宇宙刑事ギャバン
幼少期に変身ブームを体験した世代としては、高校時代に放送された宇宙刑事ギャバンは夢中になれた最後のヒーローという印象があります。
ギャバンが目指したのは『仮面ライダーとは差別化された実写単体ヒーロー』だったと思われ、特徴としてデザインや映像面の斬新さが取り上げられることが多いようです。
自分がギャバンに惹かれたのは、それらに加えて主人公ギャバン=一条寺烈のキャラクターの魅力がとても大きかったと思います。
蒸着ギャバン(ポピー製・以下すべて同様)
放送開始当初のギャバンは、映像面の新鮮さの一方で各話の内容は戦隊シリーズと大同小異の印象がありました。
独自の魅力が感じられ始めたのは第11話『父は生きているのか?謎のSOS信号』でギャバンの生い立ちが語られたあたりからで、続く第13・14話のダブルモンスター登場編が自分が本格的にギャバンにはまるきっかけになりました。
この前後編では、幹部ダブルマンとベム怪獣で構成されていた敵組織マクーの戦力が両者を合成したダブルモンスターにパワーアップする様が描かれます。
強力なダブルモンスターの出現に生身の烈はかつて無い大苦戦を強いられ、蒸着後の戦いでも必殺のギャバンダイナミックが決め手にならず、辛くも引き分けに持ち込んだところで前編は終了します。
続く後編では、ギャバンは地球に来訪したコム長官とともに戦術を練り、体技に磨きをかけます。
そして地球で出会った仲間たちとつかの間の楽しい時間をすごし、ついに決戦を迎えます。
この前後編で描かれているのは、客観的にはギャバンにとって極めて不利な状況です。
ダブルモンスターとの初戦で苦戦する烈の姿は、ハイスピード撮影や小道具を用いて実感を込めて描写されており、圧倒的な敵の強さを見せつけます。
蒸着後は引き分けたとはいえ、日本人科学者が作らされたダブルモンスター製造装置はマクーに奪われており、今後の戦いはこれまでとは桁違いに厳しくなることは必至です。
そんな苦しい状況にも関わらず、前編のラストシーンでの烈のモノローグは「どんと来い、マクー!俺は決して負けないぞ」という内容になっており、微塵もひるんだり迷ったりしていません。
ヒーロー作品にはありがちな描写のようですが、後編での烈の行動から、次の戦いでは命を落とすことになるかもしれないと考えていたことは明らかです。
言葉通り「生命をかけた」戦いに、ひるんだり迷ったりせず、他者に弱音を吐かず、自分を信じて正面から向かっていく。
ここで描かれているのは烈の心の強さです。
優しくてちょっとおっちょこちょいなお兄さんが実は無敵のヒーロー、というのは多くのヒーロー作品で意図されている設定だと思いますが、説得力と魅力をもってそれを実現できている作品は少ないのではないでしょうか。
ギャバンがそれに成功しているのは、脚本や演出とともに大葉健二氏という得がたい演者の個性とアクションがあったからだと思います。
自分にとってギャバンが特別な作品なのは、そうした主人公の人間性の魅力が大きいです。
そんな第13・14話でギャバンにはまったのですが、続く第15話『幻?影?魔空都市』も驚きました。
こちらは打って変わってストーリーらしきものは存在せず、全編ひたすらアクションの連続です。
マクー空間という特殊空間の設定を活かしてさまざまな構図・カット割り・アクションが試みられ、斬新な映像がこれでもかと続きます。
ギャバンの第15話は、アナログ実写ヒーロー作品の到達したアクション映像のひとつの頂点だと思います。
その後も中盤のギャバンは高いテンションの作品が続きます。
作り手の「あんなことをやってやろう、こんなこともできるんじゃないか」という前向きなノリが感じられ、この頃には特定のアクションやBGM・挿入歌の使用も決まってきて、宇宙刑事の黄金パターンの確立期という感じです。
後半はややボルテージの低下が感じられますが、最終三部作は再び力作になっています。
謎の青年・伊賀電との出会い、父・ボイサーとの再会、そしてマクーの首領ドン・ホラーとの最終決戦。
第43話『再会』は、ヒーロー作品としての戦闘パターンを無視して、じっくりと父子のドラマが描かれて心に残ります。
最終44話には敵幹部の魔女キバにギャバンが苦戦する場面があります。
キバは変身能力で次々にギャバンの仲間に姿を変えます。
ギャバンはそれがキバだと理解していても、愛する者の姿をしたものをどうしても攻撃できず、ピンチに陥ります。
これもギャバン=一条寺烈の人間性をよく表したシーンとして印象的です。
あわやのところを救ったのが赤い光球=宇宙刑事シャリバン、というのも燃える展開でした。
ギャバンは作品として成功し、続編が制作されることになります。
次回はギャバンに続く宇宙刑事を取り上げます。
(続く)