はてなキーワード: いものとは
最初クーポンサイトの話を聞いたときはいいアイデアだと思ったが、「儲かる」と聞いて変な気がした。
本当に大幅な割引クーポンはユーザーにとても魅力がある。しかしその魅力の源泉は店舗の持ち出しだ。
お得な情報が欲しいユーザーと割引で損をしてでも店のことを知ってほしい店舗。そしてそれに介在する広告業者。
もしIT屋ならこう考えるだろう「このニーズのギャップにはマッチングが必要だ、そしてそれをとんでもなく超低コストで実現するのがITだ」と
つまり10年前ならおそらく「閲覧は当然掲載も無料で格安クーポンを紹介するサイト」になったはず。
そして軌道に乗ったところで収益を考えて掲載にほんのちょびっと手数料を乗せるようになるだろう。何しろ効率の高さがITの身上なのだ。
某SNSの株式上場のとき某SNSは有望だから株を買いなさい、だれでも儲かりますよと吹聴してる連中がいた。
幹事証券に群がる連中や会計士、経済紙を名乗るちんどん屋まで提灯ふくらまして騒いでいた。
さて、結果どうだったのか。
目論見では確かな人脈と口コミで広告収入で業績ウハウハの超高値の株を買っても株主もウハウハだったはずだ。
今は無料と称するゲームで子供から小銭まきあげてるんじゃなかったっけ。
ごく単純に儲け話を他人なんかにタダで持ってくるほうがおかしい。
FacebookもGrouponのIPOもそんな連中のババ抜きの匂いがプンプンする。
いや、事業にはそれなりの意義があると思うよ、実際。mixiだってサービス自体は定着してるし。
でもニヤついた詐欺師が何割かまともなこと言ったって信じるに値しないよね。
朝三暮四をとっかえひっかえ要するに本気でやれば本来の利益構造なんかいくらでも外から見えなくできる。
いや、いいアイデアだ。
みんな何かお得なものを探してる。「お得」ってのは一時的な割引のことなんかじゃあない。
いつだって新しい、何かより良いものを探しているのだ。おいしくて感じのいいレストランを見つけていきつけにしたいよね。
ところが新しい商品やサービスはリスキーだ。高い商品を試して失敗だった時の落胆は誰にでも覚えがある。
でも自慢の商品を試してもらいたい会社は多少赤字が出たって試してもらって顧客になってもらいたいと思ったりする。
そこで安くしますから試してくださいよと言われたらどうだろう。
探索のリスクが軽減され、みんなまたいろいろ試してみようって気がしてくる。新陳代謝が起こり経済は活発になる。
で、○○ポンは新しいビジネスなんだからもっと上手く人の役に立つんだよね?
端的に言えば手数料をもっとずーっとゼロに近づけられるよね?それがITだよね?
そのビジネスが優良かどうか。
それはその商売人が信用できるかどうかなんだと思うよ。
しばしば黒い感情に苛まれることがある。
嫉妬だったり、不安だったり、あるいは色んな感情が複合しすぎていて何を悩んでいるか分からない時もあるが、
とにかくそういった幸福ではない感情が渦巻いてる時、胸のあたりに重くつっかえるような感覚がする。
これをどう解消するか。
人に聞いてもらうというのは手っ取り早くかなり効率的な方法だと思う。
言語化することによって自然悩んでいる内容を整理して原因を再確認できるし、相手の反応も悩み解決の判断材料にできる。
共感してもらえたりアドバイスをしてもらえるだけで、ずいぶんすっきりするものだ。
しかし愚痴を聞いてもらうという行為は、聞き手にこの黒い感情を分け持ってもらうことでもある。
こう思うのは、自分が聞き手の立場に回ったときそう感じるからだ。
相手の話に人事とはいえ少なからず心は痛めるし、コンディションによって受け流しきれない時もある。
最終的に、話し手がすこし気が楽になった分、今度は聞き手がすこし心を病む。黒い感情をもつ。まどか☆マギカの魔法少女システムの小規模版ぽい。
