はてなキーワード: 日本陸軍とは
ChatGPTによる調査をしてみた
・昭和36年と昭和37年の北海道で集落に降りてきた羆による獣害対策に自衛隊が派遣された記録あり
・熊の縄張り主張の生態が的確
・森に餌が少なくなると人里に動物が降りてる生態が的確
・狩猟者が手首足首を重点的に守るのは草木で四肢が擦れるためで描写が的確
・マキリはアイヌの基本装備
・フクロウはアイヌ神話のコタンコロカムイと呼ばれ集落を守護する神
・アイヌの槍の長さは150cmほどで日本の伝統的な槍よりも短い
・昭和30年代に祖父が婚姻したと考えるならばその10〜20年前は終戦時期で学徒動員などから民兵訓練を受けていた可能性が非常に高く、日本陸軍の銃剣術は下段もしくは中段構えが基本
https://www.nids.mod.go.jp/publication/senshi/pdf/200703/5.pdf
これによると上官殺人については、代表的なものとして以下の事例を確認できる。
概要: 輜重兵第3連隊第1中隊において、下士官7名と兵32名が中隊長代理および中隊将校に対して集団暴行を行い、中隊長代理を殺害した事件。
原因: 中隊長代理の過激な軍紀粛正に対する反感が引き金となった。
処罰: 首謀者の曹長は死刑、中隊長代理も職権乱用の罪で懲役1年6ヶ月に処せられた。
概要: 第59師団第53旅団隷下の独立歩兵42大隊第5中隊で、兵6名が中隊幹部に対して暴行を行い、中隊長を殺害した事件。
処罰: 本事件の詳細な処罰については記載されていないが、軍内で大きな衝撃を与えた事件として記録されている。
概要: 昭和18年度には、上官殺傷事件が合計で45名にのぼり、特に中隊長以上に対する犯行が多数発生していた。
原因: 上官の粗暴な態度、軍事能力の欠如、指導能力の不足などが原因として挙げられている。
殺人を取り上げたが、対上官犯の発生傾向を全般でみると、戦況の悪化に伴い増加していた模様。
昭和16年度の対上官犯は341名であり、前年の202名から約1.7倍に増加している。
昭和17年の上半期だけで、対上官犯は126件、152名に達している。
昭和18年度には対上官犯が428名に増加し、前年と比較しても著しい増加傾向。
昭和19年には対上官犯がさらに増加し、1月から7月の間に既に347名に達しており、前年の一年間の総数に近づく勢い。
対上官犯の増加についての背景について、戦況悪化と士気低下の影響と分析している。
ガダルカナル撤退後、第一線も後方も士気が低下し、対上官犯や奔敵逃亡が増加する傾向にあったという。
補給不足や飢餓状態が士気を低下させ、逃亡者や対上官犯の増加に繋がったとのことだ。
戦闘が激化し、士気が低下することで、上官への反発や不満が顕在化しやすくなり、対上官犯の発生が増加したと考えられる。
これに対して、陸軍は戦陣訓による教育的指導で意識改革を図ろうとした。(戦陣訓かよ。。。)
PDFは・・・以上のような内容の文書のようだ(AIによると)。
なるほど。面白い。
しかし、そもそも、満州事変にしても陸軍中央の一部幕僚と関東軍の連携に遂行され、それは政府や陸軍首脳の方針に反して行われたものだったし、226事件にしてもクーデターだ。陸軍内部には長い間、皇道派と統制派の対立があってそれがクーデターにつながったもの。
犬養毅首相を武装した陸海軍の青年将校たちが暗殺した五・一五事件(1932年)の時点で、もはや【軍務による制約】がすでに機能していなかったといえる。首相殺害って上官殺しどころの次元じゃない。下剋上すれば何かを変えられると信じていたということだ。
日本陸軍の歴史を振り返ると、ある意味、組織に内在する”下剋上”的な雰囲気が戦争へと突き動かしていたことがわかる。
それは当然ながら戦陣訓といった組織内規律でコントロールできる範疇を超えるものであり、根本的なガバナンスが問われていたことは間違いない。
そのダイナミックな動きをもっとも恐れていたのは昭和天皇だったかもしれない。
上記文書の対上官犯罪の増加について戦陣訓で対応したとあるが、こうして下剋上的な力学が全体で強く働いていたなかでは、戦陣訓ごときで風紀の乱れなど押さえきれるものではなかっただろう。
