「コリキのキノメン、メンパクにドクしてゐます」
は初めは何のこっちゃ?でしたが、読点の後ろが「面白く読んでいます」のことだとわかったので、本だ、長田幹彦の本かしら思ったけど、該当しそうなものがなく、ああ、コリキじゃなくコッキかも、谷崎だ、と判りました。
でも、ほんま腹立つ手紙やわ😥
03-24 21:14
ニシヅルナサケバナシ〔西鶴情話〕書ですか。
(中略)
コリキ〔谷崎(潤一郎)※2〕のキノメン〔鬼の面〕、メンパク〔面白〕にドク〔読〕してゐます。
【註】
※1 どの柳田が観戦していたかは不詳。国男か。
※2 谷崎の『鬼の面』は1月15日から「東京朝日新聞」に連載された。
03-24 20:54
(近松秋江、長田幹彦宛書簡(大正5年1月18日)続き)
その後何処へも不行。昨十七日は久振に外出。上院傍聴(一人にて)午后は電車で両国に廻り 相撲を見です。リュウデン〔柳田※1〕氏毎日続行。夏目〔漱石〕氏 友人の中村是公氏の桟敷に毎日欠かさず続行。
京都の模様お洩らし下され度候。
03-24 20:53
@tonton1965 実際に前田晁は鰶生(か鮗生だったか今確認できませんが)のペンネームで「文章世界」に文芸月評を書いていました。
徳田秋聲の『絶望』評(明治40年12月)、『二老婆』評(明治41年4月)などもそうですね。
03-24 14:25
@tonton1965 〈鰶生の名を以てしてゐた、前田〔晁〕氏の「文章世界」の月評欄に〉
近松秋江「『別れた妻』を出した頃の文壇」(「文章倶楽部」大正15年7月)
前田晁の号が木城だから、鰶(このしろ)なのでは。
03-24 13:34
吉井をトロセイと読むのは吉原遊廓をトロゲンと言うのと同じ方式ですね。近松秋江だけが吉井をそう呼んだ訳でなく、
吉井勇はトロセイ・マダン〔土ロ井(セイ)・マ男(ダン)〕、
久保田万太郎はキューホーデン・ヨロズフトイラッコ、またはキュウホデン・ヨロズフトリラッコ
とも呼ばれたそうです。
03-24 11:57
秋江は5月19日夕方、滞在中の大金から一時帰京していた秋聲と歌舞伎座でばったり合い、一緒に観劇して、そのあと秋聲と大金へ行き、そこで島田の件を聞きました。島田は15日頃から大金に来合わせ、花髀遊びに興じた後、強姦未遂事件を起こし、一足先に引揚げたとのこと。色々と問題を起こす人ですね。
03-24 11:36
【島田清次郎の強姦未遂】
「島田清次郎は又、柔術の手にて、例の、私に付き添ひしお浪といふメナカ(引用註:女中)を強姦せんとして、大問題となり、秋声氏の口利きにて、大金の方でも沙汰止みにせしよし。島田は直ちに引揚げかへりしよし。」
近松秋江、長田幹彦宛書簡(葉書)大正10年5月22日。
03-24 00:24
Author:亀井麻美
kamei asami
德田秋聲,徳田秋声,德田秋声
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