《再掲》ライダーブームの断片


2012年3月4日投稿の再掲載です。




ライダーブームの断片
 
 
仮面ライダー本放送当時の、ライダーブームを想起させるものをいくつか取り上げてみます。
 

画像はブリヂストンの子供向け自転車ドレミのフロントカウル部です。
アクション用サイクロンを模した形状のドレミは、撮影用スーツにそっくりなライダースーツを着た子供をCMに登場させて当時の児童の憧れの自転車となりました。
 
 

講談社のたのしい幼稚園1972年2月号に掲載された広告。旧2号そのもののライダースーツとストレートなキャッチコピーで、子供の心をわしづかみにしました。
ただしこのころの自転車はたいへん高価だったので、実際にドレミに乗れた子供よりも乗れなかった子供のほうがはるかに多かったと思われます。
 
 

ドレミのカウルはサイクロンの基本イメージを再現していますが、中央のマークが独自の商標にアレンジされているのがちょっと残念です。
 

そこで、バンダイ模型のプラモデルに同梱されていた立花レーシングのシール(のコピー)を付けてみると、ほぼサイズがぴったりでサイクロン度数?が上昇したようです。
もしかしたら、当時同じことをした子供もいたのではないでしょうか。
なお画像右下のショッカーバックルもやはりバンダイ模型製で、こうもり男に台座として付属していたパーツです。
 
 

ライダーファンとしては、ドレミよりもCMで使用しているライダースーツが欲しくてたまりませんでした。
この子供用ライダースーツのインパクトは大きかったようで、以後も同じパターンの広告が作られています。
 
 

画像上は小学館の幼稚園1973年3月号、下はたのしい幼稚園同年5月号に掲載の広告です。
 

新しいドレミとともに並んだ新1号たちは、どことなくにせライダーみたいに見えます。
 

V3も同様に子供スーツが制作されています。
ドレミ自体はX、アマゾンでも発売されましたがそれらのスーツが作られたかどうかは未確認です。
スカイライダー時にも再びスーツが作られましたが、子供の顔が露出するヘルメットになってしまって魅力が半減していました。
 

次は2号の写真の切り抜きです。
 

 

 

これらはコイズミライダーデスクに付属のピンナップを切り抜いた物です。
 
 

この画像はコイズミのHPからの引用です。
当時は旧2号がスポットライトを動かしたりして机の機能を紹介するCMが盛んに放送されていました。
画像でバックボードとされているのが紙製のピンナップです。
 

上の写真を見ると、本来こんな状態で配置されていたようです。いちばん大きいバストアップの写真は紛失してしまい、現存していません。
 
ライダーデスクは放送当時にはよく知られた存在で自分も近所の友達も使っていたのですが、現在画像を探してみるとほとんど出てこないようです。
自宅のライダーデスクは高さ調節部の金属パーツが破損してしまい、中学入学の頃には処分されてしまったように記憶しています。
 
 

最後は色紙です。
 

画像の色紙は新1号放送時期に地元でサイン会が行われた時のものです。
ちょっと見づらいですが仮面ライダーじごく大使ショッカーアブゴメスのサインが書かれています。
なお『ショッカー』は戦闘員のサインです。
 
今でもよく憶えていますが、このサイン会当日に自分は高熱を出して寝込んでいました。
親は当然外出を許可してくれなくて、とてもくやしかったのですがどうにもなりません。
代わりに行ってくれた兄が二人分の色紙を持ってきてくれました。
 
兄によれば「ライダーも怪人も全部本物だった」とのことで、地獄大使は潮健児氏が演じていたようです。
サイン会では地獄大使が兄を指差して、戦闘員に「この子供の顔をよく覚えておけ」と言ったそうで、『ショッカーに狙われた!?』ということで、しばらく子供たちは盛り上がっていました。
田舎の小さなサイン会でも悪の大幹部を演じ切っていた潮健児氏の役者魂に、あらためて敬服します。
 
 

このサイン会ではテレビマガジンで募集していた少年仮面ライダー隊の隊員証も配布(または販売?)されました。画像はその現物で、印刷の精度などから見て複製品とは考えにくく、隊員番号と本部の証明印もきちんと入っています。
 
隊員証と色紙にはどちらも『××地区隊長○○○○』という判が押してあり、その名前は地元選出の市会議員H氏のものになっています。
あとになって、H氏には当時小学一年生の息子がいたと知りました。
そうした事情から、このサイン会は息子へのサービスと地元での周知活動を兼ねてH氏が主催したものだった可能性が高いようです。
 
この隊員証がテレビマガジンによる正規品だとすると、H氏はこれをどのように用意したのでしょうか。
サイン会の企画段階でテレマガを大量に購入して自分で編集部に申し込んだのか、それともテレマガ編集部がサイン会やアトラクションショーに対応して隊員証を別途制作していたのでしょうか。 
本物の演者まで登場していたオフィシャル性からして後者だった可能性が高いと思われますが、今となっては詳細はわかりません。
 
同様の体験をお持ちの方がいらっしゃったら情報をお寄せいただけたらと思います。
 
 

 

 
1971年度前半は帰ってきたウルトラマンを中心に第2次怪獣ブームが盛り上がりましたが、秋の終わり頃から人気の焦点は仮面ライダーに移ってライダーブームとなりました。
子供はこぞって変身ポーズとともにライダーごっこに明け暮れ、テレビでも局の垣根を越えてさまざまな番組に旧2号が出演したようです。
 
翌1972年度は実写ヒーロー番組が激増して人気が分散してしまったため、仮面ライダー自体の人気の集中度としては71年度終盤ころがそのピークだった気がします。
 
 
[ 2019/11/30 09:48 ] 怪獣ブーム周辺 | TB(-) | CM(0)

ずるいよダイモス


P7092961.jpg

ポピーのデラックス超合金闘将ダイモス。


SN3M0045[1811]
画像の現物は1978年放送当時購入したものです。

P7092940.jpg
箱側面に見本写真があるのですが…

P7092947.jpg
中身の現物とは造形が異なっており、特にプロポーションがまったく違っています。


SN3M0041[1809]
これはてれびくん1978年8月号(小学館)表4に掲載の広告で、箱側面の掲載品と同じもののようです。
どうやらこれは、スタンダード超合金にトランザー時を思わせるパーツを付けたものに見えます。
スタンダードはデラックスと違ってカッコイイプロポーションになっています。

SN3M0043[1807]
こちらは同誌6月号懸賞ページより。プレゼント品目はポピニカトランザーとスタンダードダイモスですが、掲載写真はデラックスダイモスの試作品のように見えます。
この時点では市販品より頭部が小さく、悪くないプロポーションになっています。
デラックスダイモスは、このあとトランザー形態を優先して頭部が大型化されたようです。

P7092964.jpg
たしかに製品ではトランザー時の印象が良くなっていますが、肝心のロボット形態のプロポーションを犠牲にしてまでこだわるべきポイントなのかは疑問です。
箱や広告にスタンダード改造品を使用しているのは、「このプロポーションはヤバい」という自覚がポピーにあったのではないかと想像させます。

超合金の箱に掲載された写真が中身と違うのはよくある事例ではありますが、デラックスダイモスの場合は、どうも悪意や害意を感じてしまいます。


P7092979.jpg
ジャスティーンからの変型過程の再現という点ではデラックスダイモスはよく出来ています。

P7092966.jpg
しかし当時初めて手にした時には、率直に言ってかなりガッカリしました。

P7092951.jpg
プロポーションだけでなく、凝っている割に意味の薄い脚部伸縮機構、ダイモスの背中にトランザーパーツが開き直ったように残っていることなどは悪印象でした。
特に背中については「ライディーンより進化どころか退化してるじゃん!」と思いましたね(^^;



P7092935.jpg

P7092986.jpg

こんな状態だと、さほど悪くないようにも見えますが……

ずるいよ、ダイモス…


[ 2019/11/27 20:23 ] 合金 ポピー | TB(-) | CM(2)

《再掲》ジョイントモデルの誕生

2012年4月10日投稿の再掲載です。




ジョイントモデルの誕生
 
 
前回述べたように、バンダイ模型は1974年末から1975年春季にかけて以下の4種のロボットプラモデルを発売しました。
 
  1.グレートマジンガー/ゲッターロボ秘密基地
  2.スーパートレーラー
  3.DXモデル
  4.モデルボーグ
 

これらはいずれもそれ以前のロボットプラモとはやや異なる要素で構成されています。
そうした変化の背景として、ポピーの超合金やジャンボマシンダーの大ヒットの影響があったのではないかと思われます。
 

そしてバンダイ模型は1975年度春季新番組の製品化を迎えます。
画像はその時期のカタログですが、この時点ではゲッタードラゴンとゲッターライガーのDXモデルの発売が予告されています。
追記…ライディーンにもDXモデルの発売予定がありました(予価600円)。
 
価格帯とキャラクター選定の一致から、このDXモデルの企画がジョイントモデルに変更された可能性が考えられます。
あるいはジョイントモデルがあらたに立ち上がったため、DXモデルは休止されたのかもしれません。
いずれにせよこのあたりがジョイントモデルの誕生時期のようですが、その企画はどのように成立したのでしょうか。
 

電撃ホビーマガジン(アスキー・メディアワークス)の2010年3月号にて、当時のバンダイ模型関係者の談話として「ジョイントモデルは超合金への対抗策だった」と端的に述べられています。
同誌にはこれ以上の情報はないのですが、当時の状況をもう少し詳しく考えてみます。
 
過去記事でも触れましたが、バンダイ模型とポピーはほぼ同時期にバンダイ本社から独立したグループ企業です。
バンダイ模型内部ではスケールモデルメーカー志向が強かったそうですが、一方でキャラクターモデルに関しては、同じ作品をもとに製品を作る点でポピーとはライバル関係になります。
 
当初のバンダイ模型のキャラクターロボットプラモデルは昭和30年代のブリキ玩具のような旧態依然としたものでした。
スケールモデル志向の強いバンダイ模型にとってキャラクターロボットは「しょせんは絵空事にすぎない、現実との接点の無いもの」であり、積極的な商品開発の動機はなかったのかもしれません。
 
それでも作品自体の人気によってマジンガーZやゲッターロボのプラモデルはよく売れています。
当時の模型小売店業界主催のモデル大賞において、最もよく売れた商品シリーズに贈られるプロフィット賞は、1973年マジンガーZ,1974年ゲッターロボとゼロテスターとなっています。(*)
   

ただし1973年夏季のジャンボマシンダーと1974年2月の超合金の発売によって、状況は大きく変化していきます。
ジャンボマシンダーと超合金の大ヒットはキャラクターロボットのみならず男児向けキャラクター商品全体を根底から変革するような規模になっていきます。
その勢いはグレートマジンガーが登場してマジンガーブームが2年目に入っても衰えることは無く、一過性のブームで終わらずに業界のあらたなスタンダードとして定着しようとしていました。 
 
ここに至ってバンダイ模型もこうした情勢変化に対応せざるを得なくなり、キャラクターロボットプラモデルの新しいかたちを模索し始めます。
その具体的な表れが前回取り上げた4シリーズでした。
こうした『超合金への対抗策』の結実がジョイントモデルだったと考えられます。
 
 (*)余談ですがプロフィット賞の1972年は仮面ライダー、1975年は合体マッハバロン、1976年は ロボダッチとなっています。一部模型関連ライターによる記事には『1970年代中盤にはキャラクタープラモは衰退して風前の灯だった』というような記述がよく見られますが、プロフィット賞の履歴と照合するとこれらは主観的な思い込みによる、正確さに欠けた認識ということがわかります。
   

以上のような状況認識を踏まえると、バンダイ模型がDXモデルを継続しなかった理由は、根拠はないものの以下のように想像できそうに思います。
 

DXモデルの特徴はメッキによる金属感、オモリによる重量感、パンチ発射というもので、これらはすべて超合金の模倣になっています。
そして本物の金属の質感・重量感やパンチギミックの確実性、脚部可動などを持つ本家超合金の方があらゆる面で優れています。
 
こうしたことを考えると、
 
  異なるジャンルのヒット商品を模倣してもオリジナルの代用品以上にはならない、
  ましてそれがライバルの作り出した製品の模倣ならば積極的には継続したくない
 
DXモデルが休止された理由はおおむねこのあたりにあったと想像できるのではないでしょうか。
 


 
次に、ジョイントモデルがどのように立ち上がったのかを考えてみます。
ジョイントモデルの特徴を確認しておくと、以下の4点です。
 
  1.設定通りの形状再現(ギミックによる制約を受けない)
  2.各関節の可動
  3.接着剤不要の組み立て
  4.ある程度色分け済み
 
これらのうち1、3、4の要素は他社を含む先行製品にも見られるものです。
ジョイントモデル最大の特徴は2の関節可動ということになります。
 
 

前回触れた通り、バンダイ模型はモデルボーグでキャラクターロボットプラモの関節可動を試みています。
ただしそれは可動域や耐久性の点で問題が多く、まだ完成度の低いものでした。
モデルボーグの持つ複雑さ・多重性を整理して 構造を単純化し、DXモデルの価格帯におさめることで児童の買いやすさを併せ持ったのがジョイントモデルと考えられます。

ジョイントモデルがムク成型のパーツを多用してプラモデルよりも玩具に近い壊れにくさをもっているのは、モデルボーグでの壊れやすさに対応した結果なのかもしれません。
  
そしてジョイントモデルが安定した可動と耐久性を実現できたポイントとなったのが、専用のジョイントパーツの開発です。
 

ジョイントモデルに採用されたジョイントパーツは、やや弾性のあるプラと塩ビの中間のような材質を金属のハトメで固定する構造になっています。
このジョイントパーツを関節として各パーツをつなぎ合わせるだけで、自由に動いて壊れにくいロボットになります。
 

 
 ジョイントパーツがジョイントモデル成立の要点であり、パッケージでも売りとして強調されています。
では、バンダイ模型はどのような発想でこのジョイントパーツの開発に至ったのでしょうか。
 