その戦陣訓を考案したとされる陸軍大将の畑は、昭和20年8月6日、たまたま広島駅近くで被爆し、その体験をもって上京、御前会議の前の元帥会議に臨んだ。他の元帥が主戦論を張るなか、ただ一人、本土決戦など不可能である旨を天皇陛下へ奏上、敗戦に至ることになる。
歴史にもしはないが、天皇陛下に奏上できる立場の陸軍首脳が原爆被害に遭っていなかったら?・・・もしかすると、当時の地震災害を黙殺したみたいに、原爆被害も知らされず黙殺されて、もう数発くらい落とされていたかもしれないし、ソ連の侵攻も相当進んでいたかもしれない。
このことからわかることは、各都市が焼けようと沖縄がどうなろうと本土決戦を諦めなかったにもかかわらず、原爆の威力を肌身で理解した元帥が奏上できたということは、人間誰しも当てはまることで、いくら想像力があっても、現場にいかないかぎり現場のことはわからないということだ。
なお、畑に随行していた参謀は宮城事件(クーデター)に巻き込まれ、青年将校に殺害されたとwikipediaに書いてあった。
「食物をめぐって上官殺人」
https://www2.nhk.or.jp/archives/movies/?id=D0001100526_00000
https://www.nids.mod.go.jp/publication/senshi/pdf/200703/5.pdf
あと驚くべきことに公的資料として日本陸軍内では戦争が末期になるほど上官への抗命・侮辱・暴行・殺人が目に見えて増加している
三毛別羆事件は内容が削られてたので選外。
1902年(明治35年)1月に日本陸軍第8師団の歩兵第5連隊が青森市街から八甲田山の田代新湯に向かう雪中行軍の途中で遭難した事件。訓練への参加者210名中199名が死亡(うち6名は救出後死亡)するという日本の冬季軍事訓練において最も多くの死傷者を出した事故であるとともに、近代の登山史における世界最大の山岳遭難事故である
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AB%E3%82%A417%E4%B8%96
フランス国王ルイ16世と王妃マリー・アントワネットの次男。8月10日事件以後、国王一家と共にタンプル塔に幽閉されていたが、父ルイ16世の処刑により、王党派は名目上のフランス国王(在位:1793年1月21日 – 1795年6月8日)に即位したものと看做した。名目上のナバラ国王でもあった(ナバラ国王としてはルイス6世)。しかし解放されることなく2年後に病死した。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%B0%E6%96%B9%E7%97%85_(%E6%97%A5%E6%9C%AC%E4%BD%8F%E8%A1%80%E5%90%B8%E8%99%AB%E7%97%87)
山梨県における呼称であり、長い間その原因が明らかにならず、住民らに多大な被害を与えた感染症である。ここではその克服・撲滅に至る歴史について説明する。
https://ja.wikipedia.org/wiki/4%E5%8D%83%E5%B9%B4%E7%B4%80%E4%BB%A5%E9%99%8D
3001年以降の予測
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E6%9E%97%E3%83%8F%E3%83%AB
日本の瞽女。生後3か月で失明し、5歳の時に瞽女修行を開始。数多くの苦難を経て晩年に「最後の長岡瞽女」、「最後の瞽女」として脚光を浴びた
経歴詐称や仮病などの手段を駆使して「故障療養中の優秀なサッカー選手」のふりをすることで、実際には1試合しか出場せず、長年にわたってプロサッカー選手としての報酬を得ていたことで知られる。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8F%8D%E3%81%97%E3%81%84%E6%AD%BB%E3%81%AE%E4%B8%80%E8%A6%A7
(はしがき…Safariで日本語のURLをコピペしたら自動で記号に変換してくれるようになってたので記念日記です。前から?)
他にあったら教えてね!
