2015年01月10日 (土) | 編集 |
こんばんは。更新が開いてしまいました。
明日は夫と一緒に、県内の親戚の家に新年の挨拶に行ってきます。
これが終われば、私のお正月も一段落です。
--------------------------
ところで、昨年12月14日に行われた衆院議員選挙について。
解散した当初、「今、選挙をする必要があるのか」「税金の無駄遣いだ」
という声を多く聞きました。
私も、「まったく、その通り・・。それだけのお金があれば、別のことに使ったほうがいい」
と感じました。
ただ、この前も選挙のことについてここでブログ記事を書いたのですが、
決まった以上は、参政権を行使するしかないので、ネットの中だけではありますが、
「そこで騒いでも仕方がない」と思っていました。
やる時は、やるじゃん、と。
そして、1月4日の朝日新聞2面の記事。「Re:お答えします」という、読者から編集室に寄せられた質問がありました。
『衆院選の費用が約630億円と報道されていましたが、何にいくら使われているのかがわかりません。詳しい使い道を教えてください(埼玉県 主婦 51歳)』
編集室の答えを一部抜粋・転載。============ここから
安倍内閣は昨年11月28日の閣議で、衆院選と併せて実施された最高裁判官の国民審査の費用を631億8300万円と決定。
急きょ決まった衆院選だったため、予想していない事態に備えて2014年度予算に計上されている「予備費」から支出しました。総務省によると、前回12年の衆院選を参考に積み上げたもの、だそうです。
・過去の衆院選での支出
税金の無駄遣いがないかを点検する省庁版事業仕分け「行政事業レビュー」の資料では、前回衆院選での支出は588億円でした。
○支出総額の90%を超える542億円が都道府県への委託費。
○新聞社への広告費(21億円)
○選挙期間中に候補者が配布を認められているはがき代(19億円)
○政見放送などの費用(1億円)
実際の支出額は、今秋にも公開される総務省の決算書で確認できます。
===================抜粋・引用ここまで(太字は私による)。
と、こんな感じで選挙の費用が大体分かったのですが、
今回の選挙の「争点」というものは、今でもやはり分からないです。
「自民党(公明党)に政権を任せるってことでいいよね!」選挙?だったのでしょうか。
アベノミクス云々といったって、一部の大企業には恩恵があったのかもしれませんが、
大多数の国民が良くなったという事はあり得ません。
この記事は朝日新聞2面の、目立たない場所にありました。
新聞からネットへ情報を拡散、というのでも良いと思います。
ここを読んでくださる皆さんに教えたく、記事にしました。
p.s....次回は、そんなに間を開けずに更新したいです。
明日は夫と一緒に、県内の親戚の家に新年の挨拶に行ってきます。
これが終われば、私のお正月も一段落です。
--------------------------
ところで、昨年12月14日に行われた衆院議員選挙について。
解散した当初、「今、選挙をする必要があるのか」「税金の無駄遣いだ」
という声を多く聞きました。
私も、「まったく、その通り・・。それだけのお金があれば、別のことに使ったほうがいい」
と感じました。
ただ、この前も選挙のことについてここでブログ記事を書いたのですが、
決まった以上は、参政権を行使するしかないので、ネットの中だけではありますが、
「そこで騒いでも仕方がない」と思っていました。
やる時は、やるじゃん、と。
そして、1月4日の朝日新聞2面の記事。「Re:お答えします」という、読者から編集室に寄せられた質問がありました。
『衆院選の費用が約630億円と報道されていましたが、何にいくら使われているのかがわかりません。詳しい使い道を教えてください(埼玉県 主婦 51歳)』
編集室の答えを一部抜粋・転載。============ここから
安倍内閣は昨年11月28日の閣議で、衆院選と併せて実施された最高裁判官の国民審査の費用を631億8300万円と決定。
急きょ決まった衆院選だったため、予想していない事態に備えて2014年度予算に計上されている「予備費」から支出しました。総務省によると、前回12年の衆院選を参考に積み上げたもの、だそうです。
・過去の衆院選での支出
税金の無駄遣いがないかを点検する省庁版事業仕分け「行政事業レビュー」の資料では、前回衆院選での支出は588億円でした。
○支出総額の90%を超える542億円が都道府県への委託費。
○新聞社への広告費(21億円)
○選挙期間中に候補者が配布を認められているはがき代(19億円)
○政見放送などの費用(1億円)
実際の支出額は、今秋にも公開される総務省の決算書で確認できます。
===================抜粋・引用ここまで(太字は私による)。
と、こんな感じで選挙の費用が大体分かったのですが、
今回の選挙の「争点」というものは、今でもやはり分からないです。
「自民党(公明党)に政権を任せるってことでいいよね!」選挙?だったのでしょうか。
アベノミクス云々といったって、一部の大企業には恩恵があったのかもしれませんが、
大多数の国民が良くなったという事はあり得ません。
この記事は朝日新聞2面の、目立たない場所にありました。
新聞からネットへ情報を拡散、というのでも良いと思います。
ここを読んでくださる皆さんに教えたく、記事にしました。
p.s....次回は、そんなに間を開けずに更新したいです。
2014年12月11日 (木) | 編集 |
こんばんは。(というか、もう、朝になってしまいますが)
漫画家で造形作家のろくでなし子さんが、
7月に続いて、先日再び逮捕されてしまいました。
ネットで調べてみると、前回の容疑は「わいせつ電磁的記録媒体頒布罪」(女性器の3D画像頒布)で逮捕された、とのこと。今回は、「わいせつ物公然陳列」の容疑で逮捕されたということです。(今回は、アダルトグッズショップの北原みのりさんも逮捕されて、北原さんは釈放されているが、ろくでなし子さんは拘留されたままのようです)
私は、ろくでなし子さんのことは、7月に、ネットに大量に流れてきた情報で知りました。
悪質でもないのに(しかも今は大正時代でもない)「そのくらいのことで、なぜ、逮捕なの?」
と、驚きました。逮捕は行き過ぎだと思いました。
そして、疑問がわきました。素朴な疑問です。
なぜ、ろくでなし子さんは、女性器にこだわるのだろう。
こだわる、というとしっくりこない。
それは私自身が、そういう話は避けたいと無意識に思っているからか。
2014年9月5日の朝日デジタルをリンク。
VIO脱毛って何だ イマドキ女子の身だしなみ、なのか
一部分を抜粋、転載します。ここから。=================
■脱毛の歴史、古代から
「VIO」のVは下腹部、Iは性器周辺、Oは肛門(こうもん)周辺。各部位の形をアルファベットで表している。
30歳前後の読者が多い女性誌「steady.」(宝島社)9月号の読者アンケートでは、55%がアンダーヘアを処理し、うちVを処理している人は90%、IとOが各50%。処理している人のうち25%がサロン利用者だった。
ろくでなし子さんは「自分は毛深い」と思い込んでVIO脱毛をしたという。「友達と比較したり、気軽に話題にしたりできなかったので、思い込んでしまった」。毛がない方がすっきりして楽になる、という期待もあったという。
=================ここまで。
以上のことを、朝日新聞で読んだことがあり、記憶に残っていました。
意外でした。ろくでなし子さんは、もっと「あけっぴろげ」…そんなイメージがあったので、
脱毛について、『友達と比較したり、気軽に話題にしたりできなかったので、…』
などと思っていたとは。
ろくでなし子さんのプロフィール:
『自らの女性器を型どりデコレーションした立体作品「デコまん」造形作家。 』
だそうです。
わたしの「まん中」を3Dスキャンして、世界初の夢のマンボートを作る計画に支援を!