ツイッターでもTLに結構な頻度でネガティブツイートが現れるので、それらを目にしては自分の心が疲れるのを感じる。
こう思うこともあって、自分はなかなか人に気軽に愚痴を言ったりできないし、ツイッターでもネガティブツイートはしないことにしている。
だからこそ、胸のあたりがもやもやっとしたとき、これをどうしたものかなと考える。
愚痴るより手っ取り早い解消方法で人様に迷惑をかけない方法はないものだろうか。こう書きながら、匿名での発散はひとつの手段かもしれないと思った。この日記にしかり、某掲示板にしかり。誰かに不快な思いはさせるかもしれないけど、そのことに大して自分が責任を負わなきゃいけないというプレッシャーを持たなくていいから、それがいいかどうかは別として、まあそりゃあ気は楽だ。
この文章を打ちながらもとりたてて他にいい解消方法が考えつかなかったので、やっぱり、愚痴を聞いてくれる相手に感謝し、最後に聞いてくれてありがとうと伝えることが一番建設的かもしれない。
愚痴を聞かされて多少嫌な気持ちになっても、最後にありがとうと言ってもらえれば、まあいいか、ひとついいことをした、と思えるような気がするから。
そうだよ。
積極的に排除する必要はないけど、生きる力のないものをわざわざ生かす必要はないと思うね。
「滅ぼす」じゃなくて「廃れる」って書いたんだけども、理解できなかった?
まあここから先は趣旨が逸れるけど、そういう意味において死にたいっていう人を助ける必要もないし、募金とかもする必要ないよね。
被災地を助けるのはまあ建前みたいなものでしょ。面倒事が増えて迷惑な客人だよ、と思ってる官僚は多いと思うよ。
いや、うるさい人間があと一万人ほど死んでくれれば、やりやすくなったなあと嘆いているかな?
えぇえぇ、そうでしょうとも。
この世を構成するべきは、世の中に素晴らしいものを残せる人たちだけで十分ですものね。
それ以外は、クソでゴミww
突っ込みだけ入れていくよ。
おそらく、デッサンのモチーフとして漫画に生かせないものを使っちゃっているんじゃないかと思う。
どういった漫画が書きたいかにもよるんだけど、書きたいモチーフに近いものを模写したほうが漫画に生かせる。
中世ファンタジー書きたかったら、映画のコマをキャプチャーして模写とかな。
2、人体の仕組みを理解する
動きに説得力のある絵を描きたいのであれば、
正直、人間に無い動きをさせるのでないかぎり、映像見たほうがいいかもしれない。
服とか結構な種類あるし。
これは不味い方向性。
自分がゼロから書いたほうを楽しく、頼もしく思っていかないと、ゼロから書かなくなければいけない時につらくなってくる。
完全模写なら発表しないほうがいい。
そこから判断されるのって、複写が上手いか下手かであって、絵を描くのが上手い下手って判断をしてもらえないから。
その人の絵柄で、他のポーズを取らせるとかしたものなら、その人の絵の理解度+それを絵に出来るスキルを見てもらえるし、批判は少なくなる。
その人の絵柄を覚えるまで模写するのはいいことだけど、それを他人に見せちゃ駄目だ。
あくまで他人に見せていいのは、お前さんの絵だけなんよ。
仕事の締め切りが1日延びたので元増田に今日中に返信できるのが嬉しい
どうも考えが噛みあわないと思ったら
元増田は「罪にも許しを与えるべき」という価値観の持ち主なわけですね。
私は「因果応報」という考え方に近い
その後、改心してどんな良い事をしても社会的に許されない許しちゃいけない事件ってあると思う
「一生の恥」として背負って再び同じ過ちをしないために忘れてはならない
それが法律で裁かれない人が代わりに一生背負わなきゃいけない「罪と罰」
そういう罪を許せるのは、「神様」だけ。そして現代社会では「神は死んだ」
