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家事専業。犬と猫が好きです。(・∀・)ノ ツイッターアカウントは、画面の下の方です。
「放射能離婚」および家族観 [2]
2012年03月29日 (木) | 編集 |
「放射能離婚」について、2回目です。

放射性物質が人間に与える影響を考える時、チェルノブイリ原発事故後の周辺の子どもの健康状態を追ったデータを見て分かるとおり、子どもでは稀(まれ)な甲状腺がんが数多く発生したり、胎児や子どもに過酷な影響を与えてしまうことは分かっています。

日本でも福島原発事故が起きて、女性は子どもがいれば、まず自分の子どもの健康のことを心配します。私は、「母親なら当然」という言い方はしたくないですが、「心配して当然だ」とは思います。
父親でも、心配する人はいます。

しかし、当事者の子ども本人の意見をあまり聞いたことはありません。
理科の授業などで、生徒が「放射線に関して勉強したい」などの話は報道で2,3見聞きしましたが、「放射能から逃げたいかどうか」というのを、報道などで見聞きしたことがない、ということです。
(報道機関もそういうところは取材しないのでしょうか)
これは、児童・生徒が主役の卒業式などで、教員が「君が代斉唱」をしているかどうか見張る、という場合にも当てはまります。強制される先生を子どもが見てどう思うか、そこが抜けています。

そこで、前回取り上げた、「家制度」が廃止された原因の一つ、
『家制度には家を統括する戸主の権限により家族の権利が犠牲にされる側面があったため』
が出てきます。
『家族の権利が犠牲にされる側面』の「家族」には、子どもが入っています。
私は子どものころに、何か意見のようなことを言うと、「子どもは黙っていなさい」または「黙っていろ」と、度々言われたのを思い出します。それです。

こういうことを言うと、「それじゃあ、アフリカで飢えて死んでいる子どもだっている」とか、「イラクやアフガニスタンでは子どもが殺されている」などと反論する人がいるかもしれませんが、
そういう問題ではないです。

放射性物質を避けて生活したい、と子どもが思っているとしても、肝心の子どもに決定権が無い、ということです。決定権を与えないというか。

度々紹介しているのですが、このブログのリンク先の麻生さん(緑虫さん)のツイッターでのつぶやき(今年3月15日・太字部分)、これに(この言葉に)同意です。

■麻生 隆【反原発+反TPP】 @takashi_aso
「行儀良く素直な子が良い子」という考え方を、大人の側が変えないといけません。
2012年3月15日
https://twitter.com/takashi_aso/statuses/180281471506980864

まだもう少し、続きます。


「放射能離婚」および家族観 [1]
2012年03月27日 (火) | 編集 |
昨年末だったと思います。このブログに出会いました。
おしゃべりな毎日・「放射能と離婚」( 2011-10-22 06:52 )

この方はフリーライターで、
「私が話を聞いたのは、子どもをつれて避難し、夫との二重生活を経験した後、離婚協議に入った女性たちだ。避難していない女性の多くは、放射能について夫に相談もできずにいるという。」
と書いています。
リンク先から、記事全文をどうぞ。

「放射能離婚」は、根が深いように思いました。
江戸時代には、「これほど子どもを大事にする国民は見たことがない」、と、
外国人に言わせた日本人が、なぜ、放射線量の高い所で子どもを生活させようとするか。
なぜ、避難させようとしないのか。
「科学的に考えられない」などでは説明できない何かがある。

私の父親は、「オレが稼いでやっているくせに」と、よく母に言っていました。
母はそんなことを度々言われるのが悔しくて、無理を重ねていました。

家制度 - Wikipedia
ウィキペディアからの引用なのですが、ここでは、
「家制度が廃止された理由等」として、
『家制度には家を統括する戸主の権限により家族の権利が犠牲にされる側面があったため』
とあります。
放射能離婚も、根はここから来ているのではないかと思いました。

単に、私の父の口癖だった「奥さんだから旦那の身の回りや家のことをするべき」、という女性差別などではなく、「一家を背負う者(特に男性・特に、国が言う標準家庭(夫婦に子ども二人))は、しっかりするべき」という、プレッシャーも与えている。
だから、働かないと困るから、というところで引っかかってしまい、
子どもが低線量の放射線を浴び続けて将来どういう病気になるか、と、考えてはいても、「しょうがない」ということになるのではないだろうか。

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私自身のことについてですが、分かりやすく言ってしまうと、「子どものいない専業主婦」です。書いていて嫌になってしまいますが、この「身分」は自分が強く自覚していて、病気だろうが家事を両立できなかろうが、ここからは逃れられないという思いです。
これを書くのは少し重いです。肩で息をしてしまいますね・・。肩が凝ります。
今日はここまでで、[2]に続きます。


「すぐに原発停止は現実的じゃない」?
2012年03月23日 (金) | 編集 |
タイトルがこうなっているのですが、本文は主に、東北地方からの瓦礫受け入れ処理反対に関するものです。もしよろしければ、続きを読む、をどうぞ。

3月22日のツイートのまとめです。

まとめここから。======================

■RT @fumienne: 拡散願【甲府:署名】4/6まで。学校給食の安全性向上を願い、甲府市の教育委員会に要望書を提出します。ぜひ甲府市在住の方に、賛同署名をいただけたらうれしいです。http://t.co/26YhbmWk @theaterisawa @ochiko5296 @upishi1970
posted at 12:17:34


■RT @takashi_aso: 【緊急署名】ガレキ受入やめて @岡山 http://t.co/9IBxS0Vn 私は署名しました。
posted at 16:17:08

(※期限 :2012年3月14日〜2012年9月14日まで
提出日:第一回署名提出として、来週中の提出で検討中)

RT■ @cocoro54:@ytsuji2001 “民意”が明らかになってきました→「がれき処理に地方自治体は積極的に参加すべきだ→No:2729票(約90%)、Yes:356票(約10%)(自民党アンケートYesNoVoice(3/21 11:09結果)より)http://t.co/9cwawtoT
posted at 12:42:32

(※自民党によるネットアンケート調査です。)

