2009年01月16日 (金) | 編集 |
昨年春の山梨県の大型観光キャンペーン「何とか(思い出せない・・)ディスティニー」で活躍した、
あのD51蒸気機関車(動力になる部分)が、家の真横を通ったあのD51が・・
走行中に、ボイラーの故障で空焚きになってしまい、修理に1年半くらいかかるとか。
このニュースを初めて知ったのは、昨年末に、確か朝日新聞のちょっとした記事だったと思う。
その時は、「D51って確かたくさんあったような気がする。静岡の大井川鉄道もそうだっけ?」と、
勝手に思い込んでいた。
いや・・しかし・・と急に思い出し、さっきもう一度調べてみた。
そしたらまさか、走行可能なのはあの1両(1機)しかないとは・・(1988年に動態復元された、とJR)
ショック。
(また来ないかな~とのん気に思っていた)
私の家は中央線沿線にある。通過するのをそれこそ間近で見ることができた。
なにしろ、あの警笛の音がよかった。
もう来るかな?と思っても、スピードもゆっくりでなかなか来なくて。
あの時はワクワクした。すごく、ワクワクした。
私の生活には、どうもワクワクが足りない。
少し前、私にメールを下さった方がいた。
「空虚感を満たすなら、趣味の方向にエネルギーを使うといいんじゃないか」と。
(ありがとうございます)
そうだよね・・そうなんだよ・・今年は何かしよっかなー(n‘ー‘)η
SADは、着実によくなっている。
あのD51蒸気機関車(動力になる部分)が、家の真横を通ったあのD51が・・
走行中に、ボイラーの故障で空焚きになってしまい、修理に1年半くらいかかるとか。
このニュースを初めて知ったのは、昨年末に、確か朝日新聞のちょっとした記事だったと思う。
その時は、「D51って確かたくさんあったような気がする。静岡の大井川鉄道もそうだっけ?」と、
勝手に思い込んでいた。
いや・・しかし・・と急に思い出し、さっきもう一度調べてみた。
そしたらまさか、走行可能なのはあの1両(1機)しかないとは・・(1988年に動態復元された、とJR)
ショック。
(また来ないかな~とのん気に思っていた)
私の家は中央線沿線にある。通過するのをそれこそ間近で見ることができた。
なにしろ、あの警笛の音がよかった。
もう来るかな?と思っても、スピードもゆっくりでなかなか来なくて。
あの時はワクワクした。すごく、ワクワクした。
私の生活には、どうもワクワクが足りない。
少し前、私にメールを下さった方がいた。
「空虚感を満たすなら、趣味の方向にエネルギーを使うといいんじゃないか」と。
(ありがとうございます)
そうだよね・・そうなんだよ・・今年は何かしよっかなー(n‘ー‘)η
SADは、着実によくなっている。
2008年10月17日 (金) | 編集 |
泣きまくる。音楽を聴く。
友達と飲みにいく。カラオケで歌いまくる...
第595回「失恋したとき、どうやって乗り越えますか?」
失恋した時・・どうやって乗り越えただろうか・・。
TBテーマの上に書いてある、「音楽を聴く」「カラオケで歌いまくる」は無かったかな。
やはりただひたすら泣いた。「泣きまくり」はしなかったけれど。
懐かしい。今では失恋で泣くことがあり得ない・・。(プチ失恋は何度かあったが・・)
つまらないと言えばつまらないが、しょうがないか・・。
何歳か年上の人と初めて付き合ったとき。
私は「男」というものをよく知らない。
ベタベタするのが嫌いな性格なので(だったので、かな^^;)、
「恋人同士は毎日電話をする」なんてことはこれっぽっちも頭に無かった。
そうしたらある日その人が(付き合おうと言われて1ヶ月もしてか)、
「俺たちってさ・・・付き合ってるの?そうじゃないよね」と言い出した。
「・・・。」無言の私。自分では、「付き合っている」と思っていたから。
でも、「俺たちって付き合ってるの?」と聞かずに、何でもっと、素直に「○子ちゃんの方からも電話をくれると嬉しいな」とか、言ってくれないのかな(まあ今考えれば私がアホ)・・・私はこれで満足なのに。今からゆっくりゆっくり付き合っていけばいいのに・・(ゆっくり過ぎw)・・と思った。
結局、向こうから別れを切り出されたが、「何なのかな・・・難しい」と思って、
その人の時は、向こうが変なやつだったのだろうと思って気にしなかった。
また少したって、もう少し年上の人と付き合った。
