傷つけるようなことを書き立てた、師を師とも思わぬ秋聲の態度が、憎んでもあまりあるものと感じられたのだろう」とあります。
12-06 20:12
『德田秋聲の文學』第一篇「『黴』とその周辺」146頁に「鏡花が秋聲との交わりを絶ったのは、秋聲が『黴』で紅葉の病状をあからさまにえがいたことが原因であったといわれるが」、148-149頁に「紅葉がいなくなるとたちまち自然主義などにはしって、神聖な師のイメージを
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12-06 20:12
@tonton1965 秋聲本人が「私は曾て『黴』で臨終のときの紅葉先生についてちよつとその人間に触れたことが因になり、鏡花春葉の二人からボオイコツトされた」と「亡鏡花君を語る」(「改造」昭和14年10月)に書いています。
12-06 15:02
釣つて居た。山口蓬春氏などは此女に恐れを為して“兼公はすげえ”と計りに敬遠して居たのは流石に賢明であつた」
伊藤晴雨「非小説『性液』」三(「奇譚クラブ」昭和29年4月)
「噓つきおかね」とは佐々木カネヨ(お葉)のこと。どちらもカストリ雑誌掲載で、とくに後者はだいぶ尾鰭が付いてる感じ。
12-06 12:26
「かね公はすげえ」なんていっていた」
伊藤晴雨『今昔愚談』(「人間探究」昭和27-28年連載。「愚」は竹冠に愚)
「此おかねという女、別名を“噓つきお兼”といつて其頃日本橋区呉服町に手拭屋を開いて自作の版画や自作の手拭を売つて居た竹久夢二君にも貞操を捧げるなど、美貌を幸いに盛んに学生を
12-06 12:22
「私が第一のモデルで関係を結んだ女は秋田生れの俗称「噓つきおかね」という女で、故藤島武二氏の専属モデルで、私が大正五年から七年まで三ヶ年ぶっ通しで使った女で、魅力満点、徳田秋声と浮名を流した山田順子と瓜二つという美人で、山ロ三郎時代の山口蓬春氏が学生時分私の宅へ来て
12-06 12:14
Author:亀井麻美
kamei asami
德田秋聲,徳田秋声,德田秋声
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