■RT @takashi_aso: むしろ悪意の方が扱いやすい。
posted at 12:33:33


■RT @takashi_aso: 無知と無邪気が重なると、最早悪魔。
posted at 12:33:15


■RT @takashi_aso: 異なる考えの人を受入れることは大切。でも「こうすると命が助かりますよ♡」と言いながら子どもを包丁でザクザク刺す人と分かり合うのは難しい~_~;。私は原発震災瓦礫の無闇な受入れに反対します。
posted at 12:32:58


■RT @kikko_no_blog: 「16都県のゴミ焼却灰セシウム一覧」→ http://t.co/nTufvPOg
posted at 12:29:39


■RT @peace_tokai: がれき受入問題のチラシです。RT @tomomin62: 白黒印刷、A4で使っていただけます。著作権放棄しています。地元の議員連絡先や町名を入れたい方はご連絡ください。データ作ってお送りいたします。 http://t.co/kkkh8Dq7 @TwitPicさんから
posted at 12:24:45


■RT @yasushi61: がれき広域処理(13)子ども全国ネットが3月26日の「がれき広域処理、政府交渉」への呼びかけをしている。私も呼びかけ人の一人に入っている。賛同のメールを送ろう。できれば当日参加しよう。私も出かけます。http://t.co/Hb9S9cNX呼びかけ人-賛同団体/
posted at 12:21:02


■RT @yasushi61: がれき広域処理(10)現地処理がコスト的にも時間的にも合理的なのに政治がそれを怠っているだけだ。2000万トンの内400万トンを広域処理でというが、その輸送コストだけで800億円。最速3ヶ月で建設できる専用焼却炉がそれで数十基できるではないか。現に仙台は昨年10月から稼動させた。
posted at 12:20:26


■RT @AmboTakashi: 人々の「助けたい」と思う善意の感情に訴える表現で推進されている「瓦礫受け入れ」が、実は放射能拡散=内部被曝犠牲者増加=医療・薬品業界の顧客増加をも含んだ利権という欲にほかならないことに、もっと多くの国民が気づくべき。http://t.co/U6MJRb9J #miraie
posted at 12:19:30



=========================まとめここまで。

一番最初のツイートは、山梨県甲府市に関係しています。
私のブログ記事トップとリンクしている、「山梨放射能情報ネットワーク」
にも記事があります。
山梨県甲府市在住の方、賛同署名できる方は、
よろしくお願いいたします。

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ここからは、ダラダラいきます。

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3.11 その時観光客は
2012年03月20日 (火) | 編集 |
昨年3月11日の東日本大震災の際、観光客がいたはずだ、と思いました。
河北新報が伝えていました。紹介します。

※訂正です。「河北新聞社」と書いてしまいましたが、正しくは「河北新報社」
です。申し訳ありません。

転載ここから。===============

河北新報社 ドキュメント大震災

(2011年05月30日)
その時 何が(15)ツアー客生還(岩手・大槌―秋田・五城目、井川)

◎宿泊客の命、最優先/ホテル社長、今も不明

 岩手県大槌町にバスツアーで訪れ、震災に遭った秋田県五城目町と井川町の老人クラブの会員ら43人が3月13日、バスで無事、帰還した。滞在先のホテルから従業員の誘導で高台に避難。集会所で2晩を過ごし、着の身着のまま、直線で約170キロ離れた地元にたどり着いた。

 「来た、来た」
 3月13日午後3時半ごろ、43人を乗せたホテルのバスが見えると、五城目町役場に集まった家族が声を上げた。バスから降りた人に駆け寄り、泣いて抱き合った。
 43人は大槌町の宿泊先「浪板観光ホテル」のはんてんを羽織ったり、ボロボロになったスリッパを履いたりしていた。五城目町の猿田利美さん(79)は「おかげさまで全員が無事に帰ってこられた」と声を詰まらせた。
 ツアー客42人と行動を共にした添乗員新井治子さん(52)は「全員が助からないと意味がないと思い、必死だった。五城目の山を見て涙が止まらなかった」と話した。

 3月11日の地震発生時、ツアー参加者はホテル地下1階の劇場にいた。芝居が終わり、歌謡ショーに入った時、強い揺れに襲われた。「避難、避難!」。従業員や新井さんの大きな声が響いた。
 駐車場に出ると、津波を知らせる警報音が鳴った。猿田さんは海の水が引くのを目にした。「みんなで津波を見てみようか」。海に面しない五城目、井川両町。経験がないだけに悠長なことを言っていたという。「高台へ上がれ」。従業員らの指示に慌てて従った。
 少し高い国道に上がり、さらにJR山田線の線路を横切って山を登った。浴衣にスリッパ姿の人が多く、滑り落ちる仲間もいた。最高齢は88歳。「引っ張れー」と声を掛け合って引き上げた。
 ホテルは津波で地下1階から2階までが浸水した。43人は避難所の集会所に移動。地元の人に食料や毛布、衣類などの提供を受け、しのいだ。
 五城目町役場がツアー客の安否不明を知ったのは、翌12日午前10時ごろだ。震災の会議後、両親がツアーに参加していた課長が「個人的な話だが…」と切り出した。
 大槌町で甚大な被害が出たことは伝わっていた。「まさかうちの町民が大変なことになっているとは思わなかった」と渡辺彦兵衛町長。
 連絡が取れたのは13日午前9時50分ごろだった。ツアー参加者がバスで秋田に戻る途中、盛岡市内で携帯電話が通じた。

 2カ月半後の5月24日、五城目町で「浪板観光ホテル」の従業員を招いた交流会が開かれた。避難所暮らしを続ける従業員もいるため、1泊2日でゆっくりしてもらおうと、町などが企画した。
 「町民を守ってくれた」。五城目町にはホテルや大槌町への感謝の気持ちが強い。「従業員らのおかげで1人もけがなく、災難から逃れられた。避難所でも周りの人たちが一生懸命支えてくれた」と猿田さん。4月には渡辺町長が大槌町に足を運び、義援金や救援物資を渡している。
 交流会では、ホテルの営業部長小国正裕さん(53)が壇上に立ち、山崎龍太郎社長(64)が「自分よりお客さまを優先するように」と指示していたことを紹介した。
 大槌町には3月9日の地震で津波が来た。山崎社長は翌朝、避難誘導の徹底を命じたという。
 その山崎社長は今も行方不明のままだ。ホテルではあの日、約60人の客は無事だったが、従業員2人が死亡、社長のほか、若おかみら2人が行方不明となった。
 山崎社長は、1階ロビーにいた姿が目撃されている。「最後まで逃げようとしなかったのでは」と小国さん。
 渡辺町長は「客の命を最優先してくれた。感謝の言葉しかない」と語った。(鈴木拓也)

