はてなキーワード: 幹事とは
サカナクションの山口一郎さんのお父様の山口保さん、立憲民主党(2023年当時)の議員と対談してるじゃん
本当にかっこいい人だと思う
【現場の声を聴く】地域の声を活かした政策推進を 木彫職人・山口保さん
https://cdp-japan.jp/news/20230816_6628/amp
国内外から広く観光客が訪れる北海道小樽市。完成してから100年が経つ「小樽運河」が、今もまちのシンボルとして存在する背景には、約50年前に持ち上がった運河埋め立て計画に対し、多くの市民を巻き込んで論争を生んだ「運河保存運動」がありました。 その最前線で活動をした山口保さんに、当時を振り返りながら“未来の”まちづくりについて、おおつき紅葉議員(北海道4区)がお話をお聴きしました。。
木彫工房「メリーゴーランド」代表 http://otaru-merry-go-round.com/
1947年、岐阜県飛騨生まれ。立命館大学法学部中退後、京都日仏学院を経て渡欧。在仏1年ののち、スウェーデンにて移動チボリの看板画工として就労。1975年より小樽市在住。「小樽運河を守る会」幹事会・幹事、ポートフェスティバル創立委員、小樽運河百人委員会創設、代表運営委員および小樽運河五者会談委員、第1~3回小樽・ 雪あかりの路実行委員会事務局長などを歴任。元小樽市議。
他人を喜ばせるのが下手。気の利いた贈り物ができなかったり、お祝いごとの集まりを企画したりするのが上手くない。
他人へのプレゼントや、内輪の集まりの幹事が上手い人って、どこでそういうのを学ぶんだろうか。
特にプレゼントが難しくて、安すぎず、かといって気を遣わせるほどには高級ではなく、あっても迷惑にはならないようなものを贈るのってやたら難しくない?
こう書くと、「気持ちがうれしいんだよ」みたいなことを言う人がいるけど、その一方でSNSには「もらって迷惑だったもの」みたいな投稿が溢れているわけで……。
サカナクションの山口一郎さんってよく知らないから検索してみたけれど、1980年生まれの現在45歳で、お父様は2003年から小樽市議会議員をしていたらしいね。
しかも1970年代から小樽運河の保存運動という政治的活動に関わっていたらしい。
自分語りになるけれど、自分も山口一郎とは同年代で、身内に地方公共団体の議員がいたので、小さい頃から嫌でも政治に興味を持たざるを得ないようになっていたから、山口一郎さんの立場で政治に無知なのはちょっと有り得ないと思う。
年齢的にも45歳と言えば成人年齢の倍以上であり、「これから勉強します」で通る年齢ではなくない?
この経歴を見る限り、どう考えても山口一郎は政治的に無知なのではなく、寧ろ政治をよく知っているからこそ、自民政治に楯突く事が立場を悪くすると分かっていて保身を選んでいるのだろう。全く「誠実」などではないと思うよ。
サカナクション山口一郎さんの父、保さんの話|編集者のこぼれ話⑥
https://note.com/nobunkyou/n/n11e6344b2199
山口保さんは、1947年、岐阜県金山町(現・下呂市)生まれ。ヨーロッパ各地を旅した後、1975年に北海道小樽市に移住しました。日本の伝統的な「沈め彫り」の技法を応用した独自の技法で、野鳥や魚を彫刻・彩色した「木鳥表札」の考案者として知られ、木彫工房「メリーゴーランド」を営んでいます。1970~80年代の小樽運河保存運動で中心的な役割を果たし、「小樽運河を守る会」幹事、小樽観光協会理事など歴任、2003年から小樽市議を3期務めるなど、地域のために活動してきました。
1978年、フォークソングのグループをつくって活動していた保さんは、埋立て工事が進む小樽運河で音楽イベント「ポートフェスティバル」を企画・開催し、2日間で10万人を集めて大成功させました。これを機に、水辺の価値が行政や住民に広く伝わり、運河を生かしたまちづくりへと潮目が変わりました。今日も小樽運河が残り、小樽観光の中心地となっているのは、保さんの知恵と情熱のおかげと言っても過言ではありません。一郎さんパパとして、サカナクションのファン(魚民=うおたみ)から愛される有名人でもあり、木彫工房「メリーゴーランド」は魚民の聖地となっています。
自治会費取られて、大変な役やらされて、おっさんたちだけが楽しい懇親会の幹事とかしてたけど、こないだ近所の人が自治会を辞めたって聞いた。
え、何?やめられんの?なにそれ?
