グレンダイザー初版2次生産分
ジョイントモデルグレンダイザーを
取り上げた際、詳細が確認できなかった初期生産分について、現時点でわかった情報をまとめておきます。
画像はオレンジ色のジョイントパーツが同梱されたグレンダイザー。
究極プラモデル大全(白夜書房1999)などでオレンジの初期型ジョイントパーツ同梱品が確認されており、それがジョイントグレンダイザーの最初期版だと思われます。
画像の現物はジョイントパーツがギザ付きの改良型になっているので初版の2次生産分といったところでしょうか。(分類は便宜的なものです)
箱デザインなどは普及品と同じですが、付属シールが異なります。
普及版が金のメタルシールなのに対し、初期版は紙シールです。
組み立て図の比較、上が初期、下が普及版です。
初期版は脚の部分にも<ステッカー>の文字がありますが、該当するシールは無いので誤記になっています。
もしかしたら最初期には脚に貼るシールもあったのかもしれません。ご存知の方はご教示いただけたらと思います。
付属シールを貼った完成品。ただしシールはカラーコピー、ジョイントパーツは再版の黒パーツを使用しています。
当時品のギザ付きジョイントパーツは経時変化で破損する確率が非常に高いので、こわくて使用できません(T T
背中に見えるビスパーツは水色ですが、本来はオレンジです。
普及品との比較。こうして見ると初版は設定上のカラーをある程度は再現しようとしているので好感がもてます。
対して普及版は悪い意味での開き直りが感じられるようでちょっと残念。なお、普及版にもメッキ頭部のものも存在しています。
自分にとって長らく謎だった初版グレンダイザーの実像がおおむねわかりました。
残る謎は脚ステッカーの存在の有無ですが、はたして……?
アニメスケールイデオン初版
イデオンプラモについてはアオシマプラモの世界(竹書房2001)という資料が存在し、在庫品が多く流通していますが、見落とされがちな2点について取り上げてみます。
1/420イデオン(1980年11月発売1000円)の初版。『アニメロボット』というカテゴリーのNO.1とされています。
アオシマが幅広く展開したアニメスケールシリーズの第1号製品です。
合体前の各メカを思わせる可動部分もありますが、基本的にはロボット形態での各所可動のみ。
箱側面や中帯のデザインものちの普及版とは異なる独自のものです。
箱絵が変更された普及版との比較。箱サイズも微妙に異なります。
初版は描き下ろしのセル画が使用されているのが特徴で、普及版では『アニメロボット』表記は消えています。
箱絵変更と同時にカタログ名称は「ニューイデオン」とされたようで、説明書もニュー~表記になっています。
こちらは光るイデオン(80年12月発売2400円)の初版。1/420イデオンに発光装置と新規ランナー2枚が追加され、一応の3機分離が出来るようになりました。
アニメロボットNO.2となっており、やはりセル画の箱絵です。
各部デザインはのちの普及品とは異なるようです。
箱絵が変更された普及品がこちら。画像はSFプラモブック2伝説巨神イデオン(講談社1982)より。
1/420のようなカタログ上の名称変更があったかどうかは未確認です。
以上の2点はいずれも初期のみセル画の箱絵だったことが共通しています。
アニメスケールではこの後81年3月から発売された300円サイズの初期4種(ザンボット3・ダイターン3・イデオン・トライダーG7 )にもセル画が使用されていますが、その後のガンガ・ルブ以降は通常のイラストに変更されることになります。
300円の初期4種はセル画箱のまま生産が続きましたが、1/420イデオンや光るイデオンはそれなりに高額な商品なので、シリーズの方向性に合わせてリニューアルが行われたものと考えられます。
ところで、なぜアオシマは初期のアニメスケールにセル画の箱絵を採用したのでしょうか。
アオシマは1/420とほぼ同時期の80年10~11月に合体、ミニ合体、ポケットパワーの各シリーズでイデオン商品を発売しています。
それらの箱絵はいずれも従来通りのテイストを持つイラストになっています。
