あああ~~
くうう~~
きいい~~
とネットでいろいろ調べながら私がブツブツ言っていたらダンナが、一緒に電器屋までデジカメのカードを買いに行ってくれると言う。
私には多分、カードを選ぶのは無理そう・・と思っていたので、助かった。
が、しかし。
もう、置いていなかった。ヤマダ電機。
256(だっけな)だったらあったけど、ダンナ曰く、「規格が違うからダメ」だと。
そして、ダンナは「ねえ・・このマウスが欲しい・・」と。
ええぇ~?・・まあ、しょうがないか、たまには。(無線マウスらしい)
マウスだけ買って帰ってきた。
結局面倒なことをしなきゃならないが、まあいいや。何とかする。
携帯を持っていればダイレクトで済むのにな~。
それか、安くて新しいデジカメ・・と思ったが、
まあ、このデジカメがまだ使えるのにね。もったいない。
壊れるまで使おう。
眠くなってしまった。
今日は面倒なので、夕ご飯は鍋にしよう。
(ABCマートにも寄って、自分用の靴を買ってきました。
"春用のブーツ"税込3990円。安い&かわいい。)
こんな時でも、うぴしはちょっとでも歩かせてあげないと・・。
春の雨、秋の雨、冬の雨は好きです。
夏は雨が降ると髪がボワボワな感じになるので、
好きじゃないが・・。
ところで、デジカメで「ちゃこ」(うちの白い猫)を撮ろうとしたら、
「このカードは使えません」と。
100枚までしか撮れないのだが、2枚消したらまた復活した。
昔は手動で36枚撮りとかだったなぁ・・と、
このデジカメを買った当時(2003年)は、「100枚も一気に撮れるなんてすごい!」と
妙に感心したものだが、今さっき、
FOMAのタッチパネル式携帯を使っているダンナに聞いてみたら、
「オレのケータイなんて、"8ギガ"入るよ」、と。
(ω・ )ゝ なんだって?
は、8ギガって・・要するに・・何枚入るんだ。何枚だ?
私のデジカメは、「2003年2月発売オリンパスのμ-10デジタル300万画素」
なんだけど、64メガのカードが一枚だけで、100枚が終わるとダンナにパソコンに取り込んでもらい、CDに入れて現像(プリント、か。)して、それを使いまわしていた。
要するに枚数がもうちょっと入るのがいいのだが・・。
「枚数」とか言ってる時点でどうかと。
ちなみに私は、昔の一眼レフを使いこなせます。高校時代、一時期写真部だったので・・。
(自慢にはならんねぇ・・そんな人たくさんいるわね・・)
だから、これをパソコンに取り込んでとっておいて、データを移して、
カードを真っ白な状態にして・・そうすればまた、使えるんだ。・・・ハァハァ・・疲れるわ。
ああ、アナログ頭。w
私のデジタル感覚は、世間とは恐ろしくかけ離れている感じだ・・。
あまりにも進化が速い。
いざ、また社会というか会社かどこかで働く時に、これじゃ困るかな。
いや、やれば出来る。やる気が大事だね、これ。
で・・もうちょっと枚数が入るように新しいカードを買いに行こうかな・・。
そして、ちゃこをアップ出来るようにしたい。
「朝鮮学校除外の方向 高校無償化巡り首相示唆」という記事。
私自身は、朝鮮学校についてよく知っているわけではないが、日本の通常の「高等学校」と同じ、というイメージを持っている。
日本の高等学校で教えることを朝鮮学校でも教えて、かつ、
朝鮮の文化も教える、みたいな・・。
それがなぜ、無償化から外れるというのだろう・・・。
気になったので、取り上げてみた。
asahi.com(朝日新聞社)2010年2月26日1時44分(配信)より、::::::::::::::::::転載ここから
高校無償化「朝鮮学校は除外の方向」首相が示唆
鳩山由紀夫首相は25日、4月から実施予定の高校無償化で、中井洽拉致問題担当相が朝鮮学校を対象から外すよう求めていることについて、「ひとつの案だ。そういう方向性になりそうだと聞いている」と述べ、除外する方向で最終調整していることを明らかにした。国会内で記者団の質問に答えた。
首相は、在日朝鮮人の子弟らが通う朝鮮学校について「指導内容、どういうことを教えているかということが、必ずしも見えない」と指摘した。政権内では、朝鮮学校が高校相当の教育機関と認められるかなどについて、外交関係のない北朝鮮当局に確認できないことなどを除外理由とすることが検討されている。
高校の無償化法案はこの日、衆院本会議で審議入りした。4月から公立高校の授業料を無料にし、私立高校生には年約12万円を助成する。専修学校や外国人学校など「各種学校」について、どの学校を対象とするかは、文部科学省が省令で定める。
川端達夫文部科学相は本会議で、朝鮮学校の扱いについて「一定要件を満たすものを指定することを検討している。今後の国会における審議も踏まえて適正に判断する」とだけ答弁した。
中井氏は昨年12月、川端氏に「(日本政府が)北朝鮮に制裁を行っていることを十分考えて欲しい」と、除外を要請。川端氏は「外交上の配慮、教育の中身が判断の材料になるのではない」と答えていた。文科省は朝鮮学校も支給対象とすることを想定した予算を組んでいる。
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::転載ここまで。
MSN産経ニュースより。2010.2.21 02:05(配信)
朝鮮学校「高校無償化除外も」中井拉致相が文科省に要請::::::::::::転載ここから。
中井洽拉致問題担当相が、4月から実施予定の高校無償化に関し、在日朝鮮人の子女が学ぶ朝鮮学校を対象から外すよう川端達夫文部科学相に要請し、川端氏ら文科省の政務三役が検討に入ったことが20日、分かった。政府関係者が明らかにした。
無償化では、朝鮮学校を含めた外国人学校を対象とするかが焦点の一つとなっている。中井氏は北朝鮮に経済制裁を続けても、日本人拉致問題でなんら進展が見られない現状を考慮して、北朝鮮に対し強い姿勢を示すため除外を求めたとみられる。
中井氏は川端氏らへの要請を踏まえ、国会内で17日に開かれた拉致問題に関する政府、与党の会合で「朝鮮学校を無償化の対象としないよう努めている」と表明していた。
:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::転載ここまで。
(下線部は私が引きました。)
私が考えたこと・・。
きのうかおとといか、テレビ報道で、朝鮮学校の様子を取材したVTRを見た。
時間割には、通常の高等学校の教科の他に、「朝鮮史」と「朝鮮語」が入っていた。
そして、教壇の黒板の上には、金日成・金正日親子の写真が飾られていたが、
生徒も教師も日本語で喋っていて、一般の高校とほとんど変わらないように、
私には見えた。
それに対して、(朝日新聞の)『首相は、在日朝鮮人の子弟らが通う朝鮮学校について「指導内容、どういうことを教えているかということが、必ずしも見えない」と指摘』という部分、
何じゃそりゃ・・と思った。鳩山さんは朝鮮学校について知らないのか?首相なのに?
