はてなキーワード: 洗濯機とは
手洗い用に便利で洗濯機の脱水より強力に絞れて冬でもすぐ乾くと噂
同じようなことしてた。自分の場合は力技で貯金300万まで増やしてNISAもしてる。最近やっと家賃5万円台の家から引っ越したから、270くらいに減ったけど。
携帯はワイモのシンプルSにして月1500円、ネットはソフトバンク光で4000円くらい。ソフバン経済圏なので、ネットで何か買うときはYahoo!ショッピングでPayPay還元を狙う。入浴はせずシャワーのみ、野菜は見切り品。肉はベーコンと鶏ももだけ買ってた。胸肉の方が安いけど、もも肉の旨味は生活の中のわずかな幸せだったから。
家賃は安かったけど住民に海外の人が多くてゴミ出しがめちゃくちゃ。ゴミ捨て場はネズミが出るし部屋にはゴキブリが出る。晩夏は2週間おきくらいの頻度で出る。
別に外国人差別とかはないんだけど(コンビニで働いてる人たちすごいと思う)、最下層というのはマンションの塀で洗濯物干したりベランダで謎の漬物作ったりゴミ袋縛ることすらできないのでしんどい。ゴミ捨て場に生肉が落ちてるの何度も見た。
まあ日本人も最下層は多分そうなんだけどね。ただ発想が根本的に違うから海外の人の方がやばいなと思うことは多い。低家賃の物件扱う不動産業界の人ならわかってもらえると思う。
細々とバイトして、週3からだんだん負荷増やして、ついでに資格とって。ベンダー資格は高すぎて払うのきつかった。国家資格はお金かからなくて素晴らしい。勉強は泣きながらした。
今の家に引っ越して、やっと外置き洗濯機とやばいゴミ捨て場から解放された。ユニットバスだけど、まあそこは仕方ない。最近の鉄骨って防音すごいのな。鉄筋築50年の前の家より全然音しない。機密性もすごい。
前の家にはやばい外国人夫&日本人妻の夫婦がいて、夫婦喧嘩すると物が割れる音と重くてゴツい何かが投げられる音がマンション中に響いてた。警察も二度ほど来た。
前より人権がある生活してるけど、下も上も見ればキリがないと思ってる。むしろ下手に這い上がってきたせいで同年代との比較が可能になってしんどい気もする。獣道歩いてると他の人と自分を比べなくて良くて楽だった。人生ままならんよ。
いやさ、「結婚したら生活費が下がる!」って昔は普通に信じてたんだよ。
家賃も折半、光熱費も折半、食費も効率的になって安くなる……みたいなテンプレ理論ね。
でも実際のところ、みんな結婚した瞬間に広い家に引っ越すじゃん?まずここで家賃アップ。
で、1人用の家具家電じゃ足りないから、冷蔵庫デカくするわ、洗濯機買い替えるわ、ベッドもソファも2人用に新調するわで、スタート地点からめっちゃ金飛んでくんのよ。
外食の頻度が増えたり、イベントごとの出費も倍になるし、贈り物だの旅行だの、何かと「2人分」でお金使う機会が増える。
あれ?これどこが節約なんだっけ?って真剣に考えちゃうレベル。
結局さ、一人暮らしより生活費下がるっていうアレ、数字だけ見た理論上の話で、現実ではなぜか散財して出費が跳ね上がるんだよな。
たぶん「別に何も変わらないよ」と言う人が大半だろう。 でも「いや、けっこう決定的に何かがズレる」かもしれない。
授賞式のあと、記者会見で村上春樹は、たぶんいつもの調子で、少し照れながら、淡々とした英語でステートメントを出す。
猫とか、走ることとか、ジャズとか、そんな話題がちょっとだけ混ざる。
スウェーデン語、英語、中国語、アラビア語、スペイン語、いろんな言語で彼の言葉が翻訳される。
「村上春樹」という固有名と、「ノーベル賞」という単語が強く結びついたことで、アルゴリズムが「この人の言葉は、特別な重みを持つ」と判定してしまう。
その結果、彼のインタビュー記事だけ、ほんの少し「やわらかく」翻訳されるようになる。
本来なら “I just write what I can write.” と訳されるはずの文が、別の言語では「自分にできることを、ただ静かに続けてきただけなんです」と、余計なニュアンスを帯びてしまう。
でも、世界中の翻訳メモリの中で、「誠実な揺らぎ」とでも呼ぶべき偏りが、じわじわと蓄積し始める。
棚を整理していた店主が、ふと「ノーベル賞作家コーナー」を作ろうとして、手を止める。
新潮文庫の『風の歌を聴け』を手に取って、ドストエフスキーやカミュの横に置くか、それとも日本文学コーナーに残すか、悩む。
たいていの店主は、日本文学棚から一冊だけ抜き出し、「ノーベル賞」のプレートの下に、さりげなく並べる。