2011年05月30日月曜日

=========================転載ここまで。

私は山梨県民で、海には危機感が無い・・・といっても、過言ではありません。
これから、もしもどこかへ旅行する機会があり、
たとえば静岡の海辺などで大地震に遭遇したら、津波を恐れて逃げることができるだろうか。
その時になってみないと分からない・・としか言えないです。

十何年も前に気仙沼へ車で旅行したことがありますが、地元の居酒屋へ行きました。
山と海が混じった場所・・というのは記憶しています。
あの居酒屋は、海に面していました。


吉本隆明さんをしのぶ & 最低でも原発を再稼働しない・新たに建設をすべきではない。
2012年03月19日 (月) | 編集 |
こんにちは。

吉本隆明さんが16日に亡くなったことが、大きなニュースとして報じられていました。

私は、作家などでファンと言える人は何人かいますが、
吉本隆明さんは、かなり名前は聞いていたものの・・・あまりよく知らず・・
あちこちで名前は聞くものの、本人を見たことがなかったです。
吉本さんと同年代で私がよく読んでいたのは、加藤周一さん。
というか、私は吉本さんを、
精神科医や教育関係の人(だったかどうか記憶が曖昧)と勘違いしていて、
よしもとばななさんのお父様だったのも、知ったのはかなり最近です。

吉本隆明さんは、詩人・評論家だったのですね。
そして、「知の巨人」と言われていたとも。
ネットでも新聞でも、吉本さんは特に「全共闘の世代に影響を与えた」とあります。
最近では、原発関係の発言が話題になっていました。


というよりも、私は、うごさんの、「アナーキー読書感想文」(2010-07-27)
で、初めて吉本さんの大体の輪郭を知ったのです。
(上にリンクした、うごさんのブログ記事中、「この方法で生きのびろ! 恋愛サバイバル篇」
        のもう少し下に、紹介しています。↑これも面白いです^^)
(吉本さんについてのうごさんの記事、まだこの他にもあります。)

夜と女と毛沢東夜と女と毛沢東
(1997/06)
吉本 隆明、辺見 庸 他

商品詳細を見る


この本を私は、昨年秋に読みました。
辺見庸さんとの対談なのですが、
フェミニストについての二人の話、面白かったです。

p116より。=============
吉本 あのときようやく気づいたんですよ。上野千鶴子という人は言葉通りの、理詰めの、可愛げのない女ではなくて、むしろ「可愛い女」を演じられる人だということが。彼女はそれを武器にして、自分が奔放に語ることを相手に許容させてしまう特殊な才能があります。要するに助平じじいを、「ああ、よしよし、どんなわがままでも聞いてやるよ」という気にさせるんだな、あの人は。いつの間にか、何言われても、よしよしと頭を撫でてやりたくなるんですよ。そういう能力があの人の本質だし魅力でもあって、これはフェミニスト風の強気な発言とは似ても似つかぬパーソナリティです。僕は本当にびっくりしました。だから、唯一僕が応戦できたのは、「僕はあなたみたいな人とは結婚しようとは思いませんね」というセリフ一つ(笑)。

p138より。=============
辺見 僕はときどき男女関係で、ああ、失敗したな、と思うことがある。もっとも、あまり成功した例(ため)しはないんだけれども(笑)。で、そのたびに言い訳のように呟くのは、「お互いよくぞ錯覚するものだよな」(笑)。いったい二人の関係にいかなる必然性、いかなる根拠があるのか……。それは勿論、無意識に「ウマが合う」とか「相性がいい」とか「好みに合う」といったことはあるでしょう。でも、そうした関係正当化のいかなる言葉も、性の本質を言い当てることはできないし、このテーマを超えることもできません。僕は一部のフェミニストのように、近代以降のくびきがどうのこうのとか言いながらセックスしたいとは思わんのです(笑)。それは違うと思う。・・・・・板子一枚下は地獄になったり、一発やっただけで人生をフイにするということはありうるでしょう。それはそれでいいんじゃないか。性愛には「公正」というのが情けないほど入り込めないのですね。

※これについて私は語りたいことがあるのですが、少し過激になってしまい、
記事の趣旨とずれてしまうので、いずれまた、書こうと思います。

-------------------

それでちょっと、吉本さんの原発の話に戻るのですが、
一時、「安全厨」にされているような感じでした。
(「安全厨」とはネットスラングで、
「いつどんな時でも安全だと信じて疑わない人達のこと」(はてなキーワードより))
3月17日付の、死去を報じる朝日新聞より。
::::::::吉本さんは、昨年の東日本大震災と原発事故をテーマにした雑誌取材にも応じた。反原発を「人間の進歩性、学問の進歩の否定」と批判し、原発は「どんなに危なくて退廃的であっても否定することはできない」と語ったとされる記事は議論を呼んだ。::::::::引用ここまで。

多分、吉本さんのこの思考ともいうべきものが、
反原発の一部の人から「安全厨」と延髄反射されてしまったのか?
17日付の朝日には、「吉本さんの語録」として、
「誰からも非難されることもない場所で『地球そのものの破滅』などを憂慮してみせることが、倫理的な言語の仮面をかぶった退廃、
かぎりない停滞以外の何ものでもないことを明言しておきたい」」)
(「『反核』異論」)
を挙げていました。
(太字の部分、鋭いところを突いているような。
そう言われると、私も反省すべきところがあります。)

「安全厨」ではないですが、人はやたらレッテルを貼りたがります。
私はツイッターで、吉本さんの雑誌インタビュー記事を受けての発言か、「巨星、堕つ」という表現をしていたツイートを見かけたので、もしかしたら、まさか・・・と思い、
「吉本隆明 御用」で検索したら、御用に入っていました。
(ちなみに、アルピニストの野口健さんも「御用」に分類されている)
(「原発業界御用学者リスト@ウィキ」)