ジャン=アンリ・ファーブル「完訳 ファーブル昆虫記 第8巻 上」
ジャン=アンリ・ファーブル「完訳 ファーブル昆虫記 第8巻 下」
「地球の歩き方 E03 イスタンブールとトルコの大地 2019-2020 【分冊】 1 イスタンブールとその近郊」
「A20 地球の歩き方 スペイン 2024~2025 (地球の歩き方A ヨーロッパ) 」
宮下遼『物語 イスタンブールの歴史-「世界帝都」の1600年』★★★
先月たくさん行ったしこれでOK。
満州国については通史でしか知らなかったので、こうして改めて本で読み返すと得るものが多い。
釘貫亨『日本語の発音はどう変わってきたか 「てふてふ」から「ちょうちょう」へ、音声史の旅』
今井宏平「トルコ現代史 オスマン帝国崩壊からエルドアンの時代まで」★★
維羽裕介、北國ばらっど、宮本深礼、吉上 亮「岸辺露伴は叫ばない」
Jam「続 多分そいつ、今ごろパフェとか食ってるよ。 孤独も悪くない編」
田澤 耕「物語 カタルーニャの歴史 増補版-知られざる地中海帝国の興亡」★
今井むつみ、秋田喜美「言語の本質: ことばはどう生まれ、進化したか」
安藤 寿康 『能力はどのように遺伝するのか 「生まれつき」と「努力」のあいだ』
ジャン=アンリ・ファーブル「完訳 ファーブル昆虫記 第9巻 上」
ジャン=アンリ・ファーブル「完訳 ファーブル昆虫記 第9巻 下」
旅先の歴史についての本や、旅先でも読めるくらいの軽さの本を読んでいる。岸部露伴は地中海を飛び越える飛行機の中で楽しんだ。
言語学の本を少し含んでいる。
なお、イスタンブールのドルマバフチェ宮殿には美術館が併設されており、そこにも行ったのだが流し見だった。今回の旅行のテーマは絵画ではなく建築だったからだし、軍事博物館のイェニチェリの演奏を聞きたかったからだ。
ジャン=アンリ・ファーブル「完訳 ファーブル昆虫記 10巻 上」
ジャン=アンリ・ファーブル「完訳 ファーブル昆虫記 第10巻 下」★★★
下村智恵理「AN-BALANCE:日本非科学紀行 第S4話 露出狂時代」
飯村周平『HSPの心理学: 科学的根拠から理解する「繊細さ」と「生きづらさ」』
きい著、ゆうきゆう監修「しんどい心にさようなら 生きやすくなる55の考え方」。
堀晃 他「Genesis されど星は流れる 創元日本SFアンソロジー」
小川一水 他「Genesis 時間飼ってみた 創元日本SFアンソロジー」
「トルコ共和国建国100周年記念 山田寅次郎展 茶人、トルコと日本をつなぐ」
柞刈湯葉も柴田勝家も一度読んでから「しばらくは読まなくていいかな」と思ってしばらくしてから読みだした。柞刈湯葉は表題作が普段のクールというか知的なアイディアを軽やかに扱う感じではなく、意外な側面に驚かされた。柴田勝家はVtuber文化と死後のアーカイブを肯定的に表現していたのが大変面白い。
ブアレム・サンサルはもう何年も前にWIERD誌が紹介していたので読書メモに載せていたので読んだ。数歩遅れて読むことなどよくあることだ。僕は最先端を追うことにそこまで興味がない。
フレドリック・ブラウン「フレドリック・ブラウンSF短編全集1 星ねずみ」
柴田勝家「ヒト夜の永い夢」
フランチェスコ・ヴァルソ (著), フランチェスカ・T・バルビニ (編集)「ギリシャSF傑作選 ノヴァ・ヘラス」
高水裕一「時間は逆戻りするのか 宇宙から量子まで、可能性のすべて」
フレドリック・ブラウン「フレドリック・ブラウンSF短編全集2 すべての善きベムが」
トーマス・S・マラニー「チャイニーズ・タイプライター 漢字と技術の近代史」★★
SFが多くを占めた。面白いが徐々に飽きてくる。新人賞の作品は読んでいるそのときは面白いんだけど、新しい思考の枠組みや発想に触れて、それが後まで自分に影響を与え続ける作品ってのは少ないのかも。
逆に星新一の源流の一つ、フレドリック・ブラウンなんかは、古びたアイディアと今でも色褪せないアイディアの両方がある。
タイプライターの歴史も面白く感じられた。あとは、純文学が少し恋しい。
他に読みたいのは歴史の本かなあ。それか、第二次世界大戦を舞台とした小説か。「火垂るの墓」とか「野火」とかいい加減に読まないとと思っている。
