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2025-10-09

anond:20251009153943

最近四十九日初七日にまとめるプラン提示してくれるよ。時間も値段も節約できる

納骨で月額掛かるなら、亡くなる前に水葬で良いか聞こう。骨をそのまま海に流して終わりだよ

これから日本高齢の人が多く亡くなっていくから、安く早く弔っていこうな。

2025-06-10

身内が亡くなったあとについて

義父の急逝につき、呆然となっていた義母(70歳)にかわり、遠方に住んでいる息子夫婦達でやったこと。

 

葬儀一切…父が葬儀会社に積立をしていたので、そちらで一切おまかせ。

自分たちが準備したのは通夜葬儀前の待合室用の茶菓子お布施のみ。

 

初七日を繰り上げて行ってもらったけど、あとで知り合いから、身内が遠方にいる場合は、49日も繰り上げたりするよ、と聞かれた。そっちがよかったかも。

 

翌日から数日間のみ休みをもらったので、市役所に行って手続き一切をした。

戸籍謄本も父の出生から死亡までと相続人現在戸籍謄本を取得(死亡はまだ取れなかったけど)。

 

それから電気水道ガス新聞固定電話携帯電話保険関係についてかたっぱしらから電話して名義変更、口座変更、解約手続きの依頼。

年金事務所にも来所予約。

固定資産税は、銀行で口座引落の手続き

義父名義の銀行口座は当面そのままに。

銀行口座内の入出金のすべての動きがなくなってから、口座の解約手続きを行う予定。

 

頂いた香典等を帳簿につけ、香典返しが半返しになっていなかった方をリストアップして、追加の香典返し。葬儀会社カタログギフトを利用。

 

お寺さんに49日の法要の日程調整、葬儀会社法要場所を予約、食事引出物生花、供物用の花を依頼。

 

子供達は皆遠方で母もその余力がなくて、7日ごとの法要はしないことに。

  

通常なら、各種事務処理は、ゆっくり行うところだろうが、義母自分手続きをできる精神状態ではなかったし、子供達は頻繁に実家に来れる距離に住んでいなかったので、可能な限り、すませた。

義父が生前葬儀等の準備をしていて、必要書類は決まったところにあったので、嫁の自分でも色々処理ができた。

見た限り、相続税基礎控除範囲内で財産を残していたので(父名義の土地路線価計算済み)、他に預貯金有価証券等がなければ、相続税の申告も必要なさそう。

個人年金があったので、準確定申告必要そうだったけど。

 

自分はまだ40代だが、いつ亡くなってもおかしくはないし、あとの人が困らないようにしておくことって大事だな、と思った。

特にネットバンクを使っていたりすると手元に書類がなかったりして、後々困りそうだなあと。

2025-01-20

ばあちゃんが死んだ。

ばあちゃんが死んだ。

僕の40の誕生日の前日に死んだ。

享年95歳の大往生

葬式など諸々終え、家に帰ってきて、やっと落ち着いたところ。

今の心情を自分自身でもいまいち掴みきれてないので、書いてみる。

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親族のみの葬式

とにかく人が多かった。

からない親族が多い。

子ども4人、孫12人、ひ孫19人、子どもや孫の配偶者、ばあちゃん兄弟、その子、その孫。

サマーウォーズより多いんじゃね?

ばあちゃんは寺の娘だったので、親戚には坊さんがいる。

3人の坊さんが経を読む。

坊さんはばあちゃんの甥、坊さん含め親族のみの葬式

先頭で経を読んだのは、ばあちゃんの甥の中で一番下の甥。

通夜葬式はひ孫達が騒ぐ騒ぐ。

ばあちゃんも坊さんも許すから全然オッケー。

ゆるい良い葬式だった。

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経を読み終えたタイミングで謎のフルート演奏

から聞いたのだが、斎場サービスらしい。

完全に場違いフルートに、皆ポカーンとし、奏者も可哀想だな…と思いつつ聴いて、葬式を終えた。

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親族の中でも近い人だけ火葬場へ。

僕も火葬場に向かった。

棺を焼く前に経を読み、最後挨拶

普通と違ったのは、坊さんも参列者と同じように、最後に声をかけた。

一番下の甥の坊さんは泣いていた。

僕は泣けなかったからか、何か知らんがそれを見て僕自身が救われた気がした。

その後棺は焼くことになり、焼けるまで1時間程度待つことになった。

後で聞いたのだが、そのドサクサに紛れて義理の息子である親父は泣いていたらしい。

なんでやねん

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孫の中で僕は上から2番目。

年長の孫であるいとこ、一番下の甥の坊さん、3人で話をした。

最初に、一番下の甥の坊さんに、フルートの時プルプルしてたから泣いてたかと思ってたらアレ笑いを堪えてなかった?とツッコむところから話は始まった。

坊さんあるあるとか色々話をしたあと、当然ばあちゃんの話に。

ばあちゃんの話になると必ずゲームの話が出てくる。

ばあちゃんがいつからゲームやってたのか、とか、何故やってたのか、とか、どんなゲームをやってたのか、とか色々話した。

俺の初めてゲームはばあちゃんお下がりディスクシステムのやつだった、パチンコにハマってたから抜け出すために息子(僕から見ると伯父)が買った、そういえばパチンコにハマってた時期もあった気がする、その前はルービックキューブだったらしい、俺が持ってないPS4とか持ってたぞ、ゲーム好きだったけど上手いわけじゃなかったかレベルアップでのゴリ押し結構多くて1セーブプレイ時間400時間とか700時間だったぞ、、、。

僕らは子どもの頃に話して以降30年近く話をしてなかったが、話題は尽きなかった。

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あっという間に、時間が過ぎ、ばあちゃんは骨になった。

なんというか、あっけなかった。

色々終わって帰ってきた、子どもらも寝かしつけ、一息ついたのが今。

微妙に落ち着かずふわふわする感じがあったので、消化するために文章に残すことにした。

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ばあちゃんがどんな人だったのか。

性格キャラ的なものを今風に言えば、天然系、不思議ちゃん、なのに、生命力強い、どんな環境でも楽しんで生きる、そんな感じ。

やたら印象に残る言動をする人だったので、ばあちゃん話題には事欠かない。エピソード力が強い人だった。

何故か鞄を持ち歩かず、ショルダーバックくらいの袋に荷物を詰め、そして下着の胸の辺り、ちょうどブラのパッドのあたりに、その袋を縫いつけ、小太りというか巨乳に見える感じになっていた。

