2011年11月26日 (土) | 編集 |
fc2のアクセス解析の、「検索キーワード」を久しぶりに追って見ましたが、
ところどころで見られるのが、『誕生死』です。
このブログに近づくのさえ憂うつになっていましたが、このことは書こうと思いました。
生まれてくることができなかった命とは、
きちんと別れることが大事だと思います。
悲しみの波が寄せては返ってきてしまうという方、この動画を見てみませんか?
In Memory of Baby Ella Rose Cook July 17, 2008
海外の映像ですが、家族みんなで赤ちゃんとお別れをしています。
とても、あたたかな雰囲気です。
こんなふうにお別れをしてもらえた赤ちゃんもいることを知り、
少し救われる気がしました。
私は赤ちゃんと対面することもかなわず抱かせてももらえず、
「見ないほうがいい」の医師の一点張りであきらめてしまいました。
もっと食い下がればよかったのに、疲れてしまっていました。言い訳です。
そのあとは、赤ちゃんのことを忘れないでいるものの、記憶は封印しました。
そうならない方がいいです。
お別れをしっかり、する方がいいと思います。
ところどころで見られるのが、『誕生死』です。
このブログに近づくのさえ憂うつになっていましたが、このことは書こうと思いました。
生まれてくることができなかった命とは、
きちんと別れることが大事だと思います。
悲しみの波が寄せては返ってきてしまうという方、この動画を見てみませんか?
In Memory of Baby Ella Rose Cook July 17, 2008
海外の映像ですが、家族みんなで赤ちゃんとお別れをしています。
とても、あたたかな雰囲気です。
こんなふうにお別れをしてもらえた赤ちゃんもいることを知り、
少し救われる気がしました。
私は赤ちゃんと対面することもかなわず抱かせてももらえず、
「見ないほうがいい」の医師の一点張りであきらめてしまいました。
もっと食い下がればよかったのに、疲れてしまっていました。言い訳です。
そのあとは、赤ちゃんのことを忘れないでいるものの、記憶は封印しました。
そうならない方がいいです。
お別れをしっかり、する方がいいと思います。
2009年11月26日 (木) | 編集 |
今日はちょっと、内容が暗くてすみません・・・。今、書いておきたいと思いました。
...................
-- 会いたかったあの子へ --
もしかしたらあなたはもう、忘れているかもしれないけど、
生まれたときにはもう、生きていなかったんだよ。
会いたかったのに、会えなかったね。
ごめんね、一度も抱っこすることもできなくて。
私はもう、誰も責めたりしないけれど、
一度くらい抱っこしてほしかったのに、形があるうちに、って・・・
思ったよね、きっと。
どんな世界だったかな。
私の声がきこえた?
私のおなかの中の居心地はどうだったかな?
・・・苦しかったかな・・。
桜も見に行ったし、
山の中にドライブにも行ったんだよ、一緒に。
......................
「誕生死 ブログ」で検索して来てくれた人がいました。
私はいまだに、真正面から向き合えていません。
でも、それでいいのだと思って。
こうやって、時々言葉にして残すことで、これを見て、
何かを感じてくれる人がいれば、と。
2011年11月21日、晴れ。
「In Memory of Baby Ella Rose Cook July 17, 2008」
小さな小さな赤ちゃんと、両親がお別れするとき。
→http://youtu.be/n2sxLs5zP2U
きちんとお別れすることが必要だと思います。
...................
-- 会いたかったあの子へ --
もしかしたらあなたはもう、忘れているかもしれないけど、
生まれたときにはもう、生きていなかったんだよ。
会いたかったのに、会えなかったね。
ごめんね、一度も抱っこすることもできなくて。
私はもう、誰も責めたりしないけれど、
一度くらい抱っこしてほしかったのに、形があるうちに、って・・・
思ったよね、きっと。
どんな世界だったかな。
私の声がきこえた?
私のおなかの中の居心地はどうだったかな?
・・・苦しかったかな・・。
桜も見に行ったし、
山の中にドライブにも行ったんだよ、一緒に。
......................