池田利夫訳・注「堤中納言物語 (笠間文庫―原文&現代語訳シリーズ) 」
フレドリック・ブラウン「フレドリック・ブラウンSF短編全集3 最後の火星人」
成美堂出版編集部「いちばんわかりやすい 家事のきほん大事典」
池澤夏樹=個人編集 日本文学全集 第10巻「能・狂言/説経節/曾根崎心中/女殺油地獄/菅原伝授手習鑑/義経千本桜/仮名手本忠臣蔵」★
フレドリック・ブラウン「フレドリック・ブラウンSF短編全集4 最初のタイムマシン」
木村光彦「日本統治下の朝鮮 - 統計と実証研究は何を語るか」☆
エリック・H・クライン「B.C. 1177 古代グローバル文明の崩壊」☆
日本語の活字についてや、日本の植民地政策について読み始めたのは、先月の中国語タイプライターの本に、日本製の中国語タイプライターについての記述があったためだ。
楊海英「日本陸軍とモンゴル 興安軍官学校の知られざる戦い」☆
小倉孝保「中世ラテン語の辞書を編む 100年かけてやる仕事」★★
宗美玄(ソン・ミヒョン)「女医が教える 本当に気持ちのいいセックス」★★★
木村泰司「人騒がせな名画たち」
なし
読んだのは全体的に近現代史が多い。
第二次世界大戦についての本は通史を何度か読んだが、テーマごとに読むとまた面白い。歴史は技術史とか思想史とか文学史とかの別の軸で見直さないと立体的に見えてこない。とはいえ、少しは立体的に見えたとしても、知らないことが無数にあり、出来事すべてを頭の中に残しておくのは難しい。歴史は誰と誰が知り合いかとか、活躍した時代以降にどう生きたかがわかってくると更に面白くなるんだろうが、あいにくそこまで行っていない。
12月は当たりが多く、上位3冊を選ぶのに悩んだ。ほぼすべてがオススメ。
来年からは方針を変えて、すべての本を★1つから5つまでの段階で評価してもいいかもしれない。
一年を通してみると、「昆虫記」のウェイトが大きく、それから第二次世界大戦の本を多く読んでいる。それに並んで平安時代、江戸時代などを扱った新書が多い。外国の歴史の本は少ないが、旅先のイスタンブールとバルセロナの歴史を扱った本が印象深い。
SFの新人賞を数年分まとめて追いかけるのが習慣なのだが、もう少し純文学を読みたい。学生は岩波や新潮の古典ばかり読んでいたのにどうしてだろう。
人権関係で読みたい本が多数ある。とはいえ、悲しい気持ちになるので元気のある時にしか読めないし、いつ元気になるかは予測ができない。
ここ最近は美術展に行っていないなと思いきや、振り返るとほぼ毎週行っている月があったので、まとめてみるのは大事だ。秋以降は少なかったが、これは理由がわかっている。
以上。
https://www.amazon.co.jp/gp/customer-reviews/R1XO7DSWNV0KVQ
内容はおおざっぱに、
「原爆を積んだB29が広島長崎に飛来した時だけ空襲警報も応戦命令も出ず無防備なまま原爆を投下された。日本陸軍情報部は新型爆弾を積んだB29が飛来してるのをキャッチして報告を上げているのに無視されている。その証拠は隠滅された。」
2年で枯渇すると言われた石油はなぜか4年持ちました。石油を輸入していたからです。アメリカは見てみぬ振りをしています。
そして丁度原爆2発投下直後に上手い具合に終戦宣言され、アメリカは被曝を隠蔽工作をしながらデータ取りができました。戦犯とされながらもなぜか処刑されなかった組の安倍晋三の祖父岸信介や読売の正力松太郎らが戦後の日本を牛耳り、アメリカの完全な言いなりの属国日本を作り上げました。岸も正力もCIAの工作員だったことが現在ではアメリカの公文書ではっきりしています。そしてアメリカの思惑での原発日本導入に繋がっていき、現在はこの売国組がアメリカの要求した憲法改悪案を通そうとしています。
番組はNHKですから、あくまで業と誤解をするように仕組まれていますが、それを省いて普通に解釈するとレビュータイトル通りです。
「日本政府内の売国組は負け戦と悟るとアメリカと内々に交渉し、命乞いをして自国民を売ってアメリカ政府の原爆投下をアシストした」アメリカはこの原爆投下のお陰で戦後 核の帝国を築きました。
