はてなキーワード: 日本列島とは
結論から言うと、**その文章は「一部だけ事実に近い要素があり、結論部分はエビデンスがなく、科学的にも完全に破綻している」**です。
①「日本人男性にY染色体D系統(D1a2a-M55)が多い」
日本人男性に高頻度で見られる
学術的には:
東アジア大陸では後続の集団(O系統など)に押されて相対的に少なくなった
👉 「日本に多く、大陸で少ない古い系統」という説明までは概ね正しい
遺伝学では
あるのは:
移動
ドリフト(偶然)
👉 「負け犬染色体」という言葉は完全な感情的レッテルで、学術的意味ゼロ
③「日本人男性の4〜5割が持っている」
→ やや誇張だが近似値
多くの研究では:
約30〜40%
「全国平均で5割」は盛りすぎ
ここが一番問題。
などの影響が圧倒的
しかも:
藤井一至「土 地球最後のナゾ 100億人を養う土壌を求めて」
横山祐典「地球46億年 気候大変動 炭素循環で読み解く、地球気候の過去・現在・未来」
藤井一至「ヤマケイ文庫 大地の五億年 せめぎあう土と生き物たち」
主婦の友インフォス情報社「事故物件サイト・大島てるの絶対に借りてはいけない物件」(再読)
上遠野浩平「恥知らずのパープルヘイズ -ジョジョの奇妙な冒険より-」★
菅沼 悠介「地磁気逆転と「チバニアン」 地球の磁場は、なぜ逆転するのか」
ヴィンチェンツォ・ヴェヌート「生きものたちの「かわいくない」世界 動物行動学で読み解く、進化と性淘汰」
いがらしみきお「ぼのぼの人生相談 「自分をしまっちゃうのをやめないとさ」」
ちょめ「室外機室 ちょめ短編集」
特別展「鳥 ~ゲノム解析が解き明かす新しい鳥類の系統~」於・国立科学博物館。
昨年に引き続いて阿部勤也を読んでいる。歴史系の本は雑学が増えて楽しいし、現代で当然とされていることが全く通用しない世界をイメージできるので、自分の価値観が相対化できる(時折正しいかどうかだけが自分の判断軸になり、どう感じているかをおざなりにしがちなので大事)。他には地学や土壌が気になってたようだ。
なお、昨年までやっていた星印の評価はやめにした。同率二位とか三位とかを考えるのが面倒だったからだ。……とか思ってたけどやっぱり直感でやることにした。
乙一「The Book ~jojo’s bizarre adventure 4th another day~」
志村史夫「古代世界の超技術〈改訂新版〉 あっと驚く「巨石文明」の智慧」
コタニヨーコ「夏が、僕らの世界を見ていた」
熊倉献「春と盆暗」
「フリクリ」
特別展「魂を込めた 円空仏 ―飛騨・千光寺を中心にして―」於・三井記念美術館
久し振りに芥川賞を読んで面白いと感じた。自分の好みは、語り手が男性で、非常に知的であるか(丸谷才一をこの年読んだのはそのため)、怒りや暴力性などを抱えている作品にハマることが多い。もちろん例外も多数ある。というか読書の趣味は例外だらけだ。
あとは、高校生以来で「百年の孤独」を再読したが、当時と比べて複雑なストーリーを理解する能力が向上していたとわかったのは嬉しい。
「ジョジョ」や「フリクリ」など、すでに知っている物を手に取ったのはファン心理かもしれないし、これは外れないだろうというある種の安心(または怠惰さ)かもしれない。面白かったけれどね。
志村史夫「古代日本の超技術〈新装改訂版〉 あっと驚く「古の匠」の智慧」
篠田謙一「新版 日本人になった祖先たち―DNAが解明する多元的構造 (NHKブックス No.1255) 」
アシュリー・ウォード「ウォード博士の驚異の「動物行動学入門」 動物のひみつ 争い・裏切り・協力・繁栄の謎を追う」
「生誕150年記念 モンドリアン展 純粋な絵画をもとめて 公式図録」
「生誕100年 ジャクソン・ポロック展 JACKSON POLLOCK[図録]」
丸谷才一「横しぐれ」★★★
「特別展 慶珊寺と富岡八幡宮の名宝―『大般若経』が語る中世東国史―」於・金沢文庫。
また、この月は数年前に行けなかった美術展の図録を買って楽しんだ。たまたま行けなかったり、コロナ禍で自粛してしまったりしたもので、ずっと喉の小骨のように行けなかった後悔にさいなまれていたのだが、すっきりした。
丸谷才一「樹影譚」
