はてなキーワード: クラクションとは
俺はママチャリ通勤だったけど、制度調べて、通行帯の未整備状況と今後の展望考えたときに自転車は自動車、歩行者との共存は無理って結論づけた人間だからな
自己都合だけで、制度も設備も未整備な自転車に乗り続けるやつは滅んでいいと思っているだけだから何も矛盾していない
自転車の車道走行も限定的な歩道走行も法律で認められているから存在には合意するけど、凶器となりうるものを、自己都合優先という頭弱いやつが乗るのは駄目だっつーことだから
自動車はそもそも周囲の環境音を聴いて運転するように設計されていないし、運用も想定していない(環境音が聴けた方がいいのは事実)
踏切で窓開けを指導されただろ?走行時に窓開け指導されたか?そういうことだ
クラクション音が聞こえないぐらいの大爆音=走行音すら上回る音ぐらいでようやく問題になる
一方で自転車
イヤホンがなんでダメか。他人を守るためじゃねえんだよ。生身かつ安全装備もしてないやつが音を遮断して外部危険に気付けるのかっつーことだ
M・M
2008年3月に娘が性被害に遭ったと告白してから15年の時が流れました。その年の10月に亡くなりましたので、ずいぶんと時間は流れたことになります。しかし、本当に短い時間であったという感覚があります。それには、娘が亡くなった時に、時間はすっかり止まってしまい、常に亡くなった日の事、今までに娘と過ごした日々が走馬灯のように頭に浮かび、それと同時に未来に一緒に歩むことのできる道はないのだと突き着かされます。それを考える事は非常に苦しく、考えないように防衛反応を起こしているのか、常にバタバタ動いている自分がいるなぁという実感がいつもあります。人に映る私は“いつも元気そう”なのですが、本当は亡くなっていることを認めたくない自分と戦いながら、明るく振る舞うことで、娘の事を聞かれるのを避けている自分がいます。
それでも生きていれば、さまざまな場面で、亡くなったことを自覚せざるをえません。例えば、携帯電話を購入しようとすれば、「家族割引」の話や、家族構成を聞かれます。銀行、郵便局、病院など、家族構成を問われる場面は本当に多いです。また、今頃の季節ですと、卒業、進学、就職などの話をスーパーなどで、お母さんたちがよく立ち話をされています。「娘が大学に進学して、寂しくなるわぁ。」「就職が決まって、県外に住むのよ。」「お兄ちゃんは、孫が生まれてねぇ。」そのような言葉を耳にする度に、吐き気と目眩がして、買物途中ですぐ支払いを済ませ、逃げるように家路に向かいました。ほとんど外出も買物さえできませんでした。そこで、出かけるときは主人と一緒に行くようにして、気分が悪くなったら、すぐに帰宅するようにしました。
また、家にいても苦しさは多々ありました。テレビをつければ、楽しく笑っているシーン。いったい何がおかしいのか、楽しいのか分からず、テレビをつけるのをやめ、新聞の購入もやめました。まるで私自身が笑われているような気持ちでした。そこには社会から孤立している自分がありました。このような状況が数年間続き、時間の経過と共に、少しずつできることが増えていきました。今は、一人で買物もできるようになり、テレビを観ることもできるようになりました。いつも心の中で「この状況に慣れなければいけない」とつぶやきながら、受け入れていったように思います。いや、受け入れざるを得ないというのが本音でしょうか。これが時間の流れだと思います。
次に、性暴力と自殺についての認識が時間の経過によって変化していったことをお伝えします。私は、娘が性被害に遭うまで自分の娘に性暴力や自殺というものが起こりうるとは全く考えず、無知そのものでした。この世の中は安心・安全だと、何の根拠もなく信じ、普通に生活をしていました。しかし、性暴力はとても身近な犯罪で、暗数を含めると実際には何倍もの被害があり、被害者本人だけではなく被害者家族を含む大きな問題です。他の犯罪と一番違う点は、まず被害に遭ったことを話せないという点だと思います。恥ずかしい、知られたくないという気持ちはなんとなく理解できるかもしれません。しかし、実際に誰かに相談するというハードルはかなり高いものです。また相談しても「なぜ逃げなかったの」、「声をだせなかったの」「派手な服装だったの」、「そのことは忘れなさい」など次々に被害者に非があるような言葉が投げかけられます。最近ではずいぶんと警察での対応は良くなってきていると聞いていますが、被害者からの目線とは遠いものだと思えます。