という、ろくでなし子さんの計画のHP、読んでいて面白かったです。
男性の反応や女性の反応、いろいろだなぁ。
そういう私も、そうだったかもしれない。
ただ、私は、朝日デジタルのVIO脱毛の話を読んで、
私の場合はVIO脱毛ではないですが、思い当たるフシがありました。
それは、かなり前(8~9年前)に、お腹の手術をするときに、
下腹部の毛を剃って下さいという説明が「手術の前に」の書類に書いてあり、
看護師が行っても、自分で家で処理してきてもどちらでもよい、
みたいなことがありました。
私は、(おそらく)いくら同性とはいえ、他人にしてもらうのは恥ずかしいと思い、
家で、刺激の少ない除毛剤を使って処理しました。
毛が除毛剤で分解というか溶けるのを待つ間。パンツを脱いでマヌケな状態。
そして、拭き取って出来上がり。
立って鏡で見てみたら。笑えました。
恥丘の部分が、野球部の高校生のイガグリ頭のようになってしまったのです。
(もちろん、剃刀でつるつるにすることはできるでしょうが、
そこまでする必要はなかったので、イガグリ状態。想像にお任せします)
(すみません生々しい話で)
除毛剤を塗るときは、自分の性器を見ながら(粘膜に入ったら大変)ですが、
そうすると、イガグリ状態になったときもそうですが、
その時は、ろくでなし子さんに近い気持ちだったと思います。
女性器も、器官なのだなぁ、と。
(※だいたい、「恥丘」ってなんで「恥」なんだ?恥ずかしくないじゃん、
と思ったりもしますが、人にできる話ではない…)
ここまでいろいろ話しましたが、ろくでなし子さんが二回目も逮捕されたこと、
拘留については、表現の自由の面で深刻にも考えてしまいます。
表現の自由以外に、北原さんもそうですが、二人とも女性です。
私のうがった考えかもしれないですが、「(女性を)自由にさせてたまるか」という、
外からの大きな力を感じるのです。
この話について、次はいつになるか分かりませんが、
また書きたいと思います。
漫画家で造形作家のろくでなし子さんが、
7月に続いて、先日再び逮捕されてしまいました。
ネットで調べてみると、前回の容疑は「わいせつ電磁的記録媒体頒布罪」(女性器の3D画像頒布)で逮捕された、とのこと。今回は、「わいせつ物公然陳列」の容疑で逮捕されたということです。(今回は、アダルトグッズショップの北原みのりさんも逮捕されて、北原さんは釈放されているが、ろくでなし子さんは拘留されたままのようです)
私は、ろくでなし子さんのことは、7月に、ネットに大量に流れてきた情報で知りました。
悪質でもないのに(しかも今は大正時代でもない)「そのくらいのことで、なぜ、逮捕なの?」
と、驚きました。逮捕は行き過ぎだと思いました。
そして、疑問がわきました。素朴な疑問です。
なぜ、ろくでなし子さんは、女性器にこだわるのだろう。
こだわる、というとしっくりこない。
それは私自身が、そういう話は避けたいと無意識に思っているからか。
2014年9月5日の朝日デジタルをリンク。
VIO脱毛って何だ イマドキ女子の身だしなみ、なのか
一部分を抜粋、転載します。ここから。=================
■脱毛の歴史、古代から
「VIO」のVは下腹部、Iは性器周辺、Oは肛門(こうもん)周辺。各部位の形をアルファベットで表している。
30歳前後の読者が多い女性誌「steady.」(宝島社)9月号の読者アンケートでは、55%がアンダーヘアを処理し、うちVを処理している人は90%、IとOが各50%。処理している人のうち25%がサロン利用者だった。
ろくでなし子さんは「自分は毛深い」と思い込んでVIO脱毛をしたという。「友達と比較したり、気軽に話題にしたりできなかったので、思い込んでしまった」。毛がない方がすっきりして楽になる、という期待もあったという。
=================ここまで。
以上のことを、朝日新聞で読んだことがあり、記憶に残っていました。
意外でした。ろくでなし子さんは、もっと「あけっぴろげ」…そんなイメージがあったので、
脱毛について、『友達と比較したり、気軽に話題にしたりできなかったので、…』
などと思っていたとは。
ろくでなし子さんのプロフィール:
『自らの女性器を型どりデコレーションした立体作品「デコまん」造形作家。 』
だそうです。
わたしの「まん中」を3Dスキャンして、世界初の夢のマンボートを作る計画に支援を!