ハンフリー・カーペンター「J. R. R. トールキン 或る伝記」
J. R. R. トールキン「農夫ジャイルズの冒険 トールキン小品集」
A. A. ミルン「クマのプーさん Anniversary Edition」
A. A. ミルン「クマ横丁にたった家 Anniversary Edition」
エーリヒ・ケストナー、池内紀訳「飛ぶ教室」★★★
児童文学が多い。「飛ぶ教室」は男子校を卒業して二十年余りの自分にはとても良く刺さった(小さい頃にもらったのだがパラパラめくっただけだった。たぶん自分の中の男性性を求める心が強く目覚めていなかったんだろう。あるいは、一生付き合っていきたいという友人に出会う前だったからかもしれない)。また、今まで触れてこなかったトールキンの作品に触れて楽しかった。これは十二月の洋書による再読の遠因となる。
スタインベックは障害観が少々古いが、無駄な場面がなく、悲劇としての構成が美しい。
J. R. R. トールキン「終わらざりし物語(上)」★★★
湊一樹「「モディ化」するインド ――大国幻想が生み出した権威主義」★
J. R. R. トールキン著、クリストファー・トールキン編「ベレンとルーシエン」
相国寺承天閣美術館開館40周年記念 相国寺展―金閣・銀閣 鳳凰がみつめた美の歴史。
うろこの家・展望ギャラリー、山手八番館、北野外国人倶楽部、坂の上の異人館。
湊川神社宝物殿
いつもの月と比べて大変に少ない。今月は休みの日に読まなかったのと、「終わらざりし物語」が上下巻それぞれ五百ページ超えと大変に長かったためである。四月までの分を加えれば平均して月十冊は読めているし、味わわずに読み飛ばすよりははるかにましである。というか、三月四月と十五冊読んでるじゃないか。プラスマイナスなし。
年始から神道をはじめとした日本の信仰について読んでいる。記紀に記載のない神々や、民間の信仰、仏教との混交などの知識が増え、日本神話についての解像度が上がった気がする。
なお、「クィンティ」はファミコンゲームで、これをスイッチでプレイした。祖父の家に合ったもので子どもの頃はクリアできないなりに楽しんでいた。スイッチの巻き戻し機能を利用してやっとクリアした。
余談だが昨年はクリアしないなりに「パリア」をプレイしたのだった(結局こういうクエストものや箱庭・スローライフものはそこまで好きじゃないというか飽きるとわかった。スローライフと言いながら結局採取や労働をしており、仕事で疲れて帰ってきてやるモチベーションが湧かない)。「Neo Atlas」は二〇二二~二〇二三にプレイしたが結局飽きている。世界を探検するのが好きなのはcivilizationで分かっているのだが、通知がひっきりなしに来るので、これもリアルな仕事と似ていて疲れた。
飯島吉晴「竈神と厠神 異界と此の世の境」
ダニエル・T・マックス「眠れない一族 食人の痕跡と殺人タンパクの謎」★★★
成澤勝嗣「もっと知りたい狩野永徳と京狩野 (アート・ビギナーズ・コレクション)」
狩野博幸「もっと知りたい河鍋暁斎 生涯と作品 (アート・ビギナーズ・コレクション)」
稲垣栄洋「生き物の死にざま」
小泉悠、高橋杉雄、太田啓之、マライ・メントライン「ゴジラvs.自衛隊 アニメの「戦争論」」
小塩 真司「「性格が悪い」とはどういうことか ――ダークサイドの心理学」
綾辻行人「どんどん橋、落ちた」
櫻井武「SF脳とリアル脳 どこまで可能か、なぜ不可能なのか」
安田峰俊「民族がわかれば中国がわかる 帝国化する大国の実像」
「ACN ラムセス大王展 ファラオたちの黄金」於・クレヴィアベース東京
軽めの本が多め。
この後読む皇族の本も含め、学問の世界の厳しさに触れる本が多かった。知識を蓄えるのではなく、同じ問題にずっと取り組み続け、微細な差異や違和感に疑問を持つ才能がないと、研究者としてやっていくのは難しい(これはうまくできなかった自分を慰めている側面もある)。
脳科学については、著者の主張や意見のウエイトが大きく、前々から気になっていた意識や心の哲学についてはそこまで突っ込めなかった。ジャンル全体の概観をつかむだけなら、おそらくウィキペディアを拾い読みしたほうが早いか。
