第13章 国際収支って、なんだろう? ⑩
◇ 1968年に黒字転換 = いまから50年前の1968年(昭和43年)は、川端康成が日本人初のノーベル文学賞を受賞。セ・リーグでは王貞治が初の首位打者、長島茂雄が打点王を獲得した年でした。日本の国際収支にとっても、この年は記念すべき年となりました。なぜなら日本の国際収支は、この年から大幅な黒字を積み重ねることになったからです。
その前の年、1967年度の国際収支は5億ドルの赤字でした。それが68年度は16億ドルの黒字になり、それから日本の国際収支は黒字基調を続けています。外貨準備も68年末には29億ドルしかありませんでしたが、70年末には252億ドルに増えています。
日本は国際収支の赤字や外貨準備の大きさを心配しなくても済むようになったのです。その結果、経済は急速に拡大しました。世界の奇跡(きせき)と言われた日本の高度成長が実現できたのもこのためです。原動力になったのは、輸出の急増でした。日本製の商品の品質がとてもよくなったために、アメリカをはじめ世界中への輸出が大幅に拡大したのです。
その後、日本の国際収支は何回か大きな嵐(あらし)に会っています。最初は円の為替(かわせ)相場が切り上げられたとき。次は原油の値段が大幅に上がった石油ショック。そして最近では、リーマン・ショックで世界中が不況に陥ったときだと言えるでしょう。
(続きは来週日曜日)
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◇ 1968年に黒字転換 = いまから50年前の1968年(昭和43年)は、川端康成が日本人初のノーベル文学賞を受賞。セ・リーグでは王貞治が初の首位打者、長島茂雄が打点王を獲得した年でした。日本の国際収支にとっても、この年は記念すべき年となりました。なぜなら日本の国際収支は、この年から大幅な黒字を積み重ねることになったからです。
その前の年、1967年度の国際収支は5億ドルの赤字でした。それが68年度は16億ドルの黒字になり、それから日本の国際収支は黒字基調を続けています。外貨準備も68年末には29億ドルしかありませんでしたが、70年末には252億ドルに増えています。
日本は国際収支の赤字や外貨準備の大きさを心配しなくても済むようになったのです。その結果、経済は急速に拡大しました。世界の奇跡(きせき)と言われた日本の高度成長が実現できたのもこのためです。原動力になったのは、輸出の急増でした。日本製の商品の品質がとてもよくなったために、アメリカをはじめ世界中への輸出が大幅に拡大したのです。
その後、日本の国際収支は何回か大きな嵐(あらし)に会っています。最初は円の為替(かわせ)相場が切り上げられたとき。次は原油の値段が大幅に上がった石油ショック。そして最近では、リーマン・ショックで世界中が不況に陥ったときだと言えるでしょう。
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