>自分はレイパーにレイプされたんだから別のレイパーをレイプしていいってことにはならないでしょう。
もちろん自分をレイプしたレイパーすら自分はレイプする権利を持たない。
叩いてる人が「人間」ならね。「人間」ならその社会の秩序を守るための理屈は通じるんだ。
だけど「いじめられっ子」は学校では「人間」ではない。「間」を取り上げられた「人(ヒト)」だ。
人は周りとの関係があって初めて「人間」としての扱いを受けられる。「間」が薄いから同じ「人権」ある生き物と
して扱ってもらえないんだよ。「人間」として見てもらえてないから。
環境保護団体のように集団で、「いじめるな」と言っても意味は無い。
なぜなら「いじめっ子」には「いじめられっ子」は鯨程度の生き物にしか見えてないから。
「鯨を狩って何が悪い。これは昔から伝わる伝統文化だ。」程度の感覚。
そうやって、「人間ではない」扱いを受けて文字通り魂をいじめっ子に喰い潰されて社会的に廃人になったら
どうなるか分かりますか。
魂に「鬼」が棲みつくんですよ。そして、「いじめ」のスレが話題となる度に度に全国から「鬼」が出てきて
ネットで「百鬼夜行」を繰り広げて、行列に見つかったら・・・。
という平成の時代に平安時代のオカルトチックな「百鬼夜行=ネット炎上」が起きてる訳です。
子どもや廃人にネット使わせることを社会が認めてる時点でそういうネット中傷止めるのは無理。
人権団体的なものを作るのは難しいと思う。教育やマスコミ関係に「電凸」が関の山。
はてなには「人権活動家」的な人で「人権」「差別」と唱える人は
学校はね、余程の事件じゃないと加害者を転校させたりとかしないんですよ。むしろ、被害者の方が転校したり
行き過ぎた中傷ね。それで廃人の怨念や苦しみが少しでも癒されるなら、いいんじゃないかな。
それで廃人が下を向いて人生立ち止っていたのが、再び歩き出す気力になるのなら
不味いのは「いじめられっ子」がいじめられた過去に立ち止ったままになって
いじめられた過去の時間に閉じ込められて人生の時を止めてしまった子を今まで大勢見てきました
私は昔は「人間」として扱われていた「鬼」達にこう言いたい。
時間が未来に向かって動き出すなら誰かを憎むエネルギーを利用してもいいと思う。
一生許さなくてもいいんだよ。同窓会なんて行かなくてもいい。誰かを激しく憎んでもいいんだよ。
学校に都合の良い良い子ちゃんでいる必要はない。「いじめられる側に問題は無い」
聴く音楽を選ぶときに重要視していることがある。それは曲のストーリー。
歌詞のある曲ならその歌詞がストーリーを形作るし、サントラなら映画なりゲームなりのストーリーがある。
ストーリーの善し悪しがその曲をリピートする回数に繋がることに最近気付き、自分の好きな曲について書かずにはいられなくなったので、増田でオナニーすることにした。結論もなければ考察もない、ただただ好きな曲の好きなストーリーを書き綴るだけの自己満足。これが書けて、しかも不特定多数の人に見てもらえるのが増田のいいところですね。
公園のベンチでうとうとしていたら 母ちゃんに首を絞められる夢を見た 母ちゃんはいつも「いい加減大人になりなさい」と僕に言うけど 安心して下さい 僕はもう彼らの輝きを直視できない ださい大人になれましたよ
今はもう解散してしまった野弧禅という二人組の「少年花火」という曲。野弧禅の曲(のストーリー)の基本プロットは「ろくでもねえ俺だけど頑張ろうと思う、でも頑張れなかったりする。でも頑張るから、、、頑張るから、、、」という感じ。決意表明して、終わり。みたいなダメな野郎の話。「彼ら」とは少年時代の自分たちであったり、暴走族だったりする。「彼ら」のまぶしさを語り、「彼ら」のまぶしさを直視できない自分を語り、