3枚め、4枚めには重めのボードゲームが多くなさそう。
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以下は特に説明も不要そうなので基本的にタイトルのみ表記とする。
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たぶん次で最後。
中国と戦争をしかねない右翼政権の危険を、日本人は感じ始めてきた。右翼政権がなぜ危険なのか。実は、高市早苗総理らの右翼勢力は、西側先進諸国の通常の国家観(第一の国家観)とはまったく別の国家観(第二の国家観)を有していることが根本的な問題だ。これを理解せずに右翼リスクを理解することはできない。この二つの国家観を理解すると、現在の政局、国防上のリスク、これからの日本がめざす方向がはっきりと見えてくる。次の文章(高校卒業程度の国語力で理解することができる。新聞社説一つ分ぐらいの分量)を読むことで基本知識が頭に入る。ぜひお読みください。
賛同なさるかたはリツイートしてください。多くの人がこの二つの国家観を理解すれば、日本は現在の危機を脱することができます
世界が警戒する日本の「極右化」〜私たちはいま、重大な岐路にいる https://gendai.media/articles/-/51438
より抜粋
二つの国家観(人間のためにつくられたしくみとしての国と、人間を超えた集合的生命としての国=国体)を対比させて考えると、「ウルトラ・ナショナリスト」勢力の行動様式や、そのめざすものを理解しやすくなる。そして、現状を放置すれば、これから日本社会がどのような被害をこうむるかも予想できる。
第一の国家観では、国家を、ひとりひとりの人間の共存と福祉のための公共財である機械装置と考える。
国は水道や電気や医療や交通網のように、ひとびとの生存にとってきわめて重要なものだ。その意味で、危険な国家メンテナンス業務をおこなっている自衛官は、高圧線上で危険な業務をしている技師と同様に、尊敬されて当然である。
また、国に軍隊があるのも当然である(この観点から、日本が普通の先進諸国なみのリベラル国家になった後で憲法9条を改正すべきだと主張する筆者は、「リベラル・タカ派」と呼ばれることがある)。
この第一の国家観からすると、「ウルトラ・ナショナリスト」勢力のいう愛国心は、水道管や電線を愛の対象にするような、奇怪なフェテシズムの情熱である。すくなくとも、日本で愛国心というとき、そのような意味で語られることが多い。
そのような愛国心ではなく、苦労して磨き上げた、ひとりひとりの人間のための公共財機械装置の性能のよさに対するプライド、という意味での国家プライドはあるかもしれない。
国家が愛国心などというフェテシズムを万人に要求する制度は、日本国装置の性能の悪さとして、国家プライドを大いに傷つけるだろう。ただし、この国家プライドを新しく「愛国心」と名づけることも可能である。
それに対し、第二の国家観では、国家はひとりひとりの生命を超えた、より高次の崇高なる集合的生命とみなされる。このような現実感覚を生きるひとびとにとって、国家装置の防衛メンテナンスのための危険業務組織(軍隊)は、集合的生命の男根のように感じられる。
アメリカに負けて憲法九条を押しつけられたのは、「全能感を断念しなさい」と去勢されてしまったような、屈辱の体験である。
また集合的生命の根本にあるはずの神聖にして侵すべからず天皇を、単なる「象徴」にされてしまったのは、河童に尻子玉を抜かれ、腑抜けにされてしまったような屈辱である。
そして雄々しき大日本帝国は、自由だの人権だの民主主義だの甘ったるいおしろいをぺたぺた塗られて、女にされてしまったと感じる。
第一の国家観は、ひとびとの安全と生命を守りながら繁栄をもたらそうとうするリアリズム政治のための基本である。国益の計算や戦略的思考も、この国家観を前提としなければ何の意味もない。また軍隊は、この国家観にしっかり基礎づけて保有されなければならない。
第二の国家観は、非常時に短時間「だけ」、ひとびとを狂わせるための興奮剤である。必要がないときに使ってはならない。そして21世紀の世界でそれが必要になる時は、もうない。いまではこういったドラッグは、貧しい国々で誤用され、悲惨な流血や国土の荒廃をもたらす廃棄すべき毒物でしかない。
