はてなキーワード: Y染色体とは
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竹内 ええ。天皇は男系を連綿とつないできました。それは科学的に見ると、男しか持たない性染色体Yを、ほぼそのままの形で継承してきたことを意味します。よく間違えられますが、Y遺伝子なるものは存在しません。遺伝子は染色体上に存在するからです。そして性染色体は男で「XY」、女で「XX」という状態です。息子は父からYを譲り受ける都合上、父のXは受け継がず、Xは母由来のものを受け継ぐ。
ここで重要なのは、性染色体のXと常染色体(性に関係なく持っている染色体)は対となり、相方がある染色体なので、生殖細胞ができる際に「交差」という現象が起きます。途中に切れ目が入り、中身を一部交換します。この交差によって世代を経るに従い、遺伝子がそのまま継承されることが少なくなる。Xや常染色体は、次第に薄まっていくのです。ところがYについては交差が起きず、父から息子へ、そのまた息子へといった男系で継承している限り、まったく薄まることがありません。極端なことを言えば神武天皇のY染色体を、そして歴代の天皇のY染色体を、天皇陛下や秋篠宮親王殿下、悠仁親王殿下に受け継がれているのです。
百地 科学的見地から見ても、男系をつないできたことのすごさがわかります。
竹内 ところが『週刊文春』(2019年5月30日号)で、生物学が専門の福岡伸一氏は、皇統が男系でつないできたこと(Y染色体が受け継がれてきたこと)を認めつつ、Y以外の全ゲノムが大事であるとし、「男系・女系の区別は無意味である」と結論づけています。そんなことはまったくありません。
百地 竹内さんの指摘で重要な点は「科学的説明などまったくなかった時代に、先人たちは直感的に見抜いてしまった。あらゆる手段を講じ、男系による皇統の継承を護った。この事実が重要で、その歴史を今になって我々が放棄することなど、あってはならない」──これですよね。
竹内 はい。その当時はY染色体という科学的根拠など解明されていないし、理解できるはずもありません。にもかかわらず──なぜかわからないけれども、男系の大切さを感じて護り続けてきたのです。
百地 章(日本大学名誉教授・国士舘大学特任教授)が、完全に「Y染色体そのものに聖性があるみたいなオカルト話」をしてるだろ。
皇室は男系絶対維持!女系は天皇にあらず皇室滅亡と一緒!すなわち日本滅亡! みたいな事いっちゃってる人らがそういう風に主張してるんだけど?
生命科学とか遺伝子工学とかの学問には疎いのでぶっちゃけ分からない事の方が多いのだが、自分の理解するところでは、
「X染色体と結合してXY染色体になった時点で相互遺伝的組換えが起こるのだから全く同一の(同じ塩基配列)が保持されたY染色体が次世代に受け継がれる事は無い」
つまり『綏靖天皇(第2代天皇)のY染色体は父親である神武天皇のY染色体とは同一ではない。父:神武天皇のY染色体と母:媛蹈鞴五十鈴媛のX染色体の塩基配列の(確率的に)ほぼ半々ずつを受け継いでいる。』
国際陸連は、男性ホルモンの一種「テストステロン」が筋肉増強など競技力向上につながるとして、このホルモンの値が高い女子選手に対して、薬を服用するなどして一定の値まで下げないかぎり、国際大会への出場や記録の承認を行わないとする規定を設けました。
これについて、「ホルモンの量で規定するのは非合理だ」という批判もある。だが、本質は、ホルモンの量ではない。性別だ。
ただし、性別を直接的に示すと、人権侵害の恐れがある。また、性別チェック(染色体チェックや性器チェックや内臓チェック)も、人権侵害の恐れがある。
そこで、血液検査だけで済むように、「ホルモン量だけを調べる」というふうにしたわけだ。
そこで、真相または本質を探るために、セメンヤ選手の性別を調べると、Wikipedia の記述が見つかる。
オーストラリア紙シドニー・モーニング・ヘラルドなどによると、医学的検査の結果子宮と卵巣が無く体内に精巣があり、通常の女性の3倍以上のテストステロン(男性ホルモンの一種)を分泌していることが判明し、両性具有であることが分かったと報じられた。
このことから、医学的に推定するなら、この人はY染色体を持っているはずだ。(さもなくば精巣ができるはずがない。)
一方で、両性具有であるということから、染色体は XX ではなく、不完全な XY または XXY であると推定される。
このような人は、「本来は男性であるのだが、男性器官の分化が不完全であったために、外見上は男性とは言い切れない」というふうになる。(男性器の不全)
