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復員兵の話
2014年09月27日 (土) | 編集 |
今回は、先日の記事の最後で、書こうと思うと記した、朝日新聞読者の投稿について、です。私が、読者の戦争証言の連載の中でもっとも忘れられなかった話です。

昭和61年7月~62年2月、朝日新聞4面 テーマ談話室「戦争」連載シリーズをまとめた、
朝日ソノラマ発行・朝日新聞テーマ談話室編者の「戦争---血と涙で綴った証言---上巻」(昭和62年7月31日発行)の、
246~7ページ(紙面では昭和61年10月23日付で掲載)より。投稿者は、当時55歳の神奈川県在住の女性。健在であれば83歳になっています。月日の流れを感じます。
全文は、本を写真に撮って載せました。
クリックすると拡大します。

タイトルは、「娘心を傷つけた『南京の話』」。

F100029朝日新聞 声 戦争1

F1000294 (1)朝日新聞 声 戦争2

F1000295 朝日新聞 声 戦争3

この中から、一部抜粋してここに転載します。ここから============

「・・・30畳くらいの部屋に緑色のカヤをいっぱいにつってゴロ寝です。疲れでウトウトしかけたころ、五、六人の男が酒盛りをはじめました。みな復員兵で、いわゆるプロのやみ屋。それぞれに手柄話が始まりました。
 聞くに耐えない話ですが、中国の娘さんを何人もで暴行し、いったい女の体にどこまで手が入るかということになって、どんどん手を入れていくと、腕の付け根まではいるんだとゲラゲラ笑いながら話しているのです。
 私はバネじかけの人形のようにとび起きてカヤの外にとび出そうとしました。すると母があわてて、そっとしてないと何をされるかわからないと引き止めたので、じっとしていましたが、その間にも、それはどこだ? 南京南京、あそこは一番おもしろかったぞ、やり放題盗み放題だ、とにかく行軍中、兵隊が疲れてなかなか指揮がとれなくなると、上官が、もう少しの辛抱だ、次の町に入ったら何でもやれというのだそうです。」・・・

=============ここまで

「敗戦の年の秋口のことです」と書いてあるとおり、この女性が復員兵から話を聞いたのは戦争が終わってすぐ、の時期です。「私はバネじかけの人形のようにとび起きてカヤの外にとび出そうとしました。」に表れているように、相当なショックを受けたのだろうな、と思いました。
この読者証言の連載を読んでいた私は当時16歳で、「いったい女の体にどこまで手が入るかということになって、・・・」の部分は、被害者の体のことを想像して自分に置き換えてみるととても恐ろしく、この話は、時々なにかのきっかけで思い出しました。(この証言の一週間後の当時25歳の女性の投稿には、「女性の立場から身震いするほどの恐怖感で体をこわばらせました。」という感想があります。また、25歳女性の投稿と並んで、55歳女性証言に対し"反論"めいた投稿も。掲載当時65歳男性(戦地に日本軍として行った人)は、「敗戦にすさんだ生活の中での酒席のワイ談を、決して真実と信じてはならない。」(「私は、前進でそれどころではなかった・・・連日行軍のその日、朝から下痢をして・・・」ということも)、と書いています。ですが、「敗戦にすさんだ生活の中での酒席のワイ談を、決して真実と信じてはならない。」とは言い切れない、と思います。

「日本軍 レイプ」で検索したら、
ニューギニアで 旧日本兵が行った残虐
というページに出会いました。こんなことまで・・という日本軍の残酷・残虐行為。(読むと気分が悪くなるかもしれないですが、私は、これは確かに現実に起こったのだと思いました)
1944年から1945年にかけてのことらしいですが、読んでみると、文中でも筆者が「はたして、この被害の実態が被害者側の証言だけで証明できるのだろうか。」と書いているように、「真実かどうか」「実際にあった事件かどうか」は、証明が難しいかもしれない。でも、証言した現地の人は、確かにいる。
(上のリンクのニューギニアの記事は、1997年10月17日発行の「週刊朝日」らしいです。書いたのは、須藤真理子さんという、2000年の12月に亡くなったジャーナリストのようです。「映像作家の鎌仲ひとみさんが、須藤さんの闘病の日々をNHKの特集番組で撮影なさった」と、こちらのページ→Cafe Lunatique (No.0019) 寮美千子の掲示板 に、須藤さんのことが書かれています。

