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安倍晋三首相、24日福島を訪問。農家でパフォーマンス。「カブ(株)上がれ」・・・・これが今の日本の首相です。
2013年03月26日 (火) | 編集 |
こんばんは。一週間経ってしまいましたが、更新です。

おとといかきのう、テレビのCS放送のニュース(TBSニュースバード)を見ていたら、
安倍首相が福島を訪れた、という映像が流れました。

以下、「阿修羅」から全文転載。=====================ここから。

首相、福島の農家で「カブ上がれ」 被災地を視察

 安倍晋三首相は24日、福島県を訪れ、東京電力福島第1原発事故で全域が警戒区域や計画的避難区域になっている浪江町などを視察した。福島訪問は第1原発を訪れた昨年12月29日に続き就任後2回目。

福島県郡山市の農家で、土から抜いたカブを「株、上がりますように」と持ち上げる安倍首相。左は根本復興相(24日)=共同
 浪江町などの一部地域は住民の立ち入り制限が段階的に緩和される予定で、首相は楢葉町内の検問所では警察官らを「命懸けで地域のために頑張った皆さんの貢献に敬意を表したい」と激励。風評被害に苦しむ農家らとも意見交換し、郡山市のカブ栽培農家では自ら収穫したカブを掲げて「カブ(株)が上がりますように」と訴える場面もあった。

 視察後、記者団に「2年間、時計の針が止まってしまったことを実感した。復興のスピードアップを図っていきたい」と強調。原発の再稼働については「安全を確保した上で判断したい。一方で低廉で安定的な電力供給がないと復興も難しい。総合的に判断していく」と述べ、再稼働の必要性に改めて言及した。

2013/3/24 18:47
http://www.nikkei.com/article/DGXNASFS2400J_U3A320C1PE8000/?dg=1

===========================転載ここまで。


(福島・)浪江町の、3月11日の地震で崩れた家や瓦礫がそのままになっている道路や商店街を視察して、安倍さんが、「時が止まったようだ」と言っているのを見ました。

あの事故から、首相や閣僚たちが民主党政権の時から何度も訪問していますが、2011年9月9日、当時の鉢呂経済産業相が、放射能汚染が原因で住民が避難した町を「残念ながら周辺の町村の市街地は人っ子一人いない、まさに『死のまち』という形でございました」と表現しました。それを思い出しました。

鉢呂さんは猛批判されましたが、
私はあの時、鉢呂さんの言う通りではないかと思いました。
旧ソ連のチェルノブイリ事故、事故後の付近の町の様子を、
政府の要人が知らないわけがありません。


何よりも不可解で頭に来るのは、伝えるマスコミです。
(もう今さら、な感じですが)
私が見たTBSニュースバードでは、放射線量がどのくらいなのか、浪江町や富岡町に日中立ち入り可能な区域が出来るといっても、除染は有効なのか、どのくらいの住民が帰りたいと思っているのか、
それは伝えなかったです。そういうことを伝えないとならないのに。


郡山市の農家のビニールハウスでカブの収穫体験をしていた安倍さん、
とても、はしゃいでいるように見えました。
「割と簡単に抜けるんだね」とニコニコ顔。

みっともないわ・・・と私は思いました。

首相の視察先の、常磐線のJR富岡駅の映像が少し映りましたが、
駅のホームは草ボウボウだし、見た目はゴーストタウンです。
こちら→富岡駅の様子(共同通信撮影・スポニチより)

【案内役の馬場有町長から速やかなインフラ復旧を要請され「復興を加速化させていきたい」と強調した。】(スポニチweb・3月24日)ということですが、
住民がどのくらい被曝するか、が一番重要だと思うのですが、
そこが抜けています。一番重要ではないでしょうか。
インフラを整えて住民を無理に帰還させるより、もうあきらめて、
住民を移住させるべきだと私は思います。


++++++++++++++++++++++++++++++++++

ここからは、参考にリンク先から読んでみて下さい。

新聞赤旗より。2013年1月13日(日)
安倍内閣、反省なき原発推進
事故を招いた「A級戦犯」

http://www.jcp.or.jp/akahata/aik12/2013-01-13/2013011301_04_1.html

■小泉内閣~第一次安倍内閣の、「原発関連の出来事」表
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik12/2013-01-13/2013011301_04_1.jpg
この表は、分かりやすいです。



自民党のTPP反対議員は何をしているのか。
2013年03月18日 (月) | 編集 |
安倍晋三首相が、この前、
環太平洋連携協定(TPP)の交渉参加を表明しましたが、
私が、「どうしても解せない」と感じたのは、
昨年12月の衆議院選挙の際、「TPP断固反対」と訴えていた議員の存在です。
あの人たちは、いったい、どこへ?