◎日経新聞の2011年8月5日の、吉本さんへのインタビュー記事→http://shomon.livedoor.biz/archives/51951156.html

◎【特別読物】▼「吉本隆明」2時間インタビュー「反原発」で猿になる!
(週刊新潮 (2012年)1/5・12 新春号)
より。
::::::::恐怖心を100%取り除きたいと言うのなら、原発を完全に放棄する以外に方法はありません。それはどんな人でも分かっている。しかし、止めてしまったらどうなるのか。恐怖感は消えるでしょうが、文明を発展させてきた長年の努力は水泡に帰してしまう。人類が培ってきた核開発の技術もすべて意味がなくなってしまう。それは人間が猿から別れて発達し、今日まで行ってきた営みを否定することと同じなんです。::::::::

週刊新潮のインタビュー記事の、「『反原発』で猿になる!」
というタイトルがすごいです。
「反・反原発どころか、80年代以来の反・反権力や市民運動嫌悪の一つの源流だよな。」
という、
原発業界御用学者リスト@ウィキでの誰かのコメントに、私はしっくりきました。

ちょっと記事を修正。


けれども。けれども、です。
これだけは、私は言っておかなければ。


「このまま原発を再稼働をしたら、大変ことになる。絶対にやめた方がいい」
と私は思います。そこのところ、私は吉本さんとは違います。
廃炉まで大変なのは分かっていますが、再稼働や新たに建設は愚かすぎる。
これだけの大事故を起こし、10万年も廃棄物を保管しないとならないなんてものは、
廃止しないと。
原子力発電は無理だ、と認めた方がいい。
それに、原発を思いついたのは人間だし。


長い。すみません、まとまりません。


参考に、よしもとばななさんの、ツイッターでの発言。(2012年1月6日)
■父のことですが、もうあまりちゃんと話ができないので、まとめる人の意訳があるかと。私が話したときは基本的に賛成派ではなく廃炉と管理に人類の英知を使うべきだ的な内容ではないかと察します。 一部をとりあげて問題にするのはどうかやめてください。父は静かに介護生活をしていますので。
■ただ、父は今私に対してでもちゃんとお話できるときとできないときがあります。質問できないので、これ以上代弁をするのは父のこれまでの仕事に対して失礼だと思いますので、申し訳ありませんが、コメントをひかえさせていただきますね。
■「なんでインタビューに答えられるのか?と問われたら日によって頭がはっきりしている日があるからとしか言いようがないです。『人類が開発してきた技術はどんなものも否定すべきではない。廃炉対策にも徹底して英知を使うべき、後戻りだけするのはむつかしい』という内容ではないかと察します。



「あさこはうす」に出す葉書
2012年03月15日 (木) | 編集 |
青森県大間に建設中の「大間原発」があります。
私は、建設には反対です。
原子力で儲かろう、というか「経済が潤う」というか・・・そのために建設してしまうのか・・・
でもその前に爆発してるし・・
もうだんだん、こういうことを考えるのに疲れてきたのですが、
それでも、私はしつこく郵便物を送り続けています。

「あさこはうす」(ログハウス)は原発(原子炉や建屋)予定地にあり、
そこに住んでいた方が建設に反対していて、亡くなってしまったのですが、
娘さん(小笠原さんという方)が遺志を引き継ぎ、大間原発建設を反対しています。

12月から、原発を建設しようとしている、電源開発J東北パワーが、そこへ通じる道の交通量を測り始めた、というのです。
交通量が少なければ存在意義もないということ?
これ以上原発なんか造って、どうするずらかね。(甲州弁で、「どうするんだろう」の意)
日本は原発で使い捨てか?
本当に、もう原発新しく造るのはやめた方がいいと思いますが・・。
10万年核燃料廃棄物を保管しなくてはならないとは。
だって、・・・ナウマン象が絶滅したのが確か3万年くらい前?
やめた方がいい。

なので、郵便配達の人やメール便を使って、少しでもあさこはうすさんへの交通量を多くしようと、ささやか過ぎるのですが、葉書などを出しています。

検索してたら、ブーゲンビリアさんの記事に行き着きました。

「ブーゲンビリアのきちきち日記」より、
たんぽぽ舎 地震と原発事故情報 その307 あさこはうすにハガキを!


「あさこはうす」さんの住所は、
〒039-4601 青森県下北郡大間町字小奥戸396 「あさこはうす」
です。


P1010249_convert_20120315181833.jpg

↑これは、このまえ出した葉書です。
ああっ横になったままだ・・・。
私が描いた絵ではないです!こんなに上手に描けない(笑)
(この前の、私の描いた”日本列島の絵がいい”と言って下さった方へ。
この場を借りて.....どうもありがとう!嬉しかったです。^^)

この葉書は「元友人Kさん」とまだお昼にランチなど行っていた5年くらい前に、
甲府駅近くの、イラストレーターさんが開いたお店(多分)に行って、
かわいいなと思って買ってきたものです。
モグラですね。
(余談。この前、「元友人Kさん」から80円切手と50円切手が送られてきて
「手紙下さい」とありましたが、丁重にお断りしました...)



↑これは、フェアトレード雑貨屋さんで買った葉書ですが、
使い道に困っていました。絵が難しいな・・誰に送ればいいんだ・・・と、
長い間机の中に入っていましたが、メール便で送りました。


「やまなし絆(きずな)ネットワーク」が出来たそうです。
2012年03月13日 (火) | 編集 |
おしらせです。
「やまなし絆ネットワーク」というポータルサイトができたようです。

マイクロソフトのサイトより、一部転載。ここから。==========

「やまなし絆ネットワーク」を提供開始

山梨県(知事:横内 正明)、やまなし絆ネットワーク協議会*1、株式会社カルク(本社:山梨県中央市、代表取締役:田中 雅貴)、日本マイクロソフト株式会社(本社:東京都港区、代表執行役 社長:樋口 泰行)の4者は、山梨県で活躍するNPO法人や市民活動団体と行政・企業などをつなぐ協働の仕組みとして、「やまなし絆ネットワーク」( http://yamanashi-kizuna.net/ )を開発し、本日 3月13日(火)より正式にサービス提供を開始します。

 山梨県とやまなし絆ネットワーク協議会では、県内に約400あるNPO法人が抱える課題として、情報発信・情報収集を効果的・効率的に行うことや人材確保の難しさ、事務処理や管理業務などが煩雑で本来取り組むべき業務に注力しにくいことなどを認識していたことや、東日本大震災の被災者約 800 名を県内に受け入れた際に、受け入れ先のどこで何を必要とされているかの把握が困難であること、災害に影響を受けずに業務を継続できるインフラの必要性を認識したことから、NPOや住民・行政・企業がつながり、NPO活動を中核として地域が活性化していくためのコミュニティ基盤として、「やまなし絆ネットワーク」の構築を決定し、カルク、日本マイクロソフトとともに開発を進めてきました。

 4者では、やまなし絆ネットワークの提供により、NPOを始めとした地域の担い手の情報発信力の強化、人と人、人と団体、団体と団体をマッチングすることによる地域の絆づくり、..........

