コメント
結局今回の件も、自らの推し進める学校長の民間人登用制度の推進に話をすり替えています。大津のいじめ事件のときもそうでしたが、この男の涙はまったく信じるに値しません。
自らの立場を強化できるなら、謝罪の一言や嘘泣きの涙の一粒なんて奴にとっとは屁でもないでしょう。
連投陳謝
まったくそのとおりだと思います。
そして、いじめもまた、暴力または犯罪にすぎないという認識を持っていただきたいものです。
「愛情があったから」とか言って体罰を容認する保護者や生徒の存在も問題視すべきではないでしょうか。
そういう人達が実質的に体罰を存続させているのですから。
橋下の裏の意図
それは体罰が教育になる事があるからです
体罰とは本来手段です、どうしてもその相手のその過ちをどうにかしたい
その為の手段
目的があってこその手段です
それなのに体罰と言うものが一人歩きしています
殴るはだめで、ぶつ程度ならいい
言葉で叱りつける、だったらいい
そういう物理的な制限基準で物事を考える人が大勢います
体罰賛成する人も体罰反対する人も殆どの人が傷の大小こそが問題だと思っています
だから、体罰容認する時も、体罰禁止する時も、体罰自体が問題にされます
本当に問題とならないといけない部分は、その教える相手に「伝える事」です
伝える意思
伝える意思が無い「罰」は言葉だけであろうと、実際にたたいたとしても、ただの「傷」にしかならないでしょう
それこそ、言葉で言っただけでも一生引きずる程の傷になる事だってしばしば存在します
その人を本当に愛していて、本当に伝えたい事があるのかどうか
それこそが一番重要なのです
今の教育はその部分は極端に欠落しています
その上で、体罰も説教も語るから教える相手にとってはただ傷をつけるだけで終るのです
でももしも本気でその相手と向き合って放った人だったら傷ついたその子の傷の回復まできちんと責任を持つでしょう、その人はその子を救う為に、救いたい意思を持ってやった人だったら
もしも体罰を禁止して言葉によるしつけにしても今の状態では言葉の暴力になるだけで何も変化しないでしょう
体罰より言葉が傷つかない、軽い、なんて事は無いのです
同じ意思、同じ傷つける意思で放った言葉は、同じ意思で使った実際の暴力と同じだけ相手を傷つけます
逆に本心で何かを伝えたい一心で出た手がその相手にとっての救いになる事もあります
大切なのは気持ちです
その気持ちが現在の日本人には一番欠落しています
今言っている体罰も言葉での罰も、相手に対してそれを放ったらそこでそれ以上のつづきは無い為
暴力を放たれた相手はそのまま放置されます
だから傷ついても後は自分でと
そんな希薄な関係なのに一方的に暴力を使う
暴力とは実際に手を上げる暴力、言葉による暴力、それに理屈で踏みつけにするのも暴力です
これはモラルハラスメントとして現在問題になっています
要するに相手を思いやる気持ちが根源にあって出たものなのか、それとも自分の気を晴らすために出た言葉なのかの違いです
相手の為に自分が犠牲になる覚悟で出た行為なのか、自分の為に相手を犠牲にしようと出た行為なのか
行動に至った自分の中にあるものが真逆です
要するに現代人は関係が希薄で、愛情が薄いと言う事ですね
こればかりは形式上見た目、罰を0にしたって愛情が無から出て来る訳でもないので難しい事です
自然な関係でいる事です
体罰を考察中
コメント欄は体罰の定義は? と聞かれたので、考えを整理して次のエントリーをあげるつもりです。
「君を虐待するのは愛してるからこそなんだ!」
村野瀬さんの記事とほとんどのコメントに賛同しつつ。
なんかコメント欄に虐待加害者の言い分をそのまんま書いたようなのがひとつありますね。
「愛情」「大切なのは気持ち」
いやいやいや、笑わせてくれます。
いろんな種類の虐待の加害者が如何にも好みそうな陳腐な台詞ですねえ。大体の虐待において加害者は「しつけのために厳しくしている自分。愛情があるから殴る」的な自己陶酔に酔っ払ってますね、汚らわしい。DVしかり児童虐待しかり。「愛」ほど如何わしい悪用のされ方をする概念もあんまりない(最近「絆」の悪用のほうが目立ってきましたが)。しかも当人は利用している自覚もなく自己陶酔ときた。暴力のエクスキューズのために「愛情」などという言葉に飛びつくのは正真のナチュラルボーン屑でありますよ。
