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隅田金属日誌(墨田金属日誌)

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2013.11
19
CM:3
TB:0
12:00
Category : ミリタリー
 朝霞にオネスト・ジョンが配備されていたことがある。オネスト・ジョンは、後の米陸軍ランスにつながるご先祖のミサイル。性格的には、ロシアのフロッグ(スカッドよりも射程も短い)に近い近距離弾道弾なのだが。これが、昭和30年に米陸軍朝霞キャンプ、キャンプ・ドレイクに配備されていた。

 しかし、命中精度は今よりも低い。さて、そのような弾道弾を、本番に通常弾頭で発射するものだろうか?

 当時は無邪気な核兵器スゲー時代である。有事になれば戦術核もドンドン使う予定であった。当時の東宝『世界大戦争』では、朝鮮有事で無思慮に戦術核が使われているが、核使用の敷居としてはあんなものだ。

 一応、日本政府は持ち込みはなかったとしている。当時も政府としては核は持ち込まないとしている。今公表された文書を見ても、艦艇搭載分を除いては、核持込はなかったとしている。

 だが、それもどうかなといった部分はある。昭和30年は、まだ米軍が強い時代である。相手は敗戦国に過ぎない。そこでは、自軍はビンの蓋としても駐留している。相手国政府の事情など斟酌すると思えない。日本への核持込をそこまで遠慮するはずもない。そこで、軍事的合理性を最優先に考える軍隊が、わざわざ高価なオネスト・ジョンを(他にも原子砲ももちこんでいた)、肝心の核なしで配備することは考えがたい。

 いずれにせよ、米陸軍としては有事には核弾頭と一緒に朝鮮半島に持ち込む頭だったのだろう。それであれば、一番良いのは、朝霞から弾頭と一緒に持ち込むことだ。ミサイルも弾頭も治安に不安のある韓国におくより、朝霞においとくのが安全である。朝霞から朝鮮半島への輸送は、立川からC-124で可能であるので訳もない。後には占領下沖縄の核弾頭と結合する予定だったのだろうが、最初の頃、朝霞にあったとする仮説を建てても、それほど突飛な話でもない。

 オネスト・ジョンについては、30型大型ロケットとの関係も興味深い。規模や能力は似たようなものである。日本が核兵器を持たないと決めたのは結構遅い。核不拡散条約に加盟したのは69年である。67年に制式化された30型大型ロケットには、核弾頭をつけるといった着意もあったのではないか。

 もちろん、60年代後半になので、核兵器導入には相当の抵抗がある。政治的におおごとなので口にしがたい。戦場でもそれほどまで無邪気に使える兵器でもない。エスカレーションや相互確実破壊といった危惧もある。だが、当時の国防論議からすれば、30型大型ロケット開発の裏にはそれはあっただろう。そうでなければ、30型のような兵器は役に立つものではない。



※ もちろん、当時の核持込体制や、自衛隊での核装備論議に対して眼を三角にして怒るもんじゃないです。まあ、そういう時代だったということナンですな。

Comment

非公開コメント

No title

非核三原則を信じていたお人好しが野党には居たそうな。んな事ある訳ないじゃない。
ベトナム戦争時は勿論のこと、ソ連崩壊までは艦船搭載も含め、何らかの持ち込みはあったでしょう

ソ連の北海道進攻で

使われる可能性はあったんですかね?
気にするほどの事でもないと言いながら、あとでその件の公文書が公開されたら大問題になるんじゃないかと。

Re: ソ連の北海道進攻で

昭和30年位だと、まずは朝鮮半島、少しは台湾防衛で、北海道は発火点という話はあまりないとおもいます

まあ、朝霞に核があったかもは、あくまでもそういう風に疑えるよ程度のヨタだと思ってください