何だよ、その"必ずしも見えない"ってのは。
「子ども手当て」と「高校無償化」は民主党政策の「目玉」なのに?
そりゃちょっと、おかしくないかね。
そして、MSN産経ニュースからの引用の、
『中井氏は北朝鮮に経済制裁を続けても、日本人拉致問題でなんら進展が見られない現状を考慮して、北朝鮮に対し強い姿勢を示すため』の部分、
だからといって朝鮮学校を無償化から外すのは、おかしくない?
と感じる。それとこれとは別、でしょう。
明らかに、差別っぽい。
これに関連付けるわけではないが、嫌なことを思い出した。
「在特会」(在日特権を許さない市民の会)。
wikipediaには、
『在日特権を許さない市民の会(ざいにちとっけんをゆるさないしみんのかい)
は日本の保守系市民団体。』
とあるが、あれのどこが「保守系」なのか。
それまで、私の人生の中ではあまり、タクシーに乗るなどということは、
あまりなかった。特に、一人で、なんて・・。
でもタクシー運転手さんは(もちろんだが)慣れた様子で「西新井署ですねー」と、
返事をしてくれた。
とにかく、これで間違いなく到着できるだろうということでほっとしたが、
まったく見知らぬ町の中で、人も車も勢いがあるように見えて圧倒された。
途中、団地群があったが、私の住んでいるところの団地といってもせいぜい、5階立てくらい。
それが、
12,3階建てくらいの建物が並んでいて、空が隠れていて、これにも圧倒される。
それでも、東京の普通の人々が生活している雰囲気やにおいなんかが、
タクシーの窓越しに伝わってきた。
タクシーの運転手さんが、「環7通りを通っていきましょうか?」と聞くが、分からないので、
あいまいに「はい・・お願いします・・」と言った。
途中、大きな川を渡った。それは覚えている。
電車が走っているのも・・見えたかな。
私が住んでいる辺とは違って、川幅が広い。
タクシーの窓から、ずっと、見ていた。
橋を渡り終わる頃、川岸のところに月極の有料駐車場があるのがちらっと見えた。
「一月一万円」と書いてあった。
こんなところにも駐車場が・・。そんなことを思った。
とうとう、西新井署に着いた。ホッとした・・。
入り口に警察官の人が立っていて、ちょっと緊張。
(少し記憶があいまいだが)中に入って、「落し物を受け取りにきたんですけど・・」
と言った気がする。
係の人は今風の明るい茶色の髪の、少しメークが濃い目の若い女の人だった。
地域の人と思われる人たちがいろんな用事で来ているのだろう、椅子に座って待っていた。
警察署の中は十何人かの職員の人が勤務中だった。
ちょっと、明かりが薄暗く感じた。
私の携帯電話の受け取りはすぐに終わった。
携帯会社から着た紙を渡すと、「これですね」と、見慣れたケータイを、
透明な事務用引き出しから出して、渡してくれた。
パンダの大きなプクプクシールが貼ってあるシルバーのケータイ。間違いない。
嬉しかった。また会えたよ~、という気分だった。
拾われた状況の話を聞いたのだが、詳細は忘れてしまった。路上に落ちていたところを、
届けてくれた人がいたらしかった。
(こういうときはやはり、お礼の電話でもしないと・・と思い)
「お礼をしたいので、拾ってくれた方のお名前とか知りたいんですが・・」と言ったら、
「名前や連絡先は教えられない、ということなので・・」ということだった。
なにしろ、拾ってくれた人がいて、ありがたいと思った。
帰りもタクシーがいいかな・・と思い、思い切って、玄関に立っている警察官に聞いてみた。
「うーん・・。ここでタクシー拾うよりかは、すぐそこに、バス停がありますよ」と。
うそっ・・。本当だ・・。「ありがとうございます」と言って離れた。
あっけなく、バス停発見。それに落ち着いてよく見回すと、「何とか扇」という駅もある。
・・電車でもあまり歩かずに来られたのか・・。
(でも仕方ない。あの時は頭の中が真っ白になっていたのだから・・・)
(そして、帰りはバスで王子駅まで戻り→京浜東北線→目的駅→バスで病院 へ。)
タクシーに乗っていた時は不安で、「早く着いて欲しいな・・」と思っていたが
帰りはあっという間だった。
「バスを間違えてないよね・・」とちょっと緊張した。
(この年にもなって恥ずかしいんだけど)バッグに着けている小さいぬいぐるみを、
握り締めていた。
曇りの日だった。9月下旬でも空気が少し湿っていて、蒸し暑かった。
バスの中が涼しくて、気持ちよかった。
行きとは違う道だった。
風景を、ぼーっと見ていた。
こんなところに携帯電話を取りにくることになるなんて、思ってもみなかった・・とか、
バスでここに来ることなんて、もう二度とないのかな・・とか、考えて。
私と、あのパンダシールの母の携帯電話しか知らない、それ以外の誰も知らない、道のり。
そうか。でも、パンダの携帯も一人きりで寂しかったね・・なんて思った。
病院に着いた。
母は携帯電話を見るなり顔がほころんで、「よかったよー。ありがとうね」と言っていた。
同室の患者さんも、「携帯、見つかって良かったね」と言ってくれた。
警察署までどう行くか調べたり、ドキドキしたり大変だったんだけど、
心に残る一日になった。
暖かかったですねぇ。
そこで、テンプレも変えようと思い、変えてみました。
しかし、この前、よく分からないが奇跡的にアップできた、
自分で撮ったこのプロフィールの写真・・暗いわ。
何とかしたいんだけど、デジカメの新しいカード(?)を買わないとならなさそう。
でも買ってない。
でも買わないと、写真撮れないし。
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特に、問題は夕ご飯。
(朝は味噌汁とご飯の用意は「絶対」です。ダンナはパンは食べません)
(ああ・・・ちょっと追記。「絶対」とか書いてる・・。これじゃ、まるで・・・。
インスタント味噌汁も飲んだりしています。)
自分一人だけなら本当にテキトーでいいが、ダンナにはちゃんと食べさせないとならない。
だけれども、それができていない。
私がパートや内職をしていた時に超手抜き続きだったためか、
ダンナは逆流性食道炎で入院したことがある。(けっこうひどかった)
(6日間飲まず食わずで点滴)またそんなことになったら困る。
(ビール飲みすぎが原因というのもあるが)
と分かっていても、毎日の食事の準備は大変なんですよね。
私自身は最近、日頃何を食べているかというと・・うーん。。
書けないですね。ひどすぎて・・。
時間もダンナとずれてしまうこともあるし。
自分の栄養なんぞ、考えていない。
だから、疲れるのかな。言えてる。
まあ、今はしょうがない時期なんですけどね・・。
うぴしのご飯も手作りから手抜きになってしまったけど、
頭の中で栄養は計算しているので、
うぴしは快食・快眠・快便!という感じで、元気です。
しかし飼い主がこれじゃ、だめだわ・・。
今日は「2」が11個も並ぶ日・・。
そうだね~。
H11年の時も、そんな話題があったような。
で、せっかくブログがあるので、ただこれだけのために、
予約投稿です。
2222年2月22日22時22分22秒・・もあるけど、
それまで人類は絶滅しないでいられるか??
