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2025-12-11

かにこれまでの人生を聞いてほしい

現在26歳。女。一人暮らし

兄弟無し。恋人現在無し。友達無し。ブス。

どこにも話したことも書いたこともない、これまでを誰かに聞いてほしい。

人との接点が持てる場所職場のみ。

ただ職場プライベートの持ち込みを好ましく思っていない雰囲気なので、あくま仕事上の付き合いしかない。

唯一の心の拠り所は男性韓国アイドル

毎月、月収の半分以上を使い込んでコンサートに行ったりCDを積んだりする。

もちろん、貯蓄はほとんど無い。

依存症みたいなものだろう。

でも、少なくとも今はこれでしか心の穴を埋められないのだ。

私は小さい頃の記憶が全くと言っていいほど無い。

両親は普通の人だったし、普通の家庭だったけど家族間のコミュニケーションが少なかったように思える。

母親が癌になってからコミュニケーションますます減った。自分病気のことで精一杯だったんだろう。

父親仕事一生懸命だった。朝早くに家を出て、遅くに帰ってくる人だったので一緒にご飯を食べることがあまり無かった。

小さい頃の家での記憶は、母親が癌になってから自然派ママやスピに傾倒してしま添加物にこだわり始めて、家のご飯が美味しくなかったことぐらい。

小学生の時の学校生活特に問題がなかった。

テストの成績も悪くなかった。

ただ、この頃から人間関係でモメることが度々あった。

私が10歳の時に母親他界した。

人生の大きな転換期だった。

父親は私を叔母の家庭に預けるために、地元へ戻った。

それまでに2回転校している私は3回目の転校をすることになった。

私は日中は叔母の家に預けられ、そこのルールで過ごし、父が仕事から帰ってきてから自分の家に戻るという生活中学卒業までしていた。

家に戻ったらお風呂に入って寝るだけだったので、この頃も父親とのコミュニケーションはあまりなかった。

この頃から人に何かをお願いしたり、おねだりするのが極端に苦手だった。今もそう。

甘える=迷惑という環境だったから。

中学生のとき人間関係は悪くなかったと思う。

ただ、部活父親指定スポーツ限定だったのでやる気がなくサボっていた。

私は本当は美術部が良かったのだ。

高校1年生ぐらいのときに、また大きな出来事があった。

父親祖母の反対を押しきって、再婚した。

再婚相手(以後、義母)は最初はとても人当たりがよく優しい印象だった。

私に新しいお母さんが出来たと思った。

不思議気持ちだったけど、やっと私の事を見てくれる人が出来たようで嬉しかった。

ところが、蓋を開けてみると義母アルコール中毒だった。

壁を蹴る、暴言を吐く、泣く。

しかった気持ち一転、関わらないようにしていた。

その矛先は私にも向かった。

暴言を吐かれ、私の顔について難癖をつけてきた。

義母アルコール中毒だったけど、頭が良い人だったから何も言い返せずただ泣いて受け入れるしかなかった。

父親にこの事を共有しても、離婚はしなかった。

父親は16年一緒にいる私より、知り合って2年ぐらいの義母と、義母との家庭を選んだのだ。

私は高校入学あたりから学校での人間関係も上手くいかなかった。

中学の時から仲が良かった子(以後、A子)が、別のグループ形成してしまい私が仲間外れのターゲットになったのだ。

当時スマホが徐々に普及しはじめて、昼休みにはスマホをこっそり触ったり友達写真を撮ったりするのがよくあった。

一番覚えているのは、グループから爪弾きにされ始めた頃。

まだ私は仲間外れにされている自覚はなくて、いつも通りA子の横にいた。

A子は横にいたまた別の子自撮りを始めたので、私も入れるやつなんだと思い込みカメラに映った。

今でも覚えてる。私が入ってる写真が嫌だったA子は不機嫌になって大きく舌打ちをして、目の前でその写真を削除したのだ。

この事がきっかけで自分友達から嫌悪されている対象なんだと知り、ショックを受け、クラスに上手く馴染めなくなった。

その頃から成績もガクッと落ちて、定期的に学校を休んでは自室に引きこもるようになった。

家でも、学校でも味方がいない高校生活だった。

高校卒業と共に、すぐに家を出て都会の学校に通った。

もちろん一人暮らしだった。家を出ていくように言われた。

学費父親が出してくれたので、その点は恵まれていた。

食費や光熱費スマホ代を払う必要があったので、日中学校へ行き夜は飲食アルバイトをする生活に明け暮れていた。

めっちゃ勉強をした私は晴れて学校卒業し、無事に希望していた会社へと就職が叶った。

仕事するならこのスキルを活かせる仕事が良い、と思って学校へ入ったのでやっと人生が報われたと思った。

でも、実際の仕事をしてみると楽しいより苦しいことのほうが上回っていて、理想現実ギャップに悩まされている。

常に自分の中の知識アップデートが求められて、なんだか息苦しさを感じる。常に泳ぎ続けなきゃいけないマグロのよう。

入社早々そこそこ大きなミスやらかしたし、何度注意されたかからない。しか打たれ弱い

期待の新入社員だっただろうに、上司はきっと扱いに困っているのだろうと思うとなんだか申し訳ない気持ちになる。