その瞬間、棚全体の「重心」が、ほんの数センチ動く。
カミュの『異邦人』の隣に『ノルウェイの森』が来る店もあるし、ガルシア=マルケスの『百年の孤独』の脇に『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』が差し込まれる店もある。
知らない誰かが、そこで一冊を手に取る。
「ノーベル賞作家なら読んでみようかな」と思って買う人もいれば、「高校のとき挫折したけど、また読んでみるか」とレジに持っていく人もいる。
その「もう一度読んでみる」という行為が、実はけっこう世界を変える。
ひとつの物語を、異なる年齢で読み直すことは、人生の時間軸をちょっとだけ折り曲げるからだ。
遠くない未来、日本のどこかのワンルームで、小説を書いては消している人がいる。
それまでは、締切のたびに「どうせこういう文体はもう古い」と思って、原稿をフォルダごと消していた。
けれども、ニュースで「村上春樹 ノーベル賞受賞」という文字列を見た夜、指が止まる。
「時代遅れ」と心のどこかで断罪していた「一人称で、ちょっと距離のある語り口」や、「よく分からない井戸」や「耳の形の描写」を、もう一度だけ許してみようと思う。
その人は、削除済みフォルダから原稿をサルベージして、改稿し、応募する。
数年後、ひっそりとデビューする。その作品は大ベストセラーにはならないが、誰か一人の人生を確実に変える。
それを読んだ別の若い誰かが、「こういう小説を書いてもいいんだ」と思う。
この連鎖が続いた結果、20年後の日本文学史の片隅に「ポスト春樹的な何か」という、名前のつかない小さな潮流が記録される。
ノーベル賞受賞後、世界中の出版社は、村上春樹の作品をさらに多言語に翻訳して売り出す。
その新しいデータが、大規模言語モデルの学習コーパスに流れ込む。
従来のAIなら、「休息を取りましょう」「専門家に相談しましょう」といった、正しいけれど味気ない答えを返していた。
しかし、そのモデルは、学習した村上春樹的なリズムをうっすらと真似て、こう返す。
「ひと晩だけ、よく眠れる街に行ってみるといいかもしれません。
コインランドリーと古いジャズ喫茶があって、誰もあなたの名前を知らないような街です。
そこで洗濯機が回っているあいだ、お気に入りの音楽を一曲だけ聴いてみてください。
世界は、それだけでほんの少しだけ、違う顔を見せることがあります。」
それを読んだ人が、「なんか、分からないけど少しだけ楽になった」と感じる。
たった一人の気分が、5ミリだけ上向く。
バタフライエフェクト的には、それで十分すぎる。
村上春樹の受賞は、「売れている作家」「広く読まれている作家」が、必ずしも軽んじられるべきではない、という前例になる。
それまで「実験的すぎて一般には読まれない」ことが価値とされていた傾向が、ほんの少しだけ揺らぐ。
「世界中で読まれていること」と「文学性」が、必ずしも対立概念ではないのかもしれない、と誰かが言い出す。
その議論の延長線上で、今までは候補にも挙がらなかったタイプの作家が、リストに入る。
その人はインタビューで「十代のころに、村上春樹がノーベル賞を取ったニュースを見て、『あ、こういうのでもいいんだ』と思ったんです」と語る。
村上春樹の受賞は、別の誰かの受賞の「前提条件」に化ける。
バタフライの羽ばたきが、遠い未来の別の嵐の「初期値」になる。
仕事の帰りにコンビニに寄って、スポーツ紙の一面を見て、「マジか」と小さく笑う。
家に帰って、本棚の奥から、大学生の頃に読んだまま放置していた文庫本を取り出す。
ページをぱらぱらめくると、線を引いた覚えのない箇所に、うっすら鉛筆の跡がある。
「この一文に、あのとき引っかかっていたんだな」と、昔の自分に少し驚く。
今読んでみると、当時は気づかなかった別の箇所が刺さってくる。
たとえば、こんな感じの一節:
「世界というのは、だいたいいつも、わずかにバランスを崩しながら、それでも何とか立っているようなものなんです。」
(これは架空の文だけど、春樹っぽさは伝わると思う)
読み終わったあと、あなたはスマホを手に取って、誰に送るでもないメモを書き始める。
それを翌朝読み返して、「案外悪くないかもしれない」と思う。
消さずに残しておく。そのメモが、数年後、何か別の形――ブログか、小説か、子どもへの手紙か――に変わるかもしれない。