この人は少しひょうきんなところがあって、ひょうひょうとしていて、前の人に比べると楽だった。
でも。問題が。
やたらと早く、結婚したがっていたのだ。
付き合って2ヶ月で結婚してくれ、と言われた。
その時既に、周りの友達は彼氏と付き合ったり、結婚して子どももいる人がいた。
いいなあ、自分も。それに、悪い人ではないし。よし、私も。
「うん・・嬉しい・・私でよければ・・」とお返事。
でも、そこからあまりにも早く進めようとする。「じゃあ今度うちの親に会って」(会いました・・)
「結納は○月くらいでいいかな」「それから大体半年くらいで結婚式?」という感じで。
不安になった。その話を親友(私と同い年の女性)にしたら、
「一度、どんな人か会ってみたい。飲み会でもしようか」と言ってくれて、
彼の友人も加えて4人で食事をすることになった。
気に入ってくれたかな、彼のことを・・・と思って親友に聞いたら親友は「○子があんな人と結婚して、あんな人の言いなりになるなんて、私は耐えられないよ。絶対やめたほうがいい。だって、食事の時のやり取りを見ていて思った。○子、あの人に気を使いすぎてるし、あの人はそれに値するような誠実な感じの人じゃないもん」と、まくしたてた。
・・・・。でも、その親友が言ったことは当たっているように思えた。
私のことが本当に好きで結婚したいんじゃなくて、早く結婚したいだけ・・?と疑うようになった。
どうしてそんなに結婚を急ぐのか、彼に聞いてみたいと思った(ここまで受身過ぎた私も間違っていた)
そして、けんか。彼に、「俺だってプロポーズするのに決死の思いだったのに、一度OKしておきながらそんなに簡単に断るような人とは、結婚なんてしたくないよ」と、その通りのことを言われた。
あっさり、別れる。
でも私はその後大泣きしてしまった。悔し涙。
何で私があそこまで言われなきゃならんのおぉ・・つД´)・゚・。と。(今突っ込み。でも、あんたもいけないんでしょうが。・・その通りw)
(結婚しなくて良かった。その親友には感謝している)
一番悲しかったのは・・それから遡ること数年前。3月の終わり。
友達がセッティングしてくれた合コンにいって、元野球部という竹を割ったような性格の、関西人男子に私は気に入られてしまったのだが、私もその人の事をいいと感じた。
裏表がない感じで優しそうで、それでいて面白い。男友達にも好かれていそう。
でも・・彼は大学4年で、地元に帰ることが決まっていた。そこでの就職も。
山梨からはものすごい遠い、大阪よりも遠い県。
彼は1週間後くらいに、地元に帰らなければならない。
1回だけ、その合コンをした所でデートした。何を話したかな・・覚えていない・・。
その時とは打って変わって、彼はぎこちなかったのはおぼえている。私も、そうだった。
彼がこの日までは電話大丈夫だから、と言ってくれたが、電話は出来なかった・・何となく・・。
そして、彼は私の家の電話も鳴らさず、地元に帰っていった。
その後すぐ、手紙を出してみた。
でも、会社の新人研修で一番忙しい時。それでも、返事くれるかな・・と待っていたが、
返事は来なかった。
「泣きまくる」という感じではなかったが、私は時々泣けてきた。
何ヶ月か経って合コンを開催してくれた友人に聞いてみたら、「うーん・・なんかね、○子のことはけっこう思い出すみたい・・◇◇君(関西人男子の友達)がそう言ってた」と教えてくれた。
嬉しかった。けれど・・あまりにも遠い所に住んでいる人だった。
その後、彼は彼女が出来て、結婚したということを聞く。
そうかぁ。良かったなぁ。あの人ならきっと、奥さんをとても大事にするだろう。
良かったね・・そんな気分だった。
一回だけデートした時別れ際に彼が車の中で、私を急にギュッと抱き寄せて顔をくっつけて、
「ありがとうな。本っ当に、短い間しか付き合われへんかったけど、俺会えてよかったで。
ありがとうね!」と、言ってくれた。・・戸惑った。
ちょっと待って・・それって、もう会えないっていうこと?・・彼も分かっている・・。
今でも、その言葉と声は、鮮明に思い出すことが出来る。
今となっては、いい思い出・・。
最後に出会ったのが、ダンナHである。
Hは関西人男子に性格が似ている。裏表なし、天真爛漫。(でも、結婚してみて気難しいと分かる・・)
今度は、ダンナのことを書いてみよう。
(前に一度書こうとしたのだが、話がそれてダンナにまでは行き着けなかった)
友達と飲みにいく。カラオケで歌いまくる...