という、ろくでなし子さんの計画のHP、読んでいて面白かったです。
男性の反応や女性の反応、いろいろだなぁ。
そういう私も、そうだったかもしれない。
ただ、私は、朝日デジタルのVIO脱毛の話を読んで、
私の場合はVIO脱毛ではないですが、思い当たるフシがありました。
それは、かなり前(8~9年前)に、お腹の手術をするときに、
下腹部の毛を剃って下さいという説明が「手術の前に」の書類に書いてあり、
看護師が行っても、自分で家で処理してきてもどちらでもよい、
みたいなことがありました。
私は、(おそらく)いくら同性とはいえ、他人にしてもらうのは恥ずかしいと思い、
家で、刺激の少ない除毛剤を使って処理しました。
毛が除毛剤で分解というか溶けるのを待つ間。パンツを脱いでマヌケな状態。
そして、拭き取って出来上がり。
立って鏡で見てみたら。笑えました。
恥丘の部分が、野球部の高校生のイガグリ頭のようになってしまったのです。
(もちろん、剃刀でつるつるにすることはできるでしょうが、
そこまでする必要はなかったので、イガグリ状態。想像にお任せします)
(すみません生々しい話で)
除毛剤を塗るときは、自分の性器を見ながら(粘膜に入ったら大変)ですが、
そうすると、イガグリ状態になったときもそうですが、
その時は、ろくでなし子さんに近い気持ちだったと思います。
女性器も、器官なのだなぁ、と。
(※だいたい、「恥丘」ってなんで「恥」なんだ?恥ずかしくないじゃん、
と思ったりもしますが、人にできる話ではない…)
ここまでいろいろ話しましたが、ろくでなし子さんが二回目も逮捕されたこと、
拘留については、表現の自由の面で深刻にも考えてしまいます。
表現の自由以外に、北原さんもそうですが、二人とも女性です。
私のうがった考えかもしれないですが、「(女性を)自由にさせてたまるか」という、
外からの大きな力を感じるのです。
この話について、次はいつになるか分かりませんが、
また書きたいと思います。
2014年12月01日 (月) | 編集 |
こんにちは。
そんなに経っていないつもりが、この前の更新からずいぶん間が開いてしまいました。
この前(といっても、もう4週間ほど前だと思いますが)、ツイッターで、「LINEへの書き込みが原因で、高校生(女子)が自殺か」というニュースを見かけました。
起きてしまったのか・・と思いました。
この高校生が自殺したのは昨年8月ということですが、[ LINEで「ざまあみろ」と書き込みされたことにより男性高校生が自殺未遂 ]
というニュースもありました。
高校生くらいの年代の自殺というと、古いですが私が思い出してしまうのは、あるアイドル歌手の飛び降り自殺です。その時には、後追い自殺が続きました。私も同年代だったので、アイドル歌手の自殺はとてもショックでした。4月でした。私自身も、(何か特別なことがあったというわけでもないのに)心がとても不安定な時期でした。
そういうことを思うと、LINEと自殺について、(いくら個人ブログの記事といっても)「センセーショナルに」取り上げない方がよいと思うので、淡々と書きます・・。
とはいっても、私に子どもがいたとしたらもうその年代になっているので、「LINEアプリが原因で自殺」とは想像を絶します。それこそ大昔の、自宅にしか電話がなく家族に取り次いでもらうという時代ではないのを実感します。
そこで、
最近あった、「これぞ、LINEの使い方だろう」という、感心したできごとを紹介します。
というのは、私の夫のLINEの使い方です。
夫はいくつかのLINEサークルを使っているようです。
この前(といっても、もう1ヶ月半くらい前か)、なにやら、ぶつぶつと言いながら作業していました。「LINE?また新しいのを何かつくってるの?」と私は聞きました。すると、この前のエントリに書いた夫の友人のことでした。
「そう・・友達ね、そんなに付き合いなかった人も含めて、病気のこと話したら『(病気に)なったの知らなかった』とか言ってびっくりするやつが多くてさ、ただ、あいつ(夫の友達)の一番仲がいい奴からのメールもらっても、いちいち回さなきゃならないから、それに読んだかどうかも分からんじゃん。とにかく、友達の状態をみんなに知らせるのにLINEサークルをつくった」
という。
夫の友達の病気は難しい病気です。容態がいつどうなるかも分からない。
私はLINEの話を聞いて、・・・病院にそんなにお見舞いに行っても、本人も疲れてしまうかもしれない。でも、会えない人も含めて友達の状態を把握しておくだけでも、みんなが心の中で応援できるのでは・・・。
そんな風に思いました。
(心の準備ができていなくて、本人に会えない時は、夫が、「あいつは今忙しいらしくて、なかなか来られないとか言っていたよ」と、友人たちの様子を伝えるようです)
私は夫に、
「それはいいことだね。素晴らしい(本当にこう言いました)。よく考えたね」と言いました。
夫は、「いやぁ…まあ・・ふふっ」と笑っていましたが。
「LINEでのいじめが原因で自殺か、」という報道は、その後に知りました。
「いじめに使われてしまうというのは聞いたことがあるけど…悲しいな・・」と思いました。
言葉がありません。
だから、夫のような使い方が本来なのではないか、と知らせたかったです。
夫は他には、地域のボランティア活動や趣味のバイク、元いた会社のメンバーなど、LINEサークルを使っているようです。
LINEの利点は、
「メールと違って、相手がメッセージを読んだか読んでいないか、分かる」ことだと思いました。
連絡をするなら、きちんと伝わっていないとなりません。
私のように約1ヶ月以上も前にいとこから「ありがとう」メールが来たのにそのまま・・(返信の機会を逸してしまった)(いとことはまた、そのうちに連絡する機会があるから、いいだろう…)というのだと、具体的な数字の入ったやり取りなら(極めて重要な内容は除く)、伝わっていないと面倒です。
夫は、「『既読』になってるから、ああ伝わったなって分かる」と言いました。
でも、違う意味で面倒なのは、どうやらその「既読」機能らしいですね。