NHKの中の僅かなまともな人が福島原発事故での日本政府の対応を見て、可能な範囲で日本政府の正体を伝えたかったのかもしれません。現在の日本がここまで酷い国になってる根本的な歴史的事実の一つだと思いますので日本人なら知ってるべきでしょう。
■序文
本稿は戦前の天皇のインナー・サークルとしての宮中グループに焦点をあてながら、昭和平成史を読み解くことを目的としている。宮中グループは宮中側近グループなどとも呼ばれ、これまで定義としてあいまいさを残してきた。本稿では宮中グループを宮中側近にいた政・官・軍を含めたエリート集団と位置付け、これまで一括りに論じられることが多かったこのグループを牧野伸顕中心の「薩摩系宮中グループ」と木戸幸一中心の「長州系宮中グループ」に切り離し、対比している点を特徴としている。薩摩系宮中グループは皇室との関係においては貞明皇后、秩父宮夫妻、高松宮との結びつきが強く、昭和天皇の母君である貞明皇后のインナー・サークルとも言える。また、彼らは英米のエスタブリッシュメントと戦前から深く結び付き、親英米派として国際協調を重視した自由主義者であり、英米から穏健派と呼ばれた勢力である。このため皇室と英米有力者との仲介者として宮中外交を支えた。英米との接触の中で宗教的感化を受けてクリスチャン人脈を多く抱えていたことも特徴としてあげられる。その歴史的な背景はザビエル来航450周年を記念して建立された「ザビエルと薩摩人の像」(鹿児島市ザビエル公園)が象徴している。これに対して長州系宮中グループは昭和天皇のインナー・サークルとして昭和の戦争を主導した勢力である。岸信介や松岡洋右を仲介者に陸軍統制派と手を握りながら戦時体制を築いた。単独主導主義的な強硬派と見なされることも多いが、アジアの開放を掲げた理想主義者としての側面もある。戦前から靖国神社が彼らの拠り所となってきたことは、靖国神社にある長州出身の近代日本陸軍の創設者・大村益次郎の銅像が見事に物語っている。かつては「薩の海軍、長の陸軍」という言葉もあった。地政学的に見れば前者は海洋勢力、後者は大陸勢力となるだろう、また、明治期に医学を教えたドイツ人医師・エルヴィン・ベルツは、日本人を薩摩型と長州型に分類し、それらが異なる二系統の先住民に由来するとしながら、薩摩型はマレーなどの東南アジアから、長州型は「満州」や朝鮮半島などの東アジア北部から移住した先住民の血を色濃く残していると考えていたことも興味深い(『DNAから見た日本人 』斉藤成也・筑摩書房)。前者は縄文人、後者は弥生人の特徴を残しているのだろうか。大陸からの渡来人によって縄文人が日本列島の南北周縁に分散したと考えることもできるだろう。本稿では明治維新の内乱の過程で賊軍の汚名を着せられた武士階級の出身者やその子孫が数多く登場する。薩長藩閥によって立身出世が阻まれながらも、佐幕派は賊軍の汚名を晴らすべく、ある者は語学力を身につける過程でクリスチャンとなって薩摩系宮中グループに接近し、ある者は軍部を率いて長州系宮中グループと手を握り、またある者は共産主義に傾斜していった。特に陸軍の悲劇は、勝てば官軍の東京裁判で再び汚名を着せられたことだろう。しかし、勝てば官軍は世の常であり、その最たる例が靖国神社の原点にあることを再びここで取り上げる。日本の敗北は長州系宮中グループの敗北も意味した。薩摩系宮中グループは戦時下において悲しいほどに非力であったが、戦後、英米から選ばれし穏健派エリート集団として勝ち残ることになる。薩長の明暗を分けたのは情報力の差である。これは未来永劫語り継ぐべき重要な教訓である。戦後、薩摩系宮中グループの流れを受け継いだ吉田茂は、元祖「反ソ・反共」として、「経済優先、日米安保重視、軽武装、改憲先延ばし」の吉田ドクトリンを掲げて保守本流を築いていった。この吉田はカトリックとして本流らしい最期を迎えた。この吉田一派をポツダム体制派と見なし、反吉田旋風を巻き起こしながら、見事に復活したのが長州系宮中グループを受け継いだ岸信介である。岸も賊軍の汚名を晴らすかのように国際政治の舞台に復帰する。元祖「反ソ・反共」に対抗して、統一教会などと「勝共」を掲げたが、所詮保守傍流に追いやられた。平成の時代になって「政治優先、対米自立、再軍備、自主憲法制定」を柱とする岸ドクトリンのたすき掛けリレーが小泉純一郎によって再スタートする。そして今、第一走者の小泉純一郎から第二走者の安倍晋三へと受け継がれた。安倍の背後にはさらに強力な第三の男も控えている。この3名すべてが岸及び岸の同志につながる家系である。