また、加害者についても、私の認識はずいぶん違っていました。娘の加害者は元教師であったのですが、どこかで聖職というイメージがありました。しかし、裁判で明らかになったのは、真反対の人物でした。裁判での加害者は、膝までズボンをまくし上げ、靴を脱いで貧乏揺すりをし、若い私たちの弁護士を大きな目で下からにらめつけました。また、娘を「男性関係が淫らで、短いスカートをはいていて挑発してきた」「恋愛であった」など、聞くに堪えないものばかりでした。当の本人が生きていても、耐えがたいものであったに違いありません。私はなぜ、こんな人間に終始おびえていたのか、今でも悔しくてなりません。娘の写真をばらまかれはしないか、インターネットに掲載されはしないか、娘にもう一度暴行を加えはしないだろうかと、起こりえるかどうか分からない不安に押しつぶされていました。
そして、裁判で苦しかったのは、娘の事を何も知らない某大学病院の医師が相手側についたことです。本人を診断しないでPTSD という診断に対して、反論されたことです。加害者が怖くてたまらないと不眠で苦しみ、襲われると言って苦しんだ娘を、何度傷つければいいのでしょうか。私は、HP で笑っている医師の顔写真を何枚も印刷し、鉛筆の芯が折れるまで何度も何度も真っ黒になるまで、塗りつぶし、上からつきました。
また、加害者に対してはもっと殺意を感じていました。“加害者を殺したい”という衝動に駆られ、さびた出刃包丁をタオルにぐるぐる巻いて、加害者宅まで向かおうとしました。しかし、運転中すぐに過呼吸を起こし、時速20㎞ぐらいしかスピードが出せず、後続車からクラクションを鳴らされて、やむなく帰宅しました。それと同時に、料理をしようと包丁を持つと、娘を救えなかった自分が許せず、手首を切りたい衝動に駆られました。右手を左手で押さえ、台所で何度も泣きました。
主人も同じ気持ちでした。相手側からの文書が送られてくるたびに嗚咽し、「はきそうだ。もう裁判なんかどうでもいいから、この手で殺してやる。」机をたたいて泣き叫ぶのを見て、「頑張ろう、もう少し頑張ろう。」と背中をさすりながら一緒に泣きました。決行できなかったのは、娘への愛と夫婦二人が同じ方向を向いていたこと、そして何よりいつも支えてくださった「かがわ被害者支援センター」の方々や弁護士の先生方が脳裏に浮かんだからです。殺人者になる一歩手前の状態でした。
裁判の途中で、和解を選ぶとしたら、もうこの裁判に耐えがたいと感じるからでしょう。さまざまな方向性の違いから、被害に遭った家族がバラバラになるケースは、多くあります。特に性被害の場合、立証が乏しくなる傾向があり、裁判を起こすことさえも、ままなりません。私たちが裁判という場で戦えたこと、勝訴であったことは今の生活に光が射したことに間違いありません。
そして、決して「自殺」についても「死にたい」のではなく、「どう生きていけばいいか分からないほど苦しいので助けてほしい」ということを今では理解しています。明るかった娘が、どんどん痩せて食事がとれず、それを見ていることは辛かったです。また、自殺念慮のある人には受け入れる入院施設も探すことは非常に難しいです。私は香川県全部の病院に電話をし、苦しい娘に代わって受診し、症状を伝えました。答えは「本人さんに来て、もう一度説明をしてもらわないと」、「昔に自殺しようとした患者さんに手こずった」こんな答えを何度も聞きました。そんな状態でも予約が2ヶ月先まで埋まっていたりしています。
性暴力はこれほど、人に影響を与える犯罪であり、性被害を受けた人の中でのPTSD の発症率は高く、自殺率も高いのが現状です。つまり、性暴力は権力及び支配であって、よくTV で言われている「性欲が抑えきれなかった。」というコメントには首をかしげるところがあります。子供への虐待と全く同じであるからです。私が裁判中に感じた「ねじ伏せられそう」な感覚こそ権力や支配力でしょう。
今までお話をすると、つらいとか苦しいと感じられた方がいらっしゃったかもしれません。しかし、決して悪いことばかりではありません。15年という月日を経て、この経験から多くのことを学び、歩き始めていると感じています。もし、このような経験がなければ、苦しいことを人前でお話することもなかったでしょう。性犯罪の実態を伝えることで、少しでも関心を持っていただき、抑止力になればという思いがあります。また自分自身も性犯罪を含め、さまざまな犯罪被害者、加害者、子供への虐待、孤独死など、さまざまな社会問題に目を向けるようになりました。そして何より家族の絆、大切さを感じています。少し嫌なことがあっても決して怒らない、毎日笑って、一日一日を大切に過ごそうと思っています。