「既読無視」というのがあるらしく、報道によるとLINEを使うのは中高生では女子生徒の方が多いらしいですが、そのくらいの年代となると、大昔では「○○ちゃんが私とは違う友達と話していた」という内容なのでしょうが、(だから構造的にはLINEも他のSNSも同じだろう)、自分が承認されているかどうか、が、ネットだけの友人ならともかくリアルと結びついてしまうと、精神的にかなりの負担になってしまう子もいるのではないか、と思いました。
私は、そういう、「自分への承認がどうのこうの」とか「あの人が私のことをあんなふうに言ってた」のようなのは、SNSなら実感としては少し分かる気もしますが、
LINEは連絡網としてなら効率的で優れているので、「LINEは道具」だと割り切った方がいいと思います。「SNSも道具」かな。日本以外ではLINEのようなものは、「カカオトーク」などがあるようですね。
もう一つ。ツイッターでも感じたことですが、同じようなことです。
震災後に感じたのは、(ネットの)拡散力です。ツイッターのおかげで、原発の情報や放射能情報、そして最近では今年2月の記録的な大雪の情報が伝わってきました。日中戦争や第二次大戦時の表に出ない記録なども知ることができました。
なので、ツイッターは拡散力を活かせば、為政者や強者に対抗するかなりの武器になり得ると思うのですが、議論をした挙句に「この人とは合わない(例えば、脱原発や貧困を何とかしたいなど同方向を向いているのに)」と、繋がりを絶ってしまうことやそれに続いてしまう人が出るのが、残念です。
(もちろん、ツイッターでは「ブロック」や「リムーブ」、機能としてあるのだから使うのは自由、というのを大前提として)
日本は…「人との些細な違い」(というのかな、「個性」ではなくて)を気にしがちです。私たちに同調できない人はなるべく来ないで、となると、同じ方向を向きつつ反発し合い分裂・・・となってしまう・・。そんなのは、もったいないです。
「自分とはちょっと違う意見だわ」と思っても、「そうかそういう考えもあるのか」程度にして(ただし、あまりにも違ってきてしまった人は(私はどちらかというと曖昧な性格ですが)ツイッターの「フォロー」を外すこともあります。または、180度自分と違う人をフォローすることも)、
「排除」ではなく、情報を多く共有し合えば、有意義に使えると思います。せっかくのネット時代です。
ネットは、道具としては優れている面があると思います。
使いようで、ナイフのように、うっかり指を切ったり手に刺されば痛いし(ましてや人の心を傷つけることさえ(これは自分自身も気をつけないといけない))、ただ、りんごを切るのにナイフや包丁を使うと便利です。一度に、りんごを8つに割ることができる器具もあります。ジューサーミキサーも便利です。(すみません話がやや逸れました)
長文失礼いたしました。
そんなに経っていないつもりが、この前の更新からずいぶん間が開いてしまいました。
この前(といっても、もう4週間ほど前だと思いますが)、ツイッターで、「LINEへの書き込みが原因で、高校生(女子)が自殺か」というニュースを見かけました。
起きてしまったのか・・と思いました。
この高校生が自殺したのは昨年8月ということですが、[ LINEで「ざまあみろ」と書き込みされたことにより男性高校生が自殺未遂 ]
というニュースもありました。
高校生くらいの年代の自殺というと、古いですが私が思い出してしまうのは、あるアイドル歌手の飛び降り自殺です。その時には、後追い自殺が続きました。私も同年代だったので、アイドル歌手の自殺はとてもショックでした。4月でした。私自身も、(何か特別なことがあったというわけでもないのに)心がとても不安定な時期でした。
そういうことを思うと、LINEと自殺について、(いくら個人ブログの記事といっても)「センセーショナルに」取り上げない方がよいと思うので、淡々と書きます・・。
とはいっても、私に子どもがいたとしたらもうその年代になっているので、「LINEアプリが原因で自殺」とは想像を絶します。それこそ大昔の、自宅にしか電話がなく家族に取り次いでもらうという時代ではないのを実感します。
そこで、
最近あった、「これぞ、LINEの使い方だろう」という、感心したできごとを紹介します。
というのは、私の夫のLINEの使い方です。
夫はいくつかのLINEサークルを使っているようです。
この前(といっても、もう1ヶ月半くらい前か)、なにやら、ぶつぶつと言いながら作業していました。「LINE?また新しいのを何かつくってるの?」と私は聞きました。すると、この前のエントリに書いた夫の友人のことでした。
「そう・・友達ね、そんなに付き合いなかった人も含めて、病気のこと話したら『(病気に)なったの知らなかった』とか言ってびっくりするやつが多くてさ、ただ、あいつ(夫の友達)の一番仲がいい奴からのメールもらっても、いちいち回さなきゃならないから、それに読んだかどうかも分からんじゃん。とにかく、友達の状態をみんなに知らせるのにLINEサークルをつくった」
という。
夫の友達の病気は難しい病気です。容態がいつどうなるかも分からない。
私はLINEの話を聞いて、・・・病院にそんなにお見舞いに行っても、本人も疲れてしまうかもしれない。でも、会えない人も含めて友達の状態を把握しておくだけでも、みんなが心の中で応援できるのでは・・・。
そんな風に思いました。
(心の準備ができていなくて、本人に会えない時は、夫が、「あいつは今忙しいらしくて、なかなか来られないとか言っていたよ」と、友人たちの様子を伝えるようです)
私は夫に、
「それはいいことだね。素晴らしい(本当にこう言いました)。よく考えたね」と言いました。
夫は、「いやぁ…まあ・・ふふっ」と笑っていましたが。
「LINEでのいじめが原因で自殺か、」という報道は、その後に知りました。
「いじめに使われてしまうというのは聞いたことがあるけど…悲しいな・・」と思いました。
言葉がありません。
だから、夫のような使い方が本来なのではないか、と知らせたかったです。
夫は他には、地域のボランティア活動や趣味のバイク、元いた会社のメンバーなど、LINEサークルを使っているようです。
LINEの利点は、
「メールと違って、相手がメッセージを読んだか読んでいないか、分かる」ことだと思いました。
連絡をするなら、きちんと伝わっていないとなりません。