=================転載ここまで。

「やまなし絆ネットワーク」
こちら→ http://yamanashi-kizuna.net/

3月5日の夜8:45のNHKニュースで、気仙沼で被災し、山梨県に移住した、
富士河口湖町で「テルゴ」というパン屋さんを経営している後藤さんという方が
紹介されました。
東北で被災した人たちの集まりがあったというニュースで、後藤さん出演。
最初はぎこちない感じのみなさんでしたが、後藤さんが「絆パン」を配って、
小学生くらいの女の子が「おいしい」と嬉しそうにパンを食べたり、
年配の男性が「絆パンだぁ」と、ふと緩んだ笑顔で映っていました。
私がテレビで見たのは、その場面です。
お近くの方、またはドライブがてらに、是非「テルゴ」、行ってみて下さいね。
「食べログ テルゴ」で、検索してみてください。



すみません
ここから、続きは私個人のことです。

[READ MORE...]
3.11
2012年03月11日 (日) | 編集 |
こんばんは。

2011年3月11日は、東京電力福島第一原子力発電所で事故が起きた日でもあります。

この前、ツイッターで@bcxxxさんという人がつぶやいているのがRTされてきて知ったのですが、
「原発絵本プロジェクト」なるものがあって、見て、何とも言えない気分になりました。

「あなたの暮らしと世界を変えるグッドアイデア厳選マガジン greenz.jp」
を参照。

この、「原発絵本プロジェクト」の仕掛け人というか、作者に対して、
「あなたの暮らしと世界を変えるグッドアイデア厳選マガジン greenz.jp」
より、一部転載しながら、勝手に突っ込みを入れてみます。

転載部分は■と太字・私の突っ込み部分は青文字で。

============ここから。

■今までの、そしてこれからの、
この国の「ひかり」との付き合いかたを考えるために。


「ひかり」って何?抽象的ですが・・。

■「原発絵本プロジェクト」は、日本に原発がつくられていった歴史を分かりやすく絵本で表現することにより、大人も子どもも、すべての人がこの問題について考えるきっかけをつくるプロジェクト。

うん、それはいいんじゃないかな。

■絵本らしいファンタジーの世界に浸りながら、複雑で難しい原発の歴史を、頭で考えるのではなく、心で感じることができる。それが、絵本『この国にひかりが満ちるまで』の魅力と言えるでしょう。

ファンタジーの世界に浸るのはいいが・・・ストーリーが少ししか分からないが、ここに出ている1ページ分の絵本の本文と説明文を読んでみて、これでは逆に、「説明の要素が強すぎて理解しにくくないだろうか」、と感じる。何歳から何歳までを対象とするのか。

■このプロジェクトに関わっていると「反原発派」だと思われますが、原発の恐ろしさを訴えたり、100%の廃止を主張したいわけではありません。「理想は、100%即脱原発! でも現実には、超限定条件付き原発容認派」とでも言いましょうか。不要な原発はもちろん無くしていくべきだと思うし、被害を受けた方への補償はされるべきです。でも、悪いのは原発の技術そのものではなく、「それに対する私たちの態度が問題だった」というのが私の考えです。

そのことが重要なのは、これから原発が他の発電方法に変わっても、同じだと思います。「原発の祀り方」を変えるということが大事で、そのために市民レベルでできることを考えていきたい、という立場です。


前半の部分、一部、同意できるところはあるが、
『原発の祀り方』というのは、祀るの?原発を?祀るの?


■だからこの絵本では、だれか一人を「悪者」にするつもりはありませんし、ストーリーも、原発に対する祈りや供養のようなつもりで書いています。ストーリーの最後は、これからの日本を予感させる希望を感じられるようにして、壊れてしまった原発を抱きしめるような絵本にしたいと思っています。

『原発に対する祈りや供養』・・・供養は分からないでもないですが(原発よ、静かに眠ってくれ・・という意味で)、祈りというのは、一体・・??
あと、『壊れてしまった原発を抱きしめるような』というのは、なぜ、
原発を抱きしめるという方向に行くのだろうか?と、真面目に疑問が湧きます。


==================ここまで。

(あまり大きな声じゃ言えませんが、昔オウム真理教が選挙に出て選挙カーで演説していて、候補者の隣で、ゾウの被り物をかぶった2,3人の信者が踊っている、という光景をテレビで見たのですが、その時、演説を遠巻きに見ていた親子連れの2,3歳くらいの子どもが、「怖いよ~」と泣き出して親にしがみついていたのを覚えています。(その踊りを見て、私自身は目が点になりましたが)・・・この絵本プロジェクトについて、そんなことを連想してしまいました)

私は、「原子力発電について考えよう」というこのプロジェクトの方向性については、
無関心よりかはいいかもしれない、という意味で賛同しますが、
さきほど、「突っ込み」の中で指摘したように、
「何歳から何歳までを対象とするか」が問題だと思います。
『全国の幼稚園で読み聞かせキャラバンを行い』(という構想)とありますね。
なんだか、一歩間違うと「洗脳」になりはしないかと心配です。

もしも、私が4歳半の姪っ子に対して原発のことを話すとしたら・・・
まだ、「原発」というのは早いと思うので、「人間というのは自然を壊す存在でもある」
ということを話すでしょう。
私自身が思ったことや驚いたことを、そのまま。

