原爆投下---人類が起こしたことを忘れてはならない。
の続きです。
【2012年の夏】 被爆の記憶託す 次世代の語り部に養成 広島原爆投下67年 (2012年8月6日 夕刊)
(~朝日新聞の紙面から~<広島・長崎の記憶 被爆者からのメッセージ>)
↑ この前最後にリンクした、これは2年前の朝日新聞記事なのですが、
『「生き証人」の被爆者も全国の平均年齢が78・1歳と高齢化が進む。広島市は今年度から、語り部を若い世代に引き継ぐ事業を始めた。被爆体験のない世代に被爆者の記憶を引き継いでもらい、3年間かけて語り部に養成する。』
とあります。
広島市が、「語り部」を養成する、ということです。
私は、これはとても良いことだと思いました。
今から書くのは広島ではなく長崎の原爆の話なのですが、私は以前(といっても、もう、7~8年は経っていると思う)、テレビ番組で、ですが、被爆体験者が減ってきてしまい、若い「語り部」を養成して、長崎の平和記念公園を訪れた人に対し、「被爆体験」を説明する、という場面を見たことがあります。
テレビ画面で見たのは、ちょうど、養成された「語り部」の方(20代半ばくらいの若い女性だった)が観光客に被爆の瞬間を説明しているところでした。詳しくは覚えていないのですが、「目もくらむような白い光がその一瞬・・・」という風な表現、そこだけは覚えています。
それからおよそ3~4年後の2011年3月、東京電力福島第一原発事故が起きました。その後、その年に3回(翌年は私は参加できなかったのですが)、このブログのリンク先の麻生さんが、「原子・原子核の構造・核兵器の仕組み」について(「地震のメカニズムと原子力発電の基礎」についても)、勉強会を開いてくださり、私は参加してきました。
その勉強会の講義を聞いている最中に思い出したのが、長崎の、若い女性語り部の人の、「目もくらむような白い光が…」の部分です。核分裂の連鎖反応の解説も聞きました。
それで何が言いたいかというと、ただ、被爆体験者の話を聞くだけ、もしくは「語り部」として養成された人の話を聞くだけでは、総合的に核・核兵器の恐ろしさを理解できるだろうか、という疑問があるということです。(もちろん、体験を聞くことには大いに意義がありますが)
アメリカが落とした広島型原爆と長崎型原爆の違い、核分裂連鎖反応まで、中学生くらいのうちに、受験勉強のような形での「流し」のような形ではなく、平和教育(…というと”政治的”と言われるのだろうか…しかし重要だと思う)として学ぶべきではないか、と思いました(学習指導要領では、「原子」について中学から習うのでしょうか)。
日本は世界で唯一、原子爆弾を落とされた国です。科学の教師は、原子や核の仕組みとともに、使いようによっては核は破滅的な結果をもたらす、ということを子どもたちに伝えなければいけないのではないか、と思います。(否、世界でも最悪の原発事故が起きていまだ進行中の今、『使いようによっては』ではなく、核は人間の手には負えない、と言う他はないです)
この前、このようなツイートが目に止まりました。
私もそう思ってきました.でも,科学者がそうやって,中立なんてありえないのに,それを装ってきたから,原爆ができたし,原発の安全神話も生まれたのではないでしょうか?科学者は,定量的評価をするだけでなく,科学の立場から意見を言う必要があると思っています@drsteppenwolf
— Ryusuke IMURA (@tigers_1964) 2014, 8月 19
『科学の立場から意見を言う必要があると思っています』 に、同意です。
そして、「語り部」の話に戻りますが、原爆の体験を、話だけを聞いても得られるものはもちろんあると思いますが、さらに、話し手も聞き手も原爆について科学的なことをある程度理解していれば、過去のことではなく、これからの自分自身のこととして伝えたり受け取ることができるのではないでしょうか。
また、これは、まさにそうだなと思ったツイートですが、
私は被爆者の語り部よりも、被爆者本人の肉声を聴いて貰う、話している映像を、視覚、聴覚で伝えて行く事に力を注ぐ方が大切だと思います。語り部は主観や脚色が入るので、伝言ゲームのように何時か変わってしまう日が来るでしょう。 #NHK #ヒバクシャからの手紙 #原爆
— 退会 (@makiyamana) 2014, 8月 16
ツイッターで、このようなことを言っている人がいました。
これも、一理あるなぁと思いました。
戦争に限らず、ネットで見かけた話ですが、