何かを出す時は胸元から出すことになるが、昔は服の中に手を突っ込みゴソゴソして荷物を取り出してたが、そのうち上手く取り出せないからと、半分脱いで取り出すようになった。

普通に外でもそれをやるようになったので、買い物行く時は子どもや孫の誰かが連れていき、事前に財布を預かって、ばあちゃんの財布から支払う、というのが慣習となった。

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そういえば、ばあちゃんから直接昔の話を聞いたことはほぼなかったことに気付いた。

年寄りは昔話が好きな印象あるけど、ばあちゃんから思い出話をほとんど聞いたことない。昔手に入れた意味分からん謎のハックテクニック、を教えてもらえる程度。こちらの心配する、子どもや孫など周りのこと、ゲームのこと、とにかく今の話しかしなかったからかもれしない。

でも、ばあちゃんの周りからは、ばあちゃんの今まであったことはよく聞いた。

ここからのばあちゃんの昔の話は、皆の話の集合での話なので、何が本当なのかは分からない。

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ばあちゃんは、山奥の陸の孤島のような村にあるお寺の娘だった。

それが若い頃、じいちゃん駆け落ちで峠を越えた、と聞いた。

結果、じいちゃんが良いとこの人だと分かり、許してもらい帰ってきた。昔っぽい。

あとで聞いたのだが、じいちゃんバツイチ寡夫?だったらしく、ばあちゃん結婚した当時、ばあちゃん20、じいちゃんは44。そりゃ反対するわな。

それに加え、じいちゃんを知るであろう寺近くの老人達から稀にじいちゃんの話を聞いたことがあるのだが、どれも掴みどころがない。水墨画を描いてた、木こりだった、スキー板を作って売ってた、馬に乗って駆けてた、等々。皆のいうことが毎回違いすぎて何をしてた人なのかがマジでからない。今で言うフリーターだったのでは、と思ってる。

その後、ばあちゃん子どもを4人産んだが、3番目の子である僕の母が4,5歳のときに、じいちゃん結核で死んだ。

ばあちゃん身体を壊し、病院入院

生活ができないので、子どもらは、伝手のある寺が運営する児童養護施設生活することに。

何年かそんな生活が続き、長男(僕から見れば伯父)が中学卒業してすぐ働き始め、生活ができるようになったので、ばあちゃん兄弟らを集め、また一緒に生活し始めた。なんという「ひとつ屋根の下」。(ひとつ屋根の下、当時母はめっちゃハマって見てた)

その後しばらく経ってから長男は僕の母を除いた兄弟とばあちゃん自営業を始めた。

ここから人生に関しては、ばあちゃんにとって比較順風満帆人生だったと思う。

たぶん。

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僕はばあちゃんに一番可愛がってもらった孫だったように思う。

ばあちゃんファミコンをやるひざの上に乗ってたのが僕だった。

おかげで、僕は立つのより早くゲームをやっていた。

ある程度大きくなると、ばあちゃんの家によく泊まりに行った。

今思えば理由は単純で、高橋名人名言ゲームは1日1時間!!」を家では親が守らせようとするが、ばあちゃんの家では、朝から晩までゲームをやっていても怒られない。

ばあちゃんも、ゲーム攻略に詰まると、孫を積極的に呼んで、攻略方法を聞いたり、分からなくてもプレイしてやってみてくれとせがんだ。

僕が一番可愛がられたが、他の孫達も顔を出せば、同じように攻略をせがまれたので、孫らは皆ばあちゃんとみんなゲームをした経験が一度はあるように思う。

息子(僕から見て伯父)の自営業職場とばあちゃんの家が一緒になっていて、ばあちゃん生活は、昼間は働き、ご飯風呂趣味の畑仕事、残った時間はほぼゲーム、が大半だった。

昔はマリオとかアクションをよくやっていたが、途中からドラクエFFといったRPGが好きだった。

先にも書いたようにゲームやるからといって賢かったり上手かったりするわけじゃなかった、いわゆる下手の横好きだったので、とにかく朝から晩までゲームをし、攻略ノートを作ってメモをし、自分攻略ノートを見ながらプレイしていた。

何度も何度も飽きずにトライエラーを繰り返しまくるので、ばあちゃんセーブデータは、装備やアイテム微妙なのに、レベルが異常に高いことが多かった。

おかげで、途中からやった僕ら孫たちは、ばあちゃん説明するハマりポイントをひと通り振り返ったあと、装備を整え、ちゃんゲーム内の説明みてやれば、案外すんなり先に進めた。

ゲームをやるとばあちゃんから駄賃がもらえた。

ばあちゃんの駄賃は、できるだけゲームにつかった。

他の孫たちもゲームプレイし終わったら、中古屋でなく、ばあちゃんゲームを流した。

ばあちゃん自分ゲームを買っていた印象がほぼないが、とにかくばあちゃんの家にはゲームがたくさんあった。

ベッドの下の収納ボックスには、ソフトがギッシリ詰まっていた、

初代ファミコンスーパーファミコンPSPS2、64、ゲームキューブ、xbox…僕も大きくなるにつれ頻度が減り、就職地元を離れてからさらに頻度が減ったので、僕の知らないゲームハードもありそう。

見た記憶では、古いハードソフトはなかった気がするので、時折捨ててたのかも。

孫らで集まって話をした際に出てきたゲームタイトルは皆違ってた。

FFドラクエテイルズスターオーシャンゼルダ武蔵伝、等々。

ばあちゃんの妹の孫とかい若い男の子も来てて、ばあちゃんとのゲームの思い出話をしてたのは驚いた。

それもあって、親族のみの家族葬だったのに、縁のある親戚までも集まり、やたら人数の多い通夜葬式になった。

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ばあちゃんの僕の可愛がり方、溺愛ぶりはちょっとすごかった。