聞けば自治会をやめると回覧板が回ってこなくなるらしい。あと自治会で管理してるリサイクルステーションとかも使えなくなるとかならないとか。燃えるゴミとかは普通に出せる。
えーなにそれ。実質ノーペナじゃん。何のためにやってんの?やめていいならやめたいんだけど?
うちの地区はもともと田んぼだらけだったけど1970年代〜80年代にかけて田んぼ潰して家がたくさん建ったような場所。田んぼと家がグラデーションになってる。都市計画のようなものは感じられず、今は子供が巣立ったお年寄りの世帯が多い。
誰か地方住まいで知ってる人、自治会って何のための組織なのか教えてくれ。あと抜け忍した人いたら、困ることあったら教えて?
まともな会社なら
文句言うやつ
自分で店決めたいやつ
仕組みが分かってる中堅~窓際
平均年齢50後半の部署で2年目女子が幹事とか元増田が言ってるコンプラ違反すれすれの各種ハラスメントバーゲンレベルじゃんね
日本学術会議(JSC)は、戦後科学者の戦争協力反省を原点に「学問の自由」(憲法第23条)を守る役割を担ってきた機関です。しかし、その核心的主張である2017年「軍事的安全保障研究に関する声明」は、中国の軍事研究や政治工作との関係で深刻な矛盾を抱えています。本記事では、JSCの主張を整理し、学術振興と民主主義保持への影響力、既得権益との関係を検証します。
2017年3月24日、JSCは「軍事的安全保障研究に関する声明」を幹事会で決定・公表しました(JSC公式サイト掲載)。主な内容は以下の通りです:
• 1950年声明(「戦争を目的とする科学の研究は絶対にこれを行わない」)と1967年声明(「軍事目的のための科学研究を行わない」)を継承。
• 防衛装備庁の「安全保障技術研究推進制度」(2015年開始)を「政府による研究への介入が著しく、問題が多い」と批判。
• 軍事的な手段による国家安全保障研究が「学問の自由及び学術の健全な発展と緊張関係にある」と明言。
JSCは「研究成果が科学者の意図を離れて軍事転用されるリスク」を強調し、大学等に技術的・倫理的審査制度の導入を提言しました。この声明は現在も有効で、多くの大学が防衛省研究資金への応募を自粛・禁止する基盤となっています。
中国政府が海外研究者を高額報酬で招聘する国家事業で、軍民融合(民間研究を軍事利用)政策と連動しています。2021年読売新聞調査では少なくとも44人の日本人研究者(東大・京大・大阪大など)が関与を確認。中国側は2020年頃にネット上の関連記述を大量削除し、実態を不透明化しました。
BuzzFeed News取材(2020年)に対し「学術会議として千人計画に協力したり、交流したりするようなことはしておりません」と否定するのみ。中国の軍事研究協力リスクへの積極的な批判声明は一切出していません。
中国法は中国籍者(在外含む)に国家情報活動への協力義務を課しています(国家情報法第7条、反スパイ法第8条)。日本政府も国会質問主意書で「日本の公的機関に採用されている中国籍職員は協力義務が生じる可能性がある」と認識しています。
明確な警告・批判声明なし。中国科学技術協会との2015年協力覚書を維持したままです。
この「国内軍事研究は厳禁、中国軍事研究は無批判」という二重基準は、JSC自身が2017年声明で強調した「普遍的な学問の自由」と矛盾します。甘利明氏(自民党)はこれを「一国二制度」と批判しました。
JSCは日本学術界の「頂点機関」として大きな影響力を持っています。
声明により多くの大学が防衛省研究資金を敬遠。結果、デュアルユース(民生・軍事両用)技術の国内開発が遅れ、先端研究の選択肢が狭まる副作用が生じました。一方、JSCは「民生分野の研究資金充実」を提言しており、学術振興自体を否定しているわけではありません。