これらはイデオンより先行して80年5月から商品展開していたトライダーG7と同様で、商品内容も低年齢児童に合わせたものになっており、アオシマとしては定番のラインです。
一方アニメスケールは、そのシリーズ名から明らかなようにアニメブームの中核を成していたティーン以上のアニメファン層に向けた新たな路線として立ち上げられたものと考えられます。
そのため箱デザインでもアニメ、ANIME、アニメとうるさいほどに連呼され、『アニメスケール』のロゴも当時アニメ情報の中心だった月刊アニメージュ(徳間書店)のそれによく似ています。
アニメブーム自体は77年夏の劇場版宇宙戦艦ヤマト公開をきっかけに起きたもので、このとき初めてティーン以上のアニメファンという存在が広く一般に認知されました。
バンダイ模型は新たな模型ユーザーとしていちはやくアニメファン層に注目し、77年11月にヤマトのディフォルメ・ディスプレイ・モデル(3000円、初版のみ立体ポスター付き3500円)を発売してヒット商品となっています。
その後もバンダイ模型はリアルなディスプレイモデルを中心にヤマト関連プラモを展開していきます。
一方アオシマは、レッドホークなどのオリジナル路線にブームの影響はうかがえるものの低年齢層向けの展開に終始しており、そうした姿勢は80年2月放送開始のトライダーG7まで続いています。
アオシマがトライダーG7の商品化に乗り出したのは、機動戦士ガンダムの放送後半にプラモデル化の話がクローバーから持ちかけられたのがきっかけだったそうです。
その時点でガンダムは打ち切りが決まっていたため、『後番組ならやりましょう』ということでトライダーのプラモ化に至ったそうです。
ただしアオシマが放送当時発売したトライダーのプラモは完全に低年齢向けだったことを考えると、仮にクローバーの提案を受けてアオシマがガンダムをプラモ化していたとしても、現在まで続くガンプラのような展開にはならなかったのではないかと思われます。
トライダーまでは低年齢層しか見ていなかったアオシマが、イデオンではなぜアニメファン向けの路線を立ち上げたのでしょうか。
そのきっかけになったのはやはりバンダイ模型によるガンダムのプラモ化とそのヒットだったと思われます。
上の画像はロマンアルバム機動戦士ガンダム(徳間書店80年6月)掲載のガンプラ予告広告。
アオシマもこうした情報は当然チェックしていたはずです。
当時、アニメ情報の中心たるアニメージュがそれまでの低年齢向けキャラクター誌と一線を画していたのは誌面を見ても明らかです。
上のテレビマガジン(講談社79年6月号)は昔ながらの挿画ですが、下のアニメージュ(81年4月号)は本編で使用されたセル画や映像のコマ焼きで誌面を構成しています。
おそらくアオシマはこうしたアニメ周辺状況を考慮して、従来の低年齢向けとは異なるアニメファン向け商品としての明確な特徴づけの意味でセル画の箱絵を採用したのではないでしょうか。
ただしアオシマの箱絵に使用されたセル画は、ハンドトレスによる太いラインや白いブラシの質感表現などが目立ち、アニメファン向けというよりむしろ幼児向けの絵本などに近いイメージになってしまっています。
(上のガンダムは「絵本的なセル画」の参考画像、テレマガ79年5月号より)
同じセル画箱でも、バンダイのヤマトシリーズはクオリティの高い設定画をそのままセルに起こしたものを使用しており、背景が宇宙空間であることもあいまって落ち着いた高年齢向けのイメージ作りに成功していました。
アオシマも300円サイズのザンボット3とダイターン3は設定画からセルを作成していましたが、これらはもともと低年齢層向けに派手な色指定になっていたのであまり効果的でなかったようです。
アニメファン向けにセル画の箱絵を、というアオシマの発想は悪くなかったと思いますが、実作業での詰めの甘さのせいで残念ながら失敗に終わってしまったようです。
ただし当時はまだテレビマンガからアニメへと認識が変化していく過程にあって、例えばガンダムの1枚目のサントラLPも子供向け絵本のようなジャケットでファンをガッカリさせたりしていました。
アニメスケールがこうした試行錯誤を経て、大ヒットのガンプラ同様にエアブラシを多用したイラストの箱絵に変わっていったのは、現在から振り返れば当然の流れだったかもしれません。