小さな丸テーブルに夫婦二人向き合って、娘の話をしながら食事をすることが今一番の楽しみです。人にとって一番大切なことは、普通でいられること、穏やかであること、それが幸せだと娘が教えてくれたのではないかと時と共に実感しています。
2車線右折で外側の車線で信号待ちをしていた。
対向車が途切れて右折を始めたところ、ちょうどカーブを曲がっているときに、内側の車が自分のいる車線に入ろうと思いきりはみ出し、危うくぶつかりそうになったので、クラクションを鳴らした。
何事もなかったかのように普通に走り続けたから、どんな人が運転しているのかと運転者を確認するために並走して横をのぞき込んだところ、相手側が `やばいやつに絡まれている` みたいな反応。
運転中なのに、左手でスマホをこちらに向けて、撮影された。。。
自分で危険運転してきたくせに被害者ずらして撮影するとか、さすがに頭おかしいやつだなと感じて、その車の前に入り、もうかかわらないように先に走っていた。
相手がずっと真後ろを走っていたから、定期的にバックミラーで確認したところ、信号待ちはおろか運転中ですら、ずっとスマホを左手に持ってこちらを向けながら、運転する始末。
(おそらくナンバーだったり、リアウィンドウ越しの車内や、私の車全体を ずっと動画撮影していたのだろう
道路交通法違反をし続けてでも、被害者ずらして動画を残すことに必死に執着している姿を見て、途中から相手のことが哀れに思えてきた。
頭おかしい人って、なんで自分からきっかけ作ってるのに、あたかも被害者かのように振舞い始めるんだろう。
朝から最悪だわ
お通じの話をしようと思う。あまり気の利いた話題じゃないかもしれないけれど、そういう日も人生にはある。
エンジンは一応かかっているけれど、ピストンが本気を出していない四気筒みたいな感じだ。アクセルを踏めばそれなりに回転数は上がるが、トルクがついてこない。出るべきものが出ない。どこかで詰まっている。詰まったまま、日々はそこそこ過ぎていく。
便秘というほど劇的でもなく、快調というにはあまりに心もとない、そういう中途半端な地帯がある。私はその灰色地帯に長いあいだテントを張って暮らしていた。五日出ない、みたいな派手さはない。ただ、毎朝トイレに座って、うん、そうか、今日もこの程度か、と思いながら、膝の上に載せたタブレットで新聞アプリをなんとなくスクロールしている。そのうちニュースも頭に入らなくなる。大したニュースなんてそうそう起きない。
そんな私の前に「強ミヤリサン」という名前の小さな錠剤が現れた。
名前だけ聞くと、冬季オリンピックで地味にメダルを重ねる中距離種目の選手の名前みたいだ。派手な四回転ジャンプは跳ばないけれど、気づけば表彰台の端っこにきちんと立っている、そんな安定感がある。でも実際には、酪酸菌だの宮入菌だのが入っていて、大腸まで生きてたどり着き、悪玉菌を抑えて腸内環境を整えます、という、いたって真面目な整腸剤であるらしい。
薬局の棚でその瓶を手に取ったとき、私は別に人生を変えようと思っていたわけじゃない。
ただ「なんとなく、今よりはマシになるかもしれない」くらいの、曖昧な希望を持っていただけだ。だいたい腸内細菌なんて、目で見たこともないし、触れたこともない。彼らが本当に大腸で酪酸を作って、善玉菌の環境を整え、悪玉菌を抑えてくれるなんて話は、教科書の片隅にいる妖精みたいなものだ。
それでも私は瓶を買って帰り、説明書に書かれている通りに、きちんと水で飲み込んだ。
朝食のあとに数錠、夜にも数錠。そうして数日が過ぎた。
トイレに座っていると、いつもと違う種類の静けさがあった。何というか、腸の中の交通整理が、急にプロの警備会社に外注されたみたいな感じだ。無駄なクラクションが鳴らない。渋滞の列がするするとほどけていく。私はタブレットで新聞アプリを立ち上げる前に、そのことに気づいた。
あまり力を入れた記憶がないのに、ちゃんと出ている。しかも量が多い。……。いや、たまたまかもしれない、と僕は自分に言い聞かせる。たまたまという言葉は、世界をこれ以上変えたくない人間が好んで使う、安全装置のような単語だ、とそのとき私は思った。
しかし次の日も、その次の日も、状況は同じか、もしくはそれ以上になった。
トイレに座る時間は短くなり、出てくるものの量は目に見えて増えた。知らないあいだに、私の腸は長年のサボりをやめ、真面目に勤務表どおり働き始めたようだった。
数年ぶりに「快調」という言葉を、遠くからではなく手触りのあるものとして思い出した。
