2010年02月07日 (日) | 編集 |
この前定期購読を申し込んだ「DAYS JAPAN」が、手元に届きました。
お茶やコーヒーを飲みながら・・お菓子を食べながら・・見ることのできる写真誌では、
ないです。確かに・・。(被写体そのものがグロテスクというかそういう意味ではない)
インドのゴミ捨て場に住んでいる幼い男の子の写真を見て、衝撃を受けた。
あまりにも不衛生な状況で、生命が危ないと感じた。
インドというと、著しい発展途上にあり、車の「タタ」も有名になってきて、
”けっこうみんな裕福なのかな””格差が著しいといっても、どこの国も似たようなものだろう”
というくらいに、私は最近のインドをテレビ報道などで捉えていた。
しかし、「IT技術立国インド」「車のタタ」のイメージとはかけ離れ過ぎた、
想像を絶する貧困が存在することを知る。
「(インドには)完璧ともいえる格差のシステムが存在するのだ。」と、
カメラマンはレポートに書いている。
「DAYS JAPAN」のジャーナリストは、
そういうことから目を逸らさずに被写体にカメラを向けている。
見ている私も、同じ目線になる。
気分は当然、重くなる。
「貧困は見なければ存在しない」かもしれない。
私は写真を通してだが、インドのゴミ捨て場の幼い少年・少女、親子を見た。
その写真を見た感想は・・・すぐに言葉にできるものではない。
「考えさせられる」とか「ひどい」などという安易な言葉を、写真自体が受け付けない感じ。
ただただ事実を、じっと見つめるしか、出来なかった。
「見るのが怖い」と思った特集写真記事があった。
『乳がんを超えて』というタイトルの、レポート。
30歳代で2人の子どもがいる、乳がんになった女性が被写体。(彼女は洋子さんという)
手術前のきれいな胸を、小さな男の子が母親(洋子さん)に向き合って触っている。
洋子さんの顔の表情は・・いとおしむような悲しいような・・表情。
そして、がんの出来ている片方の乳房を切除したのは、07年。
術後の、上半身があらわになった、片方の乳房に医療用テープが貼られている姿。
「同時再建」といって、"拡張器"を入れておくのだそうだ。
片方は、きれいなままの乳房。
洋子さんのその姿は、痛々しい」などという言葉では、とても表現できない。
洋子さんを取材した写真家の宮下マキさんは、
「時に人は、ある喪失において自分の存在さえも見失う。・・・・・
・・・・がんは乳房ばかりか彼女の心までも侵食していくようだった。」と、書いている。
その後洋子さんは3度目の再建手術を受け、家族の優しい見守りもあって、
徐々に、本来の自分を取り戻していく。
一番最後の写真では、子どもたち二人が洋子さんにもたれかかっていて、
洋子さんは楽しそうに笑っていた。「洋子と出会って3年近い月日が流れた。」(宮下さん)
私の母も、大腸がんが見つかってすぐに、乳がんも見つかっている。
乳がんは性質の良くないものだったが、ごく初期だったので手術や抗がん剤で抑えることが出来た。
再発はしていない。
でも・・大腸がんは約1年ちょっと経って仙骨に転移という、数少ない症例の転移をする。肺にも。
鎖骨の下辺りに埋め込んだ「ポート」という抗がん剤点滴用の器機。
東京の病院で埋め込み手術をしたときは母はまだ、そんなに痩せていなかった。
でも、今はポートが目立ってしまっていて、「ほら、こんなになっちゃった」と、
母は力無く笑った。
転移はしていないんだから、胸がちょっといびつになったって、早く気がついてよかった・・・
私は母の乳がんについて、こんな風に考えていた。
"洋子さん"の写真を見て、母も本当はかなり精神的にきつかっただろう・・と、
今さらながら思った。想像も出来なかった。
誰もが、病気でなくても「ひとりぼっち」だと感じることはあるだろう。
私は未だにあの子の死を引きずり向き合えず、ここにも自分の手帳にも書いたことはないし、口に出して話したこともない。話したり書いたりすると、辛過ぎるから。
でも確実に、月日がだんだんと風化させていってくれる。