親戚一堂からは、溺愛しすぎて恋人みたいだ、と笑われていた。

義理の息子である親父もかなり溺愛してたので、本物の息子一堂から、本物の息子より息子してる、と親父も笑われていた。

ばあちゃんは、下駄が好きでよく履いてたのに、胸元に袋が入っていたから、ハキハキ歩くことができず、ペンギンみたいな歩き方になっていた。

不安定ゆっくりな歩き方だったので、当然荷物はまともに持てないし、隣を歩く僕の服の袖のあたりをつかんだりすることが多かった。

僕がいない時は、親父が並んで服の袖をつかまれていた。

僕や親父はその認識だったのだが、妹いわく、妹と一緒だと、不安定な歩きのままズカズカ先に歩いて荷物を持ってる妹に早く行くぞと先行してく、僕や親父の前だと猫を被ってる!!男尊女卑だ!!と愚痴っていた。

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孫らから流れてきたゲームで躓くと、当然元々ゲームの持ち主の孫に攻略を聞くことが多かった。

ひとつ印象に残っているのは、FF 10

平原マカラーニャの森あたりにいて、攻略手伝って欲しいからと、泊まって欲しいと、ばあちゃんにせがまれ、泊まることになった。

一緒にプレイし、ご飯も食べ、風呂も入り、寝る前にもう1プレイ

ちょうどそこで、マカラーニャの森の超ロマンティックなラブシーン。

当時、高校生だった僕は、真夜中に部屋を暗くして、ばあちゃんと並んで何観てるんだろう……と絶妙な気分になっていた。

ふと、横目でばあちゃんを観ると、キラキラした目で、★★素敵★★みたいなリアクションで、滅茶苦茶一生懸命みてたので、まぁいいか、と諦めにも近い気持ちになった。

その後少し経って、新しい孫がまた産まれ、ちょうどその孫の名前FF10ヒロインと同じ名前だったので、滅茶苦茶喜んで良い名前だ、と褒めていた。

葬式最後フルートが、美空ひばりの「川の流れのように」だったので、「ザナルカンドにて」をかけてあげれば良かったのにな、とフルート演奏を聴きながら、このことを思い出していた。

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葬式の参列者の話などを聞くに、僕がばあちゃんのところにあまり行けなくなった後も、他の親戚やゲームの関わりもあって、楽しくは過ごせていたようだった。

それが、6年前、真夏の早朝に、もうひとつ趣味であった畑仕事の途中で、脳卒中で倒れ、近くの通行人発見され救急車で運ばれた。

ばあちゃんは、脳死状態になった。

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主治医や長年お世話になっているかかりつけ医によると、意識回復する可能性は万に一つもない、そんな状態とのことだった。

ばあちゃんは、これまで大病患って、入院して死にかけたことは何度かあった。

入院のなか、どうしても回復傾向が見られない、という状況になってから、僕に連絡が来て、急遽地元に帰ってお見舞いに行くと、ばあちゃんゲームの話になり、そういえばプレイ中だったあのゲームの続きがやりたい、早く治して退院せねば!!と急にやる気になって、そこから超回復、という展開があった。

今回は流石にダメそうだった。

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流石にばあちゃんももう90だったので、そういう覚悟をしておかなきゃ行けないことは分かっていた。

病院に見舞いに行った際、分かっていても、それがただ寝ているようにしか感じられなかった。

手術のあとに寝てます、みたいな感じで、ただ寝てるだけ。

もう起きることは無いのに、そんなふうにしか感じられなかった。

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僕がその後ばあちゃんの顔を見れたのは、少し経って、ばあちゃんの家で介護するようになってからだった。

ばあちゃん介護に行く母について、ばあちゃんの家に行った。

病院よりも設備簡素になったためか、ああ、これは本当にもう目覚めないんだな、と今さらながら実感した。

そんな中、母はばあちゃんの世話をしながら、前よりちょっと良くなったとか、こうやってやると反応する、など色々話をした。

もう目覚めない、と分かると同時に、まだ生きてる、とも感じられる。

死んでるのだが、生きてる。

ばあちゃんが死んだと聞いて、葬儀の一連の流れを終えた今、本当に死んだ今この時よりも、あの瞬間が正直しんどかった。

今、思い出すだけでも、心が重い。

死が突きつけられるのに、世話をすればちゃんと生を感じられる。

その中で世話をし続けられるのか。

母すごいな……と。

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あとは死ぬだけ。

それを受け入れるための有余の時間が与えられた感じだった。

ゲームができない、楽しみに一生懸命になれないばあちゃんは、ばあちゃんなのか。

身体なのか、脳なのか、心なのか、それとも人格なのか、習慣なのか。

生と死に対することをぼんやり思いにふける。

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そういえば、ばあちゃん霊感が強い、というのがもっぱら周りの評価だった。

悪霊や死んだ人が見える、というより、死ぬ寸前の人が魂だけになって飛んでいるのを虫の知らせのような感じで分かるのだ、とか。

それで、遠方や疎遠になった知人の安否を確認し、それを当てることが多かったので、霊感が強いとされていた。

稀に、じいちゃんが迎えに来ると、まだやりたいことがあるから迎えに来んどいてくれーー!!と必死にお経を読むことがあるのだ、とか。

僕は実際にどの話にも立ち会ったことは無いが、確かにばあちゃんはその辺りの勘が冴えているような雰囲気があった。

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ばあちゃんの話を信じるとすると、脳死のばあちゃんには、ばあちゃんはいないことになる。

ばあちゃんがどこに行ったかは分からないが、ばあちゃんは生きているが死んだ。

あとは身体死ぬまでに、その死を受け入れてくしかない。

幸い、受け入れるまでの時間を6年も貰ったので、ばあちゃんの死、葬儀はなんとか受け入れることができた。

コレがポックリいかれていたら、悲しすぎてどうなっていたか想像できない。

正直助かった。

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心の準備は整えていたとはいえ、僕の誕生日の前日に亡くなり、僕の40歳誕生日がばあちゃん通夜になるとは、流石に予想つかなかった。

