はてなキーワード: 勝ち組とは
中国がアメリカのモデル蒸留してOSSにしてくれてるけど、それもいつまで続くか分からんし。
アメリカ企業もモデルの公開やめて、外交にAI使わせてやる権利加え始めたらどうなっちまうんだろうな。
結局、中国よりもアメリカの方がAI開発早いらしいしな。マシンパワーに勝てないんだってな。蒸留技術やモデルの小型化はできても性能で勝てない。国産グラボ作ろうとしてるけど、nvidiaの方が圧倒的に強いから国産グラボ使わないらしいし。
AIAIとこの数年とてもうるさい。
今後の世の中で、これがどんどん浸透していくものだってことはもう多分間違いがない。
それは認めたうえでも「面白くない」という感情は捨てられない。
人を切れる、人を使わなくてすむ、やれることのスケールが上がる、
いわゆる偉い人たちほど黄ばんだアイコンで、ジェンスパークで作ったクソみたいなスライドにi2iで作ったクソみたいな絵を付けてキャッキャしている。
ここのクオリティに対してクソだな~って思えているのも多分今だけで、多分そのうち俺がやるよりいい感じになるのだろうと思う。だから人が切れることに喜ぶ経営者の姿は何も責められるようなことではないのだろう。
今まで甘言で引き止めていたにしたって、経営者は本質的には人のことをコストとしてみなしていて、それを切れることは庶民の家賃が半額になるくらいは多分嬉しいんだろうから。
でももっと厳しいのは、AIの強みはおそらくスケール感で、個人で出来ることが1→100仮になるとしたら、100人いるところが10000になる(多少は減算するだろうけど)ところだと思う。
だから「勝ち組」に「今いる」ことでしか今後の希望はないように思う。
今まで、企業でやるには採算が取れない10を個人や零細としてオールインしてどうにかなるかも…みたいな戦略を取っていた場合、もう希望なんてない。
メモリをはじめ機材の値段も上がる、電気代も上がる、雇用も減る、趣味の世界の景色も変えてくる
金持ちがより金持ちになることを喜んでいる姿がものすごく目にはいる。
これでどうしてこのテクノロジーを好きになれるのだろうか。
権利がどうこうとか、クリエイティブのクオリティがとか、そんなことは正直どうでもいい。
ただただ、自分の世界を一段階つまらなくさせて、職も希望を失わせた。このテクノロジーのことを好きになるのはなかなか難しい。
無敵ではないからまだもがくしこれは自分がやるって意味の殺害予告でもなんでもないけれど、自分みたいなのは多分世の中にはいっぱいいるはず。
そうなった時に、多分、こういう時に無邪気にはしゃいでいる黄ばんだアイコンの経営者に対して一矢報いたいと考えてしまう人もいるんじゃないだろうかと思う。
お行儀よくはしゃぐ、適宜庶民に寄り添う姿勢を見せる、そういうのは政治家なんかより成金の皆さんにこそ意識してもらいたいなと思う。嫌いな人たちでも無敵の人に刺されるのを見るのは嫌だなぁと思うから。
いわゆるブレス・オブリージュとか納税とかパンとサーカスとか、なんかそういうのは、自分の身を護る振る舞いなんだとオモウよ。
こういうのが気の利いたジョークだと信じてる手合いは、はてなならではだな。
遺族側は「真実を伝える」という名目の元、活動家側やメディアを非難するnoteを連載している
それ自体は良いとして、被害者の生前の生活描写などで「私達は勝ち組の上級国民である」ことを自慢する記述が目立ち始めている
つまり、ブルジョアとプロレタリアの対立構造、かつブルジョア側がプロレタリア側を攻撃する構造が出来始めている
こうなると世間の支持方向は変わり始める。いままでは遺族側に同情的だったが昨日のnoteには違和感を持つ人もXなどでちらほら見かける
まだ遺族側は発信を続けるだろうが、今のスタンスを続けると夏までには世間から総スカンとまでは行かなくても、生活が苦しい氷河期世代や子なし夫婦層などから一斉に非難を浴びる状況になりかねない。それまでに共産党や社民党や沖縄主要メディアが追加の墓穴を掘らないことが条件だが
こういうのは大陸系かな?