ここで注目されるのがタカラのミクロマンです。
ミクロマンはジョイントモデルの1年ほど前、1974年7月に発売されました。
当初は雑誌やテレビでの広告展開が行われなかったにも関わらず児童に急速に普及して人気玩具になっています。
同年の年末商戦には早くも大型商品のタワー基地M-115も登場しており、超合金などのライバルとして順調に売り上げを伸ばしていたことがわかります。
 
ミクロマン開発担当の小川岩吉氏はビクトリー伝説(徳間書店1999)のインタビューにおいて、次のような内容を語っています。
 
  ミクロマンでいちばん問題だったのは関節部分だった。
  いろいろ試行錯誤したがうまくいかず、ある時小型の折り尺(折りたたみ式の定規)に使われている
  2ミリ径のビスに気づいて、それをヒントに短いビスを特注してようやく関節ができた。(要約)
 
この談話のポイントは、関節開発のヒントが折り尺だったという部分です。
言い換えると、玩具や模型などの近接ジャンルには参考になるような先行製品が存在しなかったということを意味しています。
 

モデルボーグでタカラの変身サイボーグの影響を強く受けていたバンダイ模型は、その後継シリーズとして人気を集めていたミクロマンも当然チェックしていたと思われます。
ジョイントモデルのハトメ関節をミクロマンと比較してみましょう。
 

 
金属パーツの形状は異なりますが、サイズと基本構造はよく似ています。
ミクロマン開発時にはこれほど小さい関節構造を持つ先行品は存在しなかった(だからこそ開発に苦労した)という事実からすると、ジョイントモデルのハトメジョイントはミクロマンをヒントに、その影響下に開発されたと考えるのが妥当だと思います。
 
そしてそのハトメジョイントは1976年にはさらにボールジョイントに刷新されますが、そこにもタカラのマグネモ・鋼鉄ジーグの影響が垣間見えるのは興味深い点です。(詳しくはこちら
 
また、ジョイントガイキングとコンバトラーVのデラックスセットはジョイントモデルをF1カーに乗せるというおかしな構成になっていますが、そもそもの出発点がミクロマンにあったとすれば「可動人形+乗り物」という組み合わせはむしろ必然だったと考えることができます。
 

 
 
 
金属感・重量感・パンチ発射という超合金の要素からはむしろ距離を置き、可動性能の一点に絞って超合金とは異なる魅力を持つロボットプラモを目指す。
安定した関節可動実現のためにミクロマンの関節構造に着目し、それを参考に関節自体をパーツ化して全身に実装するという独自の発想。
 
ジョイントモデルはこのような開発経緯で誕生したのではないでしょうか。
 
 

 
 

 
当ブログでは、ジョイントモデルの成り立ちはおおむね以上のようなものだったのではないかと想像しています。
ただし多くの部分が資料の裏付けのない推測ですので、どの程度事実に即しているのかはわかりません。
 
 
キャラクタープラモデルの歴史を扱う書籍などで、ジョイントモデルはしばしば「のちのガンプラにつながる関節可動プラモの元祖」などと紹介されることがあります。
しかしそうした可動プラモが誕生した背景やハトメからボールジョイントへの進化などについて詳述されている例は見た記憶がありません。
 
キャラクターロボットプラモデルの進化を考える時、ジョイントモデルとその前後のバンダイ模型プラモデルには注目すべき多様な要素が含まれていると思います。
こうした部分への詳しい取材と情報の公開が行われるよう願っています。
 
 

《再掲》ジョイントモデルの背景

2012年4月8日投稿の再掲載です。
発売中の昭和40年男でみくに文具さまが紹介しているグレート・ゲッター秘密基地も取り上げています(^^




ジョイントモデルの背景 
 
 

 
ジョイントモデルは1975年から77年にかけて展開されました。
 
それ以前のバンダイ模型のキャラクターロボットプラモデルは、1974年秋のグレートマジンガー初期製品まではブリキ玩具をプラモデルにしたような旧態依然としたものが主流でした。
1975年夏季のジョイントモデルの発売までの間に、バンダイ模型にどのような変化があったのでしょうか。
 
当ブログでは旧来型のプラモデルとジョイントモデルを橋渡しする存在として、1974年末期から翌年春季に発売された以下の4シリーズに着目します。
 
  1.グレートマジンガー/ゲッターロボ秘密基地
  2.スーパートレーラー
  3.DXモデル
  4.モデルボーグ
 

1.グレートマジンガー/ゲッターロボ秘密基地
 

グレート/ゲッター秘密基地は1974年の年末商戦に向けて各2500円で発売された大型製品です。
画像のゲッター秘密基地は欠品多数のジャンク品、グレート秘密基地は1998年の再版です。
 

オリジナルの格納庫風基地に既発売のモーター動力ロボットをまるごと同梱し、各種のクレーンや運搬車、オリジナルの腕パーツなどで整備・改造シーンを再現して遊べる内容になっています。
なお基地のパーツはグレート・ゲッター共通で、成型色のみ変更されています。
 

キャラクタージャンルの秘密基地としては今井科学のサンダーバード秘密基地がさまざまな意味で大きなインパクトを残しており、その後もマイティジャック、ガッチャマン、ウルトラマンA、マッハバロン等を題材に南海の孤島風の秘密基地プラモが多くのメーカーから発売されています。
一方バンダイ模型は1972年度にウルトラホーク秘密基地としてビルディングに擬装したオリジナル基地4種を発売しており、グレート/ゲッターの秘密基地はその発展型に位置づけられます。
 

『マジンガーZ』はテレビアニメとしては初めてロボットの巨大感や実在感を重視していたため、研究所内の格納庫での修理・改造シーンなどが頻繁に描かれており視聴者に強い印象を残しました。
グレート/ゲッター秘密基地とほぼ同時期にポピーのジャンボマシンダーでは厚紙製の大格納庫のプレゼントキャンペーンが実施されており、当時の児童にとってロボットの格納庫が魅力的な存在だったことがわかります。
 

またグレート/ゲッター秘密基地の縦型レイアウトの巨大な箱は「模型売り場のジャンボマシンダー」のような位置付けを狙っていたようにも見えます。
基地に同梱されたオリジナルの腕パーツにも変身サイボーグやジャンボマシンダーの影響が感じられます。
 

2.スーパートレーラー
 

スーパートレーラーは秘密基地よりやや遅れて1975年初頭に発売されたゼンマイ動力プラモシリーズです。
50円クラスのミニプラモ以外では初めて全面的にスナップフィットが導入されており、価格は各350円。
 
前年まではロボット本体に動力を内蔵してプロポーションが犠牲にされる傾向がありましたが、このシリーズではロボットのスタイル再現と走らせて遊ぶ要素の両立が試みられているのが注目されるポイントです。
その発想にはジャンボマシンダーで商品化されたマジンガーZ用の重戦車Zの影響がありそうです。 
 

画像はグレートマジンガースーパートレーラーの完成品。トレーラー自体はゲッター1と同型です。
グレート本体はブレーンコンドル同梱品と同じものです。(詳しくはこちら
 

スーパートレーラーの箱絵にはいずれも背景に秘密基地が描かれていますが、ロボットのスケールがまったく異なるため実際には連動させて遊ぶ要素はありません。
なおゲッター2スーパートレーラーは発売が確認されていないようです。
また、トレーラー部はのちに金型改修されてゲッターロボGのミニドラゴン(200円)に流用されています。 
 

3.DXモデル
 

DXモデルは1974年末から75年春ころに展開された動力無し・塗装済み・接着不要のロボットプラモデルです。
グレートマジンガー、ゲッター1、ゲッター2、マッハバロンの4種が発売され、価格は各500円。
グレートとゲッター1はスーパートレーラー同梱品と同じパーツが使用されています。
ウインドウタイプの一体型の箱はプラモデルというより玩具に近い印象です。
 

画像はゲッター2の完成品とグレートマジンガーの再現品(詳しくはこちら)。
ゲッター2以外の3種はパンチ発射が主なギミックです。
 

また、いずれも脚部に金属製のオモリ(画像の個体は錆が出ています)を内蔵する仕様になっていますがギミックなどには関係なく、単に重量感を持たせることが狙いのようです。
パンチの発射、重量感、金属を思わせるメッキ処理といった特徴から、DXモデルは当時大人気の超合金の魅力をプラモデルに取り込もうとしたシリーズだったと言えそうです。
 

ほんの数ヶ月前に発売されたゼンマイ動力ミニゲッターは人型ですらなかったことを考えると、バンダイ模型のキャラクターロボットに取り組む姿勢は大きく変化しています。
こうした変化の背景にはポピーの超合金とジャンボマシンダーの大ヒットの影響があったと考えられます。
かつてはブリキが主体だったロボット玩具はポピーによって進化・刷新され、バンダイ模型もようやくそうした流れに追いつこうと動き出したようです。

 

4.モデルボーグ
 

モデルボーグはDXモデルとほぼ同時期、1975年初めから春ころに展開されたロボットプラモデルシリーズです。
こちらはグレートマジンガー、ゲッター1、マッハバロンの3種が各1000円で発売されました。
 

モデルボーグはメッキメカを内蔵したクリア素体をメッキ・塗装済みの外装パーツで覆う構造になっています。
画像の現物はゲッター1です。
 
プラモデルのジャンルには1960年代からクリア成型の本体内にエンジンなどを再現した戦闘機や戦車のキットが存在しており、モデルボーグはそうした要素を受け継いでいる面があります。
また、人型という点に着目すると人体模型のプラモデルなどの影響もあるのかもしれません。
 

クリア素体は単に内部メカを再現しているだけでなく、各関節の可動が試みられています。
画像ではわかりにくいですが頭部、腰部も回転しており、組み立て図にも素体状態で遊ぶことを前提とする記述があります。
なお足にはDXモデルと同様に金属のオモリを内蔵しています。
 

画像はクリアパーツの接着前の状態。ひざと足首はネジ留めで可動するほか、脚の付け根はボールジョイントに近い形状になっています。
ただし実際に組み立てると可動範囲は広いとは言いがたく、一つ前の画像程度のポーズ付けが精一杯です。
 
 

メッキメカ内蔵の可動クリア素体、その素体にキャラクターの外装を被せるという構造は、1972年から展開中だったタカラの変身サイボーグシリーズと同じです。
「モデルボーグ」とはプラモデル+サイボーグの造語でしょうから、変身サイボーグの影響を受けているのは間違いないと思われます。
画像は少年サイボーグとゲッター1素体。
 

腕の外装パーツはリング状のプラパーツで固定します。
本体は足にゴム製のクツを履かせて固定するのですが、画像の個体では経時変化でクツパーツが縮んでしまい、使用していません。
なお、メッキ・塗装済みで金属感のある外装は超合金に近い要素と言えるかもしれません。
また、可動素体と外装の多重構造はガンプラMGシリーズの遠い祖先と位置づけることもできます。
 
 

モデルボーグはさまざまな先行製品をよく研究して多様な要素をバランスよく取り入れて構成されており、この当時のキャラクターロボットプラモデルとしては決定版といえる傑作だと思います。
バンダイ模型としても新たなプラモデルとして力を入れていたようで、専用のシリーズロゴや通常は印刷の無い下箱までカラー印刷を導入するなど装丁面にも工夫がこらされています。
 
 

 
では、それほどよく出来たモデルボーグは、なぜ翌年度以降も継続されなかったのでしょうか。
おそらくその理由のひとつは、プラモデルの宿命的な「壊れやすさ」だったのではないかと想像しています。
 
モデルボーグの発売当時、実際にグレートマジンガーとゲッター1を購入してたいへん気に入っていたのですが、どちらもほどなく関節部や外装のリングパーツが破損してしまったのを憶えています。
当時はパーツ単位での部品注文制度もなかったので対応するすべも無く、一部が破損したモデルボーグにはなんとも微妙で中途半端な感情を抱きました。
 
今回撮影している個体も、リングパーツのひとつが割れてしまいました。 
モデルボーグが意欲的に導入したアイディアの多くは、壊れやすいプラモデルよりも丈夫な玩具で実現するのに適したものだったように思います。
 
他に継続されなかった理由としては、メッキ・塗装にかなりの手間がかかるため生産ラインの確保が困難だった可能性も考えられるかもしれません。
 

そしてジョイントモデルへ
 
数ヶ月のうちに以上の4シリーズを開発したバンダイ模型は、1975年度を迎えます。
春季新番組のゲッターロボGでは、当初はゲッタードラゴン、ライガーのDXモデルの発売が予告されていました。
 

この予定が変更され、実際にはジョイントモデルが発売されることになりました。
その企画変更の過程にはある玩具が決定的な影響を与えているのではないかと想像しています。

《再掲》グレートマジンガー

2010年5月8日投稿の再掲載です。
今回から3回にわたってジョイントモデル誕生の背景を考えています。
グレートマジンガーはゲッター1とともにバンダイ模型のロボットプラモデル変遷のターニングポイントになったキャラクターです。




 グレートマジンガー 
 

 
マジンガーZは人気絶頂のまま1974年9月に続編「グレートマジンガー」にバトンタッチします。
グレートの登場は早い段階から周到に計画されていたので、関連玩具は当時としては異例の早さで店頭に並びました。
 
プラモデルもゲッターロボの初期製品に続いて開発されたらしく、通常より早い時期に発売されたようです。
初期発売分は以下の通りです。
 
 グレートマジンガー(モータ-歩行)
 ミニグレートマジンガー(ゼンマイ動力マジンガーZの金型改造/チビッコグレートマジンガー名義でも販売)
 ブレーンコンドル(ゼンマイ走行/マスコットグレートマジンガー付き)
 グレートマジンガー(袋入り50円または箱入り80円の廉価プラモ)
 ブレーンコンドル( 同上 ) 

         
グレート本体はモーター版・ゼンマイ版共にマジンガーZ・ゲッターロボの路線を踏襲しており、映像中のイメージとはかけ離れた形状でした。画像のモーター歩行グレートは1998年の再版を仮組みしたもの。
 

ブレーンコンドルによる起動やアトミックパンチの発射などはZやゲッター1と同じ。
マジンガーブレードとグレートブーメランは手で持つことができます。スクランブルダッシュは脱着可能。
ディテール単位で見ると設定に近い部分もありますが、ギミックに制約されたスタイルのためにあまり奏効していない印象です。
 

マジンガーZとの比較。脚の内側に角度のついた形状はよく似ており、ボディ部分の金型はマジンガーZを改造した可能性が考えられますが、真相は不明です。
改造が事実なら、マジンガーZが再版されないのはそのためということになりますが…どうなのでしょうか?