わたしの小学校の担任も子供の頭を殴るのが好きでした。二十年以上経った今でも、報復が無理でもせめて警察に通報しなかったことを悔やんでいます。子供だったので知恵がなくて、それが犯罪だということがわかっていなかった。悔しいです。やつらも「愛情」だと思ってたんでしょうな、汚らわしい。両腕が根元から腐り落ちればいいのにと今も思います。
実にくだらない理由で子供の頭をぶん殴る。しかも児童側が反撃するどころか避けることも許されない。おとなしく棒のように突っ立って殴られなくてはいけない。反撃も抗議も許されない。こんなことをして誰も警察に通報しないんですから、小学校の教室は狂ってましたな。通い続けて疑問も持たなかったわたしも狂ってました。
わたしは小学校時代の担任を「屑」と中学生になってから認識できたからまだいい。疑問を持たないままの場合、大人になったら、やはり自分より絶対的に弱い相手を殴るか、自分より明らかに強い相手に殴られ続けるようになるんです。それが犯罪だということも卑劣な屑の行為だということも、認識できていないからこそ。
虐待の連鎖ってこういうふうに続くんですよ。その正当化に使われるものが「愛情」「気持ち」です。奴ら自分で信じきってるから始末に負えません。あの担任も「自分は児童たちを心から愛している」「児童たちを愛情込めて見守っている」と思い込んでいましたし。
暴力のエクスキューズとして使う「愛情」なんて、その程度のものです。心底汚らわしい。
もしも子供に何かの危険や心配からたたいてでもとめてもらえるのはありがたい事ですよ
でも、そういう大人はいない
子供が危険であったり、将来落とし穴に落ちるだろう状況には無関心で気がつかない
けれど自分の価値基準で勝手に判断し自分の二転三転する価値観で自分の機嫌を損ねた時だけ罰を与えようとする大人はとても多いです
物理的に罰を与えられなければ救いが得られると思ったら大間違いです
放置されたまま誰にも救いを得られないまま子供の成長期を過ごす事になるでしょう
それこそ最悪人生を全て失います
この問題の根本は大人が子供に対して無関心だと言う事です
愛情の反対は無関心です
マザーテレサの有名な言葉
これ等の行為は無関心から来る罰(暴力)であって
無関心から来る、放置(許容)なのです
物理的に罰を受けないようになれば解決すると思ったら大間違いです
そうしたら今度はただ無関心に放置されるだけです
もともと子供に対しての関心が希薄
それこそが問題なのです
そもそも関心があり愛情があるなら、子供をそう簡単にやすやすとたたけないです
もしもたたかなければいけない時は傷つける側にとってもとてもいたいものです
そしてそれで負った傷を心の傷も含め回復する責任も自分から負います
今の子供は大人たちにとってそうまでしてあげる価値が無いと言うのが一番の問題です
教育と称して自分の二転三転する価値基準で自分に不快感を与えた時、子供に傷と痛みを与える
でもその傷は放置
その傷が深い為、苦しんでいれば甘えとしてさらにいたぶるでしょう
もしも不用意な大人の仕打ちに反抗的であれば、また反省が足りないといたぶるでしょう
全てにおいて自分の目線で生きているのです
それだけ相手に対し無関心であると言う事です
どちらかと言うと自分の邪魔をする邪魔な敵ぐらいにしか感じていないでしょう
自分はもっと別の事をしたいのに邪魔する子供
自分は子供をもっとこうしておきたいのにさっさとこうならない迷惑な子供
その程度
今年もちょくちょくお邪魔いたします
ところで、体罰を振るう教師や指導者を庇う生徒・保護者は決して少なくないですね。教師や指導者が否定されることで、「オレ(私)はここまで頑張ってきたんだ」ということが否定されるのを恐れているのでは?という見方がありますが、何らかの通過儀礼とそこから生まれる美しい思い出を欲しがる心境もあるのかもしれません。いずれにしろ、軍隊的または体育会的なものを嫌う皆さんにとっては、理解できない心境だと思います。