肯定的側面:政府介入を監視し、戦後民主主義の「学問の自由」を守る役割を果たしてきました。 否定的側面:中国の借船出海(他者の船を借りて影響を広げる)戦略に対し、無自覚に「船」を提供する構造を放置。中国人留学生依存(JASSO 2024-2025年統計で外国人留学生の36.7%が中国人)と文系テニュア審査の左派思想優位が重なり、党派主義(自陣営有利な二重基準)が主流化しています。これにより、民主主義の基盤である多元的情報環境が静かに侵食されるリスクが高まっています。
大学経営は中国人留学生の学費収入に強く依存(私立大学で特に顕著)。批判的姿勢を取れば留学生減少→経営危機の恐れがあります。
文系テニュア審査では「平和主義・反権力」的な立場が無意識に評価されやすい(2017年声明の影響)。中国批判的研究は「右派的」と見なされ、昇進・資金獲得で不利になりやすい。
結果として、JSCや関連学識者は「学問の自由」という理念を掲げつつ、実際には自らの既得権益(財政安定・キャリア安定)を守るために選択的批判を行っている可能性が否定できません。
理念を曲げているかどうかは個別判断ですが、構造的には「党派主義」が優位になるインセンティブが働いていると言えます。
JSCの主張は戦後日本の学術界の良心を体現していますが、中国の権威主義軍拡・政治工作という21世紀の現実に対しては明確な矛盾を抱えています。学術の振興と民主主義の保持のためには、資金の透明性向上、審査の多様化、理念の普遍的適用が不可欠です。
日本学術会議が真に「学問の自由」を守る機関であるためには、国内軍事研究だけでなく、中国の借船出海戦略にも同じ基準で向き合う必要があります。そうでなければ、理念は既得権益の美名に過ぎなくなります。
しかし、会計の際に幹事の若手がPayPayで決済していたのを私は見逃さなかった。
送別会の翌日、幹事の若手から部の全員に御礼と支払額の連絡がきた。
まさかとは思っていたが、なんと決済した全額を請求しようとしているのだ。
『これはちょっとお作法を教えてあげないとな』と思い、老婆心ながら幹事の若手のところに行き、「PayPayで決済しているのだからその分のポイントがついているはず。ポイントは引いた金額を皆に請求しなさい」と教えてあげたところ、幹事の若手はポカーンとした様子だった。
『私文卒は算数もできないのか』と思い、図を書いて説明したがまだ理解できている様子がない。
あまりの物分かりの悪さにヒートアップしてきた私を心配した課長が近寄ってきたので事情を説明したが課長も理解できている様子はない。
「ま、手間賃ということで大目に見てあげようよ」とその場を丸く収めたつもりになった課長の顔を立てて渋々自分の席に戻ったが、周りからの視線が痛かった。
弊社の忘年会は実質的に重要な仕事や重病で出てこれない人間以外はほぼ全員出席の社員一同(派遣・パートも含む)が集まる重大なイベント。
出張に行ってる奴だってその日はこちらに戻って参加する程。翌日普通に出張先で仕事をする強者もいる。
派遣が多い部署に参加不参加を一応儀礼的に聞いて回ってたんだけど、後で送られてきた出欠表を確認すると派遣組のほぼ全員が不参加になっていた。
あまり異常事態に俺はすぐさまその部署に行って課の責任者と派遣リーダー(こいつも派遣)を呼び出した。
・忘年会は構わないが会費が高すぎる、男10000円、女性7000円はキツい。
・派遣と行っても色んな会社から来ており、その中には手取り20万もなく残業代も未払いで生活費だけで厳しい人もいる。
・ただでさえ先々月ぐらいから結婚した人への祝い金や早期退職するベテランへの送別金、同じく結婚退職する社員(以上、全て正社員)の送別会の費用など出費が立て込んでおり手取り10万代の子が本当に困っている。
・出欠は自由参加だから参加しなくても構わないのではないか?年末に向けて仕事も忙しいので勘弁して欲しい。
・我々の様な派遣やパートまで参加が実質強制的なのはおかしいのではないか?