「誕生死 ブログ」で検索して来てくれた人がいました。
私はいまだに、真正面から向き合えていません。
でも、それでいいのだと思って。
こうやって、時々言葉にして残すことで、これを見て、
何かを感じてくれる人がいれば、と。
2011年11月21日、晴れ。
「In Memory of Baby Ella Rose Cook July 17, 2008」
小さな小さな赤ちゃんと、両親がお別れするとき。
→http://youtu.be/n2sxLs5zP2U
きちんとお別れすることが必要だと思います。
2008年09月27日 (土) | 編集 |
1998年の9月の、ちょうど今頃・・。
やはり私は、あれからずっと、ぼんやりしていた。
・・なんで、自分だけ・・。
この思いは、どうにもならない。虚脱感。
体の方は、徐々に回復していた。でも、心は・・。
母が、「いつまでも寝ていないで犬の散歩に行きな。毎日なんて、こっちも散歩に行ききれない」と言った。
「分かった。今日からうぴしの散歩に行くから」
うぴしはその時、まだ5歳で今よりもずっと、若かった。
私をすごい勢いで引っ張る。
その力の、すごいこと。引っ張る、引っ張る。
思った。うぴしは生きているから、こんな力で私を引っ張るんだ。引っ張れるんだ。
私のことなどおかまいなしのうぴし。繋がるリードに、その命の勢いを感じた。
今までうぴしに悪いことをした、と初めてその時思った。
うぴしがものすごい勢いで私を引っ張った時、「ダメ!」と大声で叱って(怒って)、
グイッとリードを引っ張り返してしまったこと・・。ひどいことをしたよ。
うぴしはそういう時、「何でそんなことするの」という目で私を見ていた。私がイライラしていたから、きっと。
今まで本当にごめんね。うぴしごめんね。と、謝った。
生きている物すべてが、生きていることが、奇跡に思えていた。「生きているんだ・・」とぼんやり思った。
蟻を見ても雑草を見ても、光り輝いていると思った。
近所の猫に子どもが生まれた時は、うらやましかった。新しい命。
なのに、あの子は生きていない。死んでもういない。
その事実は、圧倒的だった。
やはり私は、あれからずっと、ぼんやりしていた。
・・なんで、自分だけ・・。
この思いは、どうにもならない。虚脱感。
体の方は、徐々に回復していた。でも、心は・・。
母が、「いつまでも寝ていないで犬の散歩に行きな。毎日なんて、こっちも散歩に行ききれない」と言った。
「分かった。今日からうぴしの散歩に行くから」
うぴしはその時、まだ5歳で今よりもずっと、若かった。
私をすごい勢いで引っ張る。
その力の、すごいこと。引っ張る、引っ張る。
思った。うぴしは生きているから、こんな力で私を引っ張るんだ。引っ張れるんだ。
私のことなどおかまいなしのうぴし。繋がるリードに、その命の勢いを感じた。
今までうぴしに悪いことをした、と初めてその時思った。
うぴしがものすごい勢いで私を引っ張った時、「ダメ!」と大声で叱って(怒って)、
グイッとリードを引っ張り返してしまったこと・・。ひどいことをしたよ。
うぴしはそういう時、「何でそんなことするの」という目で私を見ていた。私がイライラしていたから、きっと。
今まで本当にごめんね。うぴしごめんね。と、謝った。
生きている物すべてが、生きていることが、奇跡に思えていた。「生きているんだ・・」とぼんやり思った。
蟻を見ても雑草を見ても、光り輝いていると思った。
近所の猫に子どもが生まれた時は、うらやましかった。新しい命。
なのに、あの子は生きていない。死んでもういない。
その事実は、圧倒的だった。
2008年09月14日 (日) | 編集 |
おとといかその前の日か覚えていないんだけれど、
朝か昼か・・夜か・・忘れてしまったけれど、
テレビから、「今、全国的に火葬場が足りないという事態に陥っています」
という話題が聞こえてきた。