 

オモチャ然としたグレートに対してブレーンコンドルはイメージ通りの形状になっており、この点もこれまでと同様です。
画像の個体は1998年の再版。


50円サイズの廉価プラモは同シリーズのゲッターロボとほぼ同時に発売されたようで、マジンガーZには無かった新機軸商品です。(詳しくはこちら
画像のグレートの台車はゲッター1のもので代用しており、本来はボディと同じ青色成型です。
 

廉価ゆえにギミックによる制約はありませんが、グレートは目の彫刻が丸くなっていたりやや脚の短いスタイルなど、形状的にはいまひとつの感じです。


これら初期発売品の中では、ブレーンコンドル付属の「マスコットグレートマジンガー」が注目されます。
 
実写ヒーローを立像形体で立体化してきた「マスコット」と同じ名義が使われているのは、キャラクターロボットにもようやく形状重視の視点が適用され始めたことを意味していると考えられます。
実際にこのグレートは初期製品の中ではもっとも良好な形状になっています。
 

ただし「ロボット=動くオモチャ」という先入観を払拭しきれなかったのか、四角くデフォルメされた足にはコロ走行用の車輪が付いています。
この先入観はかなり根強いものだったようで、人型ロボットの足裏に車輪を付ける例は1977年のジョイントモデル・ダンガードAまで続いています。
 

このグレートでもうひとつ注目すべきなのは50円クラスの廉価プラモ以外では初めて接着不要のハメコミ式(スナップフィット)が採用されている点です。
ハメコミを活かすことでスクランブルダッシュ・ブレーンコンドル・グレートブーメランは脱着式となり、パンチ発射ギミックと合わせてかなり遊び甲斐のあるプラモデルになっています。
 
このように「マスコットグレート」からはバンダイ模型のいろいろな変化の兆しが見て取れます。
なお、このグレートは「リトルグレートマジンガー」名義で単品売りもされたようですが、現物は確認出来ていません(情報をお持ちの方はお知らせいただけると幸いです)。
また、のちに発売される「グレートマジンガースーパートレーラー」にも同梱されたほか、メッキ・塗装済みの状態で「DXモデル」としても発売されています(参照)。


 
以上のように、グレートのプラモデルは基本的には「バンダイロボットシリーズ」の路線を継承してスタートしましたが、バンダイ模型の「人型ロボット」へのアプローチには少しづつ変化が見られます。
 
1974年の年末商戦向け新製品からは、時代の要求に合致した新しいかたちの「キャラクターロボットプラモデル」を求めるバンダイ模型の試行錯誤が本格的に始まります。
 
[ 2019/11/24 23:51 ] プラモデル グレートマジンガー | TB(-) | CM(0)

《再掲》仮面ライダー2号撮影会の整理


2017年9月14日投稿の再掲載です。





仮面ライダー2号 撮影会の整理




1971年4月から放送を開始した仮面ライダーは、当初関東地方での視聴率が一桁台で、帰ってきたウルトラマンやスペクトルマンの人気に押されて地味な存在でした。
雑誌連載権を持つ講談社は第1話の途中から写真取材を始めたようですが、原作漫画掲載誌「ぼくらマガジン」の休刊に伴い第10話までで取材を打ち切っています。

その後ライダーの視聴率はじわじわと上昇していき、6月後半以降はおおむね10パーセント台後半をキープするようになり、7月公開の東映まんがまつりで上映された第13話はプログラム中トップの人気になったそうです。
こうした状況下、講談社は仮面ライダーを核とする少年向け月刊誌(テレビマガジン)の創刊を決める一方、ぼくらマガジンから「たのしい幼稚園」に異動した編集者の写真記事制作の意向もあって、第26話(7月ころ)から写真取材を再開しています。

講談社が撮影を中断していた第11話~25話の写真については毎日放送による番宣写真くらいしか存在していないようです。
また朝日ソノラマ関係者によれば東映の版権課には当初からずっと写真素材はなかったそうで、この時期には石森プロも写真撮影はしていなかったようです。
ライダー人気の高まりを受けて関連商品の展開を企画しても、写真の不足が問題となりました。

こうした状況の改善のため、石森プロが中心となって仮面ライダーと複数の怪人によるキャラクター撮影会が行われるようになります。
これには出版社や玩具メーカー、レコード会社など多くの関連企業が参加して自社商品で使用するための写真を撮影し、同時に石森プロも版元として自社で管理する写真素材を確保したようです。
特に8月と9月には大規模な撮影会が行われており、その写真が書籍やカード・ブロマイド類などに大量に使用されたため、当時のファンには印象深いものになっています。

その後は大ブームを起こした人気番組として注目されたため、第4クール分の作品以降は本編制作時に大量の写真が撮影されるようになって、大規模な撮影会はなくなったようです。
仮面ライダーのファンとしては、ライダーや怪人の写真を見た時にそれがいつ撮影されたのか(本編撮影時なのか、撮影会なのか、あるいは単発の取材によるものなのか、など)を考え、判別するのが楽しみでもあります。




ライダーと複数の怪人の撮影会については講談社オフィシャルファイルマガジン仮面ライダーVol,2(2004)で詳述されています。
ただし事実誤認と思われる部分もあり、またその後関係者の談話で判明した事実なども考え合わせると、撮影会の概要は以下のようなものだったようです。


第1回撮影会(1971年5月)
朝日ソノラマ「仮面ライダー怪人大画報」制作のために行われ、石森プロも参加。


登場キャラクターはライダー2号、サラセニアン、死神カメレオン。


コブラ男、ゲバコンドル、黒戦闘員(キノコモルグのマーク有)。


クモ男。


サボテグロン。


コウモリ男は基地セットだけでなく屋外でもライダーとの絡みを撮影。


スタジオの壁の前で、軽装サイクロンと2号。



第2回撮影会(71年8月)
人気上昇を受けての初の大規模撮影会。
ライダーを含め29キャラクターが登場しました。


まず、ドクダリアン基地のセットで2号、ゾル大佐、ドクダリアン、黒・赤戦闘員を撮影。


スタジオ近くの住宅街に移動してカマキリ男、アマゾニア、モグラング、クラゲダール、赤戦闘員。


さらに造成地に移動して、サソリ男、サボテグロン、ガマギラー、アルマジロング、地獄サンダー。


ちょっと見にくいですがコウモリ男、ムササビードル、ゲバコンドル、ムカデラス、アリガバリ。
ムカデラスはボディパーツの前後が逆になっています。


死神カメレオン、コブラ男、ヤモゲラス、ピラザウルス、カニバブラー。


ザンブロンゾ、ドクガンダー幼虫、アリキメデス、サラセニアン、キノコモルグ。



第3回撮影会(71年9月)
クモ男からエイキングまでのほとんどの怪人が登場した、造成地での2度目の大規模撮影会。
ハチ女とドクガンダー幼虫のみ欠席です。


クモ男、コウモリ男、サソリ男、サラセニアン(ベルト有)。


カマキリ男、死神カメレオン、コブラ男、ゲバコンドル。


ヤモゲラス、トカゲロン、サボテグロン、ピラザウルス。 トカゲロンの背びれが破損しています。


カニバブラー、ドクガンダー、ヒトデンジャー、アマゾニア。
ヒトデンジャーのボディは崩壊しかけているように見えます。


キノコモルグ、クラゲダール、地獄サンダー、ムカデラス。クラゲダールはなぜか赤い手袋をしています。


ガマギラー、モグラング、ムササビードル、アリガバリ。この画像はオフィシャルファイルVol,2より。
モグラングは本編とは異なる専用らしきブーツを使用しています(参照)。


ドクダリアン、ザンブロンゾ、アルマジロング、トリカブト。
オフィシャルファイルVol,2ではザンブロンゾは欠席とされていますが、画像の通り登場しています。アルマジロングはなぜか左手のみ白い手袋。


エジプタス、アリキメデス、エイキング。アリキメデスはクラゲダールと同じ赤手袋を使用。


フルカウルタイプのサイクロンも登場。


ラテックスマスクの2号による走行も行われています。


なお画像の実験用オオカミ男も、この撮影会と同日か極めて近い時期に撮影されているように思えます。
場所は造成地ではなくスタジオ近くのようですが、第3回撮影会と同じタイプのブーツが使用されており、同撮影会の写真を使用した書籍や駄菓子屋向け玩具にいっしょに掲載されています。



第4回撮影会(72年6月)
新1号が主役になってから行われた朝日ソノラマ単独撮影会。新1号とベアーコンガー、ジャガーマン、毒トカゲ男、ハリネズラス、カブトロング、海ヘビ男、ギリーラ、ゴキブリ男、ミミズ男、ドクモンドが登場。
仮面ライダー怪人大画報(ホビージャパン2007)に詳細あり。

なお新1号時期には、第4回撮影会の数週間前にエルム単独の撮影会も行われています。
第4クール時期の怪人を中心に第4回撮影会と同程度の規模だったようで、本来ならこちらが第4回撮影会とされるべきだと思いますが、オフィシャルファイルVol,2ではなぜか撮影会にカウントしておらず、判断の恣意性が気になります。





第2回と第3回の撮影会は登場キャラクターの多くが重複していますが、次のような相違点があります。


第2回撮影会の仮面ライダー2号。本編イメージと同じ印象です。


第3回の2号。グラブの延長カバーが無く、コンバーターラングが青みがかっています。
ベルトの飾りボタンは金メッキされているタイプのようです。



第2回撮影会の怪人のブーツ。通常のブーツです。


第3回撮影会のブーツは、一見長靴に見えるようなタイプが使用されています。
足首から上が締まっていないのが特徴です。

他にも各怪人のコスチュームの状態や装備の違いなどに細かな相違点があり、撮影時期判断のポイントになります。



画像の出典は以下の通りです。

A 山勝5円ブロマイド
B 天田カード・ゲーム
C アマダトレーディングカード
D 黒崎出版仮面ライダー図鑑
E マルミヅ新しいシール及びミニブック
F エルム仮面ライダー怪人きりぬき画報

[ 2019/11/24 00:53 ] 怪獣ブーム周辺 | TB(-) | CM(0)

《再掲》スーパーカー・ブーム


2015年12月14日投稿の再掲載です。





スーパーカー・ブーム




1976年後半から78年春ころまで、熱狂的なスーパーカーブームがありました。
画像は当時発売されていた1/28ダイキャストミニカー、グリップテクニカのランボルギーニ・カウンタックLP500Sとポルシェ930ターボです。







クルマにまったく興味がない私でもブーム時にはそれなりにスーパーカーにはまりました。
上の画像は地元新聞社主催のスーパーカーショーの半券とそのとき撮影した写真、いずれもカウンタックが表紙のアルバムに貼ってあります(^^;

基本的にキャラクタージャンルにしか興味のない子供でもブームにはまったのは、当時スーパーカーは自動車であると同時にきわめてキャラクター的に受容・消費されたからではないかと考えています。



当時のブームについては画像のような雑誌をはじめさまざまな媒体で語られていますが、当ブログでは本来キャラクタージャンルが好きだった立場から見たブームについて書いてみます。




スーパーカーブームのきっかけが少年ジャンプの連載漫画「サーキットの狼」だったことはよく知られています。
1974年末から開始された同作は当初人気が低迷して打ち切りの危機もあったそうですが、数ヶ月で高い支持を獲得して人気漫画になったそうです。


そして「サーキットの狼」の人気が盛り上がってきた75年後半ころから、ランボルギーニミウラやポルシェ911などのプラモデル・ミニカー類の売り上げが上昇するという現象が起こり始めていたようです。
アオシマ関係者のインタビューでは、このころ既に有名外車ディーラーにカメラを持った子供たちが集まっているのを確認していたと語られており、75年の終わりころにはブームのきざしが表れていたと考えられます。
ただし、この時点ではそうした現象の発信源が「サーキットの狼」であると気付いていた関係者は多くはなかったようです。
上の画像はこのころ人気だったプラモデルの一例、オオタキの1/12ポルシェ911ターボ(74年発売)。



翌1976年になると、一連の現象が「サーキットの狼」登場車を求めてのものだったことに気付いた日東科学が正式版権を取得して6月から「サーキットの狼」プラモデルシリーズを展開します。
画像は同シリーズの1/24ランボルギーニ・イオタ。

この段階で人気の焦点は同作に登場するヨーロピアンスポーツカー(のちのスーパーカー)であることが共通認識となりました。
さらに同年10月には日本初のF1グランプリが開催され、6輪車タイレルP34をはじめとするF1マシンの人気も加わってブームが加熱していきます。
ただし、プラモデルや玩具の開発には数ヶ月単位の時間がかかるため、76年の年末商戦にはいわゆるスーパーカー商品はほとんど間に合わなかったようです。


76年後半の玩具・模型界では、ブーム以前に開発・発売されていた商品ラインナップの中でたまたまスーパーカーに含まれる車種があるとそれを前面に出す、という程度の展開がせいぜいだったようです。
画像はニッコーのセミデラコン、タイレルP34。ブームと無関係に開発されていて日本GPよりも早く発売され、CM放映の効果もあって人気となった商品です。