何もできないはずの死ぬ瞬間まで、印象を残す人だった。

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ばあちゃんの教え、みたいなのは、本当に全然覚えてないのに、ばあちゃんとの思い出はたくさん出てくる。

老人介護おむつを買いに行った際には、コレ凄く便利でトイレに行かなくても良いかゲームができる!!とドヤ顔したり……

我が弟が母の付き添いでばあちゃんの買い物に付き合うため家に呼びに行ったら全裸ゲームしてたり……(前日夜風呂上がりに服着替える前にゲームをやり始めたら止まらなくて翌朝までやり続けていたのが真相

僕がいとこと一緒に富士山近くに旅行した際、いとこに「富士山のかけらだ」と言って渡したそこら辺に落ちてた溶岩石が、何故か数年後ばあちゃんちの神棚に飾ってあり、いつの間にか凄い石だとして御神体みたいになってたり……

なんかあり過ぎて、もう思い出せない。

でも、何かあるたび、何気ない面白かった思い出が掘り返される。

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自身もばあちゃんと同じく、子どもが4人いるので、悲しみに暮れている暇はない。

悲しくてしんどい、みたいな感覚はないのだが、なんか気持ちふわふわして落ち着かず、何かにつけてやる気が起きない。

この文章も、このままではいけないと思いを決して、何度かに書き分けながら、書き進めている。

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やる気がでないので、ぼーっと異世界転生ものアニメを観ても、ばあちゃんだったらマジで異世界にすら行きそうだな、行ってて欲しいな…と想像してしまう。

ココまで書いた文章自分でも振り返ってみると、ばあちゃんの最大の教えは楽しむこと、それ自体のような気がしてきた。

から初七日とか四十九日かに法要やるってことは、亡くなってからそれくらいの日数はこの感覚は抜けないのかもしれない、と諦めることにした。

とりあえず楽しめるようになるまで、このままぼーっとふわふわすることにしよう。

2024-07-08

アホワイ、どっちがどっちだか分からなくなる言葉がある

飛沫と泡沫

事案と案件

初七日お七夜

みたいなやつ。みんなは何かある?

