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はてなキーワード: プラダとは

2026-01-22

うそろそろ「富裕層は浪費すべきだ」みたいな珍説やめない?

富裕層はどんどん浪費して社会を回そう!」って馬鹿らしいと思うんだよね、というかバカの発想。

たとえば富裕層キャバクラに行ったとしますよね?キャバクラの元締めのヤクザが儲かって、黒服もそれなりのお金をもらって、キャバ嬢お金を貰います

じゃぁそのヤクザ黒服は何にお金を使いますか。ブランドキャバ嬢ヘネシー外車セックス、裏カジ、薬。

キャバ嬢お金を何に使いますか。ブランドブランドホストパチンコ裏カジ、フランフラン


外貨流出、裏カジやキャバさら流行ます。マズくて高い飯屋が儲かります。薬を密輸してる黒人もたくさん集まります

YSLやグッチプラダは儲かり更に製品を作ります。これが「浪費して社会を回す」正体。


お金って、資産じゃないんだよな。権利なんだよ。

モノを手にできる権利。だから役に立たない仮想通貨トレーダーなんかからは異常に税金を取られる。

税金を沢山納めてて偉い」

これは嘘。役に立たないか税金を使って権利を取り上げてるだけ。沢山税金を納めてるのは役に立ってないか、力を持ち過ぎないように制限してるだけ。


富裕層ちゃん投資すべきなんだよ。その権利を、より日本活性化させて文化的に豊かにできる国にすべき。

もちろん消費も必要だけど、旨い飯、国民の腹を膨れさせるところに大量に発注したり、浪費じゃなくてちゃんと「消費」すべき。

技術力の高い国産車を買うのだって立派な消費だし、浪費じゃない。

富裕層は食・文化担い手


タダの浪費はゴミ。「富裕層は浪費すべきだ」みたいな珍説バカ富裕層おだてるのはやめろ。

2025-12-11

anond:20251211014538

プラダを着た頂き悪魔

──The Devil Wears O-neeto──

完全頂き女子リメイク(約6000字相当)

設定概要

雑誌社『RUNWAY JAPAN』──

日本一ハイファッション雑誌

発行部数150万部、広告収入は年間300億円。

その全てを支えているのは、

「名もなき男子社員たち」=通称「納付男子(のうふだんし)」

彼らは給料の97%を女子スタッフに上納し、

残り3%でカップ麺生活を送るのが社則。

主要登場人物

ミランダプリーストリー(58)

伝説の頂き悪魔。RUNWAY総編集長

年間私的経費82億円(全て男子負担)。

名言「それで終わり? 私、女子なのでもっと欲しいわ」

アンドレア・サックス23新卒

地方大学出身の純朴女子

実は潜在的頂き能力Sランク

通称「アンディ」

エミリーチャールトン(29)

ミランダファーストアシスタント

頂き歴8年目の猛者。

毎日ヒール15cmで外回りゼロ

ナイジェル・キプリング(45)