何よりも激しい光で 何よりも激しい爆発音で 何よりも激しいスピードで 何よりも激しく刻み込まれるその一瞬に 少年花火 夏の夜に咲く 少年花火 夏の夜に散る
と続き、曲は終わる。
松本人志が「認められていない才能」として自身の映画に抜擢したのは野弧禅のボーカル。こんな歌詞をかける人間が認められていないのが不思議でもあり、こんな歌詞を書いてしまう人間が認められないのも当たり前か、とも思う。
ここはきっとゴミ箱かな
素人の、あるいは、素人みたいなプロの作った歌詞は一様に陳腐で、よく使われる言葉を並べ替えているものばかりのように思う。母親に感謝しまくりのジャパニーズラップや何かを探しすぎなジャパニーズポップス(洋楽は知らないのでジャパニーズと限定しておく)などが素人みたいなプロの歌詞の代表例。ニコ動であげられている楽曲のほとんどはこれと似た水準で、はいはいよかったね、としか思えないことが多い。よく「歌詞に号泣した」とかの評判のボカロ曲を聴くが、泣いたことはなかった。この泣き虫な俺でも、一度も泣いたことはなかった。
初音ミクの消失も同様で、相当ハードルがあがった状態で聞くことになった。そしていつもの通り陳腐な歌詞が続く。早口で歌わせるのは結構面白いなと思いつつ、まぁいつもの誰でも書ける歌詞だな、と思っていた。
謝らなければなりません。ここはきっとゴミ箱かなという歌詞が、この曲を陳腐でありふれた曲とは明らかに別次元に連れて行っている。不幸にも(?)人格を持ったデータが捨てられていく悲哀をこれほどうまく表現できるのは、作詞者に無二の才能がある証拠だと思う。
僕は夢を描いて 破り捨てては描いて
スガシカオが好きなんだ、というと「歌詞がいいよね」と言われる。もうこれはテンプレみたいにそう言われる。多くの人は「夜空の向こう」を頭に浮かべて、そう言うのだと思う。確かに夜空の向こうは素晴らしい歌詞(ストーリー)を持った名曲だと思う。ただ、スガシカオの紡ぐ優れたストーリーはそれだけではない。彼の楽曲の多くにおいて、優れたストーリーが存在している。
聞いていい? 僕は今 うまくやれていますか?
スガシカオの曲は野弧禅の曲と似たストーリーではあるが、もう少し前向き。後悔もなければ、決意表明もない、ただただ自分が頑張る理由を見つけた、と。夢を描き、それに向かって走っている最中は常に不安と共にある。夢破れても、それでも頑張る理由がある。だから頑張る。そんな曲。
古くからの彼女のファンには残念な現状はさておき、鬼束ちひろも心に残る歌詞を書くことで(僕の中では)定評がある。中でも、わたしとワルツを、は絶対に彼女以外にでは紡げないストーリーではないかと思うくらい、暗く、悲しく、優しい歌だ。
誰にも傷がつかないようにと 一人でなんて踊らないで どうか私とワルツを・・・
この(おそらく)男性は優しいのではないのは明らかだ。少なくとも僕の中で映像化されている「あなた」は優しくない。人に迷惑をかけてしまうかもしれない、という思考から抜け出せない、自信がなく、臆病なだけの男。「わたし」は「あなた」の臆病なところをわかっていて、その弱さに気を遣いつつ、二人でワルツを踊ろうと提案する女性。「わたし」が「あなた」のことを異性として好きなのかどうかはわからないが、好意の有無にかかわらず、「あなた」の弱さに気を遣いつつ、「あなた」の希望を叶えてあげようとする「わたし」の優しさに感動する曲が、「わたしとワルツを」なんだと思う。
書けないよね、この歌詞。
スピッツの歌詞と言えば抽象的なモノが多く、聞き手が勝手なストーリーをこさえる余地を残してくれている。それは嬉しいことでもあり、悲しいことでもある。