そして、一般的には男性器官の有無で性別を認定されることが多いから、生まれたときに、「この子はおちんちんがないから、女だね」というふうに認定されて、女として登録される。そしてその後は、女として生きていくようになる。
しかしながら、たいていは生物学的に男としての性質を帯びるから、脳は男性脳であることが多い。好きになる相手も女性であり、女性と結婚することも多い。セメンヤ選手も、Violet という女性と結婚して、その女性を妻としている。
これを見て、「女性同士の同性愛だな。百合だな」と思う人がいるかもしれない。あるいは、「女性であるのに女性を好きになるわけで、頭がトランスジェンダーみたいだな」と思う人もいるかもしれない。
しかし、そうではない。セメンヤ選手の脳は、本来の性とは正反対になったのではない。むしろ、本来の性(= 男)そのままになったのである。そう理解するべきだ。
結局のところ、セメンヤ選手は男なのであって、男性枠で出場することが正しい。組織は「出場禁止」などの措置を取るよりは、「男性枠で出場を認める」というふうにするべきだろう。
「ホルモン量は、厳密な規定ではなく、性別を推定するための補助的な指針とする。最終的には、医学的な性別(卵巣や精巣などの生殖器の有無)を基準とする。たとえホルモン量が多かったり少なかったりしても、医学的な性別が選手の主張するせいであるのであれば、医学的な診断を受けて、選手の主張する性別にすることが可能である」
この規定を取るなら、今回は、選手が医学的な診断を受けて、「卵巣があり、精巣がない」ということを証明してもらったのならば、女性として出場することが可能となる。それは、ホルモン量の多少には関係がない。
(ただし、「卵巣があり、精巣がない」のであれば、男性ホルモンの量が大幅に多いということは、通常はありえない。特別な場合を除く。)
(逆に言えば、特別な場合には、男性ホルモンの量が大幅に多くても、「卵巣があり、精巣がない」ということがあるので、その場合には、女性として出場することが可能であるべきかもしれない。[判断の余地あり])
何年も前の記事だけど、ふと思い出して訳してみた。
ノーセックス・イン・ザ・シティ:日本に住む外国人女性の気持ち
Reannon Muth
「女性教師に長くいてもらうのは大変なことなんだ。」東京で英語教師になって初出勤の日、私の上司はこう告げてきた。「大抵の場合、6ヶ月以上はもたない。」私は驚いて、登録教師のリスト(30人―全て男性)から目を上げた。
「いや。日本で、という意味だ…。」彼は肩をすくめた。「東京は独り身にはつらい街なんだ…西洋人の女性にとってはね。分かるよね…。」
彼の後ろの壁にかかっていた写真をちらりと見た。四人の中年の白人男性。みんなひげを生やして禿げかかっていた。同じような歳の取り方で、垂れ下がった髪がメタリカのメンバーに似ていた。そして全員が、モデルのようにほっそりした身体の、厚化粧をした美人の日本人女性に抱きつかれていた。
問題を抱えることになるとは思えないけど、と私は思った。
私が魅力的な美人だったからそう思ったのではない。私は美人からは程遠い。スリムで中背、薄茶色の目とそばかす。良く言えばかわいい、悪く言っても並程度。でも私は競争相手が持っていないものを持っていた。長くて自然なウェーブのかかったブロンドの髪。その上私はバイリンガルで、旅行にも慣れていて、大卒だった。
でも日本に来てから数週間の内に、不可解なほどに、もどかしいほどに、自分自身が透明人間になっていることに気がついた。
スターバックスのかわいいバリスタ達は私に見向きもしなかった。自転車に乗ったビジネスマン達は私を無視して走り去っていった。大学生達はボソボソと謝りながら急いで私から遠ざかって行った。天気のことを話したり、道を聞いたり、何か話すきっかけを持とうとした時はいつもこうだった。彼らは挨拶すらしてくれなかったのだ。本当に。
「積極的にならないと。」と日本人女性の友達はアドバイスをくれた。「日本の男はシャイだから、あなたから行かないとダメよ。」だから私はバーでもバスでも、男性達には誘いかけるように微笑んだ。レストランのメニューや、地下鉄の案内の読み方を聞いたりした。
「何かおすすめの本/ドリンクはありますか?」本屋で隣に立った時や、バーで隣に座った時には、このおなじみの台詞で男性達に尋ねていた。でも魅惑の眼差しや会話のきっかけなんてものは、相手が私を見てくれなければ効果がない。彼らが私と完全に目が合うのは、うろたえた表情を向ける時だけだった。まるで「私が将来産む子供達の父親になって。」と、たった今私がお願いしたかのような表情だった。上司が言っていたことは正しかった。独り身の西洋人女性が日本に住むのはつらい。でもどうしてなんだろう?