風化なんて良くないかもしれないが、それが最適だということもあると思っている。
お茶やコーヒーを飲みながら・・お菓子を食べながら・・見ることのできる写真誌では、
ないです。確かに・・。(被写体そのものがグロテスクというかそういう意味ではない)
インドのゴミ捨て場に住んでいる幼い男の子の写真を見て、衝撃を受けた。
あまりにも不衛生な状況で、生命が危ないと感じた。
インドというと、著しい発展途上にあり、車の「タタ」も有名になってきて、
”けっこうみんな裕福なのかな””格差が著しいといっても、どこの国も似たようなものだろう”
というくらいに、私は最近のインドをテレビ報道などで捉えていた。
しかし、「IT技術立国インド」「車のタタ」のイメージとはかけ離れ過ぎた、
想像を絶する貧困が存在することを知る。
「(インドには)完璧ともいえる格差のシステムが存在するのだ。」と、
カメラマンはレポートに書いている。
「DAYS JAPAN」のジャーナリストは、
そういうことから目を逸らさずに被写体にカメラを向けている。
見ている私も、同じ目線になる。
気分は当然、重くなる。
「貧困は見なければ存在しない」かもしれない。
私は写真を通してだが、インドのゴミ捨て場の幼い少年・少女、親子を見た。
その写真を見た感想は・・・すぐに言葉にできるものではない。
「考えさせられる」とか「ひどい」などという安易な言葉を、写真自体が受け付けない感じ。
ただただ事実を、じっと見つめるしか、出来なかった。
「見るのが怖い」と思った特集写真記事があった。
『乳がんを超えて』というタイトルの、レポート。
30歳代で2人の子どもがいる、乳がんになった女性が被写体。(彼女は洋子さんという)
手術前のきれいな胸を、小さな男の子が母親(洋子さん)に向き合って触っている。
洋子さんの顔の表情は・・いとおしむような悲しいような・・表情。
そして、がんの出来ている片方の乳房を切除したのは、07年。
術後の、上半身があらわになった、片方の乳房に医療用テープが貼られている姿。
「同時再建」といって、"拡張器"を入れておくのだそうだ。
片方は、きれいなままの乳房。
洋子さんのその姿は、痛々しい」などという言葉では、とても表現できない。
洋子さんを取材した写真家の宮下マキさんは、
「時に人は、ある喪失において自分の存在さえも見失う。・・・・・
・・・・がんは乳房ばかりか彼女の心までも侵食していくようだった。」と、書いている。
その後洋子さんは3度目の再建手術を受け、家族の優しい見守りもあって、
徐々に、本来の自分を取り戻していく。
一番最後の写真では、子どもたち二人が洋子さんにもたれかかっていて、
洋子さんは楽しそうに笑っていた。「洋子と出会って3年近い月日が流れた。」(宮下さん)
私の母も、大腸がんが見つかってすぐに、乳がんも見つかっている。
乳がんは性質の良くないものだったが、ごく初期だったので手術や抗がん剤で抑えることが出来た。
再発はしていない。
でも・・大腸がんは約1年ちょっと経って仙骨に転移という、数少ない症例の転移をする。肺にも。
鎖骨の下辺りに埋め込んだ「ポート」という抗がん剤点滴用の器機。
東京の病院で埋め込み手術をしたときは母はまだ、そんなに痩せていなかった。
でも、今はポートが目立ってしまっていて、「ほら、こんなになっちゃった」と、
母は力無く笑った。
転移はしていないんだから、胸がちょっといびつになったって、早く気がついてよかった・・・
私は母の乳がんについて、こんな風に考えていた。
"洋子さん"の写真を見て、母も本当はかなり精神的にきつかっただろう・・と、
今さらながら思った。想像も出来なかった。
誰もが、病気でなくても「ひとりぼっち」だと感じることはあるだろう。
私は未だにあの子の死を引きずり向き合えず、ここにも自分の手帳にも書いたことはないし、口に出して話したこともない。話したり書いたりすると、辛過ぎるから。
でも確実に、月日がだんだんと風化させていってくれる。
風化なんて良くないかもしれないが、それが最適だということもあると思っている。
| ホーム |