この「夏の魔物」が何なのかは諸説あるが、「子供を養うことができない未成年の男女が子供を作ってしまい、中絶しようかとも思ったが、結局生むことにした。でも、流産してしまった」というストーリーにおける「流産してしまった子供」説が最有力。僕もこの説を支持していて、そんなストーリーを想いながら聞くと、泣けてしまう。
会いたかった、が3連呼されている曲は他にもあるが、その奥にある感情の起伏や辛すぎる現実を想起させるこの歌詞は、間違いなく心に残る。
他にも優れた歌詞(ストーリー)をもつ曲はたくさんある。だが今まで聞いてきた曲の数を考えると、やはり希少であることは間違いない。とりあえず、満足したので投稿する。こんな糞文章を読んでくれてありがとうございました。
綺麗だったのかどうかはともかくとして、20代のわたしがまさにその元カノたちと同じだった。
当時わたしのわがままに振り回された男性達からは今、家族写真が印刷された年賀状が届く。
彼の隣で控え目に微笑む奥さんは、かわいらしい赤ん坊を腕に抱いている。
あなたもきっと、この奥さんのような女性なのだろう、と想像する。
少し太った彼の笑顔は、しかし今まで見たことのないような安らぎと寛容に満ちている。
「女とはずいぶん得な生き物だ」
「まあそのうちなんとかなるだろう」
と思っていた。
彼氏もいない。
わたしは、なんともならなかったのだ。
と、今感じている。
慰めのつもりもないし、ただ感じたことを書いているだけなのだけど。
たしかに彼はわたしを綺麗だ、かわいいとたくさんほめてくれた。
でも彼は、わたしを選ばなかった。
わたしたちを踏み台にして、彼はあなたを選んだのだ。
どうか、あなたの長所が得難いものであること、あなたのような存在に憧れて遅すぎる後悔をしている女がここにいることを覚えておいてほしい。
そしてあなたが婚約者にとってかけがえのない存在であることに自信を持って、彼の横に寄り添っていてください。
追記:
ブクマにて「なにそのデリカシーのない元彼」というような意見があるが、元彼たちとはいずれも共通の友人が多くいるのでわたしにだけ年賀状を送らないわけにもいかないという事情があるのではないかと。
確かにひどく傷つく人もいるというのはわかるが、わたしとしては過去を気に病むあまりわたしだけわざわざ別の体裁を準備して送るとかされたら、そっちのほうがよほど気持ち悪い。
別に送らないなら送らないでもいいのだが、送るんならば、奥さんのためにも他の知人と同じ体裁で送るのが当たり前だ。
厨房、工房と学生を馬鹿にする風潮は未だ衰えないが大学生がその範疇から外れているのは何故だろう
成人になる境目にも当たるこの時期、自身が主人公とでも思い込んでいる勘違い野郎が多すぎだ
掲示板でもTwitterでもはてなでも粋がっているのは大抵大学生
「俺は好きじゃないから全然見ない」→「まあ・・・たまには見るけど・・・」
矛盾も多いお年頃
例えば、現在進行形で配偶者から暴力を受けている人に何が出来るだろう
例えば、現在進行形で津波と地震と放射能の被害にあってる人に何が出きるだろう
例えば、例えば、例えば
自分の生得的な問題や、家庭の問題や、人間関係や、知り合った他人や
そういったありきたりな出来事が理由で、臨床の現場に立ちたいと思った
クライアントが中心でも良い
実際に臨床の現場に立って何もできずに終わっても、そこから努力すればいい
そう思っていた
けれど、もしクライアントが現在進行形でその問題と肉薄してるのだったら
部屋から一歩でも出れば、同じ現実が何の変わりもなく待ち構えている
http://anond.hatelabo.jp/20110624224955
アッシーくんだのメッシーくんだの、世の中の、誰も彼もが羽振りが良くて、男も女もお祭り騒ぎの真っ最中だったころだから、女は奢られてなんぼ。男は奢ってなんぼ。会計時に財布だそうもんなら「バカにすんな」と男に去られるような時代の話になっちゃうよ?