入社から3年目で、中学時代友達(以後、B子)とシェアハウスをすることになった。

当時私はB子ととても仲が良かったので、何があっても上手くやっていけると思っていた。友達と暮らせることがとても嬉しかったのだ。

から徒歩15分、新しめの2LDKの部屋を借りて新生活を始めた。

最初は順調だった。最初は。

同棲1年ぐらいが過ぎたころ、B子が全く働かなくったのだ。働かずに引きこもってオンラインゲームをしていた。

まぁ、誰にでもあることでしょうと思って怒らずに。 お金のことはゆっくりでいいから、とにかく休むようにと伝えてあった。

それが1ヶ月、2月半年以上続いた。

その間の生活費はもちろん全て私。

2LDK家賃も、2人の光熱費インターネットも。

給料全部使ってかつかつ月はちょ

2025-12-10

大学中退クズ叫び

あてもなく大学中退してフリーターしてた。

家電量販店で2年バイト。月収18万円くらいだったかな。田舎の専卒、大卒社会人になって働いてる感じの社員が多かった。いい人多かった。

次に、中国系の怪しい社長経営するネット系の会社バイト入社して、その後社員に。社長はもちろん中華社員数30名。3年働きました。年収350万円くらい。品性の良くない人間が多かった。

次にIT系ベンチャーで100-500名規模の会社転職年収は400万円。5年勤めたこ役職がついて750万円に。マネジメントに優秀な人が多かった。

さら転職して東証プライム時価総額一兆規模の会社へ。年収は850万円。新卒採用組が漏れなく優秀。あまり変な人もおらず、組織ルールが多く統制が取れてる。

大学辞めて新卒カードも無くして、バイトくんに転落しかけた人生ですが、私はがんばっていると思います。誰かほめて?

【男限定ペットボトルおしっこが出来ると人生少し楽になる

生きてて困る事、それは意図しないトイレの都合

そんな時、手段としてペットボトルおしっこが出来るようになると凄く楽になる

最終手段として残しておく

リュック上着で隠してボトルに入れる

ヤベえ奴が居ると思われても構わない

漏らすより双方にとって1000倍マシである

これを私は29歳の時に気づいた

トラック運転手もっと早く知っていたのだ、私ももっと早く知っておけば良かった(ジョバー)

精神病労働

14歳適応障害(当時そんな病名は聞かなかった)を発症してから20数年。

鬱病強迫神経症摂食障害正式に病名がつき、その他、双極性障害2型と統合失調症医師からそうかもと言われた。

大学は鬱と摂食障害中退し、そこから寛解期に猛烈に労働したお陰で正規雇用で働き続けているが、6年前に再発して以来ずっと精神科のお世話になっている。

普通に働けているようで働けていない。

薬を飲みながら周りには隠して労働しているが、前職は耐えきれず鬱の診断書職場に提出して休職する羽目になった。

普通にみんなできていることができなくてしんどい

夜眠れないし朝起きれない。

たまにドキュメントがしっかり読めないし、物忘れが年々激しくなっていく(医師には一時的な脳疲労と言われたが、負荷で萎縮して不可逆的ダメージ負っているのではと思っている)

ちょっとしたこと感情がかき乱されるし、またいつ折れるか分からない不安が傍にある。

貯金がないので働かざるを得ない。

ゆっくり休むだけの余裕がない。

若い時分に実家には死ぬほど迷惑をかけたので、親にも「いい歳なんだからちゃんとしてよ」しか言われないので頼る気も起きない(申し訳ない。親も高齢者だ)

家庭もないし恋人もいない。

友達も鬱期になると縁が切れてしまうので知人レベルしかいない。

発狂しそうな気持ちを抑えて労働しているけど、毎日消えたい気持でいっぱい。

働くだけでは誰も認めてくれない。

自分自身を認めてあげられないからこれはどうしようもない。

精神の病を患いながら働いてる人は周りにもいるのだろう。

みんなどうやってこのどうしようもない感じと付き合いながら生きているんだろう。

死にたいけど親をこれ以上悲しませたくない。

もう人生5回分くらい要らない迷惑をかけた。

詰んでないか逃げられない

消費系の趣味は良くないという風潮

から読書映画鑑賞趣味にしていたけど、消費系の趣味は良くない、生産系の趣味を持つと人生が豊かになるみたいな言説を数年前に見かけてから、そうなのかと思って何かを生産することをやってみようと意識してきた。今のところは本を読んだ後や映画を見た後に感想を書くというのは習慣化したけど、編み物とか楽器のようなThe生産系の趣味にはまだまだ手を出せていない状態

しか最近、消費系の趣味で何がダメなんだという気持ちが強くなってきた。そりゃ何かを自分で生み出すというのは達成感もあるし自己肯定感高まるだろうけど、料理作るとか仕事お金を稼ぐとかはやってるんだから趣味くらい生産性がないことをしていても別に構わないのでは?映画を見るだけと言っても、それで楽しんで前向きになれるんなら人生は豊かになるわけだし。

コミュニティを作れるような趣味をやれというならわかるけど、消費=悪みたいな風潮は冷静に考えるとわけがからない。自分は完全なる消費者であるという自覚を持って生産者をリスペクトしろよという話なら理解できるが。そもそも自分の思い違いでそんな風潮などないのか?

