ヒーロー立像型自販機
ブルマァクミニミニ怪獣を取り上げた際、初期の販売経路は帰ってきたウルトラマンの立像型自販機だったことに触れました。
ブルマァクのヒーロー立像は新マン自販機と自販機機能のないミラーマンディスプレイが確認されています。
トリプルファイター自販機も存在していますが、ブルマァクによる展開だったのかは未確認です。
同時期にタカトクも、同じタイプのヒーロー立像型自販機を展開しています。画像はトイジャーナル1973年1月号(東京玩具人形問屋協同組合)より。
ブルマァクと同じ造形の新マン・ミラーマンをはじめさまざまなヒーローの立像型自販機が存在しています。
これらのヒーロー立像は上掲の両画像に記載のある日本娯楽機株式会社が製造元となっており、同社は電動ムーバーなどの遊具を生産・販売する会社だったようです。
画像は毎日グラフ1972年9月10日号より、日本娯楽機の工場内と思われる写真です。
いずれも自販機タイプのウルトラマンエースとバロム1が量産されています。
バロム1はボディが緑とカーキの2種が作られているのがわかります。
こちらは同工場で出荷を待つムーバー用パーツの写真。
ヒーロー立像も基本的にはこうした遊具の一環として日本娯楽機が制作したもので、ブルマァクやタカトクは自社の玩具販売を目的に同社と提携していたのでしょう。
自販機機能のないタイプは、他の遊具と同様に遊園地やデパートなどにもディスプレイとして販売されていたと思われます。
自販機立像にはブルマァク・タカトクが商品展開していない突撃!ヒューマンも存在しているそうなので、日本娯楽機と手を組んだ玩具会社は両社だけではなかったようです。
ただしヒューマンのメインスポンサーだったヨネザワがカプセル用のヒューマン玩具を制作・販売していたのかは未確認です。
または日本娯楽機は純粋に「自販機」としてヒーロー立像を販売し、カプセルに入れる玩具は購入業者がヒーローに関係なく自前で用意するような場合もあったのかもしれません。
ヒーロー自販機は耐久性が高いので、そのヒーローの放送終了後にも稼働している場合には例えば新マン自販機からエースのオモチャが出てくるとか、ライダー1号自販機からV3のオモチャが出てくるようなケースは当然あったと考えられます。
その意味では、立像のヒーローと出てくるオモチャが必ずしも一致していないことも珍しくはなかった可能性があり、極端な場合にはヒーローとは無関係なノンキャラクターの駄玩具が出てくることもあったのではないかとも想像されます。
ヒューマンの自販機で売られたのが必ずヒューマンのオモチャだったのかどうかは、わかりません。
タカトク・ジャンボキャラクターで販売されたカプセル玩具の現物、仮面ライダーと帰ってきたウルトラマンです。
直径75ミリほどのカプセルは片側にタカトクの刻印があります。
カプセルの合わせ目はセロテープで封をされ、版権証紙とSTマークが貼られています。
画像は帰ってきた~のSTマークで、ナンバーは72年の発売を示しています。
表示の社名は「栄進堂」となっており、おそらくタカトクの下請けのようなかたちで玩具制作を担当していたものと思われます。
栄進堂の自社発売玩具としてはアイアンキングミニ人形の台紙パックセットなどが存在しています。
ミニ人形2個、プラ製コマ3個、6枚つづりのシールで構成されています。
こちらはライダーの内容物ですが、中古で入手したので新品状態がこの通りだったのかは断定できません。
帰ってきた~より小さめのミニ人形が3個、プラ製バッヂ(安全ピン付き)が3個、そして6枚つづりのシール。
イラストの作者は関口猪一郎氏ではないかと推測しています。
ウルトラ系ミニ人形、向かって左からアーストロン、ウルトラセブン、初代ウルトラマン、ゾフィ、ゴルバゴス。
怪獣は金型からの抜きの関係で平べったい造形になっています。
同じシリーズと思われるキカイダーミニ人形、画像の現物はタカトクの台紙セット玩具に同梱されていたもの。
左からグリーンマンティス、グレイサイキング、キカイダー、オレンジアント、ブルーバッファロー。
他にも同タイプのミニ人形にはシルバー仮面やバロム1も存在しています。
これらのタカトク製ミニ人形は、いかにも駄玩具然とした荒い造形が特徴となっていてちょっと残念です。
同時期のブルマァクミニミニ怪獣と同一キャラクターで比較してみると、その違いは一目瞭然です……
立像化されたヒーローは、1971年放送の仮面ライダーと帰ってきたウルトラマンに始まって翌72年度までに登場したものに集中しています。
73年度のヒーロー立像はウルトラマンタロウのみで、その生産数はきわめて少なかったようです。
また1966~67年の第一次怪獣ブームではこうした立像やムーバーなどは存在しなかったようです(一部アニメキャラクターのムーバーのみ確認されています)。
なぜ第二次怪獣ブームのこの時期にだけヒーロー立像が作られたのでしょうか。
理由のひとつとして考えられるのは、当時の社会環境の変化です。
玩具業界は戦後一貫して輸出産業として成長していましたが、1971~73年には円の切り上げから変動相場制への移行が起こっており、国内需要に軸足を移さざるを得ない状況に追い込まれていたようです。
昭和30年代まではまだまだ貧しかった日本の一般家庭も40年代後半にはかなり豊かになってきていたことも、国内重視の方針を後押ししたと思われます。
オモチャを国内でこれまで以上に売っていこうとした時、児童間では第二次怪獣ブームの嵐が吹き荒れていたのでその流れに乗って、勢い余ってヒーロー立像のような高額品まで登場したのかもしれません。
とはいえ高額で耐久性も高いヒーロー立像は、個人経営の玩具店などは2台3台と導入できるものではありません。
72年度までは勢いまかせで商品数を増やしたもののやがて上限に達してしまい、73年度以降はほとんど新規展開できなくなったのではないでしょうか。
73年度後半以降の石油危機もさらなるマイナス要因になったと思われます。
1972年前後の特撮ヒーローがずらりと揃ったヒーロー立像は、毎日複数の特撮番組が放送されていた変身ブームの空前絶後の熱狂の記憶とも重なって、特定世代にとっては忘れがたい存在になっています。