コメント
メディア最大のタブー「電通」は日本人を洗脳し続けた黒幕だった!?
http://www.cyzo.com/2012/02/post_9921.html
(前略)
――電通は、ある意図を持ってテレビをコントロールしているのですか?
苫米地 そう。一例として、『洗脳広告代理店』の中では、米国巨大金融資本の依頼を受け、「郵政民営化」の流れを作る上で電通が動いていたという説を紹介している。このことを指摘した政治評論家の森田実さんは、その後、テレビから干されてしまった。森田さんは、その裏では莫大な金が動いていた、とまで指摘しているんだ。実際、今から振り返ると、小泉政権が大勝した2005年の"郵政選挙"の時の日本の空気は異常だった。あれは、小泉さんのパーソナリティが突出していただけでなく、テレビを中心としたマスメディアが、郵政民営化を是とする空気を作り出していた。その証拠に、当時、自民党に投票した人に聞いてみるといいよ。「郵政民営化のメリットはなんですか?」って。ロジカルに答えられる人はほとんどいないはず。あの時は、多くの人が論理を抜きに郵政改革を支持してしまったんだ。テレビの洗脳的効果が発揮されたんだよ。
――『洗脳広告代理店』では、米国と電通の関係にも踏み込んでいますね。
苫米地 推測を絡めてだけど、電通が郵政民営化を含め、なぜ米国の意向を汲んだ動きをするのかを、歴史的事実をもとに言及している。かなり大胆に踏み込んで書いたよ。そこはぜひ本書で確かめてほしい。ここまで書いたら、私は二度とテレビからお声はかからないかもね(笑)。
――出版後の反響はどうですか?
苫米地 電通社員の知り合いも多いんだけど、この本を読んで、本質的な反論をしてくる人はいないよね。自分たちのしている仕事の不条理さは、当事者としてわかっているんだろう。と同時に、問題があるとわかっていても、彼らにはどうしようもないというあきらめもあるみたい。ただ、私は本書の中では、電通や広告業界、メディア業界、そしてそれに対峙する国民の今後のあるべき姿も提示している。権力者側にいるメディアを取り戻すために、ぜひ国民一人ひとりが考え、行動をするためのきっかけにしてほしいんだ。
Amazon.co.jp: 電通 洗脳広告代理店: 苫米地英人: 本
http://www.amazon.co.jp/dp/4904209192
消費税増税/GDP2.5%低下、雇用115万人減/日本経済“奈落の底”
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik11/2012-02-22/2012022201_02_1.html
非正社員の比率35%、過去最高を更新 11年 : J-CASTニュース
http://www.j-cast.com/2012/02/22123020.html
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独裁者のハシスト党を礼賛する、メディアの最近の傾向とも、関連しているかもしれない。
コイズミ改悪の再来か。
競争原理というより競争原理主義ですか
教育に競争は必要かというと、私は必ずしも必要だとは思いません。ただし手段としては有効な場合もあります。「競争が必要か否か」という論を見ると、世界はそんなに単純なのかと疑問に思ってしまいます。競争は「原理」ではないというのが私の考えです。
では教育に何か「原理」のようなものがあるかというと、正直なところよく分かりません。分からないけれど、とりあえず今の私が「これか?」と思っているものはあります。本人を肯定することです。
これも言葉にして説明するといろいろ難しく、取りこぼしが出てしまうのですが、本人の人格をとにかく否定してはだめです。「どうせ自分なんて」と思われてしまったら、教えているこちらの失敗です。
子供たちの人格を全肯定するっていうのは、「無理やり褒める」とか「叱らない」とか「宿題を出さない」とか、そういう安っぽいものではありません。教える側はものすごくリソースを消費します。だから学校では難しいでしょうし、取り組まれている先生には頭が下がります。
