「確かにそうだ」と思ったことを一つ。
昨日の朝日新聞長期連載「プロメテウスの罠」の記事にあったのですが、
学校給食や病院の給食についてくる、「牛乳」です。
仙台の牛乳を、福島県二本松市のNPO「TEAM二本松」が計測したら、牛乳からセシウムが検出されたという主旨の内容です。
================その中から、部分引用。(12月29日朝日新聞「プロメテウスの罠より)
TEAM二本松は22日までに複数メーカーの37本を測定し、11本からセシウムを検出した。いずれも暫定基準値の1㌔当たり200ベクレルを下回り、来年度から実施予定の50ベクレルよりも低かった。国が「飲んでも安全」とするレベルだ。
しかし、学校給食は半ば強制的に子どもたちの口に入る。より厳しい基準が要るのではないか、という意見も少なくない。
・・・・・
横田は、小学4年生の息子に給食の牛乳を飲むのをやめさせた。いまはお茶を持たせている。
「栄養バランスにすぐれた牛乳は給食のメニューから外しにくい」と佐藤はいう。
================引用終わり。
> 学校給食は半ば強制的に子どもたちの口に入る。
そうなのです。そして、牛乳は戦後の栄養不足解消のために取り入れられたのに、
なぜか、いまだに強制的に飲まなければならないような雰囲気です。
私の母は今年1月末、最後5日間入院しましたが、
自力で食べることはできるため、「常食」でした。がんばって食べていました。
「常食」だから毎朝、給食に牛乳がつくのは分かっているのですがね・・・。
母は牛乳を見るのも嫌だといって、私に渡しました。
十数年以上前ですが、私が勤めていた病院でも、牛乳は必ず給食についていました。
栄養士の側からいうと、「カロリー合わせ」「栄養素合わせ」の気がしないでもありません。
お膳を下げて洗浄する段階になると、まったく手付かずの牛乳もあります。
もちろん、衛生上捨てなければなりません。
私は病院で栄養士として数年勤めましたが、「牛乳は給食について当たり前」
と、考えていました。
また、朝日新聞の記事に戻りますが、
> 学校給食は半ば強制的に子どもたちの口に入る。
のです。
確かに、育ち盛りでカルシウムを摂取するのは大事です。大人も、骨粗しょう症を防ぐのに有効かもしれません(それ以上に大事なのが「運動」という説もあるが)。
しかし、給食に牛乳はつきもの・当たり前というのはよく考えたらなんか変です。
たんぱく質というなら代用できるし、ビタミンも野菜などで調節できる。
・・・しかし、また元に戻る。
日本人は年をとると、特に女性が、背骨が曲がってしまう人が多いような気がします。
畳文化だからなのか、食生活なのか。
カルシウム摂取量が少なすぎるとよくないであろうことはあるでしょう。
年を寝たきりなどにならない人は、足腰がしっかりしています。
この時期になると・・というか、去年の母の様子を思い出してしまったり、
体調の崩れがなかなか治らずに、頭痛とPC画面のスクロール酔いに悩まされたり、
・・・すみません暗くて。
でも少しずつ、上向いてきているかもしれない私です。
(これは下書きを書いておいたものに書き足していますが、なんと、今日、
北朝鮮の金正日が死去したそうですね。びっくりです。)
では今日は、本の紹介を。
犬の生態 (1989/05) 平岩 米吉 商品詳細を見る |
おとといかその前の日か・・・
私は、テレビでアメリカのドキュメンタリー番組を見ていました。
「ナショナルジオグラフィック」か「ディスカバリーチャンネル」か、その辺の。
イラクへ派遣された兵士が、駐留した場所に居ついてなついた犬と離れたくなくて、米国に連れて帰りたい、それをサポートする人がいる・・そのような内容でした。
私は、まともに見ると辛いな・・と思って、他の番組に切り替えて計2,3分ほどしか見なかったのですが、ふと思い出した本がありました。