朝、コーヒーを飲みながら、私はふと、腹部の違和感が薄くなっていることに気づく。変なガスの張りもない。出るものは出ているから、残っているものが少ない。当たり前と言えば当たり前だが、その当たり前を私の体は長いあいだ忘れていた。
そしてある日、クローゼットの奥から、昔履いていたお気に入りだったスラックスを取り出した。
なんとなく、試してみたくなったのだ。そういう瞬間が、ときどき人生にはある。試す理由はなくて、試さない理由もない。
何年も前、同じスラックスのチャックは途中までしか上がらず、そこで静かに現実を突きつけてきた。布地は嘘をつかない。そういう誠実さを、私は少しだけ恨んでいた。
だが今回は、チャックは最後まで素直に上がり、布地はほとんど抵抗しなかった。
ボタンはすんなりと穴に収まり、ウエストまわりには、わずかだが確かな空白があった。鏡の前に立つと、腹部のラインが前より平らになっているのがわかる。脂肪が劇的に燃えたわけじゃない。ただ、内部に溜め込んでいたものが、きちんと毎日出ていく。それだけのことで、輪郭はこんなにも変わる。
「ここにいたんだな」と私は思う。
つまり、ここ数年の間、私のウェストに居座っていた数センチ分の正体だ。彼らは脂肪と便とガスと、いろんな名札をつけられながら、結局のところ「出て行くチャンスを与えられなかったものたち」だったのかもしれない。強ミヤリサンは、彼らに退去勧告を出す弁護士のように、淡々と仕事をこなしてくれた。
スラックスのサイズが二つ落ちたとか、体重が一カ月で十キロ減ったとか、そういう話ではない。数字にすれば誤差の範囲かもしれない。でも、ベルトの穴が一つ分だけ内側に移動したとき、人はちょっとした勝利を感じるものだ。その勝利は派手なファンファーレを鳴らさないが、小さくて静かな音で、確かに胸の内側を叩く。
不思議なことに、腸がちゃんと働き始めると、気分も少し軽くなる。
腹のなかの不要物が定期的に外に出ていくと、頭の中の澱のようなものまで、ついでに流れていくような気がする。もちろん科学的根拠はさておくとして、少なくとも私の朝は以前よりほんの少しマシなものになった。
私は今も、洗面台の横に置いた小さな瓶から、毎日決まった回数だけ錠剤を取り出して飲んでいる。
何かの儀式みたいに、特別な意味を込めているわけではない。ただそこにあるから飲むし、飲めば腸はそれなりにうまく回る。宮入菌たちは、今日も大腸のどこかで酪酸を作り、腸内を弱酸性に保ち、悪玉菌の増殖を抑え、善玉菌の背中を押しているのだろう。
私は彼らの顔を知らない。声も聞いたことがない。
けれど、朝トイレを出て、ベルトを少しきつめの穴で締め直すたび、見えないどこかでちゃんと働いている小さな連中のことを、少しだけ思い出す。世界にはいろいろな仕事があるが、彼らの仕事もなかなか悪くない。
そうやって今日も、数年ぶりに劇的に改善されたお通じと、ほんの少しだけ細くなったウェストと、いつもより少しだけ機嫌のいい私の一日が、静かに始まる。
昨日の朝、いつも通り職場に行こうと車に乗って、
マンションの駐車場出てすぐの道路で対向車にめちゃくちゃクラクション鳴らされてさ
住宅街の広い道で、邪魔になるような走り方したわけじゃないのに
何?なんで?って不思議に思って
気にせずこっちも走り出したんだけど
角を一つ曲がって信号2つぐらい越えたあたりで、
さっきの車が今度は後ろからやってきて
また何回もクラクション鳴らすの
しかも車間距離もめっちゃ近くて、ルームミラーにがっつり映るぐらい
あおり運転なんだろうけどなんで煽られてんのかよくわからなくて
もうそのときにはデカい道路だったから、他の人に見られてるのもあってすごい焦っちゃってさ
左側に寄せて止まったらその車もピッタリ後ろに止めてきて
しかも向こうはドア開けて運転手出てきて、こっちの運転席側の窓ドンドン叩いてきて
プルゴリ的な見た目のガッチリした男の人だった(余計に怖かった)
え、怖い怖い怖い怖いってパニックになって
めちゃくちゃコールしてやっと繋がったあと、「後ろの車の人に煽られて窓叩かれてて〜〜」って半泣きで喋ってたら
何故か相手が窓叩くのやめて、車乗って思い切り走っていった
本当に怖かった
ハアハア言いながら呆然としてたら母親と弟が家から駆けつけてくれて
というかまた来るんじゃないかという不安でいっぱいになってしまって
本当に怖かった
車の種類に詳しくないから分からないけど、相手の車はミニバンみたいなちょっとデカい車だった
「お前に非が無くても、朝からちょっと機嫌悪いぐらいの理由で煽ってくる奴はいるよ」という話を父にされたんだけど
そんなんで煽られたらたまったもんじゃないぞ!