>無記名コメントさん
はじめまして、SHUNと申します。
恐縮ですが、横から失礼します。
無記名コメントさん
個人的に、暴力を受けないような安全圏に居ながら、
暴力を肯定する人間って、クズ以外の何者でもないと思っています。
気持ちがどうとか、愛情がどうのとかって
ぼんやりしていて、
何だか良いんだか悪いんだか良く分かりませんが、
傍から見てそんなの分かりっこ無いから、
こういう問題って毎回起きてしまうんじゃないでしょうかね。
暴力は全くの例外なく悪い事だと認識すべきです。
”やっても良い暴力”の存在を認めてしまうと、
その暴力って歯止めが効かないんです。
今の教育環境を取り巻く、いじめ問題だとか体罰問題だとかを見て
何故それが分かんないのか不思議でなりません。
相手とちゃんと向き合って何かを伝えるのに、
暴力なんざ必要ありません。
必要なのは、何の他愛もない言葉でのコミュニケーション能力でしょう。
現代人に問題があるとすれば、
そういう能力に大きな問題があると考えるべきではないでしょうか?
体罰、いじめ問題を減らすには精神論を語ってもしょうがない
「体罰は教育ではなくて暴力または犯罪にすぎない」と正論を述べても教育現場が改善しなければ意味がない。より重要なことは教育現場でどのようなことが起こっているか、現場の教師や学生でどういう加害・被害行為が行われているのか、またその背景を明らかにして、改善策が講じられるよう声を上げていくこと。
体罰・いじめ行為が減らない、なくならないのは誰かや組織が心を入れ替えないからだけではなく、体罰やいじめ行為には多種多様な要因が複雑に絡み合って問題解決が難しいから、またこれまでの取り組みが明後日の方向を向いてきたからではないか。個人的には体罰・いじめ問題を「あってはならないもの」として捉えてきたことが(教師、学校、教育委員会などが)教育現場の実態を隠ぺいする力として作用してきたと感じる。現場の状態が隠ぺいされてしまうと対策の打ちようがない。まずは体罰やいじめが普通にあるものとして捉えなおし、現場(教師、学生、学校)の実態や悩みが明らかにされること、そのうえで殺人や自殺に至るケースなど極端な例を抑制すること、そして体罰・いじめの要因を解き明かし、問題を一つ一つ改善することにより体罰・いじめ件数を少しでも減らしていくことに取組むべき。
自殺問題と案件は異なりますがライフリンクの清水康之さんの「昨年の自殺者 減少の理由」という記事内容は体罰・いじめを減らす方法としてまったく同様に通用すると思います。
http://bylines.news.yahoo.co.jp/yasushimizu/20130117-00023089/
取り留めのないコメントで失礼します、私なりの体罰について思うところ
話は変わって、やまと競艇学校や競輪学校では選手養成の早教育の為に手を挙げて特に競輪学校では竹刀をふるうケースがありますがあれもどうにかならぬもんかと常々思っております。手を挙げなきゃ公正な競技人は生まれぬものなのか納得のいく説明は誰からもなされていません。またさらに競輪の世界では違反が積もるとお寺行きと言って座禅修養を強制されますが、そんなもんで違反が減るなら一般の道路交通法違反でも座禅修養が取り入れられているはずなのにどうもそんなことはないようで、公営ギャンブルの選手育成は日本の負の縮図であると言っても差し支えないようです。
「本気で真剣に子供と向き合って殴れば気持ちを伝えることができるんだ!」
すみません村野瀬さん、これでこの件については最後にしますが長文投下失礼します。無記名さんのわたしへのコメントに対してちょっと眩暈がして…きて…あと、この問題の本質が一気に明確に浮かび上がった気がしなくもないような……
まあ、前回の無記名さんと今回の無記名さんを仮に同一人物と仮定して。
もはや精神論。
「本気で真剣に」「気持ち」「愛」
これらへの妄信がなくならない限り、DVも夫婦間レイプもデートレイプも校内虐待もそりゃ起こるだろうなあと遠い目であります。
そもそも完全に話がずれている。「危険」?「将来落とし穴に落ちるだろう状況」?