日東の「サーキットの狼」シリーズは、版権を得たキャラクター商品でありながら内実は純粋な自動車プラモデルであるという点がユニークでした。

日東とすれば既に金型を所有している既存の自動車プラモをシリーズにそのまま投入したり、逆に「サーキットの狼」シリーズとして開発した自動車を一般のスケールモデルとして発売することが可能です。
ユーザーの立場では、例えば日東よりもっと大きなサイズのプラモが欲しいとか、もっと精密なプラモが欲しいなどの欲求があれば、他社のスケールプラモがその選択肢に入ることになります。


画像はバンダイ模型の1/16フェラーリ・ディーノ(ディーノ206コンペティツィオーネ)。
もとは今井科学から継承した製品ですが、ブーム時には車体が赤で成型されています。


箱側面の完成見本も赤い車体になっており、あきらかに「サーキットの狼」の主役マシン「フェラーリディノ・レーシングスペシャル」のデラックスプラモという位置づけを狙っていることがわかります。


当時は自動車の商品化にあたっての権利事情はかなりゆるやかでハードルの低いものだったと思われ、1977年には大メーカーから中小メーカーまでがこぞってスーパーカー市場に参入してとんでもない数の商品が市場に溢れました。

キャラクターものであれば商品化権は特定メーカーにしか許諾されませんが、無数のメーカーが競うように商品を発売しまくったことがスーパーカーブームの熱狂度を上昇させていたと思います。





ブーム初期には「サーキットの狼」最初の主役マシンであるロータス・ヨーロッパが人気の中心だったようですが、ブームの拡大とともに情報の周知が進むにつれランボルギーニ・カウンタックがスーパーカーを代表する人気車種となりました。

カウンタックの独特な車体デザインや上に跳ね上がるドア、リトラクタブルライト、公称300Km/hの最高速度などは当時の少年が日常生活で接する乗用車とは大きくかけ離れたものでした。
むしろそれは特撮やアニメに登場する架空のマシンに近く感じられ、それまで自動車に関心のなかった子供も興味を惹かれることになったと思われます。
日常性からの乖離という意味で、カウンタックは当時のスーパーカーの中で最もキャラクター的な存在だったと言えそうです。

上の画像はアオシマの1/20カウンタックLP400。カウンタックとしては初めての本格的な立体商品であり、76年12月発売時のオレンジ車体の初版はまたたく間に売り切れ状態になったそうです。
画像の現物は箱絵と成型色を変更した普及品。当時は車体を塗装しないライトユーザーが多かったので成型色には大きな意味がありました。




F1マシンのタイレルP34も、通常4輪であるべきタイヤが6輪あるという特徴が非日常性を感じさせ、キャラクター的な魅力となって人気を集めていました。
画像はグリップテクニカの1/20モデル。



ブームを受けて制作されたアニメ作品に登場するF1マシンがいずれも6輪や8輪になっていることが、タイレルP34のキャラクター的な人気の高さを示しています。




もともと自動車に興味のない立場からすると、スーパーカーの魅力は普通の乗用車とはかけ離れた非日常性にあり、実質的にキャラクタージャンルの架空のマシンに近いものでした。
キャラクターに近い存在であるなら、商品展開も通常の自動車の範囲にとどまらずキャラクターに倣ったものになります。
結果として、ブーム時にはあらゆるジャンルの製品がスーパーカー商品になりました。

玩具や模型はもちろん、駄菓子屋ではカードやブロマイド、消しゴムをはじめさまざまな駄玩具が。
スーパーや食料品店では菓子・飲料メーカーがスーパーカーを使ったキャンペーンを展開。
雑貨店にはスーパーカーのついたコップや食器、ごみ箱などの日用品が。
文具店ではノート、下敷き、筆箱から鉛筆までがスーパーカー商品になっています。
レコード店にはエンジン音を収めたレコードやアイドルの歌うスーパーカーソングが並びました。
前述の通り、通常のキャラクターと違って版権の制約がないために膨大なメーカーが参入して空前絶後の商品供給となりました。


書店には若者向けのグラフ誌から少年向けの図鑑、幼児向けの絵本などのスーパーカー書籍や特集雑誌が大量に並びました。
画像はケイブンシャのムックと二見書房のカード図鑑。

こうした中で、テレビマガジン、テレビランドなどのキャラクター雑誌や学年誌でもスーパーカーが掲載されるようになります。


1976年ころから実写ヒーローやアニメは大半が幼年向けに特化してしまい、玩具メーカーとのつながりが強化される一方でユーザーの総数は減少して、ジャンル全体の人気が沈降していきました。
変身ブームのころには小学5、6年生でも普通にライダースナックを買っていたことを考えれば、4~5年のうちにキャラクター作品のファン層がかなり縮小していたことがわかります。
例えばテレビマガジンでは76年後半からは柱となるキャラクターが不在で毎号のように表紙のメインキャラクターが変更され、77年前半には画像のように特定のキャラクターで表紙を構成することすら出来なくなっています。



キャラクター全体が弱体化していたこの時期に、それを補う勢力として玩具発キャラクターのミクロマンとともにスーパーカーが誌面をにぎわすことになります。
本来は仮面ライダーやマジンガーが飾っていたテレマガの表紙にメインで掲載されているカウンタックは、やはり自動車というよりキャラクターとして扱われているように思えます。





そしてカウンタック=キャラクターを決定的に体現しているのがこちら、なんとカウンタックのお面です(^^
ライトとドアを上げた状態のカウンタックを正面からとらえて顔に見立てているのでしょうか。


車体下部とバンパー(一部破損あり)がのぞき穴になっていて、メガネのように装着するようです。



他のヒーローお面と並べてみると、いわゆるスーパーカーショーはヒーローのアトラクションショーと等質なものだったという見方もできそうです。

このように、実在の自動車でありながらまるで空想上のキャラクターのように受容・消費されていたことが当時のスーパーカーブームの特徴であり、空前の規模と広がりを見せることになった要因のひとつだったと思います。




その後スーパーカーブームは78年春ころを境に急速に終息します。
初夏ころにカウンタックのニューモデルが発表されましたが、その時点では世間的な反応はきわめて静かなものだったと記憶しています。

もともとスーパーカーブームは、
・自動車(実在のメカ)のファン ・カメラで撮影するのが好きなファン ・プラモデルファン ・ミニカーファン 
・ラジコンファン ・キャラクタージャンルのファン ・流行に乗っただけのライトファン
などのように多様なファン層が集合して形成していたものです。

それぞれのファンが自分本来の領域へと回帰することで、ブームは自然消滅したのではないかと思います。

個人的には、77年夏の宇宙戦艦ヤマト劇場公開をきっかけにキャラクタージャンルが中高生以上でも嗜好するものとして再認知されたこと、特にロマンアルバム(徳間書店)やファンタスティックコレクション(朝日ソノラマ)などで作品の基礎資料が出版されるようになったこと、を受けてアニメ・特撮というキャラクタージャンルに興味の中心が移っていき、スーパーカーからは自然にフェードアウトしました。


自分のクルマに対する知識や興味はスーパーカーブーム時のものがすべてで、それ以前もそれ以降もまったくわかりません。
今回の記事に間違いなどあればご指摘ください(^^





[ 2019/11/23 00:43 ] 合金 スーパーカー | TB(-) | CM(0)

マジンガー・ショック


再掲載ばかり続けているので、ちょっと軽いつなぎを。


講談社から発売予定だったテレビマガジン完全復刻コレクション マジンガーZ(4800税別)が発売中止になったそうです。

PB213148.jpg

該当時期のテレマガは手元にあるものの切抜きや付録の欠損もあるから、書籍にまとまってきれいな状態で見られるのを楽しみにしていたのですが…

予約していた本屋さんが問屋から聞いたところでは延期ではなく企画自体が中止とのことで、残念です。
詳細はわかりませんが、いずれ仕切り直して復活してほしいですね。





以下、ついでに。


PB213146.jpg
発売中のフィギュア王№261でザ☆ウルトラマンの関連商品が特集されています。
オモチャ、プラモデルから音盤、お菓子、書籍まで及ぶ充実した内容です。
ソフト人形では巨大変身ボックス、プラモではロッテ版スーパーマードック完成品なども掲載されて、先ごろの80との混載ムックに感じた不満が一掃されました(^^

もうすぐ来月号が出てしまうので、気になる方はおさえておきましょう、オススメです。



PB213151.jpg
アニメック・ガンダム40周年記念号。
立ち読みしてみたら、懐かしのゴミクションのページに未来少年コナン・コーンスナックのオマケカード全10種が掲載されていたのでついつい購入。
シール・カードとも10種類しかなかったと初めて知りました。

本誌の内容としては、アニメック初期のガンダム絵ハガキなどの商品に安彦氏の作監修正が入っていたというのはトピックですが、他にはあまり興味を引かれる記事はありませんでした。
SFヒーロー列伝・快傑ズバットもカラー写真1Pがよかっただけだし…(-_-

かねてから、「作り出した人」と「居合わせた人」はまったく異なると考えています。
居合わせただけの人の談話は、やはり相応の内容でしかないと思ってしまいます…
スミマセン、生意気ですね(^^;

[ 2019/11/21 22:38 ] 書籍・雑誌 | TB(-) | CM(4)

《再掲》 ヒーロー立像型自販機


2016年10月10日投稿の再掲載です。




 ヒーロー立像型自販機 



ブルマァクミニミニ怪獣を取り上げた際、初期の販売経路は帰ってきたウルトラマンの立像型自販機だったことに触れました。

ブルマァクのヒーロー立像は新マン自販機と自販機機能のないミラーマンディスプレイが確認されています。
トリプルファイター自販機も存在していますが、ブルマァクによる展開だったのかは未確認です。



同時期にタカトクも、同じタイプのヒーロー立像型自販機を展開しています。画像はトイジャーナル1973年1月号(東京玩具人形問屋協同組合)より。
ブルマァクと同じ造形の新マン・ミラーマンをはじめさまざまなヒーローの立像型自販機が存在しています。

これらのヒーロー立像は上掲の両画像に記載のある日本娯楽機株式会社が製造元となっており、同社は電動ムーバーなどの遊具を生産・販売する会社だったようです。



画像は毎日グラフ1972年9月10日号より、日本娯楽機の工場内と思われる写真です。
いずれも自販機タイプのウルトラマンエースとバロム1が量産されています。
バロム1はボディが緑とカーキの2種が作られているのがわかります。



こちらは同工場で出荷を待つムーバー用パーツの写真。
ヒーロー立像も基本的にはこうした遊具の一環として日本娯楽機が制作したもので、ブルマァクやタカトクは自社の玩具販売を目的に同社と提携していたのでしょう。
自販機機能のないタイプは、他の遊具と同様に遊園地やデパートなどにもディスプレイとして販売されていたと思われます。

自販機立像にはブルマァク・タカトクが商品展開していない突撃!ヒューマンも存在しているそうなので、日本娯楽機と手を組んだ玩具会社は両社だけではなかったようです。
ただしヒューマンのメインスポンサーだったヨネザワがカプセル用のヒューマン玩具を制作・販売していたのかは未確認です。

または日本娯楽機は純粋に「自販機」としてヒーロー立像を販売し、カプセルに入れる玩具は購入業者がヒーローに関係なく自前で用意するような場合もあったのかもしれません。

ヒーロー自販機は耐久性が高いので、そのヒーローの放送終了後にも稼働している場合には例えば新マン自販機からエースのオモチャが出てくるとか、ライダー1号自販機からV3のオモチャが出てくるようなケースは当然あったと考えられます。
その意味では、立像のヒーローと出てくるオモチャが必ずしも一致していないことも珍しくはなかった可能性があり、極端な場合にはヒーローとは無関係なノンキャラクターの駄玩具が出てくることもあったのではないかとも想像されます。
ヒューマンの自販機で売られたのが必ずヒューマンのオモチャだったのかどうかは、わかりません。






タカトク・ジャンボキャラクターで販売されたカプセル玩具の現物、仮面ライダーと帰ってきたウルトラマンです。



直径75ミリほどのカプセルは片側にタカトクの刻印があります。


カプセルの合わせ目はセロテープで封をされ、版権証紙とSTマークが貼られています。
画像は帰ってきた~のSTマークで、ナンバーは72年の発売を示しています。
表示の社名は「栄進堂」となっており、おそらくタカトクの下請けのようなかたちで玩具制作を担当していたものと思われます。
栄進堂の自社発売玩具としてはアイアンキングミニ人形の台紙パックセットなどが存在しています。



帰ってきた~カプセルの内容物全容。
ミニ人形2個、プラ製コマ3個、6枚つづりのシールで構成されています。



こちらはライダーの内容物ですが、中古で入手したので新品状態がこの通りだったのかは断定できません。
帰ってきた~より小さめのミニ人形が3個、プラ製バッヂ(安全ピン付き)が3個、そして6枚つづりのシール。
イラストの作者は関口猪一郎氏ではないかと推測しています。



ウルトラ系ミニ人形、向かって左からアーストロン、ウルトラセブン、初代ウルトラマン、ゾフィ、ゴルバゴス。
怪獣は金型からの抜きの関係で平べったい造形になっています。


同様に仮面ライダー、アリキメデス、モグラング。


同じシリーズと思われるキカイダーミニ人形、画像の現物はタカトクの台紙セット玩具に同梱されていたもの。
左からグリーンマンティス、グレイサイキング、キカイダー、オレンジアント、ブルーバッファロー。
他にも同タイプのミニ人形にはシルバー仮面やバロム1も存在しています。

これらのタカトク製ミニ人形は、いかにも駄玩具然とした荒い造形が特徴となっていてちょっと残念です。



同時期のブルマァクミニミニ怪獣と同一キャラクターで比較してみると、その違いは一目瞭然です……




立像化されたヒーローは、1971年放送の仮面ライダーと帰ってきたウルトラマンに始まって翌72年度までに登場したものに集中しています。
73年度のヒーロー立像はウルトラマンタロウのみで、その生産数はきわめて少なかったようです。

また1966~67年の第一次怪獣ブームではこうした立像やムーバーなどは存在しなかったようです(一部アニメキャラクターのムーバーのみ確認されています)。
なぜ第二次怪獣ブームのこの時期にだけヒーロー立像が作られたのでしょうか。