本人が競争をよろこび、それで自信をつけてくれて能力も上がるなら、手段として競争を取ることは私もあります。でもその場合には、競争相手はどう思っているのかとか、負けた側が必要以上に落ち込んでしまわないかとか、あれこれ考えます。こんなに慎重に当てはめなければならないものが「原理」なのか? というのが素朴な感覚です。「別れろ原理」を持ち出して、恋愛相談には全て「別れろ」とアドバイスする、くらいの乱暴さを感じます。
また、確かに世は競争に満ちていますが、世の競争に勝つ力は、児童生徒のうちに自分も競争することによって身につくものでもないと思います。それよりは、自分に自信を持つことの方がよほど意味があります。競争そのものを多く体験するより、成功体験を積んだ方がずっといい。そのほうが、競争に勝てる力につながるはずです。「競争で勝たないとだめだ」というのは、負けたらお前は認められない、というメッセージを発することでもあると思いますが、そんなこと私には怖くてとてもできません。わざわざ畏縮させ、やる気をなくさせてどうするんですか(ただしそれでやる気が出る人もいるので、そういうときには競争を煽ります。難しいです)。
そもそも世の「競争」というのが、社会人(?何それ)になって経済的に勝つことに限定されすぎているのも、私としては違和感があります。確かに必要なこととは思うけど、人の世はそんなに単純じゃないのです。経済的に豊かにならないと幸せになれないのは事実ですし、認めます。一方で、経済的に勝つことだけをよしとする(あるいはそれが教育の最終目標になる)ような社会って、あまり幸せそうな感じがしません。だってそれって、経済的に貢献できなくなったら存在意義がなくなる社会なわけでしょう。
こんなに複雑で多様な世で、人間というこれまた複雑で面白いものを育てているのに、教育で教えるのが経済競争に勝つ方法って、ちょっと貧弱すぎませんか。それにそういう教育は、そもそも世の競争が熾烈すぎる(負けたら本当に死ぬ)ということに対する批判の可能性を失くしてしまうことになると思います。現実を受け止めて対処するのと、現実を肯定するのとはぜんぜん違いますし。
子供たちが自分を肯定的にとらえるようになると何がかわるか。実感として彼らは「しゃべる」ようになります。つまり自分の意見を(あくまで本人基準で)堂々ととこちらに述べるようになります。こっちはそうなると小躍りしたくなります。話を聞きながら絶対に相手を頭ごなしに否定しない、こっちはなるべく話をしないで聞き役に回る、そうしてさらに本人の自己肯定感(ああ、聞いて貰えてるなあ、という気持ち)を高めます。そして相手の発言に感動したことを隠さず(感動しているのだから普通にすればいいのですが)、相手を褒めながら(必ず褒めるところはあります)、こちらから反論する。そういう練習を繰り返していくと、それこそコミュニケーション力も上がるし、合理的な考え方も身についていきます。
直接的には、こういうのがいわゆる競争力につながるはずです。だって「自分で考え、その意見を人とすり合わせることができる」って重要でしょう。自分に自信がなかったり、トンチンカンな発言をしたと叱られた体験を持っている人にはこういうことは難しい。で、こういう能力が競争で身につくとはとても思えません。
このタイトルを観て、個人的に大変懐かしく感じました。
少し私の高校時代の話をさせてください。
私が通っていた大阪の府立高校は大変ユニークな学校でした。
高校生活の目標を「学習」「クラブ活動」「ホームルーム活動」の三つの柱の鼎立とし、特に「ホームルーム=自治活動」の充実という点に特徴がありました。
つまり、高校入学後間も無くある「遠足」から最後の「卒業式」に至るすべての行事が基本的には生徒達自身によって計画、運営される、ということです。
そしてそれらは、「みんなは一人のために、一人はみんなのために」という精神と、「全員で徹底的に討論し、最終的に決定した事は全員で守る」という民主主義の原則に則ったものでした。
中でも、最大の行事である「文化祭」では「戦争と平和」「人権」「差別」に関する様々な「社会問題」について、読書やフィールドワークによって学習を深めた内容を展示発表しました。
