《再掲》ジョイントモデルの誕生

2012年4月10日投稿の再掲載です。




ジョイントモデルの誕生
 
 
前回述べたように、バンダイ模型は1974年末から1975年春季にかけて以下の4種のロボットプラモデルを発売しました。
 
  1.グレートマジンガー/ゲッターロボ秘密基地
  2.スーパートレーラー
  3.DXモデル
  4.モデルボーグ
 

これらはいずれもそれ以前のロボットプラモとはやや異なる要素で構成されています。
そうした変化の背景として、ポピーの超合金やジャンボマシンダーの大ヒットの影響があったのではないかと思われます。
 

そしてバンダイ模型は1975年度春季新番組の製品化を迎えます。
画像はその時期のカタログですが、この時点ではゲッタードラゴンとゲッターライガーのDXモデルの発売が予告されています。
追記…ライディーンにもDXモデルの発売予定がありました(予価600円)。
 
価格帯とキャラクター選定の一致から、このDXモデルの企画がジョイントモデルに変更された可能性が考えられます。
あるいはジョイントモデルがあらたに立ち上がったため、DXモデルは休止されたのかもしれません。
いずれにせよこのあたりがジョイントモデルの誕生時期のようですが、その企画はどのように成立したのでしょうか。
 

電撃ホビーマガジン(アスキー・メディアワークス)の2010年3月号にて、当時のバンダイ模型関係者の談話として「ジョイントモデルは超合金への対抗策だった」と端的に述べられています。
同誌にはこれ以上の情報はないのですが、当時の状況をもう少し詳しく考えてみます。
 
過去記事でも触れましたが、バンダイ模型とポピーはほぼ同時期にバンダイ本社から独立したグループ企業です。
バンダイ模型内部ではスケールモデルメーカー志向が強かったそうですが、一方でキャラクターモデルに関しては、同じ作品をもとに製品を作る点でポピーとはライバル関係になります。
 
当初のバンダイ模型のキャラクターロボットプラモデルは昭和30年代のブリキ玩具のような旧態依然としたものでした。
スケールモデル志向の強いバンダイ模型にとってキャラクターロボットは「しょせんは絵空事にすぎない、現実との接点の無いもの」であり、積極的な商品開発の動機はなかったのかもしれません。
 
それでも作品自体の人気によってマジンガーZやゲッターロボのプラモデルはよく売れています。
当時の模型小売店業界主催のモデル大賞において、最もよく売れた商品シリーズに贈られるプロフィット賞は、1973年マジンガーZ,1974年ゲッターロボとゼロテスターとなっています。(*)
   

ただし1973年夏季のジャンボマシンダーと1974年2月の超合金の発売によって、状況は大きく変化していきます。
ジャンボマシンダーと超合金の大ヒットはキャラクターロボットのみならず男児向けキャラクター商品全体を根底から変革するような規模になっていきます。
その勢いはグレートマジンガーが登場してマジンガーブームが2年目に入っても衰えることは無く、一過性のブームで終わらずに業界のあらたなスタンダードとして定着しようとしていました。 
 
ここに至ってバンダイ模型もこうした情勢変化に対応せざるを得なくなり、キャラクターロボットプラモデルの新しいかたちを模索し始めます。
その具体的な表れが前回取り上げた4シリーズでした。
こうした『超合金への対抗策』の結実がジョイントモデルだったと考えられます。
 
 (*)余談ですがプロフィット賞の1972年は仮面ライダー、1975年は合体マッハバロン、1976年は ロボダッチとなっています。一部模型関連ライターによる記事には『1970年代中盤にはキャラクタープラモは衰退して風前の灯だった』というような記述がよく見られますが、プロフィット賞の履歴と照合するとこれらは主観的な思い込みによる、正確さに欠けた認識ということがわかります。
   

以上のような状況認識を踏まえると、バンダイ模型がDXモデルを継続しなかった理由は、根拠はないものの以下のように想像できそうに思います。
 

DXモデルの特徴はメッキによる金属感、オモリによる重量感、パンチ発射というもので、これらはすべて超合金の模倣になっています。
そして本物の金属の質感・重量感やパンチギミックの確実性、脚部可動などを持つ本家超合金の方があらゆる面で優れています。
 
こうしたことを考えると、
 
  異なるジャンルのヒット商品を模倣してもオリジナルの代用品以上にはならない、
  ましてそれがライバルの作り出した製品の模倣ならば積極的には継続したくない
 
DXモデルが休止された理由はおおむねこのあたりにあったと想像できるのではないでしょうか。
 


 
次に、ジョイントモデルがどのように立ち上がったのかを考えてみます。
ジョイントモデルの特徴を確認しておくと、以下の4点です。
 
  1.設定通りの形状再現(ギミックによる制約を受けない)
  2.各関節の可動
  3.接着剤不要の組み立て
  4.ある程度色分け済み
 
これらのうち1、3、4の要素は他社を含む先行製品にも見られるものです。
ジョイントモデル最大の特徴は2の関節可動ということになります。
 
 