俺の人生ってなんだったんだろうか

 今40歳

 大学を出るまでは順調だったんだけど、新卒で入った会社が激務で、6年くらい勤めたところでうつ病になって退職10年ぶりくらいに実家に帰った。この時28歳。

 実家には祖母と母、あと高校中退して引きこもりの弟が住んでた。父は長いこと海外単身赴任してて、ここ5年くらいは帰国してないらしい。

 祖母は昔から気性が激しかったんだけど、俺が実家に帰った時はますます酷くなってた。今思えば、この頃もう認知症が始まってたのかな。常に家族文句悪口を言ってたし、些細なことで怒鳴るし物に当たり散らす。母はうつ病でずっと寝込んでて、弟は部屋から出てこない。実家は荒れ果ててた。

 それから3年くらい、精神科に通いながら家のことをやってた。祖母年金と父からの送金、生活していくくらいのお金はあったので、ボケかけの祖母うつ病の母とひきこもりの弟に食事を作っていた。みんなバラバラ食事をとる。祖母が癇癪を起こして料理を床にぶちまけるのはキツかったけど……少しずつ家の片付けも進めていった。

 弟とは8歳違い。昔は仲が悪くて、大学に進学して実家を出てからは口も聞いてなかったんだけど、久々に一緒に暮らすようになったら、いろいろ話すようになった。やっぱり高校行ったほうがよかったかな?とか、これからどうすればいい?とか、就活ってどんな感じ?とか。一緒に暮らすようになってから半年くらいした頃に、「大学に行きたい」って言い始めた。

 俺は自分貯金ほとんど無かったから、弟を大学に行かせてやることはできない。祖母年金も父からの送金も生活費に消えていくから学費にはできない。なので俺から父に学費を出して貰えるよう頼むことにした。

 父は弟のことをすっかり見放していて、最初は「金のムダだから」と言って取り付く島もなかった。それでも何度もメールを送って、「国公立のみ、受験は1回限り」という条件で弟の学費を出してもらえることになった。それから生活費を切り詰めて弟に高認を取らせて予備校に通わせて、弟も勉強を頑張ったので、2年くらいかかったけどなんとか隣県の公立大に合格した。奨学金手続きもして、なんとか弟を進学させることができた。嬉しかった。

 弟は隣県で一人暮らしすることになった。アパート契約をして引越しも済ませて、実家には祖母と母と俺が残された。俺もこのままじゃいけないと思って、地元仕事を探した。地元では珍しく大卒なのと、高齢者が多くて若い働き手が少ない土地柄なのと、新卒会社が誰でも知ってる有名な大手企業だったので、わりと簡単正社員仕事が見つかった。

 この時は30代前半だったんだけど、職場の人はまだ若いんだからとなにかと目をかけてくれたし、可愛がってくれた。自分うつ病全然良くなってなかったのと、母や祖母生活の世話もしなきゃいけなかったので毎日キツかったけど、頑張ればなんとか続けられそうだった。

 その翌年か、翌々年の冬だったかな、祖母が転倒して足を骨折した。歩くのが不自由になったのと、頭もボケてきたから、病院に連れていって要介護認定をもらって施設に入れようとした。お医者さんに診てもらったんだけど、祖母はお医者さんの前ではシャキッとしていて、要介護は認められなかった。要支援1?になって、週に何度かヘルパーさんに来てもらえることにはなったんだけど、基本は在宅で家族が常時見守ってとのことだった。母はもうずっとうつ病で寝込んでて、介護なんてできるはずなかったから、俺は仕方なく仕事を辞めた。

 祖母はこの頃にはすっかりボケきっていて、でも気性は変わらず荒いままで、大声でうわ言を繰り返したりいきなり怒鳴ったり、茶碗を投げ捨てたりと大変だった。それでもだんだん元気が無くなっていって、ほとんど寝たきりになって、5年くらいして祖母は死んだ。誤嚥肺炎だった。俺の食事が良くなかった、俺が殺したようなもんなのかもしれないけど、正直ホッとした。

 祖母が死んだ時は、さすがに父も帰国した。父に会うのは20年ぶりくらいだった。久々に顔を合わせるなり「お前何やってたんだ」って言われて、それ以外に会話することはなかった。弟にも連絡したけど、就職して忙しいし、父に会いたくないか葬儀には行かないって言われて、まあ仕方ないなと思った。父の兄弟が集まって、祖母遺産の分け方を話していた。祖母の面倒はもうずっと母と俺が見ていて、遺産目録も俺が作ったんだけど、俺も母も蚊帳の外、いないのと同じ扱いだった。