第595回「失恋したとき、どうやって乗り越えますか?」
失恋した時・・どうやって乗り越えただろうか・・。
TBテーマの上に書いてある、「音楽を聴く」「カラオケで歌いまくる」は無かったかな。
やはりただひたすら泣いた。「泣きまくり」はしなかったけれど。
懐かしい。今では失恋で泣くことがあり得ない・・。(プチ失恋は何度かあったが・・)
つまらないと言えばつまらないが、しょうがないか・・。
何歳か年上の人と初めて付き合ったとき。
私は「男」というものをよく知らない。
ベタベタするのが嫌いな性格なので(だったので、かな^^;)、
「恋人同士は毎日電話をする」なんてことはこれっぽっちも頭に無かった。
そうしたらある日その人が(付き合おうと言われて1ヶ月もしてか)、
「俺たちってさ・・・付き合ってるの?そうじゃないよね」と言い出した。
「・・・。」無言の私。自分では、「付き合っている」と思っていたから。
でも、「俺たちって付き合ってるの?」と聞かずに、何でもっと、素直に「○子ちゃんの方からも電話をくれると嬉しいな」とか、言ってくれないのかな(まあ今考えれば私がアホ)・・・私はこれで満足なのに。今からゆっくりゆっくり付き合っていけばいいのに・・(ゆっくり過ぎw)・・と思った。
結局、向こうから別れを切り出されたが、「何なのかな・・・難しい」と思って、
その人の時は、向こうが変なやつだったのだろうと思って気にしなかった。
また少したって、もう少し年上の人と付き合った。
この人は少しひょうきんなところがあって、ひょうひょうとしていて、前の人に比べると楽だった。
でも。問題が。
やたらと早く、結婚したがっていたのだ。
付き合って2ヶ月で結婚してくれ、と言われた。
その時既に、周りの友達は彼氏と付き合ったり、結婚して子どももいる人がいた。
いいなあ、自分も。それに、悪い人ではないし。よし、私も。
「うん・・嬉しい・・私でよければ・・」とお返事。
でも、そこからあまりにも早く進めようとする。「じゃあ今度うちの親に会って」(会いました・・)
「結納は○月くらいでいいかな」「それから大体半年くらいで結婚式?」という感じで。
不安になった。その話を親友(私と同い年の女性)にしたら、
「一度、どんな人か会ってみたい。飲み会でもしようか」と言ってくれて、
彼の友人も加えて4人で食事をすることになった。
気に入ってくれたかな、彼のことを・・・と思って親友に聞いたら親友は「○子があんな人と結婚して、あんな人の言いなりになるなんて、私は耐えられないよ。絶対やめたほうがいい。だって、食事の時のやり取りを見ていて思った。○子、あの人に気を使いすぎてるし、あの人はそれに値するような誠実な感じの人じゃないもん」と、まくしたてた。
・・・・。でも、その親友が言ったことは当たっているように思えた。
私のことが本当に好きで結婚したいんじゃなくて、早く結婚したいだけ・・?と疑うようになった。
どうしてそんなに結婚を急ぐのか、彼に聞いてみたいと思った(ここまで受身過ぎた私も間違っていた)
そして、けんか。彼に、「俺だってプロポーズするのに決死の思いだったのに、一度OKしておきながらそんなに簡単に断るような人とは、結婚なんてしたくないよ」と、その通りのことを言われた。
あっさり、別れる。
でも私はその後大泣きしてしまった。悔し涙。
何で私があそこまで言われなきゃならんのおぉ・・つД´)・゚・。と。(今突っ込み。でも、あんたもいけないんでしょうが。・・その通りw)
(結婚しなくて良かった。その親友には感謝している)
一番悲しかったのは・・それから遡ること数年前。3月の終わり。
友達がセッティングしてくれた合コンにいって、元野球部という竹を割ったような性格の、関西人男子に私は気に入られてしまったのだが、私もその人の事をいいと感じた。
裏表がない感じで優しそうで、それでいて面白い。男友達にも好かれていそう。
でも・・彼は大学4年で、地元に帰ることが決まっていた。そこでの就職も。
山梨からはものすごい遠い、大阪よりも遠い県。
彼は1週間後くらいに、地元に帰らなければならない。