そのことを通じて、過去の侵略戦争における加害事実や「日米安保」の矛盾、「在日」や「身体障害者」等の社会的マイノリティへの差別の歴史と実態を知るきっかけになったのです。
勿論、それらの運営が全て順調であったわけではありません。多くの困難、対立、葛藤がありました。
しかし、それらを乗り越えて成し遂げた時の充実感と感動は、私の人生の中でも他と比べようのない得難い経験と言えます。
その頃に「競争原理を超えて」を「参考図書」として読みました。
ある意味、私の高校三年間は「競争原理を乗り越え」る為の挑戦であった、と言えるかもしれません。
何十年か振りに、もう一度読み直してみようかな。
おかねの公共性120205
利己性と利他性120218
かけ算の順序
ここ数年、ごく一部の界隈で「第n次『かけ算の順序』論争ブーム」だそうで。
それにしても、遠山啓が「順序派総本山」だと誤解している人が多いのには正直驚かされました(遠山啓のことを少しでも知っている人は、こんなこと想像もしないと思うのですが)。
これについて、「遠山啓は『かけ算の順序』についてどう考えたか」というブログを書かれている方いらっしゃいましたので紹介します。
>http://blogs.yahoo.co.jp/satsuki_327/33805606.html
現在多くの小学校では、学習指導要領に従い、かけ算について「ある一方の順序」しか認めません。
しかしこの問題は、
「『考えること、試行錯誤すること、自力でできること』よりも『あらかじめ決められた不当なルール通りにできること』に価値がある」とする点、
「『国際ルールの存在』を無視して『ローカルルールの刷り込み』に固執する」点、
そしてなによりも「『本質』よりも『強制』を優先させる」点において、
君が代・日の丸の強制と相似形です。
「数学教育」を「愛国教育」の露払い役としてはなりません。
平和運動にもかかわっていた遠山啓が、今の教育現場を見たらなんと言うでしょう。
「数学の本質は、その自由性にある」とはカントールの言。
この場合の「自由」とは「どちらを『1あたりの数』とするか」。
しかし、「ある一方しか「1あたりの数」として認めない」ということは、その「自由を学ぶ」恰好の材料である算数/数学教育に対する「不当な政治介入」なのです。
最後に、遠山啓著「いかに生き、いかに学ぶか」について書かれたものとして↓をご紹介。
http://maimai3.dreamlog.jp/archives/51634109.html
http://maimai3.dreamlog.jp/archives/51634181.html
かけがえのないこの自分
私のコメントを取り上げてくださってありがとうございます。今思うと私の中学、高校時代は「受験戦争」は現在よりも激しかったように思います。親である昭和一ケタ世代はまだ、大卒の学歴を持つ人はまれで、高卒も少なかった。それが高度成長で豊かになり、子どもたちを進学させる余裕が出て来た。また、「良い高校→良い大学→大企業→高所得→生涯安泰」という、現在、かなりひび割れて来ているとはいえ、いまもなお、多くの人たちに信奉されてる価値観が急激に広まったころでもありました。私の育った県は東京のベッドタウンとして人口が急増し、あちこちに団地が出来て、子どもを持つ若い家族がたくさん引っ越してきました。しかし、公立高校の数はまだ少なく、志望しても高校に進学できない「中学浪人」まで出てしまうありさまで、公立中学の教師たちも自分のクラスから浪人生を出すまいと血眼になっていました。
民間の学力テストである「北辰テスト」というものが、しばしば学校で行われ、それに従って出る「偏差値」が事実上、どのランクの高校(大学)を受験できるかを決める指標であり、つまりはその人の将来の人生の“クォリティ”を、その人自身の価値さえをも決めるかのように思われていたものです。(今思えば、馬鹿げたことですが、当時は笑いごとではありませんでした)