2024-03-10

anond:20240310003658

初七日の主役は死んだ人と家族😡

自分達を中心に世界が回ってると思うな😡

anond:20240309163914

初七日くらいはいいんじゃないの~?と思ったら命日は3/1だったのか

じゃあ皆そろそろやめなさい

2023-08-30

anond:20230830105213

ちょっと違うけどうちは浄土真宗で、葬式初七日ってのも違う宗教の由来ってこの前坊主が言ってて初めて知ったわ

2023-08-09

anond:20230808201445

うちの宗派のことを調べておしえるまえから

葬儀場のエージェントが「本来はいちおうこれだけあります普通初七日四十九日だけやりますいかがいたしましょう」て教えてくれたやで

anond:20230808200555

葬式あげたことないし葬儀社のカタログすら見てない幸せ増田とそのだぼはぜだね

初七日から7刻みでずっとあるんよ しょなのか、になのか、さんなのかってね。

7回目の四十九日しじゅうくにち、で上がりなんだ。 

うちはまあ4回目くらいだねっていう話なんだ

まあ全部やる人はいないけどね

2023-04-16

祖母が亡くなった

まだいまいち実感がないままだいぶ経ってしま

四十九日終わったらなんとなく実感できるのかな

からこういうのの受け入れが他の人より遅くて祖父の死んだのも半年くらい経たないと「もういないんだな」って気持ちにしっくりこなかった

いつでも会えるよ、また来るよって別れてその後しばらくして突然倒れてICUでもう会えなくなってて

ICU出て転院だよって時もどうしても仕事タイミングが合わせられなかった

頭もぴんしゃんしてた人だったから落ち着いたらお見舞いに行きたいなと思ってたら風邪とかでそのまますっといってしまったみたい

両親も死に目に会えなかったみたいだからそういう予兆全然なかったんじゃなかろうか

祖父が長患いだったから今回もそうなるんじゃないかってどこかで油断してたんだろうな自分

死ぬんだよな老人はすぐに

分かっていると思ってて実際のところなんにも分かってなかったんだな

最後に会った時なんの話したのかもあんまり覚えてないよ

おばあちゃんドーナツの作り方も紫蘇ジュースの作り方も何にもまだ教わってないよ

今年も桜がきれいに咲いてよかったねって話とかこっちの桜の方が先に咲いたとかそんな話もまだしてないんだよ

ももう起きてこないし話すこともないしなんなら起きてくる生身ももうないんだよ火葬も納骨も終わっちゃったか

初七日も終わっちゃってるんだよ

なんにもしてないよまだ

そりゃ一個もしてないとは言わないけどまだもっとたくさんできたよ色んなことご飯食べたり猫の話したりとか

正月お餅のお米も炊き方細かく覚えてなくてお母さんと一緒に謎の物体でかしたりしてさ

なんでもういないのかな

寂しいとか悲しいとかっていうより穴が空いちゃってもうそれを埋めるための部品の取り扱いがどこにもないような感じが近いかもしれない

知ってる人が亡くなるたびにそういう気持ちになる

これからずっと直す部品がない所をどんどん増やしながら生きていかないといけないんだなと思うよ

みんなそうやって生きてきたんだから私もそうしないといけないんだろうな

長く生きていくってしんどい

2022-09-27

anond:20220926162401

ネトウヨというか安倍支持者の言うことが「死んだ人にあれこれ文句を言うな」に収束されるのが不思議

安倍晋三氏のやった個々の事績がいいことか悪い事か、その評価解釈は生きてるか死んでるかに関係ない

生死が関係するのは「悪いことをやったと明らかになったと認定された際に罰することができる/できない」(良いことだとわかったら顕彰はできる)だ

しかインシデントアクシデント概念から延長すれば実行者に罰を与えることは本質的には意味がない

類似の悪行の予防にこそ検証意味がある

濡れ衣を着せられても死人は弁明できないけれど、生きていれば逆に虚偽の自己弁護可能から客観的な真偽善悪の判断に占めるウェイトは少ない

初七日四十九日関係ない 

昭恵さん気持ちを考えろ”に至っては、なぜそれが検証を行わない理由になるという発想になるのかと不安になる 他人私人

悪いことをしていないと信じているのならそれをまわりの生きている人が証明すればいいだけ

2022-09-17

通夜絶滅しそう

最近、親類の葬儀に出たのだが、このご時世ということでごく近い親族だけ、通夜なし葬儀のみで執り行った。

コロナが原因でそうしたわけだけど、コロナ収束しても通夜を省略する葬儀は今後も増えていく気がする。

今はだいたい初七日法要葬儀時に併せて行うけど、あんな風に通夜もまとめるようになるんじゃないかな。

実際は面倒だしお金かかるし呼ぶ方も呼ばれる方も負担だし葬儀一回で済むならいいじゃんとなりそう。

少なくとも都会ではそうなっていくんじゃないだろうかと思った。

こんなふうにコロナで失われて、コロナ収束しても戻らないものって、他にもいろいろ出てくるんだろうな。

2022-07-21

半年宗教に100万払った

今年入ってから、兄(40代)、祖父祖母が相次いで亡くなった。

兄が独身だったのと、長男代理だったので頑張れるから(あと父も高齢から)全部喪主やった。

普通に仏教なのだけど、結構信心深い母方の宗派とそんなに信心深くない父方の宗派の両方経験した。

でも、どっちも葬儀20万、初七日で3万プラス、お車代とお膳代で葬式やるだけで25万かかる(関西相場)。葬儀代は別(これについては200万とかそれぞれかかったけど、次からは2~30万かもっと安くできる知見が得られた)

ばあちゃんは良い戒名を付けてたのでそこでも数十万。

車で5分の葬儀場往復で1万とかないやろ(火葬上の往復まで全部タクシーとかなら5kは超えるかもだがそれなら車手配する)、親族食事代は酒入れても一人5000いってないのだが? とか不満はありまくる。

けど、信心深くない人(本人が坊主呼ぶなと言い切ってる)を弔う、かつ世間体とか気にしないほんとに身内だけの家族葬以外では、言い値(相場)で払うしかない。

で、今ってまだ信心深い人が弔われるのが多いから、故人の遺志とかでお布施してるけど

数年後以降ってお寺ってどんどんどうにもこうにもならなくなっていきそう



うちの実家地域が古いムラみたいなので、お寺改修するとかで億集めれる感じのとこだけど。

その次の世代って、寄付とかしなさそうだし、そもそもそのムラから出てたりする

月参りとかもお願いしなくなりそうだし、それこそお葬式僧侶を呼ばないまである

新興宗教とかカルトとかよりも、先に行き詰まりそう

2022-07-15

父を見送った

大好きな父が亡くなった

60歳代は早すぎる

今は何もかもが惜しい

ここ2ヶ月は毎日、父の様子を見るために家から電車を3回乗り継いで坂を登って実家に通っていた

在宅緩和ケアだったから、もう良くなることはなかった

容態が悪くなるにつれ、夜は泊まり込んで寝ずに父の様子を見ることもあった

話したかたことを話し、ベッドから起き上がりたい父の手を取り、トイレの付き添いをし、点滴をロックし、唯一口にできる水を何度も汲んで取り替えて渡した

ペットボトルから直で飲めていた水は、ストロー付きになり、コップになり、吸口になった

起き上がれなくなってからは排泄の手伝いをした

毎日帰り際に「また明日」と言って手を握ったら握り返してくれた

息を引き取る直前も手を強く握り返してくれた

通夜告別式葬儀初七日も全部終わって今は自分の家にいる

二ヶ月間放置した家の中を片付けなければ

毎日用事や様子を記録するためのメモ帳

衣替えをしようとして中途半端にたたまれている冬服

父と家族写真ラミネートするために買ったフィルムと、出しっぱなしの父のラミネーター

プリンタで出力したらインクにじみが出てしまった家族写真

いつ夜の番になってもいいように買った旅行用の携帯石鹸オールインワンジェルと常用薬を入れたケース

父が書いた様々なメモ

昔の話がしたくて引っ張り出した数冊の日記帳

ガジェット好きの父からもらったUSBケーブルタブレットポータブルスピーカー、大きなハードディスクポータブルフロッピードライブ

硬いところに当たって痛む体が少しでも楽になるように貸した柔らかめの枕

寝転んだままでも時間がわかるように貸したフック付きのアナログ時計

疲れ果てて帰ってきて捨てる体力すらなかった日の、空っぽジンジャーエールペットボトル

突然出てくる涙を拭くためのハンドタオル

実家に通うようになってからそのままのカレンダー

父が眠っている時の暇つぶしに作っていた小物の手芸道具

口が乾くから買ってきてほしいと頼まれものハッカが入っていて使えなかった口腔ジェル

湯灌の時に切ってもらった遺髪

喪服と黒カバン数珠と靴

まだまだある

片付けなければ、片付けなければと思うのに、今は片付けるどころか時間が経つのも惜しい

自分の体が代謝していくのが惜しい

父が生きていた時の体から、父が亡くなって以降の体になっていくのが惜しい

父が生きていた日々からどんどん遠ざかっていく

前を向いて進まなくてはとよく言うけど、時計が進んで父がいた時間から遠ざかっていくのが寂しい

父の情報がもう二度と更新されないことが悲しい

カレンダー7月にならない

辛い

2022-07-12

伝統宗教も信用ならん!