また、おそらく一般の方のブログですが、
復員兵が帰ってきた 昭20年秋 (2007年2月3日)
という記事を見つけました。
(ブログ:「nozawa22」さま。)勝手ながらリンクさせていただきました。
『昭和二十年の秋だっだろうか。その頃あちこちの家に戦地から父や兄が帰ってきた。』
というはじまりで、復員兵の人の話を書いていらっしゃいます。
戦地から帰ってきた日本軍の兵士ひとりひとりに、
想像も出来ない苦労があったのだな、と思いました。


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重い話が続きましたが、
次回のブログは、少し趣を変えて。



朝日新聞へのバッシングだと思います。
2014年09月20日 (土) | 編集 |
(いわゆる)「従軍慰安婦問題」=戦争中に日本軍が、日本の植民地や侵略・占領した土地で、女性をだまして連行し、日本軍兵士を相手に性的労働を強制したこと、
と私はとらえています。(そして、無かった事にしたい勢力がいる、とも感じています。)
従軍慰安婦問題についての記事で朝日新聞社が批判されていますが、それについて、
私の考えを書きます。

今年8月5日6日付の朝日新聞朝刊に、過去に朝日新聞が報じた、従軍慰安婦問題記事について、慰安婦問題取材班が記事を書いています。
5日の1面・「慰安婦問題の本質 直視を」の趣旨は、おおよそ次の3点です。

・朝日新聞の過去の従軍慰安婦報道の中に、一部、事実関係の誤りがあった。
・ただし、一部誤りがあるからといって、
従軍慰安婦問題は捏造である、という議論には同意できない。
・『戦時下での女性に対する性暴力をどう考えるかということは、今では国際的に女性の人権問題という文脈でとらえられています。慰安婦問題はこうした今日的なテーマにもつながるのです。』(←『』内は紙面のまま)

8月5日付に、朝日新聞がこのような声明を載せるに至ったのは何がきっかけだったかというと、今ちょっとネットで調べてみたのですが、2,3のサイトに行き当たりました。
読売新聞の社説欄で(おそらく)2013年の11月1日に、
「いわゆる従軍慰安婦問題が日韓両国間の外交問題になったのは、1992年の
【朝日新聞】の報道が発端だ。旧日本軍に関し、『主として朝鮮人女性を挺身隊の名で
強制連行した』などと事実関係を誤って報じたもので、これを受けて韓国で
日本への反発が強まった」

という、朝日新聞への批判が載ったようです。
(社説は、読売オンラインにはないので、
日本を愛する島根女性の会から県議会議長宛て抗議文)(2014年6月24日の書き込みより)
こちらから、太文字部分を転載させていただきました。)

問題は、過去に朝日が取材して記事にした従軍慰安婦報道の中に、誤りの記事があったということです。
8月5日付、16面の【「済州島で連行」証言--裏付け得られず虚偽と判断】。
「吉田清治氏という人物の”慰安婦証言”を朝日新聞では80年代から90年代にかけて記事で取り上げたが、吉田氏の証言は虚偽であった」という趣旨の、説明記事。
【読者のみなさまへ】の部分を転載します。太文字部分。
吉田氏が済州島で慰安婦を強制連行したとする証言は虚偽だと判断し、記事を取り消します。当時、虚偽の証言を見抜けませんでした。済州島を再取材しましたが、証言を裏付ける話は得られませんでした。研究者への取材でも証言の核心部分についての矛盾がいくつも明らかになりました。
ということで、従軍慰安婦の吉田清治氏の証言が虚偽だったのは確定らしいです。

吉田清治氏の証言については、
吉田氏は93年5月、吉見義明・中央大教らと面会した際、「(強制連行した)日時や場所を変えた場合もある」と説明した上、動員命令書を写した日記の提示も拒んだといい、吉見氏は「証言としては使えないと確認するしかなかった」と指摘している=(吉見義明・川田文子編【「従軍慰安婦」をめぐる30のウソと真実】大月書店、1997)年(8月5日紙面 「済州島で連行」証言--裏付け得られず虚偽と判断 よりそのまま抜粋)
ということで、1993年にはすでに、信用できない証言だったのではないかと思いました。


私は今回、疑問がある証言にもかかわらずなぜここまで長引いたのかと思っていますが、
朝日新聞が「過去の朝日の従軍慰安婦報道については一部誤りがあった」と認めて記事を取り消すと宣言したことについては、良かったと思います。
ただし、私は5日の分しか紙面を読んでいないものの、朝日新聞の編集者が、吉田清治氏の証言が誤りだと気づくのに遅れた原因が、やはりいまひとつ、よく分からないという面は残ります。