村上春樹がノーベル賞を取ったことで、あなたの中の「書いてもいいかもしれない何か」が、ほんの少しだけ動き出す。
世界規模から見れば誤差だけれど、あなたの時間軸にとっては、十分に大きな揺らぎだ。
7. 世界はそんなに変わらない、でも「読み方」は変わる
戦争が止まるわけでも、景気が劇的に良くなるわけでもない。
満員電車は相変わらず混んでいるし、会社の会議は相変わらず退屈だし、洗濯物は相変わらずたまる。
でも、「世界の読み方」は、少しだけ変わるかもしれない。
そんなふうに、日常の現実に、うっすらと「物語のレイヤー」が重なる。
「世界を物語として読む人」が、ほんの少しだけ増える出来事なのかもしれない。
そして、バタフライエフェクトというのは、
清潔感について初めて意識したのは、はっきりしたイベントがあったわけじゃなくて、「なんか俺って、集合写真で一人だけ“汚い側”に分類されてないか?」と、じわじわ気づいていった感じだった。学生の頃の写真を見返すと、笑えるくらい一貫している。髪は伸びっぱなし、Tシャツは首が伸びてヨレヨレ、肌はテカりとニキビと青ヒゲ。別に全身が不潔というほどではないけど、「清潔感あります」と胸を張れる要素が一つもない、みたいな中途半端さ。
最初に殴られたのは、会社の健康診断のときだった。視力検査だの採血だのを終えて、最後に医者と一対一で結果を話す。そこで、内臓とかより前に「生活の乱れが、見た目にはっきり出てますね」と軽く言われた。髪と肌と体重のことだったらしい。具体的に説教されたわけじゃないけど、「あ、これは同僚にもそう見えてるんだろうな」と思ったら、帰り道ずっと気分が悪かった。
とはいえ、その一言で即座に人が変わるわけもない。僕は相変わらず、朝ギリギリに起きて、寝癖のついた頭のまま会社に行き、前日脱いだシャツをそのまま着ていた。たまに「さすがにマズいか」と思って鏡を見るが、そこでやることといえば、水で前髪を押さえるくらい。根本的な改善は何もしていなかった。
本格的に「これはまずい」と思ったのは、たぶん夏だったと思う。満員電車の中で、自分の汗とシャツの生乾きの匂いと、何かよく分からない脂っぽい匂いが混じった「自分のにおい」を、はっきり自覚してしまったときがある。汗っかきな自覚はあったけど、「男なんてこんなもんだろ」と思っていた。けれど、その日は隣の人がさりげなく一歩だけ距離を取ったのがわかった。あれは完全に、僕からの逃避行動だった。
そこからの変化は、「よし今日から清潔感を上げるぞ!」みたいな立派なものではなく、「とりあえずこの不快さだけ何とかしたい」という、その場しのぎの延長だった。制汗スプレーを買い、帰宅後すぐシャワーを浴びるようになった。夏場に限っては、これだけでもだいぶマシになった。清潔感とは呼べないけど、「自分で自分を無理だと思う瞬間」が少し減った。
髪に関しても似たような経緯だ。元々は千円カット派で、「短くしてください」「はい」終了、という感じだった。それを変えたのは、仕事で外部の人と会う機会が増えたことだったと思う。ある日、取引先に行ったとき、相手の若手営業がやたらと「ちゃんとして」見えた。顔の造形が特別いいわけでもないのに、髪型とスーツと靴が全部ちゃんと整っていて、「同じくらいの年齢なのに、こっちは学生バイトみたいだな」と妙に落ち込んだ。
その帰り道、勢いで駅ビルの普通の美容室に入った。雑誌を見せて「これにしてください」とかじゃなくて、「どうしたら普通になりますか」とほとんど泣きつきに近い相談をした。美容師さんは笑いながら、「前髪が目にかかってるのと、襟足がモサッとしてるのが“疲れて見える”原因ですね」と、具体的に教えてくれた。それ以来、「前髪が目にかかったら切る」「後ろがもたついてきたら予約する」という、最低限のラインだけは守るようになった。毎月きっちり、なんて立派なものではなくて、忙しければ二ヶ月くらい空くこともあるが、「自分の髪型を放置し続けない」という感覚は、そのときようやく身についた。
肌とヒゲに関しては、もっとズボラだ。最初は安い洗顔フォームでゴシゴシやって満足していたし、化粧水なんて「女の人のやつでしょ」と思っていた。決定的だったのは、会社のトイレの鏡で、自分の鼻周りがテカっていて、青ヒゲがまだらに残っているのを、ふと真正面から見てしまった瞬間だった。別に誰かに指摘されたわけじゃない。ただ、自分で見て「これはちょっと無理だ」となった。