私の通った公立中学は元々田園風景の中にあるのんびりした学校だったのですが、私が入学したころには、近くに大きな団地が二つも出来たこともあって、急激に「受験校化」してしまいました。学年が進むにつれて、皆が偏差値ばかりを気にするようになり、「おまえの今の偏差値なら、(進学先は)この高校になるぞ」とか、偏差値だけで教師に決めつけられるのも嫌でした。私は初めのころは、成績は悪くはなかったのですが、そんな雰囲気の中で授業を受けるのが嫌で、次第に教科書の後ろに隠して好きな小説ばかりを読みふけるようになり、成績はどんどん下がりました。卒業するころには、高校に進学する気も無くしていたくらいだったのですが、当時の雰囲気の中ではそれも許されず、(その地域において、高校に進学しない子はほとんど「例外的な存在」になっていました)なんとかある高校に滑り込んだものの、そこがまた、旧制中学の後身である伝統校をライバル視する「後発の進学校」で、教師たちは一人でも多く名門大学に送り出すことを目標にして、生徒にハッパをかけていました。
そんな頃、私はふと疑問に思ったことがあります。
「結局のところ、試験のため(競争に勝つため)に学ばされている知識などは、“知性”とは何の関係もないのではないか?」と。
「人間の“本当の知性”は、このようなやり方では育たないのではないだろうか?」
漠然とそのような疑問を持った記憶があります。そして後に遠山啓さんの『競争原理を超えて』を読んだ時、その直感はある程度、当たっていたのではと感じました。
ところで、この前のコメントを書いた後、『競争原理を超えて』について検索していたら、作家で、数学に関係する著作もある金重明さんのブログに行き当たりました。やはり、30年ほど前にこの本を読まれていたようですが、私の感想などよりはるかに優れていると思うので、ご紹介します。
金重明のブログ 遠山啓著「競争原理を超えて」
http://ameblo.jp/europa2718/entry-11096200725.html
金さんは、残念ながら遠山さんがこの本の中でした予言(願い)が外れてしまい、その後の日本がますます、競争原理に励んできたこと、そして当時よりも社会の中の格差は広まってしまったという現実を踏まえつつ、大阪維新の会の教育基本条例案を批判しておられます。
>y さん
y さんは学校の先生なのですか。私は教師ではないので、実際の現場のことはわかりませんが、それぞれの先生に理想はあっても、現場でそれを追求していくのは難しいことなのでしょうね。それでも、「現実はこうなのだから」と諦めてしまわずに、生徒さんたちと真摯に向き合おうとする先生が、今もこの国に居てくださることは、とても頼もしいことです。(自分のことを省みますと、そうした数少ない先生との出会いは、今も心に残ります。)
ところで、y さんのコメントを読んでいて、遠山啓さんのもう一つの著書、『かげがえのないこの自分』という本があったことを思い出しました。題名の通り、それぞれの青少年たちに「この宇宙でただ一つの、かけがえのないこの自分の存在」というものを発見して、それを大切に生きていってほしいと願って書かれていたように思います。内容を少しご紹介したいのですが、現在、私の手元にはないので、具体的なことを思い出せません。
検索したら、こちらのブログで紹介されていました。
「手作りの自由学校」訪問記 ヨーロッパ編
かけがえのないこの自分 ~遠山啓~
http://blogs.yahoo.co.jp/nonoeda2007/49207921.html
(引用された部分は、ともすれば自己否定に陥りがちな現代の高校生に向かって、遠山さんが書いた手紙という形式をとっています。)
ところで、このブログは現在更新が止まっているようですが、その前々回のエントリーを読むと、ブログ主さんはなんと、
>状況は・・・ただいま話題に登っている大阪府内の、とある公立学校内へ「学力向上のために」と9月から派遣された講師が、私なワケで・・・いわゆる「少人数指導」の5年算数を受け持っている。
という方でした。(日付は橋下氏が大阪府知事に当選した年、2008年の12月です)
なめぴょん
売上やシェアは確かに社員の士気向上や投資家への説明はしやすい。しかし先日話を聞いた大学教授によると、1960年代からの日本の一部上場企業の売上と利益を調査したところ、売上は一貫して拡大してるのに対し、70年代以後売上と利益は連動しなくなった。