この毒物ともいうべき第二の国家観はどのようにして生まれたか。江戸幕府が支配していた日本列島は、列強の植民地にされる危険にさらされていた。
クーデター成功後、最弱国日本、最弱明治政府を背負った指導者たちは、ゆっくり変化する時間的余裕がないなかで近代国家をつくりあげるために、集合的生命感覚に酩酊させるしかけを、当時入手可能な素材からでっちあげるしかなかった。
それが天皇を中心とする集合的生命としての国体(という共同錯覚)である。そしてこの興奮剤は効いた。国家の集合的生命感覚は、天皇を中心とする国体として、ひとびとの魂の底に埋め込まれていった。
生存のための必要に駆られてこのような興奮剤を使うときは、そのまえに目覚まし時計をセットしておき、時がくれば醒めるようにしておかなければならない。目覚まし時計を管理すべき指導層は、大衆を騙すための薬物にのめりこんではいけない。
しかし、昭和初期から敗戦にかけて、指導層のあいだでも「〇〇は国体にそぐわない」やら「不忠」やらといった、自家中毒が蔓延するようになっていった。ヤクザが売り物の覚醒剤に手を出すように、国家の中枢までもが、緊急用大衆操作劇薬の自家中毒にやられたのだ。
狂気の興奮剤におかされた指導層は、アメリカと戦争をするといった愚行に走り、敗戦の条件交渉にいたっては国民の生命や安全という本来の目的(第一の国家観)よりも国体護持(第二の国家観)などという幻想の薬物を大切にするありさまであった。国家の指導者として、これほどでたらめな酩酊者たちは類をみない。
学者も含め多くの人たちは、昭和初期から敗戦までの日本のありさまを「軍国主義」と呼んできた。軍国主義の社会であれば、軍事的成功を第一の優先事にするはずである。
しかし、戦争中の日本はそうではなかった。合理的に国益を追求したり、戦争に勝ったりすることよりも、国体を護持すること、国体をひかり輝かせることが優先された。
集合的生命としての国体は、単なる全体への外形的服従の積み重ねから成るものではなく、臣民ひとりひとりが自発的に個人であることをやめ、〈全体において永遠の今になる〉ことの内側から高次の命としてひかり輝く。
カミカゼ自爆攻撃などで死ぬ瞬間こそが、その永遠の今であり、人として生まれた最高の栄誉であり、「本当に生きること」である。それは華やかに花が咲いたような生のきらめき(散華)でなければならない。
このような国体の覚醒剤的な疑似哲学作用は、軍隊の合理的運用すら破壊した。
太平洋戦争では、みこまれる戦果と自軍の損失を計算すれば無意味であることが明白であっても、散華の輝き自体が目的となった軍事作戦がなされた(これは即身仏のような自殺儀式であって、軍事的な「作戦」とは言えないのかもしれない)。
毎日新聞記者の栗原俊雄は、このような輝きを後世に残すためと称して、自爆特攻作戦が続けられた例を紹介する(栗原俊雄「日本人が終戦まで「特攻」を止められなかった、驚きの理由」)。
また、航空機の援護なしに戦艦大和を沖縄に派遣するのも、国体を輝かせるための集団自殺である。これが抗いがたい空気となったのである。
もちろん、国体のなかでは「西欧流」の個人主義は徹底否定され、すべての臣民が自発的に集合的生命の一部で「あらねばならぬ」のであるから、すべてが強制である。戦争終結の成り行き次第によっては、一億玉砕というすさまじい「自発的」な散華が、すべての人に強制されたかもしれない。
世界が警戒する日本の「極右化」〜私たちはいま、重大な岐路にいる
gendai.media
世界が警戒する日本の「極右化」〜私たちはいま、重大な岐路にいる(内藤 朝雄) | 現代ビジネス | 講談社
日本中、さらに世界中で「森友疑惑」が報じられ、ひとびとの関心を集めている。国内で芝居見物のようににぎわっている一方で、世界では、日本の現政権と右傾化がどうなるかという関心からこの疑惑を報じている。現政権は日本を戦前の社会に戻そうとしている「ウルトラ・ナショナリスト」政権であると考えられており、日本が戦前のタイプの社会に戻るかどうかは、大きな関心事だからだ。この社会は、これからどうなってしまう...