「地域に伝わる盆踊りを、誰も踊れる人がいない。ギリギリ、誰かお年寄りに聞けば分かるかも、くらい。もしかしたら、(再現は)難しいかもしれない」、というような、ある女性の話。その人は続けて、「もう今からの時代、『言い伝え』とか『こうやってこうやって』と踊りを教えるんじゃなくて、映像を動画に残してCD-ROMみたいのにコピーするとか、そうしないと、地域の無形文化が消える」とも言っていました。
それと同じで、「語り部」というのは、限界があるのではないかな・・とも感じます。しかしもちろん、繰り返しますが、だから「無くしていい」というわけでもないと思います。
8月9日、69年前に投下された長崎原爆の映像を細かく解析した映像を、TBSの報道特集で見ました。昔のままの不鮮明な映像ではなく、現在の技術で解析した映像でした。衝撃波のような空気の動きも見えました。現在85歳(被爆当時16歳)の、長崎の原爆で被爆した男性が、苦悩の表情を浮かべながら映っていました。
「JCCテレビすべて」
↑こちらで、2014/08/09 (TBSテレビ[報道特集])放送の、内容だけ見られます。
08/09 18:12 悪魔の火球・8月9日・長崎
08/09 18:16 熱線を浴びた被爆者
08/09 18:20 米国にあった原爆フィルム
08/09 18:24 最新技術でよみがえる映像
08/09 18:30 デジタル処理された悪魔の火球
08/09 18:35 悲劇を伝えること
08/09 18:37 原爆の被害をどう伝えるか
「熱線を浴びた被爆者」より、一部抜粋、転載。===========
JNNでは米国に残されていた長崎への原爆投下の瞬間をとらえたフィルムをデジタル解析し、見えてこなかった長崎原爆の実態に迫る。
原爆の熱線で背中に大やけどを負った少年・谷口稜曄は、今年85歳。
長崎市住吉町で被爆。
谷口にきのこ雲の記憶はない。
原爆は郵便配達をしていた谷口の背後で炸裂。
谷口は魚雷工場に逃げ込んだ。
やけどは背中全体に及び、一命は取り留めたが長く苦しい入院生活が始まった。
後遺症は様々な健康被害として現れる。
何度も移植手術を受けた背中の皮膚に汗腺はないため、2日に1度薬を塗らなければならない。
谷口は「よくぞ生きていたという目と醜い体をしているという目。
こんなしても生きなきゃいけないのか。
退院する時は喜び半分と苦しみ半分。
戦争に対する憎しみ半分」と話した。
====================ここまで。
こうやって、映像は残っているのです。そして、人間とともに被爆して、一瞬のうちに炭になってしまったお弁当のご飯、被爆した人の服、その他、遺品は残っています。引き継いでいかなければならないと思います。
なぜなら私たちは森林を伐採し、生物を絶滅に追いやり、この地球と言うこの星を荒らしまわり、争いを起こし、殺し合い、
憎しみ合い、この星に感謝もせず、ましてや原爆実験や水爆実験を繰り返しろくなことは何一つない、こんなことが許され続けた原因は何か、それは人間の勝手な解釈により許されていたからである。この世にまともな人間などいない私もその一人だ、私たち人間はこれから何をするべきかはもうお分かりのはず、この地球に感謝をして自然を元通りにして核を捨てて生きる以外方法は無いのではないでしょうか?
今覚えておくべきことはただ一つ
我々人間は神に成り下がった下等生物だという事
温かいコメントをありがとうございます。
> こんなことが許され続けた原因は何か、それは人間の勝手な解釈により許されていたからである。
本当に、同感です・・。
> この世にまともな人間などいない私もその一人だ、
おっしゃるとおりです。
まず、誰よりも、自分自身がそうなのだ、という自覚が必要です。
自戒。
> この地球に感謝をして自然を元通りにして核を捨てて生きる以外方法は無いのではないでしょうか?
> 今覚えておくべきことはただ一つ
> 我々人間は神に成り下がった下等生物だという事
はい・・。心に、しみます。
人間は、本当にどうしようもないところがありますよね・・
もちろん、私にも。
それに・・福島第一原発の事故は、地球にとっては最悪の事故だと思うのですが、
それでもまだ、原発を建設しようとしたり運転させようとしている。狂っています。
ただ、救いなのは、多くの人が「原発の再稼働には懸念を持っている」、
ということです。少しだけ、希望があります。
この記事にコメントをいただいたことは、私にとっては、
とても励みになります。
小沢さま、ありがとうございます!