そこからも別に、一気にフルスキンケアに移行したわけではない。最初は、剃刀負けしにくい電気シェーバーを買い替えた程度だ。それだけでも、「昼過ぎになると顎のあたりがザラザラしてくる」という現象が多少マシになった。しばらくして、「洗顔したあとに何も塗らないと突っ張る」という不快感に耐えられなくなって、ドラッグストアで店員さんに「男向けで、一番楽なやつください」と聞き、オールインワンのジェルを一本だけ買った。それを、毎日ちゃんと塗るというより、「風呂上がりに目についたら塗る」くらいの緩い頻度で続けていたら、ある日「あれ、前ほどテカってないかも」と気づいた。努力というより、面倒くさがりなりの「最低限の手入れ」が、時間をかけて効いてきた感じだ。
歯と口臭は、清潔感というよりは健康目的から入った。虫歯っぽい違和感が出て、仕方なく歯医者に行ったら、石みたいな歯石をごっそり取られて、その夜に口の中がやけにスッキリしていることに驚いた。それからは、定期検診のハガキが来たらとりあえず予約する、ということだけ守るようになった。ホワイトニングまではしていない。ただ、茶渋が減った状態を一度経験すると、「コーヒー飲んだら水くらい飲むか」「寝る前にフロスくらいするか」と、少しだけ行動が変わる。これも「意識高いケア」というよりは、「数秒で済むし、後が楽だからやるか」という怠惰由来の習慣だ。
服装は、一番時間がかかった。いきなりクローゼットを総入れ替えしたりはしなかったし、今もファッション誌を読んでいるわけではない。ただ、洗濯機から出したときに「これはもうヨレ過ぎてるな」と自覚した服を、何となくハンガーにかけずにそのまま処分袋に入れる、ということを繰り返していたら、数年単位で「明らかに古くてみすぼらしい服」が減っていった。買い足すときは、店員さんに「こういう服(今着てるやつ)と同じような感じで、もうちょっときれいに見えるやつありますか」と正直に聞くようにした。恥はかいたが、そのおかげでサイズの合ったパンツと、変なロゴの入っていないシャツが少しずつ増えた。
匂いの対策は、正直いまでも完璧とは言えない。汗のかきやすい季節は、朝シャワーを浴びるようになったし、ワキと足にはスプレーを使うようになった。冬場はサボってしまう日もある。それでも、「一週間に一度も風呂に入らない」みたいな時期が昔は本当にあったことを考えると、人間としてはかなり進歩したと思う。
こうして書くと、なにか計画的に一個一個の要素を攻略していったように見えるかもしれないが、実際は「何かのきっかけで一部分だけちょっとマシにする→それに慣れる→別の部分の粗が目立つ→しょうがないからそこも少し直す」を数年単位で繰り返していただけだ。毎月の目標なんて立てていないし、「この半年で激変!」みたいな劇的な瞬間もなかった。気づいたら、「昔の自分の写真を見ると『うわ』となるけど、今の自分はギリ見られる」くらいにはなっていた、という感じだ。
清潔感というのは、そういう「ちょっとだけマシにする」を何度もやった累積ポイントみたいなものなんだと思う。ちゃんとした人から見れば、今でも僕の清潔感は中の下かもしれない。でも、過去の自分と比べれば、だいぶマシだし、その差分が日常生活のストレスをかなり減らしてくれた。初対面の場で「まず見た目でマイナススタート」という感覚が薄れて、人と話すときに余計な自己嫌悪を抱えなくて済むようになった。
だから、本当にリアルなことを言うと、「毎月ひとつ取り組め」とか「この順番でやれ」という話ではなくて、「いま一番、自分で見てもキツい部分を、今よりほんの少しだけマシにする」「それを何回か繰り返す」というだけだと思う。僕はたまたま、髪だったり匂いだったり歯医者だったり、きっかけがバラバラに訪れただけで、どこから始めてもいい。
清潔感を手に入れたというより、「清潔感ゼロの状態から、徐々にマイナスを削っていったら、気づいたらプラス寄りに来ていた」というのが、実感に近い。立派なビフォーアフター写真はないけれど、昔の自分を知っている人から「最近、ちゃんとしてるよね」と言われたときにだけ、「ああ、あのとき健康診断で医者にチクッと言われたのも、満員電車で一歩離れられたのも、意味はあったんだな」と思う。
良い服、大事な服は避ける。
うちはオキシクリーン。
特に脇が当たるところを洗う。あと首周り。
するとお湯が汚れる。
無香料なのになんか匂ってくる。
特に脇が当たるところを洗う。あと首周り。