いくら売っても利益は出ない。これでは本末転倒。
利益が取れなければ無理に競争に参加しない企業は着実に業績を伸ばしている。
それが社員、顧客、投資家、あらゆる関係者にとってハッピーなんです。
過剰な競争は人を幸福にしない。
それこそヴァーチャルな自己満足にすぎない。
商売には競争の面もあるけど、究極的には「共生」なのです。
>みなさん
>風鈴草さま
>実際の現場のことはわかりませんが、それぞれの先生に理想はあっても、現場でそれを追求していくのは難しいことなのでしょうね。それでも、「現実はこうなのだから」と諦めてしまわずに、生徒さんたちと真摯に向き合おうとする先生が、今もこの国に居てくださることは、とても頼もしいことです。
私もそうありたいと強く思っています。
現場ではいろいろ考えることもあるのですが、「葛藤」しない人にだけはならないようにしよう、「葛藤」からは逃げないようにしよう、と気をつけています。
ある教育産業の会社の面接で、そこの室長に「私の目標はビジネスで成功することです」とはっきり言われ、ここでだけは働くものかと思いました(ちなみにその室長は私の面接の途中、通ってくる生徒の層について「まるで動物園みたいです」と説明していました)。
ビジネスでの成功を目指すことは別に悪くありません。ただ、その自信たっぷりな感じに恐怖を感じました。多少なりとも教育産業と関わって、子供たちと向き合ってきた私からしてみれば、そういうことを何の葛藤もなく断言するのは信じられませんでした。
この講習を受講させれば当方は潤うが、生徒にはあきらかに不要だと思う時にはどうするのか。
あの学校に受かれば確かに宣伝にはなるが、それってその子の幸せにつながるのか。
こういう指導をした方が絶対にいいのだが、こちらのリソースには限界があって難しい。逆に適当に手を抜いて「こっちは精一杯やりました」と説明しても保護者にはばれない。ではどうするか。
自分はこの方針がいいと思うが、自分のいる組織はそれに反対している。だが子供のことを考えると組織のやり方ではだめだ。どうするか。
そういう場面はたくさんあります。彼は一度もそういうことを考えたことがないのでしょうか。特に組織と現場の板挟みになって苦悩した様子が感じられないのにはがっかりしました。
茨木のり子の有名な詩のこの言葉を思い出します。
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大人になるというのは
すれっからしになるということだと
思い込んでいた少女の頃
立居振舞の美しい
発音の正確な
素敵な女の人と会いました
そのひとは私の背のびを見すかしたように
なにげない話に言いました
初々しさが大切なの
人に対しても世の中に対しても
人を人とも思わなくなったとき
堕落が始まるのね 堕ちてゆくのを
隠そうとしても 隠せなくなった人を何人も見ました
(汲む -Y・Yに-)
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この仕事に慣れたと思い始めた時が、私の堕落の始まりだと思っています。長くしていればある程度のノウハウは身につくでしょうが、それはただの技術でしかありません。
別に組織の利益と子供たちの教育の相反だけではなく、あれこれ考えなくてはならないことは山のようにあります。何せ人間相手の仕事です。ルーチンワークなんかでは絶対にできません。ボスも「授業準備はちゃんとしろ、だが絶対に準備はするな」と新人指導をしています。現場なんてアドリブだらけです。
私のいるところは寺子屋規模ですから、目の前の生徒は1人(多くて3人程度)。そして週に1コマのおつきあいです。それでも生徒と向き合い、相手のことを真剣に考えながら教えるのは難しいものです。実は今日も、私がちゃんと生徒のことを見ていないとボスから指導を受けて、たった今しょんぼりしながら帰って来たところです。ですから風鈴草のおっしゃるように、学校で真摯に取り組まれる先生というのには本当に頭が下がります。すごいことだと思います。