私は小さいころから、「自分の家のそばを流れる川は汚いのは当たり前。川の水は飲めないのは当然」、などと口に出すまでもなく無意識にそう思っていたのですが、
高校2年生のある日、祖母からふと、蛍(ほたる)の話を聞きました。
「昔はこの辺でも、家の中にまで蛍が入ってきて、ホウキで追い払わないとならなかったんだよ。そのくらいたくさんいた」、と。蛍は、川の水がきれいでないと住めないことは、知っていました。
それに祖母は、「昔は川で洗濯をしたりお米を研いだりしただよ。」とも、
私に話してくれました。私は、とても驚きました。
(今は鉄板で塞がれていますが、川に手が届くように、階段状になっている部分が残っています)

私は高校3年の時に、私の家の近所の1950年代~60年代初めの写真を見ました。
父が趣味で撮った写真です。
桃畑ではなく(今は桃畑も減り、何もない土地も)、そこは桑畑や水田があり、
道や川もコンクリートで整えられていなくて、そのままです。
父は、「昔は沢蟹(サワガニ)がいた」と言います。
写真には、まだまだ40代くらいの祖母と、中学生くらいの叔母たち、
どこかの(近所の(?)or親戚)おばさんが写っています。


姪っ子二人と一緒にどこかへ行ったら、「この川にはお魚が住んでいるかどうか?」
とか、「この木にはカブトムシが来るかな?」とか、
「農薬かけたら死んじゃうかな?」など、成長に応じて聞いてみたいです。
本人たちの反応を見ながら、自分も楽しみながら、(自分も復習や学習し)
もっと成長したら、きっと、電気のことも一緒に考えるかもしれません。


3.10
2012年03月10日 (土) | 編集 |
こんばんは。私が単に見過ごしただけなのかもしれないですが、地上波のテレビでは今日、1945年未明の東京大空襲のことを取り上げているテレビ局は見かけなかったような気がします。

昨日の朝日新聞「声」欄で、「写真版 東京大空襲の記録 (新潮文庫)」を出版した早乙女勝元さんが、大震災の影響で、自ら館長をつとめる東京大空襲・戦災資料センターの来館者が前年に比べ半数も減ってしまった、と危機感を訴えていました。このことは、気になりました。

関連した二つの新聞記事を紹介。
---毎日新聞 2012年3月10日 東京夕刊---
東京大空襲:67年 震災遺児に思い重ね 父母、妹亡くした女性が義援金活動 「悲しみ」越えるため
一部転載。ここから。===================

 米軍の焼夷(しょうい)弾が降り注いだ1945年3月10日未明、当時小学校6年で12歳だった高橋喜美子さん(79)さんは、江東区の自宅近くの小学校の校庭にうずくまり、泣き叫んだ。熱風で火のついた木材が舞い、立つこともできない。「お父さん、お母さん、さようなら」。火の粉が防空ずきんに引火して死を覚悟した時、見知らぬ男性が近くのプールまで手を引いてくれ、命拾いした。翌朝、校庭は黒焦げの遺体で埋め尽くされていた。

 疎開中だった9歳の妹を含む7人家族だった。空襲から逃れようと小学校に向かう途中、6歳と3歳の妹を連れた母ツヤさん(当時44歳)を見失った。3人とはそれ以来会っていない。父虎之助さん(同49歳)と20歳だった兄(70年に死去)は消火活動のため自宅に残ったが、結局自宅は全焼し、2日後に父と兄の3人で江戸川区の親類宅に身を寄せた。虎之助さんは空襲のやけどと持病の悪化が重なり、1カ月半後に急死した。兄は仕事を見つけて親類宅を出た。「突然独りぼっちになった現実が受け止められず、戦争を恨む日々が続いた」という。

 駅や列車の中でいつも母の姿を探し、同じ年ごろの母子を見ると、涙があふれた。

 21歳の時、友人の紹介で知り合った充さん(81)と結婚し、2人の娘をもうけた。「自分のような寂しい思いはさせたくない」と、専業主婦になり、娘2人を短大に進学させた。

 昨年3月11日は自宅で揺れを感じた。津波にのみ込まれた東北地方の様子がテレビに映ると、戦時中の焼け野原と重なった。「たくさんの孤児が出る」と思ったら、いたたまれなくなった。

======================転載ここまで。

---nikkansports.com 2012年3月10日16時45分---
石原都知事が東京大空襲67年「語り継ぐ」
一部転載。ここから。======================

東京都慰霊協会の主催で遺族や秋篠宮ご夫妻ら約320人が参列。石原知事は追悼の辞で「東日本大震災の発生から1年がたつが、依然として幾多の困難が横たわっている。戦争の悲惨さと天災の脅威を語り継ぎ、平和な世界を次世代への財産として引き継いでいかなければいけない」と述べた。

 出征中に新宿区に住んでいた両親が犠牲になったという男性(89)は「いつまでたってもいたたまれない気持ち。一緒に住んでいる家族を失ったことは、空襲も震災も同じだ」と話した。

 都は戦争の惨禍を繰り返さないことを誓って3月10日を「平和の日」と定めており、都庁で記念式典を開催。慰霊堂近くの碑に納められた犠牲者名簿には、昨年新たに判明した223人の氏名が追加された。

==================転載ここまで。

東京大空襲のことは、このブログには、毎年書いています。
忘れてはいけないことだと思っています。

ここから先は、最近の私のブログとツイッターについて、です。


[READ MORE...]
2012年03月10日 (土) | 編集 |
この記事は削除しました。


ttp://blog.livedoor.jp/abundant_



富士山が噴火した場合どうしたらいいか
2012年03月05日 (月) | 編集 |
今日は、富士山の噴火について、です。
ツイッターで得た情報です。

==========低気温のエクスタシーbyはなゆーより。

2012年1月28日土曜日

富士山が噴火した場合の「火山灰」対策にはゴーグルが有効


名無しさん@12周年 2012/01/28(土) 18:00:34.54 ID:76J44HbG0


ご注意ください。
東京、神奈川、千葉、埼玉にも火山灰が降ります(降灰10cm)。

富士山火山防災マップ - 内閣府防災情報のページ(→リンク切れでした)
(◎富士山の火山防災対策
内閣府・2001-2002 より、
「富士山ってどんな山」
宝永噴火(1707年)、「スコリア」について少し書いてあります。)