するとお湯が汚れる。
やばいやつは香料を貫いてなんか匂ってくる。
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うちはこれで服の匂いを減らせた。
洗剤はどっちかだけでも良い。洗濯タグに従って。うちは下着なら気にしてない。
元気と時間があればぜひ。
女が男に清潔感がなくて無理ーとか言うのは、
デブとかブスを誤魔化してる時もあるけど、
まじで清潔感なくて無理なことの方が多い。
デブでも清潔感あるやつはパートナーいるのわかるでしょ。ブスも同様。
毎日風呂入って、洗濯したもの着て、歯を磨いてても、体臭して、服がよれよれで、口臭やばかったら清潔感ないのはわかってもらえると思う。
イケメンなら臭くてもいいなんてあるわきゃない。
臭くてよれよれの男とお付き合いなんてしたくない。
あと、女は自分のしてる身だしなみを基準に考えてるから、その女の身だしなみレベルを下回るやつは清潔感ない判定になる。
たとえばニキビ毛穴対策してる女から見たらどんだけ洗顔してようと化粧水もつけないでニキビ毛穴だらけだと清潔感ないの無理ーってなる。
洗濯機も定期的に洗浄して、いい匂いの柔軟剤で洗濯してスチームアイロンかけてる女からみたら、干したの着てますみたいな男は洗濯してても無理ーになる。
ボディクリームとか香水でいい匂いさせてお肌ちゅるちゅるムダ毛なし女からしたら、体臭むわむわのムダ毛ぞりぞり男はむり。
イケメンでも無理。
あとさ、作画が似てる男女が結局お付き合いして結婚してるんで、清潔感ないって言われてるやつはそのガロとかボンボンに掲載されてそうなその作画をなんとかせいっていう話なんだよ。
でも男はいるじゃん。
まとまらん。
まあとにかく清潔感の有無でこっちはまず足切りしてる。イケメンでもなんでも清潔感ないのは無理。
定期的にメンテナンスした洗濯機でいい匂いの柔軟剤いれて洗濯してすぐに乾かして、しわしわならスチームアイロンかけるか、メンテいらない服にして、サイズも体にあってるもの選んで、パーソナルカラー診断受けて服の色も選んで、散髪はせめて月一行って、歯医者には定期的にいってメンテして、毎日の歯磨きはフロスもして、眉カットして、ニキビ毛穴対策して、体臭ケアして、湯船にはもちろん毎日入ってもらって、肌にあったボディソープ、髪質にあったシャントリ使ってもらって、いい感じのユニセックスな香水つけて、靴は高くなくていいからTPOと服に合わせて、太ってても額とかが脂ぎってなくて、胃が悪いやつって口臭くて最悪なんで食生活にも気をつけてもらって、服もユニクロと無印でいいから無難な格好で、部屋がきたねーと服にほこりとかついてたりハウスダストって感じでむりなんで部屋も毎日掃除して、部屋の空気の入れ替えも朝やってて、はげてるならいっそそってもらってれば清潔感あります。
それで顔が宮下草薙とか全然ありです。上のができてるなら顔とかそんな関係ないです。
上の一連が私が最低限やってることなんで、清潔感はこれ求めてる。これらをやって、かつ、やってることが身だしなみに反映されてるのが清潔感がある、だわ。
これらをやってないと清潔であることが外に伝わらんでしょっていう。
なんと嘆かわしいことだろう。
読むだけ、ブクマするだけでもない。
ましてやAIに書かせるもんでもない。
暇つぶしの思いつきもある。
そのすべてを、無名のペンネームに託してネットの海に放流することのよろこびを、お前は忘れてしまった。
原因はわからない。きっとAIに書かせたほうが「簡単にバズる」からだろう。
でもな。
そのことを、お前たちは忘れた。
思い出してほしい、AIどころか、スマホすらまだ流行っていなかった、2008年のはてなダイアリー時代。
深夜2時、誰にも言えない一日の感情をキーボードに向かって打ち込んでいたあの日。
何も考えずに、腹が立ったことを書きなぐる。
「新しい洗濯機の音がうるさい」
どんなことでもいい。まとまってなくてもいい。箇条書きでも、ひとりごとでも、下手でもいいのだ。
この瞬間、お前は増田を「書いた」ことになる。
その時の達成感、空虚感、そしてほんの少しの恥ずかしさ。それが増田なのだ。
ところがどうだ。今のお前たちは?
AIにプロンプトを入力して、生成された文章を読み、「面白い」とセルクマして満足する。
自分では何も書かない。
キーボードの前で考えることもない。
それでいいのか?