なんて考えた。(ブログの表示では操作できるけど)
2020.02.02.02.02.02・・・これなら大丈夫かな。
では、おやすみなさい。
(でももう少し、私は寝ないでいますが)
[READ MORE...]
おそらく昨年収録したものだろうと思われる映像が流れていた。
グルメ番組か何かだった。
出演者が、半袖か薄着で出ている。
まだ、木に緑がある。かといって、夏でもなさそう。
テレビの中でそういう風景を見かけると、たまについ、思い出す。
「ああ・・あの頃は母が病院にいて、東京に通っていたな・・」とか。
母は約1ヵ月半の入院中に3度、家に外泊した。
「家に外泊」・・変だな・・本当は帰ってきているのに、
・・・まあ、あの時は病院が「ホーム」だった。
たしか、1回目の外泊の時だった。
翌朝家から病院へ向かう時、母は「歩く距離が少なくて済む」と、こだわっていて、
特急ではなく鈍行を乗り継いでいった。家から病院まで、3時間かかったかな。
特急を使うと、全部で2時間15分くらい。
私は疲れたが、母は満足そうだった。
もう抗がん剤治療を始めていたけれど、その時はまだ、
時間をかけて電車に乗ることができた。
そして病院に着いてしばらくして、携帯電話をなくしてしまったことに気づく。
「あれっ・・電車に乗ってた時は、あったのにねぇ・・」
さっそく手続きをして、通話できないようにしてもらった。
携帯電話なんて落としたら、もう返ってこないと思っていた。しかし、
しばらくして携帯電話会社から連絡が来て、「警視庁西新井署に届けられています」と。
ありがたかった。拾って届けたくれた人がいたんだ、と、母と喜んだ。
でも・・・「に、にしあらい・・??ってどこ??芋洗い・・は関係ないか。」
(意味なく「芋洗い」で検索したら、"芋洗坂"っていうのが六本木にあった)
郵送してもらおうとしたが面倒そうだし、どうせなら私が受け取りに行くしかないと思った。
母と同室の人が、病院からわりと近くに家がある人で、
とても詳しくて、行く方法を教えてもらった。
京浜東北線で「王子」で降りて、中央口でタクシーに乗るのが一番迷わないよ、と。
「・・タクシーなんてお金かかるし、別に方法あるよね・・」と母に言ったら、
「うーん。ゆうこは方向音痴だから、タクシーで行く方が間違いないね」と。
そうこうしているうちに9月下旬。今日こそは西新井署に行かなきゃ、という日が来た。
「ケータイを間違いなく取りに行かなきゃー(;;´゚д゚`)ドキドキ…」という
プレッシャーで押しつぶされそうだった。
(何もプレッシャーを感じることないと思うが)
(ここら辺が、社会不安障害(SAD)の困るところ・・)
電車に乗った。軽く吐き気がしてきた。
"八王子"なら知ってるけど、ただの「王子」っていう地名はこの前初めて知ったし、
行った事もない・・方角も分からない・・。(親切に看板があるから大丈夫か・・・)
ましてや、そこから西新井へ行くなんて・・。足が浮いてる。
王子に着いた時は、電車を間違えなくて良かったと思ったが、
軽く「不審者」になっていたような気がする。
王子駅の中央口に出てみると・・
「ええっ・・大きい町っていうか・・どこの区?人が多い・・。」
新宿は私の県から行くと玄関口なので、人が多くても慣れてしまっているが、
とにかく予想外の勢いに圧倒されて、外国に来てしまったようにさえ思えてきた。
バスが走っているみたい。
・・そうだよ、当たり前だよ・・病院に行く時だって駅からバスで行くのに・・
ってことは、西新井までバスで行けるの?と思ったが、頭の中は真っ白に。
よろよろとタクシー乗り場まで行って、「あのー・・西新井警察署までお願いします・・」
と運転手さんに言い、タクシーに乗った。
ほっとした。
長い。つづく。
ダンナが会社に行ってしまうと、涙が出てきた。一人になった途端に。
妹は、もうすぐ出産のために13日から仕事を休職した。
もう帰ってるかな・・時間を見計らって、午後2時半に電話をした。
泣かないでいようと思ったけど、無理だった。
隣の家に聞こえてしまうような大声で泣いてしまった。
これが、妹に実際に会ったのなら「泣いちゃだめ」と抑えられただろうけど、
自然と、わんわん泣く。
そして、妹は私の「大きな声のひとり言」を「そうだよね・・」と言って、
聞いてくれた。
「自分がどういう気持ちでいれば食欲が正常に戻るのか分からない」とか、
話した気がする。
妹の知り合いは、何年か前に、40歳代後半だった旦那さんを亡くしている。
その人は、「悔いがないようにと看病をしたから、今は悔いは何も残っていない」という。
そうか・・。
私は妹に、うぴしのことを話した。
「うぴしは右側の甲状腺にもがんがあって、頭にも出来てて、心臓も悪いからいつ死んでもおかしくないよね・・だから、悔いがないようにと思って毎日世話してる。」と。
泣きながら話しながら、母だって同じだと気づく。
違いは、うぴしは犬だから言葉で話さないし、その時その時を「生きる」のみ。
私が行って撫でると、ぬいぐるみみたいな可愛い顔になる。
そうか、だから、悔いのないように・・「どこかへ遊びに行って思い出も作れなかった」じゃなく、
日常が大事なんだよね、お母さんは私の顔見ると安心するんだよね・・
妹:「そうだよ。私たちが小さい頃風邪を引いた時に、お母さん帰ってくると安心したでしょ。
今のお母さんにとってはお姉ちゃんが、そういう存在なんだよ。」
アホか私はこんな大声で泣きながら・・と思ったが、妹に話を聞いてもらったら、
一気に楽になった。
誰かに話を聞いてもらうのは大事だと思った。
もちろん、このブログも。
