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徳田秋聲 (徳田秋声) の文学を中心につぶやきます。
― 亀井麻美 (@kameiasami) · Xより転載 ―

亀井麻美 : 2014/04/23のツイートまとめ

kameiasami

紹介されていて、岡倉覚三の『茶の本』にも類話があります。しかし、私はまだ、幕末以前の文献上でこの逸話を確認出来ていません。もちろん有名な久須見疎安『茶話指月集』(元禄14年)にはありません。たぶん元禄頃の作り話だろうと思い、茶道関係の文献をいろいろ探してはいるんですけれども。
04-23 23:56

若き日の田中与四郎(千利休)が武野紹鷗の門を叩いて入門を乞うたとき、紹鷗は綺麗に掃き清められている路地を指差して、掃除せよと命じた。与四郎は少し考えて、傍らの樹木を揺さぶってわざと路地に木の葉を散らした。紹鷗はその風情に感じ入り、入門を許した。この有名な逸話は村井康彦『千利休』に
04-23 23:55

するも高橋光威氏副会長承諾に付き会長に就任の次第」とあります。大日本国粋会の初代会長は磯部で、村野常右衛門はその後任として大正11年から大日本国粋会第2代会長に就任したようです。
04-23 23:08

国立国会図書館のウェブサイトで公開されている「斎藤実関係文書目録 書翰の部 2/国立国会図書館/1999.7/GK123-E100」によれば、「一五〇一、 村野常右衛門」の項に、「大正一一年八月二四日 大日本国粋会総本部後継会長に大木伯より磯部四郎を通して相勤むべき旨相談あり辞退
04-23 23:08

ことが出来たとか(大曲駒村『東京灰燼記』)。
 平凡社の「世界大百科事典」第2版で国粋会を引くと、大正8年10月に大日本国粋会が設立された時、以前ここで話題にしたことのある磯部四郎が会長に就任したと書かれています。しかし、Wikipediaには「会長は村野常右衛門」とあります。
04-23 00:00

  1. 2014/04/24(木) 00:00:00|
  2. 未分類
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