アートディレクター。唯一の「納付男子幹部

給料は全額ミランダに納付済み。

趣味残業カップ麺アレンジ

シュウウエムラ(42、特別出演

伝説メイクアップアーティスト

実は「納付男子最上位」。

年収8億円だが、99.9%をミランダに納付。

残り0.1%で原宿に小さいアトリエを維持。

ストーリー完全プロット

序章 入社初日

アンディは面接でこう言われた。

ミランダあなた女子よね?」

アンディ「はい!」

ミランダ「なら採用男子は全員あなたにも奢る義務があるわ」

初日からアンディは

コーヒー(1杯2800円)はナイジェルが買いに行く

・昼は銀座の高級寿司(5万円)は経費で

タクシーは全て男子が手配

第1幕 頂き地獄洗礼

エミリーミランダは1秒遅れただけで人をクビにするわ」

アンディ「え、怖い……」

エミリー「でも私たち女子からクビにならない♡」

ミランダ無茶振り連発

パリコレの未発表原稿を今すぐ」→男子社員30人が徹夜で偽造

飛行機が嫌いだから新幹線パリに行って」→男子グリーン車車両貸切

双子の子ハリー・ポッターの未発表原稿を」→男子がJ.K.ローリング拉致未遂

第2幕 アンディの覚醒

ある日、ミランダ激怒

「この原稿センスがないわ! やり直し!」

アンディ、初めて反抗。

「でも私、女子なのでセンス関係ないですよね?」

その瞬間、空気が凍る。

ミランダ、微笑む。

「……面白い子ね」

翌日からアンディはセカンドアシスタントに昇格。

エミリー嫉妬発狂

第3幕 パリコレ決戦

パリコレ前夜。

ミランダエミリーを切り捨て、アンディを連れて行く宣言

エミリー「8年間、私がミランダのバッグ持ってきたのに……」

ミランダあなた、もう30近いじゃない。

 女子賞味期限は27歳までよ」

パリにて。

アンディは完全に頂き女子覚醒

クリスチャン・ルブタン全コレを

「私、女子なので全部ちょうだい♡」でタダ持ち。

クライマックス 頂き悪魔同士の対決

帰国後、ミランダがアンディに告げる。

あなた、私の後継者にしようと思うわ」

アンディ「え……」

ミランダ「でも条件が一つ。

 一生、男子に奢り続けさせること」

アンディ、初めて自分未来を見る。

毎日15cmヒール

男子給料を吸い尽くす

・27歳で賞味期限切れ

アンディ、辞表を出す。

「私は……普通に働きたいです」

ミランダ(初めて本気で驚く)

「……普通に働く? 女子が?」

ラストシーン

アンディは小さな出版社転職

しか

編集長は元RUNWAYの女子で、

「ここも私、女子なので……」と微笑む。

一方、RUNWAYでは

ミランダが新しい新卒女子を見つけて呟く。

彼女、いい目してるわ……

 私に似てる」

画面にテロップ

現在もRUNWAY JAPAN

 名もなき納付男子たちによって支えられている」

シュウウエムラ特別エンドロール

画面に一人だけ映る。

「僕の給料……全部ミランダさんに……

 でも幸せです……(涙)」

──頂きは終わらない。

プラダを着た悪魔は、永遠に君臨する。

FIN

「それで終わり?」

「いえ、私、女子なのでもっと欲しいわ」

2025-12-10

anond:20251210181551

ホビ「日本の女はみんなジャニーズが好き、男は身長より顔」

「爺さんいつまで頭昭和なの、全グループ売り上げが下がってるよ」

ホビ「これはジャニーズ未来不安視するジャニヲタ!」

身長発達障害の関連性は指摘されていますが、複数の要因が影響していると考えられます

身長は、次のような発達障害に関連するいくつかの遺伝性症候群共通する特徴です。

ヌーナン症候群

プラダー・ウィリー症候群

ターナー症候群

ダウン症

その他にも、低身長を引き起こす多くの遺伝性疾患は、全体的な発達にも影響を及ぼすことが知られています

2025-11-30

anond:20251130164148

例えばプラダが昔より弱いのだとしたらそれはやっぱり今のハイブランドがという話になるのでは?

ブルックスブラザーズがそっち方面に寄らなかっただけで

anond:20251130162814

でもブルックスブラザーズは「ハイブランド」より丈夫だとは思うわけやろ?

ブルックスブラザーズは元々ハイブランドでは?