問題になっている「体罰」という名の虐待は児童生徒や教師の安全に関わる事態をまったく背景にしていません。
たかだか部活動。部員や教員の安全や生命に関わる事態だったわけでも他者の尊厳を生徒が傷つけたわけでも無い。完全に問題の前提がずれている。
しかしまあ、……「今の」……このタームまで繰り返されるとなると…。
昔の暴力は暴力でなかったとでも。パワーハラスメントはパワーハラスメントでなかったとでも。
今日、まだ言語化され可視化されるようになっただけ、これでも随分進歩したわけでありますが。奴隷根性を骨まで叩き込まれた被害者は自分の受けた暴力を犯罪と認識しないまま終わるわけでありまして。
被害者が被害を被害と認識できるようになってきた分、数十年前よりは確実に一部は前進しているのでありますよ、様々の人々の不断の努力によって。
「本気の」愛と気持ちって素晴らしいですねえ。暴力も虐待も免罪されるのですから。愛があれば気持ちがあれば暴力も教育!本気でやれば相手に伝わる!愛は加害者を救う。
「気持ちがあれば」「本気で」「真剣に」「愛があれば」暴力が教育となるという認識がある限り、この種の虐待はなくならない。事件として表に出たものだけを「あれは本当に真剣に気持ちを込めていないからだ」として例外化しておけば、他の虐待行為は免罪されます。これは「今の」も同様ですね、そうしておけば昔の虐待行為は免罪されますものね。
「関心」……いやあ、加害者は被害者に対して往々にして興味津々なのでありますよ。ものすごく「心を砕いて(←棒読み)」関り続けてくれやがりましたねえ。「愛して」たんじゃないですか?奴は奴なりに「本気で」「真剣に」。こちらにとっては恐怖と憎悪以外の何物でもない。
わたしより被害の酷かったクラスメートなど、家にまでしょっちゅう押しかけられて。本人は無論、お母様までどんどん追い詰められて。もはやストーカー。
もう一度言います。加害者は被害者に対して大抵は興味津々であります。加害者は被害者のことを「本気で真剣に考えて」常に「深い関心を」寄せています。心底おぞましい、汚らわしいことですが。
ひとさまのブログでこれ以上暴れては申し訳ないのでこの辺にします。たった一回のやりとりで既にループしてるし(苦笑)。
学校にせよ家庭にせよ、何故この種の虐待が起こるのかを垣間見たやりとりでありました。ありがとうございます、大変参考になりました。いやあ勉強になった。
なかなか進まない
体罰の教育的効果ってあると思うんですが、教育効果があるならなおのこと禁止すべきではないかな。
殴られてそうなるような人格に子どもを育てるのって、市民社会としてあんまりいいことではないでしょ。
わたしは学校での体罰っていうと欧米のほうがありそうというイメージがあります。
なんか寄宿舎で罰として鞭打ちしているみたいなイメージ。まあ20世紀に入っては教育思想も変わってきたのではないかと思うけど。
日本の学校での体罰は、引用先の「澤藤統一郎の憲法日記」の記事を読む限りでは、近代化、西欧化によって入ってきたのかな、という気もしますけど、「学校」って制度が西欧由来だから当たり前か。
一応、権力関係の存在(親とか教師とか)と、処罰の意図が「体罰」の要件だろうと思っているのですが、暴力の程度によっても、体罰と呼ぶかどうかが決まるかなあ、とその辺がわからない。
今となってはかなり記憶がおぼろげですが、中学の時に、廊下を走ったらデコピンだぞ、という教師がいたような。権力関係はあるし、処罰性もあるし、身体に対する有形力の行使だから、体罰認定かなあ、とも思うけど、あんまり何でも体罰分類してしまうと、重篤な体罰の弊害が紛れてしまうかなあ、とも思うし……。
というわけで、体罰を考えるエントリーがなかなか進まない。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130122-00000030-mai-soci