 葬儀が終わってしばらくしたら、父はまたすぐ出国した。祖母が死んでから、母が元気になって、パートに出るようになった。俺はなんか緊張の糸が切れてしまって、一気に何もできなくなってしまった。以前は俺が母に食事を運んでたんだけど、この時は母が俺に食事を運んでくれるようになった。仕事で疲れてる母に食事を作ってもらって、自分では何もできないのが情けなくて、申し訳なかった。母は俺の心配をしてくれていたけど、俺は何もできなかった。

 それから数年して、定年した父が帰国して家に帰ってきた。父は朝起きて新聞を読んで、あとはずっとテレビを見ている。父とは顔を合わせたくないから、俺は部屋に引きこもるようになった。父はたまに俺の部屋に来て、舌打ちをして乱暴にドアを閉めていく。下の階からはよく母を怒鳴る声が聞こえた。

 父が帰国してからほどなく、母は朝から夜までパートに出るようになって、ほとんど家にいなくなった。俺の食事は母が作ってくれていて、朝晩部屋の前に置かれていた。俺は部屋でそれを食べて、空になった食器を部屋の外に戻す。そんな生活だった。食事には、時々母から手紙が添えられていた。「焦らなくてもいいから」とか、多分そんな内容だったと思う。この時期はなんか頭が麻痺してたというか、何も考えられなくなってて、手紙の内容はあまりよく覚えていない。

 しばらくして母から、市内でアパートを借りれたから、家を出て一人で暮らすねと言われた。パート収入年金があれば一人で暮らせるから心配しないでねと言われて、少し安心した。

 実家には俺と父が残された。俺は相変わらず何もできない。父は朝寝室を出て、昼間はリビングテレビを見て、夜また寝室に戻っているようだった。時々乱暴に壁や天井を叩く音が聞こえた。父が寝た後で、水を飲みにキッチンに行くと、割れガラスのコップが床に散らばっていたこともあった。せっかく片付けた家がまた散らかってしまった。

 母がいなくなったので食事も無くなった。自分食事を作ろうかとも思ったけど、この時はもう車を処分してしまっていたので買い物に行く方法が無いし、なにより父が家にいると思うと、キッチン料理をする気にならなかった。だんだん食事がおろそかになっていって、何も食べない日が増えてきた。そのうち2週間くらい何も食べないでいたら気を失って、気づいたら病院に運ばれていた。栄養失調と摂食障害で、危険状態だったとのことだった。誰が通報してくれたのかは分からなかった。

 入院して1週間くらい経った時、病室に来た父から、家を売るから荷物処分する、と言われた。そうなんだ。としか言えなかった。母や弟からはたくさんLINEが来てたけど、どう返信したら心配をかけずにいられるのだろうか、何も思いつかなくて返信できずにいた。

 母から「お父さんには会えないから、お見舞い行けなくてごめんね」ってメッセージが来ていた。母はまだ同じ市内に住んでるんだろうけど、DV支援措置?かなんかで、親族でも住所は教えられないらしい。まあ教えてもらったところで、母にこれ以上負担をかけたくないからどうでもいいんだけど。母はずっと辛い思いをしてきただろうから、これからは元気に過ごしてほしい。

 弟とはもう何年も会ってないけど、たまに連絡を取り合っていた。大学を出たあと、そのまま隣県で就職して、結婚して子供も生まれたらしい。父や母には絶対に言わないでくれと頼まれたので、父と母には何も伝えていない。

 弟から送られてきた家族写真を見ていると、こんな人生もあったのだなあと、そして弟がそういう人生を歩んでいてくれていることがとても嬉しくなる。祖母や父に罵倒されても心が動くことは無かったけど、弟家族写真を見ている時だけは嬉しくて涙が出てくる。何かできることはあるか、って言ってくれたけど、何もしてくれなくていいよ。こんな家のことなんて忘れて、俺のことも忘れて幸せになってほしい。

 今、病室でこの記事を書きながら、俺の人生ってなんだったのかなあと考えている。映画を観終わって、エンドロールを眺めているような感じだ。市の職員さんは親身になってこれからのことを話してくれるんだけど、これからことなんて何も思いつかない。俺の人生、多分俺にとってはもう終わった物語なんだ。ハッピーエンドだったんだろうか。それともやっぱりバッドエンドだったんだろうか。そんな感想けが頭の中をグルグルと巡っている。

