@daikix 女王の読みには全く気付きませんでした。ほんとに今でも「にょおう」と言うのかどうか、私には判断がつきかねますが、洞院宮との比較とともに、なるほどと思う御指摘でした。
02-13 18:41
しら梅や二百六十二人(ふたたり)は女王(によわう)にいます王禄の庭 与謝野晶子「舞姫」
これは、女王禄(おうろく。「女」の字は読まない)を詠んだ歌です。「禄を賜る女王は262人もいた、と『延喜式(えんぎしき)』にある」そうです(日本大百科全書)。
https://t.co/hvx4W2flFp
02-13 17:58
〈雍子さんがホンモノの皇族なら「にょおう」って言うんじゃなかろうか〉
なるほど。そういえばかの子の短歌で女王に「によわう」のルビが振ってありましたね。
いみじくも枝垂るるさくら日の本の良子女王(ながこによわう)が素直(なほ)きおん眉 岡本かの子「桜」
https://t.co/3ZAl4StPwy
02-13 17:23
@ballet_kko 学生は学生証とかですね。でも偕楽園に保険証もってくのも(免許証を持っていない高齢の女性なんかがそれに多く該当すると思いますが)、ちょっとへんな感じがしますね。
リプライ頂いた方によると、あらかじめ入場券を配っておくところもあるそうです。
02-13 12:35
ら、小説の舞台は博品館廃業から銀座パレス開業の間の時期にあたりますね。
このあと偶然に阿蘇と出会った米子は、彼に相談事を持ちかけるために「手近なヂヤマン・ベーカレイの狭苦しい店に入つて、仕方なし曹達水を通し」ます。ジャーマンベーカリーも昭和3年から松月の裏側にあった実在の店ですね。
02-13 12:28
@PsycheYukiko なるほど、それはいいかも知れませんね。ご教示ありがとうございます。
02-13 12:27
大都市への成長(大正期))しましたが、昭和5年に廃業。その跡地を改築して、昭和7年9月に女給300人を超す「東洋一の大カフェー」として「銀座パレス」が開業しました(石角春之助『銀座秘録』東華書荘、昭和12年1月)。
『赤い花』の連載は「信濃毎日新聞」朝刊、昭和6年11月26日~7年6月14日ですか
02-13 06:45
「米子は河岸ぞひに博品館の方へ出て来た。そこを曲がると直ぐ銀座気分である」
徳田秋聲『赤い花』「地下室のカフヱ」(五)より。
明治32年に創業し、「新橋の勧工場」とも呼ばれた帝国博品館は、関東大震災で焼失し、その後「勧工場と言うより、小形の百貨店として復興」(『東京百年史』第四巻
02-13 06:42
@knulpgohan 『西洋道中膝栗毛』は学生時代に読んだんですけど、「洋犬(カメ)」は全く記憶にありませんでした。
似た話に、あの動物は何かとクックに訊かれたオーストラリア先住民がカンガルー(〔質問の英語が〕私は分からない)と答えたのでそれが英語名になったというのがありますが、作り話らしいです。
02-13 01:20
Author:亀井麻美
kamei asami
德田秋聲,徳田秋声,德田秋声
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