こちら→http://www.miyagawanoriko.net/
(衆議院議員・山梨第一選挙区 宮川典子公式ホームページ)
をご覧下さい。
山梨一区から当選した宮川典子議員ですが、(私の選挙区の人です)
選挙運動中には「TPP反対」を叫んでいたはずなのですが、
最近は、「公式HP」といっても更新されていないようで、それに宮川さんは
ツイッターで発信していたのに(宮川さんのアカウントは二つ)、
36日、42日以上、それぞれ更新されていません。
何のためのネット活用なんだろうな、と思ってしまいます。


このブログのリンク先の、村野瀬玲奈の秘書課広報室 の記事を紹介。

TPPに反対する自民党議員たちはどこまで本気か
(2013年3月3日付)
この記事より、ブログ管理人の村野瀬さんの言葉を、抜粋、転載(太字部分)。

私は彼らが言う「国益」というものが、国民一人一人の生活を支援して国民が安心して生活できるような制度を整えることを意味していないことを知っています。ですから、このTPPの件では私の意見と重なるところがある程度あっても、過大な期待はしません。期待はあまりできないと思うけど注目する、といったところです。

自民党を支持する人でTPPには反対の人は、地元の自民党議員に強くプッシュすることが必要です。


私は自民党には過去一度も票を入れたことはないですが、
TPPだけは交渉参加などということはないだろうと思っていたのです。
自分で、TPPの危険性だけは感じていたものの、
正直にいうと、TPPでは自民党をある程度信用していたところもありました。

しかし、村野瀬さんのおっしゃるとおり、期待しない方がよかったのか。

宮川さん、フェイスブックも更新していないです。

で、安倍首相は、何だかどうでもいいようなことを投稿しているような。

TPPについては、今日はリンクだけですが。
分かりやすいです。
こちら→プロジェクト99% サルでもわかるTPP



2月22日 河原にて。
2013年03月14日 (木) | 編集 |
河原にて


2月22日。少し前の写真なのですが...。
風は少し吹いていたけれど、そんなに寒くはなかったです。

近くの河原に、散歩に行きました。

ここ何ヶ月か、写真が、上手い下手じゃなく、
自分が納得いく風に撮ることができないです。

あまりに殺風景なのでアップしようかどうか迷いましたが、
せっかく撮ったから。こんな感じですが。

河原では、大きなレンズを構えて写真を撮っている人が数人いました。
鳥がいたのかな。
枯れた葉の色で、保護色なのか、
私は、「どこ?鳥がいるの?どこ?」とキョロキョロ探しましたが、
鳥の姿は見えませんでした。

河原には、缶や瓶やゴミが落ちていました。
猫か犬の足跡、鳥の足跡もありました。
捨てられたサボテンが石と砂地の間に食い込み、かろうじて生きていました。



3月10日と3月11日
2013年03月10日 (日) | 編集 |
2013年3月8日付朝日新聞朝刊の「声」欄に、
写真版 東京大空襲の記録 (新潮文庫)
の著者の、早乙女勝元さんの投書が載っていました。

私は、この本をたまに手にとって見ますが、おそらく今回見るのは1年ぶりです。
3月10日の東京大空襲の惨禍、写真での記録はあまり残されていない、というようなことが記されていた記憶があります。
下は、早乙女さんの著書:「写真版東京大空襲の記録」の176,177ページの写真。
和光の時計台が切れてしまいましたが、映っています。銀座と思われます。
著書の中の説明文:焼け跡に佇むアメリカ人。左の人は報道関係者か
と、あります。
(この写真は、3月10日の空襲の後なのか、同年5月の空襲の後か、不明です。)
この著書には、犠牲になった市民の惨たらしい写真もあります。
P1010429_convert_20130310161311.jpg


下は、3月8日付朝日「声」欄の早乙女さんの投書。

----3・10と3・11 ともに心に刻む----

asahi 20130308

その中から、一部を抜粋して、紹介します。

=================(ここから)