kyoshiro-1 私はあのnoteの内容を疑ってるパターン。自分のガキが死んで大変な時に火種を撒くとかなかなかネジ飛んでる。
遺族側は「真実を伝える」という名目の元、活動家側やメディアを非難するnoteを連載している
それ自体は良いとして、被害者の生前の生活描写などで「私達は勝ち組の上級国民である」ことを自慢する記述が目立ち始めている
つまり、ブルジョアとプロレタリアの対立構造、かつブルジョア側がプロレタリア側を攻撃する構造が出来始めている
こうなると世間の支持方向は変わり始める。いままでは遺族側に同情的だったが昨日のnoteには違和感を持つ人もXなどでちらほら見かける
まだ遺族側は発信を続けるだろうが、今のスタンスを続けると夏までには世間から総スカンとまでは行かなくても、生活が苦しい氷河期世代や子なし夫婦層などから一斉に非難を浴びる状況になりかねない。それまでに共産党や社民党や沖縄主要メディアが追加の墓穴を掘らないことが条件だが
やはりね、女性は『義理と人情』が明らかに薄くて、ただ生き残ろうとする生存本能の鬼なんだよ。
つまり、すべての関係に切り取り線があって、過去の友情と愛情はゴミ箱へ。
簡単な話、友達でも恋人でも就職先でも、今所属している群れ以外は……アウトオブ眼中ってこと。
しかも女性の特徴として、『感情のタイムトラベル』機能があって、脳みそがメビウス構造――、過去の思い出をねじ曲げるプロフェッショナル。
なので、貧乏とか失恋とか彼氏がモラハラとか、現在進行形で浮かばれない日々なんかだと、時をかける少女よろしく、今この瞬間のイライラが時空を超えてゆく。
その結果、「実はアイツら敵だったな!」って記憶の錯誤がはじまって、仁義なき戦いのモードになるんだよ。
すると、「昔の友達を週刊文春に売ってやろっ!」とか、「元カレの秘密情報をコレコレに流してやる!」とか、「BeRealのスクショで炎上させてやる!」とか、こうした暴露爆弾を爆発させるんだよね。
BeRealって間接自慢の究極形態だといえる。
『なんてことのない日々』に見せかけた『大手企業勤めの勝ち組なアタシ』を見せつけるにはうってつけのアプリ。
古今東西、「俺様サイコー!」「私は特別な存在!」だと叫びたいのが、若者の特徴だからね。
しかも現代社会は、あれをやれば叩かれる、これをやっても叩かれるという時代ゆえに、「退屈な日常でつれー」「毎日大変ですよ(笑)」という予防線を張りながら、ちやほやされたいドパガキがあふれている。
つまり、そんなZ世代α世代特有の脳みそを、おもっきりハイジャックしてくるのがBeRealというアプリなんだよね。
ちなみに僕なんかだと、かつては時給641円で働き……否、それさえ続かずに軽く100社以上のバックレを繰り返し、消費者金融でお金を借りまくり、ひきこもりニートの暮らし――こんな若年時代を生きていたから、そんな日々にBeRealがあっても発信することは99.9%なかっただろうね。
なんたってあの頃は、地元の知り合いに見つかるのが怖くて、まるでセルフ指名手配犯のように、「誰も僕を探さないでくれ!」と各地各所を転々とし、逃げるように生きていたからだ。
その点を踏まえると、『中途半端によくできた人生』を送っている若者ほど、「自己顕示欲うぎゃぁ~~~~!」ってBeRealの罠に引っかかって、今回みたいな大炎上を起こしやすそう!
さらにドロドロした話、女の子ってよっぽどのキャリア組/子育て組でない限り、男と比べて『圧倒的に暇している存在』なのではないか?