と言ってきた。
俺の言い分としては
・忘年会は我が社の一大イベント。例え派遣やパートでも参加してもらう。それがウチのスタンスだ。
・派遣個々の手取りはその会社と交渉するなりしてくれ。こちらは一人頭最低でも50~60万の月単価を支払っている。
・金が無いというのは個人の問題であってウチとしての責任は無い。
・そもそも会費は全員参加前提で設定している。例え不参加でも会費は支払って貰う。
それは今までの慣例でずっとやってきた。と言った。
派遣リーダーと俺の意見は当然平行線で結局結論は出ずに、俺も仕事が合ったのでその時は終わった。
一応俺は人事を担当している立場なので、派遣組にはメーリングリストで
「確かに出欠は個人の自由ですが、もし重大な理由無く不参加の場合は、どうなるか分かりませんよ?」と告げた。
すると派遣の内何人かは参加しますという返事を貰ったが、派遣組の大多数からは了解の返事を得られなかった。
一応忘年会については無事開催され、社員一同大いに盛り上がったんだけど、
派遣らについては俺の忠告が効いたのか参加者は何人かいて、直接俺に頭を下げる奴もいたが、最終的に派遣グループの参加率は結局半分を切る程度。
不参加組の参加費の徴収も色々言い訳をされて未だ出来ておらず、参加人数がギリギリになるまで確定できなかった関係上、ビンゴ大会の景品が予定していた数より減ってしまったのが痛手。
結果的に社の一大イベントに水を差された結果となってしまったので、
残念ながら非参加の派遣連中については、今期以降の契約については考えさせて貰う事になった。
その内の何人かは年明け早々契約打ち切りという悲しい結果となったが、これに懲りて社会常識を学んでくれるとありがたい所。
ここ見てる中で派遣やパートの人もいるかも知れないが、つまらん意地を張ったばかりに自分の首を締める事もあるんだよという事を、彼らの失敗を見て学んで欲しい。
■
26歳、女。ちゃんとしている。遅刻はしないし、締め切りも守るし、約束も忘れない。飲み会の幹事も、旅行のしおり作りも、なんとなく私の役になっている。「あの子がいれば大丈夫」という一言の中に、どれだけの「考えるのをサボっていい」が含まれているか、言われた本人だけがよく知っている。
26歳、女。会社では「助かる〜」「しっかりしてる」と言われる。資料の抜けを見つけるのも、会議の段取りを整えるのも、締め切り前日に静かに穴を埋めるのも、だいたい私だ。「そんなに頑張らなくていいのに」と言う人ほど、自分では最後までやり切った経験が少なかったりする。「頑張らなくていいよ」の裏に、「でも何かあったらちゃんとしてるほうが被るんでしょ?」という現実が透けて見えるから、私はあまり素直にうなずけない。
26歳、女。「私がやったほうが早いし、ちゃんと終わる」と思っている自分がいる。その自覚は、気持ちのいいプライドと、どうしようもない疲労をいっしょに連れてくる。任せて失敗されてイライラするくらいなら、自分でやったほうがましだ、と何度も思ってきた。そのたびに、「また私か」と心の中でつぶやきながら、自分で自分の首を締めている感覚がある。私が段取りを覚えたぶん、誰かは永遠に覚えないままでいられる。
26歳、女。デートでも、似たようなことが起きる。彼が一生懸命考えてくれたらしいプランが、細かいところでちょこちょこ噛み合わない。待ち合わせ時間と移動時間の計算が甘くて、予約の時間に微妙に間に合わなさそうだったり、レストランと映画館の位置関係がチグハグだったり。そんなとき、私は「大丈夫だよ、こっちの出口から出たほうが早いよ」とか「この店も良さそうだよ」とか、なにげない一言でルートを修正する。彼は、自分のプランが半分くらい私の調整に支えられていることに気づいていない。「今日のプラン、なかなか良くなかった?」と満足そうに言う彼を見て、私は「うん、良かったね」と笑う。私が差し込んだ小さな修正は、また一つ、「ちゃんとしてる私」の棚に静かにしまわれていく。
26歳、女。ちゃんとしている自分に、ちゃんと文句も言っている。「そこまでやらなくてよかった」「それ引き受けたらまた同じだよ」と、帰り道のエスカレーターで自分会議が始まる。次は断ろう、次は見て見ぬふりをしよう、と決めるのに、いざその場になると「しょうがないな」と笑ってしまう。私の「しょうがないな」は、誰かの「助かった〜」とセットで機能している。ちゃんと反省して、ちゃんと同じことを繰り返している。私の「ちゃんと」は、もはや習慣ではなく、半分くらい職業病だ。
