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隅田金属日誌(墨田金属日誌)

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2020.07
24
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00:02
Category : 未分類
 大躍進とベルリンの壁には関係があるのではないか?

 中国と東ドイツの交易からするとその可能性がある。

 新中国はDDRとそれなりの規模の貿易をしていた。中国は東独製の製品を欲しがった。産業機械や工業関連技術、肥料、細かいところでは写真用フィルムだ。これは漠然と想像できる範囲にあるだろう。そしてあまり言及されないが東独も中国の産品を欲しがっていた。特に大豆を筆頭とする食用油脂である。

 その食用油脂が大躍進で入手できなくなった。その理由は経済混乱だけではない。人民食堂無料化による食料資源の大量消費や、それにより余った人民購買力により農産物購入が増えた結果、輸出余力がなくなった結果である。

 結果、東独はマーガリン製造に窮した。敗戦国である東独ではバターは望めない。だからマーガリンで代用していたが、その原料は中国産大豆や落花生に依存していたからだ。

 このマーガリン不足も東独の国民不満を加速する原因となった可能性があるのではないか? といった仮説である。

 多分、日本語、英語、ドイツ語の新聞で調べればあるていどはわかる。60年代前後に「東独ではマーガリン不足が問題化している」の記事があれば、まあそうは言える。

 ちなみに60年代に入ると反修正主義闘争で中国は東独ほか6カ国との貿易を絞るようになる。東独はそれに困り「1956年の水準に戻してくれ」と周総理に泣きついているけど、貴意に沿い難いとにべもなく返されている。

 そして中国と東独の貿易は味気ない形となる。社会主義兄弟国の間の協力関係ではなく政治対立を加味したソロバンづくとなる。硫安とカメラ・フィルムをほしいといった中国に東独も輸出余力なしと回答している。同時期の資本主義国との間の友好商社を介した貿易よりも冷酷な形だろう。

 ちなみに、硫酸铵が硫安、硫酸アンモニウムであることは何の障害無しで理解できたか、胶巻が写真用のフィルムがググらないと分からなかった。あとは東独ほか6ヶ国の捷と保かな。捷は文脈からチェコスロバキアだとアタリがついたが保がブルガリアとは思わなかった。波がポーランドだからポーランドじゃないしまでは追い詰められたのかね。

 どうでもいいけどチェコスロバキアはチェック・スロバカイだよねえとかポーランドはポーレンだよねといった転換がたまに浮かぶ。30年前の学部時代に3年やっただけのドイツ語で覚えた内容だが今でもね。たぶん京城(けいじょう)や高雄(たかお)のように現地で使えないベーメンとかケーニヒスベルクとかポンメルンとは違って使ってもあまり問題はないのだろうけど。

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