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日本には核保有への願望がある。
そもそも核拡散禁止条約への反対は多く加入は遅れている。署名は昭和45年、批准はさらに遅れて51年だった。その中で
そして、核保有論者には代替策として原子力発電とロケット開発があるとされた。この二つを組み合わせれば何ができるか?といったものだ。
半公然的な核戦力スタンスは「核兵器を作る能力を保持すること」とされている。日本は核兵器を持たないが、短期に核兵器を作り得る能力を維持するというものだ。
■ 核武装は当の自民党政治家が言っている
その前提からすれば、野望はないと言い出すのは不思議なものだ。
Satavy@ちえりすとさんは次のように発言している。

だいたい「テロリスト・鎌田慧」とはなにごとだろうか? テロリストとは少なくとも有形力を用いて物理的・財産的損害を生じさせる人のことだ。対して蒲田さんはただの言論の人でしかない。自分の主張に都合が悪い相手を、字義も考えずにテロリストと呼んでいるといったものだ。
その中身もどうしようもない。
核武装と自民党の親和性は周知である。なんせ当の自民党政治家がそれを時折主張するし、党内では否定されていない。「核兵器を作る能力を保持すること」と言い出すのも、核が持てないフラストレーションのあらわれだ。
それについて核武装の野望はないと断言するのはどうかしている。「『それは自民党に核武装の野望があるからに違いない』とか決めつける内容。」(Satavy@ちえりすと)とは、当の自民党政治家も驚くものでしかない。
■ 査察は野望を見つけるものではない
そして、査察で野望が見つからなかったと見栄を切っている。最後に「長年日本の核武装が無い事を査察で証明しているIAEAは人の努力を蔑ろにするこのバカを殴り倒しても良いと思う。」(Satavy@ちえりすと)と述べている。
だが、IAEAの査察は野望を見つけるものだろうか?
違う。核開発に着手していないことを確認するものだ。野望の有無をチェックするものではない。
あくまでも、既存原子力設備の平和利用の範囲からの逸脱を確認するものだ。
この点でSatavy@ちえりすとさんの理屈は破綻している。それをもって「テロリスト・鎌田慧」さんを「IAEAは人の努力を蔑ろにするこのバカを殴り倒しても良いと思う。」(Satavy@ちえりすと)と言い出すのは妥当性を欠いている。
「殴り倒しても良いと思う。」と述べる以上、Satavy@ちえりすとさんは殴り倒されても良いと思っているのかもしれないが、物理的に離隔されてそれがありえないネット世界の安全圏でそう言って見栄を切るのもみっともないものだ。
■ 軍事に詳しい方が付和雷同しているのもね
まあ、なによりも日本の核政策を知らないでこの意見に付和雷同する、自称軍事に詳しい御仁がいることだけどね。
件のCHINさんがそれ。つまりは日本の核拡散防止条約加入までの経緯や、その後の日本の核戦力スタンス、自民党政治家の発言を知らず、査察が野望をチェックするものではないことをご承知されていないと表明している。

他人の言うことを鵜呑みとしていて批判的に見ない。これはC-2について「民航機と同じ速度で飛行可能というXC-2最大のセールスポイント」(chin)を信じこみ公言したことでも明らかだ。同じ速度で飛ぶ必要性があるか、それができないことによるデメリットはどの程度なのか、実現するためのコスト的負担増はどの程度か。そのあたりは一切考えていないことの表明でしかない。
評価、評論をできない点はガルパンへのスタンスを見ても明瞭である。CHINさんはガルパンが好きなんだろうが、おそらくは何が好きかを言語化できない。だからそれを示すために爆音上映やら大洗やらに何回行ったかで誇っている。なぜ自分がそうするのかは説明しないし、作品にそのような熱狂を引越す内容があることも説明していない。
厳しいこと言うと、もともとガルパンが好きかどうかもわからないけどね。メカミリ的嗜好を持っていて、名前に「1stLT」をつけるように、そこでの自分のステージ(オウム真理教的な)は高いと思い込んでいる。それを示したいからメカミリ連に交わり、そこで「ボクのステージは高いのです」と示すために周りに合わせて、いかにガルパンが好きであるかを示しているようにしか見えない。
CHINさんがわざわざ全世界に公開しているツイッターをみてもそれを伺わせるものとなっている。ガルパン以外にも米海兵隊やら宇宙開発やらイカニモ商売の中村桜やら、メカミリの子が好きなものを挙げ、それに肩入れすることに終始している。本人はそれが好きなのではなく「それに度を越してハマっているメカミリで高ステージに達した自分の姿」が好きなのだろう。
そもそも核拡散禁止条約への反対は多く加入は遅れている。署名は昭和45年、批准はさらに遅れて51年だった。その中で
そして、核保有論者には代替策として原子力発電とロケット開発があるとされた。この二つを組み合わせれば何ができるか?といったものだ。
半公然的な核戦力スタンスは「核兵器を作る能力を保持すること」とされている。日本は核兵器を持たないが、短期に核兵器を作り得る能力を維持するというものだ。
■ 核武装は当の自民党政治家が言っている
その前提からすれば、野望はないと言い出すのは不思議なものだ。
Satavy@ちえりすとさんは次のように発言している。