26歳、女。たまに、少しだけ力を抜く。既読をすぐ返さない、誘いを即答しない、飲み会の幹事を「今回は他の人に任せようよ」と提案する。そうすると、「どうしたの?」「珍しいね」と言われる。「らしくない」とまで言われることもある。あなたが勝手に決めた「らしさ」のために、私がどれだけ自分を締め上げてきたかについては、考えたことがあるだろうか。らしくないと言われるたび、「そこまで私のこと知ってるつもり?」と、少しだけ笑ってしまう。
26歳、女。恋愛の場面でも、「ちゃんとしてるほう」に自然と回される。翌日の予定を考えるのも、避けて通れない話題を先に口にするのも、だいたい私だ。場の空気が変な方向に行きそうになったら、冗談で戻す。曖昧な態度が続きそうになったら、「どうしたいの?」と聞く側に回る。そのたびに、「こういうの、たまには誰かにやってもらいたいな」と思いつつ、自分が黙っていると何も決まらない未来も見えてしまう。結局、私が「ちゃんと」言葉にすることで、物事は前に進む。
26歳、女。ちゃんとしていることに疲れている。ちゃんとしている自分をやめられない自分にも、疲れている。それでも、「何も考えてこなかった人」と同じ場所まで自分を落とすことは、プライドが許さない。ここまで積み上げてきた「ちゃんと」をゼロにするのは、あまりにももったいない。だから私は、この位置に立ったまま、「ここまで来るのも、それなりに大変だったんだよ」という事実だけは、ちゃんと覚えておいてほしいと思っている。
26歳、女。私は今日もちゃんとしている。誰かにとって都合のいい「ちゃんと」かもしれないけれど、その都合のよさを作るために、どれだけ自分をすり減らしてきたかについては、私だけがよく知っている。もしあなたが、誰かの「ちゃんとしてる」に何度も助けられてきた側なら、次に「助かる〜」と言うとき、一瞬だけでいいから思い出してほしい。そこにはたぶん、「26歳、女。」みたいな誰かがいて、あなたの見えないところで、今日もちゃんと疲れている。
26歳、女。ちゃんとしている。遅刻はしないし、締め切りも守るし、約束も忘れない。飲み会の幹事も、旅行のしおり作りも、なんとなく私の役になっている。「あの子がいれば大丈夫」という一言の中に、どれだけの「考えるのをサボっていい」が含まれているか、言われた本人だけがよく知っている。
26歳、女。会社では「助かる〜」「しっかりしてる」と言われる。資料の抜けを見つけるのも、会議の段取りを整えるのも、締め切り前日に静かに穴を埋めるのも、だいたい私だ。「そんなに頑張らなくていいのに」と言う人ほど、自分では最後までやり切った経験が少なかったりする。「頑張らなくていいよ」の裏に、「でも何かあったらちゃんとしてるほうが被るんでしょ?」という現実が透けて見えるから、私はあまり素直にうなずけない。
26歳、女。「私がやったほうが早いし、ちゃんと終わる」と思っている自分がいる。その自覚は、気持ちのいいプライドと、どうしようもない疲労をいっしょに連れてくる。任せて失敗されてイライラするくらいなら、自分でやったほうがましだ、と何度も思ってきた。そのたびに、「また私か」と心の中でつぶやきながら、自分で自分の首を締めている感覚がある。私が段取りを覚えたぶん、誰かは永遠に覚えないままでいられる。
26歳、女。デートでも、似たようなことが起きる。彼が一生懸命考えてくれたらしいプランが、細かいところでちょこちょこ噛み合わない。待ち合わせ時間と移動時間の計算が甘くて、予約の時間に微妙に間に合わなさそうだったり、レストランと映画館の位置関係がチグハグだったり。そんなとき、私は「大丈夫だよ、こっちの出口から出たほうが早いよ」とか「この店も良さそうだよ」とか、なにげない一言でルートを修正する。彼は、自分のプランが半分くらい私の調整に支えられていることに気づいていない。「今日のプラン、なかなか良くなかった?」と満足そうに言う彼を見て、私は「うん、良かったね」と笑う。私が差し込んだ小さな修正は、また一つ、「ちゃんとしてる私」の棚に静かにしまわれていく。
