1945年8月6日、アメリカ軍は広島に原子爆弾を投下しました。2010年08月06日 (金)
それから約1年半後、福島第一原発で爆発事故が起こりました。
反原発派の中でも、妙な派閥みたいのが出来ていて、菅元首相に批判的な人もいる。
(例えば、原発国民投票について、とか)
でも私は、あの事故以降、菅さんは変わったのではないかと思う。
しかし、あの時原発事故が起きなかったら。
今の自民党のように、民主党は、アメリカに擦り寄る政策を支持する議員で固められるようになっていたのか、と
、仮定ではあるが考えてしまいました。
原発事故は起きました。
菅さんが東電に乗り込まなければ、どうなっていたか・・。
2012年8月7日の私のブログ記事です。
広島への原爆投下から67年、広島平和記念式典について紙面で伝えない朝日新聞
2011年は、広島、長崎のことを両方書いていません。
私事で疲れていたのと、原発事故で頭がいっぱいになり、無理だったのだと思う。
世の中が良くない方向に行っているのは、最近強く感じます。
特に、今年です。
広島平和記念式典の中継は、毎年、見ます。
ブログ内カテゴリは、考えて「日本国憲法」にしました。
6月26日の東京都の都議会選挙選、投票率が43・50%(確定)だったそうです。
低いですね・・。
昨年12月(16日投票日)の衆院選挙の前、作家でタレントの乙武洋匡(ひろただ)さんが、
#選挙に行かない理由とハッシュタグを付けて(←#クリックすると、togetterに飛びます)、意見を募りました。
【拡散希望】今回、「投票に行くつもりがない」、もしくは「行くか迷っている」という人、ぜひ下記ハッシュタグをつけて、その理由を教えてください。 #選挙に行かない理由
— 乙武 洋匡 (@h_ototake) December 13, 2012
制度的に問題があるなぁと思うのは、例えば若者が、地方から東京に出てきた時に、住民票を移さずにそのままの場合、自分の出身地まで帰ってから投票しないとならないということ。
この前、朝日か山日かどちらかの新聞で見ましたが、中には、住民票を移して東京の住民になって投票する、という学生もいるが、大半はそのままなのではないか、というような主旨のことが書いてありました。
若者ではない場合。
私は3年前の参議院選の際、抗がん剤治療中の母に期日前投票に付き添いましたが、有権者自身が闘病中、または高齢で外出がままならない、となると、(郵便投票制度もあるようですがその辺、知られていないのではないか)それだけで票が減るような場合があると思うのです。また、病気の人や高齢の家族の付き添いをする家族が疲れてしまい、投票できない、なんて場合もあるのかな、と想像しました。というのは、私自身、母には付き添うだけで、一緒に期日前投票をする余裕がなく、自分は当日でしかも夜の8時ギリギリになってしまった、ということがあったからです。
以上の二つは、「やむをえない」といえば、そうなのですが、
住民票のことは、何とかなるような気がするのですが・・。
上にリンクしたトゥゲッター#選挙に行かない理由で、
「これ、若者を叩くハッシュタグなん?」とか、「わざわざこんなタグつけて、選挙に行かない若者に説教垂れてるバカが沢山おる。」というコメントがありますが、乙武さんは、そういう意味で意見を募ったのではないと思います。
参議院選の投票日は、7月21日くらいなのでしょうか。もう少しです。
文章が長くなってしまいそうなので、この辺で。
「天皇」と「天皇陛下」、呼ぶのにどちらの方が多いのか。どちらでもいいと思うのですが、ほとんど天皇と会う機会などないにもかかわらず、家族と会話する時には、「天皇陛下」と、気づくと言っていますね・・。なぜでしょう。で、皇后に対しては、美智子さんと呼んでいます。無意識ですね。私の場合「皇后さん」「美智子さん」とは言っても、皇后陛下とは、なぜか言わない。美智子さんが”私たちの”「お母さん」っぽいから?