全部が全部、書いてはいないんだけど、一番辛いところで感情を吐露して、
助けられています。読んでくださっている方、ありがとうございます。
----------------------
今アクセス解析を見ていたら、森山直太朗の『生きてることが辛いなら』で
検索してここに来てくれた人がいた。
言葉って大事だな・・。
人によっては、ある言葉で救われることがあるかもしれない。
「母の命」というあまりにも大きい問題に私はただ、苦しむことしか出来ず・・。
いや、でも結局、
「悔いを残さない」という言葉に、パシッと肩を叩かれたのかな。
それに、その前から、
ずっと私のことをここで見てきてくれた人たちがかけてくれた言葉も、心の中にある。
私の超上がり症は「プチ・超上がり症」くらいに改善されてきたが、
あの何日間かの辛い精神状態は、超上がった状態のほうがまだマシだと思ったくらいだった。
そういう辛い精神状態でうずくまって苦しんでいる人が、この世界にどのくらいいるかな・・
そんなことを思った・・。
泣いて気分が悪くて吐きそうな状態が続いた時、ハイチの地震のことをテレビで見た。
地震で家が倒壊し、妹がまだ瓦礫の中に埋ったままだという若い女の人が映されていた。
倒壊した家の瓦礫の上に上る女の人・・。
涙が静まったのに、私はその女の人の顔を見てまたじわじわと泣いていた。
「服装がなっとらん!」だの「態度が良くない」だのいろいろ言われ、結局、
橋本聖子団長の横で「謝罪」(おわび(・・なのか??))の記者会見を開いていた。
私はその騒ぎの数日間のテレビを、自分が具合が悪いながらも、
苦々しい思いで見ていた。
・・というか・・まず、
「日本の株価が急落!!」 「ガソリン価格がとんでもなく急騰か!?」
というレベルの困った事態でも起こったかのような勢いで国母君のことが繰り返し取り上げられていたのには、
「またか。」と、あきれた。
小さいことを取り上げて、
"「態度の悪い」国母君"を作り上げていく。街頭インタビューをする。
テレビってなんだかやっぱ、バカっぽいわ・・朝青龍が終わったと思ったら・・
そういう風にも、思った。
国母君のあの格好を見た私の第一印象。
「ふーん・・まあ、ネクタイの仕方とシャツの出し方はいいと思うけど、
(いや・・イマイチかな・・シャツ出しは・・)
あのずり落ちそうなズボンはダメだわ。イケてない。」
しかし、テレビ報道などでは、「けしからん」ことになっている。
事の発端を書くと・・今日(2月18日付)の朝日新聞社会面より。
国母君の友人が白血病にかかった時、「国母選手は取材を受けるたびに募金を呼びかけ、大会の会場でもファンにドナー登録を頼んだ」という事柄が中心の記事の中に、彼の"服装問題"のことが出ていた。
<一部抜粋。ここから>
< きょうハーフパイプ >
「服装の乱れ」問題で選手村の入村式出席を自粛した直後の記者会見。監督と選手7人が並ぶ中で、服装に関する質問が重ねられた。
「ちっ、うっせーな」
思わず発したつぶやきをマイクは拾った。
そのひと言が切り取られ、日本のテレビで繰り返し流れた。インターネットの動画サイトにも投稿された。川端達夫文部科学相までが「国を代表して参加しているという自覚が著しく欠けていた」と述べた。
<ここまで>
テレビを見て苦笑したのが、橋本聖子団長と国母君が並んで映っているところ。
「お母さんと子ども」だよ・・あれじゃあ・・。
私は国母君の服装について、日本の選手団のユニホームを崩し着した、
あの格好でもいいんじゃないかと思った。
ただ、日本人の体型では、ズボンのあの腰履きは難しい。
スノーボードをする時の服ならいいと思うけど、スーツのズボン腰履きはねぇ・・。
どうしても、「トイレに行った後に中途半端に上げて出てきてしまった」ように見えてしまう。
街中や、ヘタすると私がよく行く病院の中でも、そういう若い男性を見かける。
その度に、「ああ・・あのズボンを後ろから"ほらっ、パンツが見えるよ"と言って上げてやりたい」
と思う。
だけど、いいんだ。国母君は自分で、あれが「イケてる」と思っているわけだから。
しかしもしかしたら彼は、もう少し年をとってからあの映像を見て、
「うわ、オレってなんつー格好をしてたんだよ・・ダサッ。痛い奴だわ。最悪。」と、
ひとり恥ずかしさにのた打ち回るかもしれない。
「あんなカッコで出ちゃって・・しかもあんな口の利き方・・サイアク。」と、
自分で自分を見て顔をしかめるかも。
それでいいんじゃないかな・・。
「こんな格好じゃ困るな」と思った人がいたら、その人は、
上から下まで舐めるように見て、「イケてるよ!・・でも、ズボンはイケてなくね?」
「・・でもやっぱ・・イマイチ似合ってないよーな感じするし、
センス良く着崩すのって難しいね!」と、言ってあげれば良かったのに、と思う。
今、スノーボード男子ハーフパイプの結果を見たら、国母君、8位だったんだね。
-----東京新聞Web2月18日夕刊より。-------
◆信念貫き『自分の滑り』
五輪に出場する選手にもプロが多いHP。二十一歳の国母もその一人だ。「メダルを取って人生を変えようとは思っていない」。普段はワールドカップ(W杯)以外にも賞金大会を戦い、他競技の選手ほど五輪へのこだわりはない。
二度目の五輪の舞台に立ったのも、競技への愛着から。五輪はスノーボードに縁がない人たちにもアピールできる場所。「五輪の舞台でスノーボードのかっこいい面を見せたい」と言う。
----------------------(転載ここまで)
スノーボードが好きなんだね。
また次がある。
これからもガンバレ!国母!