それが、「犬の生態」という、紹介する本は1989年出版ですが、元は1956年(昭和31年)に平岩米吉さんという人が書いた本を、犬に関する情報を新しくして出版しなおしたものです。
犬の本質をよくとらえているのではないか、と私は思っていて、
お気に入りの一冊です。
この本の中の57ページに、「図22 砲弾をくぐって伝令の任務を果たす軍用犬」という写真があり、犬が写っていますが、中でも特にそれを思い出しました。
当時の私は悲しい思いでそれを見ていました。今も同じです。
弾に当たらなかっただろうか・・・そんなことを考えて。
この本が出版されてから55年、多分この写真の犬は第一次大戦か第二次大戦の時に生きていた犬でしょう。余生を犬らしく送れただろうか。
実は、この本は東京の神田神保町の三省堂に、私が18歳のころに買いに行った本です。
なぜ神保町?と思うでしょう。
私の父がいろいろ本を集めるのが好きで、そのころ、父と母は電車で大きい本屋さんに行ってみたいということになり、三省堂に行ったそうです。
「6階か7階くらいの建物で、それが全部本屋さんだったさ。すごいねぇ東京は」と、
母が話してくれました。
私は、新聞でちらっと見た「犬の生態」がとても気になっていました。三省堂の本屋さん行ってみたいな・・でも、一人で行くのは迷ってしまいそうだし(18歳だというのにちょっと情けないですが)・・・と思っていたら、
母が「お母さんが一緒に行ってあげる。帰りだけ自分で帰ってこられるでしょ」と言い、
電車で私を神田の三省堂まで連れて行ってくれました。
母と店内に入ってしばらく母もぶらぶらして、「やっぱ、すごいねぇ」と笑ったりして、
「じゃあお母さん帰るからね」「ゆうこ、ちゃんと帰れるよね」
私「大丈夫だよ(笑)。さすがに帰りは。」「じゃあね」と、
別れました。
そのとき、何だか、なんともいえない気持ちになりました。
私が本屋さんをぶらぶらして見終わって電車に乗って家に帰ればまた母に会えるに決まっているのに、そんなのは当たり前なのに、
母とはそのまま、そこでずっと別れてしまうような気がしました。
一瞬だけ。
この気持ちはたまに、よみがえってきます。
家に帰りついたら母が、「おかえり。ちゃんと帰ってこられたじゃん」と、
ニコニコしながら私を迎えてくれました。
三省堂には、それ以来行ったことはありませんでしたが、今年夏、
ふとしたきっかけで、訪ねました。
初めて、神田の古本屋さんに行きました。ドキドキしていましたが楽しかったです。
友人が案内してくれました。
その後コーヒーをごちそうになり、友人は、
方向音痴な私を心配して渋谷駅まで送ってくれました。
この方の、12月8日の、気になったツイートを紹介します。
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★mitsuakick★
■12月にはいって、急に、3月11日からの数週間の日々、混乱、整理できないままTVで震災と原発事故のシーンを見てるような情景が、繰り返し繰り返し頭の中に湧き上がる。頭から離れない。どういうことなのだろう。
■原発への、電力会社への、政府への、マスメディアへの怒りがある。けど、福島浜通り、福井の若狭湾、田ノ浦、、、などへ押し付ける仕組みの中に生きてきたことへのやるせなさ、自分への怒りのような感情がある。それは自分が引き裂かれるような感情。今も引き裂かれ続けている。
■引き裂かれた自分のもやもやした感情を、的確に表現してくれる文学も、音楽も、詩にも、論文にも、映像にも、デモにも、僕はまだ出会えていない。埋めようのないもやもやが、今もある。安直な優しさは残酷だ。しょうがないというあきらめは悲惨だ。では、どんな言葉がそこにありえるのか?