理由のひとつとして考えられるのは、当時の社会環境の変化です。
玩具業界は戦後一貫して輸出産業として成長していましたが、1971~73年には円の切り上げから変動相場制への移行が起こっており、国内需要に軸足を移さざるを得ない状況に追い込まれていたようです。
昭和30年代まではまだまだ貧しかった日本の一般家庭も40年代後半にはかなり豊かになってきていたことも、国内重視の方針を後押ししたと思われます。

オモチャを国内でこれまで以上に売っていこうとした時、児童間では第二次怪獣ブームの嵐が吹き荒れていたのでその流れに乗って、勢い余ってヒーロー立像のような高額品まで登場したのかもしれません。

とはいえ高額で耐久性も高いヒーロー立像は、個人経営の玩具店などは2台3台と導入できるものではありません。
72年度までは勢いまかせで商品数を増やしたもののやがて上限に達してしまい、73年度以降はほとんど新規展開できなくなったのではないでしょうか。
73年度後半以降の石油危機もさらなるマイナス要因になったと思われます。


1972年前後の特撮ヒーローがずらりと揃ったヒーロー立像は、毎日複数の特撮番組が放送されていた変身ブームの空前絶後の熱狂の記憶とも重なって、特定世代にとっては忘れがたい存在になっています。


[ 2019/11/21 00:37 ] チープトイ チープトイ | TB(-) | CM(0)

《再掲》ブルマァクミニミニ怪獣2


2016年6月26日投稿の再掲載です。




ブルマァクミニミニ怪獣2




ブルマァクが1971年から発売した5cmほどのウルトラミニミニ怪獣シリーズについて、前回の続きです。




販売形態が多様なので便宜的に六つのタイプに大別してみました。

Aタイプ……ブルマァク無塗装
Bタイプ……ブルマァク塗装済み
Cタイプ……ブルマァク消しゴム
Dタイプ……丸越?消しゴム
Eタイプ……セアーズ磁石版
Fタイプ……詳細不明

上記6タイプのうち、今回はC~Fタイプについて取り上げます。




Cタイプ



1975年にミニミニ怪獣をいわゆる「消しゴム」の材質で成型し、主に駄菓子屋や文具店などのルートで流通したと思われるタイプ。
刻印などに変更はなく、同時期にミラーマン怪獣や東宝怪獣も同様に消しゴム化されています。



単体で袋入り、紙ヘッダー付きの仕様です。


本体成型色は画像の5色以外にも存在する可能性があります。


ヘッダーは2種類確認していますが、どのように使い分けられていたのかは不明です。
記載されたSTナンバーはどちらも同じで1975年発売を示しています。


写真ヘッダーには50と書かれているので価格は50円だったと思われます。
なお、A・Bタイプで確認された24種類のすべてが消しゴムになっているかどうかは未確認です。




Dタイプ



ブルマァク倒産後の1978年に丸越?から発売されたもので、Cタイプと同じ消しゴム人形です。
袋入り、ガチャガチャ、バラ売りなどさまざまな形態で流通していたようです。
画像の6色に茶色を加えた7色が確認されています。


これが茶色の現物です。
ブルマァクで作られた24種類すべてが存在するのかどうかはわかりません。



本体背中の刻印はブルマァクの社名が消され、新たに怪獣名が入れられているのでCタイプと区別できます。
ただし怪獣名の刻印が無いもの(モグネズンなど)もあり、社名の刻印はありません。


また、本来プラ成型のために作られた金型でそのままゴム成型を行っているため、成型品を型からはずす突き出しピンが本体を深くえぐってしまっている部分が見受けられます。
画像はキングジョー脚部の突き出しピンの跡、向かって左がBタイプ、右がDタイプです。



当ブログではDタイプは画像のような2体セットの袋入りを確認しています。
同梱された小サイズの消しゴムは、怪獣にはポピーの、ヒーローには(P)の刻印があります。
この消しゴムを発売したのはポピーなのでしょうか?


ヘッダーには会社名表記はありませんがやはり(P)マークがあり、イラストはポピーのキングザウルスシリーズと同じものです。
同梱のミニカタログにも社名表記はないもののキングザウルスシリーズの写真が使用されています。


2体セットが40個入った大箱がこちら、やはり会社名表記は無く(P)マークのみです。
デザインや使用されている写真はキングザウルスウルトラマンの台紙に酷似しています。


箱側面にはNO.50  40個入と表記され、価格は50円だったようです。


この時期の(P)マークは、ポピーによる販売権の許諾を意味しているようです。
これは本来ならポピーが販売権を持つ範囲の商品であっても、流通や価格などの条件がポピーとバッティングしない場合には他社に限定的な販売権を許諾するというような意味合いだと思われます。

この怪獣消しゴムの場合には、玩具店流通のセット売り商品(怪獣カセットや怪獣コレクション112など)はポピーが自社展開するが、駄菓子屋などでのバラ売りやガチャガチャなどの低価格品については他社に販売権を許諾し、商品自体の供給も行っていたものと考えられます。
画像の2体セット同梱の小サイズがポピー製であることやデザイン素材がポピー製品と共通しているのはこうした連携事情によるものと想像されます。

では、ポピーから許諾を受けてこの怪獣消しゴムを販売していたのはどんな会社なのでしょうか?
一般的にはそれは「丸越」とされているようですが、この商品についてはこれ以上の手がかりはないので判断しかねる状態です。
この2体セットが丸越製とわかる論拠をご存知の方はご教示いただけたらと思います。




Eタイプ


セアーズという会社から発売された、磁力を帯びた素材で成型されたタイプ。
元ブルマァク経営陣の一人だったいしづき三郎氏が企画した製品です。

背中の刻印はDタイプと同じになっており、1979~80年ころ以降の発売のようです。
「磁力戦」の名称でセット売り、袋入り、ガチャガチャなどさまざまな形態で販売されており、同シリーズには画像向かって右のウルトラマンのようにブルマァク型以外のものも存在しています。


セット売りの一例、ウルトラマン磁力戦DXセット。
他にもより豪華なケース型の「ウルトラマン怪獣軍団36磁力戦」など、さまざまなセットがあるようです。


素材の特性か、角などの細部は欠けやすいようです。
塗装色はメタリックの赤・青・黄・緑・銀の5色。
ブルマァク流用怪獣は14種類を確認していますが、全24種が存在するのかはわかりません。




Fタイプ


消しゴムではなく、艶のある通常のゴム素材で成型されているタイプ。
背中の刻印はD・Eタイプと同じなので、それらと同時期かそれ以降の流通と思われます。
画像はレオ関連だけですがカネゴンやバルタンも存在しており、他に赤の成型色も確認されています。

ガチャガチャなどで販売されていたようにも思えますが、詳細不明です。
販売状況などをご存知の方はご教示いただけたらと思います。




以上のように、ミニミニ怪獣はブルマァク時代もその倒産後もたいへん多様な形態で流通しており、全容の把握はなかなか困難なようです。




個人的には、71年の発売当初に初めて手にした時に、小サイズにもかかわらず非常に丁寧で質の高い造形であることが印象的でした。
カネゴンやバルタン星人などは、全体のバランスはソフト人形にならった玩具的なものですが彫刻自体はきわめてシャープで丁寧な造形です。
マット隊員は当時のスケールモデルにも引けを取らないリアルさだし、グドンやサドラーのかっこよさも格別なものと感じます。

ミニミニ怪獣の初期ラインナップは、同時期のポピーやタカトクなどの競合品とは一線を画す完成度でした。
また、美研のスケールモデル怪獣のようなリアルさの追求ではなく、オモチャとしての品の良さを守った範囲で高い完成度を目指している姿勢が好ましく思えます。

こうした方向性は、1978年以後の多くの怪獣消しゴムやHGシリーズ以降のリアル指向とは異なるもので、ブルマァク独自の魅力だったと思います。




参考

ブルマァクがウルトラと同時期に展開していた他作品のミニミニ怪獣も挙げておきます。


ミラーマンシリーズ、1971年末~72年の発売と思われます。塗装済みのBタイプは確認されていません。
ダークロン、マルチ、キティファイヤーは完成度の高さが驚異的です。



東宝怪獣シリーズ、1974~75年の発売と思われます。
中央の青いゴジラはAタイプ、モゲラはBタイプ、その他はCタイプの消しゴムです。





[ 2019/11/20 00:01 ] チープトイ チープトイ | TB(-) | CM(0)

《再掲》ブルマァクミニミニ怪獣1


2016年6月25日投稿の再掲載です。




ブルマァクミニミニ怪獣1




ブルマァクが1971年から発売したミニミニ怪獣シリーズ。
5cmほどのサイズでワンパーツ、ムク成型の怪獣人形で、ウルトラ怪獣、ミラーマン、東宝怪獣、冒険ロックバットの4シリーズが展開されたようです。
今回はこれらのうちウルトラシリーズのものを取り上げます。




ウルトラのミニミニ怪獣はさまざまな形態で販売され、ブルマァク倒産後も他社が金型を引き継いで生産を続けたため多くのバリエーションが存在しています。
当ブログではキャラクターとしては以下の24種を確認しています。



ウルトラQよりカネゴン。背面の(C)円谷プロ、ブルマァクの刻印は以下の怪獣もすべて同様です。



ウルトラマンよりウルトラマン、バルタン星人、メフィラス星人。
ウルトラマンとバルタンの造形はスタンダードサイズソフト人形によく似ています。
メフィラスはおかしなところに目玉?が描かれています。



ウルトラセブンより、セブンとキングジョー。



以下は帰ってきたウルトラマンより、マット隊員、タッコング、サドラー、デットン(あるいはテレスドン?)。


グドン、ツインテール、ゴーストロン、ダンガー。


ゴルバゴス、モグネズン、シーゴラス、ゴキネズラ。
ウルトラQから帰ってきた~までの怪獣は緻密でシャープな出来のものが多いですが、デットン・モグネズン・シーゴラス・ゴキネズラはやや大味な造形です。
これらは別の原型師が担当しているように思えるので、二次発売分としてあとから追加された可能性が考えられるかもしれません。



1974年のウルトラマンレオ放映時に追加された6体、レオ、カーリー星人、カネドラス。


ロン、ベキラ、ギロ星獣。




以上24種類のキャラクターが、さまざまな仕様・形態で販売されています。
今回は仮に六つのタイプに大別してみました。



Aタイプ……ブルマァク無塗装
Bタイプ……ブルマァク塗装済み
Cタイプ……ブルマァク消しゴム
Dタイプ……丸越?消しゴム
Eタイプ……セアーズ磁石版
Fタイプ……詳細不明

以下、各タイプごとに詳しく見てみます。




Aタイプ


最初に発売された硬質プラ製で無塗装のタイプ、赤・青・黄・緑・黄緑の5色が確認されています。
販売時期によって赤・黄・緑にはそれぞれ色の明るいものと濃いものがあるようです。



Aタイプの流通経路は多岐にわたっていますが、当初の単独での販売はカプセル自販機だったようです。
画像はブルマァクのチラシの復刻版(ブルマァクコレクションボックス同梱)より、この時点では「ミニ怪獣」シリーズという名称になっています。

この時期のヒーロー立像型カプセル自販機は「タカトクのジャンボキャラクター」と紹介されるケースが多いですが、帰ってきた~に関しては同じ筐体をブルマァクも使用していたことがわかります。
これはブルマァクとタカトクが、チラシに記載のある日本娯楽機という会社と個別に契約してそれぞれに商品展開していたと考えれば不自然ではありません。
のちのミラーマンでも同じ立像をブルマァクは展示用、タカトクは自販機として使用していました。


ブルマァクのカプセルの現物は手元にないので、タカトク版のカプセルを使って販売状態を再現してみました。
画像では6体入れていますがまだ余裕があり、実際に何体入っていたのかはわかりません。
価格も不明ですが、タカトク版が100円だったのは確認済みなのでおそらく100円と思われます。

1971年に私が初めて手にしたミニミニ怪獣はこのカプセル商品でした。
東京に旅行に行った親戚から、お土産として兄とひとつづつもらったことを憶えています。
画像の緑のカネゴンはそのころからずっと手元にあるものです(^^



同時期にAタイプは画像のような金庫や貯金箱の付属品としても同梱されています。
画像はコレクションボックス同梱の復刻カタログより。
また、アルバムと大判ブロマイドとミニミニ怪獣4体をセットにしたちょっと変わった商品もありました。

他に、ブルマァク製のウルトラメカなどのプラモデルにサービスとして同梱された可能性もあります(ミラーマンのミニ怪獣は同梱が確認されています)。



1972年にはプラケース入りのセット品も発売されています。
画像のセットにはウルトラマンAのスーパーボール3個とミニミニ怪獣5体(うち1個はミラーマン怪獣)、ミニソフト人形のカタログが同梱されています。


こちらのセットはミニ怪獣12体と東京タワー、ミニカタログが同梱されたもの。


商品全容、カタログはなぜか2冊入っていました。
ウルトラマンレオの怪獣が含まれているので製造は1974年以降ですが、STナンバーは1972年になっているので発売自体は72年と思われます。
そのためかエースの証紙が貼られています。


こちらのセットは中古状態で入手したので詳細不明ですが、ミニ怪獣10体が入っています。
帰ってきた~の証紙が貼られているので71年に発売されたものかもしれません。


これらのセットを並べてみると、中古のもののみフタパーツの厚みが小さくなっています。



1974年には台紙パックのセット品が発売されました。
人形の色調や質感は上記のタワーセット同梱品と同じで、74年生産分は全体に明るい印象です。
黄緑成型は74年から導入されたようです。




他に、Aタイプは他社の食器のオマケにも使用されています。
メーカーは新潟の布施洋食器工業で、円が三つ並んだ社標からミツワマァクが通称だったようです。
「マーク」ではなく「マァク」としているのは、当時破竹の勢いだったブルマァクにあやかっているのでしょうか?
同じシリーズの帰ってきた~の丸皿にも怪獣2体付きのものが確認されています。