【降灰があったら・・・】
・灰を吸わないようにするためマスクやゴーグルを着用しましょう。

===============================転載終わり。

火山灰は「ガラス質」なので、吸い込むと大変危険だそうです。
ゴーグルは「アスベスト対応の物が、より良い」という情報もあります。

『もし富士山が噴火したら』という本が出版されたようです。
著者:鎌田浩毅 東洋経済新報社 (2011/12/23)

@fumienne
『もし富士山が噴火したら』、
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4492044361?ie=UTF8&tag=aaaaaa0e7-22&linkCode=shr&camp=1207&creative=8411&creativeASIN=4492044361&ref_=sr_1_2&qid=1327709608&sr=8-2
甲府の本屋で棚を半分くらい占拠してたので立ち読み。火山灰は首都圏まで降る。火山灰ってガラス破片らしい。マスクで口を覆うこと。目に入れないこと。西へいくなら飛行機・東海道新幹線は×、長野新潟経由で。灰で機械故障
1月28日

--------------------------------

1月29日の、ツイッターアカウント:@JPHAGETAKAさんのつぶやきより。
今から約300年前の、富士山噴火の様子のようです。

■ @JPHAGETAKA: 宝永大噴火の当日、富士山の南東斜面から白い雲のようなものが湧き上がり急速に大きくなっていった。噴火の始まり。富士山の東斜面には高温の軽石が大量に降下し家屋を焼き田畑を埋め尽くした。夕暮れには噴煙の中に火柱が見え、火山雷による稲妻が飛び交うのが目撃された~と見てきたようなことをいい
posted at 22:58:43

■ @JPHAGETAKA: 新井白石が宝永噴火における江戸の様子を次のように記している。江戸でも前夜から有感地震があり昼前から雷鳴が聞こえ、南西の空から黒い雲が広がって江戸の空を多い、空から雪のような白い灰が降ってきた。また大量の降灰のため江戸の町は昼間でも暗くなり燭台の明かりをともさねばならなかったと・・
posted at 22:59:07

■ @JPHAGETAKA: 宝永噴火でで注目すべきは最初の火山灰は白灰であったが夕方には黒灰に変わっている事。噴火の最中に火山灰の成分が変化していた証拠・・この降灰は強風のたびに細かい塵となって長く江戸市民を苦しめ、多数の住民が呼吸器疾患に悩まされたそうな・・噴火は2週間続いて大晦日に終焉 長いわねえ
posted at 22:59:31

■ @JPHAGETAKA: 宝永噴火では現在の御殿場市から小山町に最大3mに達する降下軽石が最初に飛んできてスコリアと呼ばれる焼け砂が後に降下したらしい。まあ最近の裁判所の言い方なら持ち主のいない無生物の軽石ってやつね・・富士山噴火したら大変なことになるわねえ・・
posted at 22:59:57

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上のツイートの下線の部分ですが、昼間でも火山灰で江戸は暗くなってしまったようですね。
wikipediaの宝永大噴火 も、参考になさってください。
その中から一部抜粋、転載。============
宝永大噴火(ほうえいだいふんか)とは、江戸時代中期の1707年(宝永4年)に起きた富士山の噴火である。
・・・・・(中略)
細かい灰はどこにでも侵入するため、電気製品や電子機器の故障の原因となると推定されている。すなわちスイッチ類の接点不良や火山灰堆積による冷却不良が原因で過熱故障を起こすなど、様々な障害を及ぼすと予想されている。
====================転載終わり。


なぜ瓦礫広域処理に反対するかといえば、それは「まだら汚染されている」から
2012年03月03日 (土) | 編集 |
静岡県島田市で、東北地方の瓦礫を試験焼却したそうですが、
それに関してのツイートを取り上げました。

3月2日
■RT @higumappoi: 計算上では2〜4割の放射性物質が行方不明。環境省の根拠が覆った=無いまま島田市は強行する…@naasansan 市長は微量で安全とウソぶくでしょうね RT:島田市試験焼却の結果を詳しく解析→http://t.co/K9xEURlf 算数→http://t.co/M0XFFGIWposted at 12:32:35
   ↑太字url部分が下のツイートです。
< ‏■ @higumappoi
③【島田市と環境省に電話して確認した】(ゴミ85%+瓦礫15%)×濃縮率=16倍時79.2−実際値64=15.2Bq(約19.19%)、20倍時88.8−実際値64=24.8Bq(すべて/kg)が灰以外に移行していることになる。環境省の「放射性物質はほぼ灰に移行」が机の上では…>
※「79.2」「88.8」という数字がどこから出ているのか私には分からないのですが、
「解析した」ということです。

そして、
上のツイートより、

静岡県島田市の汚染がれき焼却は明らかにおかしい
というHPの、注目すべきだと思った部分は、ここです。
HPより、一部転載===============
No.2 『島田市がれきの放射線濃度公開における疑問を数学でシミュレーション』

1、焼却前のサンプル調査の疑問

がれき焼却前に、岩手県のがれきの山からサンプル調査した結果は、
最大値 15.0Bq/kg
と発表されていた。
 疑わしい点は以下の通り。
(1)サンプル調査は何ヶ所行ったのか?
(2)がれきの山は、水溶液とは違い、放射性物質は「均等」ではなく「ばらつき」がある。サンプル調査だけでがれき全体の汚染度(汚染濃度の最大値)を決定することは非科学的である。
(3)汚染濃度のばらつきはどのくらいあるか、全く検証されていない。
(4)1ヶ月前のサンプル調査では、最大13.2Bq/kg としていたが、なぜ増えたのか?もっと測ればもっと最大値が増える可能性が高い。

 これらのことを考えても、焼却前の汚染濃度の  15.0Bq/kg というサンプル調査がいかにいい加減であるか、理系の人なら誰でも分かる。
 環境省や島田市長の主張は、「サンプル調査と汚染濃度は同じであるから、サンプル調査だけでOK」という言い分であるが、がれき受け入れを反対する島田市民の主張は反対で「全量調査をしなければ汚染量は調べられない。ばらつきがあるから、サンプル調査と全体では実態が違う可能性が高い」ということだ。
===========================転載ここまで。
上のホームページは、
「この計算だけは、K大学(東京&横浜)の大学院理工学研究科の卒業生の仲間が集まって検証しました。その結果です。」
ということです。
途中、計算がとてもややこしいのですが、
理系ではない文系の私のような人間でも分かることは、