「目上の人と食事をするときは、目上の人より安いものを頼む」とか「奢りのお礼は3度言う(奢ってもらったとき、翌朝会ったとき、次に会ったとき)」とか、そういう同席した人に気をつかう良いマナーは伝えるけどさ。
自分の若いころのマナーしか知らない母親なんて、まったくマナー教育には向かないよ。
それに母子家庭で予算2千円の外食できる家なんて、どのくらいあんの? うちは食い物には贅沢してるほうだけど、それでも2千円って3日分の食費だよ。外食なんて、年に1度あるかないか。
そうか。今までの反論で一番胸に刺さった。
俺がニーチェの言う奴隷なのは分かってる。ルサンチマンから出た意見だろう。
奴隷だからこそ、自分の持ってないものを持っていて、自分と交流してくれる人をありがたく思うし、その人のファンであろうと思うし、
自分の持ってないものを持っていて、自分を排除しようとするもの
自分の持っているものを持っていなくて、自分を攻撃しようとするもの
こういう連中を心の底から憎む。行動に移したことはほとんどないけれども。
俺はそういう人間なんだ。
俺にだってその輝かしさを分けて欲しい。
俺だってそういう輝きに加わりたい。
それだけなんだよ、この元増田の原動力は。
初めて風俗に行ってきたので考えたこと、感じたことをつらつら書いていこうと思う。
以下感想。
※ブコメで頻出している「1万6千円って安すぎだろう」という突っ込みに対する応答も含め、補足を書いたのでそちらも参照してもらえると幸いです。
だよねぇ。
指導ってそんなに追求してはいないんだが(専門じゃないし)、
細かく言えば「鼻腔と頭蓋に丁度よく反響させる周波数を見つけろ」とか「喉の開き具合と喋りの速度を連動させて、話法に強弱をつけろ」とか「話す最中に手元を見ずに聴衆の一番遠いところに声を届けろ」とかいろいろあるんだろうけど、ぶっちゃけ、どこまで求めていいものなのか手探り。まぁ、こっちの指導者スキル不足と言えばそれまでなんだけど。
3回目ぐらいの家デートで、押し倒された。
成り行きはよく覚えていないけれど、確かその前に電話で喧嘩をして、
でもなんで「本番」になったのかは本当に覚えていない。やっぱり頭がパンクしてたのかな。
ベッドで上を脱がされて、胸を愛撫されて、その時は少し気持ち良かったと思う。
手を誘導されて相手のものを触らされて、でも今にして思えば結局最後まで相手のものを見なかった。
触った感触だけで、「何だろうコレ」に近いものがあったと思う。
知識として男性にはそういうものがあるんだ、ということは知っていても、ちゃんと見たことはなかったし、
性行為がどういうものかだって知っていたけれど、実際にしたことはない。
気持ちが良いという感覚は雑誌を読んで自慰をしたこともあったし、知っている。
でも誰かに気持ち良くされたことはない。
頭でっかちで、知ったつもりになって、何も知らない本当に垢まみれの処女だったんだと思う。
愛撫されつつも、残った理性での「どうなるんだろう」「何をしてるんだろう」という疑問が渦巻いてぼーっとしているうちに、
下の服も脱がされてアソコを触られた。
多分その時はもう濡れてたんだろう、「入れるよー」っていう一言で挿入された。
覚悟とか、そんな余裕もなく、激痛が走った。本当に激痛としか言いようがなかった。
一番自分でもよくわからない場所が、焼けるように痛くて。怖くて。
でもまだまだ入りきっていないから、だんだんと挿入は進んでいく。そのたびにどんどん痛みが増していく。
怖くて怖くてしがみついて、「痛い、痛い」と泣き叫んだ。
相手は「大丈夫だから、もうちょっと我慢して」と言ってさらに挿入する。
そう言われて必死で堪えてしまった。やっぱり好きだったんだろうな。
挿入はなんとか終わったけれど痛みは激しく、おさまるまでは動かずにいてくれた。
だいぶ痛みが薄れてきて、じゃあ・・・と動かされるとまた激痛。
気持ちが良くなるとかありえなかった。
あまりにも痛がって泣き叫ぶ私に困ったのか、相手はどこからかローションを取り出して結合部に塗った。