ミラーマンはまだしも、おはよう!こどもショーにまでウルトラ怪獣を付けているのはやりすぎ感があります。
これも当時の第二次怪獣ブームの勢いと、版権事情のゆるやかさの結果でしょうか。




Bタイプ


やや軟質の素材に塗装が施されたタイプ。
1974年のウルトラマンレオ放送時の発売と思われます。



Bタイプは「18点ミニミニウルトラ怪獣軍団」というセット売り専用だったようです。
画像は復刻カタログのもので帰ってきた~までの18点が入っていますが、実際に販売されたものはレオ関連の6種が含まれていたものが確認されています。


またレオの6種はアクションレオという可動人形にも同梱されており、そのためか彩色パターンのバリエーションも存在しています。
画像は復刻カタログより。



Bタイプの彩色バリエーション、カネドラス。


カーリー星人。


ロン、向かって右は角が欠損しています。


ベキラ。


ギロ星獣は他4種のような大きなパターン違いは未発見ですが、画像左はゴールドスプレー、右の触角欠損個体は黄色のスプレーになっています。


レオ怪獣以外のBタイプにも、微妙なバリエーションが存在しています。


画像のバルタン星人は成型色のグリーンの色調が微妙に異なっています。
同じパターンはカネゴンにも存在しています。


キングジョーも同様で、さらにスプレー色に赤と茶の違いが見られます。


モグネズンは赤い成型色の色調が大きく異なっています(向かって左は落書きあり)。



また、ゴキネズラとデットンは東宝怪獣の「ミニミニ怪獣18セット」にも同梱されており、そちらは水色成型だったようです。
画像は怪獣・ヒーローお宝鑑定カタログ1998年版(朝日ソノラマ)より。




C~Fタイプについては次回取り上げます。



[ 2019/11/19 00:14 ] チープトイ チープトイ | TB(-) | CM(0)

《再掲》ブルゲイターの謎


2011年5月27日投稿の再掲載です。




ブルゲイターの謎
 
 

平凡出版の雑誌POPEYE1978年3月10号(発売は2月25日)。
表紙の下部に「SuperMetal こんなスゴイ物を子供に独占させるな!」との表記があります。
 
 

SuperMetalとは超合金を意味しており、この号では5ページにわたって合金玩具の特集記事が掲載されています。
1978年2月という時期を考えると、児童向け以外の出版物で合金玩具に注目した記事としては最初期のものと思われます。
超合金は発売から4年が経過して変型合体ギミックや完成度が急上昇していたころで、最新・最先端の合金玩具としてボルテスVのボルトインボックスが紹介されています。
 
 

特集ではポピーへの取材も行われており、貴重なデザイン画や図面が掲載されています。
 
本文には「ニューヨークに出来た日本の合金トイ専門店が大人にも人気」との記述があり、この現象を先端的でかっこいいものと捉え、逆輸入的に紹介するのがこの記事の狙いのようです。
 
欧米圏にはミニカーコレクションなどの文化が根付いているため、輸出された超合金やポピニカに一部のマニアが反応していたのではないかと思われます。
こうした状況を受け、マーベルコミックスで「ショーグンウォリアーズ」というライディーン・コンバトラーV・ダンガードAのオリジナル漫画が展開され、超合金やジャンボマシンダー、プラモデルなど多くの商品が「ショーグン~」のブランドで発売されました。 
 
 

ずらりと並んだ合金たちが圧巻の見開き写真。印刷精度が低いのが残念です。
「絶版品も多いので集めるなら急げ」というあおり文が付されており、ポピー、タカラ、タカトク、タケミの電話番号が記載されています。
 
ジンクロンメカゴジラはブルマァクのメーカー表記はあるものの電話番号不詳とされています。
ブルマァクは前年12月に倒産しており、流通在庫の商品は残っていてもメーカーは存在しないという微妙な時期だったことがうかがわれます。
 


 

 
この写真には超合体魔術ロボ ギンガイザーの3体のロボットが含まれているのが注目されます。
これらはタケミのビッガー合金シリーズで、グランファイター2300円、ブルゲイター2500円、スピンランサー2100円との価格も記載されています。
 
タケミのビッガー合金ギンガイザーシリーズは、価格帯の低い順に以下のようなラインナップでした。
POPEYEの写真に写っているのは価格からしてデラックス合金のようです。
 
  ミニ合体合金      グランファイター、ブルゲイター、スピンランサー
  スタンダード合金    グランファイター、ブルゲイター、スピンランサー
  デラックス合体合金  グランファイターブルゲイタースピンランサー
  超デラックス合体合金 グランファイター
 
これらのうちで示した3体を合体させるとギンガイザーの超常スマッシュ形態が再現できる仕様でした。
また、で示したグランファイターとスピンランサーはスタンダードとデラックスでロボット本体は共用されており、違いは変型用パーツの付属の有無だけです。
 
現在ウェブや書籍で確認できる情報では、ブルゲイターのデラックス合金とグランファイターの超デラックス合金は予告止まりで発売には至らず、放送当時の合金玩具では超常スマッシュは再現できなかったとされているようです。
ブルゲイターについては、他の2体の関節構造などが変型を前提としているのに対し、スタンダード合金ブルゲイターにはそうした要素がまったく無いことが「デラックスは未発売」の傍証とされているようです。
 
 

ここで問題になるのが写真のブルゲイターです。
このブルゲイターはスタンダード合金(ウェブで画像確認できます)とはまったく異なる形状で、他の2体と比較するとひとまわりほど大きいことがわかります。
記事に書かれた2500円という価格からも、デラックス合金と考えられると思います。
 
ブルゲイターは変型時に胴体が左右に分離しますが、上の画像の腰パーツにはそれをうかがわせる分割ラインが見えます。
胸部のオレンジパーツには分割線がないようですが、頭部と胸部をはずして変型させる構造だとすれば、胸部パーツで左右の胴体を固定しているのかもしれません。
 
当時のカタログなどに掲載されたデラックス合金ブルゲイターの試作品を見ると、超常スマッシュ形態では頭部・胸部パーツが付いていないのがわかります。
また、頭部の造形や、胴体が小さく腕部が大きいスタイルも画像のものと試作品はよく似ています。
 

 
この見開き写真に並べられている玩具は、ブルゲイター以外はどれも実際に店頭に並んだ市販品のように見えます。
POPEYEの特集自体、児童誌などの懸賞がらみの企画とは性質の異なるものなので、この企画のためにわざわざ放映終了作品の試作品が提供されたとは考えにくいのではないでしょうか(ギンガイザーの放映は1977年4月から10月まで)。
 
以上のように考えると、POPEYE掲載のブルゲイターは実際に市販されたデラックス合金である可能性があるのですが、当ブログでは真相を確認する術はありません。
 
 
はたしてデラックス合金ブルゲイターは本当に未発売だったのでしょうか。
そして、超デラックス合金グランファイターは……?
 
[ 2019/11/18 00:03 ] 書籍・雑誌 | TB(-) | CM(0)

《再掲》クローバーのガンダム3


2010年9月13日投稿の再掲載です。




クローバーのガンダム その3
 
合金ガンダムについて、バージョン違いなどの情報を補足しておきます。
 
 
ダイカストDXガンダム
 

内部のスチロールトレイの画像。左下に入っているのは紙製シールです。ミサイル類は本来はランナー状態で同梱されていたと思われます。
 

DXガンダムのパッケージは2種類確認されています。「DX」の文字が表記され、背景にグラデーション処理が追加されたものが後期生産分だったようです。
DXガンダムは映画公開時には再生産されず、本放送期間のみの販売でした。
 

また、DXガンダムとガンダム基本体は箱デザインがまったく同じになっています。
 

デザインを同じにしても「まぎらわしい」というデメリットが発生するだけで特に利点は無いように思えますが、クローバーはなぜかこの手法をよく採用しており、合金ダンバインや再版ザンボット3なども共通デザインになっていました。
 

CMで強調されていたリングミサイル。頭部を後ろに倒して円盤状の弾丸を入れ、背中のレバーで連続発射します。作品とはまったく無関係なギミックで、2700円もする合金玩具の「売り」としては魅力の弱いものでした。
 
例えば、ほぼ同時期に店頭に並んでいたDX超合金レオパルドンは映像通りの変形ギミックを再現して2800円ですから、さしたるギミックの無いDXガンダムが子供に選ばれなかったとしても当然かもしれません。
 

ガンダム基本体
 

スチロールトレイの画像。ビームサ-ベルは2本付属しています。
 

画像向かって右のジャンク品は映画公開時の再版です。
初版はメッキや派手な色彩で映像イメージとかけ離れたものでしたが、再版では映像中の「白いモビルスーツ」に近づけようとしているのは興味深い変化です。箱絵も一新されています。
 
映画公開時にはガンダム基本体をプラモデルのような未塗装・未組み立てのキット状態にしたDIECAST MODELという商品も販売されました。
 

バリエーションガンダム
 

バリエーションガンダムのプラ部品は、画像の個体のような黄色のほかに箱写真のような赤成型のものもあります。生産時期の違いなどは未確認です。
また、バリエーションシリーズの単品売りには透明カプセルに入った「バリヤーパワー」(各1000円)という形態もあったそうです。
 


 
ガンダム終了後、3ヶ月の期間をおいて富野監督の次回作伝説巨神イデオンがトミー提供枠でスタートします。メカデザインの大河原氏の実質的なガンダム後継作品は翌1981年タカラ提供の太陽の牙ダグラムでしょうか。キャラクターデザイン安彦氏は、84年放送のタカラ提供巨神ゴーグがガンダムに続くロボットアニメということになります。
 
これらの主要玩具についてもいずれ取り上げたいと考えています。
 
[ 2019/11/17 00:36 ] 合金 クローバー | TB(-) | CM(0)

《再掲》クローバーのガンダム2


2010年8月29日投稿の再掲載です。




クローバーのガンダム その2
 

 
機動戦士ガンダムの本放送当時、メインスポンサークローバーの玩具が売れ行き不振だったことは前回触れました。
ザンボット3・ダイターン3では好調だった売れ行きがガンダムでは落ち込んでしまったのはなぜでしょうか。
原因のひとつとしてクローバーの製品ラインナップに問題があったのではないかと考えられるため、本項では前2作と比較して具体的に検証してみます。
 
なおガンダムDX合体セット(および合体セット)は売れ行き不振という状況が明確化してから対策として投入された製品であり、売り上げは良好だったのでここでは対象外とします。


ザンボット3の玩具
 

ザンボット3の特徴はザンバード・ザンブル・ザンベースの3機のメカが合体して巨大ロボットになることです。
さらにザンバードのみ小型ロボ・ザンボエースに変形する要素が付加されています。
発売された主要商品は以下の通りです。
 
1. ギミック無しのザンボット3基本体 1900
2. ギミック無しのザンボエース 1300
3. 簡易ギミックの廉価セット・コンビネーションプログラムジュニア 2300
4. ギミック再現のザンバード=ザンボエース 1800
5. ギミック再現のザンブル 2300
6. ギミック再現のザンベース 2400
7. 4~6の大箱セット・コンビネーションプログラム 6500
 
色分けで示したように、これらは価格・ギミック別に三つのラインに大別されます。
ユーザーの立場で考えると、予算が少なければギミックをあきらめて基本体、多少の余裕があれば廉価セットまたはデラックスの単品版、誕生日や年末年始時期などは大箱セットという具合に選択でき、極めて明快なラインナップといえそうです。
 
 
ダイターン3の玩具
 

 ダイターン3の特徴は単体でロボット・戦闘機・戦車に三段変形することで、付加要素としてコクピットになる変形マシン・マッハアタッカーが加えられています。
主要商品は以下の通りです。
 
1. ギミック無しのダイターン3基本体 1400
2. ギミック無しのマッハアタッカー 1300
3. 簡易ギミックのプッシュダイターン3 2500位?
4. ギミック再現のデラックスダイターン3 3500
5. ギミック再現のデラックスマッハアタッカー 1950
6. ギミック再現+電動の大箱セット・ダイターン3電動巨大セット 7500位?
 