最終更新
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俺、アリババ。ローマ帝国で食べたピッツァの味が忘れられず、平安京からピザをオーダーする日を夢見る毎日を送る。
検非違使の奮闘によりルビコン川の向こうまで盗賊団乃木坂の首領Fidoを押し出したは良いが、太政大臣は内戦になるからルビコン渡河を躊躇しているらしい。プレートテクトニクスで重要なのは、プレートに歪みをためることで、これがあとでティッピングポイントを越えると地震として非線形な力の解放のされ方をする。小さな外力で効果は十分なのだ。富士山が爆発して中央構造線を境に日本列島が二つに割れる日が来るかもしれない。日本各地に◯◯富士があるから、一つくらい爆発して崩れても構わない。コンサル見習いの俺は、マグマのエネルギーを利用したエコ発電を提案したい。文部省の試算によると、将来的には地球は人で一杯になることが明らかなので、俺は千年先駆けた日本のダヴィンチとしてエネルギー史に名を残せるかもしれない。なお、モナリザのファンである。
また、イスラエルのピザ屋は日本上陸計画を立てているらしいものの、日米和親条約を盾に朝廷が首を縦に振らないことが予想される。
俺はかねてから、西洋のピッツァは東洋の饅頭なのではないかと疑っている。食の収斂進化なのだ。古代中国では黄河に饅頭を投げ込んで氾濫しないことを祈ったそうだが、現代ではそんな野蛮なことをしなくても、手っ取り早い「治水」の方法はある。
話はまだまだ続く
「台湾有事は日本の有事」という言葉が広く知られるようになったが、私は同じ意味で、南シナ海有事もまた日本の有事だと考えている。
日本は島国であり、エネルギーも食料も素材も、その大半を海上輸送に頼っている。
その海路の要が、マラッカ海峡から南シナ海を経て東シナ海、そして本土の港湾へと続く「生命線」だ。もし南シナ海が軍事的に封鎖されれば、日本の経済活動も、日常生活も、一気に機能不全に陥る。
実際、南シナ海の航行が制限されるだけで、我が国のGDPは数%規模で失われると複数の研究機関が試算している。リーマン・ショックやコロナ禍の影響を上回る損失だという指摘も少なくない。
大量のエネルギーと食料を外部に依存する大都市では、物流が途絶えれば一瞬で生活基盤が崩壊する。冷暖房が止まり、食品が届かず、病院が機能を失う。戦争が都市を直接襲わなくても、戦時都市型の飢饉や凍死が現実になる可能性がある。
さらに、南シナ海で力による現状変更が既成事実化すれば、次に圧力を受けるのは台湾、そして沖縄・与那国・宮古といった我が国の南西諸島だ。
南シナ海の緊張は、第一列島線全体の安全保障を揺るがす。日本列島の防衛線が静かに浸食されていく起点になりかねない。
保守でもリベラルでも、日米同盟の是非を問わず、南シナ海が不安定化すれば日本は直接的に影響を受ける。
地理が変わらない限り、このリスクから逃れる手段は存在しない。
私は予備自衛官補として、国家が危機に直面した時、招集を受ける立場にある。
熊本地震では、ご遺体を家族のもとへ帰す任務を担った。あの光景をもう一度見たいとは思わない。
もし国の指導者が十分な検討の上で防衛の決断を下すのであれば、私は命令に従い、できる限りの結果を残すつもりだ。
結論から言えば、朝鮮半島とは「日本列島を守る盾」であり、同時に「敵に奪われれば刃となって突き刺さる場所」である。
私は予備自衛官補として有事の際に招集を受ける立場にある。だからこそ、地図を俯瞰して考えざるを得ない。
朝鮮半島とは、単なる隣国ではなく、日本の国防線そのものである。
明治の指導者たちは、西洋列強による植民地支配の現実を肌で感じていた。
19世紀末、欧米列強は「一国の独立を守るにはその周囲の緩衝地帯を確保せねばならない」という冷徹な国際法則を知っていた。