私のように約1ヶ月以上も前にいとこから「ありがとう」メールが来たのにそのまま・・(返信の機会を逸してしまった)(いとことはまた、そのうちに連絡する機会があるから、いいだろう…)というのだと、具体的な数字の入ったやり取りなら(極めて重要な内容は除く)、伝わっていないと面倒です。
夫は、「『既読』になってるから、ああ伝わったなって分かる」と言いました。
でも、違う意味で面倒なのは、どうやらその「既読」機能らしいですね。
「既読無視」というのがあるらしく、報道によるとLINEを使うのは中高生では女子生徒の方が多いらしいですが、そのくらいの年代となると、大昔では「○○ちゃんが私とは違う友達と話していた」という内容なのでしょうが、(だから構造的にはLINEも他のSNSも同じだろう)、自分が承認されているかどうか、が、ネットだけの友人ならともかくリアルと結びついてしまうと、精神的にかなりの負担になってしまう子もいるのではないか、と思いました。
私は、そういう、「自分への承認がどうのこうの」とか「あの人が私のことをあんなふうに言ってた」のようなのは、SNSなら実感としては少し分かる気もしますが、
LINEは連絡網としてなら効率的で優れているので、「LINEは道具」だと割り切った方がいいと思います。「SNSも道具」かな。日本以外ではLINEのようなものは、「カカオトーク」などがあるようですね。
もう一つ。ツイッターでも感じたことですが、同じようなことです。
震災後に感じたのは、(ネットの)拡散力です。ツイッターのおかげで、原発の情報や放射能情報、そして最近では今年2月の記録的な大雪の情報が伝わってきました。日中戦争や第二次大戦時の表に出ない記録なども知ることができました。
なので、ツイッターは拡散力を活かせば、為政者や強者に対抗するかなりの武器になり得ると思うのですが、議論をした挙句に「この人とは合わない(例えば、脱原発や貧困を何とかしたいなど同方向を向いているのに)」と、繋がりを絶ってしまうことやそれに続いてしまう人が出るのが、残念です。
(もちろん、ツイッターでは「ブロック」や「リムーブ」、機能としてあるのだから使うのは自由、というのを大前提として)
日本は…「人との些細な違い」(というのかな、「個性」ではなくて)を気にしがちです。私たちに同調できない人はなるべく来ないで、となると、同じ方向を向きつつ反発し合い分裂・・・となってしまう・・。そんなのは、もったいないです。
「自分とはちょっと違う意見だわ」と思っても、「そうかそういう考えもあるのか」程度にして(ただし、あまりにも違ってきてしまった人は(私はどちらかというと曖昧な性格ですが)ツイッターの「フォロー」を外すこともあります。または、180度自分と違う人をフォローすることも)、
「排除」ではなく、情報を多く共有し合えば、有意義に使えると思います。せっかくのネット時代です。
ネットは、道具としては優れている面があると思います。
使いようで、ナイフのように、うっかり指を切ったり手に刺されば痛いし(ましてや人の心を傷つけることさえ(これは自分自身も気をつけないといけない))、ただ、りんごを切るのにナイフや包丁を使うと便利です。一度に、りんごを8つに割ることができる器具もあります。ジューサーミキサーも便利です。(すみません話がやや逸れました)
長文失礼いたしました。
2014年10月19日 (日) | 編集 |
こんにちは。少し、更新の間隔が開いてしまいました。
今日は、ツイッターがきっかけで知った、「ベビーカー騒動」について、です。
「ベビーカー騒動」という表現はどうかな、と思ったのですが、ネットで誰かが言っていたとおり、込んだ電車内にベビーカーを持ち込むことについてあれこれと論争が起こり、定期的に「炎上」するという現象はあります。
それは残念ながら、相変わらず日本では、子どもは社会全体で育てるものではなく、子育てが親の責任であるという風潮や、家事育児は基本的に女性がするものだという意識が根強いということを表してもいる、と思います。
(または、家事育児に限らず男女を問わず、「介護は家族がするもの」という意識)
ネットサイト:「PRESIDENT Online」の(2014年10月6日(月)付)の、
(女の言い分、男の言い分)「日本男子は、なぜベビーカー女子を助けないのか」
(このページの回答者は、大宮冬洋さん。)
「編集部からの指令」として、
【先日、とある会合で出会ったワーキングマザーがぽつり。
「駅構内でベビーカーを運んでいるとき、助けてくれるのは女性か外国人。妊婦時代に電車で席を譲ってくれたのも女性が多く、男性のなかには私を押しのけて席をとり、爆睡するような人も」……。
彼らはなぜ、困っている女性に手を差し伸べないのでしょうか。】(全文転載)
という、"お題"のような文章があり、
男がベビーカー女子を助けない2つの理由(←こちらの回答者は、佐藤留美さん)
と、女性が書いている記事もあります。
(ネットでは、大宮冬洋さんがかなり批判されていますが、
佐藤留美さんの記事も読むべきだと思いました)
大宮冬洋さんの記事について。
私の感想です。
まず、苦々しく思うのが、PRESIDENT Online スペシャルが名付けたのか、
「ベビーカー女子」という言い方です。
鉄道やカメラを趣味にしている女性を「鉄道女子」「カメラ女子」と名付けているのはテレビ新聞等でよく見ますが(本当はそれも苦々しく思う)、それはまあよいとして、
「ベビーカー女子」って言われても…という感じです。
あと、「日本男子」ですね。「日本男子」と、まとめてしまったところ。
日本在住なのか日本人と言いたいのか知りませんが、男性でも、
おそらく大宮さんのような人ばかりではありませんよ、と思います。
『ベビーカーは親のために開発された「便利な道具」に過ぎませんよね。混雑している街中や電車内に持ち込むのははっきり言って迷惑だと思います。』
って大宮さん、"ベビーカーは親のために開発された「便利な道具」"ではないですか。
親(大人)が子どもを育てるのだから、大変なら使うのは当たり前だと思います。
まず、乳幼児を連れて外出しなければならない事情の人がいる、そしてそれがいかに大変か、という想像力をまったく欠いています。