私の人生は先生運(という言葉はたぶんないでしょうが)に恵まれたようで、習い事でも学校でも塾でも、そんな真摯な先生方に教わることができました。私もそういう指導をしたいものです。
秋元康については「安倍のこともおいおい」ですね。控えめに言って「李下に冠を正さず」、厳しく言えば「そんなんなら消えて宜しい」です。
私も彼のアンドリュー・バルトフェルド自民党の裏金問題を暴いた日本共産党の委員がいない政倫審は自民党の政治腐敗を加速させるだけでは? #自民党は利権と汚職と税金泥棒許すまじ共産排除を正当化する奴等は「揚げ足取りをするから」などとほざきます。それなら「おめえらは、死んでも他人にあれこれ指図するな」などと反論する権利がこちらにありますアンドリュー・バルトフェルド玉木を衒いて石を売る国民民主党は、学生を学びに集中させない誤った政策を推進しています。(国民民主党への強い疑問 (4)) #玉木雄一郎に騙されるな #国民民主党に騙されるな #玉木代表の議員辞職を要求する重要なのは、いまアルバイトしている学生のもので、本当に将来を見るならば、子ども手当を廃止してでも、この少子化時代、年少扶養控除の復活した方がいい?特定扶養控除の工作員z講談社と弘兼憲史が沖縄米軍への抗議運動に「辺野古日当デマ」。 #島耕作の辺野古・日当デマに抗議します #講談社不買 @morningmanga @KODANSHA_JP戦時中の講談社1938年の秋には出版大手の大日本雄弁会講談社が『南京城総攻撃』というタイトルの子供向けの本を出版した。そのなかでは,「報国百人斬競争」の物語がきわめてドラマチックTakeshi玉木を衒いて石を売る国民民主党は、学生を学びに集中させない誤った政策を推進しています。(国民民主党への強い疑問 (4)) #玉木雄一郎に騙されるな #国民民主党に騙されるな #玉木代表の議員辞職を要求するわざわざ自然を壊さなくとも、都心にゴルフ場もAEONもこそ作れるはずトピズレすみません…
「ゴルフ税」は必須かと
田舎に育ち、バブル期のゴルフ場開発ラッシュで、地下水が汚染された、とか野生動物(特にサルが)人里に出没するようになった津木野宇佐儀「原爆で亡くなった死者に対する償いは、日本政府は全くしていないという事実をお知りいただきたい」 (被団協、田中熙巳(てるみ)代表委員、2024年ノーベル平和賞授賞式で)No title>Takeshiさん
>国家賠償
憲法制定小委員会で議論された結果、現憲法に「国家賠償請求権」が明記されました。
先人たちの思いを「押しつけ憲法」論のいいようにさせては津木野宇佐儀政治を知らないスポーツ選手や有名人の自民党からの選挙出馬が悲しいAKIMOTO48の存在が不気味で怖い谷亮子のアホさと彼女を担ぎ上げた小沢にも、もうやめてくれよ!と思ったものです。
芸能人、局アナ、すぽーす選手…言葉は悪いですが「〇ホ」の一つ覚え…でもジミンだけで津木野宇佐儀個人経営の餃子屋さんへの堀江貴文による誹謗中傷に法の裁きを。強きを助け弱きを叩くジミン支配下ニッポソなら>工作員zさん
>返済できずに破産かもしれないネ
ホリエ某は、ジミンpowwwwwwwwered by 財界& assssssssssisted by 電通 がいる限り、そうはならないでしょうね(憤怒)
ass津木野宇佐儀全国民のための正しい政治を求めることは「共産主義的な物言い」だとする石原伸晃の発言が、「政治は自民のもの」という自民党の基本姿勢をよく示していた。補足です。 インドネシアにおける共産党員虐殺の主体には,イスラム法学者もいました。必ずしも共産党員及びそのシンパが犠牲になっただけでなく,中国人も犠牲になりました。軍が武Takeshi欧日間の経済連携協定で、欧州連合が人権後進国日本に「人権条項」を要求するのは当然である。天賦人権論最近の記事のコメント欄では脈絡がないので、村野瀬玲奈と天賦人権論を検索ワードにして出てきた記事にコメントします。