Satavy@ちえりすと @satavy今日の東京新聞「本音のコラム」はテロリスト・鎌田慧。日本が核兵器禁止条約に参加しなかった事にキレて「それは自民党に核武装の野望があるからに違いない」とか決めつける内容。長年日本の核武装が無い事を査察で証明しているIAEAは人の努力を蔑ろにするこのバカを殴り倒しても良いと思う。
https://twitter.com/satavy/status/884543268385472512
だいたい「テロリスト・鎌田慧」とはなにごとだろうか? テロリストとは少なくとも有形力を用いて物理的・財産的損害を生じさせる人のことだ。対して蒲田さんはただの言論の人でしかない。自分の主張に都合が悪い相手を、字義も考えずにテロリストと呼んでいるといったものだ。
その中身もどうしようもない。
核武装と自民党の親和性は周知である。なんせ当の自民党政治家がそれを時折主張するし、党内では否定されていない。「核兵器を作る能力を保持すること」と言い出すのも、核が持てないフラストレーションのあらわれだ。
それについて核武装の野望はないと断言するのはどうかしている。「『それは自民党に核武装の野望があるからに違いない』とか決めつける内容。」(Satavy@ちえりすと)とは、当の自民党政治家も驚くものでしかない。
■ 査察は野望を見つけるものではない
そして、査察で野望が見つからなかったと見栄を切っている。最後に「長年日本の核武装が無い事を査察で証明しているIAEAは人の努力を蔑ろにするこのバカを殴り倒しても良いと思う。」(Satavy@ちえりすと)と述べている。
だが、IAEAの査察は野望を見つけるものだろうか?
違う。核開発に着手していないことを確認するものだ。野望の有無をチェックするものではない。
あくまでも、既存原子力設備の平和利用の範囲からの逸脱を確認するものだ。
この点でSatavy@ちえりすとさんの理屈は破綻している。それをもって「テロリスト・鎌田慧」さんを「IAEAは人の努力を蔑ろにするこのバカを殴り倒しても良いと思う。」(Satavy@ちえりすと)と言い出すのは妥当性を欠いている。
「殴り倒しても良いと思う。」と述べる以上、Satavy@ちえりすとさんは殴り倒されても良いと思っているのかもしれないが、物理的に離隔されてそれがありえないネット世界の安全圏でそう言って見栄を切るのもみっともないものだ。
■ 軍事に詳しい方が付和雷同しているのもね
まあ、なによりも日本の核政策を知らないでこの意見に付和雷同する、自称軍事に詳しい御仁がいることだけどね。
件のCHINさんがそれ。つまりは日本の核拡散防止条約加入までの経緯や、その後の日本の核戦力スタンス、自民党政治家の発言を知らず、査察が野望をチェックするものではないことをご承知されていないと表明している。

他人の言うことを鵜呑みとしていて批判的に見ない。これはC-2について「民航機と同じ速度で飛行可能というXC-2最大のセールスポイント」(chin)を信じこみ公言したことでも明らかだ。同じ速度で飛ぶ必要性があるか、それができないことによるデメリットはどの程度なのか、実現するためのコスト的負担増はどの程度か。そのあたりは一切考えていないことの表明でしかない。
評価、評論をできない点はガルパンへのスタンスを見ても明瞭である。CHINさんはガルパンが好きなんだろうが、おそらくは何が好きかを言語化できない。だからそれを示すために爆音上映やら大洗やらに何回行ったかで誇っている。なぜ自分がそうするのかは説明しないし、作品にそのような熱狂を引越す内容があることも説明していない。
厳しいこと言うと、もともとガルパンが好きかどうかもわからないけどね。メカミリ的嗜好を持っていて、名前に「1stLT」をつけるように、そこでの自分のステージ(オウム真理教的な)は高いと思い込んでいる。それを示したいからメカミリ連に交わり、そこで「ボクのステージは高いのです」と示すために周りに合わせて、いかにガルパンが好きであるかを示しているようにしか見えない。
CHINさんがわざわざ全世界に公開しているツイッターをみてもそれを伺わせるものとなっている。ガルパン以外にも米海兵隊やら宇宙開発やらイカニモ商売の中村桜やら、メカミリの子が好きなものを挙げ、それに肩入れすることに終始している。本人はそれが好きなのではなく「それに度を越してハマっているメカミリで高ステージに達した自分の姿」が好きなのだろう。