26歳、女。ちゃんとしている自分に、ちゃんと文句も言っている。「そこまでやらなくてよかった」「それ引き受けたらまた同じだよ」と、帰り道のエスカレーターで自分会議が始まる。次は断ろう、次は見て見ぬふりをしよう、と決めるのに、いざその場になると「しょうがないな」と笑ってしまう。私の「しょうがないな」は、誰かの「助かった〜」とセットで機能している。ちゃんと反省して、ちゃんと同じことを繰り返している。私の「ちゃんと」は、もはや習慣ではなく、半分くらい職業病だ。
26歳、女。たまに、少しだけ力を抜く。既読をすぐ返さない、誘いを即答しない、飲み会の幹事を「今回は他の人に任せようよ」と提案する。そうすると、「どうしたの?」「珍しいね」と言われる。「らしくない」とまで言われることもある。あなたが勝手に決めた「らしさ」のために、私がどれだけ自分を締め上げてきたかについては、考えたことがあるだろうか。らしくないと言われるたび、「そこまで私のこと知ってるつもり?」と、少しだけ笑ってしまう。
26歳、女。恋愛の場面でも、「ちゃんとしてるほう」に自然と回される。翌日の予定を考えるのも、避けて通れない話題を先に口にするのも、だいたい私だ。場の空気が変な方向に行きそうになったら、冗談で戻す。曖昧な態度が続きそうになったら、「どうしたいの?」と聞く側に回る。そのたびに、「こういうの、たまには誰かにやってもらいたいな」と思いつつ、自分が黙っていると何も決まらない未来も見えてしまう。結局、私が「ちゃんと」言葉にすることで、物事は前に進む。
26歳、女。ちゃんとしていることに疲れている。ちゃんとしている自分をやめられない自分にも、疲れている。それでも、「何も考えてこなかった人」と同じ場所まで自分を落とすことは、プライドが許さない。ここまで積み上げてきた「ちゃんと」をゼロにするのは、あまりにももったいない。だから私は、この位置に立ったまま、「ここまで来るのも、それなりに大変だったんだよ」という事実だけは、ちゃんと覚えておいてほしいと思っている。
26歳、女。私は今日もちゃんとしている。誰かにとって都合のいい「ちゃんと」かもしれないけれど、その都合のよさを作るために、どれだけ自分をすり減らしてきたかについては、私だけがよく知っている。もしあなたが、誰かの「ちゃんとしてる」に何度も助けられてきた側なら、次に「助かる〜」と言うとき、一瞬だけでいいから思い出してほしい。そこにはたぶん、「26歳、女。」みたいな誰かがいて、あなたの見えないところで、今日もちゃんと疲れている。
夫は人と飲むのが好きな人だ。
飲み会の幹事もよくやるし、学生時代からの友人ともよく飲みに行っていた。
しかし40代になってから、夫の飲み会がガクンと減った。夫が誘っても、誰も来てくれなくなったのだ。
もちろん周囲の友人みんなも、家庭を持って独身の時より自由に使えるお金も減ったので、そう頻繁に飲まなくなったというのはあるだろう。
しかし回数を減らしたとかいうレベルでなく、夫が誘っても全然集まらないので開催されなくなってしまったのだ。
原因はおそらく、夫にある。
まず、そもそも夫には年上の友人がいない。同年代が2割くらいで後の8割はすべて年下の友人だった。
学生時代はよく言えば結束の強い、悪く言えば上下関係に厳しいサークルに所属していたので、後輩たちは夫が一言「飲み会やるぞ」と言えばみんな二つ返事で飛んできてくれていた。
社会人になってもそれは同じで、夫は後輩だけを連れてよく飲みに行っていた。
だが、最近ではコンプライアンスだのハラスメントだのが騒がれるようになり、会社の後輩をあまり飲みに誘えなくなってしまった。
現に夫は人事に小言を言われたそうで(詳しい内容はしらないけれど)以降、会社の友人を誘っての頻繁な飲み会は開かなくなった。
そこで夫は再び学生時代の友人に声を掛けたが、これがまた一向に集まらないという事態になった。
きっと「先輩が言っているから」で来てくれていた人たちが、卒業して何年も経ち強制力が薄まったので来ないという結果になったのだろう。
みんな「先輩」が言っているから来ていただけで、その立場が弱まったら「妻がうるさくて」「子どもがまだ小さいので」「仕事が忙しくて」と言い訳を並べて来なくなる程度の、そんな人望しかなかったのだ。
もちろん、その言い訳だって100%嘘ではないだろう。だが、その言い訳を乗り越えてまで会いに来てくれる人はいなかった。
なぜそんなに人望がないのか。
それもわかっている。
夫は自分の友人が集まらなくなってから、やたらと私の友人たちと飲みたがるようになった。