 3月10日(1945年)の東京大空襲の後、下町地区は一望の焼け野原だった。当時私は12歳だったが、学校は丸焼け、勤労動員の工場も壊滅し、焦土をさまよっては、めぼしい物を拾う日々だった。
・・・・
大震災後の被災地では、いつになったら故郷の土を踏めるのか、全く見通しのない人たちが多いのに心が痛む。
 平和とは、3・11前まで、ごく平凡な日常だったのだ。それが一瞬にして非日常と化したのは、天災ではない。昨年、福島県南相馬市の被災地に立って何が収束かと呆れ、原発の再稼働・輸出の報にぞっとした。その気持ちは今も尾を引いている。
・・・・
=================(ここまで)

「天災」の部分はもちろんありますが、「人災」の面もありますよね・・。
特に、原発事故です。
まだまだ、続いています。
爆発して壊れた建屋や配管を、人間が被曝しながら撤去していかないとならないし、炉心の状態も分かっていない。まだらに飛び散った放射性物質は、「流通」で全国あちこちに広がってしまいました。
それで、再稼働・新規建設・他国に輸出と言っている政府。
「途方に暮れて」いる場合ではないですが、私はそういう気持ちにもなってしまいます。
ネガティブでよくないんだけど・・・


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「TVでた蔵」より全文転載。(ここから)==============

2013年3月9日放送 6:00 - 7:00 NHK総合
NHKニュース おはよう日本 (リポート)
東京大空襲が起きてから、明日で68年をむかえる。空襲孤児となった子供が高齢になる中、これまであまり語られて来なかった「苦悩」を語り継いでいこうという取り組みが始まっている。
東京大空襲で、空襲孤児で孤児となった子供が現在は高齢に。空襲孤児である星野光世さんは、同じような経験をした人を訪ね歩きながら、記録する取り組みを始めている。この日訪ねた永田郁子さんは戦争時、風呂敷1つで町を彷徨っていた。その風呂敷に入れて持ち歩いていたのは、空襲で死亡した家族の写真や手紙だった。そういう経験を絵に描いていく星野光世さん。
東京大空襲で、空襲孤児となった星野光世さんは、今日から東京・墨田区にある「すみだ郷土文化資料館」で、同じような経験をした人を訪ね歩きながら記録した、5人分の絵などを展示している。 「戦争の怖さ・愚かさ」が伝わればいいと話してくれた。
=================(ここまで)

http://datazoo.jp/w/%E5%A2%A8%E7%94%B0%E5%8C%BA%EF%BC%88%E6%9D%B1%E4%BA%AC%EF%BC%89/13943123

きのうの朝、私は偶然NHKニュースを見ていました。東京大空襲で親や家族を失った女性への取材です。

星野光世さんは、当時女学生くらいの年齢だったのだと思う。空襲で親を亡くし、姉妹3人で親戚の家を頼り、居たそうです。しかし親戚宅では「邪魔者」扱いで当時は辛かった、と言っていました。「でも、今考えてみると、孤児を預かることになった親戚も被害者だったんだ、と思うようになった」、と話していました。
星野さんは、親戚宅に居づらくなり、わずかな荷物を持って姉妹3人で親戚宅を出て道を歩いた体験も、絵にしていました。

また、星野さんが話を聞いた永田郁子さんは、大空襲で家族全員を亡くしたのだろうか、行く当てもなく一週間ほど神社に野宿したそうです。
ぽつんと一人、夜、神社にいる女の子の絵です。


東日本大震災で、津波で家族全員を失った女子高校生がいました。
彼女は、「かわいそう」とは思われたくない、と、明るく振舞っている場面をテレビで私は見たのですが、気が重くなり、言葉がありませんでした。
もちろん、明るい方がいいと思うけれど、
時には、わーーっと、泣いてもいいんだよと、声をかけたくなりました。

原発事故が原因で、牛舎の壁に「原発さえなければ」と書き残して自殺した酪農家の男性のことも、私は折にふれ思い出します。
思い出すのですが、思い出すたびに、どうしたら自殺しないで済んだのだろうかと思っても、無力感を覚えます。



みなさま、お久しぶりです。
2013年03月07日 (木) | 編集 |
もう、3月7日ですね。みなさま、お元気でしたか?

2月13日、朝の雪景色です。
この後すぐに晴れて、雪はあっという間に融けました。(ような記憶が)

2月13日の雪

また少しずつ、更新していこうと思います。