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太文字にした部分、分かるような気がします。
ちょっと違うけど、私は亡き母が最初の抗がん剤治療で東京に入院していた時、「何か支えになるものを」と、必死で本屋さんで本を探していた時がありました。詩集とか。
それらは一時的には私の心を落ち着けてくれたものの、結局自分自身で向き合うしかなく、その「こらえ感」が辛かったです。今もまだ、もやもやしたまま。
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話は戻って。
向かう相手は大きすぎます。
「国民の幸福の追求を忘れている」「国民を国家の道具にしている」日本政府です。
しかし、「敵」はそう明確とは限らない。
「食べて応援」だの「早く福島に戻って住めるように除染しよう」だの「体調不良の原因は内部被曝の影響ではない」だの、一見、「善良で人々に笑顔をもたらしそうな」ことを良しとして、事故で出してしまった大量の放射性物質への対策を間違った方向でしようとする動き。「被災地のいち早い復興のための」全国への放射能汚染がれき拡散処理など。
そういう動きが進むと、だんだん日本全体が、家族友人・隣近所の人が「仕方ない」という態度になっていく空気。
こういう空気が厄介です。
→0:38くらいから、太平洋戦争開戦を伝えるラジオ音声が始まります。
12月8日のことは、私は2008年2月にこのブログを始めて以来、
太平洋戦争開戦について、取り上げない年はありませんでした。
それは私自身が忘れたくないというのもありますが、私たちの世代でさえ、12月8日が何の日かわからない、そして8月6日、9日が何の日か知らないという人も増えていると聞きます。
そのことに危機感を持っているからです。
伊丹万作 戦争責任者の問題
青空文庫に収蔵されている伊丹万作さんの言葉です。
私の基準で、「ここは重要だ」と思った部分を抜粋します。
全文は、リンク先から是非、読んでみていただけたらと思います。
今の日本人は、振り返ることが必要です。
以下、「伊丹万作 戦争責任者の問題」より、一部抜粋、転載。
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いたいけな子供たちは何もいいはしないが、もしも彼らが批判の眼を持つていたとしたら、彼らから見た世の大人たちは、一人のこらず戦争責任者に見えるにちがいないのである。
もしも我々が、真に良心的に、かつ厳粛に考えるならば、戦争責任とは、そういうものであろうと思う。
しかし、このような考え方は戦争中にだました人間の範囲を思考の中で実際の必要以上に拡張しすぎているのではないかという疑いが起る。
ここで私はその疑いを解くかわりに、だました人間の範囲を最少限にみつもつたらどういう結果になるかを考えてみたい。
もちろんその場合は、ごく少数の人間のために、非常に多数の人間がだまされていたことになるわけであるが、はたしてそれによつてだまされたものの責任が解消するであろうか。
だまされたということは、不正者による被害を意味するが、しかしだまされたものは正しいとは、古来いかなる辞書にも決して書いてはないのである。だまされたとさえいえば、一切の責任から解放され、無条件で正義派になれるように勘ちがいしている人は、もう一度よく顔を洗い直さなければならぬ。
しかも、だまされたもの必ずしも正しくないことを指摘するだけにとどまらず、私はさらに進んで、「だまされるということ自体がすでに一つの悪である」ことを主張したいのである。
だまされるということはもちろん知識の不足からもくるが、半分は信念すなわち意志の薄弱からくるのである。我々は昔から「不明を謝す」という一つの表現を持つている。これは明らかに知能の不足を罪と認める思想にほかならぬ。つまり、だまされるということもまた一つの罪であり、昔から決していばつていいこととは、されていないのである。
もちろん、純理念としては知の問題は知の問題として終始すべきであつて、そこに善悪の観念の交叉する余地はないはずである。しかし、有機的生活体としての人間の行動を純理的に分析することはまず不可能といつてよい。すなわち知の問題も人間の行動と結びついた瞬間に意志や感情をコンプレックスした複雑なものと変化する。これが「不明」という知的現象に善悪の批判が介在し得るゆえんである。