あの記事を書いたのは、あの時(昨年11月)「天皇は過労死するのではないか」と単純に思ったからです。「天皇でないと(代わりがいない)公務」というのが、増えていってしまったように思えるんですね。何でもかんでも、「天皇に出席してもらおう」、のような。そんなに天皇や皇太子が来ることが重要なのでしょうか。
天皇は私が子どもの頃から天皇で、象徴ではあるけれども、「象徴」って何?と父に聞いたことがありますが、「例えば、家紋みたいなもんだ」と説明された覚えがありますが、よく分かりませんでした。
私は、「天皇陛下に会ったり、呼ばれたりした人って、すごい・・・。」と思っていました。無意識に、です。しかし、いろいろ知るにつれ(ここ何年かのごく最近のことです)、よく考えてみたら、第二次世界大戦(日中戦争・太平洋戦争)では、「天皇陛下万歳」と言って死んでいった人がそれこそ大勢いたし、戦時中、天皇・皇后両陛下の「ご真影」を守るために、学校では、私の、新聞で読んだ読者投稿欄のうろ覚えではなくネットで調べたところ、「奉安所」が設置されたそうですが、空襲時に奉安所のご真影を守るために死んだ教師、生徒がいたようです。
(命よりまず「御真影」が気にかかり 水島朝穂~『三省堂ぶっくれっと』No.120 September, 1996 より。)
そこで、「なぜ1945年に天皇制はもうご破算・清算(天皇制廃止)と、ならなかったのか」、という疑問が湧きます。
「天皇陛下万歳」と言って死んでいった・・・なのに終戦になったらころっと変わり、同じ人物なのに「天皇陛下天皇陛下」と慕う日本国民・・・おかしくない? と、気がついたのは、繰り返しになりますが、私はここ数年です。で、今度は、天皇・皇后は日本国民を励ます役目なのか。
現天皇個人には、第二次大戦については何の責任もないと思います。
私は現天皇・皇后はどちらかというと好きだし、人柄も良いと思います。しかし本心を抑えて無理やり天皇制を「国民(というよりも国家)のために」続けているなら、もう天皇制をやめた方がいいのではないか、と思うのです。日本国民の精神的な柱として天皇制が続いているのかな。そのために犠牲になっているものは、何だろう。そんなことを思います。
天皇制についてあなたは全然分かってないな、と思われる読者さんもいるかも、ですが、
コメントをいただき、つらつらとこんなことを考えていました。
昨日の朝日新聞「声」欄で、「写真版 東京大空襲の記録 (新潮文庫)」を出版した早乙女勝元さんが、大震災の影響で、自ら館長をつとめる東京大空襲・戦災資料センターの来館者が前年に比べ半数も減ってしまった、と危機感を訴えていました。このことは、気になりました。
関連した二つの新聞記事を紹介。
---毎日新聞 2012年3月10日 東京夕刊---
東京大空襲:67年 震災遺児に思い重ね 父母、妹亡くした女性が義援金活動 「悲しみ」越えるため
一部転載。ここから。===================
米軍の焼夷(しょうい)弾が降り注いだ1945年3月10日未明、当時小学校6年で12歳だった高橋喜美子さん(79)さんは、江東区の自宅近くの小学校の校庭にうずくまり、泣き叫んだ。熱風で火のついた木材が舞い、立つこともできない。「お父さん、お母さん、さようなら」。火の粉が防空ずきんに引火して死を覚悟した時、見知らぬ男性が近くのプールまで手を引いてくれ、命拾いした。翌朝、校庭は黒焦げの遺体で埋め尽くされていた。
疎開中だった9歳の妹を含む7人家族だった。空襲から逃れようと小学校に向かう途中、6歳と3歳の妹を連れた母ツヤさん(当時44歳)を見失った。3人とはそれ以来会っていない。父虎之助さん(同49歳)と20歳だった兄(70年に死去)は消火活動のため自宅に残ったが、結局自宅は全焼し、2日後に父と兄の3人で江戸川区の親類宅に身を寄せた。虎之助さんは空襲のやけどと持病の悪化が重なり、1カ月半後に急死した。兄は仕事を見つけて親類宅を出た。「突然独りぼっちになった現実が受け止められず、戦争を恨む日々が続いた」という。
駅や列車の中でいつも母の姿を探し、同じ年ごろの母子を見ると、涙があふれた。
21歳の時、友人の紹介で知り合った充さん(81)と結婚し、2人の娘をもうけた。「自分のような寂しい思いはさせたくない」と、専業主婦になり、娘2人を短大に進学させた。
昨年3月11日は自宅で揺れを感じた。津波にのみ込まれた東北地方の様子がテレビに映ると、戦時中の焼け野原と重なった。「たくさんの孤児が出る」と思ったら、いたたまれなくなった。
======================転載ここまで。
---nikkansports.com 2012年3月10日16時45分---
石原都知事が東京大空襲67年「語り継ぐ」
一部転載。ここから。======================
東京都慰霊協会の主催で遺族や秋篠宮ご夫妻ら約320人が参列。石原知事は追悼の辞で「東日本大震災の発生から1年がたつが、依然として幾多の困難が横たわっている。戦争の悲惨さと天災の脅威を語り継ぎ、平和な世界を次世代への財産として引き継いでいかなければいけない」と述べた。
出征中に新宿区に住んでいた両親が犠牲になったという男性(89)は「いつまでたってもいたたまれない気持ち。一緒に住んでいる家族を失ったことは、空襲も震災も同じだ」と話した。
都は戦争の惨禍を繰り返さないことを誓って3月10日を「平和の日」と定めており、都庁で記念式典を開催。慰霊堂近くの碑に納められた犠牲者名簿には、昨年新たに判明した223人の氏名が追加された。
==================転載ここまで。
東京大空襲のことは、このブログには、毎年書いています。
忘れてはいけないことだと思っています。
ここから先は、最近の私のブログとツイッターについて、です。
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憲法9条と自衛隊は両立しないと思います。
wikipediaからの転載ですか?