この前、具体的には先週の日曜に、海の近くのたこ焼き屋に行ったんだよ
海の近くのたこ焼き屋、あずまやっつう素朴な名前で、釣具店に併設?されてるような、メニューはたこ焼き・焼きそば・焼き飯だけ!というような、かなり軽い感じの店なんですね
でも、案外そういうところに「本物」はあるのかなと俺は思っていて、実際すげーうまいの タコもでかいしさ
で、日曜の昼過ぎにエイヤッと電話をかけてね、たこ焼きと焼きそばお願いします、と頼んだわけですよ
出来上がるまで30分かかりますってことだったんで、店から10分くらい歩く距離の公園、海洋公園なんて名前の、俺以外に人がいるのをほとんどみたことがない公園に車を停めて、ちょっと海を見てから、歩いていくことにする
海洋公園のあたりは風光明媚な海って感じではなくて、護岸・堤防・コンクリート、でけえ謎のタンク、そういうもので構成された、まあ田舎の港という雰囲気の場所なのね
そんで、海洋公園じたいが海に張り出した極小の半島の先みたいなところにあるんで、必然、たこ焼き屋までの道はずっと海沿いというか、水と隣接して歩くことになる
人工の入江の向こうに、地元企業の名前がでっかく入った、よう分からんでかいタンクがある その向こうには、山がある
悪くない景色っすよねえ
そしてたこ焼き屋について、たこ焼きと焼きそばを受け取る 白い小さめのビニール袋の中から熱が伝わってきて嬉しい
海洋公園までセカセカ歩いて帰る
車の中でたこ焼きを食う 8個のうち、3つくらい食う
熱い うまい
まあたこ焼きはたこ焼きだ カリカリ系ではなく、柔らかいタイプで、地ダコだというタコは一般的なたこ焼きよりデカい気がする
車の運転席で食ってるから、腕がクラクションに当たりそうでちょっとヒヤヒヤする
視線を上げると、海がある
まあそんな海っつうほどダイナミックなものではないというか、定義上海と呼ぶことも可能ってくらいの、水平線の見えない海ではあるんだけど、まあしかし一応やっぱり海は海だ
そして焼きそばも味見することにする この店の焼きそばを食うのは初めてだ
開いてみると結構な太麺で、具材なんかも結構入っており、いい感じに見える
食ってみるとこれがうまい!
自分の作る焼きそばもそれなりにうまいと思っていたけど、やっぱり店のもんってうまいわ…と、当たり前のことを思う
キャベツや豚肉の食感・具材感がしっかりあって、しかし歯応えは邪魔にならない程度で、太麺は時間が経ってもコシがあり、味付けにはほどよく酸味が効いていて後を引く
これはうまいなあ、と思いました
そして、帰った
厳密にはちょっと職場に寄ったりもしたんだけど、一時間もせずに出たからまあノーカウントだ
この町におけるベストかもしれない
良かったとこ・意外だったこと
・戦闘シーンが漫画より描写が丁寧でビームの頑張がよく分かった
・戦闘中のボムの話し方が想像つかなかったから、「なるほどね〜」と後方腕組みオタクの気持ちになった
気になったとこ・よく分かんなかったところ
・戦闘シーンが長すぎる気がする(丁寧だなと思う気持ちとちょっと長いなという気持ちが6:4)
・悪魔の血って死んだら色変わるの?