「母は、私の人生にずっと“終わり”という言葉をかけてくる」

私は結婚したとき、実母にこう言われた。

浮気したいなら男紹介したるで」

冗談のつもりだったのかもしれない。

でも、頭が真っ白になった。

その後、子ども妊娠したときにも言われた。

子ども産んだら人生終わりやで」

私はその時、笑って流した。

というか、流すしかなかった。

真正から受け止めたら、たぶん立っていられなかったと思う。

でも今になって思う。

あれは全部、母の“感想”だったんだと。

母は、自分人生を「終わったもの」と感じている人なんだと思う。

結婚して、子どもを産んで、自由がなくなって、

女として扱われなくなって、我慢ばかりして、

「ここから先は消化試合」だと感じながら生きてきた人なんだと思う。

から、私が結婚したときも、

私が母になったときも、

母は「どうせ不幸になる」という前提の言葉しか渡せなかった。

浮気してもいい」

人生は終わる」

それは忠告でも助言でもなく、

ただの“自分人生への絶望”の押しつけだったんだと思う。

正直、ずっと気持ち悪かった。

娘の結婚に対して、浮気の話をする感覚も、

出産育児に対して「終わり」と言い切る感覚も。

でも最近やっと、少し距離を取って考えられるようになった。

あの言葉は、私に向けた言葉じゃなかった。

母が、自分自身に言い続けてきた言葉だったんだ。

私は、母とは違う人生を生きている。

結婚しても終わらなかった。

子どもを産んでも、人生は続いている。

大変だけど、確かにしんどいけど、

それでも「終わり」なんかじゃない。

母の呪いみたいな言葉を、

これ以上、自分の中に住まわせないようにしたい。

あれは母の人生感想文であって、

私の未来予言じゃないのだから

ふう〜〜

人生色々あるね〜

疲れる時もあるね〜

でもどうにかなるよ〜

推し活はおすすめしないが、安上がりでいたいならご飯食う時に祈るのをちゃんと考えるとかでいいだろ。

今日の行動は飯が美味くなるような行動だったか』を常に考えて行動すれば、多少は生活が良くなっていくんじゃねえの。

結局、それでしかない。

推しというわかりやすい褒美を与えてくれる人型や性格を持った存在に対して型枠に嵌められた存在としてその中でもどれだけ礼節を持って生活していくのか、そういうことをすることで推しはどう思ってくれてるのか、そんな行動をしている人が推している存在はどれだけの存在なのかを推測ってもらえるのか。

そういうところにある。

 

経済生物的な行動は推しやその周辺を稼がせる行動なだけで、それは結局、推し推しとして生きているだけでスポンサードされていってくれたら嬉しいという解釈だ。

まぁ、自己顕示欲やお友達をアッと言わせたいや、自分理想とする推し方を表現する時に必要アイテム、として推しCDだの推しブロマイドだの推しのアクスタだのが軽妙に売られていく。

その経済活動について疑問を抱くのは結構だが、経済活動にケチを付けるのは、控えめに言ってダサい貧乏である税金対策で車買える!経費でキャバクラ行ける!の域を出ない人達である

いやまぁ、接待費という体だったらワンチャンあるかもしれんが、それも限度がある。

推し活は正しく浪費である。その浪費を経費で勘定してしまった瞬間から推しではなく商品名さんになるものである

自分の中の叫び出したい狂気死にたい狂気、内にある様々な狂気を抑える為の御守りだ。きっと最後は真っ黒に煤けて灰になっていく。

推し当事者ハイにならない。心の内にホッカイロが詰められるだけ。

これから祈りたいというだけ。

 

から、一番安価推し活は何にでも祈ることだ。

何にでも神性を見出し祈り伏し、それらに恥じぬ生活を送ることだ。

ただただ現代人が属人的なだけだ。

安上がりでなくて良くなっただけだ。

金という神のいい加減さにうんざりさせられただけだ。

 

から我々は推しに祈る。

推しがこれから健康で楽しく過ごしてくれているというわかりやすい状況がやってきてくれたら嬉しいから。

アイドルではない、推しだ。

配信者ではない、推しだ。

そこら辺の石ではない、推しだ。

爆破されて飛び散った砂漠の砂ではない、推しだ。

推しが偉大であったという証だ。

 

それらはきっと、私の人生を豊かにしてくれたものだ。

それ故にこれからも、豊かにしてくれたもの感謝をするのだ。

B'zは見れるときに見ておけ その2

この増田書いた人です あれからもう一年経とうとしている

https://anond.hatelabo.jp/20250107165457

2025年、実はファンにとっては静かに激動の一年だった。

松本孝弘が予定していたB'z主催対バンライブ体調不良で欠席した。6月のことである。(その後、医師指導のもとアンコールだけ飛び入り参加)

松本自身体調不良ライブ参加を取りやめた事はこれまで一度もなかった。大昔のインタビュー(明石昌夫Youtubeだったかも)で「昔はインフルエンザでもギリギリまで点滴してライブ出てたよね笑」みたいな発言をしていたくらいだ。

松本孝弘はとにかく仕事に厳しい。ミュージシャンっぽくないほどに仕事人間である。言い変えれば「お金が発生する以上は最高のもの提供する」ことにずっと全力を注いでいるタイプ小室哲哉にも「まっちゃん商人からね(笑」と評されたこともある。職人であり、商売人でもある非常に稀有存在だ。