1回だけ、その合コンをした所でデートした。何を話したかな・・覚えていない・・。
その時とは打って変わって、彼はぎこちなかったのはおぼえている。私も、そうだった。
彼がこの日までは電話大丈夫だから、と言ってくれたが、電話は出来なかった・・何となく・・。
そして、彼は私の家の電話も鳴らさず、地元に帰っていった。
その後すぐ、手紙を出してみた。
でも、会社の新人研修で一番忙しい時。それでも、返事くれるかな・・と待っていたが、
返事は来なかった。
「泣きまくる」という感じではなかったが、私は時々泣けてきた。
何ヶ月か経って合コンを開催してくれた友人に聞いてみたら、「うーん・・なんかね、○子のことはけっこう思い出すみたい・・◇◇君(関西人男子の友達)がそう言ってた」と教えてくれた。
嬉しかった。けれど・・あまりにも遠い所に住んでいる人だった。
その後、彼は彼女が出来て、結婚したということを聞く。
そうかぁ。良かったなぁ。あの人ならきっと、奥さんをとても大事にするだろう。
良かったね・・そんな気分だった。
一回だけデートした時別れ際に彼が車の中で、私を急にギュッと抱き寄せて顔をくっつけて、
「ありがとうな。本っ当に、短い間しか付き合われへんかったけど、俺会えてよかったで。
ありがとうね!」と、言ってくれた。・・戸惑った。
ちょっと待って・・それって、もう会えないっていうこと?・・彼も分かっている・・。
今でも、その言葉と声は、鮮明に思い出すことが出来る。
今となっては、いい思い出・・。
最後に出会ったのが、ダンナHである。
Hは関西人男子に性格が似ている。裏表なし、天真爛漫。(でも、結婚してみて気難しいと分かる・・)
今度は、ダンナのことを書いてみよう。
(前に一度書こうとしたのだが、話がそれてダンナにまでは行き着けなかった)
2008年09月08日 (月) | 編集 |
8月28日付の山梨日日新聞の地域面に、
山梨県のタウン誌「月刊マイタウン」が9月号をもって休刊することが書かれていた。
地元のテレビ局も、マイタウンの発行元の”こうふ編集工房”まで行って取材して、取り上げていた。
昔、若い頃はよく読んだ。
どこのお店がおいしいとか、夜景はどこがきれいとか、記者が観光スポットに行って報告する企画とか・・
マイタウンに載った山のハイキングコースに、ダンナとまだ付き合っていた頃に行ったこともあった。
最初は、妹がよく見ていたのでそれで存在を知った。
「へえ、こんな雑誌があるんだ」と。読者の投稿欄とかも充実していて、
そこで話題になった人が取材されて、写真で出ていたり。
「○○町Aさん」という感じで読者欄のペンネームで紹介されていた。
ちょっとした有名人になったり。
1983年に創刊されて、ピークの96年には2万3千部まで伸びた、とある。
懐かしい。そうそう、10何年か前は毎月必ず買っていた気がする。
で、そこに載っていた、「このお店いいなぁ」というところに食べに行ったり。
「甲州弁でGO」という、こんな甲州弁、使う?みたいな企画もあった。
うちの地方では使わない言葉もあったり、「そうそう、今は使わないけどおばあちゃんが言ってた」
みたいな言葉もあったり。
(ちょっとここでついでに、面白いのを紹介。)
私のダンナは、お酒を飲むとわにわにする。
⇒訳:私のダンナは、お酒を飲むと冗談が過ぎたり、ふざけたりする。・・・というような意味合い。
「わにわに」というのは、全県で使われているのかな。うちと、ダンナの出身地では使われている。
”落ち着きがない”とか、”ふざけて騒ぐ”とか、そういう感じの。
でも、私達よりも下の世代ぐらいはもう知らないかなぁ。
祖母が昔使っていた山梨の方言は、母の世代でも使わない。
この前亡くなったおじいさんはよく私の祖母に、「おはようごいす」と言っていた。
そして、何年くらい前からだろうか・・マイタウンはもう、全く買わなくなった。
個人的には、「デート」なんて程遠い存在になったし、おいしいお店・・という余裕もなくなり・・
そんな感じで。
それでもたまーに、コンビニのレジの所に置いてあるので思いつきで買ったりしていたが、
時代はインターネット・・。何でもクリック一つで調べられる。