安倍首相が撃たれた数日前に母が亡くなった。元々、癌を患ってはいたけれど、本当に急だった。まだ70歳だった。

父が「小さなお葬式」に急いで電話しろと言うので連絡を取ると、「小さなお葬式」は地元葬儀場を繋いでくれる単なる「ポータルサイト」だった。知らなかった…

繋いでもらった葬儀場のスタッフは、「次回、ご不幸がありましたら直接我々にご連絡くださいね。″小さなお葬式″を通すと手数料を取られますから。あ!あと、google評価もして頂けると助かりまぁす!」とコンガリ焼いた赤黒い顔から白い歯を覗かせていた。

一応、父の実家浄土真宗だったが、お世話になっているお寺さんは特に無かったので、葬儀場でお坊さんを手配してもらった。

葬儀当日、お坊さんからやたらとパンフレットを貰った。フェリシモか?っていうくらい。

「身近な人が亡くなった時に」「千の風になって」「浄土真宗の基本」等など。

だいたい「ふーん」と流し読みをしてたのだが、気になる文章がいくつかあった。

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言葉意味理解するように心がけましょう!」

●よく耳にする言葉「〇〇さんどうぞ天国で安らかに⋯」

天国ってどこ?キリスト教の方には当たり前ですが、仏教ではふさわしくない言葉です。多分「歩行者天国?」とか「子ども天国?」(遊園地)の意味で言われるのでしょうか?

●「ご冥福をお祈りします

電報会社の例文にもありますが、「冥」は「迷」のこと。しかも「暗い迷いの世界」を意味します。そこに「しあわせ」が有るのでしょうか?黄泉の国は穢れた国であり、昔から日本人はを穢れとして遠ざけてきました。私の身近な人、そして私もそんなに往くのでしょうか?仏さまの世界浄土、清らかな世界意味します。

●「故人も草葉の蔭でさぞかし喜んで⋯」

葬儀の「葬」という字は昔亡くなった人を低

い台に安置し、その上に草を掛けて葬ったことを表わす字です。だから草の蔭というのでしょう。私がいのち終わって往くところは仏さまの国です。筆葉の蔭はデンデンムシさんやコオロギさんにまかせしましょう。

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なんじゃこりゃ。

貰ったパンフレットは全部捨てた。

結局さ、伝統的な宗教だって信者増やしてなんぼよね。人の弱みや不幸に漬け込んでくる。初七日四十九日初盆、〇回忌をやりましょうっていうパンフレットや、仏壇墓地パンフレットが大量に送られてくるけれど、いつだって心の中で祈ればそれで良いと思う。私には宗教なんていらない。お坊さんの有難い言葉もいらない。

親戚の手前、四十九日だけやって、樹木葬合祀してもらおうと考えている。

母は、自分の父母(私の祖父母)が創価学会員だったが、無宗教を貫き、よく「死んだら″無″だよね。生まれ変わりなんて無いし、天国地獄も無いと思うわ。」とよく口にしていた。

神様も仏様も居ないけど、母さんはいだって私の心の中に居る。有難う、母さん。安らかに

2022-07-11

四十九日とは言わんから七日ぐらいは待たないか

個人の感想です

安倍元首相の銃撃から色々な情報錯綜している。

このような事件が繰り返されてはいけないし、捜査は進められるべきだが、外野はもう少し落ち着かないだろうか。

私は元首相とは全く関わりが無い、むしろはてブで諸々のニュースを見て「こいつはよ引退しねーか」と思っていた人間だ。

しかし、今はこんな外野なぞより余程か深く親交があった人達が、故人の死を悼み祈る時間であって、外野があーでもないこーでもないと騒ぎ立てるのは違うように思える。

初七日は故人が三途の川ほとりに辿り着く日とされているようだ。

家族や親交の深かった人が、故人の最初の川渡りが穏やかになるよう願うらしい。

仏教徒ではないので少し調べた限りではある。

ただ、いち外野ですらまだ消化しきれないのに、近しい人こそ本当に苦しい期間ではないのだろうか。

四十九日とは言わんから七日ぐらいは待たないか

2022-05-29

2か月で2.5回喪主した

2月下旬、兄が借金苦等で自ら死を選んだ

親戚が裕福なので支援もしてたし、もうちょっとなんとかならんかったか、とも思ったが、悔やんでも仕方ないのでどこかのタイミングで割り切れたことが救い

父は他界しており、母も高齢なので喪主が回ってきた(残った兄弟で一番上だったので)

3月中旬祖父が亡くなった

大往生まであと一歩というところ。最後風邪こじらしてしまったらしい。ホームから連絡来た。

こちらも他に引き受け手がなかったので喪主になった


4月下旬、上とは違うほうの祖母が亡くなった

こちらは老衰

当日まで元気だったし話もしてたのでちょっと理解が追いつかなかったが90超えてたのでまあしゃーないか

喪主は色々案が出たし初めは頼まれて引き受けるつもりだったけど最終的に叔父に任せたが、兄と同じところの会館だったので、勝手もわかってるからサポートに回った

打合せとかは同席して

ほんとあっという間。遺品とか全然片付いてないし、兄の手続きも全部は終わってない

祖父増田兄弟負担をかけないように後見人つけててくれたので、葬儀以降はほとんどすることないけど、

祖母のほうは、叔父が遠方で仕事もしてるということもあって、頼まれ市役所とかは済ましたけど、まだ銀行とか相続関係とかほとんど手をつけてない


葬儀費用ケチらなかったのと、父の意向もあって、200万弱、150万、300万とか

祭壇とか馬鹿高い

とりま流れで元々会員入ってた葬儀やとかホームが紹介してくれたとことかで他を調べずにやってみたけど

まず会員入ってたところはお勧めしない。安くなるよーって耳障りのよい営業年寄契約(予約)させるけど。

後乗せ費用馬鹿高い。

部屋のサイズとかも選べなかったり。入会から式まで何十年も経てば参加者の数も大幅に増減(大体減だろうけど)するし、

コロナとか色んな事情も変わってしまう。ただサービスとかは良かったので、いきなり葬儀社選びから始める面倒さを無くす意味では助かった。

ホームの紹介のところもめちゃ高かった。こちらは打合せすることがほとんどなかった家族葬だったので楽だったが。

(花のランク決めるぐらいで、オプション選択ほとんどなかった。こだわりたい人にはちょっと物足りないだろう)