プラダカバンとか元々キャリアウーマンバリバリ使うものという売りで出てきて

実際当時のはめちゃめちゃ頑丈で20国際線とかで酷使されてもまだ使えるくらいだが

あれハイブランドじゃん

今のはしらんけど持たなそうという認識はお互い共通してるっぽい

2025-07-21

横浜市民ワイ、見下してた名古屋横浜より都会という事実を知り咽び泣く

悔しい

でも俺らの方が東京に近いから…(震え)


https://i.imgur.com/y63hWtp.jpg

人口 横浜>名古屋

面積 横浜>名古屋

一人当たりGDP 名古屋>横浜

間人名古屋(昼間の方が多い)>横浜(夜間の方が多い)

市内鉄道駅数 名古屋(146)>横浜(142)

有効求人倍率 名古屋(1.65)>横浜(1.12)

大企業本社数 名古屋(398)>横浜(317)

TV本社数 名古屋(6)>横浜(1)

アップルストア 名古屋(1)>横浜(0)

百貨店の数 名古屋(7店舗)>横浜(6店舗)

高級ブランド直営店の数 名古屋(56)>横浜(28)

スタバの数 名古屋>横浜

プラダの数 名古屋(4)>横浜(1)

エルメスの数 名古屋(3)>横浜(2)

シャネルの数 名古屋(3)>横浜(2)

ルイヴィトンの数 名古屋(5)>横浜(2)

2025-04-03

財布遍歴

子供の頃から、好きでも嫌いでも財布は持っていた。小学生から数十年も持ち続けていることになる。

思い出深い財布を列挙してみる。

※※下書きを間違えて投稿してしまった。マルチポストじゃないです。失礼。

アシックスバリ財布

初めて親から渡された青い財布。6歳から中学を出るまで使っていた。札入れとカード何枚か、小銭入れがあった。カード入れにはテレホンカード図書館カード(今でも図書館カードは使っている)、スイミングスクールの会員証などを入れていた。財布を持って歩くと大人だなと感じた。

・露店で買った合皮の黒い二つ折り財布(2000円)

高校になるにあたり、色々と物入りだった。私服高校だったので、2万円を親からもらって、サンシャインの安い洋服屋で着るものを揃えた。

財布が後手に回り、2000円のを露店で買う。バタ臭い財布。

その後同級生が皆割と高そうな財布を持っていて少しへこんだ。何でプラダやらヴィトンを持ってるんだ。中身も大してないペラペラの合皮の財布は買い替えるタイミングが無く、高卒まで使う。ボロボロになって捨てた。高校生の自分にとってはまだ財布に対して特に重要ではなかった。

・巨大な茶色の長財布(中身なし)

基本的に財布はワゴンセールで買っていた。4月池袋丸井ワゴンセールがアツい。大学3年生で当時付き合っていた彼女に買ってもらった。5000円のベネトンの巨大な長財布。カード20枚、あれば札束が入る。使わない診察券やポイントカードたまる一方のレシートを見て愕然とした。

持て余すサイズで、その人と別れてから、しれっと使うのをやめた。彼女も持て余した。綺麗な人だったけど。

・3カ月で買い替え続ける紙財布

7,8年くらい前、義理の姉に「財布は新しくないと運気が下がる」と言われ、何故か紙財布に目覚めてしまった。物を減らすのには財布が小さい方がいいのでは?とエセなミニマリズム精神が優勢になる。

1000-1500円の紙財布をAmazonで季節ごとに買っては捨てを2年繰り返し(所詮紙なのでやわい)、妻に「いい加減普通の財布使えば」と言われ目が覚めた。6000円の革の2つ折り財布をAmazonセールで買って長い事使う(池袋丸井が潰れたので)。運動キャンプなどで紙財布は今も年に数回使っている。結構便利。

・長財布への回帰

小銭入れと財布とをずっと分けていたが、カバンの中から小銭入れが見つからない悩みがずっとあった。リュックだと特にAmazonで再び長財布を探す。カード7,8枚、小銭入れありの薄めの長財布を7000円くらいで見つけた。通勤リュックを買っても良かったのか、何となくモヤモヤしている。

はてな諸氏は思い出深い財布ありますか?

2024-12-31

富裕層向け商品の値上がり具合に比べれば庶民物価高なんて誤差だよな

プラダのバッグは小さいものでも50万を超えるし、ロレックスは300万前後だし、ポルシェは素の状態で1600万をくだらない。

世の中の高級品がヤバい速度で値上げしているのを見ると、100円や200円に文句を言っている俺たちはすげー幸せ人生送ってるんだなと思うよ。

2024-12-09

プラダの黒いバック持ってる男なんなん?