フリーター墜ちして男の部屋に転がり込む、家事手伝いでぼ~っとする日々、満たされない専業主婦、待機時間の長い夜職、お菓子をバリボリと食べる事務職。
であるから、ありあまる空き時間に、過去のムカつきを脳で転がしたり、敵認定した相手のスクショを撮りまくったり、妬みそねみの感情をぐつぐつと煮えたぎらせたりで、やべぇクリーチャー化してゆくのだ。
日本社会において、女性主導のBL(ボーイズラブ)文化は巨大市場を形成し、性的表現の自由をめぐる議論を長年続けてきた。しかし、その根底にある「BL無罪」という思想は、深刻な人権問題をはらんでいる。
「BL無罪」とは、主に女性の性的ファンタジーとして描かれる男性同士の恋愛・性愛表現(やおい・BL)を、
として無条件に擁護する立場を指す。対して、男性向け表現(萌え絵、異性間エロなど)や現実のゲイ表象への批判は厳しく行われる。この性別による二重基準こそが問題の本質である。
• 「ゲイの経験を勝手に商品化・美化・ステレオタイプ化するな」
• 「表象の横奪だ」
• 「女性のファンタジー空間に口出しするな」という反論に対し、ゲイ側は「現実の多様性や苦悩を無視した消費」を問題視した。
現在、商業BL市場は180〜200億円規模(同人含め300億円超)と推定され、年間1,400冊以上の新刊が刊行される。一方、ゲイ向け商業雑誌はほぼ壊滅状態だ。老舗誌が次々と廃刊し、当事者による自己表象の場が激減した。女性消費者主導の巨大資本が、ゲイ表象を「イケメン同士のエロティックファンタジー」として独占的に消費する構造が定着したのである。
特に悪質なのは、弱い立場のマイノリティを対象化している点だ。BLの定番テンプレートである「強い攻め×弱い受け」の力関係・歪んだ支配関係は、現実のジャニーズ性加害事件(権力者による脆弱な少年の搾取)と構造的に重なる部分が多い。それを知りながら、または薄々気づきながら「女の欲望の自由だろ!」と擁護する姿勢は、傲慢そのものだ。
この問題を象徴するのが、東京大学大学院情報学環教授・田中東子氏である。公的立場では、宇崎ちゃん献血ポスターなどの女性モノ化を「ジェンダー規範の再生産」として批判し、表現規制的な議論を展開。一方で、黒澤多香子名義で脅迫・SM・心理支配を主題とした過激BL作品を商業出版していたことが2024年に暴露された。
• 男性のモノ化(特に歪んだ支配関係) → 正義・性的主体性
東大教授という公的権威を背景にこうした二重基準を提示することは、知的誠実性を大きく損なう行為だ。
日本国憲法第14条は明確に定めている。
「女性の性的ファンタジーだから無罪」という主張は、生まれ持った性別を基準に表現の許容度や道徳的価値を分ける属性差別である。表現の自由(憲法21条)も、人権も、性別フィルターをかけるべきではない。最高学府の教授がこれを繰り返すことは、人権侵害的主張を公的に容認するに等しい。
BL市場の拡大は女性消費者の満足度を高める一方で、ゲイ当事者の疎外感、一般男性への表現規制圧力、社会的分断を増大させている。性別で「勝ち組/負け組」を決めるゼロサム的論理だ。
「BL無罪」というスローガンは、表面的には「表現の自由」を掲げながら、実際には人間の尊厳を性別で二分する。 弱い立場の男性マイノリティの経験をファンタジーとして食い物にし、その苦痛を「ほっといてください」で片付ける構造は、人権の選択的擁護といえる。
というわけだ。
真の平等とは、性別問わずオブジェクト化の害・表象の権利・表現の自由を同じ基準で評価することである。最高学府が性別ダブルスタンダードを擁護し続ける現状は、看過できない人権問題である。