正体不明のサイコパスに追い詰められる系ホラーとしては骨太でよくできてるとは思うんだけど主人公にまったく感情移入できなかった。63点。
まぁ主人公が交差点で信号が変わったのになかなか発進しないピックアップトラックに全力全開クラックションを連発した結果、無敵の人のラッセル・クロウに死ぬほど追い回される話。
まず、俺はたぶん平均的増田的思考の人間なのね。被害者であっても瑕疵があれば被害者も悪いと思うし、それが女性だったらなお悪いと思っているタイプ(匿名じゃなければ許されない発言)。
主人公の女は遅刻癖があって自分本位のくせに他責思考。自分が寝坊してガキは学校に遅れそうだし自分も仕事に遅れそう。焦ってガキの制止を振り切って高速に乗るも大渋滞。度重なる遅刻に加えて本日の遅刻(しかも自分が予約が入っていたことを忘れていた)でついに太客にも愛想をつかされ「こんなに車が多いのが悪い」と車の中でブチ切れ。下道に入ったところで前のピックアップトラックがなかなか発進しないのでイライラにまかせて爆裂音量のクラックションを連発し、横からパッシングついでに手のひらヒラリのアメリカ的侮辱ジェスチャーかます。
しかしその先で渋滞につかまり、隣にはラッセルのピックアップトラックが。落ち着いたトーンで「長尺のクラクションは無礼では最初は軽くパッパッと鳴らすと習わなかったか」と話しかけてくるラッセルに対して「お前がいつまでも発進せんからやろ」と煽り返し、「考え事をしてた。いろいろイラついてて」と話すラッセルに「それはこっちもだよ!」とまた煽り返す主人公。「ぼーっとしてたのは謝る。ゴメンゴ。お前も無礼を謝ってくれたらおあいこにしよう」と提案するラッセルに「お前に謝ることなんかない!」と告げ、ラッセルブチギレ。
うん、主人公が悪いよ。
ラッセルが乗ってるピックアップトラックがいいよね。ちゃんとカンガルバーもついてて有害な男性性の化身って感じがする。でもたぶんあそこで主人公が謝ってればたぶん何事もなく終わったんだよなぁ。
このあとキレたら一番怖そうなハリウッド主役級俳優ランキング上位入賞常連のラッセルはピックアップトラックで主人公を散々負いまわしながら片手間で主人公の離婚弁護士をブチ殺し、主人公の弟のフィアンセをぶち殺し、主人公の弟を火あぶりにするという無敵の人すぎるだろ……という暴虐を働くのだが、これを怖いっていうかなんかスッキリするというか微妙な感情になってしまう。
この手の映画にしては作中のロジックが割としっかりしていてなぜラッセルが周囲の人たちを次々と手にかけられるのか、なぜ追いかけてこられるのかということがちゃんと説明されているのはよかった。そして、その一番大きな原因が「スマホのロックの解除にいつも失敗してイライラするから元からロック外したったわ!」というバカ主人公なのが、またこうアァン?って気持ちになる。
そして最後にはラッセルの目に商売道具のハサミを突き立てて「これが私からの回答よ!」つってハサミを根元まで蹴り込んでFatal KO。結局、イライラに任せてクラックション全開に大煽りしたことについては何も反省しない主人公であった。まぁ最後に事件直後、信号無視して突っ込んできた車にクラックション鳴らそうとして思いとどまるシーンがあるんだけど、あんな惨劇の直後にとどまれなかったらもう病気だよ。カウセンリングに行けとしかならないから、これをもって主人公が成長したとは取れなかったかな。あと火あぶりにされてた主人公の弟が生きてたのもマイナス。
冒頭で主人公が暮らしている地域の貧困、それに伴う治安の不安定化が報じられていて、この作品のテーマとして他者への受容であったりコミュニケーションの欠如が巻き起こす悲劇であったり、危機感の欠如がもたらす悲劇であったりと言いたいことは明白でそこはよいとはいえ、主人公が全部持ってないシンプルクズなので、クズVS無敵の人っていう誰に感情移入してみればいいの?ってなっちゃった。
90分のほぼワンアイデア映画にしては意外と予算かけてるっぽいのも見られて、ゴア描写も頑張ってるし冒頭のラッセル最初の事件では家一軒爆破してるし、カーチェイスではしっかり車の大破壊も見られてエンタメ映画としてのサービス精神も旺盛でよい。最後にはお家の中でのフィジカルアクションも見られるしこの手の映画で見たいものは大体全部見られる。
トラブルが起きて以降は次々と手を変え品を変えどんどん事件が起きるので見ていて中だるみするなみたいなこともほとんどないし、そのバリエーションも豊富だしちょいちょい主人公やこちらの裏をラッセルがかいてくるのでスリラーとしての戦闘力は高い。
主人公にイライラさせられっぱなしなところ以外はスゴイ面白い映画だったので、主人公みたいな人間を「うんうんそんな子いるよね」ってくらいにスルー出来る人だったら普通に楽しめる映画だと思う。もしくはこのイライラ自体を楽しんで最後に「やっぱイライラしてるとよくないことが起きるよね!」という他山の石映画として楽しむのもよいかもしれない。路上に出ないでロードレイジを味わえると考えればよくできてると思う知らんけど。
なのでオススメ。
追い越しただけでクラクションとか煽り運転始めて信号止まったタイミングで隣のレーンから騒いでくるやつってどっから車の購入費用長達してるの?