アドバイスを求めてインターネットを見てみると、デートできない西洋人女性というのは国外居住者の間ではおなじみのキャラなのだと知って驚いた。国外居住者が集う掲示板での、孤独な独身女性の書き込みの多さを見た限りでも明らかだった。
深刻な問題のように思えたのだけれど、多くの女性が話すのをためらっていた。議論するには難しいテーマであるのも無理はない。その国の50%の人たちを極端に一般化することになるし、より悪く言うと、レイシストか男嫌いの俗物女のように思われてしまうからだ。
国外居住者と日本人との間で同じように広まっている見解なのだが、実のところ日本人男性は西洋人女性に魅力を感じてはいるのだ。付き合うために行動する度胸がないだけで。国外居住者達の間では、アジアにいる西洋人女性はジェニファー・アニストンのようなものだった。強くて、自立していて、積極的で、はっきり物を言う。遠くから見とれるには興味深い存在だが、実際に話しかけてみようとする男性はいない。西洋人女性は違いすぎて、異国すぎて、デートの相手にするのは事実上不可能と思われていた。
Y染色体を持つ国外居住者達にとっては話は別だ。女性の国外居住者達が土曜の夜を一人で、ラーメンのどんぶりに涙をこぼしながら過ごす一方で、男性達はキープしている女性達と我が物顔で飲み歩く。彼らはそうやって過ごしていた。
アジアに行ったことのある人ならば、弱々しくてガリガリに痩せたベトベトの髪の白人少年が、完璧にメイクしてミニスカートをはいたアジア人の女の子と手をつないで歩いているのを見たことがあると思う。こんなことは世界の他の地域では決して起こらない。アジア以外の場所では、バービーはケンと結ばれることになっている。不完全雇用で人付き合いの苦手な、日本刀コレクターの隣人、ケビンとではないのだ。でもアジアでは、デートのルールがあらゆる論理や進化の法則に反している。アジアでは、オタクは王様なのだ。
立場が違っていたらよかったのにと願ったとか、そういうことではない。ほとんどの場合で、私は彼らを喜ばしく思っていた。彼らは自分の国にいた時にはデートの予定を書き込むこともできなかっただろう。でもアジアでは高嶺の花を勝ち取ったのだ。彼らはまさにサクセス・ストーリーそのものだ。魔法の抜け道を使って、有利な条件の元で高根の花とデートしているとはいえ、誰がそのことを非難できるだろうか?西洋人女性にとってのそのような涅槃の地が存在するならば、きっと私もそこへ移住するだろう。
時折、カップルを見て「彼女は本当にあの男と付き合っているのだろうか?」という疑問がかき立てられることはあったが、なぜ日本人女性が西洋人男性を(オタクっぽいのでさえ)魅力的なデートの相手候補と見ていたのかを理解するのは簡単だった。彼らは一つの物事に対して、真っ直ぐで広い心を持っていた。彼らはメガネ越しの西洋の目で、恋愛関係を対等な協力関係として見ていた。それは、昔ながらの了見の狭い日本人男性には、まだできていないことだった。西洋人男性達がガールフレンドを大切に扱って、お互いが二人の関係に満足しているのを見て、それが分かってきた。彼らの思いがけない行動や奇妙な言葉遣いが、翻訳で多少失われて、伝わらなかったとしても何の問題があるだろうか?社交的でない人も、愛し愛されてしかるべきなのだ。
でもうらやましいと感じないようにするのは大変だった。私が毎週末、クラブのダンスフロアに一人で立ち向かっている一方で、バカっぽい外国人男性達が上手にナンパして電話番号を交換し、最初のデートの予定を決めているのを見た時は、特につらかった。彼らは駄菓子屋ではしゃぐ子供達のようだった。日本人女性はグルメ向きのトリュフチョコレート。一方で西洋人女性は、容器の底に溶けてこびりついた三年物のトッツィー・ロール。日本人男性達はたぶん私達に気後れしていた。外国人男性達は私達を気兼ねなく無視するだけだった。
でも私は出会いを求めてアジアに来たわけではないのだ。いつもそう自分自身に言い聞かせていた。ここに来たのは、日本語をマスターして、自分の国とは大きく異なる文化を楽しみたかったからだ。でも生活を日本に移すことが、恋愛生活を故郷に置いてくることを意味するとは予想もしていなかった。東京での生活を存分に楽しんでいたとはいえ、公平な取引だったとは思えなかった。
外国人女性の恋愛には成功話がほとんどないと言っているわけではない。知人の何人かは日本に来た後、夫または婚約者を連れて帰国して行った。でも彼女達は少数派だ。ほとんどの西洋人女性は一人で日本に来て、ずっとそのままだった。
とある金曜の夜、仕事からの帰り道の途中、自分がもう日本に九ヶ月いることに気がついた。この逆境に打ち勝ったことを内心喜んだ。上司が間違っていたと証明したのだ。でも重い足取りで帰宅し、『The Office』の再放送を見ながらセブン・イレブンの寿司の残りを食べるという、いつも通りの夜を過ごしていた時、何のために頑張ってきたんだろうと疑問に思った。魅力がなくて、誰からも求められない、最低で、女性扱いすらされない。ずっとそう感じてきた。短いスカートをはいた時や、ぴったりとしたトップスを着た時でさえ、男性達はちらりと見るだけだった。いやらしい目を向けるような建設作業員でさえ、私に対しては退屈そうで無反応だった。自分が火星人になってしまったように感じた。そしてすごく、すごく寂しかった。外国人女性達を、デートのチャンスがある輝かしい境地へ連れて行ってくれる最後の船に乗らなかったのは、もしかすると間違いだったのかもしれない。
元記事:No Sex in the City: What It's Like to Be Female and Foreign in Japan - Vagabondish