そんな人なので、既にチケットが発売されてしまったライブを中止することは考えられなかったはず。それにも関わらずライブ不参加を決定した事の重大さにファンはかなり衝撃を受けた。

体調不良の影響は表立ってはこの対バンライブだけだったが、断片的な情報から裏でもかなり混乱があったように見える。

※以下、進行中のツアーネタバレ個人的妄想を含みます

昨年の紅白直後のスポーツ新聞インタビューで、現在敢行されているドームツアーと新作発表をアナウンスしかしその後は半年以上も新情報はなかった。

https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2025/01/03/articles/20250103s00041000175000c.html

具体的な日程が発表されたのは8月頭、初日名古屋までは3ヶ月しか空いていなかった。ファンには吉報だったが、3ヶ月では日程調整の効かないファンも多かったはず(6月対バンライブは昨年12月アナウンス) 

さらに新作アルバムリリースツアー初日の数日前、タイアップなどで先行公開されていない曲(=アルバムしか聞けない曲)は全曲セットリストから外れるなど異例づくしのツアーになっている。

とある曲で松本が休養せざるを得なかったことへの思いを稲葉が綴ったとファンの中では噂されているが、本当にそうであれば発売日の半年足らず前まで制作を続けていたことになる。

またレコーディングには海外の有名ミュージシャンが起用されるのが常だが、今回はレギュラーメンバーを除けば昨年松本ソロ活動来日したであろうマット・ソーラムが参加しているのみ。アルバム制作としてはかなり切羽詰まった状況だったことが推察される(全部妄想です)

商売を考えれば年末紅白出場から6月対バン→直後にアルバムドームツアーアナウンス(さらアリーナ追加)あたりが理想的アプローチだろう。結果として松本の体調を考慮し、アルバム制作・発売をギリギリまで伸ばし、アリーナは全キャンセルして年内はなんとかドームツアーにはこぎつける。ドームツアーの前に予定していたアリーナ公演は拡大して来年に持ち越した、くらいの調整があったように見える(本当に全部妄想です)

今回のツアー東京ドーム初日に参加したが、松本演奏に集中、ライブパフォーマンス稲葉カバーする場面が多かった。特に本編ラストの曲は、喉の負担を考えて封印していたであろう見せ場のロングトーン披露初見古参もまとめて圧倒した。

演奏面では比較負担の少ない過去のリフ中心のアッパーソングが多く、速弾きやシビアなカッティング必要な曲はほぼ皆無。また松本一曲まるまる参加しないバラードアレンジもあった。

互いのソロ曲でどちらかがステージにいないパターンはあったが、B'zの曲を松本抜きで披露したケースは記憶にない。

そして松本MCは元々ドームツアーでは少なめだが、それでも大病だったことが窺える声色になっていた。稲葉MCでも松本への思いに熱が入る場面があった。

「(我々がここに立っていられるのも)当たり前じゃないんです」と、客席に訴えかけたのだ。もちろんその後は何万人という観客が一同に会することへの感謝も述べられたが、稲葉ライブシリアスな心情を吐露することはかなり珍しい。

(この日は座席の件やPA・特効のミスなど、「らしくない」瞬間も散見されたがここでは深く触れない)

実は前回の増田の後、18年前に取得していたファンクラブ会員に復帰して今回のツアーチケットをとった。松本の不調を予見していたわけではないが、結果として紅白出場の大サービスに乗っかって復帰してよかったように思う。

二人組のバンドとはいえ関係者を含めればそれなりの中小企業のような組織になっているわけで、おいそれと辞めるわけにもいかない事情想像できる。

それでも彼らのパフォーマンスを見れば、今できることに全力に取り組む姿勢自分人生の襟を正したくなってしまう。

「B'zはパワフル」なのは間違いないパブリックイメージだが、例えば先に述べた松本なしのバラードアレンジは、あまりB'zでは見せてこなかった稲葉の新しいボーカルスタイル提示した。松本ギターも近年、クリーントーン中心のブルーススタイル演奏はポップミュージックでは並ぶものがいない。

なんなら二人だけでブルースアレンジライブやってもいいんじゃないかと勝手想像している。The Wild Windとか今の年齢だからこそ似合う曲もたくさん思いつく。

衰えではなく変化と捉えてしまえば、日本最大級バンドの行く末は誰も予想がつかないステージに入ってきているように思える。

いくらかでも思い入れがある人には可能な限り追ってみてもらいたいです。

anond:20251210162525

普通人生」はそれが「正しい」ことを社会保証してくれてるからね。

「正しい」ことを自分証明しないといけない(あるいは自分を納得させないといけない)他のルートと比べてその点が圧倒的に楽。

カネがかかるとかそういう話じゃない。

文才の尽きた清少納言人生一発逆転狙うはむずかしいだろう

 