もし朝鮮半島が他国の手に落ちれば――たとえば清国、ロシア、あるいは後の時代で言えば中国やソ連――日本海は敵の軍港と化し、対馬・下関・舞鶴が前線になる。
日本列島が直接、他国の軍事圏と接するということは、すなわち「日本が防御不能になる」ということを意味する。
だからこそ明治政府は朝鮮半島の「独立」を保つために清国と戦い(日清戦争)、
ロシアの南下を防ぐために敢えて日露戦争という国運を賭けた戦争を選択した。
山縣有朋が残した言葉に「朝鮮の独立は日本の安寧と存立に関する死活問題なり」とある。
彼らにとって朝鮮半島とは「他国に奪われてはならぬ緩衝地帯」であり、
それを失えば日本の防衛線が対馬海峡から一気に本州の内陸へと後退する。
結果として日本は、列強の中で初めてアジアの一国が帝国主義の圧力に抗し、国家の独立を維持することに成功した。
その影には、朝鮮半島をめぐる絶え間ない外交と戦略の緊張があった。
では現代において、もし朝鮮半島が中国の強い影響下で統一された場合、何が起きるのか。
現在の北朝鮮はミサイル国家であり、南の韓国はアメリカと同盟を結んでいる。
この「南北の分断」は悲劇でもあるが、同時に日本にとっては一種の安全弁として機能している。
なぜなら、半島全体がどちらか一方の勢力に統一されていないことで、勢力均衡が保たれているからだ。
もし中国が北朝鮮を完全に支配し、さらに南側の韓国までも政治・経済的に取り込んで統一を果たしたとすれば、
中国人民解放軍は釜山・仁川・黄海沿岸を自由に使えるようになる。
対馬海峡を越えて日本海へのアクセスを得ることは、かつてのロシアが夢見た「不凍港の獲得」に他ならない。
自衛隊と米軍が対馬や九州北部で防衛線を築くことになるが、距離はわずか50km。
ミサイルだけでなくドローン、電子戦、情報戦が展開される最前線となる。
日本の電力・通信インフラは西日本から崩壊し、経済中枢は麻痺する。
つまり、朝鮮半島が中国の勢力圏に入るということは、日本の防衛ラインが「日本列島の内側にまで押し込まれる」ことを意味するのだ。
私は予備自衛官補として、再び国のために立つ覚悟を持っている。
明治の先人たちが朝鮮半島に注いだ関心と警戒は、決して過去の遺産ではない。
東日本大震災の際、私はご遺体を袋に包み、ご家族の元へ返す任務を担った。
その光景を二度と繰り返したくはない。
朝鮮半島有事を「他人事」と思っているうちは、日本は再び同じ悲劇を迎えるだろう。
だから私は声を上げる。
朝鮮半島で有事が発生すれば、それはもはや「隣国の出来事」ではなく、明確に「日本の有事」である。
まず前提として、「最高司令官が軽率な発言をするな」という意見は、私も強く理解している。
有事の際に命令を受ける立場として、最高司令官の一言が現場の命を左右しかねない。命令には従うが、その命令が思いつきではなく、参謀と熟慮の末に下された決断であってほしいと願う。
その上で私は言う。「朝鮮半島有事は日本の有事」だ。これは感情論でも政治的立場でもなく、冷徹な地政学と経済構造の話である。
朝鮮半島での戦火は、難民・弾道ミサイル・電子戦・通信遮断・経済制裁の連鎖として日本列島に直接影響を与える。
韓国との貿易額は中国・アメリカに次ぐ規模であり、電子部品・素材・自動車関連など相互依存関係にある。
もし朝鮮半島で戦闘が発生すれば、釜山港や仁川港は封鎖され、日本海航路全体が機能不全となる。
さらに、朝鮮半島の空域・海域が戦場になれば、日本の北部・西部の空路も民間機が使えなくなる。
LCCどころではなく、医療物資や燃料輸送が滞る。これだけで日本経済は数%のGDPを失うだろう。
台湾有事と同様、野村総研や多くの研究機関が試算しているが、朝鮮半島有事の際も日本のGDPの5〜10%が消失すると予測されている。