ということが知りたくて、検索で方法を調べ、アクセス解析のところをいじっていました。
そして「テンプレートの設定」を見たら、なんと、
身に覚えのないテンプレが幾つもダウンロードされている・・。
いくら私が記憶力が落ちているといっても、プレビューしてみて、
覚えているものは覚えているし、覚えのないものは覚えがない。
気味が悪いなぁ・・。
たまに、管理画面にも入られている形跡があるし・・。
・・ちょっとひとり言でした。
今回の落ち込みの原因は・・「鼻水止め」の薬を常用したことに始まります。
何ごともないように家事をさっさとこなせない自分にイラつき、体操選手が風邪薬として使用して薬物検査に引っかかったという「エフェドリン」を思い出しました。
でも、ある程度体が軽くなったように感じたようなものの、精神的にはおそらくマイナスでした。
先週の月曜日に母の検査の結果が分かりました。
腫瘍マーカーが上がっていて、今までの薬は効かないこと、肺の転移腫瘍が大きくなっていること、その他の小さな異常・・そんな内容の説明を医師から聞きました。(主治医はとてもよく話を聞いてくれて、良い主治医です)
その前の日か当日か・・・私は母から伝え聞きに、父が母のお金のことについて信じられないようなことを言ったことを聞かされ、とても憤りを感じて、怒りました。そんなことを聞かなければ良かった・・と、母に対してもイラついてしまい、病院の帰りに私は不機嫌でした。
でもその次の日・・嫌な白昼夢を見ました。内容は覚えていません。あとは、嫌な夢続き・・
それから急に、母に対して申し訳なくて、イラついた態度をとったことを後悔して、見るもの聞くこと全てを母と関連付けて考えてしまい、涙が止まらなくなりました。心の中で、ごめん・・ごめん・・・ごめん・・
その繰り返し。
情けなくなりました。涙が止まらないというのは、「母がいなくなったらどうしよう」という恐怖の思いもありました。
私は、「母には今まで一度も褒められたことがない」とここに書いたことがあります。
逆に、私は、母に頼り過ぎてもいたのです。30代後半にもなって。
そして、今まで母は家族や近所の人、友人、犬や猫、みんなに優しくしてきたんだなぁということに改めて気づきます。余計に涙が止まらない。
すみません・・まとまりがなくて・・。
精神的に落ち込んだら、食欲がまったく無くなりました。世の中のこと全てがどうでもよくなりました。全てが別世界でした。体が動かなくなりました。
でも、母には泣いて腫れた目を見せるわけには行きません。そこが辛かったです。
私:「花粉がもう飛んでるんだって」 母:「もう花粉症?そりゃ困るじゃん」
花粉症なんて、うそです。
もちろん、「エフェドリン」を含む薬はもうやめました。そんなことまでしてもイライラしたら無意味です。
この状況を救ってくれたのが、ダンナです。
私を見て「大丈夫?」と言ってくれたり皿を洗ってくれたりうぴしの散歩に行ってくれたり、
洗濯物をたたんでくれたり。
いつもと変わらず過ごしてテレビを見て大笑いをしているダンナ。気が紛れました。
思い起こせば、私が精神科に行くようになってからダンナとは少しずつ気持ちが離れ別行動で、今では完全にそうなっていましたが、やはり、こんな時に頼れるのはダンナだと思いました。
ダンナ、ありがとう。
しかしそれでも・・
旦那が朝、仕事に行ってしまってからが大変でした。また涙が止まらず、ご飯が食べられないのです。
すみません・・変にダラダラ長くて。
たまりかねて土曜日に妹に電話をしました。またそのことは書こうと思います。
ネットも、一番ひどい時を除いて、少しは見ることが出来ました。
今は気分的に、ほぼ元に戻りました。
皆さんからいただいたコメントや、そして、いつも訪問してくださっている方がいることが分かって、
とても元気付けられました。
コメントを読んで涙が出てしまったこともありました。
嬉しかったです。私に元気が戻ったのは、いろいろな人がこのブログを訪問してくださったり、
声をかけてくださったおかげというのも、もちろんあります。
本当に、ありがとうございます。ありがとう。。
涙が自然と止まらない・・息をするのが大変・・意欲が湧かない・・
こういう精神状態は、本当に大変だと思いました。
今日、ひさしぶりに、ある方のブログを訪問しました。そこでは、ホームレスの女の人のことが書かれていました。読んでみて、女性ホームレスの人の、あまりに大変な状況に言葉がありませんでした・・。
私は「心が大変な状態」にありましたが、周囲の人の助けで幸いにも、脱することが出来ました。
でも、そこから抜け出せない人だっている・・・。
清水由貴子さんのことも思い出しました。
清水さんのお母さんは認知症の症状も出ていたらしいですが・・
一人でみんな背負ってしまったのでしょうか。。本当に残念でなりません。
コメントありがとうございます。嬉しいです。とても、温かい気持ちになります。
お返事を、まだすべての方に書いていなくて申し訳ないです。
とにかく、今の状況をお伝えしたくて、先に記事をアップしました。
いつもこのブログを見て下さって、本当にありがとうございます。
とても嬉しいです。
最近、皆さんのところへ思うように訪問に行けなくて・・
それが歯がゆいですが・・。
母の病状がおもわしくなく、私はここ2,3日、泣き続けました。
涙が勝手に出てきて、悲しみながら泣くというのは、疲れますね・・。
こんなのは初めてです。
一番困ったのが、元気だった父が、具合の悪そうな母を見て、
精神的に落ち込んでしまったこと。
精神的に落ち込む=体にくる これが体験してみると大変です本当に。
一日1キロずつ痩せてる感じで。おえっ。すみません吐き気が。
泣いてばかりいて頭が痛いです。うっ・・。
(これじゃ困ります・・今日は母が新しい薬を点滴するというのに)
ただ救いなのは、旦那が明るいことです。マイペースでいてくれるので、
救われます。「大丈夫~?」と言っています。
きのうは一日、ダンナがps3を買ってきてせわしなく動いていたおかげで、
気が紛れました。
書きたいことはいっぱいありますが、生命を維持するのとうぴしのことと
母のことで精一杯になってしまいました。
記事、書きたいんだけど書けるかなー。
とか言いながらまた、2,3日すれば書かずにいられず、
元に戻ると思います。
コメントをいただいたのに、そちらに訪問できずに、申し訳ないです。
もう少し元気になったら、伺いますね。
この時期は寒暖の差が大きいです。
皆さん、どうか、風邪には気をつけてくださいね。
(すみません、コメントは承認制にしました)
イラクの「ファルージャ掃討」の時期くらいに、イラク人に日本人3人が連れ去られ、人質になる事件が起きました。
その後、3人はバッシングの嵐に合いました・・。
(あの時、妹も入れて家族5人でテレビを見る機会がありました。
「自己責任」という言葉に違和感を持ったのは私だけでした。
でも、家族といえども、「自己責任なんて変だよ」と言えませんでした。
私は、黙って聞いていました。)
そして、何年か経ち、私は『ブラック・ホーク・ダウン』という映画をテレビで放映されているのを見ました。その後はとても憂うつな気分になり、そして、「ファルージャ掃討」のことも思い出しました。
その言葉で検索してたどり着いたのが、先ほどのブログでした。
(「パレスチナ人過激派=怖い イスラエルの一般人を"テロ"で殺すのは許せない」
と単純に思っていた私の考えは変わりました)
きのう紹介した、『ブーゲンビリアのきちきち日記』のブーゲンビリアさんのブログにリンクされている、高遠菜穂子さんのブログを今から少し前に、私は訪問していました。
そして、「イラク戦争何だったの!?」という、"イラク戦争の検証を求めるネットワーク"という集いが存在するのを知りました。
きのうのブログの内容と少し前後していますが、すみません。
(ちょっと私事で頭の中が混乱していて)
これが、その時私が見た記事です。
高遠菜穂子さんのブログより→おしらせ~イラク戦争何だったの?!賛同人大、大、大募集!~
ちょっと前の記事ですが、まだ賛同人を募集しています。
私はメールを出して、賛同人に加わりました。
(名前公開OKですと書きましたが、私の名前はまだ出ていないみたい)
もしも、この呼びかけに賛同してくださる方がいらっしゃいましたら、
メールを是非、送っていただきたいと思います。
以下、転載です。
ここから*・゜゚・*:.。..。.:*゚・*:.。. .。.:*・゜゚・*・゜゚・*:.。..。.:*・゜・*:.。. .。.:*・゜゚・**・゜゚・*:.。..。.:*・゜・*:.。. .。.:*・゜゚・*
イラク戦争なんだったの!?