結婚子育てって別に偉くもなく「普通」だよね

子どもが自立して結婚して孫の顔見れてなんか良い人生だったな。それだけの話

別に結婚しないで仕事で物凄く稼いでめっちゃ贅沢したとか子供作らずに世界中旅行したってので良い人生だったでも良いよ

でも普通に結婚して普通に子育てするのが一番楽じゃない?

anond:20251210160710

1999年高校生の頃に始めたネット

あの頃はネットの楽しみ方なぞついぞ知らぬままで、正直暇でした。

からこそ「ひまあり」なんぞ名乗ってたわけです。

当時好きだった漫画から勝手拝借たこハンドル

今ではまるで現実に即さぬ有り様に…

世の中に居る本気で忙しい方々から見れば十二分に暇があるでしょうけど、

そんな方々と同じ働き方したら過労で死ねる自信が御座います

いい加減苦痛に感じてきたのでサブハドルを名乗るようにしてます

まぁ、こちらもこちらで黒歴史いっぱいあったりするのですが。

そんなこんなでじわりじわりと黒歴史を積み重ね続け、

インターネットに顔を出した時間人生の半分を超えました。

まだまだ黒歴史を積み上げ続ける事でしょう。

何卒、生暖かい目で見守って頂ければ幸に御座います

あれから1ヶ月

メン地下にハマった。

メン地下より2次元の好きなキャラ とか言っていた私はもういない。

ライブライブ何名義もチケットを発券し 薄い財布から特典券を買ってループしている。

TOだとか 課金と呼ばれる人達ほどは金を使っていないが、学生収入からすると多大なる出費だ。

別件で好きな顔の男に金を使ったため、クレカの支払い額は更にすごいことになっている。

しかし昨日、メン地下のクリスマスライブのためにサンタコスを買った。

何をしているのだろうか。

メン地下のメンションへのいいね時間プライベート邪推し、MBTIや特典会での一挙手一投足に情緒を握られている。

重なって、最近人生で1番金と時間を費やしたコンテンツのサ終が告知された。

もう私の人生には何も残らない。

色恋色恋言っても、冷静になればただ優しくされているだけだし 彼氏面と騒いだところでそれも単なる優しさに過ぎない。

メン地下からすればただの客の一人で、他の界隈の演者キャラからしてもそれは同じ。

自分特別でありたいと思うばかりに妄想が加速し、最終的には周りにも自分にも良くない影響を与えている。

人に嫌われたくない 誰かの特別でいたい そう思うのは自由だが、金を払ってそれをすることになんの意味があるのだろうか。

ソシャゲガチャに金を使う私に非オタクの友達が言った「データお金払ってるの⁉️」は、今メン地下に通っている私にもそのまま刺さってくる。

一瞬の勘違い 一瞬の胸のトキメキに1分〇千円払う毎日 当然と言ってはなんだが、学生のただのバイトで稼げる程度の額ではない。

数年前の私は、自分が夜の仕事でおじさんたちに媚びへつらって酒を飲んで金を貰っていると想像しただろうか。

将来には何も残らない。

グループ解散したら彼は恐らく一般人になる。

一般女性結婚して、普通の家庭を築くだろう。

一方私は何もかも失い、またやめられず何かのオタクをしているのだろう。

親が育ててくれた大切な体で、〇〇という趣旨ミームがあるが、大切な体で、メン地下通い。だ。

若いうちなら良いと自己暗示しても、もう20を超えている。自分責任自分で取る年齢だ。

学業も疎かになり、人間関係も少しずつ綻んでいる。

精神状態半年前と比べてかなり不安定になってきた。

やめたいやめたい思っても通うことはやめられず、オタクもやめられない。

オタクをやめたら何も残らなかった、のはてブロがバズっていたが 私にも何も残らない。

バイトモチベも なんなら人生モチベも 好きな物がないと何も無いからだ。

人生コンテンツのサ終、追っているコンテンツも同時期に終わる予定だ。また、メン地下のグループもいつまで続くか分からない。

2025年の終わりがけでここまでの窮地に瀕するとは思っていなかった。

20歳、人生の最低点に今いる。

来年になって何か気持ちが変わるのか 何かしらを諦められるのか。

完璧主義をやめないと もう首は回らなくなってきている。

私自身、自分2026年を気持ち良く迎えられることを何よりも心から祈っている。

人生何があるかわからない

人並みの生活をしてきた21歳だが、これからまだ人生詰みポイントいくらでもあるのが怖い。

飲み会強要され急性アル中になり大怪我or死亡

仕事が合わず鬱や適応障害になる

・急に難病になる

投資などで大失敗して借金

冤罪や厄介な事件に巻き込まれ

・人に騙される

・変な人に粘着される

・知らないうちに犯罪者になる

事件事故あい障害が残るor死亡

親族が早い段階から介護になる

マルチ宗教にハマる

・生まれてきた子供障害

平凡に生きたい

三大 人生であって困らないのでとりあえず増やした方がいいもの

貯金筋肉、信用

あと一つは?