次に考えるべきは人的・軍事的影響だ。
有事となれば、数十万人規模の避難民が海を渡り日本に押し寄せる可能性が高い。
一方で北朝鮮は日本を「後方支援国」とみなし、在日米軍基地を標的に弾道ミサイルを発射するリスクがある。
実際、彼らの弾道ミサイルは既に日本上空を何度も通過している。
「朝鮮半島で起きた戦争が日本に飛び火することはない」という幻想は、すでに成立していない。
輸入に頼る食料・燃料が滞り、物流が麻痺すれば、東京・大阪・名古屋といった大都市ほど「戦時都市型飢饉」とでも呼ぶべき事態に陥る。
電力網が不安定になり、冬季の凍死者・飢餓者が発生するのは時間の問題だ。
そして北朝鮮の「誤射」は珍しくない。狙うつもりがなくとも、ミサイルの落下点が都市部になる可能性は否定できない。
日米同盟を破棄しようが、自衛隊を縮小しようが、北朝鮮や中国が軍事行動をやめるわけではない。
日本がどう主張しようと、弾道ミサイルの航跡が変わることはないのだ。
都市部の人ほど危険に晒される。パートナーや子供、親、友人が難民混乱や食糧危機、ミサイル攻撃の被害に遭う可能性がある。
リィラの嫉妬が、タケルとシズカ、そしてレプティリアンとの新たな縁を結び始めたその時、鳥取砂丘の空に、異質な影が差し込んだ。それは、夜空を覆う巨大な雲のように見えたが、その輪郭は、流動的で不定形な、まるで水中の生物のようだった。
その影の中心から、一筋の光が地上に降り立ち、一人の女性の姿を形作った。彼女の肌は透明な薄膜に覆われ、その髪は、まるで深海の光を放つ触手のように揺れていた。彼女の瞳は、底知れぬ深みを持つ、漆黒の闇そのものだった。
彼女の声は、どこからともなく響き、タケルやリィラ、シズカの心を直接震わせた。それは、レプティリアンの声の冷たさや、犬族の声の力強さとも違う、絶対的な冷徹さと、孤独な怒りを秘めていた。
「愚かな地上人よ。そして、地底に潜む爬虫類ども、陸を這う犬ども。お前たちの間で、勝手な和解など許しはしない」
リィラは、その存在に警戒しながらも、尋ねた。「貴様は何者だ?」
「我は、八戸に拠点を置くイカ族の指揮官、イリス。そして、この日本列島の真の支配者なり」
イリスと名乗る女性は、そう告げた。タケルは、彼女の言葉に驚愕した。イカ族。彼の解析能力をもってしても、その存在はまったく感知できなかった。彼らは、犬族のように地底に潜むのではなく、日本の沿岸、深海の暗闇に潜伏し、この国全体を監視していたのだ。
「お前たちが考える『共存』は、所詮、陸上の生物だけの勝手な戯言に過ぎない。この星の大部分は海だ。そして、その海を支配するのは、我々イカ族だ」
イリスは、タケルたちに、海が直面している危機を見せた。人間の工業廃水、プラスチックゴミ、そして、地球温暖化による海の生態系の破壊。それは、リィラが示した地上の愚かさを遥かに凌駕する、深刻な汚染だった。
「お前たちは、陸の小さな争いを解決しただけで、この星を救った気でいる。だが、この海が死ねば、この星のすべての生命は滅びる。我々は、そうなる前に、人間という病巣を根絶し、海を浄化する」
タケルは、イリスの言葉に反論できなかった。彼の旅は、陸上の生命の縁を結ぶことに集中していた。海の、そして深海の生命の存在を、彼は忘れていたのだ。
「我々イカ族を無視した和解は、無意味だ。お前たちがこの星を救いたいのであれば、まずは我々に屈服し、海を浄化するための協力を申し出ろ」
イリスの瞳は、冷たく、そして無慈悲だった。彼女は、タケルが持つ「温かさ」や「愛」を、この星を救うための「力」としてしか見ていなかった。
タケルは、この新たな脅威に、どう立ち向かうべきか、途方に暮れた。レプティリアン、犬族、そして今、イカ族。この三つの勢力を、どうやって一つにまとめればいいのか。彼の使命は、終わるどころか、さらに複雑になっていった。
(第十四幕・了)