はい、そうです。
外務省のページにもあります。http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/pirate/index.html。
『9条があることによって、
日本を尊敬している国もあるということ』
そのような国が本当にあるんでしょうか?
(建前論ではあるでしょうけど)
今の自衛隊を見れば私は憲法9条は世界に向かって
大嘘をついていると思っています。
(投稿者:チロさん(7月19日))
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私が自衛隊について不勉強なのは、否めません。
そして、自衛隊という組織が、自分の日常生活と離れていて、
あまりなじみがない、ということも否めません。
> 今の自衛隊を見れば私は憲法9条は世界に向かって
大嘘をついていると思っています。
その先が、分からないのですが・・・。だから、何、ですか?
9条を変えたほうがいいというのでしょうか。
憲法9条を変えて、もっと動けるようにしろ、と?
チロさん、13日にもコメントをいただいていて、そこでは中国に触れていて、
<軍備を増強し空母を建設中です。
この状況で自衛隊廃止、日米安保を破棄など主張する政党など信頼できません。>
と、コメントを書いてくださっています。
けれど、きのう、ブログにもエントリした小学生の声欄投稿を読んで「ガツン!」と頭を殴られた気がしましたが、私も、自分の言葉で言います。
「そんなに、<敵>がいないと困るのですか?」ということです。
中国は、実際に、最強の<敵>になり得るのですか?
福島の原発事故からの放射性物質を避けるために、山梨に越してきた家族の、大型犬を私は預かりました。今後、犬はとても良い保護者の方の元に託し、新しい飼い主さんを待つことになります。(とても良い人なので安心ですが)、それでも、原発事故さえなければ、家族が引き裂かれることもなく、犬も家族と一緒に居られました。
原発の放射能が原因で自殺した福島の人もいます。
今は、原発が敵でなくて何が敵なのでしょうか。
私自身の一番の敵は、自分自身です。
無関心になってしまうこと---それを恐れます。
このブログのリンク先の「夕暮菜日記」の過去記事:
「敗戦記念日に」(2009年08月15日)
http://blog.goo.ne.jp/midorimushi666/e/13bb2e82170462304ee7193cfcf45b07
を、是非お読みください。
その中に、2008年8月15日の、社民党党首・福島みずほさんの「誓いの言葉」がありますが、そこにもあるように、<四月一八日には、名古屋高等裁判所で、自衛隊のイラク派兵を違憲とする判決が出されました。>ということです。
参照:自衛隊イラク派兵差し止め訴訟の会/トップページ
私はこの判決を支持します。
そして、イラク戦争の検証活動(「イラク戦争なんだったの!?」)をしている人たちがいますが、その人たちを私は支持します。今後も見守ります。署名など、出きることがあれば、自分もします。
チロさん、コメントは簡潔で短くではなくていいので、
もう少し、分かりやすく書いていただければ、と思います。
> 憲法9条と自衛隊は両立しないと思います。
> 今の自衛隊を見れば私は憲法9条は世界に向かって
> 大嘘をついていると思っています。
だけでは、何がおっしゃりたいのかが、残念ですがこちらに伝わってきません。
チロさん、私自身も考えました。
いつもコメント、ありがとうございます。