基本パックに入ってないこまごまとした追加料金が発生することもあるし、棺桶ひとつとっても5万が基本プラン込のやつで、三面彫りとかになると30万とかもっと上のランクがあったり、しょぼしょぼ葬儀回避しようとするとあっという間に何十万という金額足されていく


あと俺が喪主しそうな人とは話して、最低ランク簡素に済まそうということになった。

遺影と小さなお花だけ飾って、おうちにお坊さんだけ呼んで。

それだけでも、霊きゅう車の手配とか棺桶やらドライアイスやらなんだかんだで何十万円になるだろうけど。お寺高いし、高齢の親戚への体裁とか考えたら初七日もやらんとだし。

そんで、市役所からは5万円しかもらえないけど。(あー、健康保険かなんかの5万といっしょに暮らしてたらまた数万年金のほうから出たんだっけ。手続き多すぎて忘れた)

しばらく葬式はしたくない

2022-05-15

お七夜初七日

お七夜初七日咄嗟に言われると間違えそうで危ない。

どちらにしろ「それは、それは..」と言っておけばいいか

2022-02-02

anond:20220202183549

死んでから初七日が住むまでは、そっとしておいてやるのが、武士の情けだろうよ。

2021-11-04

人が死ぬ法要連チャンで続いて辛い

通夜告別式初七日四十九日一周忌三回忌→七回忌→十三回忌→… となる。

俺は仏教徒じゃないし、俺のときは何もしなくていいから、参加しなくていいかなぁ。時間も労力も金も飛んでいくよ。

2021-07-04

anond:20210704005115

冠婚葬祭育児重要から

自己紹介で開口一番に伝えられる環境はとても良いと思う

葬儀のあとは初七日法要で大忙しになる

会社の人も手伝いに駆り出されることもある

2020-12-04

anond:20201203164138

大体この記事同意できるな。

けど、初七日ぐらい経ったところで映画化の発表する世界線も見てみたかった印象はある。

まぁ、それやったとしても増田が言う通り爆死したと思うけど。

カフェは何やっても潰れてたと思うわ。

2020-10-21

anond:20201021190639

最近アマゾン棺桶買って直葬ってのを見たな…

そういう選択肢もあるのかって思った

葬式に関しては、生きている関係者が、納得さえしていれば、形式にこだわりらなくてもいいんじゃないかな

初七日は、葬式とまとめてやるってのもよく聞くし

2020-07-05

2日後に猫を見送った

anond:20200607214557

2日後の早朝、猫は旅立った。

5時に起きた時にはもう息をしていなかった。

猫の手足は冷たく固まっていたけれど、そっと抱きしめた細い細い身体は温かかった。

夫と二人で猫にがんばったね、お疲れさま、ありがとうと言って泣いた。

前日は猫と一緒に過ごした。

シッコをしたらペットシーツを替えて身体を拭き、数時間おきに寝返りをさせてマッサージをした。

鼻が詰まったらコットンで拭いたり、赤ちゃん用の鼻吸い器で鼻水を取った。

ごはんを食べる量が減り始めてから昔のように鼻を垂らす事が増え、薬を飲ませてもなかなか治らなかった。

猫の目は薄く開いたまま、静かにベッドに横になってゆっくり大きく呼吸をしていた。

顔をこちらに向けたり起き上がろうとしたりと意識はあった。

口をクチャクチャ動かしたらスポイトで数滴水を飲ませた。頭を支える私の腕に小さな手を乗せて満足そうな顔をして、時々ポロっと緑色の目から涙をこぼした。健気で強くて優しい猫だった。

