤモゲラスP57の1と2は第2回撮影会でなく第4回。根拠はブーツの形状。バリエーションが第4回撮影会のページに掲載されているのでケアレスミスでしょう。
改造コブラ男P59の9は13話でなく10話。
ヒトデンジャーP84の1は第2回撮影会でなく第4回。第2回には登場していない。
ザンブロンゾP105の1は第2回撮影会でなく第4回。根拠はブーツ形状とベルト付属パーツ。
ガマギラーP108の1は生田スタジオ裏・時期不明とされているが、P164の2と背景の植生が一致しているので第4回撮影会と思われる。
ダブルライダーP132の3は第49話でなく第52話。2号のアクション用マスクが明るい青緑でペイントされるのは第4クール末期制作のユニコルノス、ギルガラス、ベアーコンガーと映画第1作のみ。
死神博士P138の7は逆版。根拠はショッカーマーク。
なお、本書では怪人軍団撮影会について講談社オフィシャルファイルマガジン仮面ライダー2(2004)での記述を踏襲した分類になっていますが、これには疑問があります。
第2回とされている造成地撮影会、第3回の住宅地、さらに32話撮影時とされているドクダリアンアジトでの特写について、実際に参加した朝日ソノラマ関係者は以下のように証言しています。 ホビージャパン仮面ライダー怪人大画報2007より
当ブログ 仮面ライダー2号撮影会の整理でも取り上げましたが、これらは同じ日に、同じ仕切りで、同じ参加者が場所を移動しながら連続して行われたものです。 住宅地を第3回、造成地を第2回撮影会と分けるのは無意味な上、時系列も乱しています。 ドクダリアンアジトでの写真については、32話での2号は緒戦では上下とも布スーツ、決戦では上が布スーツ・下がレザースーツになっているのに対し、特写では上下ともレザースーツです。 そもそも32話本編に2号のショッカーアジト登場シーンは無いという事実からも、32話撮影時でなく撮影会のためのセッティングだったと考えるのが合理的でしょう。
上掲の朝日ソノラマ関係者座談会自体、当の編プロTの企画なのに、当事者の証言を無視して無意味な分類に固執している姿勢は理解に苦しみます。 仮に「20年近く前の原稿をテキトーになぞっただけで、そんな細かいことは考えてない」というのが実相なら、なにも言うことはありませんが。
マルミツ「新しいシール」より
また、講談社ファイルマガジンでは第4回撮影会にザンブロンゾは欠席とされていたのが本書で訂正されたのはよかったです。 一方エイキング・エジプタス・アリキメデスの怪人グループにトリカブトも含まれるとの記述が引っかかります。 トリカブトはザンブロンゾらのグループに含まれるが重複登場している、とされていますが肝心の写真掲載はありません。 エイキング・エジプタス・アリキメデスのグループにトリカブトが一緒に写っている写真を見たことのある方は、掲載媒体などご教示いただけたらと思います。
講談社ヒットブックス仮面ライダーEPISODE NO.1-NO.13/2006より
講談社オフィシャルファイルマガジン仮面ライダー1/2004より
講談社キャラクター大全仮面ライダー1号・2号編2014より
これら比較的近年の講談社書籍に掲載のある写真が、本書では未掲載なのは残念です。
黒崎出版仮面ライダー画報1972より
今後AIによる補正が進化すれば、過去の書籍に掲載された不鮮明なモノクロ写真などもピカピカのカラー画像になっていくのでしょうか?
自分がそれを見届けられるかはわかりませんが……(^^;
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