すげーオタクが持ってそうな黒いださカバンプラダマークついてんの

もったいないからやめてほしい

2024-07-08

プラダのバッグかわいいなーとは思うんだけど30万だすほど可愛いかと言われるとそこまでの魅力や価値を感じない

30万あったら100株買えちゃうよ 株主優待もらえちゃう

2024-06-18

anond:20240618221543

途中で切れた。長いと切れるんだな。知らなかった。

・総括

概観してみると、今の私を状態説明する要点は、下記のようなものであると考えられる。

特性を持って生まれ子どもが、いわゆる体育会系世界に入れられ、なまじ才能があったがために、支援必要特性について見過ごされたまま、強いストレスを肉体と精神の両方に受けることになったこと。

また、発達特性が仇となり、ストレスを軽減するための人間関係を作れず孤立したこと

これらの要因により精神的な限界に達した時、受けた負荷が強いパニックの形で噴出してしまい、結局はそれが水泳挫折する原因になったということ。

その後も必要ケアが十分には受けられなかったこと。

また、子ども当人(つまり、私)が、その負荷をむやみに強いられたと感じ、母親への不信を深め、その感情に向き合って修復する機会がないまま、成人後に関係破綻させてしまたこと。

そして、これらの感情的な傷付きに至る経緯とは別に特性について適切なケアトレーニングを受ける機会を得られなかったこと。

これらのことが、社会に出てから仕事への意欲が薄いこと、将来への展望を描けないこと、社交場面における不安などに影響し、また自分特性を扱う上での経験不足がストレスによる不眠、日中の眠気などに繋がり、上記不安拍車をかける結果となった可能性はあるのではないか、と私は思う。

そして、冒頭の「あなた言葉感情説明しない」という指摘もまた、やはり『嫌だ』『つらい』という訴えを繰り返し退けられ練習強要された経験から自分のつらさを他人に訴えてケアしてもらうことを諦めてしまい、直視せずに蓋をすることが常態化している精神状態にある、そのために精神的な問題を抱え込みやすくなっている、と説明できるかもしれない。

また、休職前に孤立無援と感じられる状況にふたたび置かれたことで、水泳パニックを起こしたときのように、強いパニックをおそらくまた起こし(あいまいな書き方なのはあんまり覚えていないので)会社に行くことができなくなっている。

これが当時のトラウマのいわゆる『再演』にあたる可能性はあるかな、と少し思う。

とはいえである

両親は私を愛しすぎるほど愛してくれており(少し連絡が取れないだけで着信を100件超えて入れるのが常態化していた程度には)、特に金銭の面では一般的な親の倍以上に私に支援をしてくれたことは事実である

上記事実をもって、私をまだ幸運なほうと思う人もいるだろうし、就活のくだりなんか、特に甘ったれていると思う人間も多いだろう。

ただ、3歳〜16歳ごろの人格形成期+思春期に、チームメイト精神的にまったく連帯できない状態スパルタ式の暴力的な教練を日がな毎日受けるという負荷は、おそらく定型発達の人間でも耐えられる人は限られるのではないか、という気もする。

そういう負荷に発達特性のある子どもが挑む場合には、おそらく精神的なケア定型発達の子ども以上に必要重要なことだったのだろうと思われる。

私がそういう子どもであったことが親の不運で、特性由来のストレスに対する適切なケア社会トレーニングの機会が得られなかったことが私の不運である

正直なところ。

母は小学校高学年くらいの段階で、私を発達障害者だと疑ってはいた。ネットの普及し始めた当時、私の持つASD的な特性の一部分はアスペルガーと呼ばれていたが、そのことについて母が情報収集していたことを覚えている。