頑張っているタウン誌もあるんだけどな。食べ物だけに特化しちゃったりとか、
フリーへーパーで、健康情報を載せて処方箋薬局で配っているとか。
マイタウンは最後の方では、紙面のかなりの部分を占める、
風俗系の広告がとても多いのが気になっていた。
「ヤンキー」が見る雑誌なのか、それとも30代の私達も買っていいのか・・。
年齢的に、「マイタウン」なんて・・と、買うのが恥ずかしい、と勝手に思っていた部分もある。
いずれにしろ、残念。昔から自分が読んでいた雑誌がなくなるのは・・。
山梨県のタウン誌「月刊マイタウン」が9月号をもって休刊することが書かれていた。
地元のテレビ局も、マイタウンの発行元の”こうふ編集工房”まで行って取材して、取り上げていた。
昔、若い頃はよく読んだ。
どこのお店がおいしいとか、夜景はどこがきれいとか、記者が観光スポットに行って報告する企画とか・・
マイタウンに載った山のハイキングコースに、ダンナとまだ付き合っていた頃に行ったこともあった。
最初は、妹がよく見ていたのでそれで存在を知った。
「へえ、こんな雑誌があるんだ」と。読者の投稿欄とかも充実していて、
そこで話題になった人が取材されて、写真で出ていたり。
「○○町Aさん」という感じで読者欄のペンネームで紹介されていた。
ちょっとした有名人になったり。
1983年に創刊されて、ピークの96年には2万3千部まで伸びた、とある。
懐かしい。そうそう、10何年か前は毎月必ず買っていた気がする。
で、そこに載っていた、「このお店いいなぁ」というところに食べに行ったり。
「甲州弁でGO」という、こんな甲州弁、使う?みたいな企画もあった。
うちの地方では使わない言葉もあったり、「そうそう、今は使わないけどおばあちゃんが言ってた」
みたいな言葉もあったり。
(ちょっとここでついでに、面白いのを紹介。)
私のダンナは、お酒を飲むとわにわにする。
⇒訳:私のダンナは、お酒を飲むと冗談が過ぎたり、ふざけたりする。・・・というような意味合い。
「わにわに」というのは、全県で使われているのかな。うちと、ダンナの出身地では使われている。
”落ち着きがない”とか、”ふざけて騒ぐ”とか、そういう感じの。
でも、私達よりも下の世代ぐらいはもう知らないかなぁ。
祖母が昔使っていた山梨の方言は、母の世代でも使わない。
この前亡くなったおじいさんはよく私の祖母に、「おはようごいす」と言っていた。
そして、何年くらい前からだろうか・・マイタウンはもう、全く買わなくなった。
個人的には、「デート」なんて程遠い存在になったし、おいしいお店・・という余裕もなくなり・・
そんな感じで。
それでもたまーに、コンビニのレジの所に置いてあるので思いつきで買ったりしていたが、
時代はインターネット・・。何でもクリック一つで調べられる。
頑張っているタウン誌もあるんだけどな。食べ物だけに特化しちゃったりとか、
フリーへーパーで、健康情報を載せて処方箋薬局で配っているとか。
マイタウンは最後の方では、紙面のかなりの部分を占める、
風俗系の広告がとても多いのが気になっていた。
「ヤンキー」が見る雑誌なのか、それとも30代の私達も買っていいのか・・。
年齢的に、「マイタウン」なんて・・と、買うのが恥ずかしい、と勝手に思っていた部分もある。
いずれにしろ、残念。昔から自分が読んでいた雑誌がなくなるのは・・。
2008年08月24日 (日) | 編集 |
朝から、北京オリンピックの男子マラソンを何気なく見ていた。
実況のアナウンサーが、
「結構ハイペースなレース展開になるでしょうかね・・」というようなことを言っていた。
うん・・確かに、アテネの時に比べて「飛ばしている」という感じなのかな。
先頭集団、第2集団・・と、だんだん人がバラバラしてきた。
この中では皆、「誰が最初にこの集団から脱出するか」とか、
「無理して先頭集団について行って、後でバテてしまっても」とか、
「自分は自分でペース配分を守ったほうがいい」「でもメダルを取るにはそれなりの位置にいないと」
などと、ピリピリした空気で駆け引きしているんだろうな・・と思った。