そして、「よくないな」と思ったのは、他の報道機関や「世論」の反応です。
なぜよくないか。
今回の朝日の記事は、「一部に誤りがあった」という説明なのに、他の報道機関では「朝日の従軍慰安婦報道そのものが誤りだった」とも受け取れるような反応で、しかもそれが過剰だと感じます。
で、さらに「変だ」としか言いようがないのが、安倍首相や自民党の政治家の反応。
安倍首相 朝日新聞に注文「世界に向かって取り消しを」[2014年9月14日、スポニチ。より、転載。
ここから。================ 
安倍晋三首相は14日のNHK番組で、朝日新聞が従軍慰安婦の一部報道を取り消した問題をめぐり、朝日新聞に対し「世界に向かって取り消していくことが求められている」と指摘、事実関係を国際社会に説明すべきだとの認識を示した。「事実ではないと国際的に明らかにすることを、われわれも考えなければならない」とし、政府としても対応する意向を明らかにした。
自民党の稲田朋美政調会長はフジテレビ番組で「誤報を放置してきたのは不作為による虚偽(報道)と言っても過言ではない。おわびではなく、日本の名誉回復のため、何をするかを発信すべきだ」と注文した。
次世代の党の平沼赳夫党首はNHK番組で「国益に相当大きな悪影響を与えており、真相を究明しなければならない」と述べ、朝日新聞関係者を国会に参考人招致する必要性を強調した。
===================ここまで。
首相の、『朝日新聞に対し「世界に向かって取り消していくことが求められている」』
というのは、意味不明です。
何を取り消すのか。従軍慰安婦の存在そのものを?
稲田朋美政調会長の、『誤報を放置してきた』は間違っていない、そのとおりです。
しかし『日本の名誉回復のため、何をするかを発信すべきだ』、というのが意味不明です。
それ以前に、首相や稲田さんに、記者がどのように質問をすればこういう発言が出てくるのか。

ネットで一般の人たちの反応を見ていて思うのは、従軍慰安婦の問題よりも朝日の一部誤報を叩くのが目的のようになっていて、「朝日を叩くのが目的」の人たちの中には、人権という観点は一切欠けているのではないか・・ということです。それは強く感じます。

日本軍が慰安所や従軍慰安婦に関係していたか、は、
「中曽根康弘 従軍慰安婦 証拠」で検索すると、ネットに関連情報が出てきます。


朝日新聞では1987年頃~1988年頃にかけて、だったと思います。
読者の戦争体験のコーナーを声欄の横に設け、連載しました。
その後、「戦争」という題名で単行本で上下巻が発行され、私はそれを全部読みました。
どの体験も、生々しく胸に迫るものがありましたが、その中でも特に忘れられない話を、
次回のブログで書こうと思っています。
重い話なのですが、「戦争体験者がいなくなってしまう」と嘆く前に、
私の感想、思いを、こんな小さなブログではありますが、残そうと思います。



あさこはうす に出すハガキ(絵を描いてみました)
2014年09月03日 (水) | 編集 |
現在、函館市では、青森の大間原発の建設の凍結を求めています。
詳しくは、
こちら→大間原発の建設凍結のための提訴について 平成26年4月 函館市長 工 藤 壽 樹
(2014年9月3日更新)

私は、大間原発の建設に反対です。
大間原発の建設中の敷地内(原発施設になる予定の土地)には、私有地があります。
それが、「あさこはうす」です。
(原発建設に反対し続けた熊谷あさ子さんがログハウスを建て、
熊谷さん亡き後、娘さんが後を継ぎ、管理しています)

あさこはうすに通じる道路の交通量が確保できるので、(管理はしているが人は住んでいないため、交通量が少ないと、道路を封鎖させられてしまうらしいです)
ハガキやメール便を送ることで、応援しようと思います。
もうこれで、メール便も入れて15通くらいかな。だいたい、です。
書こうと思って時間が経ってしまったり。

郵便番号 039-4602 (039-4601 でも届きます)
青森県下北郡大間町大字大間小奥戸396
「あさこはうす」様

朝子ハウスさんに出すはがき

上の画像の絵は、私が描いたのですが元は私の絵ではないです。
(ややこしい^^)
というのは、絵が上手ではないので、昔(約20年も経ってしまいますが)、
職場で行事用のカードを作るときに見本として使っていた、
『年中行事カット集 単行本 – 1991/12/1
小林 正樹 (著)』という本の、「夏のイメージ」のアサガオの絵を写し、
輪郭をなぞったり、黒いペンで色を塗りました。
もう夏終わりなのですが、ぎりぎり、アサガオはまだ咲いているかな…^^