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日本最古の新聞が、京都市で発見されました。(2月)
2014年03月25日 (火) | 編集 |
下の写真は、2月4日付の山梨日日新聞一面の、
「日本最古(文久2(1862)年の元日)の新聞が発見された、というニュースの画像です。
最古の新聞本体の部分は、古い紙だからか、山日の紙面から見ると、
黄色く見えます。
「京都市下京区の本草漢字塾「山本読書室」跡から見つかった、
という説明記事がついています。

P1010559 2014年2月4日付山梨日日新聞一面 「日本最古 文久2年元日 新聞発見」

ネットで探したら、他にも記事が見つかりました。

京で日本最古の新聞発見 「文久二年正月元日」印刷 (京都新聞2014年02月03日)

以下、京都新聞より一部抜粋、転載。ここから。===========

 内容は天文学、理学、中国の海外情報などが幅広く記されている。幕府の小笠原諸島での調査、薩摩藩による英国製の船購入、彗星(すいせい)の出現などの話題を載せている。洋学を重視しない自藩に対する不満も書き連ねている。

 史料群の中に、幕末から明治にかけての岩倉具視あての新政府要人からの手紙が61通あることも判明。西南戦争時の木戸孝允と大久保利通との意見の相違など、当時の政府内での力の構図が分かるという。また、鎌倉時代の北条政子の書状なども見つかっている。

=======================

最古の新聞は、
「京都市下京区の本草漢学塾「山本読書室」跡で見つかった数万点の史料群」の一つ、
です。
「史料群の中に、幕末から明治にかけての岩倉具視あての新政府要人からの手紙が61通あることも判明。」
ということで、
京都新聞でも言及していますが、幕末から明治にかけての、
新しい発見があるかもしれません。



と、…すみません、今までの記事とは関係ないのですが、
私は実は、「古新聞萌え」(またはかなり古い古書)、です。

軍艦島という、長崎県の端島(はしま)というところで、
”日本で最初の高層鉄筋アパートが立った場所”、と言われています。
軍艦島には約5000人が住んでいて、高層アパートも、
当時としては最先端だった、見たいのをテレビで見聞きしたことがあります。
(その前の歴史については、今ここでは触れません)
テレビ番組(朝日)「スーパーモーニング」の、廃墟探検、のようなコーナーで、
住人がいなくなって何十年も経った部屋へ入るという場面がありました。

石原裕次郎やその他、若い時に活躍していたであろう「リアルタイム」のポスター類、新聞が目に飛び込んできました。

う~、その新聞に近寄ってほしい~
何が書いてあるのかな。
紙は、文字はどんな感じかな。

住民が住んでいた、朽ち果てた台所も、興味深かったです。
私が小さい頃、こういうのギリギリ使ってたかも・・・
感慨にふけってしまいました。


すみません、話が逸れてしまいましたが、

さすがに、「文久2年」(1862年)となると、152年前です。
私のひいお婆さん(曾祖母)は明治22年(1890年)くらいの生まれです。
時の流れは、面白いなぁなんて、素直に思ってしまったりします。

ところで。
私のひいおじいさん(曽祖父)の軍服姿で写っている写真や、
まだのんびりしていた頃の中央線が写っている写真があることが、
去年、分かりました。
また今度、気が向いたときにアップできたら良いな、と思っています。



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2014/03/26(水) 09:12:36 | ケノーベル エージェント