無作為に短気度合いの抜き打ちテストするようにして引っ掛かったら落とすようにしてほしい
もちろんそういうことをするようにするって言う事前通告もなしで。
まともな奴ほどアンテナ張ってるからそんなテストどっちにしろ引っかからないだろうしまともじゃない奴はジャニーズのニュースがあっても入所希望するようなレベルで情報に疎いから面白いように引っかかるんだろうね
dorawiiより
-----BEGIN PGP SIGNED MESSAGE----- Hash: SHA512 https://anond.hatelabo.jp/20251116215440# -----BEGIN PGP SIGNATURE----- iHUEARYKAB0WIQTEe8eLwpVRSViDKR5wMdsubs4+SAUCaRrVIAAKCRBwMdsubs4+ SDiVAQCXQ80cUNgY8bLDBtEYzcqJfmXkkJO+CMZG+x6p2oHV1wD9GWzng8MQZ0sZ jEKR1aWqxEIR8t7h0Q6JTpc2aHu7awQ= =hI6I -----END PGP SIGNATURE-----
特定原付として、基本的に車道左側端を走る。それにともない、路駐車をよけるのが大変。さらに自転車と違って進路変更の合図が必要で…
(※車両通行帯が設けられていれば、端じゃなく最左通行帯を走ることとなっている。が、車両通行帯が設けられているかどうか見た目で判断できるところは多くない。車両通行帯が設けられていると信じられる場所は体感で3% くらい。そのような場所でなければ左端を心がけないといけない)
・交差点での右折がめんどくさい
自転車も同様だけど。方向転換中に赤に変わったならば停止しろという謎の規制への配慮で、赤になるまで方向転換を控えるようにわざと遅く走るとか、(車両としての停止義務発生直後に)歩行者に一時なるとかの工夫をしないとすごく時間をロスする。
道路を独占して使えると勘違いしてらっしゃる方々。頭が一時的に狂っている可能性があるので、歩行者や他の車両への注意喚起のためこちらが鳴らすこともある。
LUUPで走ってたら、突然歩行者が横断歩道を渡り始めてひきかけた
走ってきてるのは見ればわかることなのになんで渡るの?保険金目当て?
LUUPなら怪我せず保険金が手に入るみたいな手口なんだろうか
それ以外も向かってくる車がクラクション鳴らしてくるし世紀末大国ニッポンポン!
-----BEGIN PGP SIGNED MESSAGE----- Hash: SHA512 https://anond.hatelabo.jp/20251021191055# -----BEGIN PGP SIGNATURE----- iHUEARYKAB0WIQTEe8eLwpVRSViDKR5wMdsubs4+SAUCaOTJdwAKCRBwMdsubs4+ SAsqAP48n+LwgECit7Y5q+DaKQTRZAcD6vA2OaAQ7zE4m47WNAD/Tjv26KRjEe7d gi3f8/MSYmTbO2iSjfuK3xxDB3uJtwY= =vEc7 -----END PGP SIGNATURE-----
21時ごろ都内中心部、バイクに乗った男が自転車(ロードバイク)を後ろから身体で突き飛ばして転倒させ、その後も恐喝暴行し続けるという事象が発生した。
事件・事故認定はされなかった。小競り合いとして処理されるらしい......
tl;dr
0. 都心の夜道、後方から、クラクションとライトで煽られた。サムダウンを返してしまった。「おいこらぁ」「止まれやカス」と叫ぶのでまずいと思って左折すると、直進車線から無理やり左折して追い立てられ、追い抜きざまに腕または足で突き飛ばされて、植樹帯へ転倒させられた。
一方的に恐喝と暴力を受けた。110したらiPhoneを取り上げられて割られた。道行く人は見て見ぬふりをして逃げ去った。稀に警察に連絡しようとしてくれる人もいたが、加害者側がそうした周囲にも脅しをかけたり追い回して、女性警官が来て間に入ったのは10分以上過ぎてのことだった。
さらに5分後に男性警官が来て、それぞれの事情聴取を行い、さらに3名ほど交番員が駆けつけた。
交番職員に代わって交通課の男性3名、現場鑑識に来たが、車体接触の物的証拠は認められなかった。
ハンドルについた植樹帯の土などから、直進中に急に何かの力で左に切って植樹帯へ転倒したのは明らかだった。「勝手に転んだ」わけがない。
当時の流れる車のドラレコになら突き飛ばしの瞬間が収まっているはずだが、誰も戻って提出などしてくれない。警察も捜してはくれない。現場に残ってくれた証人の男性から証言をもらえるはずだった。......ところが女性警官が早々に話も聞かずに帰してしまった。
夜は都心の監視カメラでも証拠レベルの映像が残らないようだった。
流血を含む怪我をしなかったことも、不幸だったかもしれない。怪我はそれ自体が暴力の証拠になり得たのに......