前回触れた通り、バンダイ模型はモデルボーグでキャラクターロボットプラモの関節可動を試みています。
ただしそれは可動域や耐久性の点で問題が多く、まだ完成度の低いものでした。
モデルボーグの持つ複雑さ・多重性を整理して 構造を単純化し、DXモデルの価格帯におさめることで児童の買いやすさを併せ持ったのがジョイントモデルと考えられます。

ジョイントモデルがムク成型のパーツを多用してプラモデルよりも玩具に近い壊れにくさをもっているのは、モデルボーグでの壊れやすさに対応した結果なのかもしれません。
  
そしてジョイントモデルが安定した可動と耐久性を実現できたポイントとなったのが、専用のジョイントパーツの開発です。
 

ジョイントモデルに採用されたジョイントパーツは、やや弾性のあるプラと塩ビの中間のような材質を金属のハトメで固定する構造になっています。
このジョイントパーツを関節として各パーツをつなぎ合わせるだけで、自由に動いて壊れにくいロボットになります。
 

 
 ジョイントパーツがジョイントモデル成立の要点であり、パッケージでも売りとして強調されています。
では、バンダイ模型はどのような発想でこのジョイントパーツの開発に至ったのでしょうか。
 


ここで注目されるのがタカラのミクロマンです。
ミクロマンはジョイントモデルの1年ほど前、1974年7月に発売されました。
当初は雑誌やテレビでの広告展開が行われなかったにも関わらず児童に急速に普及して人気玩具になっています。
同年の年末商戦には早くも大型商品のタワー基地M-115も登場しており、超合金などのライバルとして順調に売り上げを伸ばしていたことがわかります。
 
ミクロマン開発担当の小川岩吉氏はビクトリー伝説(徳間書店1999)のインタビューにおいて、次のような内容を語っています。
 
  ミクロマンでいちばん問題だったのは関節部分だった。
  いろいろ試行錯誤したがうまくいかず、ある時小型の折り尺(折りたたみ式の定規)に使われている
  2ミリ径のビスに気づいて、それをヒントに短いビスを特注してようやく関節ができた。(要約)
 
この談話のポイントは、関節開発のヒントが折り尺だったという部分です。
言い換えると、玩具や模型などの近接ジャンルには参考になるような先行製品が存在しなかったということを意味しています。
 

モデルボーグでタカラの変身サイボーグの影響を強く受けていたバンダイ模型は、その後継シリーズとして人気を集めていたミクロマンも当然チェックしていたと思われます。
ジョイントモデルのハトメ関節をミクロマンと比較してみましょう。
 

 
金属パーツの形状は異なりますが、サイズと基本構造はよく似ています。
ミクロマン開発時にはこれほど小さい関節構造を持つ先行品は存在しなかった(だからこそ開発に苦労した)という事実からすると、ジョイントモデルのハトメジョイントはミクロマンをヒントに、その影響下に開発されたと考えるのが妥当だと思います。
 
そしてそのハトメジョイントは1976年にはさらにボールジョイントに刷新されますが、そこにもタカラのマグネモ・鋼鉄ジーグの影響が垣間見えるのは興味深い点です。(詳しくはこちら
 
また、ジョイントガイキングとコンバトラーVのデラックスセットはジョイントモデルをF1カーに乗せるというおかしな構成になっていますが、そもそもの出発点がミクロマンにあったとすれば「可動人形+乗り物」という組み合わせはむしろ必然だったと考えることができます。
 

 
 
 
金属感・重量感・パンチ発射という超合金の要素からはむしろ距離を置き、可動性能の一点に絞って超合金とは異なる魅力を持つロボットプラモを目指す。
安定した関節可動実現のためにミクロマンの関節構造に着目し、それを参考に関節自体をパーツ化して全身に実装するという独自の発想。
 
ジョイントモデルはこのような開発経緯で誕生したのではないでしょうか。
 
 

 
 

 
当ブログでは、ジョイントモデルの成り立ちはおおむね以上のようなものだったのではないかと想像しています。
ただし多くの部分が資料の裏付けのない推測ですので、どの程度事実に即しているのかはわかりません。
 
 
キャラクタープラモデルの歴史を扱う書籍などで、ジョイントモデルはしばしば「のちのガンプラにつながる関節可動プラモの元祖」などと紹介されることがあります。
しかしそうした可動プラモが誕生した背景やハトメからボールジョイントへの進化などについて詳述されている例は見た記憶がありません。
 
キャラクターロボットプラモデルの進化を考える時、ジョイントモデルとその前後のバンダイ模型プラモデルには注目すべき多様な要素が含まれていると思います。
こうした部分への詳しい取材と情報の公開が行われるよう願っています。
 
 

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