国立大学でも天下り
高級官僚に限らず、自分の専門分野の成果をまとめて博士号をもらい、教員、副学長、学長になるのは、特に問題はない。省庁の各種審議会(文部科学省に限らず)では「行政担当者(トップは事務次官)」と「学識経験者(大学や民間の研究所の研究者)」が一緒に仕事をし、意欲的な行政経験者が学識経験者の指導の下、学位をとる場合もある。一種のステイタスとして学界へのあこがれもある。これが、健全な関係といえよう。しかし、文部科学省の高級官僚が、理事(事務担当者)の枠組みを超えて、教育行政といった専門分野で博士号をとらずに、副学長や学長に昇格になるということになれば、大問題である。
国家I種試験に合格し文部科学省に入れば、学位または学位に相当する著作物(教育学関連)がなくとも、理事を超えて、副学長や学長になれるといった感覚が一般化すれば、大学院博士課程とか博士号、つまり自分の専門分野を極めるという根本の問題を文部科学省自体が理解していないことになる。大学生が修士課程や博士課程にいかなくても、文部科学省の役人になれば学長になれるといったことを考えるだろうから、大学は崩壊へと向かう。文部科学省の役人も他の省庁、財務省はほぼ100%の役人が外国の大学院に留学するか国内の大学から博士号をもらう役人も少なくない。なぜ、このような感覚が文部科学省の役人に全く欠如しているのか理解できない。山形大学では、医学部関係(学内の3分の1)と事務担当者を除くほとんどの教員が猛反発をしたようである。
報道によると、他候補者の1本化が前日になり、若干1本化がはかれなかった。また、学長選考会議(14名)にメンバーの民間議員(7名)は学長(医学部出身)が指名すること、さらに候補者の推薦人(第1選考前の推薦者)が多数(学部長)が学長選考委員会の学内メンバーであることなど不正行為(行政処分の取り消しの裁判が必要)ともなりかねない選考方法であったという。国立大学法人の長の就任を求める伊吹大臣が、前文部次官の就任を認めることは、「学識=文部科学省の高級官僚を務めること」ということをであり、大学設置基準の学長就任の学識についての批判へとつながる。大学の発展を願う文部科学省の見識を疑う。見識のある山形大学の教員(医学部関係者以外で大方小山氏に票が集まったという)を救うために、大学および民間研究者、そして内閣府の教育再生会議で議論する緊急課題といえよう。
この問題は大問題であり、健全な山形大学の研究者(教育関係の著作物なし学位なし学長は問題であると考える大多数の研究者(医学部関係者除く))はむしろ被害者である。すべての分野の官僚経験者でその分野できわめて学者になったひとへの侮辱でもある。これから科学を志す学生が、「文部科学省に入り学長になりたい」と面接でいうのが一般化すればたいへんな事態となる。国内外のこのことを憂う学者はすべて、当選者である小山氏を支援して、いろんな場(新聞や政府の教育再生会議等)で救う必要がありそうですね。社会保険庁は「カネ」の問題でしたが、今回の問題は、それを超えるショッキングな出来事です。
【2007/07/28 09:36】
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