ダンナも見ていた。
だからきっと、夜勤明けの日かな。
私は、自分が・・自分だけが・・なのかな・・未だに知らないことを、
いい機会だと思って、思い切ってダンナに聞いてみた。
「あの時、お母さんと2人だけで火葬に行ったの?」
「・・ううん・・お父さんも。3人で」
それだけしか、聞けなかった。
ダンナのその時の気持ちも、父と母がどういう様子だったかも、
聞きたかったけれど、自分で声に出そうとすると、詰まってしまう。
ダンナと、私の父と母、3人であの子の火葬に立ち会った・・というのは、
今まで知らなかった。
聞くこと自体が自分の心をえぐるので、聞かなかった。
こんなに年月が経っているのに、なぜ私は・・と、今でもたまにぼんやりと思う。
自分と自分の子のことなのに、死んだ状態で生まれてからどういう風に時間が過ぎたのか、
知らない。周りの人は、知らない方がいいと思ったのかな・・。
自分でみんなに聞くことはしなかった。そのことに触れるのを避けてきた。
母親がそんなんじゃ、あの子はかわいそう・・。
おなかが大きくなってきた時に友人を訪ねたことがある。
あの子のために、可愛い靴をプレゼントしてくれた。
これが履けるようになるには、1歳半くらいかなぁ・・どうなっているんだろう・・
と、ほほ笑ましく靴を眺めていた。
でも、結局履くことはなかった。
妹に子どもが生まれたら、この靴あげようかな・・とぼんやり思った。
でもやっぱりこの靴はあの子の物だから、
私が死ぬ時に一緒に入れてもらおう・・と思う。いつになるか分からないけど。
朝か昼か・・夜か・・忘れてしまったけれど、
テレビから、「今、全国的に火葬場が足りないという事態に陥っています」
という話題が聞こえてきた。
ダンナも見ていた。
だからきっと、夜勤明けの日かな。
私は、自分が・・自分だけが・・なのかな・・未だに知らないことを、
いい機会だと思って、思い切ってダンナに聞いてみた。
「あの時、お母さんと2人だけで火葬に行ったの?」
「・・ううん・・お父さんも。3人で」
それだけしか、聞けなかった。
ダンナのその時の気持ちも、父と母がどういう様子だったかも、
聞きたかったけれど、自分で声に出そうとすると、詰まってしまう。
ダンナと、私の父と母、3人であの子の火葬に立ち会った・・というのは、
今まで知らなかった。
聞くこと自体が自分の心をえぐるので、聞かなかった。
こんなに年月が経っているのに、なぜ私は・・と、今でもたまにぼんやりと思う。
自分と自分の子のことなのに、死んだ状態で生まれてからどういう風に時間が過ぎたのか、
知らない。周りの人は、知らない方がいいと思ったのかな・・。
自分でみんなに聞くことはしなかった。そのことに触れるのを避けてきた。
母親がそんなんじゃ、あの子はかわいそう・・。
おなかが大きくなってきた時に友人を訪ねたことがある。
あの子のために、可愛い靴をプレゼントしてくれた。
これが履けるようになるには、1歳半くらいかなぁ・・どうなっているんだろう・・
と、ほほ笑ましく靴を眺めていた。
でも、結局履くことはなかった。
妹に子どもが生まれたら、この靴あげようかな・・とぼんやり思った。
でもやっぱりこの靴はあの子の物だから、
私が死ぬ時に一緒に入れてもらおう・・と思う。いつになるか分からないけど。
2008年09月01日 (月) | 編集 |
あれからしばらく、家に帰ってきてからはどういう風に過ごしていたのか・・。
はっきりとは思い出せないけれど、医師に「家事はほどほどにして、ゴロゴロして過ごすように」
と言われていたので、そうしていた。
退院してその次の日くらいに、ダンナの親戚の人が私を見舞いに来てくれた。
あまり暗い顔もしていられなかった。
親戚のおじさんは、自分の地域の、市議会選挙の話を始めてしまった。
曖昧にうなずく私。貧血がひどくて座っているだけで息が切れてしまう。