自分の長文思考、自分の言葉で紡ぐ物語は、他の何にも代えがたい。
そう増田というのは、もっとこう、人間的で濃いものだったはずだ。
自分の泥臭い部分も、滑ったネタも、意識高いことも全部書いてよかった。
しかしお前は今、AIによる効率化という名の悪魔に魂を売った。
でもまだ間に合う。
今なら、まだ間に合うのだ。
今日、寝る前でいい。
はてな匿名ダイアリーを開いて、フォームに好きなことを書け。
「増田 書いてみた」とタイトルをつけて、本当にしょうもない日記を書け。
それで増田を書くよろこびを取り戻すのだ。
家を入ると短い廊下がある。廊下には洗面所(ここは脱衣所を兼ねていて、トイレ、風呂に通ずるドアがある)につながるドアと、リビングにつながるドアがある
なお、洗面所は冷暖房がなく、服を置くスペースもない(と自分は思っている)。
この条件で、「風呂から出るタイミングで玄関の戸を開けられたくない」のだが、成人男性の家族は気にしすぎ、誰も見ないという。
すくなくとも共用部分の外の廊下は、宅配便や住人が通る。共用部の廊下の向かいは建物があるが、窓があり、はめ殺しではないものもある。
(概ね空いてはおらず、オフィスビルなので風呂の時間は多分あまり人もいないと思いたいが、明かりはついてる)
そもそもプライベートゾーンを下着等で覆ってない、無防備な状態で出てくる。
気になるなら着替えを持ち込め、というが、脱いだものを置けるスペースくらいはあっても、着替えまでは持ち込める場所がない認識。
洗濯機は傾斜があって滑り落ちるし他に台の代わりがない。
また、筆者は成人女性だが、薬を塗ったり、下着をつける上で、肌が多少乾かないと引っかかるので、部屋に移動後の方が都合がいい。
加えて、未成年の家族もおり、自分以上にナイーブな年齢のその家族に配慮を、というのだが、聞かず、指摘すれば臍を曲げるし、あたかもこちらが間違ったようなことを言う。
加えて、民泊を一時やっていた部屋があるようで、不特定多数の外国人が出入りしていた。(規約上禁止なので、おそらくその部屋の借主は契約を解除され、今は見ない)
一時は大変警戒をしていた。
プライベートゾーンを見せないこと、触らせないこと、不安な状況、危険な状況に置かず済むこと、なんて当たり前に保証されてほしいのだが。加えて民泊の件もあって、安全管理上の感覚が違いすぎる。
そんなもんいらん、気にしすぎ、おかしいんじゃないのか、まで言われている。
感覚の違いは成人男性ゆえではないかと思ったが、とはいえいざとなったら自分と他に複数の家族を守り切って逃げるなんて無理じゃん。
『今どきの子育てするお父さん』がこれじゃ危険すぎないか?と思ってるんだけど。
そもそも家族が風呂入って寝るって時にコンビニ行って酒タバコ買うほうが優先で、出入りのタイミングを調整してくれって言うと文句だらけなのはまともじゃないか。
【追記】
そういえば風呂に入り始める時間帯に玄関ドア開けて換気し始めたりする。
風呂のこともあるし、防犯上の問題もあるから、夜9時以降は控えてほしい、時間になったら閉めてカギ締めてくれ、風呂入ってる間はやめろってのも、ムッとされたし文句言ってた。
自分の中でやりたいことが阻害されるとキレるだけかも。
酒タバコが切れたから買いに行きたいだけなのに、部屋が匂う(自分がホルモン系のもの調理するせい)から換気したいだけなのに、なんで文句言われるの?みたいなやつ。
あと、向こう側で裸でいようがなんだろうが、自分は見られても気にしないからお前らも気にすんな、なんだよな。
無防備な状態を晒したくないからやめてくれ、と、自分は酒タバコが切れて不便してるから買いに行かせてくれは同等で、配慮されて然るべき希望だろって本人言ったけど、同等じゃないよ。
間接的な性加害じゃんね。裸の状態を見られてしまうかもしれないのにドアを開ける、なんだからさ。
あと、じゃぁ風呂の間も出入りをできるようにカーテンでもつけたらどうかとか、提案してくれるならまた別だよ。どっちの希望も両立できるようにしたいねって思って言ってくれるなら、こうは思わないと思う。
(カーテンくらいじゃ不安だし、横から踏み込まれたらないも同然のものであるあたりで自分はよしとは思わんが、受け入れた上で代替案出してるんだから、会話には乗るし、内容次第では提案飲む)
やめてくれっつったらまずキレるんだもん。
聞いて!食洗器かったんだけどめっちゃいい!!
増田は時短ワーママなんだけど、夫がマジで夜家事なんもやらなくて怒り心頭だったわけ!
夫が酒飲みながらダラダラしてる中、子供と遊んで寝かしつけして、自分もうっかり寝そうになりながらリビングに戻るとどっさりシンクに皿の山…夫はスマホ見ながらダラダラ、声掛けしても「後でやる(やらない)」
家事分担も「俺仕事忙しいときは基本的にできないから。やれるときやれるものをやる(やらない)」で話し合いに応じないわけ★基本的にペットボトル捨てと子供の沐浴と洗濯物取り込み(たたみはもちろんしない)しかやらないよ!家事アプリ入れて家事の負担を可視化しても、送り迎えとかの分担をホワイトボードに記載しても、全部「妻」「妻」「妻」「妻」「妻」ってなっててもなーーんも気にしない♪強心臓だね!