また、もう一つ別の見方から考えると、いくらだますものがいてもだれ一人だまされるものがなかつたとしたら今度のような戦争は成り立たなかつたにちがいないのである。
つまりだますものだけでは戦争は起らない。だますものとだまされるものとがそろわなければ戦争は起らないということになると、戦争の責任もまた(たとえ軽重の差はあるにしても)当然両方にあるものと考えるほかはないのである。
そしてだまされたものの罪は、ただ単にだまされたという事実そのものの中にあるのではなく、あんなにも造作なくだまされるほど批判力を失い、思考力を失い、信念を失い、家畜的な盲従に自己の一切をゆだねるようになつてしまつていた国民全体の文化的無気力、無自覚、無反省、無責任などが悪の本体なのである。
このことは、過去の日本が、外国の力なしには封建制度も鎖国制度も独力で打破することができなかつた事実、個人の基本的人権さえも自力でつかみ得なかつた事実とまつたくその本質を等しくするものである。
そして、このことはまた、同時にあのような専横と圧制を支配者にゆるした国民の奴隷根性とも密接につながるものである。
それは少なくとも個人の尊厳の冒涜(ぼうとく)、すなわち自我の放棄であり人間性への裏切りである。また、悪を憤る精神の欠如であり、道徳的無感覚である。ひいては国民大衆、すなわち被支配階級全体に対する不忠である。
我々は、はからずも、いま政治的には一応解放された。しかしいままで、奴隷状態を存続せしめた責任を軍や警察や官僚にのみ負担させて、彼らの跳梁を許した自分たちの罪を真剣に反省しなかつたならば、日本の国民というものは永久に救われるときはないであろう。
「だまされていた」という一語の持つ便利な効果におぼれて、一切の責任から解放された気でいる多くの人々の安易きわまる態度を見るとき、私は日本国民の将来に対して暗澹たる不安を感ぜざるを得ない。
「だまされていた」といつて平気でいられる国民なら、おそらく今後も何度でもだまされるだろう。いや、現在でもすでに別のうそによつてだまされ始めているにちがいないのである。
(『映画春秋』創刊号・昭和二十一年八月)
=====================================(下線は私による)
その度に、マスクをしていくのを忘れていました。
「忘れていた」というよりも、自分だけは大丈夫と思い込みたかったことを、
今日付けの朝日新聞で思い知らされました。
2011年12月1日付朝日新聞社会面より。
被爆予防に花粉マスク
東大で実験 セシウム吸引せず
花粉用マスクをつければ、浮遊しているセシウムをほとんど吸い込まずにすみ、内部被爆量を減らせるとの実験結果を、東大アイソトープ総合センターなどがまとめた。
30日に横浜市で開かれた日本放射線安全管理学会学術大会で発表された。
同大の桧垣正吾助教は、福島第一原発事故直後の3月15日午後3時から翌日午前9時までの18時間、東大本郷キャンパスで、市販されている不織布の立体型マスクを着用した。
花粉やほこりに付いて、空中を浮遊している放射性物質と、マスクに付着した放射性物質の量などを調べた。この結果、花粉用マスクで、セシウムのほぼ全てを吸い込まずにすむことが確認された。
マスクに付着した放射性物質の量から換算すると、仮にマスクをせずに体内に吸い込んでいれば、内部被爆は9.3マイクロシーベルトに相当していた。
(岡崎明子) (赤い文字は私による)
「マスクは気休めなのか」と思った時もありました。
しかし、気休めではないですね。
マスクをする方が放射性物質を吸い込まずにすむことが分かる記事です。
15日というと、水素爆発が起きた後です。
http://www.geocities.jp/masakari5910/earthquake01.html
もしも今マスクを着用して、付着した放射性物質を測ってみたら、3月15日に比べてかなり低い値だとは思いますが、
今も放射性物質は浮遊しているので、空間放射線量が高い場所(又は地域)では、
マスクを着用する方がよいと思います。
ただ、残念なのは、 「『マスクが有効である』という発表が遅すぎた」 ことです。
学会で発表することよりも、それをただちに政府に報告して、
国民に知らせるということはできなかったのでしょうか。