でも痛みは全く薄れなくて、結局口を押さえられて相手がイクまでただひたすら耐えるだけだった。
コトが終わり、シャワーを貸してもらって、シャワーを浴びながら泣いた。
こういう事態を招いたのは自分で、コトが始まった時だって拒絶もほとんどしなかったし、
全てが自業自得というか、あるいは望んだことだったかもしれないのに。
甘い、あるいはロマンティックな幻想が全てなくなったような。
それでもその時はまだ相手を好きだったから、
結ばれてよかったとまでは思わなかったけれど、その後も普通に過ごして自宅へ帰った。
その後は電話をしてもそっけなく、電話の向こうでゲームをしてる相手に話しかけるだけ、が普通になった。
1カ月ほどして迎えた私の誕生日にメールのひとつもなく、こちらからかけても相変わらず上の空。
大学受験の日にも何も連絡がなかった時点で、私の中で諦めがついた。そしてこちらからの連絡を全て絶った。
結局連絡を絶ってからも、相手からは何一つとして連絡があることはなかった。
その頃にはインターネットでの関係もバラけつつあったので、ネット上で会うこともなく。
完全に自然消滅だった。自分の気持も、相手への恋愛感情は不思議なぐらい残らずに。
ただ性行為への不快感というか、拒絶というか、諦めというか、そんなようなものが残った。
正直なところ10年近く経った今もまだ、この不快感は消えていない。
愛している相手と、一つになれる、一番近くにいれる。そういう意味では嫌ではないけれど。
素直に気持ち良くなることができないし、気持ち良くしてほしいともあまり思わない。
愛撫されれば気持ちが良い時もあるけれど、挿入はいまだに気持ち良くなったことがない。
むしろ気持ち良くしようと頑張ってくれる夫に対して申し訳なく思ってしまう。
私は気持ち良くならなくていい、貴方が気持ち良くなってくれれば、とは言っているけど、やっぱりそうもいかないみたいで。
性行為に「何のため?」なんて思うことが馬鹿げているんだけれど、
何のためにあの初体験があったのか。
いずれは通る道だったし、少なくとも顔も知らない男にレイプされるとかじゃなかったわけで、
その時好きだった相手と経験できたというのは恵まれてる部類なんだろう。
でもあの時の自分は、まだきっと恋愛とか、性行為とかに、夢を見ていたかった。
処女を捧げる、という行為をやっぱり神聖に思っていたし、自分のタイミングで捧げたかった。
好きだった相手でも、あの状況での行為に対して私は「処女を捧げた」とは思えない。
結果を見れば相手は処女を味わえたから私はもう用済み、ということだったわけで。
2年の夢のあと、1時間の地獄を見て、1カ月の寂しさを経験しておしまい。
不思議なくらい空っぽになった心には、自分を労わるとか大切にする、という感覚も抜けた。
その後付き合った人には数カ月で体の関係を持ったり。
それでも比較的すぐに今の夫に出会えて、性行為に関しては苦しみながらも
愛し合い分かり合うこと、自分を大切にすることも取り戻せたと思う。
性行為も「したい」とは言えないけれど、嫌じゃないし、夫はいくらでも愛せる。
ちらりと見かけた、19歳でナンパされて処女を失った話を読んで。
今の夫にすら、断片的にしか話すことができなかった自分の体験を一度書き出してみたいと思った。
そうすれば自分の中で整理がつけられるんじゃないか、忘れられるんじゃないか、と。
欲を言えばそれを全く自分と無関係の誰かに読んで欲しかった。だからここに書いてみる。
処女を失ったのは高校3年の冬。相手とは2年の付き合いだった。
相手は12歳ぐらい((正確な年齢は最後まで知らなかった))年上の社会人。
チャット全盛期のインターネットで知り合い、オフ会で会った後に個人的に会いたいと誘われた。
そこでホイホイと一人で行ってしまった私が、今にして思えばとても無防備だった。
言い訳をすれば別に付き合って下さいとかではなく、学割でソフトを代わりに買ってほしいと頼まれたのでまぁいいか、と思ったのだけれど。