例えば、一人の親が二人の乳幼児を連れて(例えば、上は2歳半下は6ヶ月としましょう)ベビーカーで外出する場合、6ヶ月の子をベビーカーに乗せて子どものオムツや着替えや飲料水(いずれも二人分)なども載せて、親自身の荷物(お財布やその他必需品)を持ち、その上で2歳半の子の手を引いて外出しないとならないのです。もしも、2歳半の上の子がぐずったら、抱っこしないとならないかもしれない。2歳半の子どもというと、13~14kgほどあります。
その状態で、電車が込んでるからベビーカー邪魔・・だから畳め、というと、
子どもを二人抱えて(一人は抱くか背負って、もう一人は手を引いて)、ベビーカーを畳んで持たないとならなくなります。電車は揺れているしブレーキもかかるし不安定で、そんなことを想像しただけで、私にはとても無理です。
大宮さんはこういう状態を想像できないのでしょう。
私の妹は子どもが二人いますが、上の子がまだ一人だけの時に、母と妹と姪、私の4人で電車で八王子まで出かけたことを思い出しながら書いていますが、
ベビーカーで親1人で、1人の子連れでさえも外出は大変だ、
と感じました。
大宮さんの記事の3ページ目。内心では「勘弁してくれよ」
が、すごい。(この場合の「すごい」は、良い意味ではないです)
『こんなことを言いつつも、自分に子どもができたりしたら便利なベビーカーを使うようになるかもしれません。ただし、キャリーバッグを引くとき以上に注意するし、周りにも配慮しますよ。混雑した場所や時間帯などはできる限り避けます。』
ということですが、
大宮さんにもしも将来パートナーさんが出来て、子連れで電車に乗って移動しなければならない用事が出来た時、パートナーにも同じことを言うのだろうか。
本題からは少し逸れますが、ネットでは、「大宮さんは炎上狙いでわざと、このテーマを選んだのではないか」と推測する人もいます。私も、それは少し感じました。
=================
人口密度の高い都市部に住んでいると、どうしてもこういう問題(ベビーカー使用など)が出てきてしまいますが(私の住む山梨だとおそらくほとんどの人が、子連れだと車で移動していると推測)、
公共交通機関での移動というと、「妊婦さんマーク」も似たようなことが起きているようです。
正しくは、「妊婦さんマーク」ではなく、「マタニティマーク」、ですね。
妊娠していると、初期はお腹が出ていなくて、お腹の中に子どもがいるとは分かりにくいです。さらに流産の危険もあるので、もちろん、外出しないに越したことはないと思いますが、それでも用事があってという時は、電車やバスを使わざるを得ない場合もあると思います。
なので、「私は妊娠しています」ということを乗客に分かってもらうために、マタニティマークをバッグの前面など分かりやすい場所につけて乗車する、というのは私は賛成です。
ところが、です。
世の中は必ずしもそうではない、ということを、ネットで知りました。
例えば、こんな。→妊娠3ヶ月になりました。マタニティマークをもらったので、付けて外出しようとしたら、義母に「なんでつけるの?妊婦だと思ってほしいの?」といわれてしまいました。
これについて、男性の意見も知りたいと思い、一番身近な存在である私の夫に、
意見を聞いてみました。
箇条書きで。
■満員電車ではなく、人数が少ない時には、妊婦さんの座る席がなくても、特に譲らなくてもいいと思う。立っている方が健康にいいから。
■(「『マタニティマーク』は、私は妊婦だから席を譲ってください、といかにも言っているように見える」、というネットの反応には、という私の質問に対し)それは分かる。
■満員電車の時には、マタニティーマークや明らかに妊婦さんの人には、席を譲るべき。
と、答えてくれました。参考までに。
(ちなみに、夫には、ベビーカーのことも聞いてみました。
「親だけの用事でも子どもを家に置いてくるわけにはいかないし、そういう場合は満員電車でベビーカーの人でも大目に見てあげるべき」とのこと)
この、マタニティーマーク問題から考えてしまうことは、
お年寄りに席を譲るかどうか、ということもですね・・。
あと、老若男女問わず、「内部障害」(見た目は元気そうで何ともないように見えるが)を抱えている人がいる場合もあります。
この前、朝日新聞の「声」欄に載っていたのが、
「電車の中で立っているのが大変という場合は、声をかけてほしい」、
という意見です。
確かに・・。
そして、譲る方も席を快く譲る。それが一番いいのかもしれないです。
そして私がもし、マタニティマークをつけている人を電車で見かけたら。
席を譲ろうとして声をかける方も勇気が要るかもしれないですが、
「もしよかったら、どうぞ」と、話しかけてみようと思います。
今日は、ツイッターがきっかけで知った、「ベビーカー騒動」について、です。
「ベビーカー騒動」という表現はどうかな、と思ったのですが、ネットで誰かが言っていたとおり、込んだ電車内にベビーカーを持ち込むことについてあれこれと論争が起こり、定期的に「炎上」するという現象はあります。
それは残念ながら、相変わらず日本では、子どもは社会全体で育てるものではなく、子育てが親の責任であるという風潮や、家事育児は基本的に女性がするものだという意識が根強いということを表してもいる、と思います。
(または、家事育児に限らず男女を問わず、「介護は家族がするもの」という意識)
ネットサイト:「PRESIDENT Online」の(2014年10月6日(月)付)の、
(女の言い分、男の言い分)「日本男子は、なぜベビーカー女子を助けないのか」
(このページの回答者は、大宮冬洋さん。)
「編集部からの指令」として、
【先日、とある会合で出会ったワーキングマザーがぽつり。
「駅構内でベビーカーを運んでいるとき、助けてくれるのは女性か外国人。妊婦時代に電車で席を譲ってくれたのも女性が多く、男性のなかには私を押しのけて席をとり、爆睡するような人も」……。
彼らはなぜ、困っている女性に手を差し伸べないのでしょうか。】(全文転載)
という、"お題"のような文章があり、
男がベビーカー女子を助けない2つの理由(←こちらの回答者は、佐藤留美さん)
と、女性が書いている記事もあります。
(ネットでは、大宮冬洋さんがかなり批判されていますが、
佐藤留美さんの記事も読むべきだと思いました)