「気持ちがあれば」「本気で」「真剣に」「愛があれば」暴力が教育となるという
と書かれていますがそれは、たたかない事が子供にとっての救いになると言う意味ですね
それは逆です
愛があるからたたかないと言うなら分かります
でもたたかない事が愛である
たたかなければそれでいい、たたかない事こそがいい事で
そうならないなら子供を放置してもいい
それでは逆です
silokanippeさんの話ではたたかれさえしなければそれでいい
後は全て子供個人の責任で子供は自分の自由に生き勝手に死ぬので放置する
そういってるように聞こえます
もしも、家に押しかけてまで、何かを伝えたがっている人がいるなら
本気でその子供に何かをいいたいはずです
それを理解できない方が問題です
何か今の人は、人や他人を悪意でしか見れない気がします
他人に対して伝えたい何かを持たないし、他人から何も受け取らないし他人を理解もしない
もしもその子供に付きまとう人がその子供を傷つけていたら
理解し切れていないからです
もっと理解し合う必要があると思います
こういう今の人がとても理解できないですね
死刑だ、死刑だ、厳罰だ、厳罰だ、と声高に叫ぶ今の人
気に入らない人を片っ端から殺したり罰していけば全てが済むと思っている
公式に傷つけていい存在がいる
傷つけていい存在が傷つけられている分にはみんな何も反対しないでしょう
そして、反対する人が現れると踏みつけようとします
でも自分は踏みつけられる側だと思っているので、踏みつけていい側を踏みつける側だと思って必死で踏みつけようとする
だからそのうち自分もその仲間に踏みつけられる
ののしってはいけないと言いながら公式にののしってもいい相手がいます
自分こそが加害を肯定している事に気がつかない
一番汚い言葉を使うのは誰で、一番誰かを傷つけるのは誰か
このままだと、もしも価値観が逆転したら若者は甘えてる体罰やむなしとされる事だってあります
自分は人を傷つけない、だから相手もそれに乗って欲しいという事が分かっていないと思います
立場が逆ですが、同じ穴の狢だと思います
どちらも反抗でき無そうな弱者に向けて罰と暴力を使って服従と蹂躙を正当化肯定する
誰かに向けて屑という人と誰かに向けて屑という人はどう違うのでしょうか
強いものが正義
体罰で問題になるのは弱い反抗でき無そうな相手に対する暴力、傷つけ
同じ事です
立場こそが重要で、弱そうな相手は恰好の的です
本当は、人を傷つけてはいけない事が大事
相手の気持ちに対して、相手の態度に対して、自分の態度を決めるべきで
相手が傷つきそうなら労る、相手が強い態度なら自分も強い態度
やってる事が逆だと思います
弱そうな相手だったらたたいていい
強そうな相手にはたたかない
では弱そうで公式にたたいていい相手はと探すと
付け込む隙や落ち度のある人
ところでいじめと体罰は同じと言ってる方が多いですが
本当は逆の存在です
もしも、いじめで傷ついている人がいたら、いじめてる側にその痛みを示す罰は対極にあるものでした
でも今は逆で、いじめも体罰も弱者側に向かうもの
そして、そのいじめと体罰の糾弾も弱者に向かうもの
全ての痛みを追うのは一番の弱者
なんで今の人は誰かを攻撃するのがこうも好きなんでしょうか
守る事と攻撃する事は逆です
でも今の人は反抗してこない弱者を攻撃する事こそ守る事だと思っています
守る事とは、誰かが誰かを攻撃し傷つけている時にだけ出るものです
そしてそれをやめて欲しいという事
攻撃する事とは、今傷つけられそうになってる訳でもないのに、それに当てはまりそうな人を見つけ出し迫害する事
いじめっ子の親と同じ名前の人に対して暴力をする人
兎に角今の人は自分が攻撃的で誰かを傷つける側の人だと認識した方が良いと思います
秋元康については「安倍のこともおいおい」ですね。控えめに言って「李下に冠を正さず」、厳しく言えば「そんなんなら消えて宜しい」です。