anond:20251209002345

同じようなことしてた。自分場合は力技で貯金300万まで増やしてNISAもしてる。最近やっと家賃5万円台の家から引っ越したから、270くらいに減ったけど。

携帯はワイモのシンプルSにして月1500円、ネットソフトバンク光で4000円くらい。ソフバン経済圏なので、ネットで何か買うときYahoo!ショッピングでPayPay還元を狙う。入浴はせずシャワーのみ、野菜見切り品。肉はベーコンと鶏ももだけ買ってた。胸肉の方が安いけど、もも肉の旨味は生活の中のわずかな幸せだったから。

家賃は安かったけど住民海外の人が多くてゴミ出しがめちゃくちゃ。ゴミ捨て場はネズミが出るし部屋にはゴキブリが出る。晩夏は2週間おきくらいの頻度で出る。

別に外国人差別とかはないんだけど(コンビニで働いてる人たちすごいと思う)、最下層というのはマンションの塀で洗濯物干したりベランダで謎の漬物作ったりゴミ袋縛ることすらできないのでしんどいゴミ捨て場に生肉が落ちてるの何度も見た。

まあ日本人も最下層は多分そうなんだけどね。ただ発想が根本的に違うから海外の人の方がやばいなと思うことは多い。低家賃物件扱う不動産業界の人ならわかってもらえると思う。

細々とバイトして、週3からだんだん負荷増やして、ついでに資格とって。ベンダー資格は高すぎて払うのきつかった。国家資格お金からなくて素晴らしい。勉強は泣きながらした。

死にたいよりも死にたくないの方が自分場合は強かった。

今の家に引っ越して、やっと外置き洗濯機とやばいゴミ捨て場から解放された。ユニットバスだけど、まあそこは仕方ない。最近の鉄骨って防音すごいのな。鉄筋築50年の前の家より全然音しない。機密性もすごい。

前の家にはやばい外国人夫&日本人妻の夫婦がいて、夫婦喧嘩すると物が割れる音と重くてゴツい何かが投げられる音がマンション中に響いてた。警察も二度ほど来た。

前より人権がある生活してるけど、下も上も見ればキリがないと思ってる。むしろ下手に這い上がってきたせいで同年代との比較可能になってしんどい気もする。獣道歩いてると他の人と自分を比べなくて良くて楽だった。人生ままならんよ。

見た目がいい人ほど仕事できるし人生にブレがない

そう思わないかね?

ブサイク諸君

今日ソシャゲに5万円課金した

なんかだんだん人生どうでもよくなってきたので

 

あなたならなにに課金しますか?

anond:20251210133307

結婚人生詰んだ女なんて沢山いて全ての女はそれを踏まえて生きてると思うぞ?そういう話は耳に入らないの?相当お気楽イージーモード人生なんですね

anond:20251210130626

婚活ってハズレを引いたら高学歴高収入女でも人生が詰むクソなギャンブルのこと?

妊娠出産って他人のために死ぬ危険行為なので、賭けたとして何も釣り合ってなくね?

加害代行としての戦争賛成

ぶっちゃけ人生詰んでるんだよな

障害者として生まれコミュニケーション能力に難を抱え学校では虐められて職場ではパワハラされて中年の身で無職

再就職するとして今更スキルのないオッサンを雇いたがる企業なんかあるわけないし好転する未来が見えない

で、なんか最近反戦パヨクの皆様が戦争になるぞー!って仰っておられるけど案外そうなるの楽しみでもあるんだよな

そりゃ俺だって不利益は被るだろうし社会としてそうなってく以上は埒外はいられないだろう

障害者からって徴兵されないだろうって等閑視もしてない。進め一億総火の玉

でもそれより喜びを感じられるのって前途ある日本国民若者(しかも健常者!)が喜び勇んで死ににいってくれることなんだよな

なんか昔希望戦争って言ってた人いるけど、それとは何か違うんだよな。あれはどっちかというと一発逆転で事態好転するかもって期待感じゃん?

俺の場合他人が不幸になってくれる、しかお国の為という大義名分で殺して死ぬことが美徳って価値観になることに喜びを感じてるんだよ

そりゃ不本意強制される人もいるかもだけど、あくまベース価値観としては「戦争に行くのは正しい」ってなるわけじゃん

そしたら俺は歓喜の笑みでこう叫ぶんだ。「お国の為に死んでこい!嫌がる奴は非国民だ!」ってな

自分が損しても構わないか他人にもより不幸になって欲しいんだよ

から喜んで戦争に賛成する

まぁこれって言ってみれば社会を殴り棒にした加害代行みたいなもんだよなーと書いてて思ったのでタイトルにつけてみた

anond:20251210100502

はてサはこんなこと言ってますが、、、

いままで人生でさんざん下駄はい優遇されてきたのに女子枠程度で合格できなくなるような男は「実力ない」と言っていいんじゃないでしょうか

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