こういうツィートを見かけた。 お爺ちゃんの怒りわかるわー 次の戦争の時は気をつけるわー ってなったんだけど、これに噴飯物のクソリプが付いてたんだよね。
円卓のサー・アーノルド卿(公式)さんはTwitterを使っています
「いまだに、忘れられない戦争体験の講演がある インパール作戦に参加した元帝国陸軍歩兵のお爺ちゃん 「皆さん、他のなにが苦手でもいいから、
国語の勉強だけはしっかりしなさい。偉い人が国語ができないと、『歩兵砲というから歩兵が担いで山を登れる大砲に違いない』なんて馬鹿な間違いを
するから」」 / Twitter https://bit.ly/3az1knh
「ありゃ、馬に!曳かせる!ものなの!! 歩兵の為に使うから歩兵砲って言うだけなの!! バラして歩兵が担ぎ上げて山登りとか馬鹿なの!! って、
何十年も経ってたろうにお怒りが止まなかった」 / Twitter https://bit.ly/3h7BWaW
「お爺ちゃん「若い皆さんが、ちゃんと勉強をして、将来偉くなったら、次の時はあんな馬鹿な負け方は決してしないでしょうから」とか言い出して
先生が慌てて止めに入るものの、お爺ちゃん耳が遠いので聞こえず話が止まらないという 大変ライブ感がある戦争体験講話だったのよ」
で、これに付いたリプライ(の一つ)がこれ。 この手の人間によくある、自信たっぷりな説教口でw
「@wellkin1945 @iwashidukushi 山砲=歩兵砲は人力でも搬送が可能な点が大きな特徴です! (・ω・)ノ
四一式山砲」 / Twitter https://bit.ly/322NdD6
お爺ちゃんも元のツィート主も、歩兵砲が分解されて駄載、あるいは臂力搬送されることぐらいわかってて、でも「文書にできるからと書いてあったって、最高峰が3000m級のアラカン山脈を超えさせるとか頭おかしいだろ! 陣地変更で臂力担送するのとはわけが違うんだぞ!!!」って話をしているのよね。 でも馬鹿だから全然それがわかってなくて、色んな人が指摘するんだがお答えはこの通り。
「@banzai0213 @OJB_koara @wellkin1945
旧帝国陸軍歩兵操典 https://t.co/bXEcF7Zkhr
大東亜戦争資料 九二式歩兵砲 https://t.co/oa1FW8a8YW
当時の日本の経済力、工業力では日本陸軍の全ての歩兵砲小隊に行き渡る十分な数の車両を整備する事が出来なかったのですよ だから駄馬か
人力運搬が大前提になるのです 当時の実情分かってる?」 / Twitter https://bit.ly/3iRCTog
恐らくこれで「論破」したつもりになっているのだと思う。 お爺ちゃんが怒ってたのが、まさにこういう「wikipediaに分解駄載できる、臂力担送できると書いてあったから、ビルマでのアラカン超え(またはニューギニアでのスタンレー超え)はおかしくない」って考えてしまう様な馬鹿なんで、これじゃお爺ちゃん死んでも死にきれないだろ。
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戦史叢書
防衛研修所戦史室(現・防衛省防衛研究所)が編纂した太平洋戦争及び日中戦争(大東亜戦争)に関する公刊戦史。
開戦経緯、戦争指導、個々の作戦等について、各種文書、口述記録並びに外国の公刊戦史等を元として、記述するもの。
1966年(昭和41年)から1980年(昭和55年)にかけて編纂・発刊。
大本営関係34巻 · 陸軍戦史37巻 · 海軍戦史21巻 · 陸軍航空戦史9巻 · 年表1巻の全102巻で構成。