私は学生時代所属していた部活が男女分け隔てなく仲が良く、それぞれ家庭を持ってもその家庭ぐるみで年に数回、飲み会をしたりBBQをしたりしていた。
夫もその場にしきりに参加するようになったのだが、明らかに空気を悪くしている場面を何度か目にした。
夫はよく名前の知られた大企業勤めで、年収は1000万ほど。せいぜい課長クラスなので、そこまでエリートなわけではないが、それでも比較的上位層ではある。
そのため、中流層が多い私の友人たちの中では、マウントが取りやすいのである。
例えば友人が「一軒家は無理でもマンション購入したくて」と言えば「いや絶対一軒家の方がいいよ!俺もマイホームはめちゃくちゃこだわってさぁ〜」と相手の想定してる予算を丸無視して語り始まる。友人夫婦は参考になりもしない話をされて、愛想笑いをするだけになる。
また、まだ子どものいない友人夫婦に「40代で産んでる人もいるし諦めない方がいいって!子どもは本当かわいいよ〜」と、無神経に話してしまう。
どんな事情で今現在彼ら夫婦に子どもがいないのかわからないのだから、不用意に触れなくてもいいのに触れてしまう。友人夫婦はやっぱり愛想笑いを返すだけ。
私がどんなにフォローしても、一度言ったことは取り消せないし、夫本人が何一つ気にしていない。
一から十まで、そんな感じなのだ。隙あらばマウントをとり自慢語りを始めてしまう。
長年の夢だった職業についた友人にも、自分より年収が低いというだけで「それしか稼げないの?転職したほうがいいんじゃない?」とか平気で言う。本人はいいアドバイスをしているつもりなのがまたしんどい。
彼女はあなたより年収が低くても学生時代からその職につくのが夢で、いま不満なくその仕事をしているのだから、転職をすすめる意味などないのだと、なぜ気付けないんだろう。
私が何度「ああいう言い方はやめてほしい」とか「それぞれ事情があるんだから不用意に話さないで」と言っても、その場ではわかったと言うが、一向に改善されない。
唯一、友人の中に明らかに夫より稼いでいて社会的地位も高い人が1人いるのだが、夫も彼には勝てないと認識しているため、彼が参加するとなると「◯◯さんも来るの?」と少し嫌そうな顔をする。
そして飲み会の最中も彼とだけは話をしたがらない。一度彼に「おれ、夫さんに嫌われてる?何かまずいこと言っちゃったりしたかな?」と確認されたくらいだ(私が代わりに謝ることになった)
私の友人たちは、良識があり穏やかな人が多いので、その場では多少気を悪くしても「もうあなたの夫は呼ばない」とか「来なくていい」とは言わない。毎回ちゃんと私たち夫婦にも声はかけてくれる。しかし私も、夫を連れて行くのが少し心苦しくなっている。そしてまた夫がやらかしたら、いよいよ本当に呼ばれなくなるのではと思ってもいる。
夫は悪い人ではないのだ。子煩悩だしちゃんと稼いでくれるし暴力をふるったりなども一切ない。
ちょっと前から、会社のトイレの個室に「トイレでの休憩・スマホ使用はお控えください」という張り紙が貼られるようになった。
しかし最近、それがオフィスの俺の階だけだとわかって、俺は愕然とした。「あ、これ、俺のことか」
今思えば、冬のボーナスの評価がさほどでもなかった。今期はいつもより売上を立てたのに、中の上ぐらいだった。
「○○くんが成果出してるのはわかるんだけどね。もう少し頑張りが皆に伝わるようにした方がいいかな」と返された。
愛想が悪いという意味だろうか。飲み会には参加しているし、幹事やイベント運営のスタッフもやっている。同僚や部下から向こうから話しかけられることも多いはずだし、コミュニケーションに大きな問題は無いはずだが。
その時は、今回のPJの頑張りが周囲にはわかっていないのだろう、ぐらいに思っていた。
会社に行く。給湯室でコーヒーを淹れる。パソコンの前に立ち、背筋を伸ばして作業をする。
朝のメール返信が終わるころ、便意がやってくる。これが俺の毎朝のルーティーンになってしまった。
月曜日の午前中などはもっとひどい。大だけで2,3回トイレに行くことがある。
土日も家では不思議と出ない。つまりは、金土日の3日分を月曜日に出すことになる。
なぜ俺のウンコだけがそんなに評価を下げられるのか。スマホに見えるのか。タバコは良くてスマホはダメなのか。いや、実際はスマホじゃなくてウンコなのだ。
ウォシュレット使いたさに、周囲の人が去るまで個室にこもっていたのは俺の落ち度かもしれない。