もちろん親には男の人と1:1で会うなどと言えるわけもなく、友達と遊んでくる、と嘘をついた。
その日になんとなく付き合ってほしい的なことを言われ、なんとなくいいかなと思って付き合うことになった。
相手は隣の県で、こちらは学生で。会いに行くのにも交通費が痛かった。
それでも3カ月に1度ほどは会いに行った。
地元で会うのはさすがに怖かったので必ず自分が出向いていたと思う。交通費の代わりにご飯とかはおごってもらった気がする。
書き忘れていたけれど異性と「付き合う」という経験はこれが初めてだった。
異性と話したり遊んだりすることは多い方だったし、片思いは何度もしていたけど、
そのうちに不意をつかれてファーストキス。雰囲気とかそういうものは一切なかった。
買い物中に少ししんどい、と目立たない休憩スペースに座り込んだので、隣に座ってたらいきなり、だった。
恋愛に夢を見ていたとか、理想像があったとか、そういう高校生ではなかったと思うし、
その時には既に「なんとなくいいかな」ではなく「好き」だと思っていたので別段落ち込んだりはしなかった。
ただもう、相手を見て、相手と話して、相手を想って、それだけで精一杯だった。
1年半ほどたった頃に、体調が悪いから、と相手の家でのデートを提案された。
これまたホイホイとついていった私が本当に信じられないぐらい無防備だけれど。
さすがにバカではなかった(と思いたい)ので、頭の片隅に「何かされるかも」程度の認識はあった。
でもそれよりも相手への信頼というか、疑うという行為が許されないほどの「好き」という気持ちがあったんだと思う。
一人暮らしの相手の家は散らかっていて、今でいうゲームオタク的な雰囲気があった。
ゲームが好きだったので、二人でタイピングゲームをしたりして、デートは普通に楽しんでいた。
後ろから抱きつかれたりもしたけど、それはそれで嬉しかったし、
そのついでに少し胸を触られたりもしたけれど、「嫌」だとは思わなかった。
ここまでされていればもう完全に体を許してるようなものだと自分でも思う。
高校生で初めての恋愛をしていた私には、そういうエッチなこと、はなんだか全然現実感のないもので、
胸を触られた時も気持ち良かったかと言えば正直覚えていない。そのくらいその時は頭が恋愛感情でいっぱいだった。
使えるはてな記法がよくわからなくて長くなったので続きます。→処女を失った時の話2
反論も何も、君は自分の意見を自分の意見として提示しないから反論のしようがないよ。
ぜんぶ元増田のせいにするんだもん。
まだ君の意見が何なのかを確認してる段階。
???
俺は、
「元増田の文がこうだからこうでこうなって、つまり元増田の前提とする社会とはこう」
と論理的に解き明かして見せただけ。
で、君は俺の読み解きに文句があるから頑張ってるんだろう?
「お前の説明のここの論理がおかしい」って言えばいいじゃないか。
簡単でしょ反論なんか。
俺は俺の価値判断だとか元増田に対する肯定否定をした覚えは無い。
でも確認しようとするとそうやって身をかわすでしょ?
何と戦ってんだ一体。
http://anond.hatelabo.jp/20110623182849
「一緒にいる人を不快にさせないこと」が肝心だ。店の儲けは店主が考えればいい。飲み物頼んでくれないとわりに合わないなら、食事は飲み物とセットのメニューだけにすればいいことで、客が気を遣わなくてはならないことじゃない。
店のため、どうたら、といった理由なら、マナー違反なんて気にするな。どうしても守って欲しいことがあれば、店のほうからちゃんと要求する。「下駄では入れません」とか「ワンドリンク制になってます」とか。
ただ、この場合、彼女が強く薦めているのだから、飲みたいものがあったのなら注文すべきだったのじゃないかな。誰が払うにしても。彼女の気持ちを落ち着かせるために。そのあとで強く薦める理由を聞いてみればいい。たいがいの人は「人にものを教えるのが好き」だから、いい話題になったかも知れない。
http://anond.hatelabo.jp/20110622150551