ダイターンの場合はデラックスが3500円と中価格帯におさめられていたため、年末商戦向けの高額玩具として電動巨大セットが追加投入されたようです。 
それ以外はザンボット同様の三つのラインを踏襲しており、明快な商品選択ができるようになっています。


予想されるガンダムの玩具
 
ガンダムの特徴はコアファイターが変形したコアブロックを中心に上半身Aパーツと下半身Bパーツが合体することで、同じシステムを共有する味方ロボットが3体登場します(ガンダム・ガンキャノン・ガンタンク)。
これに付加要素として基地となる母艦、ホワイトベースが加えられています。
ザンボットとダイターンを参考に、主要商品を予想してみるとおおむね次のようになるのではないでしょうか。
 
1. ギミック無しのガンダム基本体
2. ギミック無しのガンキャノン基本体
3. ギミック無しのガンタンク基本体
4. ホワイトベース(小)
5. 簡易ギミックの廉価セット
6. ギミック再現のDXガンダム
7. ギミック再現のDXガンキャノン
8. ギミック再現のDXガンタンク
9. 6~8の大箱セット
10・ ホワイトベース(大)
 
上記の場合、基本体を選んでも味方ロボ3体はそろえられるし、デラックスを集めればさらに各ロボットのA・Bパーツの組み替え遊びも期待できます。
 
では、実際にクローバーが発売したラインナップはどうだったのでしょうか。


実際のガンダムの玩具
 

クローバーの主要ガンダム玩具は以下の通りでした。
 
1. ギミック無しのガンダム基本体 1550
2. ギミック無しのDXガンダム 2700
3. ギミック無しのガンタンク(DXサイズ) 2200
4. 脚部のみ取替え可能なバリエーションガンダム 980
5. 脚部のみ取替え可能なバリエーションガンキャノン 980
6. 脚部のみ取替え可能なバリエーションガンタンク 980
7. 4と5のセット・バリエーションコンビ2 2000?
8. 4~6のセット・バリエーション合体3 3000?
9. 簡易ギミックの廉価セット・コンビネーションジュニア 2500
10.簡易ギミックのABSガンダム 2300
11.ゼンマイ動力の歩行ガンダム 1800
12.コアファイター 1950
13.ホワイトベース(DXサイズ) 3500
 
前2作のラインナップとは大きく異なっているのがわかります。
 

1のガンダム基本体の現物がこちら。特に腰部の表現に難があります。
同サイズのガンキャノン、ガンタンクは発売されていません。
 

テレビで宣伝されたメイン商品は2と3ですが、これらは単体で二千円以上という高めの価格にもかかわらずコアブロックギミックが再現されていません。
しかも同サイズのガンキャノンは発売されなかったため味方ロボ3体を並べることもできないという、ひどく中途半端な内容でした。
 

4~8のバリエーションというシリーズの、ガンダムの現物がこちら。合金玩具としては低価格なため形状・可動ともいまひとつの印象です。

このシリーズは脚部のみ交換可能になっていますが、腰の部分はそのままなのでコアブロックギミックとは似て非なるものになっています。このギミックはオリオン製のチープトイ「ミニ合金シリーズ」と同じだったため、「形状やギミックに大差がないなら安いミニ合金で済ませてしまおう」と考えるユーザーも少なくなかったと思われます。
個人的には店頭でバリエーションガンタンクの単品売りは見たことがなく、確実に3体そろえられるかわからない状況では購入意欲が湧きませんでした。
 
 
9のコンビネーションジュニアは唯一コアブロックシステムを再現していましたが、ロボット1体あたりは700円程度に相当し、本格的な合金玩具というよりチープトイの延長のような内容でした。
 
10のABSガンダムはポピーのプラデラなどに相当するプラ玩具です。コアファイターの変形を省略した簡易ギミックのほか武器が豊富に付属するなどまずまずの内容ですが、合金玩具でないのに単体で2300円は高めに感じます。同シリーズでガンキャノンやガンタンクは発売されておらず拡張性が無いのも残念でした。
 
11の歩行ガンダムはブリキロボットを思わせる動力玩具です。前2作ではベル付きの三輪車にロボットを乗せた玩具が発売されており、そのラインを継承しての商品化と思われますが、高額なうえほとんどガンダムに見えない形状の動力玩具にどれほどの需要があったのかは不明です。
 
12のコアファイターは形状・ギミックともによくできた傑作ですが、合体すべきロボットが無いというのが致命的でした。
13のホワイトベースも出来はいいのですが、他の玩具との連動要素がなにも無いため商品的な魅力が薄く感じられます。また、たいていの場合ははじめにロボットを手に入れ、次に基地を買うという購入順序ですから、肝心のロボットが売れなくては価格の高い基地の売り上げも伸びません。
 
 
なお、本放送当時に北関東の地方都市の店頭ではバリエーションのセット売りやコンビネーションジュニア、ABSガンダムはほとんど見た記憶がありません。多くの売り場で目にしたのは1,2,4,5,12などで、それらの大半は放送終了ころまで売れ残っていたようでした。


 

以上のように、クローバーの発売したガンダム玩具はギミックや拡張性に乏しい、魅力の薄いものが多かったようです。特にコアブロックシステムがきちんと活かされた合金玩具が存在しないのは最大の失敗要因だったと思われます。
さらに、商品内容に明確な区別のない玩具が複数発売されているため、ユーザーの混乱を招いた面もあったようです。
 

例えば合金ガンダムを欲しいと思った場合には1,2,4の3種がありますが、これらは合体ギミック再現が無い点は共通していて商品特性に明確な差異がなく、ユーザーはどれにするか迷います。
1や2を選んだ場合は同サイズで味方ロボ3体をそろえることができないのでがっかりですし、4は形状や可動がいまひとつです。結局どれを選んでも作品中の合体や味方ロボット3体を並べることができなそうなので購入を躊躇する可能性も考えられます。
 

 
ガンダムの放送当時の競合作品は未来ロボダルタニアス、バトルフィーバーJ,スタージンガー、メガロマンなどで、さらにウルトラマン・仮面ライダー・ガッチャマンがリバイバルと新作の両面で多くの商品を展開しており、玩具売り場にはソフト人形から合金までさまざまな商品がひしめいていました。
こうしたなかで、合体ギミックの再現が無いうえ種類も不明瞭で割高な印象のガンダム商品が苦戦したのは無理からぬことだったかもしれません。
 
後半に追加投入されたDX合体セットが好成績を上げたのは、Gファイターというギミック拡張の新要素以前に、設定通りに合体する合金ガンダムがようやく発売されたという意味合いも大きかったのではないでしょうか。



 
ザンボット3・ダイターン3では価格・ギミックの両面できわめて明快な製品ラインナップだったクローバーが、ガンダムではなぜかギミック無しで特徴のはっきりしない商品ばかりを乱発しています。
また、DXサイズのガンキャノンは初期のクローバーのカタログにも掲載されておらず、当初から発売するつもりがなかったようです。
なぜこのような展開になったのか、理由はまったく不明で、不思議でなりません。
 
クローバーはザンボット3で初めて合金玩具を手がけ、まずまずの結果を残しています。続くダイターン3も好評で、ザンボットの150%程度の成績だったようです。
こうした好調の波の中、3作目のガンダムでは「売れて当然」という意識に変わっていたのかもしれません。
 
「どうせ売れるのだから、開発が大変な合体ギミックはそこそこにして、楽に開発できる単品ものを高めの価格設定でたくさん作ればますます儲かるぞ」……とでも考えたのでしょうか?
 
真相はわかりませんが、ユーザー側からすれば「ガンダムは好きだけど欲しいと思える玩具が無い」という状況だったのは事実で、ラインナップの迷走は売れ行き不振の一因になったのではないでしょうか。
DX合体セットだけがよく売れたのはユーザーにとって唯一の「欲しいと思える内容の玩具」だったから、と考えればつじつまは合います。
 

以上の内容には個人的な想像が多く含まれており、確定した事実ではないことをご理解ください。
 
(その3に続きます)
 
[ 2019/11/16 00:05 ] 合金 クローバー | TB(-) | CM(2)

《再掲》クローバーのガンダム1


2010年8月22日投稿の再掲載です。




クローバーのガンダム その1
 

 
1979年放映の機動戦士ガンダムは、無敵超人ザンボット3無敵鋼人ダイターン3に続く日本サンライズのオリジナルロボットアニメ第3弾でした。
いずれも玩具会社のクローバーがメインスポンサーとなっており、ザンボット3(1977・全23話)・ダイターン3(1978・全40話)の玩具の好調を受けてガンダムは全52話(一年間)の予定で放送をスタートしました。
 
ところがガンダムの玩具は予想外の不振で売り上げが低迷し、そのため43話に短縮されて放送打ち切りとなります。
ガンダムの後番組の無敵ロボトライダーG7最強ロボダイオージャなどは一年の放送期間を全うしており、一連のシリーズでガンダムの玩具だけが深刻な不調だったようです。

 

 
本放送当時のガンダム関連玩具の不振の理由として、書籍などでは次の二点が指摘されています。
 
 1. 中高生以上を対象とした作品内容と合金玩具の購入層に年齢の乖離があったこと
 2. クローバーの玩具は色彩や形状が独自にアレンジされていて作品中のキャラクターとはイメージのギャップが大きかったこと
 
 
まず上記1.について考えます。
ガンダムの作品内容を簡単にまとめれば「戦争に巻き込まれた少年たちが必死に生き延びる中で、さまざまな大人や組織と接して世の中のありようを体感していく」という青春群像の物語です。
 
オープニング映像では勇ましく拳銃を撃ったアムロがさっそうとコアファイターを発進させ、派手なスパークを散らしてガンダムに合体するさまが描かれますが、実際の本編内容は全く異なります。
敵兵に銃を向けるアムロは恐怖と逆上に震え、コアファイターの発進では身体にかかるGに苦しみ、ガンダムへの合体は段取り的に淡々と描写されて派手な見せ場にはなっていません。
こうした点からもガンダムが「幼年向けのロボットアニメ」という容れものに「中高生以上に向けた本気のドラマ」を確信犯的に盛り込んだ作品だったことがわかります。
 
マジンガーZ以来のロボットアニメの定型を逸脱したこうした要素は、単純な勧善懲悪を求める低年齢層への訴求の点では不利にはたらいたのかもしれません。
 
 
上記2.の玩具と劇中キャラクターのギャップについては以下、主要な合金もので具体的に見てみます。
 

画像はアニメの設定に忠実なバンプレスト製スーパーサイズソフビフィギュアと、クローバーのダイカストDXガンダムの比較です。
「白いモビルスーツ」と呼ばれる劇中のガンダムと、銀メッキを多用した玩具では印象が大きく異なります。
 

こちらはDX合体セットのガンダム。胴体以外はダイカストDXのパーツを流用しています。
右肩にはミサイル砲を付けるための突起があり、美観を損ねています。一本しかないビームサーベルやガンキャノン用のライフルなど、武装もおかしな状態です。
 

基本体と呼ばれるダイカストガンダム。口にスリットのないマスク、突起のない胸部など、設定と異なる特徴はDX系と共通しています。
クローバーが参考にしたのははアニメ用の決定稿ではなく、準備稿や玩具専用の設定だったようです。(詳しくはこちら)
 

この中ではもっとも廉価なダイカストバリエーションガンダム。胸元の色彩は準備稿をもとにしています。
 
以上の通り、クローバーの玩具は映像中のガンダムとはかなり印象の異なるものになっています。
特に鼻が露出したようなおかしな頭部はソフト人形やお面にまで徹底されており、本放送時のクローバーの玩具にはアニメ通りの顔のガンダムはひとつも存在しないという信じられない状況でした(のちの映画化に際しての新商品では改善されたものも存在します)。
こうしたイメージギャップが玩具の販売にマイナスの影響を及ぼした可能性は否定できません。
 

 
クローバーの玩具がアニメとかけ離れていたからこそ、バンダイ模型の1/144ガンダムが「これこそイメージ通りのガンダムだ!」と熱狂的に受け入れられたという側面もありました。
 

玩具不振の理由とされる上記のふたつの要素にはある程度の合理性があるだろうことがわかりました。
ただし気をつけておきたいのは、「ガンダムDX合体セットは放送当時もよく売れていた」という事実です。
 

 
DX合体セットは本格的な合金玩具では初めてコアブロックシステムを再現し、作品後半に登場のGファイター(Gメカ)の各種合体も実現した年末商戦向け大箱玩具でした。同時にGファイターなしの「ガンダム合体セット」も発売されています。
 
先行玩具の売り上げ不振から生産数は絞り込まれたそうですが、売れ行きはたいへん良好で年末・年始時期のヒット商品のひとつになったそうです。
気を良くしたクローバーは一度は打ち切りを決めたガンダムのワンクール分(13本)の延長をサンライズに打診したとのことで、相当な売れ行きだったことが想像されます。
 
すでに43話での終了を前提に作品制作が進んでいたため延長は実現しませんでしたが、この時点ではガンダムは放送を延長してでも売り続けたい優良コンテンツになっていたことがわかります。
もしも延長が実現していたら、ガンダムの評価は「打ち切られた不人気作品」から「1年以上放送された人気作品」へと180度変わっていたかもしれません。
 
 

 
注意すべきなのは、上記の「玩具不振の理由」とされたふたつの要素をなんら改善しないままでDX合体セットがヒット商品になっているという点です。
 
番組後半のガンダムはスポンサー圧力で毎回のように新型のモビルスーツ・モビルアーマーが登場しますが、それらは試作機・専用機などとして適切に処理され、それまでの作品世界を壊さないよう配慮されています。
オモチャのためのテコ入れとして登場したGファイターでさえガンダムの支援メカ以上の存在にはなっておらず、濃紺を基調とした機体色も含め、派手な必殺兵器のような扱いはされていません。
一方、DX合体セットの色彩や形状は他のクローバーガンダムと同様にアニメとはかけ離れたものになっていたのはすでに触れた通りです。
 
つまり、中高生以上に向けた作品内容で、劇中イメージとはギャップの大きい玩具でも売れているのです。 
このことから、ガンダムの玩具不振の理由は上記の二点だけでなく、他にもなにか重要な要因が存在したのではないかと思われます。
 
 
当ブログでは、DX合体セット以前のクローバーのガンダム玩具の製品ラインナップにひとつの原因があるのではないかと考えています。
次回はこの点を具体的に検証してみます。
 

 
(続きます)
[ 2019/11/15 00:46 ] 合金 クローバー | TB(-) | CM(0)

《再掲》DXダイターン3/ガンダムDX合体セット

2010年8月1日の投稿の再掲載です。




無敵鋼人ダイターン3 ダイカスト デラックスダイターンスリー
 

 
「無敵超人ザンボット3」の成功を受けて、後番組「無敵鋼人ダイターン3」もクローバーが合金玩具を発売しました。
 
画像のデラックスダイターンスリーはガンプラブームのころ購入した再版品で、価格は初版より300円値上げされて3800円になっています。
なお初版の前期生産分はチェンジダイターンスリーという商品名で、箱写真のように太もも部分が白色プラ製でした。
 

画像の現物はダイターンハンマーとカタログが欠品しています。
放送当時の初版には取っ手付きの下箱と中フタがありましたが、再版では省略されています。本体の仕様には変更はないようです。
 

変形ギミックを持ちながら、ロボット時の形状や色彩は映像中のイメージをよく再現しています。
脚部のメッキはかなり薄くなっていますが、さほど触ってはいないので経時劣化してしまったようです。画像の個体は腰に貼られていたシールは剥がしてあります。
 