しかしそれは、障害を受容した上で、適切な支援に繋げるという結果にはならなかった。

ちょうどそのくらいの時期に平成不況がやってきたのだ。私の特性を考え、進学先に私立中学を視野に入れていた母の計画は、完全にそれどころではなくなってしまった。父の会社にもリストラの波がやってきたのだ。

タイミングの悪いことに、私が水泳の過度のストレスからチックに陥った時、ちょうど母は不況への恐れからパートを始めたばかりの頃だった。私の『病気』の原因について、母は周囲からの責めを一人で負うしかなかった。父の両親との二世帯同居の家で、専業主婦の母は孤立した養育者だった。

結論から言うと父はリストラを免れ、我が家経済危機回避されたのだが、その頃には私の私立進学計画はとっくに頓挫していた。母が「結果で黙らせなさい」と言うようなことを口にし始めたのも、この頃だったかもしれない。

父親はというと、やはり私の親で発達的な特性が強く、自分の興味のあることしかやりたがらないタイプだった。養育者として、社会的な範を示すとか、発達的な特性とどう付き合っていくかとか、そうした問題についてまったく頼りになる人ではなかった。

悪い人ではない。悪気のある人でもない。一流企業にまじめに勤め、高収入であり、私に関わる多額の費用を全部賄ってくれた人である。そしてそれが、おそらく自身でも困りごとをたくさん抱えていたであろう身で父にできた、私への精一杯の愛情だったろうと思う。

母もまた、母の出来ることを最大限にしてくれた。母は、思春期の私の苛烈で発達のアンバランス性格(受けていたストレスを考えると、おそらくそうなるしかなかった)に何度も振り回されて、傷付き、それでも最大限考慮した上で、「あなたは結果で黙らせなさい」と言うしかなかったのだと思う。

これは私がどう生き、どう傷つき、現在どう困っているかにまつわる記録ではあるが、同時に単に毒親から被虐待についての記録としてはなるべく書きたくはないと思っている。充分悪者に書いただろう、と思えるような筆致だったかもしれないので、ここに補足しておく。私は難しい子供で、両親は常に一方的加害者ではなく、私を支援してくれようとした。私たちはお互い感情的な対立を何度も経験し、お互いに何度も傷付き、それを乗り越えてきた。その過程でいくつか間違いがあり、一度関係破綻してしまったが、それでもまだ、この先に和解可能性がないわけではない。

それぞれの人間がそれぞれに苦しんだ結果、私の今日につながっているのである

・これから

これを書いているいま、これからどうなるのか私にはわからない。これらの生い立ちから私が受けた傷を癒せるかもしれないし、そうではないかもしれない。困りごとを軽減してなんとか社会で上手くやっていけるかもしれないし、どうにもならないかもしれない。

ただ、良くなってほしいという希望を持って先生たちは治療に当たってくれているし、希望は捨てるべきではない。そう思うので自分恥部を曝け出す覚悟でこれを書いた。一種の『底尽き』を気力で前に持ってきた、というやつかもしれない。

ただ、強いトラウマを抱えた発達障害当事者予後は正直あんまり良くなさそうだなぁ、とは、当事者たちの声をインターネットで拾ってみて思わなくもない。

・これからどうしたい?

社会復帰がどうなるにせよ、実家にだけは帰りたくない。

ただ、復帰できないとこれが現実に起こりうることが現状最大の懸念である

プリントアウトして病院池添謙一

当然、持っていく予定である

プラダリアの取捨だれかおせーて。

カウンセリング先生も「感情説明しない」と言っただけで、そこまでドバーッといきなり半生にまつわる自己開示が出てくると思ってないんじゃない?

それはそう。

カウンセリングにはこの記録を持っていこうとは思うが、どの程度まで自己開示すべきなのか、いまが適切なタイミングなのか、そのあたりをきちんと確認しながらやっていこうと思う。

少なくとも、これを書き下せたことで、私の中では問題解決へ向けて、整理と準備がついたと思っている。

・おまえが誰かわかった

べつにわかってもいっかと思って書いている。とくに失うものはない。

何かしらの連絡手段で私とつながっていて、内容でなんとなく察した人は、「もしかしてこれお前?読んだよ」とメッセージくれると嬉しいよ。困窮者だ!金ヅルにしよう!と思って寄ってこられるとちょっと悲しい。というか休職人間に金はない。

やあ。まだ生きていますよ、私。あなたはどう?

