(東洋社、明治34年)、『生活の詩化――紅葉から桜花へ』(洵文社、昭和6年)、ほか。
昭和7年1月24日死去。
⦅歿年記載⦆:
『東京美術学校校友会会員名簿』(昭和10年12月)28頁下段。
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だよ』と随喜してゐたのであつたが、〉
速水不染『貧死のドン底から家主となるまで』(速水不染全集第1巻)染山閣、昭和5年7月。
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速水不染(1874-1932):画家、美術教師、文筆家。明治7年大分県別府に生る。明治36年7月、東京美術学校西洋画科卒。
著書、『閨秀画家経歴談』
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つきさうになつたこともあつた。其れで秋聲君に
『君は一所にゐるのだから、何とか言つて、十日に一度位はお湯へも行やうに忠告してやつたら何うだ。此の陽気ぢや花見虱が襟元からゾロゾロ蔔い出して来るよ』と言ふと、ニキビだらけの刳くれた顔に黄色い声して、
『ナニ其所が三島君の三島君たる貴い所
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は三島霜川君と一緒に、本郷の彌生町にハウスを持つて自炊してゐた頃など霜川君は、十年目に牢屋から出て来たやうな百日鬘して、鬚茫々の真ツ黒い顔、両手の爪も垢だらけに長く伸ばし、其の手で研いだ飯を自慢に
『喰つて行かないか、喰つて行かないか』を定められてゐたので、僕は毎度ウス穢なく反吐
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【身汚い三島霜川、ニキビ面の徳田秋聲】
〈当時、徳田秋聲君は、牛込は筑土の太田と言つて、僕の保証人の家へ下宿してゐたので知合となり、其れから徳田君が創作の、主人公にもなつてやつたり、我々美術家のテクニカル、タームなどを教へて遣つて神楽坂を驕らせたり、などしてゐたが、其の後、徳田君
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Author:亀井麻美
kamei asami
德田秋聲,徳田秋声,德田秋声
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