そしたら、自分の小学校時代のマラソン大会を思い出した。
私は、マラソンが得意だった。
小学校3年の時に4位(女子が学年で60人弱ぐらいいただろうか)、4年の時に3位になったことがあった。
そして、5年生の時。その時はずっと6位くらいで走っていた。
「○子ちゃん、一緒に走ろう」と、私の後を追いかけてきた子がいた。
(一緒に走ろう、って・・・私はこれからダッシュしようと思っていたのに・・
でも、せっかく私なんかに「走ろう」と言ってくれたのだから・・)と、
その子のペースに合わせて、一緒に走ることにした。(これが失敗だった)
(本当は一人で走って、この子を置いていきたいんだけど・・どうしよう)
と悩んでいるうちにゴール近くになってしまった。
と思ったら私と一緒に走ってきた子が急にペースを上げて、私を置いて黙って先に行ってしまった。
ええーーうそでしょー、と思ったけど時既に遅し・・。
私は自分のペースを乱されて、疲れてしまってついて行けない。
結局その子は5位、私は6位だった。
その子の方を見たら、私には目もくれないで知らん顔をしていて、友達と談笑していた。
ううー、・・私ってお人よし・・と自分で思った。
悔しくてこのことを母に話したら、
「ええっ、バカじゃん○子は。そんな子の言いなりにならないで、
○子がどんどん先に行っちゃえば良かったじゃん」
と、言われた。
(そりゃそうだけど。そんな事出来るくらいなら苦労しないよ)と思った。苦い思い出。
その後私は一時腎臓の病気になってしまい、6年生の時に2週間くらい学校を休んだ。
その年のマラソン大会では、25位くらいだったかな。もうそれ以来、速くは走れなくなってしまった。
実況のアナウンサーが、
「結構ハイペースなレース展開になるでしょうかね・・」というようなことを言っていた。
うん・・確かに、アテネの時に比べて「飛ばしている」という感じなのかな。
先頭集団、第2集団・・と、だんだん人がバラバラしてきた。
この中では皆、「誰が最初にこの集団から脱出するか」とか、
「無理して先頭集団について行って、後でバテてしまっても」とか、
「自分は自分でペース配分を守ったほうがいい」「でもメダルを取るにはそれなりの位置にいないと」
などと、ピリピリした空気で駆け引きしているんだろうな・・と思った。
そしたら、自分の小学校時代のマラソン大会を思い出した。
私は、マラソンが得意だった。
小学校3年の時に4位(女子が学年で60人弱ぐらいいただろうか)、4年の時に3位になったことがあった。
そして、5年生の時。その時はずっと6位くらいで走っていた。
「○子ちゃん、一緒に走ろう」と、私の後を追いかけてきた子がいた。
(一緒に走ろう、って・・・私はこれからダッシュしようと思っていたのに・・
でも、せっかく私なんかに「走ろう」と言ってくれたのだから・・)と、
その子のペースに合わせて、一緒に走ることにした。(これが失敗だった)
(本当は一人で走って、この子を置いていきたいんだけど・・どうしよう)
と悩んでいるうちにゴール近くになってしまった。
と思ったら私と一緒に走ってきた子が急にペースを上げて、私を置いて黙って先に行ってしまった。
ええーーうそでしょー、と思ったけど時既に遅し・・。
私は自分のペースを乱されて、疲れてしまってついて行けない。
結局その子は5位、私は6位だった。
その子の方を見たら、私には目もくれないで知らん顔をしていて、友達と談笑していた。
ううー、・・私ってお人よし・・と自分で思った。
悔しくてこのことを母に話したら、
「ええっ、バカじゃん○子は。そんな子の言いなりにならないで、
○子がどんどん先に行っちゃえば良かったじゃん」
と、言われた。
(そりゃそうだけど。そんな事出来るくらいなら苦労しないよ)と思った。苦い思い出。
その後私は一時腎臓の病気になってしまい、6年生の時に2週間くらい学校を休んだ。
その年のマラソン大会では、25位くらいだったかな。もうそれ以来、速くは走れなくなってしまった。
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