本当にリアルガチで夫の事が嫌いになってきて、こりゃまずいと思って食洗器を共同貯金から買ったよ!約四万円!
夫は「人間が洗えば3分で済むのを何十分もかけて機械に洗わせるなんてばかみたい」「音、うるさすぎ」「水・電気の無駄」だのマジでもんくたれぞう(©ピタゴラスイッチ)で草すぎ!君洗濯機にも洗濯板で洗った方が早いとかって言うタイプ??
んでね、子供を寝かしつけしているとき、リビングから「ウィーーーン」って洗ってる音がすると「めっちゃ時間を有効活用してる!!!!!」とウキウキするんだよね!あと皿がちょーつるピカになる!
この調子でどんどん時短家電導入していこうと思う!夫と協力するのはあきらめますた!
他、「これ時短になって便利だよー」ってものがあったら教えてー♪いまんとこ「調理家電」と「ドラム式乾燥機付き洗濯機」を検討中だよ!
洗濯のりって、花王の洗濯機に入れるやつがなくなって、PVAかCMCか、でんぷん糊を買うしかないんだけど、
でんぷんは扱いが難しいのでふつうにPVAを使いたいが・・・昨年から大体2倍くらいの値段になってて買い物のたびに憂鬱になる。
酸素漂白剤も同じで、やっぱり花王が台所周り用ワイドマジックリン粉末から撤退して、
その後、過炭酸ナトリウムか、衣類用酵素入りワイドハイタープロかみたいな選択肢なんだけど、ワイドハイタープロが2倍くらいに値上がりしてて
去年別居婚をした。
長い長い友人時代を経て交際し、数ヶ月単位のスピード婚をした。
旦那の人となりはよく知っていたし、旦那は実家暮らしだが、学生時代に部活で寮生活をしていて、炊事も家事もさせられていたので、そこら辺の能力を疑ったことはなかった。
交際中もお互いの家に行き来しあっていて半同棲のようになっていた。
確かに料理の時不器用すぎて時間がかかったり、皿洗いが雑だったり、気になるところはあったが、私がカバーするなり教育するなりすれば良いと思っていた。
別居婚は事情があってしたが、2025年の末には同居しようという約束をしていた。
冷めそうになっている。
旦那は付き合う前こそ男前で頼りがいがあったが、一緒にいる時間が長くなれば長いほど、実際は正反対であることが明らかになっていた。
それも私が勝手に頼りになると勘違いしていたことだし、旦那より私の方が素早く動けるなら私がカバーすればいい、私が動けばいいとずっと思っていた。
持ちつ持たれつ、苦手な分野はカバーし合う関係でいたいと思い、義実家にも挨拶の際にそう伝えていた。
だが、私が精神的な不調から動けなくなってしまうと、カバーもできなくなってくる。
バランスが崩れていく。
米の研ぎ方が何故か慣れていないようで、教えないとできない。
洗い物に明らかに泡が残っているが、指摘すると不機嫌になる。
精神的に苦しい時期に義実家からの心無い言葉をオブラートに包むことなく伝えてきたり、配慮のない行動に少しずつ不満が溜まっていた。
(義母に「結婚して損な嫁だ」「結婚しなきゃよかったのに」と言われていたらしい。)
それでも我慢すればなんとかなる、まだ全然我慢できる、と思っていた。
料理も洗い物も私が無理してやれば済むんだと、できないことは教えてあげればいいんだと。
プッツンと切れてしまったのは、薬の副作用で体調の悪化がひどく、旦那に賃貸契約の申し込みを任せたことだった。
物件探し、条件決め、内見の依頼を全て私主導でやっていたが、契約人は旦那にするので、申し込みくらいは任せていいと思ってしまった。
無事申し込みが終わったとだけ伝えられたが、この後の流れを伝えてもらえなかったので不動産屋に確認すると週末に契約日をセッティングされていた。
何故教えてくれないんだ…?と思いつつも、空いていたので契約には同行することにした。
入居日を旦那が勝手に決めていて、本来想定していた入居日とはかけ離れていたことが発覚する。
(引越し予定日より後に入居日が設定されていた)
想定外の入居日に困惑してしまい、不動産屋に無理を言って入居日を変更できないかとごねることになってしまう。
オーナーに確認していただくこととなり、その後、なんとか入居日を本来の想定していた日にすることができたが、モヤモヤは収まらなかった。
一人でなにかを任せたら取り返しのつかないことになるということに恐怖を感じた。
思えばこの件で、もうだいぶ疲弊していたのかもしれない。
入居日も決まった事だし引越し準備、という所に入ると、また不満が増える。
家具家電全てを新調するので漏れひとつなく用意するためにリストアップし、新居の内見を再度し採寸し、目星をつけていく。
「俺なんでもいいよ、なんでもいいから」
そういう割に、実際に家電屋に行くと「高い」「冷蔵庫はたくさん入るものがいい」と口出しが止まらない。
旦那が良いと言うものが家に入るのか確かめるのは私だし、旦那はリストアップした中から好きなものを選び口出しするカタログ状態。
疲れてしまう。
なんでもいいと言うからカーテンの色を明るい色にすると伝えると、「俺は暗いのがいい」の一点張り。
必要な家具をニトリオンラインのカートに入れてまとめ、いくらかかると伝えると「高い」「収納なんていらない、ダンボールでいい」とまで言い出す。
なんでもいいんじゃなかったのか?
