怪獣大決戦
頸文社のレコード「怪獣大決戦」。発売は1969~70年ころと思われ、
ジャケット画は小松崎茂氏の担当です。帰ってきたウルトラマンより前の時期でのウルトラマンとセブンの共闘は、真意での「ウルトラ兄弟」として個人的に燃えるシチュエーションです。
ジャケット内部は同社の第一次怪獣ブーム時商品からの再録画で構成されており、画像のページは成田亨氏の画稿です。
レッドキング、ゴモラ、アントラー、ネロンガという横綱級の人気怪獣による都市破壊場面で、なんとも贅沢なイラストです。
これは1967年発売の「怪獣大絵巻」からの再録です。
画像は大怪獣グラフィティウルトラ時代(ソフトガレージ1999)の同書紹介ページより(クリックで少し拡大します)。
巻き物状の見事なパノラマイラストから、「大決戦」では中央部分をトリミング使用しているのがわかります。
「怪獣大絵巻」には単色イラストの怪獣カードも付属しており、こちらも成田氏が担当しています。 失われたデザイン画を想像させるゼットンや成田画のガメラなど、たいへん興味深いです。
これらに使用された原画は現存しないのかもしれませんが、スキャンや印刷技術の発達した現在、当時品からの複写というかたちでもいいのでなんとか復刻してほしいと思います。
ところで、先月終了した成田亨展ではウルトラセブン第12話に登場するスペル星人のデザイン画が展示されました。
セブン12話は現在欠番とされていてスペル星人の画像は非公開となっています。
そのためデザイン画の展示には驚いたのですが、今回の成田展は円谷プロの監修や認可とは離れた次元で成立していたということでしょうか。
このあたりの芸術と商業をめぐる事情はよくわかりませんが、図録(成田亨作品集)では円谷のマルCと並んで「Original Design by 成田亨」と並記されているのが印象的です。
「ウルトラマンのデザインはみんなで考えたもので、成田はそれを絵にしただけ」などと悪質なデマが流された時期もありましたが、公的に芸術性を認められたことで成田氏の正当な評価が始まったことには大きな意義を感じます。
一方で、いわゆる「特撮業界」の人たちは事実を知りながら状況を好転させることが出来ず、まったく無力だったということにもいろいろ考えさせられるところがありそうです。
成田展で公開されたスペル星人デザイン画は、鉛筆のみで描かれたきわめてラフなものでした。
これは同人誌1/49計画Ⅲ(12話会2006)にコピーが掲載されたものと同じで、同誌によれば監督の実相寺氏はもっときちんと描き込まれたデザイン画で打ち合わせした記憶があるそうです。
一方で造形担当の高山良策氏の日誌ではスペル星人について成田氏が「簡単なラフスケッチを持参」と記述されていて、公開されたデザイン画と符合しています。
一般的な制作の手順としては、デザインに監督のOKが出てから造形が発注されると考えられます。
また同時制作のメトロン星人にはきちんと彩色されたデザイン画が現存していることから、少なくとも監督との打ち合わせ段階ではスペル星人も同様のデザイン画が提示された確率が高いと考えられると思います。
ところがその後の造形発注ではラフスケッチにもどってしまっている……これはどういうことなのでしょうか。
こちらは講談社のテレビ絵本ウルトラセブン・イカルスせいじんのまき(1968)表4より。
以下はまったくの想像です。
成田氏は美術監督としての責任上、監督の意向通りのデザイン画を完成させ、それを監督に見せて了承を取った。
しかし「全身ケロイドまみれで内臓や血管がはみ出ている」という怪獣デザインは成田氏のデザイン原則とは真っ向から反するものであり、まったく意に沿わないものなのは明らか。
ことに同じ芸術家として尊重し合っている高山氏にはそんな絵を見せたくはない。
そこで細部まで描かれた決定デザインは監督との打ち合わせ終了後に封印または破棄し、高山氏にはおおざっぱなラフスケッチを渡して、細部については口頭で指示した。
このように考えると、一応のつじつまが合います。
成田氏はデザイン画を渡したあとも、ある程度形になってきたころに造形現場を訪れて相談や修正指示をしていたそうです。
スペル星人のラフスケッチでは身体のケロイドは3ヶ所くらいにごく薄く描かれたのみだったので、「全身に同じようにケロイドをつけてくれ」、「左腹部に内臓と血管をはみ出させてくれ」などと口頭で指示したのではないでしょうか。
完成した撮影用スーツをよく見ると、右脚ふともものケロイドは造形はされながら白く塗りつぶされているように見えます。これはデザイン画でケロイド位置を指定しなかった影響なのかもしれません。
展示されたラフスケッチには、目の周囲から鼻すじにかけて描かれた線を消したような形跡がありました。
これはデザインに取り組みながら、途中で投げ出したあとのようにも思えます。
スペル星人のデザイン画からは、そのラフさや線の淡さも含め、全体にやる気の薄さのようなものが伝わってくる印象を受けました。
なお、前述同人誌によれば、完成したスーツについて実相寺氏はおおむねデザイン画通りだったと述懐されています。
ディテールなどはデザイン画の方がよかったが、それは他の怪獣の場合も同様とのことです。
つまり、仮に監督に見せたデザイン画を高山氏に見せていないとしても、完成したスーツはいつも通りの水準を保っていたということになります。
成田氏にとって意に染まない要求だとしても、ギリギリのところで美術監督としての責任はきちんと果たしていたということだと思います。
繰り返しますが、以上は根拠のない想像にすぎません。
成田亨展でスペル星人のデザイン画を見たことでいろいろ考えていたことをまとめてみました。