「こどもには権利も義務もない」と言っている地方kuroneko個人経営の餃子屋さんへの堀江貴文による誹謗中傷に法の裁きを。この方は、大阪万博の特別顧問だそう。ライブドアceo時に証券取引法違反で逮捕された前科。ロケット打ち上げ失敗の融資先はたぶん政府系金融機関でしょう?返済できずに破工作員z「まるで中国、北朝鮮」と言うのではなく、「まるで大日本帝国」と言おう。北朝鮮への帰還事業から65年 北朝鮮への帰還事業は1959年12月14日に新潟港から出発したのが第一陣で,2024年12月14日には65年を迎えました。当時朝鮮人は日本社会において貧困と差別に苦しみ,「地上Takeshi政治を知らないスポーツ選手や有名人の自民党からの選挙出馬が悲しいNo title来年は確か統一地方選挙もあるので、「地獄逝こう」と立憲で有名人を候補に擁立する猟官運動の類が頻発しますね。
「頭数にしかならんだろ」と冷めた目で見ています。今井アンドリュー・バルトフェルド政治を知らないスポーツ選手や有名人の自民党からの選挙出馬が悲しい体育会系芸能人はともかく、スポーツ選手つまり体育会系エリートは、割と自民党に近い思想を持っていると思います。
体育会系は軍隊であり、そこに民主主義などありませんから。怒りの日政治を知らないスポーツ選手や有名人の自民党からの選挙出馬が悲しい打越さくらvs中村真衣か オリンピックでのメダル受賞者の自民党議員となると,堀井学や橋本聖子のようにかんばしくない人を思い出します。中村真衣さんは早くから自民党の参議院議員になりたいとTakeshi全国民のための正しい政治を求めることは「共産主義的な物言い」だとする石原伸晃の発言が、「政治は自民のもの」という自民党の基本姿勢をよく示していた。インドネシアにおける共産党員大虐殺インドネシアは17500の島から成り,人口は2億3500万人。300の民族から成り,365の言語が話されています。留学生のリクルートのためにジャカルタに出張したとき,インドネシTakeshiハン・ガンさんのノーベル文学賞授賞講演のテキスト (メモ)No titleトピズレすみません
山口放送制作のNNNドキュメント「アボジが眠る海」は必見です
山口県宇部市の長生炭鉱の惨事は、恥ずかしながら、知りませんでした津木野宇佐儀ハン・ガンさんのノーベル文学賞授賞講演のテキスト (メモ)ハン・ガンさんの小説が尹錫悦大統領の弾丸を求めるデモに参加した若者曰く「今までデモに参加したことはなかった。でもハン・ガンさんの小説を読み光州事件のことを知り民主主義の危機を感じたの閉口ハン・ガンさんのノーベル文学賞授賞講演のテキスト (メモ)民主主義の勝利ハン・ガンさんの韓国でクーデターを起こして失敗した尹錫悦大統領への弾劾訴追案が一昨日(14日)可決されました。
心より歓迎したいと思います。
これは民主主義の勝利その閉口島根原発再稼働。大事故が起こったら日本政府も自民党も電力会社も誰も責任を取らないのに。そもそも原発は多くの欧米列強は脱炭素を悪用し原発を推進しようとしています。
しかし原発は核兵器の開発のためにつくられた悪しきものです。
さらにウラン採掘から運転・廃炉、廃棄物処閉口島根原発再稼働。大事故が起こったら日本政府も自民党も電力会社も誰も責任を取らないのに。危険だとわかりきっている原発が避難計画の策定が不十分の中、島根原発が再稼働されました。
これは暴挙そのものです。
一時盛り上がりをみせていた脱原発の声はすっかり下火になってしまいました。
なり閉口修学支援新制度において、成績要件によって機械的に支援を打ち切ることは低所得家庭の学生の学びと人生を危機にさらす偏った富を吐かせるもちろん、無償化は「学費」だけでなく、教育全般の無償化です
「GDP」では中国に続き、さらにドイツに抜かれましたが
まだまだ経済「大国」日本にはそれくらいの富はある津木野宇佐儀玉木雄一郎ドヤ顔の公約「手取りを増やす」は「玉木を衒いて石を売る」行為ではないか (国民民主党への強い疑問 (3)) #国民民主党に騙されるな #玉木雄一郎に騙されるな予想。給与所得控除55万円はいじれない。特定扶養控除での調整か年少扶養控除の復活かでしょう。柿ノ木扇蔵ハン・ガンさんのノーベル文学賞授賞講演のテキスト (メモ)疑問:M上青樹にどんな演説ができるのか??…∞またまたトピズレ、すみません
ここ何年か、過剰に喧伝され続けてきた某M上ペラ樹氏のノーベル賞受賞…
彼には絶対にない!