大宮冬洋さんの記事について。
私の感想です。
まず、苦々しく思うのが、PRESIDENT Online スペシャルが名付けたのか、
「ベビーカー女子」という言い方です。
鉄道やカメラを趣味にしている女性を「鉄道女子」「カメラ女子」と名付けているのはテレビ新聞等でよく見ますが(本当はそれも苦々しく思う)、それはまあよいとして、
「ベビーカー女子」って言われても…という感じです。
あと、「日本男子」ですね。「日本男子」と、まとめてしまったところ。
日本在住なのか日本人と言いたいのか知りませんが、男性でも、
おそらく大宮さんのような人ばかりではありませんよ、と思います。
『ベビーカーは親のために開発された「便利な道具」に過ぎませんよね。混雑している街中や電車内に持ち込むのははっきり言って迷惑だと思います。』
って大宮さん、"ベビーカーは親のために開発された「便利な道具」"ではないですか。
親(大人)が子どもを育てるのだから、大変なら使うのは当たり前だと思います。
まず、乳幼児を連れて外出しなければならない事情の人がいる、そしてそれがいかに大変か、という想像力をまったく欠いています。
例えば、一人の親が二人の乳幼児を連れて(例えば、上は2歳半下は6ヶ月としましょう)ベビーカーで外出する場合、6ヶ月の子をベビーカーに乗せて子どものオムツや着替えや飲料水(いずれも二人分)なども載せて、親自身の荷物(お財布やその他必需品)を持ち、その上で2歳半の子の手を引いて外出しないとならないのです。もしも、2歳半の上の子がぐずったら、抱っこしないとならないかもしれない。2歳半の子どもというと、13~14kgほどあります。
その状態で、電車が込んでるからベビーカー邪魔・・だから畳め、というと、
子どもを二人抱えて(一人は抱くか背負って、もう一人は手を引いて)、ベビーカーを畳んで持たないとならなくなります。電車は揺れているしブレーキもかかるし不安定で、そんなことを想像しただけで、私にはとても無理です。
大宮さんはこういう状態を想像できないのでしょう。
私の妹は子どもが二人いますが、上の子がまだ一人だけの時に、母と妹と姪、私の4人で電車で八王子まで出かけたことを思い出しながら書いていますが、
ベビーカーで親1人で、1人の子連れでさえも外出は大変だ、
と感じました。
大宮さんの記事の3ページ目。内心では「勘弁してくれよ」
が、すごい。(この場合の「すごい」は、良い意味ではないです)
『こんなことを言いつつも、自分に子どもができたりしたら便利なベビーカーを使うようになるかもしれません。ただし、キャリーバッグを引くとき以上に注意するし、周りにも配慮しますよ。混雑した場所や時間帯などはできる限り避けます。』
ということですが、
大宮さんにもしも将来パートナーさんが出来て、子連れで電車に乗って移動しなければならない用事が出来た時、パートナーにも同じことを言うのだろうか。
本題からは少し逸れますが、ネットでは、「大宮さんは炎上狙いでわざと、このテーマを選んだのではないか」と推測する人もいます。私も、それは少し感じました。
=================
人口密度の高い都市部に住んでいると、どうしてもこういう問題(ベビーカー使用など)が出てきてしまいますが(私の住む山梨だとおそらくほとんどの人が、子連れだと車で移動していると推測)、
公共交通機関での移動というと、「妊婦さんマーク」も似たようなことが起きているようです。
正しくは、「妊婦さんマーク」ではなく、「マタニティマーク」、ですね。
妊娠していると、初期はお腹が出ていなくて、お腹の中に子どもがいるとは分かりにくいです。さらに流産の危険もあるので、もちろん、外出しないに越したことはないと思いますが、それでも用事があってという時は、電車やバスを使わざるを得ない場合もあると思います。
なので、「私は妊娠しています」ということを乗客に分かってもらうために、マタニティマークをバッグの前面など分かりやすい場所につけて乗車する、というのは私は賛成です。
ところが、です。
世の中は必ずしもそうではない、ということを、ネットで知りました。
例えば、こんな。→妊娠3ヶ月になりました。マタニティマークをもらったので、付けて外出しようとしたら、義母に「なんでつけるの?妊婦だと思ってほしいの?」といわれてしまいました。
これについて、男性の意見も知りたいと思い、一番身近な存在である私の夫に、
意見を聞いてみました。
箇条書きで。
■満員電車ではなく、人数が少ない時には、妊婦さんの座る席がなくても、特に譲らなくてもいいと思う。立っている方が健康にいいから。
■(「『マタニティマーク』は、私は妊婦だから席を譲ってください、といかにも言っているように見える」、というネットの反応には、という私の質問に対し)それは分かる。
■満員電車の時には、マタニティーマークや明らかに妊婦さんの人には、席を譲るべき。
と、答えてくれました。参考までに。
(ちなみに、夫には、ベビーカーのことも聞いてみました。
「親だけの用事でも子どもを家に置いてくるわけにはいかないし、そういう場合は満員電車でベビーカーの人でも大目に見てあげるべき」とのこと)
この、マタニティーマーク問題から考えてしまうことは、
お年寄りに席を譲るかどうか、ということもですね・・。
あと、老若男女問わず、「内部障害」(見た目は元気そうで何ともないように見えるが)を抱えている人がいる場合もあります。
この前、朝日新聞の「声」欄に載っていたのが、
「電車の中で立っているのが大変という場合は、声をかけてほしい」、
という意見です。
確かに・・。
そして、譲る方も席を快く譲る。それが一番いいのかもしれないです。
そして私がもし、マタニティマークをつけている人を電車で見かけたら。
席を譲ろうとして声をかける方も勇気が要るかもしれないですが、
「もしよかったら、どうぞ」と、話しかけてみようと思います。
2014年07月21日 (月) | 編集 |
こんばんは。
作家の辺見庸さんのブログで7月上旬に知ってから、気になっていたことです。
日中戦争のきっかけになった、「盧溝橋事件」について。
辺見庸ブログ「私事片々」
の、
2014年7月8日付の、辺見さんの日記より、一部抜粋、転載します。
=====================ここから。