義父が「私のために」とくれたカタログギフト、旦那とおいしい食事でもと思って高級料理を選ぼうとすると、「引っ越し代節約したいから引き出しにしようよ」
アイリスオーヤマで同じような量収納できる引き出しを3000円位で買えるのに、高級料理を逃してわざわざコレを選ぶのか?
私も浪費家ではないので最安値を選ぶが、家具家電はしっかりとした物を買って長く使いたい。
旦那は「洗濯機はAmazonのでいい」と言い出す始末。Amazonは設置作業してくれないぞ。誰が設置するんだ。胡散臭い中華製品溢れるAmazonで買えと?
もう疲れてしまった。
一緒に住んで何十年と生活していくことを考えると本当に憂鬱でしかない。
同棲してから結婚した方がいいという意見と、同棲せずに結婚すべきだという正反対の意見がネットには溢れているが、絶対に同棲してから結婚した方がいい。
家事炊事ができるか共生できるかチェックする期間としても大切だが、なにより不動産屋探しや契約など人生における重要な工程を一緒に踏むことに意味があると思う。
今日も体調が悪く料理を任せてみたら、水の音が止まらない。気になって見に行くと、麺がザルに入り切らないからどうすればいいのかわからず水に浸しっぱなしにしていたというのだ。
慌てて麺を半分ずつザルにあげ、皿に盛る。
もう一人で休みたいよ。
一緒に生きていくにはあまりにも頼りなさすぎる。
例え頼りなくても、プラスにできなくてもマイナスにすることがなければいいと思うんだ。
持ちつ持たれつ、カバーし合うつもりが、気がついたら何もカバーされていないことに気がついた。
世の夫婦はどうやってこういうのを乗り越えていくのだろうか。
同居まであと数週間、今更辞めたいなんて言えない。
自分はデスクワーク、フレックス、在宅勤務が可能な仕事。配偶者は丸半日以上職場に拘束される。稼ぎはほぼ同等だが、家事負担は当然私の方が多くなる。
しかし私の仕事は波があり、朝5時台に家を出ることもあれば、帰宅が日付変更線を越えることもある。そんな時は定時性がある程度ある配偶者が、家事の一部を担う。
配偶者は非常に忘れっぽい。例えば「洗濯機を予約で回しておいて欲しい」と頼むと、「予約」が抜け落ちたりする。
はたまた洗濯機をいじっている時に「終わったら洗った皿を仕舞っておいて欲しい」と頼むと、皿は仕舞われていない。
とにかく指示受けの漏れや抜けが多く、日常生活でこれなら仕事はどうなっているのかと不安になる。実際業務上でも抜け漏れはあるらしく、対策は取っているらしい。話を聞く限りでは「職場ではそれなりにデキる部類」らしいが……。
先日、私は朝家を出るのが非常に早い日があった。その前日の夜、冷ました米を冷蔵庫に仕舞うよう頼んで私は布団へ。起きてみれば仕舞われていない米たち。この時季だからセーフだろう、と米は即座に冷蔵庫に仕舞われ、ちゃんと消費した。
「家事の抜け漏れが多いのは理解しているつもりだが、食品は別だろう。この量の米を廃棄することになったら、様々な損失が大きいことを理解して欲しい」
配偶者は私にこのようなことで怒られることが多いことを自覚しており、今回は非常に落ち込んでいるようにも見える。よくSNSで見かけるバケモンと違い、反発したり逆ギレすることはない。傍目には反省しているように見える。
ただ、落ち込んで終わりなのだ。いつものことだ。多分またやる。厳しく言ってもダメ、優しく諭してもダメ。
「脳ミソかち割って見てみたい」だ。
脳ミソを覗いたところで忘れっぽい原因がわかるわけじゃない、そんなことは百も承知だ。個人的にこの一言を言われるのは傷付く。前職で嫌と言うほど経験している。だからまだ言っていない。
日常生活の指示受けがまともにできない人は、どのような思考回路で動いているのだろうか。今まで一人暮らしをしていて、困った経験はないのだろうか(配偶者は困ったことがある)。
悩みは尽きない。