母がハラハラしながら私を見ていた。
おじさんの奥様が、「もう帰らないと、○子さん大変だから」と気遣ってくれた。
でも帰り際におじさんに、
「やっぱりでもねぇー、子どもは一人ぐらいはいなきゃ。まだまだ若いんだから大丈夫だよ」と言われた。
曖昧にうなずくしかなかった・・。
(その言葉は後々まで、心に突き刺さって取れなかった・・おじさんに悪気はなかったと思うけれど)
それから何ヶ月か経ってから、ある日私はテレビを見ていた。
ドキュメンタリー番組で出てきた、病院での出産シーン。
それを見た瞬間、私は自力で息ができなくなったようになり、突然・・自分でもびっくりするほど突然・・
涙があふれて出て止まらなくなってしまった。
ごく普通の出産シーンだったけれど、とても見ていられなくて慌ててテレビのスイッチを切った・・。
・・・その時は、どうしてそんな風になってしまったのか、
自分でも、自分の突然の激しい涙に驚いてしまった。
そういう激しい涙は、その時一回だけだった。でも、
地下鉄サリン事件に遭遇し、神経系や目に障害が残ってしまって、
サイレンの音を聞くとパニックになってしまうという女の人の気持ちが少しだけ、
理解できるような気がした・・。
今日は何となく、冷静に書けた。
ダンナともこういう話を本当はひざを交えて、本当の心の中を話したい。
ただ、口に出すと辛い。ダンナも、このことについての話や心の内は聞きたくないのかもしれない。
・・・誰かに聞いて欲しかった。
心の中はなかなか、人に話せない。口に出して話すことで、さらに自分の心をえぐる。
ここを見てくれている人がいる・・と思い、書いてしまいました。
いつも読んでくださっている方、ありがとうございます。
はっきりとは思い出せないけれど、医師に「家事はほどほどにして、ゴロゴロして過ごすように」
と言われていたので、そうしていた。
退院してその次の日くらいに、ダンナの親戚の人が私を見舞いに来てくれた。
あまり暗い顔もしていられなかった。
親戚のおじさんは、自分の地域の、市議会選挙の話を始めてしまった。
曖昧にうなずく私。貧血がひどくて座っているだけで息が切れてしまう。
母がハラハラしながら私を見ていた。
おじさんの奥様が、「もう帰らないと、○子さん大変だから」と気遣ってくれた。
でも帰り際におじさんに、
「やっぱりでもねぇー、子どもは一人ぐらいはいなきゃ。まだまだ若いんだから大丈夫だよ」と言われた。
曖昧にうなずくしかなかった・・。
(その言葉は後々まで、心に突き刺さって取れなかった・・おじさんに悪気はなかったと思うけれど)
それから何ヶ月か経ってから、ある日私はテレビを見ていた。
ドキュメンタリー番組で出てきた、病院での出産シーン。
それを見た瞬間、私は自力で息ができなくなったようになり、突然・・自分でもびっくりするほど突然・・
涙があふれて出て止まらなくなってしまった。
ごく普通の出産シーンだったけれど、とても見ていられなくて慌ててテレビのスイッチを切った・・。
・・・その時は、どうしてそんな風になってしまったのか、
自分でも、自分の突然の激しい涙に驚いてしまった。
そういう激しい涙は、その時一回だけだった。でも、
地下鉄サリン事件に遭遇し、神経系や目に障害が残ってしまって、
サイレンの音を聞くとパニックになってしまうという女の人の気持ちが少しだけ、
理解できるような気がした・・。
今日は何となく、冷静に書けた。
ダンナともこういう話を本当はひざを交えて、本当の心の中を話したい。
ただ、口に出すと辛い。ダンナも、このことについての話や心の内は聞きたくないのかもしれない。
・・・誰かに聞いて欲しかった。
心の中はなかなか、人に話せない。口に出して話すことで、さらに自分の心をえぐる。
ここを見てくれている人がいる・・と思い、書いてしまいました。
いつも読んでくださっている方、ありがとうございます。