2日後の早朝、猫は旅立った。
5時に起きた時にはもう息をしていなかった。
猫の手足は冷たく固まっていたけれど、そっと抱きしめた細い細い身体は温かかった。
夫と二人で猫にがんばったね、お疲れさま、ありがとうと言って泣いた。
前日は猫と一緒に過ごした。
オシッコをしたらペットシーツを替えて身体を拭き、数時間おきに寝返りをさせてマッサージをした。
鼻が詰まったらコットンで拭いたり、赤ちゃん用の鼻吸い器で鼻水を取った。
ごはんを食べる量が減り始めてから昔のように鼻を垂らす事が増え、薬を飲ませてもなかなか治らなかった。
猫の目は薄く開いたまま、静かにベッドに横になってゆっくり大きく呼吸をしていた。
口をクチャクチャ動かしたらスポイトで数滴水を飲ませた。頭を支える私の腕に小さな手を乗せて満足そうな顔をして、時々ポロっと緑色の目から涙をこぼした。健気で強くて優しい猫だった。
猫に話し掛けてたくさん名前を呼んで撫でた。
夜になり、夫が猫の隣で寝ると言った。
猫の生活スペースの囲いを外し、敷き詰めていたペットシーツも全て片付けた。
19年前、猫を拾ったのは夫だ。鼻水を垂らして所々ハゲたボロボロの子猫が近寄って来たのをそのまま連れて帰ったらしい。
夫は猫を飼った事はなかったけれど、猫に一目惚れだったそうだ。私が来たのは15年前だ。猫を保護して大事に育ててくれた夫には感謝しかない。
夫の膝の上や隣が猫の定位置で、いつも夫の隣で寝ていた。
猫のベッドの隣に布団を敷き、夫は猫の小さな手を握って寝た。夫の隣で寝る事が出来て猫も安心したのだろう。
私達が悲しむから、死に目は見せたくなかったのかもしれない。最期まで優しい猫だった。
亡くなった猫に手を合わせ、身体を拭いて毛がふわふわになるようにブラッシングした。
そっとベッドに寝かせた猫は穏やかに眠っているようだった。薄く開いた目もキレイに澄んでいた。今にも起きてこちらを向きそうなのに。
夫は猫に突っ伏して泣いていた。
猫が体調を崩してから、老猫介護や看取りのブログ、ペット葬儀の事を少しずつ調べていた。
棺は大きめのダンボール箱を買った。
猫は狭い所と箱が嫌いな猫らしくない猫だから、大きめで底の浅いものにした。
棺の底にペットシーツを敷いてベッドごと猫を寝かせ、ピンク色のタオルをそっと掛けた。
寒がりなのにごめんね、と言ってタオルを巻いた保冷剤を多めに入れ、断熱シートを被せた。顔を見たらどうしてもたくさん撫でて声を掛けたくなってしまう。
線香と棺に入れる花を買い、祭壇に飾る写真も用意した。
供養写真は何枚でも良いと言われたので、昔大判プリントした写真をメインにした。7歳くらいの健康的でモコモコのかわいい姿。
スマホに変えてからの写真が圧倒的に少なかった。いつでも撮れると思ってほとんど撮っていなかった。
猫の大好物の猫草も買った。ごはんだよと呼んでも来ないのに、草買って来たよーと言うと飛んで来る子だ。
6年前にごはんに見向きもしなかった時も、猫草を買って来たら大喜びでムシャムシャ食べていた。
猫草とちゅーるとお花の他に、思い出の物をいくつか棺に入れた。
夕方にお寺へ行く前も、葬儀の合間にも二人で何度も棺を覗いては猫の名前を呼んで撫でた。
亡くなったら触れないかもと思っていたけれど、とにかく愛しくて名残惜しくて、かわいい猫に触れたくなってしまう。
猫の毛の手触りを忘れたくなくて、たくさん撫でた。頬の下の毛が特に柔らかくてふわふわで大好きだった。
お坊さんは棺で眠る猫と写真を交互に見て、キレイな身体ですね、珍しい模様だと言っていた。
猫を見送り、火葬が終わるまでお寺の休憩所で夫と過ごした。猫の思い出を話して時々二人で泣き、これからの事も話した。
あの子は私達の大切な子で、たくさんの幸せと思い出をもらった。
火葬は辛いけれど、待っている間に次第に気持ちが穏やかになっていくから不思議だ。
猫と夫が出会ったのはたくさん狛犬が奉られている神社の駐車場だった。
猫はなぜか大きな犬が好きで、ゴールデンレトリーバーやラブラドールがテレビに映るとうれしそうにじっと見ていた。
病院でも猫には無反応なのに、大きな犬が来るとキャリーの隙間から覗いて楽しんでいた。
性格も犬みたいな所があった。
猫はひょっとしたら狛犬の神様の子で、神様の所に帰ったのかもしれない。
神様の所なら安心だ。甘え上手のとてもかわいい子だから、きっとみんなに好かれて幸せに過ごせるだろう。
二人でお骨を全て拾い、花柄の骨壺に納めた。お骨はとても立派だった。
腕の細い骨がしっかり残っていて、担当の人がこんなにキレイに残っているのは初めて見ましたと言っていた。