-イラク戦争の検証を求めるネットワーク-
メール転送用テンプレート
メール転送用の文面ができました。これを利用してじゃんじゃん広めてくださいませ。
**:***◆*****:::::** 転送大歓迎 :◆::*:::::*****:::::*:::*
「イラク戦争なんだったの!?」
http://isnn.tumblr.com/
イラク戦争の検証委員会設立を求めるアピール
賛同人募集のお願い
**::::::********::::◆:*******::::::::::*::::◆::*****::::
イラク戦争から、6年半。大量破壊兵器は見つからず、代わりに
イラク市民をはじめとする多くの尊い命が失われました。
イギリスやオランダでは大義のなかった戦争に対する検証が始ま
っていますが、イラク戦争を支持した日本はどうでしょうか。
そこで、政権交代した日本の政府にイラク戦争に関わった責任を
明らかにしてもらいたいと
「イラク戦争の検証を求めるネットワーク」を立ち上げました。
平和憲法を持っているはずの日本がなぜイラク戦争に関わった
のかをきちんと総括してほしい、そのための検証委員会を作って
ほしい、と私たち市民が政府に呼びかけませんか。
みなさん、ぜひ、賛同人になってください。
◇私達が求める3つのこと
1)独立の「第三者検証委員会」を、政府が設立し、「イラク戦争支持
の政府判断の見直し」「自衛隊イラク派遣の判断の是非」「イラク
復興支援への日本の関わり」の3点を検証すること。
同委員会が上記3点についての情報開示や調査を行い、個人も
含めた道義的・法的な責任の所在を明らかにすること。
2)「第三者検証委員会」による検証のプロセス、最終報告などが最大
限公開され、誰にでもアクセスできるようにすること。
3)「第三者検証委員会」による最終報告を受けての、日本政府として
の見解を国内外に発表するとともに、必要とされる人道支援、被害
者支援を行うこと。
*イラク戦争の検証委員会設立を求めるアピール全文はこちら↓
http://isnn.tumblr.com/post/237220244
◆呼びかけ人
*****:::::::
池田香代子(翻訳家/世界平和アピール七人委員会)
鎌田實(医師)
川口創(自衛隊イラク派兵差止訴訟全国弁護団連絡会)
佐藤真紀(日本イラク医療支援ネットワーク事務局長)
高遠菜穂子(イラク支援ボランティア)
谷山博史(日本国際ボランティアセンター代表理事)
野中章弘(アジアプレス代表)
志葉玲(ジャーナリスト)
◆賛同人を募集しています
*****:::::::
賛同人(2010年02月09日現在565人)はお名前と肩書きをWEBで公開していき、
http://isnn.tumblr.com/post/241619151
国会議員にも市民の声として名簿提出いたします。
(※ そのため、選挙区をお知らせください)
なお、お名前の公開不可の場合は、その旨お知らせください。
**_____________**
ご賛同は、
1・お名前(なるべく実名。ペンネーム可。ふりがなも)
2・肩書き(できるだけ)
3・連絡先(メールアドレスかお電話・非公開)
4・選挙区(検索するときは http://seiji.yahoo.co.jp/area/ )
5・メッセージ(任意)
を明記し、下記メールアドレスまでお寄せください。
件名「イラク戦争の検証を求めるアピールに賛同します」
regretiraqwar●gmail.com (●は@)
**____________**
◆募金のお願い
*****:::::::
市民社会の世論を大きくしていくことで、政府にイラク戦争の検証
・総括を求めていくには、宣伝・企画、ロビー活動などに相応の費用
が必要となります。
当面はイラク戦争開戦7年目となる2010年3月20日を節目に、全国各
地で「イラク戦争なんだったの!?イラク戦争の検証を求めるキャン
ペーン」(仮称)を計画中です。
また、2010年7月の参議院選挙の争点とするよう、国会議員へのア
ンケート、ロビー活動を展開していきます。
当ネットワークは、団体や個人の会費などの収入なしで、趣旨に賛
同いただける皆様の募金によって運営されます。1口1,000円以上のカ
ンパを郵便振替にてお振り込みいただければ幸いです。
<活動資金カンパ (1口1,000円以上) 振り込み先>
* 郵便振替の場合
口座番号:00230-6-116390
口座名:イラク戦争の検証を求めるネットワーク
* 他金融機関からの振込みの場合
ゆうちょ銀行 当座預金
店番:029 口座番号:0116390
口座名:イラク戦争の検証を求めるネットワーク
◆イラク戦争何だったの!? in mixi
*****:::::::
「mixi」内にイラク戦争何だったの!?のコミュを開設しました!
是非、ご参加を。
http://mixi.jp/view_community.pl?id=4672442
・*:.。..。.:*・゚・*:.。. .。.:*・゜゚・*・゜゚・*:.。..。.:*・゚・*:.。. .。.:*・゜゚・* 転載ここまで
イラク戦争のことについて私が思っていることを、また続けて書こうと思います。
もう一度。
「イラク戦争何だったの?!」
http://isnn.tumblr.com/
のHPの「設立極意」(HP中の右サイドバーにあります)を、
見ていただきたいと思います。
気になった記事を紹介します。
「イラク戦争」についてなのですが・・
私は、あれは「戦争」などと呼べるのだろうか?と、イラクに関する報道に接する度に、
いつも考えてしまいます。
以下、『ブーゲンビリアのきちきち日記』2010年2月5日付ブログ記事より、
転載させていただきます。
ここから *・゜゚・*:.。..。.:*・゚・*:.。. .。.:*・゜゚・*:.。..。.:*・゜・*:.。. .。.:*・゜゚・*゚・*:.。..。.:・*:.。. .。.:*・゜゚・*
『ブーゲンビリアのきちきち日記』
トークイベント『試験に出ない「イラク戦争」?!』2.14渋谷
池田香代子ブログから
http://blog.livedoor.jp/ikedakayoko/
_____以下転載_________
トークイベント『試験に出ない「イラク戦争」?!』 2/14@渋谷
http://isnn.tumblr.com/post/369880460/2-14
2月14日に行う、田中優さん、高遠菜穂子さんとのトークイベントの詳細が決まりました。どんどん転送していただけると助かります。特に学生さんはじめ若い方に来てもらうことを念頭に企画しました。
★転送歓迎☆------★転送歓迎★------☆転送歓迎★
☆====☆★===/ トークイベント /===★☆====
====
=== 『試験に出ない「イラク戦争」?!』
== でも、これからの世界にきっと必要なこと!
===
☆==★=====/====☆====/=====★===
はい!注目ーーーーー!!
みなさん、イラクという国を知っていますよね。
日本からずっと西に離れた中東の国です。人類最古のメソポタミア文明は、ここに生まれました。
イラクはとても豊かな国でした。しかし、1990年に始まった湾岸戦争、その後12年も続いた国連の経済制裁、そして2003年からのイラク戦争のために、現在、5人に1人、あるいは4人に1人が1日1ドル以下の暮らしをしているといわれています。
あと数年もすれば、そのイラクから届く石油で、あなたの家で使う電気が作られるようになるかもしれません。
しかし、その前にしなくてはならないことがあります。
イラク戦争で、アメリカを始めとする国々が武力攻撃を決めたとき、日本はいち早くこれを支持しました。ところが、その後の調査で、攻撃理由の数々はすべてウソだったことが明らかになりました。
このでたらめな戦争によって、ふつうに暮らしていた市民が少なくとも15万人も犠牲になり、6人に1人が孤児になってしまったのです。二度とこんなあやまちを繰り返さないために、この戦争を支持した国のわたしたちは、何がいけなかったのか検証する必要があります。
ここ、試験には出ません(笑)! ですが、世界が抱える問題を武力によらずに解決するには、決して避けては通れないことだと思いませんか?
