(『三百人の作家』五月書房、昭和34年)。
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この人、「水ぎわの家」の女将(柘植そよ)を秋聲と一穂とが奪い合ったなどと書いていて(96頁)、筆が滑りがちなところが気になりますが、上記引用の記述は概ね信用できると思います。
02-13 17:24
いっさい抜きにして、
「君、順子は悪い女じゃない。あれは誤解されていて、可哀そうだ」
と、いきなり自分の愛人について熱心に語りだすというふうであった。徳田秋聲は、山田順子を決して順(じゅん)子とは呼ばずに順(ゆき)子とかならず呼んでいた〉間宮茂輔「明治の作家たち」
02-13 17:10
【ジュンコでなくユキコ】
〈謹直そのもののような島崎藤村にくらべると、徳田秋声は地方出身(金沢)でありながら、そして地味ではあるが、垢抜けがしており、都会的というのともちがう意味で身ごなしも洗練されていた。しかもじつに正直で、飾り気がなく、本郷の通りなどで出会うと、暑い寒いも
02-13 17:09
東洋文化協会、昭和34年)
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徳田一穂の言葉からは面従腹背の心情も仄見えますね。
02-13 17:05
柳田泉の両君。後世にに伝うべき作品を文報にて選定するためなりと。後世に伝うべき作品を文報が選定するとは少々おかしな話なれどもそういう事は口に出してはいけないことになっているのだと同会の徳田一穂君笑いながら予に私語す」
広津和郎「戦時日記」(「広津和郎著作集」 第3巻
02-13 17:04
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さて明治大正文学研究会がどのようなものであったか、その一端を窺える記述が広津和郎「戦時日記」にあるので以下に引いておきます。
「昭和19年9月5日(火、晴)
今日は先考柳浪の作品研究会が日本文学報国会であるというので、初めて文報に行く。会せしもの僅に宇野浩二、
02-13 17:02
【文報の明治大正文学研究会】
『青野季吉日記』(河出書房新社、昭和39年)の昭和19年11月7日条に次のような記述があります。
「正午頃渋谷から虎の門に向ふ。文報〔引用註:文学報国会〕の明治大正文学研究会に出るためだ」
「室中で徳田一穂、岡田〔三郎〕、豊田〔三郎〕などと雑談」
02-13 17:02
Author:亀井麻美
kamei asami
德田秋聲,徳田秋声,德田秋声
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