私も彼のアンドリュー・バルトフェルド自民党の裏金問題を暴いた日本共産党の委員がいない政倫審は自民党の政治腐敗を加速させるだけでは? #自民党は利権と汚職と税金泥棒許すまじ共産排除を正当化する奴等は「揚げ足取りをするから」などとほざきます。それなら「おめえらは、死んでも他人にあれこれ指図するな」などと反論する権利がこちらにありますアンドリュー・バルトフェルド玉木を衒いて石を売る国民民主党は、学生を学びに集中させない誤った政策を推進しています。(国民民主党への強い疑問 (4)) #玉木雄一郎に騙されるな #国民民主党に騙されるな #玉木代表の議員辞職を要求する重要なのは、いまアルバイトしている学生のもので、本当に将来を見るならば、子ども手当を廃止してでも、この少子化時代、年少扶養控除の復活した方がいい?特定扶養控除の工作員z講談社と弘兼憲史が沖縄米軍への抗議運動に「辺野古日当デマ」。 #島耕作の辺野古・日当デマに抗議します #講談社不買 @morningmanga @KODANSHA_JP戦時中の講談社1938年の秋には出版大手の大日本雄弁会講談社が『南京城総攻撃』というタイトルの子供向けの本を出版した。そのなかでは,「報国百人斬競争」の物語がきわめてドラマチックTakeshi玉木を衒いて石を売る国民民主党は、学生を学びに集中させない誤った政策を推進しています。(国民民主党への強い疑問 (4)) #玉木雄一郎に騙されるな #国民民主党に騙されるな #玉木代表の議員辞職を要求するわざわざ自然を壊さなくとも、都心にゴルフ場もAEONもこそ作れるはずトピズレすみません…
「ゴルフ税」は必須かと
田舎に育ち、バブル期のゴルフ場開発ラッシュで、地下水が汚染された、とか野生動物(特にサルが)人里に出没するようになった津木野宇佐儀「原爆で亡くなった死者に対する償いは、日本政府は全くしていないという事実をお知りいただきたい」 (被団協、田中熙巳(てるみ)代表委員、2024年ノーベル平和賞授賞式で)No title>Takeshiさん
>国家賠償
憲法制定小委員会で議論された結果、現憲法に「国家賠償請求権」が明記されました。
先人たちの思いを「押しつけ憲法」論のいいようにさせては津木野宇佐儀政治を知らないスポーツ選手や有名人の自民党からの選挙出馬が悲しいAKIMOTO48の存在が不気味で怖い谷亮子のアホさと彼女を担ぎ上げた小沢にも、もうやめてくれよ!と思ったものです。
芸能人、局アナ、すぽーす選手…言葉は悪いですが「〇ホ」の一つ覚え…でもジミンだけで津木野宇佐儀個人経営の餃子屋さんへの堀江貴文による誹謗中傷に法の裁きを。強きを助け弱きを叩くジミン支配下ニッポソなら>工作員zさん
>返済できずに破産かもしれないネ
ホリエ某は、ジミンpowwwwwwwwered by 財界& assssssssssisted by 電通 がいる限り、そうはならないでしょうね(憤怒)
ass津木野宇佐儀全国民のための正しい政治を求めることは「共産主義的な物言い」だとする石原伸晃の発言が、「政治は自民のもの」という自民党の基本姿勢をよく示していた。補足です。 インドネシアにおける共産党員虐殺の主体には,イスラム法学者もいました。必ずしも共産党員及びそのシンパが犠牲になっただけでなく,中国人も犠牲になりました。軍が武Takeshi欧日間の経済連携協定で、欧州連合が人権後進国日本に「人権条項」を要求するのは当然である。天賦人権論最近の記事のコメント欄では脈絡がないので、村野瀬玲奈と天賦人権論を検索ワードにして出てきた記事にコメントします。
「こどもには権利も義務もない」と言っている地方kuroneko個人経営の餃子屋さんへの堀江貴文による誹謗中傷に法の裁きを。この方は、大阪万博の特別顧問だそう。ライブドアceo時に証券取引法違反で逮捕された前科。ロケット打ち上げ失敗の融資先はたぶん政府系金融機関でしょう?返済できずに破工作員z「まるで中国、北朝鮮」と言うのではなく、「まるで大日本帝国」と言おう。北朝鮮への帰還事業から65年 北朝鮮への帰還事業は1959年12月14日に新潟港から出発したのが第一陣で,2024年12月14日には65年を迎えました。当時朝鮮人は日本社会において貧困と差別に苦しみ,「地上Takeshi政治を知らないスポーツ選手や有名人の自民党からの選挙出馬が悲しいNo title来年は確か統一地方選挙もあるので、「地獄逝こう」と立憲で有名人を候補に擁立する猟官運動の類が頻発しますね。