猫に話し掛けてたくさん名前を呼んで撫でた。

夜になり、夫が猫の隣で寝ると言った。

猫の生活スペースの囲いを外し、敷き詰めていたペットシーツも全て片付けた。

19年前、猫を拾ったのは夫だ。鼻水を垂らして所々ハゲボロボロの子猫が近寄って来たのをそのまま連れて帰ったらしい。

夫は猫を飼った事はなかったけれど、猫に一目惚れだったそうだ。私が来たのは15年前だ。猫を保護して大事に育ててくれた夫には感謝しかない。

夫の膝の上や隣が猫の定位置で、いつも夫の隣で寝ていた。

猫のベッドの隣に布団を敷き、夫は猫の小さな手を握って寝た。夫の隣で寝る事が出来て猫も安心したのだろう。

私達が悲しむから、死に目は見せたくなかったのかもしれない。最期まで優しい猫だった。

亡くなった猫に手を合わせ、身体を拭いて毛がふわふわになるようにブラッシングした。

そっとベッドに寝かせた猫は穏やかに眠っているようだった。薄く開いた目もキレイに澄んでいた。今にも起きてこちらを向きそうなのに。

夫は猫に突っ伏して泣いていた。

猫が体調を崩してから、老猫介護や看取りのブログペット葬儀の事を少しずつ調べていた。

近くのペット葬儀をしているお寺に個別立会の予約をした。

棺は大きめのダンボール箱を買った。

猫は狭い所と箱が嫌いな猫らしくない猫だから、大きめで底の浅いものにした。

棺の底にペットシーツを敷いてベッドごと猫を寝かせ、ピンク色のタオルをそっと掛けた。

寒がりなのにごめんね、と言ってタオルを巻いた保冷剤を多めに入れ、断熱シートを被せた。顔を見たらどうしてもたくさん撫でて声を掛けたくなってしまう。

線香と棺に入れる花を買い、祭壇に飾る写真も用意した。

供養写真は何枚でも良いと言われたので、昔大判プリントした写真をメインにした。7歳くらいの健康的でモコモコのかわいい姿。

他にも何枚かPCスマホから探してコンビニプリントした。

スマホに変えてから写真が圧倒的に少なかった。いつでも撮れると思ってほとんど撮っていなかった。

猫の大好物の猫草も買った。ごはんだよと呼んでも来ないのに、草買って来たよーと言うと飛んで来る子だ。

6年前にごはんに見向きもしなかった時も、猫草を買って来たら大喜びでムシャムシャ食べていた。

猫草とちゅーるとお花の他に、思い出の物をいくつか棺に入れた。

夕方にお寺へ行く前も、葬儀の合間にも二人で何度も棺を覗いては猫の名前を呼んで撫でた。

亡くなったら触れないかもと思っていたけれど、とにかく愛しくて名残惜しくて、かわいい猫に触れたくなってしまう。

猫の毛の手触りを忘れたくなくて、たくさん撫でた。頬の下の毛が特に柔らかくてふわふわで大好きだった。

お坊さんは棺で眠る猫と写真を交互に見て、キレイ身体ですね、珍しい模様だと言っていた。

お経の後、小さなケースに遺髪を納め最期のお別れをした。

猫を見送り火葬が終わるまでお寺の休憩所で夫と過ごした。猫の思い出を話して時々二人で泣き、これからの事も話した。

の子は私達の大切な子で、たくさんの幸せと思い出をもらった。

火葬は辛いけれど、待っている間に次第に気持ちが穏やかになっていくから不思議だ。

よく晴れた日で、夕方でも少し蒸し暑いくらいだった。

猫と夫が出会ったのはたくさん狛犬が奉られている神社駐車場だった。

猫はなぜか大きな犬が好きで、ゴールデンレトリーバーラブラドールテレビに映るとうれしそうにじっと見ていた。

病院でも猫には無反応なのに、大きな犬が来るとキャリーの隙間から覗いて楽しんでいた。

性格も犬みたいな所があった。

猫はひょっとしたら狛犬神様の子で、神様の所に帰ったのかもしれない。

神様の所なら安心だ。甘え上手のとてもかわいい子だから、きっとみんなに好かれて幸せに過ごせるだろう。

二人でお骨を全て拾い、花柄の骨壺に納めた。お骨はとても立派だった。

腕の細い骨がしっかり残っていて、担当の人がこんなにキレイに残っているのは初めて見ましたと言っていた。

4月までは流し台に飛び乗れた、足腰の丈夫な猫だった。

白い布で包んだ骨壺を抱えひっそりと静かになった家へ帰った。

初七日を過ぎてから、小さなおりんと骨壺カバーを買った。

お寺から名前と命日や忌日の入った供養表も届いた。オプション遺影を入れてもらい、とてもかわいい供養表になった。近くに良いお寺があって良かった。

仏壇ガラス扉付きラックDIYキットをホームセンターで買って色を塗った。

四寸の骨壺カバーがぴったり納まる高さで、位牌と供養表、遺影の他に遺髪ケースとお守りの鈴や首輪毛玉を飾った。

気に入っているけど、手を合わせるといつも泣いてしまう。

毎朝仏壇ごはんと水をお供えしてお線香を焚き、二人で手を合わせる事が新しい習慣になった。

夫は必ず猫におはようと声を掛けている。

私は流し台と洗面所水飲み場の水を相変わらず毎日替えている。

お世話になった病院挨拶に行き、後日お悔やみのお花を頂いた。もう病院へ通う事もないのだろう。

猫のいない生活はとても静かだ。

そろそろ猫が起きる頃かなとふと思っても鈴の音や小さな足音は聞こえてこない。

特に実感するのは帰宅直後。ニャーニャーと急かして抱きついて来るあの子はいない。

いっぱい撫でて、かわいいねと言って名前を呼んで抱っこしたい。会えるものなら会いたい。同じ模様の猫はどこを探したって出会えない。

猫と一緒に過ごしていた毎日が当たり前ではなくなってしまった。

5月の初め頃、夜に突然猫がニャーニャー鳴いて居間で寝ている夫を起こそうとした事があった。

ニャーと呼び掛けながら片手で夫の肩を何度も掻いている。春頃から甘えた声で鳴く事が減って来ていたので、珍しいなと思った。

爆睡している夫にあきらめると、今度は私のお腹に乗ってニャーニャー言いながら片手で顎の下を撫でて来た。

猫がいつも私にする撫でろの催促で、爪を立てずに小さな手でチョイチョイと頬や顎の下を撫でる。肉球と毛が両方楽しめるとても幸せ感触

うれしくて猫をたくさん撫でた。

猫は満足するとまた夫の所へ行き、一生懸命起こしていたがやっぱり夫は起きなかった。

猫は思い出を作りたかったのかもしれない。

お別れが近い事をもっとから知っていて、少しずつ準備をしていたのだろう。

私達が気づくのが遅くて猫に辛い思いをさせてしまったのが本当に申し訳なくて、あの時こうしていたら今も一緒に居たのかなと何度も思う。1日でも元気に長生きして欲しかった。

小さい頃から家に猫がいるのが当たり前だったけれど、猫の死と直接向き合ったのはこれが初めてだった。

実家最初に来た猫とは仲が良くていつも一緒に寝ていた。ちょっと素っ気なくて「ニャ」と短く鳴く猫だった。

その猫は腫瘍が原因で13歳で亡くなった。最期は怖くて何も出来なかった事をずっと後悔している。

積極的治療緩和ケアもしなかった親を恨んだ。自分がもし世話をしたら親に何か言われるのが嫌で。とても幼稚だった。

動けなくなった猫が弱々しい声で何度も「ニャーー」と長く鳴いていたのが今でも耳に残っている。

その実家猫への思いもあって、最期まで悔いのないように看たかった。

猫がいない生活をするのは一人暮らしの時以来だ。その時も猫を保護して実家に連れて行った。

猫は欠かせない大事存在だ。見たいし触りたい。毎日一緒に過ごし、寝顔を眺めたい。

でもこの先、猫と一緒に暮らす事はないのかも。

いつか縁があったらとは思うけど、たくさんの幸せを猫からもらうほど別れが辛くなる。

今はネットニュース保護されて幸せに暮らす猫達の記事を読んで、猫ちゃんよかったねと癒されながら毎日過ごしている。

開封ごはんや猫砂やペットシーツをもう少ししたらどこかへ寄付しようと思う。

前の投稿ブクマブコメありがとうございました。猫は強く生きました。

みなさんの猫達が幸せ長生きできますように。

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