・ニッポン外務省のホームページをみて仰天した。絶句。みまちがいとおもい、目をこすった。新たな対中戦争がはじまっている。あるいは、日中戦争はいまもまだつづいているのだ。「盧溝橋事件の発生」にかんし外務省はいう。1937当時の外務省ではない。2014年現在の外務省が、である。「昭和12年7月7日、北京郊外で日中間に軍事衝突(盧溝橋事件)が発生しました。日中外交当局は南京で善後処理交渉を行いましたが、事件の責任の所在をめぐって双方の主張は平行線をたどりました。現地では両軍の間に停戦合意が成立しましたが、中国政府は関東軍の山海関集結に対抗して華北方面へ中央軍を北上させたため、17日、日本は中国政府に対して、挑戦的言動を即時停止し、現地解決を妨害しないよう要求しました。これに対し中国側は19日、日中同時撤兵と、現地ではなく中央での解決交渉を求めました。その後、北京周辺で日中間の軍事衝突事件が相次いで発生したため、27日、日本政府は自衛行動をとるのやむなきに至った旨を声明、翌28日、華北駐屯の日本軍は総攻撃を開始し、31日までに北京・天津方面をほぼ制圧しました」。中国による「挑戦的言動」「現地解決を妨害」という事態があり、ゆえに「日本政府は自衛行動をとるのやむなきに至った」「日本軍は総攻撃を開始」云々というロジックは、77年前、すなわち、「大日本帝國」の国号時代とかわってはいない。ここからはニッポンによる中国の侵略、軍事占領、半植民地化という重大な歴史的事実が、ごそっとえぐりとられている。なんということだろう。
======================転載ここまで。
そして、外務省のページ。
外務省外交資料館 特別展示 日中戦争と日本外交
上の外務省のページを見ると、
『日本政府は自衛行動をとるのやむなきに至った旨を声明,』
と書いてあります。
私の感想ですが、
文章の書き方としては、句読点に「、」を用いずに「,」(カンマ)
を使っているのでとても読みにくいし、『自衛行動をとるのやむなきに至った』
という部分が、現在使われている口語体ではなく、
急に文語体の文体になっていて、意味も伝わりにくく感じます。
外務省は、わざと、ぼかしたいのだろうか。そう勘ぐってしまいます。
そして、その言い方というよりも、
「これはどこかの右翼団体か、靖国神社のHPなのだろうか?」
と思ってしまうくらい、盧溝橋事件についてあまりにも「日本目線」で書かれている(「日本外交」なら「日中外交」でもあるべきだが)のが、私は良くないと思いました。
要するに、外務省のこのページはお粗末です。
ただ、お粗末で片付けるには、「歴史認識」ということでは重大です。
戦争はいつも、「自衛のため」という名目で、組織の有力者が始めます。
犠牲になるのは、ほとんど一般市民です。
日本の外務省のHPにこんなことが書かれていることを、辺見庸さんのブログを見なければ、
私は知らないままでいたのではないだろうか。知らない人が多いと思います。
作家の辺見庸さんのブログで7月上旬に知ってから、気になっていたことです。
日中戦争のきっかけになった、「盧溝橋事件」について。
辺見庸ブログ「私事片々」
の、
2014年7月8日付の、辺見さんの日記より、一部抜粋、転載します。
=====================ここから。
・ニッポン外務省のホームページをみて仰天した。絶句。みまちがいとおもい、目をこすった。新たな対中戦争がはじまっている。あるいは、日中戦争はいまもまだつづいているのだ。「盧溝橋事件の発生」にかんし外務省はいう。1937当時の外務省ではない。2014年現在の外務省が、である。「昭和12年7月7日、北京郊外で日中間に軍事衝突(盧溝橋事件)が発生しました。日中外交当局は南京で善後処理交渉を行いましたが、事件の責任の所在をめぐって双方の主張は平行線をたどりました。現地では両軍の間に停戦合意が成立しましたが、中国政府は関東軍の山海関集結に対抗して華北方面へ中央軍を北上させたため、17日、日本は中国政府に対して、挑戦的言動を即時停止し、現地解決を妨害しないよう要求しました。これに対し中国側は19日、日中同時撤兵と、現地ではなく中央での解決交渉を求めました。その後、北京周辺で日中間の軍事衝突事件が相次いで発生したため、27日、日本政府は自衛行動をとるのやむなきに至った旨を声明、翌28日、華北駐屯の日本軍は総攻撃を開始し、31日までに北京・天津方面をほぼ制圧しました」。中国による「挑戦的言動」「現地解決を妨害」という事態があり、ゆえに「日本政府は自衛行動をとるのやむなきに至った」「日本軍は総攻撃を開始」云々というロジックは、77年前、すなわち、「大日本帝國」の国号時代とかわってはいない。ここからはニッポンによる中国の侵略、軍事占領、半植民地化という重大な歴史的事実が、ごそっとえぐりとられている。なんということだろう。
======================転載ここまで。
そして、外務省のページ。
外務省外交資料館 特別展示 日中戦争と日本外交
上の外務省のページを見ると、
『日本政府は自衛行動をとるのやむなきに至った旨を声明,』
と書いてあります。
私の感想ですが、
文章の書き方としては、句読点に「、」を用いずに「,」(カンマ)
を使っているのでとても読みにくいし、『自衛行動をとるのやむなきに至った』
という部分が、現在使われている口語体ではなく、
急に文語体の文体になっていて、意味も伝わりにくく感じます。
外務省は、わざと、ぼかしたいのだろうか。そう勘ぐってしまいます。
そして、その言い方というよりも、
「これはどこかの右翼団体か、靖国神社のHPなのだろうか?」
と思ってしまうくらい、盧溝橋事件についてあまりにも「日本目線」で書かれている(「日本外交」なら「日中外交」でもあるべきだが)のが、私は良くないと思いました。
要するに、外務省のこのページはお粗末です。
ただ、お粗末で片付けるには、「歴史認識」ということでは重大です。
戦争はいつも、「自衛のため」という名目で、組織の有力者が始めます。
犠牲になるのは、ほとんど一般市民です。
日本の外務省のHPにこんなことが書かれていることを、辺見庸さんのブログを見なければ、
私は知らないままでいたのではないだろうか。知らない人が多いと思います。