戦闘機形態ダイファイター。部品の余剰や付け替えはあるものの、玩具として快適な変形が楽しめます。
 

戦車形態ダイタンク。キャタピラパーツは大サイズに付け替えます。
 
クローバーは他にも変形可能な玩具として、簡易ギミックのプッシュダイターン3や変形にモーター動力をプラスした大箱製品ダイターン3電動巨大セットも発売していました。トータルな商品バランスはデラックスダイターン3がもっとも良好だったようです。
 
デラックスダイターン3の再版と同時期に、箱デザインを一新したプッシュダイターン3と変形可能なデラックスマッハアタッカーも再版されています。
追記:デラックスマッハアタッカーの再版はなかったようです。このころ処分価格で購入した経験があるので再版されたものと思っていましたが、放送当時の初版品だったようです。

追記2:デラックスマッハアタッカーの再版が確認できました。1983年初夏ころだったそうです(参照)。

ダイカスト 機動戦士ガンダムDX合体セット
 

 
ザンボット3・ダイターン3では金曜6時だった放送時間を土曜5時30分に変更してスタートしたのが「機動戦士ガンダム」です。
 
画像のガンダムDX合体セットは本放送末期の1980年1月に購入したもので、価格は5800円でした。初版の後期生産分に当たります。
本格的な合金玩具でコアブロックシステムが再現されたのは本品が初めてでした。 
ガンダム映画化の1981年には同じ仕様で6500円に値上げして再版されましたが、83年ころの末期生産分では箱デザインがリアルタイプ風のイラストに変更されています。 
 

内フタに書かれたガンダムカプセル・ガンダムキャタピラ・ソードジャベリンなどの独特なネーミングが魅力的です。ミサイル類含め全パーツ現存しています。
 

ガンダム本体はコアブロックギミックを再現したボディのみが新造で、他のパーツは先行のダイカストDXガンダムから流用されています。
足首に貼られたシールはGアーマーを組む時にこすれるため、どうしても傷んでしまいます。
 

なかなかよい形状のコアファイター。機首を射出し、尾翼と車輪を取り外してコアチェンジします。
 

巨大なソードジャベリンは新規に作り起こされた武器です。「クローバーのガンダムは合金玩具的なアレンジが激しい」といわれるのはこれが一因かもしれません。
 

プラ製のGファイターは形状・色彩が大幅にアレンジされており、本編登場の機体とは別ものという印象。
ただしGメカのほとんどの組み合わせを再現可能で、玩具としては遊び甲斐があります。メッキのキャタピラもきらびやかでいい雰囲気です。
 

 
なお、本品からガンダムだけを単品販売したガンダム合体セットという製品も存在します。
合体セットDX合体セットは年末商戦向け新製品として同時に発売されたのですが、「合体セットは当初から発売されていた」と記述している書籍が複数あるようで、これは事実誤認と思われます。
 
1979年度後期のクローバーのカタログでは両セットとも新製品を示すNEWという表記が付されていますし、本放送当時を知る者なら両セットが店頭に並んだのが同時期だったのは記憶しています。
また合体セットのガンダムにもシールドが2枚が付属していますが、Gアーマーを前提とした設計でなければこのような装備にはならないはずで、Gアーマーと無関係に合体セットのみ先行発売していたとする説には無理があると思われます。
 

機動戦士ガンダムは玩具の売れ行き不振のため43話で放映打ち切りとなりました。
 
玩具不振の原因としては、作品の対象層と玩具の購入層に年齢的な乖離があったこと、玩具独自のアレンジのために本編中のキャラクターとイメージの隔たりがあったことなどが指摘されています。
 
これらに加え、ザンボット3・ダイターン3では明確だったクローバーの製品ラインナップが、ガンダムではなぜか混乱・迷走していることも不振の一因ではないかと思われます。
次回はこの点について少し考えてみます。
 
 
[ 2019/11/14 00:03 ] 合金 クローバー | TB(-) | CM(0)

《再掲》ザンボット3コンビネーションプログラム


2010年7月25日の投稿の再掲載です。





ダイカスト 無敵超人ザンボット3合体セット コンビネーションプログラム
 
 

 
クローバーから1977年に発売された大箱合金セット「無敵超人ザンボット3 コンビネーションプログラム」。
定価は6500円、3機それぞれの単品販売もありました。
 
 

 
ザンボエースにはパンチと平手、ザンバードにはトレンブルホーンが付属。ザンブルはビッグキャノンやビッグミサイルでなくなぜか大型のトレンブルホーンを装備。とりあえず全パーツ現存しています。
 
 

 
合体時にザンボエースの頭部をザンボット3のものに付け替えます。本家ポピーと比べると洗練されていない印象ですが、大型サイズで重量もあり迫力は十分です。
ザンボットのマスクのディテールやザンベースのコクピットが再現されていないなど、細部の造形がいまひとつなのが惜しいところ。
 
 

 
ザンボエースの顔はやや下膨れな印象。脚部シールは合体時にこすれるため、どうしても傷んでしまいます。
 
 
画像の現物は発売から2年ほど経過した1979年、「機動戦士ガンダム」の放送中に入手しました。
当時はすっかりガンダムにハマっており、その制作スタッフなどに興味が及び始めた頃に徳間書店からロマンアルバム・無敵超人ザンボット3が発売されました。
 
本放送の「ザンボット3」は偶然数本見た程度でしたが、この本で初めてストーリーの全容や天才アニメーター・金田伊功氏の作画したザンボットのおそるべきカッコよさを知り、自分の中でザンボット3が再認識されました。
そして関連商品紹介ページには合金玩具も掲載されていたため、俄然「コンビネーションプログラム」が欲しくなったのです。
 
 

 
しかしガンダム放送中の1979年当時、前番組「ダイターン3」の玩具は店頭に少量残っていましたがザンボット3はすっかり消え去っており、いくら探しても見つかりませんでした。
そこで思い切って発売元のクローバーに電話をしてみたところ、受話器の向こうの中年男性に事務的な口調で「在庫はありません」と言われてしまい、断念するしかありませんでした。
 
 

 
それでもどうしても諦めきれず、一週間ほどして再びクローバーに電話をしてみました。
今度は若い女性が出て、やはり「在庫はありません」とのこと。がっかりして電話を切ろうとすると、こちらの落胆が先方に伝わったのか「返品された物ならありますが、それでもいいですか?」と意外な展開になりました(!)。
 
 

 
返品なので破損や故障があるとのことでしたが、手に入る喜びに比べればそれは些細なことでした。
さらに「代金は定価の半額を切手で送ってくれればいいですよ」とのことで、このクローバーの社員さんがなんだか女神のように思えました。
 
 

 
こうして送られてきたのが画像の現物です。
箱に擦り傷が目立ち、中フタのザンボエースの顔の部分に穴が開いていました(売り場に出たときにイタズラされたのでしょう)が、それ以外は問題のない完品でした。
 
ポピーの超合金に慣れた眼には野暮ったく感じる部分もありましたが、設定に忠実に変形・合体するザンボット3としては唯一の立体物であり、とても満足でした。
(廉価版のコンビネーションジュニアはギミックの省略が多く、設定通りという内容ではなかったようです)
 

 
その後、ガンダム映画化とガンプラの大ブームを受けてザンボット3やダイターン3の再評価もすすみ、アオシマのプラモデルをはじめさまざまな新商品が展開されます。そんな中、ザンボット3の合金玩具も再版されました。
 
 

 
画像は1982年、ザブングル放映時期のクローバーのチラシより。写真は初版の物が使用されていますが、実際はシールと箱デザインを一新して再版されました。価格も値上げされています。
再版に当たって勝平役に子役を起用した新撮のテレビCMも投入されており、クローバーはザンボット3にかなり力を入れていたようです。
 
 

 
再版によって、自分の行動はある意味で徒労となってしまいました。
しかしこの「コンビネーションプログラム」には、希少性とは別の部分で、やはり強い愛着があります。
映像作品としての「ザンボット3」もガンダムやイデオンと並んで今でもたいへん好きなアニメのひとつです。
 
 

以下、蛇足ですが…
 

 

 
オリオン製の1号基地~3号基地と、合体状態の「キングビアル」。チープトイなので形状はかなり省略されていますが、合体可能な玩具はこれしかないようです。
劇中でもたいへん印象に残る魅力的なメカなので、設定に忠実な合金玩具の発売を期待したいです。
 

[ 2019/11/13 00:15 ] 合金 クローバー | TB(-) | CM(2)

《再掲》ボルテスV ボルト=インボックス

ヤフーブログの消滅が迫ってきたので、ヤフー版で外部からの閲覧が多かった投稿をいくつか再掲載しておきます。
既読のみなさまは生温かくスルーしていただけると幸いです(^^;

本来はこのブログのカテゴリー分けをわかりやすく改編すべきなのですが、すぐには対応できないので…

今回は2010年7月19日分の再掲載です。









超電磁マシーンボルテスV ボルト=イン ボックス
 
 

 
ポピニカボルトマシーン5台をセットにしたポピー製大箱合金玩具。画像の現物は本放送時、1978年の正月明けに購入したもので価格は8700円でした。
ボルト=イン ボックスとしては初版の後期生産分に当たります。
 

 
ミサイル類は残念ながらいくつか紛失しています。左下に見えているのはアンケートハガキと超合金ボールペンの説明書。アンケートハガキの広告面にはポピニカを収容できる「大型基地・大鳥島ビッグファルコン」が掲載されています。
これらの下に超合金ボールペン、ポピニカ手帳、ボルトイン計画書があります。ボールペンは銀色のものが入っていました。
 

 
ボルトイン計画書は単品ポピニカ版(画像左上)よりはるかに大きなボックス専用版です。
ポピニカ手帳は3種存在しますが、最後期の「ものしりテレビ局NO.2」が同梱されていました。なお徳間書店刊「ロマンアルバムハイパームック2 超合金魂」には「ものしりテレビ局NO.2はボックス製品には付属されなかった」との記述がありますが、これは事実誤認と思われます。
 

               
 
ポピニカボルトマシーンには仕様の異なる初期版と後期版が存在しますが、画像のボックスには後期版が入っていました。目立つ特徴は肘パーツが黄色から赤に変更されている点です。
 
 

 
テレビCMや雑誌の広告で使用されていたのは肘関節の黄色い初期版だったので本来ならそちらが欲しかったのですが、78年1月時点で売り場に並んでいたボルト=イン ボックスは目にした限りではすべて肘の赤い後期版になっていました。
 
単品売りのポピニカは緑箱の初期版と青箱の後期版が並んで売られていたので、緑箱を選んで購入すれば初期版が手に入ったのかもしれませんが、当時はそんな知識はありませんでした。
また緑箱でも後期版が入っている場合もあったようです。
 
 

 
画像右は近年入手した初期版ボルテス。肘パーツの色と一部シールのデザインが異なるほか、青色塗装の色味も若干違うようです。
腰の部分を比較するとわかりますが、初期版は彩度の高い濃い青、後期版は明度の高い薄い青になっているように見えます。
個人的には初期版の色味のほうがオモチャらしい華やかさを感じます。
 


 
超電磁ロボット2体のそろいぶみ。
ポピニカ5台が合体して巨大な超合金になるというコンバトラーVの登場は衝撃的でした。
一方、同じ基本構造をパーフェクトにまとめ上げたボルテスVにはシステマチックな楽しさがあり、それぞれ個性的な魅力があります。
 

 
超合金の黄金時代の始まりを告げた2体です。
 
[ 2019/11/12 00:03 ] 合金 ポピー | TB(-) | CM(0)

サルベージ1972

1972年10月3日玩具商報臨時増刊・第11回日本玩具国際見本市特集号(商報社)。

PB083110.jpg
同年10月4~6日に行われた見本市のガイドブックのような内容になっています。
今回はこの号から気になるものを拾ってみます。


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万創のプラモデルとこいでのかるたの広告。見本市にはこいで名義で出展しています。

PB083113-のコピー
ガッチャマンプラモの発売予定がわかります。掲載見本もきれいな仕上げで魅力的です。


名称未設定 4
タカトクのヒーロー立像型自販機ジャンボキャラクター(詳しくはこちら)。

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タカトクの談話からテレビCMが流されていたことがわかりますが、おぼえてないな~
この時点でヒーロー5種が稼動中、出てくる玩具は各5種前後あったようです。当たり券でもらえた玩具はなんだったのでしょうか?


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ブルマァクはモノクロ8ページも出稿しており、トリプルファイターとライオン丸のページでは450円サイズの怪人ソフトが気になります。

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現物が確認されているのはワクランバだけです。この時点で掲載があるということは現実的な発売予定があったのか、実際に発売されているのか…?


PB083122.jpg
ブルに対してポピーの出稿は1ページのみ。ミニミニマッハロッドは試作品のようです。


名称未設定 3
マルサンウルトラマンAの見開き。ミニプラモはこの時点でダックビルとタックパンサーの箱写真が間に合っていないのがわかります。

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超獣ソフトはこれで全種でしょうか。アリブンタとギロン人に挟まれているのはなんだろう…?

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PB083135.jpg
このあたりはヘッダー付き新品をあまり見ない印象です。ヘッダーイラストは関口猪一郎氏かな?


名称未設定-12
永大のグリップキャラクター初期広告。すでに発売中なのはTB1号、2号、追跡戦闘車の3種で、各300円。
TBはポピニカよりはるかに先行していたことが確認できます。


PB083141.jpg
富士ホビーのダイカミニはこのころウインドウ型パッケージに変更されたようです。発売当初のマットアロー1号やマットジャイロはいわゆるキャラメル箱でした。

PB083143.jpg
発売順の概要がわかります。この後さらにホーク2号やステーションホークが追加され、グリップキャラクターに似た透明パックに仕様変更されることになります。



当時の玩具業界の動向に触れた記事もあり、前年夏に公表されたアメリカのドル保護政策の影響(ニクソン・ショック)を玩具界も被ったこと、輸出の減少に対して内需拡大や高級化・精密化などで対応して前年比微増の経済規模を維持したことなどが記されています。


[ 2019/11/08 22:00 ] 書籍・雑誌 | TB(-) | CM(4)