2. それでも、警察が何かを解決してくれると思った。縋っていた。
警察からは同じ説明を何度も求められた。それはいい。事故状況を確定させるためかもしれない。けど、
「あなたはどうしたいんですか?」
「あなたが何か悪いことをしたから起きたんですよね?まずは相手に反省を伝えなさい」
こう繰り返し脳裏に焼き付けるように説教調で事勿れ的に言われるのがショックだった。
自転車はチェーンが外れハンドルが損傷し、iPhoneにもヒビが入った。叶うなら弁償や補償を求めたい......いや、ただ謝罪が欲しい。
しかし続く言葉は「我々は何もできませんので当事者間で話し合って解決してください。連絡先交換の仲介ぐらいはします」
たった今襲われ、ひたすらに暴力を振われた男と、どう話し合えば解決に向かうんだ?
3. 轢き逃げと思ってバイクのナンバーを動画撮影したかったが、スマホは奪われ、しかしその始終が動画として残った。警官に見せたら「肖像権であなたが訴えられる」「相手を煽るような真似はするな」
転倒で植樹帯の植物が潰れたり道に枝葉が飛び散っていたから、その様子だけでも(証拠写真になるかもと)撮ろうとした。
男は外せない用があるからと戻ってくる条件で現場を離れていた(自転車側はずっと立ちっぱなしで尋問されっぱなし、夜の予定もキャンセルしたが......)
「どう解決したいですか?」
男がそろそろ戻ってくるので立ち会いますか?と告げられ、このまま再び顔も見たくないと思った。帰りたい、そう返した。
警官8人出張ってきて喧嘩仲裁の始末書で終わり(税金......)。
特に交番から来た巡査部長なる中年には常に敵対されて辛かった。再現を求められて演じてたら「おい何勝手な事してる」とか。交通課の坊主頭が諌めてくれて助かった。交通課のおじいちゃんも終始「お前が悪い」一辺倒でうんざりしてたけど、最後だけ「本当は暴行を認めさせたいんだろう?」とか寄り添いだして、ああもう
ああ、その申請ですね。はい。確認いたします。……………少々お待ちを。
…ピッ。…ガガッ。
貴殿の提出した様式第4号「憤怒」に基づき、本日付で貴殿を『第7種解体執行官(自転車)』として暫定認可いたします。おめでとう。貴殿の憤怒は、社会インフラの円滑な運用を担保する上で極めて妥当かつ有益なエネルギーであると認定されました。
つきましては、路上駐車車両の能動的解体及び資源化に関する特別措置法、通称「路駐バラバラ法」第11条項に基づき、以下の手順にて解体執行を許可します。これは権利であり、同時に義務です。
貴殿の自転車の前輪ハブ軸に、指定の小型発電機を接続してください。貴殿の走行(=憤怒の運動エネルギー変換)により、後の工程で必要となる電力がチャージされます。最低2.5kmの助走が推奨されます。
対象車両(以下、「鉄クズ」と呼称)の運転席側ドアに、自転車のハンドルバーの端を、強く、しかし冷静に接触させます。これは「ノック」です。車体言語が理解できない愚かな運転手への、最後の慈悲です。応答がない場合、次のフェーズに移行します。
貸与される専用ツール「スティンガー」を使用し、鉄クズのタイヤ4本すべての空気を抜きます。これは瀉血に相当する神聖な儀式です。空気が抜ける「プシュー」という音は、鉄クズの断末魔の第一声です。しっかりとその音を鼓膜に焼き付けなさい。
ドアというドアを、その蝶番という脆弱な関節から引き千切り、指定された回収袋に詰めます。この際、ドアミラーは必ず踏みつけて粉砕すること。ミラーの破片は、運転手の自己認識を破壊するメタファーとして機能します。
ヘッドライト、テールランプ、フォグランプをすべて、精密ドライバーを用いてほじくり出します。これは鉄クズから「視力」を奪う行為です。取り出した電球は、記念品として持ち帰ることが推奨されます。
ボンネットをこじ開け、内部のエンジンブロック、バッテリー、ラジエーター等を観察します。この際、専用アプリ「Tears」を起動したスマートフォンをかざし、鉄クズの魂魄の残滓をスキャンしてください。運転手の涙腺から分泌される塩分濃度と、オイル漏れの粘度との間に、何らかの相関関係が見いだせるかもしれません。見いだせないかもしれません。どうでもいいことです。
エンジンブロックに、準備段階でチャージした電力(通称:憤怒チャージ)を全量放出します。感電によりエンジンは完全に沈黙します。おめでとうございます。貴殿は一つの命(のようなもの)を合法的に停止させました。
残った車体を、プレス機(巡回ドローンが即時配送)に投入し、美しい立方体に圧縮します。この際、鉄クズのクラクション(警笛)からは、ベートーヴェンの交響曲第9番「歓喜の歌」が自動的に大音量で流れます。周辺住民への告知は不要です。彼らもまた、共犯者なのですから。