4月までは流し台に飛び乗れた、足腰の丈夫な猫だった。
白い布で包んだ骨壺を抱えひっそりと静かになった家へ帰った。
お寺から名前と命日や忌日の入った供養表も届いた。オプションで遺影を入れてもらい、とてもかわいい供養表になった。近くに良いお寺があって良かった。
仏壇はガラス扉付きラックのDIYキットをホームセンターで買って色を塗った。
四寸の骨壺カバーがぴったり納まる高さで、位牌と供養表、遺影の他に遺髪ケースとお守りの鈴や首輪、毛玉を飾った。
気に入っているけど、手を合わせるといつも泣いてしまう。
毎朝仏壇にごはんと水をお供えしてお線香を焚き、二人で手を合わせる事が新しい習慣になった。
夫は必ず猫におはようと声を掛けている。
私は流し台と洗面所の水飲み場の水を相変わらず毎日替えている。
お世話になった病院へ挨拶に行き、後日お悔やみのお花を頂いた。もう病院へ通う事もないのだろう。
猫のいない生活はとても静かだ。
そろそろ猫が起きる頃かなとふと思っても鈴の音や小さな足音は聞こえてこない。
特に実感するのは帰宅直後。ニャーニャーと急かして抱きついて来るあの子はいない。
いっぱい撫でて、かわいいねと言って名前を呼んで抱っこしたい。会えるものなら会いたい。同じ模様の猫はどこを探したって出会えない。
猫と一緒に過ごしていた毎日が当たり前ではなくなってしまった。
5月の初め頃、夜に突然猫がニャーニャー鳴いて居間で寝ている夫を起こそうとした事があった。
ニャーと呼び掛けながら片手で夫の肩を何度も掻いている。春頃から甘えた声で鳴く事が減って来ていたので、珍しいなと思った。
爆睡している夫にあきらめると、今度は私のお腹に乗ってニャーニャー言いながら片手で顎の下を撫でて来た。
猫がいつも私にする撫でろの催促で、爪を立てずに小さな手でチョイチョイと頬や顎の下を撫でる。肉球と毛が両方楽しめるとても幸せな感触。
うれしくて猫をたくさん撫でた。
猫は満足するとまた夫の所へ行き、一生懸命起こしていたがやっぱり夫は起きなかった。
猫は思い出を作りたかったのかもしれない。
お別れが近い事をもっと前から知っていて、少しずつ準備をしていたのだろう。
私達が気づくのが遅くて猫に辛い思いをさせてしまったのが本当に申し訳なくて、あの時こうしていたら今も一緒に居たのかなと何度も思う。1日でも元気に長生きして欲しかった。
小さい頃から家に猫がいるのが当たり前だったけれど、猫の死と直接向き合ったのはこれが初めてだった。
実家に最初に来た猫とは仲が良くていつも一緒に寝ていた。ちょっと素っ気なくて「ニャ」と短く鳴く猫だった。
その猫は腫瘍が原因で13歳で亡くなった。最期は怖くて何も出来なかった事をずっと後悔している。
積極的な治療も緩和ケアもしなかった親を恨んだ。自分がもし世話をしたら親に何か言われるのが嫌で。とても幼稚だった。
動けなくなった猫が弱々しい声で何度も「ニャーー」と長く鳴いていたのが今でも耳に残っている。
その実家猫への思いもあって、最期まで悔いのないように看たかった。
猫がいない生活をするのは一人暮らしの時以来だ。その時も猫を保護して実家に連れて行った。
猫は欠かせない大事な存在だ。見たいし触りたい。毎日一緒に過ごし、寝顔を眺めたい。
でもこの先、猫と一緒に暮らす事はないのかも。
いつか縁があったらとは思うけど、たくさんの幸せを猫からもらうほど別れが辛くなる。
今はネットニュースの保護されて幸せに暮らす猫達の記事を読んで、猫ちゃんよかったねと癒されながら毎日過ごしている。
未開封のごはんや猫砂やペットシーツをもう少ししたらどこかへ寄付しようと思う。
猫は3年前から慢性腎不全で週1回通院して点滴していた。 腎不全は初期にわかったから数値もそこまで悪くなくゆるやかに進行していたけれど、食欲不振を何度か繰り返して元々細身の...
anond:20200607214557 2日後の早朝、猫は旅立った。 5時に起きた時にはもう息をしていなかった。 猫の手足は冷たく固まっていたけれど、そっと抱きしめた細い細い身体は温かかった。 夫...
読んでて辛くなった。 我が家も2匹いて、その内必ずお別れの時が来るんだろうなと考えさせられた。 良い飼い主に育てられて🐱も幸せだと思うよ。
痩せて食が細くなっていく様子が亡くなった叔父とまったく同じで泣けてきた・・・
ウチも猫を1匹飼っていたがどうしようもない。 猫の寿命は短い。 僕はもう二度と自分より先に死ぬペットを飼おうとは思わなくなった。