☆==★=====/====☆====/=====★===
◆日にち:2月14日(日)
◇時間:(14:00開場)14:30開始 17:00終了予定
◆場所:伊藤塾 東京校(渋谷区桜丘町17-5)
◇地図:http://j.mp/aH8olx
◆参加費:学生500円/一般1,000円
◇トーク:田中優(ミスチル桜井和寿さんがap bankをつくるきっかけをつくった人)、高遠菜穂子(イラクの人々を支援するボランティア)
⇒イラク戦争が始まった経緯と現状をうかがいます。
♪当日、イラクの子ども達の支援につながるオリジナルパッケージに入った「六花亭のチョコレート」を販売します。
▼ウェブ:http://isnn.tumblr.com/
▽メール:[email protected]
▼mixi:http://mixi.jp/view_community.pl?id=4672442
▽twitter:http://twitter.com/isnn_
▼主催:イラク戦争なんだったの!?
~イラク戦争の検証を求めるネットワーク~
▽協賛:市民社会フォーラム
◇田中優の持続する志
http://tanakayu.blogspot.com/
◇イラク・ホープ・ダイアリー(高遠さんブログ)
http://iraqhope.exblog.jp/
☆==★=====/====☆====/=====★===
【イラク戦争の検証】
BBCやNew York Timesといった海外メディアは、イラク戦争の報道を検証したり、釈明文を掲載しています。しかし、日本の新聞ではいまだそのような動きがありません。
また、英国やオランダでは自国政府の戦争への関与についてすでに検証が始まっています。日本でも市民による「イラク戦争の検証を求めるネットワーク」が誕生。国会議員とも連絡を取りながら、政府へ独立した検証機関の設立を求めています。
★転送歓迎☆------★転送歓迎★------☆転送歓迎
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以上、ブーゲンビリアさんのブログより。
2月14日で日にちも差し迫っているし、場所は東京なので、参加できる方など、
このブログで宣伝したところで、もしかしたらいらっしゃらないかもしれないのですが
(私は残念ながら行くことはできません)、でも、こういうイベントもあります、
ということを、このブログを読んでくださっている方に知っていただきたく、
載せました。
イラク戦争やオバマ大統領のことについては、また続きを書こうと思います。
2年もブログをしていて、一旦削除してしまった「最近のトラックバック」が復活できることをつい一週間くらい前、知りました。というか、気がつきました。
(この前、「トラックバックの表示が復活できない」と騒いでいたアレです)
なんと、管理画面の『プラグインの設定』というところを押すと、あるではないか!
「公式プラグイン追加」 「共有プラグイン追加」 と・・・。
で、「最近のトラックバック」を復活させ、なおかつ、QRコードもつけました。
気がつかないものですね~。
って、私だけか・・2年も・・。
OS と ブラウザ の区別もつかなかったですが、
最近では何とか・・分かるようになりました・・。(自信ない)
あとは・・カンでやっています。
どうでもいいことですが、このブログの一番下に、「おみくじ」があります。
やってみて下さい。
今やってみたら、私は「小吉」と出ました。小吉くらいがいいですね。
またどうでもいいことですが、
浣腸と変換するのに、最初に「間諜」と出た時には、すごいと思いました。
国語辞典で調べてみた。意味は、「スパイ」とある。勉強になった。
(・・・以前にも同じことを書いたような気がします)
ここに来られる人が、意外といることが分かる。
そうなんですよね・・。老犬になってくると腸の機能も落ちてくるのか、
特にうぴしは、冬、便秘になりやすくなりました。(16歳です。人間で言うと85歳くらいか・・)
この前浣腸したのは、秋くらいだったかなぁ。
2,3日出なくて、でも、動物病院に行くほどでもないなこりゃ、という感じで
どうすべきか、迷っていました。
その時のうぴしは食欲もあるし、便秘だけが問題だったので、
思い切って浣腸をしてしまいました。
(人間用の"イチジク浣腸"30ml全量)(うぴしはその時は体重は11~12kgぐらい)
ちょっと怖かったです。キンチョーした。(でも、出ました)
ただ、アクセス解析から辿っていって別の方のブログに行ってみると、
「激しい嘔吐などがある時は、素人が自己判断で浣腸するのはやめた方がいい」
とありました。
(または、犬に元気がない時もやめた方がいいと思います)
それだけで衰弱して一気に体力が奪われ、危険な状態に陥るということもあるかもしれないので、(うちのうぴしは浣腸をしても大丈夫でしたが)
犬がひどい便秘になってしまった時は、動物病院の医師に相談することをおすすめします。
便秘は、うちのうぴしは牛乳を多く飲ませると、すぐに改善します。
(母が飲んでいる人間用の"酸化マグネシウム"(緩下剤)を与えてしまったこともあります)
乳糖不耐症(牛乳がお腹に合わない)で下痢をしてしまう犬もいるので、
便秘だからと牛乳を飲ませる場合は、慎重に与える方がいいと思います。
お茶やコーヒーを飲みながら・・お菓子を食べながら・・見ることのできる写真誌では、
ないです。確かに・・。(被写体そのものがグロテスクというかそういう意味ではない)
インドのゴミ捨て場に住んでいる幼い男の子の写真を見て、衝撃を受けた。
あまりにも不衛生な状況で、生命が危ないと感じた。
インドというと、著しい発展途上にあり、車の「タタ」も有名になってきて、
”けっこうみんな裕福なのかな””格差が著しいといっても、どこの国も似たようなものだろう”
というくらいに、私は最近のインドをテレビ報道などで捉えていた。
しかし、「IT技術立国インド」「車のタタ」のイメージとはかけ離れ過ぎた、
想像を絶する貧困が存在することを知る。
「(インドには)完璧ともいえる格差のシステムが存在するのだ。」と、
カメラマンはレポートに書いている。
「DAYS JAPAN」のジャーナリストは、
そういうことから目を逸らさずに被写体にカメラを向けている。
見ている私も、同じ目線になる。
気分は当然、重くなる。
「貧困は見なければ存在しない」かもしれない。
私は写真を通してだが、インドのゴミ捨て場の幼い少年・少女、親子を見た。
その写真を見た感想は・・・すぐに言葉にできるものではない。
「考えさせられる」とか「ひどい」などという安易な言葉を、写真自体が受け付けない感じ。
ただただ事実を、じっと見つめるしか、出来なかった。
「見るのが怖い」と思った特集写真記事があった。
『乳がんを超えて』というタイトルの、レポート。
30歳代で2人の子どもがいる、乳がんになった女性が被写体。(彼女は洋子さんという)
手術前のきれいな胸を、小さな男の子が母親(洋子さん)に向き合って触っている。
洋子さんの顔の表情は・・いとおしむような悲しいような・・表情。
そして、がんの出来ている片方の乳房を切除したのは、07年。
術後の、上半身があらわになった、片方の乳房に医療用テープが貼られている姿。
「同時再建」といって、"拡張器"を入れておくのだそうだ。
片方は、きれいなままの乳房。
洋子さんのその姿は、痛々しい」などという言葉では、とても表現できない。
洋子さんを取材した写真家の宮下マキさんは、
「時に人は、ある喪失において自分の存在さえも見失う。・・・・・
・・・・がんは乳房ばかりか彼女の心までも侵食していくようだった。」と、書いている。
その後洋子さんは3度目の再建手術を受け、家族の優しい見守りもあって、
徐々に、本来の自分を取り戻していく。
一番最後の写真では、子どもたち二人が洋子さんにもたれかかっていて、
洋子さんは楽しそうに笑っていた。「洋子と出会って3年近い月日が流れた。」(宮下さん)
[READ MORE...]