(2)がれきの山は、水溶液とは違い、放射性物質は「均等」ではなく「ばらつき」がある。サンプル調査だけでがれき全体の汚染度(汚染濃度の最大値)を決定することは非科学的である。
(3)汚染濃度のばらつきはどのくらいあるか、全く検証されていない。

   ↑ これ重要!!
ということです。
私がいつもツイッターでつぶやいているのですが、
東北で出たがれきは、放射能にまだらに汚染されている、ということです。


「うつ病の真実」という本
2012年03月02日 (金) | 編集 |
うつ病の真実うつ病の真実
(2008/04/23)
野村総一郎

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こんにちは。

私は小学5年生くらいから、「自分とは何か」、で悩んできました。
常に、敵が自分なのです。

何年も前の自分の手帳に、妹の本(上にリンクした、「うつ病の真実」)から、
自分が気になる部分を書き写したものが見つかりました。

以下、転載。================

「うつ病の真実」

 第3章の進化生物学からみたうつ病の意味(その2)

複数遺伝子の組み合わせがうつ病を呼ぶ
・・・・・うつ病にかかりやすい人は「几帳面」「真面目」「他人に配慮する」などの正確特徴を持つと言われる。このような性格をもった人は、どう考えても「いい人」である。
どこの組織にもなくてはならない資質であり、社会にとって望ましい性格と断言できよう。
なぜこのような「いい人」がうつ病になるのか、不思議な気もするが、
几帳面性は「自分の内部的ルール」であり、他者配慮性は「外部的ルール」である。
この特徴が両方揃うと、行動に矛盾が生じることになる。
つまり、「自分のペースを重んじ」「他人のペースに合わせる」ということは、
本来無理である。

この無理のために、(ある種の状況で)うつ病が発生してくる可能性がある。ここでは適応的な二つの遺伝子の「食い合わせ」が悪くて、病気になるのである。

進化生物学の仮説からみるうつ病治療論
・・・・・つまり、うつ病になると下手にあがかず、ある程度なるががままに任せておく、受身の姿勢が必要とされている。
このことは進化生物学の理論から考えても理にかなっている。
(※ここからがおそらく重要なのに、メモしていない。
『(うつ病になったら)ある程度なるががままに任せておく』ことが、どのように、
「理にかなっている」のか、は読んでいない。)

 ギリシャ悲劇にみるうつ病
うつ病はどのくらい古くからあるか
・・・・・たとえば、糖尿病の遺伝子はかつて食糧を確保するのが困難であった時代には適応的であったが、飽食の時代に裏目に出ている、といった見方である。
うつ病についても、太古の時代には必要性の非常に高かった資質が、ある時代に至って適合しない面が生じてきて、「病気」として受け止められるようになった可能性がある。

=================転載ここまで。

そんなに厚みはなかった本だったですが、「なるほど~」と、私が感じた部分です。

私は「うつ病」ではないですが、例えば、自分の体調の不良、子どもができなかったこと、自分自身が対人恐怖症(社会不安障害)であること、母からの支配(と感じていた)、母の死などで、いろいろ悩みました。
悩んだ時期は、長かったです。今では「そんなに突っ込んで悩みすぎてもしょうがない」という部分が心に出てきたものの、恐怖感などのコントロールが効かない時が、まだあります。

行き着いた先は、「なぜ、自分はこういう状態なのだろうか」、です。
悲観的になるでもなく、いつも、考えます。「なぜ、自分はこうなのか」と。
この本の存在は忘れていて、この前たまたまメモを見つけました。

私がこれを見て「ははは」と笑ってしまったのは、上の太字の部分、
つまり、「自分のペースを重んじ」「他人のペースに合わせる」ということは、
本来無理である。

ということろです。
もちろん、それをしていかないと社会が成り立たないので、みんなしているわけです。
それが度を過ぎると、心の病になってしまう。
度を過ぎるのを強要している社会、そんな社会のせいで、「病気」になるのかも。
「甘ったれ」だと思った方、そういう人もいるでしょう。
(光市母子殺害の元少年への死刑判決で、最近、興味深いブログ記事がありました。
それともつながっています。またあらためて紹介します)
(「そんな社会のせいで」の社会には、私自身も入っています)

うつ病についても、太古の時代には必要性の非常に高かった資質が、ある時代に至って適合しない面が生じてきて、「病気」として受け止められるようになった可能性がある。
という部分には、私がなぜ、人と話すのに強い不安や恐怖を感じるのか、
少し解明できたような気がしました。
大昔など(せめて江戸時代くらいも)、一般市民が大勢の人と一緒に集団行動、なんて、
そういう状況はほとんどなかったのでは、と思います。
明治で文明開化してみんな学校通うようになって、企業に勤めるサラリーマンが出てきて・・
終戦以降はさらに、「モーレツ」が続きます。
(で、行き着いた先が学校という、”将来効率よく働ける人間”の製造工場みたいな。
学ばないで、新卒で就職することを目標に。封切られる新しい靴下みたいに。
封を切ってしまえば、使っていなくても新古品です。)
話が逸れました。集団行動の話でした。
政治的に重要な地位の人や侍や武士、大名行列の人とか。
太古の昔になれば、うかうかしていると、他の集落の人間から襲撃されてしまう、
ということもあり、警戒心は持たざるを得なかったと思います。
野生動物に襲われる危険や大災害もあり、いろんな音を拾う人の方が、命拾いをしていたかも。
私は音に敏感で、化学物質などのにおいにも敏感ですが、
現代に生きる私は、それが逆に「病気」(心の調子の悪さ)を招いているともいえます。

すみません、冗長な文章になってしまいました。

結論的なことを少し。
私自身について、社会不安障害(主に対人恐怖)、うつっぽい気分について、
書いてみました。
「『心の病気』は社会がつくる」・・・のかもしれない。

(※「原因の全く不明な重いうつ病」もあります。名前で誤解されやすいですが「自閉症」は心ではなく脳の病気です。統合失調症も脳の病気だとも言われています)