戦略レベル以上の分析や史料批判に欠ける。旧軍に所属していた元軍人が書いているため、身内に係る批判がされにくい。陸海軍の対立が編纂事業にまで及ぶ。捕虜の取り扱いや占領地行政に係る記述が無いか少ない。索引が無い。誤りが多い等の問題点が見られるようだ。
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日本陸軍の軍備及び戦備並びにこれらに関連する事項について記述。官制について記述。
扱う期間は慶応3年(1867年)~昭和20年(1945年)8月15日。
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明治元年(1868年)から昭和15年(1940年)5月までの約70年間に亘る陸軍中央部施策中、大東亜戦争関連事項につきその大綱を概説して記述。国防上の政策、軍令機関等の制定改廃、帝国国防方針の制定改定等について記述。
扱う期間は明治元年(1868年)~昭和15年(1940年)5月。
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主として大正6~7年(1917~1918年)頃から昭和12年(1937年)頃までの約20年間に亘る陸軍軍需動員の計画準備について記述。徴発制度・法令・官制・計画等について記述。実施面については、戦史叢書第33巻『陸軍軍需動員<2>実施編』に詳述。
扱う期間は大正6~7年(1917~1918年)から昭和12年(1937年)。
大本営陸軍部の立場から大東亜戦争(日中戦争・太平洋戦争)に至った政戦略の経緯や戦争指導について記述。主として「大本営政府連絡会議」及び「御前会議」の運営及び開催に伴う陸海軍及び外交当局の動きについて記述。
扱う期間は昭和6年(1931年)~昭和16年(1941年)8月30日。
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日本海軍創設から「大東亜戦争」開戦までにおける海軍中央部の施策 、開戦から終戦までの大本営海軍部・連合艦隊の戦争指導および作戦指導の概要を記述。
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日本海軍の軍備及び戦備並びにこれらに関連する事項を重点的に概述。
扱う期間は昭和16年(1941年)11月~昭和20年(1945年)8月15日。
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昭和17年(1942年)6月5日から7日にかけて行われたミッドウェー海戦及びその前後の海軍作戦について記述。本作戦は、戦争全般のターニングポイントとみなされている重要な戦役(戦闘)であり、本作戦の失敗(敗北)以降、開戦から常に先手を取り続けていた日本海軍は、守勢に回ることとなった。なお、本作戦は、アリューシャン列島西部要地攻略作戦と一体の作戦として計画及び実行されたものであり、戦史叢書第029巻『北東方面海軍作戦』を関係して参照することが望ましい。
扱う期間は昭和17年(1942年)1月~昭和17年(1942年)6月。
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外地(特に南方占領地)からの海上輸送は、戦争中の国力維持に対し極めて強い影響を与える。戦争敗因の一大要因として、わが海上輸送力の減退に基づく国力喪失が挙げられており、それらの実相並びに諸対策の実態を明らかにするためにも、これらの関連分野全般に亘っての総合的研究叙述が必要とされるところである。
扱う期間は明治40年(1907年)4月~昭和20年(1945年)8月。
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昭和20年(1945年)1月~8月にかけての大本営陸軍部の作戦指導及び戦争指導の経緯を記述。
扱う期間は昭和20年(1945年)1月20日~昭和20年(1945年)8月15日。
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