食べることが、三度の飯より好きだ。いや、好きだった、が正しいのかもしれない。
好き嫌いはない。
苦手な人が多いとされている苦みのある野菜や、癖の強い香草も、生で食べたってかまわないくらい好きだ。
以前ラジオで声優の木村昴さんが、「食べ物をあまり不味いと感じない」と言っていたが、非常に共感した。味や風味がすること、食感が楽しめることを“美味しい”と表現してしまうくらいには割となんでも楽しめる。
もちろん質の差や美味しい度合いの差は感じるものの、とりあえず“食べること”それ自体が好きなので食事というだけでおおむね満足なのである。
美味しい店を探すことは趣味だし、幹事も進んでやる。周りから「あなたが薦めてくれる店は美味しい」と喜んでもらえることがうれしい。飲食という行為も飲食を通じた交流の場も大好きだ。
にもかかわらず、三十代になってから徐々に食べられるものに変化が現れた。
カルビがキツイ、なんてベタなところは早々に通り越している。魚ならいけるかといわれれば、大トロももう若干重たい。鮭ハラス定食なんて間違えて頼んだ日には、口内も食道も胃もすべて脂でコーティングされ、脂で溺れているような感覚になる。
そしてその感覚はすぐに気持ち悪さに直結し、食道から今しがた食べたものがせりあがってくるのだ。逆流性食道炎と思しき症状とは、もう三年ほどの付き合いだった。
和定食は体に良いといわれるが、決定的な欠陥がある。そう、塩分だ。
一日に処理できる塩分量は加齢とともに減る、という事実があるのかは知らないが、少なくともわたしは明らかに塩分に弱くなった。
塩分を多く摂った翌日は(さすがに和食程度ではそう酷くはならないが、中華を食べたら終わりである)、浮腫み過ぎて、デイリーで使っている指輪が入らないし、無理矢理はめてもくっきりと跡が残る。瞼が重たいのは当然として、首から上の血管が詰まっているような感じがし、頭痛や首の凝りもひどく頭が回らない。
脂も塩分もダメなら、野菜を食べればいいじゃないと人は言うだろう。
だけど、生野菜は寒い。寒いというのは、お前おもんないわという意味ではない。食べると体が冷えて寒さを感じるのである。生野菜のシャキシャキした食感やフレッシュさは口内をすっきりさせてくれるものの、食べながら体の芯が冷えていく感覚がある。知覚過敏なのか歯にも違和感を覚える。
野菜に限らず、冷奴とかも。名前に「冷」とついているから自明なのだろうが、割と好きだったはずなのに、冷たさがノイズになり昔ほどは美味しいと感じなくなった。
食べられる量や飲酒量も減った。
わたしは以前より飲み仲間たちから「当たりの日と外れの日の差が激しい」と揶揄されることがあった。つまりは、楽しく沢山飲食できる日と、少量しか受け付けない日だ。三十代に入ったばかりの頃は、この割合が7:3~6:4くらいだった。
しかし今となっては5:5……もしかしたら4:6かもしれない。外れの日が上回っている。
大学時代は大食いで、家系ラーメン+ライスを2杯食べておなかいっぱいになることが幸せだった。新卒の初任給で友人たちと叙々苑に行って豪遊しよう!というはしゃいだ企画もした。すべて遠い思い出である。
飲み会における50~60代くらいの男性あるあるに、「自分はもうお酒だけでお腹いっぱいになるから、食べ物は若い人で決めて好きに食べてよ」と言い出すというものがあると思う。
以前は信じられなかった。
歳を取っているとはいっても自分より体の大きい男性である。全然食べられないなんてことないだろうし、若者に遠慮しているのだろうと思っていた。
でも、今なら、あるのかもしれない……と思う。
というか、わたしもすでに、お酒を4~5杯飲んでいるのにまだ前菜をつついている、みたいな外れの日が増えてきている。
男性でも50~60代でその状態になる人が一定数いると考えたら、いまこのていたらくな私の20年後はどうなっているのだろう。外食してもソフトドリンクだけを飲んでいる人になっているかもしれない。寂しすぎる。元気に食べたり飲んだりできることは、とても楽しいのに。
これだけいろいろと食べづらいものが出てくる三十代、みんな何食べてるの??
なんとなく、自炊をする人はやがて蒸籠に行きつくイメージがあるけれど、これはもしかして年齢を重ねると蒸籠飯が体に合うようになってくるからだろうか。
だけどさ、ほんとはもっといろいろ、なんでも美味しく楽しく食べたいんだよ。好きな食べ物は食べ物なんだよ。どうしたらいいんだよ。