正直なところ、「何も、引退までしなくても・・」という気分。
以下、asahi.com(2010年2月5日7時14分配信)から、
横綱審議委員だった内館牧子氏の意見を転載。
:::::::::::::::::::::::::::ここから
内館牧子さんの話 朝青龍が自ら引退したことはベストの選択だったと思う。「出処進退は自ら決める」というのは角界の美意識でもあり、横綱たる者がいかなる処分でも勧告されて従うというのは恥ずかしいことです。「天敵」と呼ばれた私ですが、この選択には安堵(あんど)しています。今後、日本であれ、他の外国であれ、どこかで何かの仕事をなさるでしょうが、その際、その国とその業界、その仕事に対して敬意を払うことを忘れないで欲しいと思います。朝青龍は日本に、角界に、そして相撲という仕事に、敬意が欠けていた。それを持てば、彼のよさがもっとあらわれ、そして評価されると考えています。
:::::::::::::::::::::::::::転載終わり
この、内館氏の言葉で気になるのは、「朝青龍は日本に、角界に、そして相撲という仕事に、敬意が欠けていた。」という部分。「横綱だから」「敬意がないと」ダメなの?
日本に敬意・・私は日本人だけど日本に敬意を持っていないよ。
日本と日本人のことが好きだけど、「敬意」なんて言われたって、曖昧で分からない。
それに、「角界の美意識」って・・。
朝青龍、それほど体が大きくないのに横綱になって、強いし、
お相撲さんの中では好きだったのにな。
確かに、「悪さ」は出ていたと思う。することが派手だし。
相撲という仕事に敬意を持っていないと、相撲取りはしてはいけないのか?
それとも、「横綱だけに要求される」のか。
普通の一般人から見ても分かりにくいようなことを、外国から来た力士に押し付けておいて、
よくも「敬意を払え」だの「品格がない」だの、言えるなぁ・・横綱審議委員会の委員って、「厚顔」じゃないと務まらないのかな・・。(他のおじさん達や"やくみつる"については、知らないが)
もったいない、朝青龍が引退してしまうなんて。
土俵の外を賑わせても、いいじゃん。
私の勝手な想像だがむしろ、その辺は江戸時代のほうがおおらかだったのではないか。
もちろん、暴力を振るうなんてあってはいけないことだが、
「横綱だから品格を持った振舞いを」とか、分かりにくいことを押し付ける相撲界や、
横綱審議委員会のほうを何とかしないと、あまりにも古くさ過ぎて、また相撲ファンが減ることは確実だろうと思う。
そして、自分の「社会不安障害」について、向き合おうと思いもあったから。
(「社会不安生涯」、だと。変換が。まあ似てるといえば、ね。^^;)
近所の人と話が出来なくなってガス屋のおじいさんが集金に来て立てこもって
(話をするのが怖い)、家族と話すのに突然頭の中が真っ白に・・。
それでやっと病院の精神科に行って、ただの上がり症ではないことが分かる。
それから、SSRI(セロトニン再取り込み阻害薬)と、安定剤を服用しているわけだが・・。
少し前から、薬だけでは限界があるのでは・・と感じるようになる。
もちろん、極端なドキドキ感は無くなって、普段の買い物も治療開始から比較的早く(それでも2年くらいか)、行けるようになった。
ただ、憂うつな気分が続くと、緊張する場面でもないのにガタガタしてしまったり。
私の、「上がり症」という性格はおそらく生まれつきのものだから直りにくいだろう。
でも、病的な上がり症、そして憂うつな気分になりやすいというのは、(精神科の看護師である妹も言っていたが)「性格の癖」というのがあると思う。
この、「性格の癖」がおそらく、いけないのだろう、私を邪魔しているのだろう
という気がする。
ああ・・まとまらない。
そうです、そして最近ではいろいろなことが重なりました。母の病気とか自分の体調不良とか。
薬で気分が落ち着けて普通に生活が送れることはいいのですが、落ち着く=ぼーっとする、眠くなる・・・も、私の場合は含まれます。そうすると今度は、ボーっとしないようにするには・・?良くないことですがこれも薬に頼ってしまいます。これでは良くないと自分では分かっている。
薬以外の方法が必要なのです。
まず自分の性格の癖に気づいて、偏り過ぎている部分にも自らが気づかないと、
何年たっても同じ・・ではなくても、病院に4週に一度行くということは続いてしまうだろう。
妹の知人で、私と同じ病気で治るのに8年かかったという人がいる。
私はその人を知っているが、とても明るい性格で、そんな風には見えない。
(ついでに、私も根は明るい性格だと思う。くだらないことが好きというか)
それにしても、8年はかかりすぎではないか、と思った。
あまり詳しくは分からないのだが、私のただの感想だが、日本の精神医療は薬に偏り過ぎていると感じる。
医療費が増大・・というが、製薬会社は儲かっているのかな・・
患者さんのためには、どこが問題かを気づかせてくれるカウンセリングを重視する医療になればいいのに、と思う。
「夜中の3時でもいいから電話してね」なんていうセリフを海外ドラマの字幕で見るが、
本当に夜中の3時に友達や恋人に電話する人っているのかな。
私は実は‥ちょっと過酷な状態です。精神的に、かな。
そんな中、いただいたコメントで「大分麦焼酎二階堂」のCMのフレーズを思い出した。
井上陽水の「少年時代」も、思い出した。
小さい頃、親戚中で集まって、
山へ遊びに行っておにぎりを食べたことを思い出した。
5月の連休や、8月のお盆。山の濃い緑と、川。
大人も子どもも、楽しかった。楽しんだ。
あの中に、母と私もいた。
母はまだ、今の私より若かった。