それより、生前に谷川俊太郎さんが受賞されてい津木野宇佐儀「原爆で亡くなった死者に対する償いは、日本政府は全くしていないという事実をお知りいただきたい」 (被団協、田中熙巳(てるみ)代表委員、2024年ノーベル平和賞授賞式で)No title 田中熙巳さんが日本政府が原爆被害者への国家補償をかたくなに拒んでいることを批判したことについて、ネットでは「補償ならアメリカに求めろ」とか「結局は金か」と罵倒クテシフォン島根原発再稼働。大事故が起こったら日本政府も自民党も電力会社も誰も責任を取らないのに。鼻先の馬は必死、目先のジジイ・オヤジは「一代主義」の「お主も悪よのう」福島原発事故でまき散らされた放射能はしばらくしてドイツでも観測されたそうですし、海洋汚染もアメリカに到達しています。
推進派はともかく、世界からはニッポソの核お津木野宇佐儀大日本帝国のおかしたたくさんの過ちの一つ、太平洋戦争の開戦。(1941年12月8日、真珠湾爆撃)No titleそして、南京と・だけでない「蝗軍」の蛮行…
「ゴメンで済んだら警察いらん」と言いますが、まだきちんと「ゴメン」も済ませていないニッポソ…
いつになったらアジア全土で津木野宇佐儀論外取締役デマ工作についての最初のぬるい謝罪を批判されてやっと「沖縄の方々」に謝罪した弘兼憲史と講談社。しかし、まだ問題は残っています。 @morningmanga @KODANSHA_JP講談社は滅ぼされて然るべき理由を自分で作っている一つ
ワニブックスを買収したこと。私としては「アイドルのグラビア雑誌などの収入でヘイト本を作っている」扱いなので「やっちまった」という感があります。
新書は「石しアンドリュー・バルトフェルド1937年12月13日は大日本帝国軍による南京占領の日。南京虐殺の蛮行の歴史を忘れず、犠牲者を悼み、蛮行を繰り返さないと誓う。8月6日と8月9日に原爆被害を思い出すように。12月13日は聖ルチアの記念日でもある。イタリアの歌謡でサンタ・ルチアとして歌われるシラクサのルチアの記念日は、西欧では12月13日とされています。ルチアは生涯を神に仕えることを決意し、自分の財産を貧しいTakeshi1937年12月13日は大日本帝国軍による南京占領の日。南京虐殺の蛮行の歴史を忘れず、犠牲者を悼み、蛮行を繰り返さないと誓う。8月6日と8月9日に原爆被害を思い出すように。2024年12月13日は南京大虐殺から87年2024年12月13日は、南京大虐殺から87年を迎えます。日本人学校の生徒が殺害される事件が起こり、かなり緊張感が高まっているようです。今の中国では大学を卒業しても希望しTakeshi