「頭数にしかならんだろ」と冷めた目で見ています。今井アンドリュー・バルトフェルド政治を知らないスポーツ選手や有名人の自民党からの選挙出馬が悲しい体育会系芸能人はともかく、スポーツ選手つまり体育会系エリートは、割と自民党に近い思想を持っていると思います。
体育会系は軍隊であり、そこに民主主義などありませんから。怒りの日政治を知らないスポーツ選手や有名人の自民党からの選挙出馬が悲しい打越さくらvs中村真衣か オリンピックでのメダル受賞者の自民党議員となると,堀井学や橋本聖子のようにかんばしくない人を思い出します。中村真衣さんは早くから自民党の参議院議員になりたいとTakeshi全国民のための正しい政治を求めることは「共産主義的な物言い」だとする石原伸晃の発言が、「政治は自民のもの」という自民党の基本姿勢をよく示していた。インドネシアにおける共産党員大虐殺インドネシアは17500の島から成り,人口は2億3500万人。300の民族から成り,365の言語が話されています。留学生のリクルートのためにジャカルタに出張したとき,インドネシTakeshiハン・ガンさんのノーベル文学賞授賞講演のテキスト (メモ)No titleトピズレすみません
山口放送制作のNNNドキュメント「アボジが眠る海」は必見です
山口県宇部市の長生炭鉱の惨事は、恥ずかしながら、知りませんでした津木野宇佐儀ハン・ガンさんのノーベル文学賞授賞講演のテキスト (メモ)ハン・ガンさんの小説が尹錫悦大統領の弾丸を求めるデモに参加した若者曰く「今までデモに参加したことはなかった。でもハン・ガンさんの小説を読み光州事件のことを知り民主主義の危機を感じたの閉口ハン・ガンさんのノーベル文学賞授賞講演のテキスト (メモ)民主主義の勝利ハン・ガンさんの韓国でクーデターを起こして失敗した尹錫悦大統領への弾劾訴追案が一昨日(14日)可決されました。
心より歓迎したいと思います。
これは民主主義の勝利その閉口島根原発再稼働。大事故が起こったら日本政府も自民党も電力会社も誰も責任を取らないのに。そもそも原発は多くの欧米列強は脱炭素を悪用し原発を推進しようとしています。
しかし原発は核兵器の開発のためにつくられた悪しきものです。
さらにウラン採掘から運転・廃炉、廃棄物処閉口島根原発再稼働。大事故が起こったら日本政府も自民党も電力会社も誰も責任を取らないのに。危険だとわかりきっている原発が避難計画の策定が不十分の中、島根原発が再稼働されました。
これは暴挙そのものです。
一時盛り上がりをみせていた脱原発の声はすっかり下火になってしまいました。
なり閉口修学支援新制度において、成績要件によって機械的に支援を打ち切ることは低所得家庭の学生の学びと人生を危機にさらす偏った富を吐かせるもちろん、無償化は「学費」だけでなく、教育全般の無償化です
「GDP」では中国に続き、さらにドイツに抜かれましたが
まだまだ経済「大国」日本にはそれくらいの富はある津木野宇佐儀玉木雄一郎ドヤ顔の公約「手取りを増やす」は「玉木を衒いて石を売る」行為ではないか (国民民主党への強い疑問 (3)) #国民民主党に騙されるな #玉木雄一郎に騙されるな予想。給与所得控除55万円はいじれない。特定扶養控除での調整か年少扶養控除の復活かでしょう。柿ノ木扇蔵ハン・ガンさんのノーベル文学賞授賞講演のテキスト (メモ)疑問:M上青樹にどんな演説ができるのか??…∞またまたトピズレ、すみません
ここ何年か、過剰に喧伝され続けてきた某M上ペラ樹氏のノーベル賞受賞…
彼には絶対にない!
