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隅田金属日誌(墨田金属日誌)

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2011.12
07
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13:00
Category : ナショナリズム
 1955年12月、日本国直轄市、昭南島…
マレー系昭南市民のオバサンが、日本人専用のバスの座席に座るところから始まります。

 運動は朝鮮、台湾、南洋、樺太、またジャワやビルマの軍政地域、満州やインドのような傀儡政府に飛び火します。

 予兆はあったのです。
日本国内で大ヒットしたラジオドラマが、NHK京城放送局、台北放送局で放送されたときには、濁音が発音できない朝鮮人や、「~アル」と中国人を揶揄した演出に大抗議活動が起きました。NHKラングーン放送では、テレビドラマで、靴墨で肌の色を黒く塗ったビルマ人の姿に、CM提供をした日清製粉が焼き討ちをうけました。インドでは、コルカタの海兵団で、軍事顧問団により上陸前にポーク/ビーフカレーを食べさせられようとした現地水兵が反乱を起こしていたのです。

 エスノセントリズムを自覚しなかった大「日本」帝国、その植民地支配の限界だったのでしょう。

 皇民権運動は、折からのインドネシア反戦運動と結びつくのです。本土でも、アジア諸民族への連帯の輪が広がります。本土でも、六大学野球で不正義のインドネシア反戦運動に抗議する反戦歌が歌われたりするのでしょう。

 そして、宮城が人間の輪で囲まれる。宮城前広場でマハティールあたりが「私には夢がある」とか演説ぶったりするのではと。多分、リー・クワン・ユーとか李登輝あたりがマルコムXかなと

 すでにインドネシア独立弾圧戦争は泥沼です。多分、日本的な価値観で連れていった御都合指導者が、インドネシアナショナリズムの空気読まずに、出身民族優遇など、やりたい放題にやるので旧蘭印は滅茶苦茶になる。でも、皮肉なことに非大和民族初代首相、内鮮一体を掲げた呂運亨あたりが、反共とか言い出して、必死に腐敗政権側を支えようとするんでしょう。でも、彼は神兵隊事件の生き残りあたりに、遊説中に6.5mm弾で狙撃されてしまう。

 インドネシアでは、独立の闘士、スカルノが「アンクル・カルノ」になるんでしょうね。スカルノの死後、独立運動を掌握したスハルトも「インドネシア人はオランダと350年間戦ってきた、日本との戦いが10年長引いてもたいした話ではない」と講和会議で演説をぶつのです。この間、デビ夫人が日本で煽りまくるのでしょうねえ。それに応じて、村田英雄、春日八郎、三橋美智也あたりが、不正義のインドネシア戦争に怒り反戦歌を歌いだす。「雨の九段坂」なんて、そのまま脱構築ですね。

 まあ、宴会駄話でフト浮かんだのだけれどもね。
 うーん、大学ランキングで、偏差値的には国内最後にできた名古屋帝大、それと昭南帝大(新設)と東亜同文書院、極東学院が並ぶだろうとか。日本製のマニラ大・河内大なんか現地の人は完全に小馬鹿にしているけど、官吏登用の道でもあるので、TOEICもどきの馬鹿馬鹿しい日本語試験を受けて仕方なく行く。ベトナムで、上からの近代化と称して、漢字とチュノム復活させようとして日本がエライ目にあう。でも、フィリピンではマルコスがカシーケ民主主義をやるのは変わらない、とかね。



2011年05月29日 MIXI日記から転載

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