それより、生前に谷川俊太郎さんが受賞されてい津木野宇佐儀「原爆で亡くなった死者に対する償いは、日本政府は全くしていないという事実をお知りいただきたい」 (被団協、田中熙巳(てるみ)代表委員、2024年ノーベル平和賞授賞式で)No title 田中熙巳さんが日本政府が原爆被害者への国家補償をかたくなに拒んでいることを批判したことについて、ネットでは「補償ならアメリカに求めろ」とか「結局は金か」と罵倒クテシフォン島根原発再稼働。大事故が起こったら日本政府も自民党も電力会社も誰も責任を取らないのに。鼻先の馬は必死、目先のジジイ・オヤジは「一代主義」の「お主も悪よのう」福島原発事故でまき散らされた放射能はしばらくしてドイツでも観測されたそうですし、海洋汚染もアメリカに到達しています。
推進派はともかく、世界からはニッポソの核お津木野宇佐儀大日本帝国のおかしたたくさんの過ちの一つ、太平洋戦争の開戦。(1941年12月8日、真珠湾爆撃)No titleそして、南京と・だけでない「蝗軍」の蛮行…
「ゴメンで済んだら警察いらん」と言いますが、まだきちんと「ゴメン」も済ませていないニッポソ…
いつになったらアジア全土で津木野宇佐儀論外取締役デマ工作についての最初のぬるい謝罪を批判されてやっと「沖縄の方々」に謝罪した弘兼憲史と講談社。しかし、まだ問題は残っています。 @morningmanga @KODANSHA_JP講談社は滅ぼされて然るべき理由を自分で作っている一つ
ワニブックスを買収したこと。私としては「アイドルのグラビア雑誌などの収入でヘイト本を作っている」扱いなので「やっちまった」という感があります。
新書は「石しアンドリュー・バルトフェルド1937年12月13日は大日本帝国軍による南京占領の日。南京虐殺の蛮行の歴史を忘れず、犠牲者を悼み、蛮行を繰り返さないと誓う。8月6日と8月9日に原爆被害を思い出すように。12月13日は聖ルチアの記念日でもある。イタリアの歌謡でサンタ・ルチアとして歌われるシラクサのルチアの記念日は、西欧では12月13日とされています。ルチアは生涯を神に仕えることを決意し、自分の財産を貧しいTakeshi1937年12月13日は大日本帝国軍による南京占領の日。南京虐殺の蛮行の歴史を忘れず、犠牲者を悼み、蛮行を繰り返さないと誓う。8月6日と8月9日に原爆被害を思い出すように。2024年12月13日は南京大虐殺から87年2024年12月13日は、南京大虐殺から87年を迎えます。日本人学校の生徒が殺害される事件が起こり、かなり緊張感が高まっているようです。今の中国では大学を卒業しても希望しTakeshi