・本当のトラウマもっと混沌としたもので、こんなに整然と説明できるものではないのでは。ストーリーをがっつり作りこんで、無意識に本当に触れられたくないことから逃げている可能性はないか

自分言語理解比較的高い特性を持っているので、書くことによって自分をメスで捌くように腑分けして、人前に晒すという自傷行動に割と慣れているし、やはり言葉によって自分説明できるとなんとなく落ち着くタイプである。その助けもあってなんとか書き切れたが、それでも書き切るのにかなり涙を流したので、この記録には多大な精神的労力を必要とした。文字通り血を流しながら書いたと言っていい。

その上で、超フラットに、予断を挟まず言えば、その可能性はないとは言えない。私のような人間レトリックを使うのがうまい。そのレトリックの中にいつでも逃げ場を作り出せてしまうので、「可能性がない」と言い切るのはフェアではない。自分でも気づいていない可能性がある。

発達障害水泳平成不況リーマンショック、30代

・これは何か

私の半生を占める水泳と、それがその後の人生に及ぼした影響について整理するために書いた記録である

なお、当時は強いストレス下に置かれていたため、詳細を思い出せなくてぼんやりしている部分もある。

・なぜこれを書いているか

私は現在休職状態にあり、ADHDの診断を受けたところである

精神科に通いつつ、投薬とカウンセリング治療をおこなっている。

そしてカウンセリングを受けつつある今、自分がいまこうなっていることの底にはあまりに苦しかった水泳記憶があり、それを直視することは避けては通れない道ではないかと思ったからだ。

(先生に直接「直視しろ」と言われたわけではない。ただ、「あなた言葉あなた感情をひとことも説明しませんでしたね」、と言われ、その原因を自分で考えていたら、勝手にそこに行き着いたという話である)

正直に言えばそこに目を向けるのはめちゃくちゃ嫌で、前回のカウンセリングを受けてから2週間くらいメソメソメソメソメスティーソ泣いていたのだが、友達と遊んで少し息抜きをしたらちょっとした気づきと癒やしがあり、なんとか気力を振り絞れそうなので書いてみた。

水泳のこと

3歳から高校2年まで水泳をやっていた。

早いうちに才能を見出され、小学校1年か2年くらいでヘッドハンティングのような形で選手育成クラスに移った。

当時、肉体にすごく負荷を掛ける練習方法流行っていた時代だったから、シンプルに肉体的につらかった。スパルタが主流で、体罰は当たり前だった。

楽をしようものならコーチにも怒鳴られ叩かれ全員の前で吊し上げられた。そこまでは周りのみんなと条件は変わらないのだが、私の場合母親ほとんど毎日練習を見にきていて(それほどに熱心な親は他にはいなかった)、仮にコーチに怒られなくても、母親の目から見て私のパフォーマンスが悪ければ、そのことを帰りの車の中で詰められる日々だった。

行き帰りは車で母親に送迎してもらっていたが、車の助手席に乗り込むと母親の「今日練習について」の裁判が始まるので、毎日まるで犯罪を犯して法廷に立たされるみたいだった。キツい負荷の練習をこなしてやっと家に帰れるのに、すこしも安らいだ気分になれなかった。

でも、私は無理にでもやらせればやらせただけ、負荷をかければかけただけ、結果が出せてしまタイプ人間だった。

父親も叔母もスポーツ学生時代成功した経験があって、家系としても肉体的に優秀だったのだと思う。

それが母親成功体験になってしまい、尻を叩けば叩いただけ結果が出るという思い込みを強化したふしがおそらくあるんじゃないかと思う。

長期休みに入るたび、朝夕2回の練習では足りないと別のプールに連れて行かれ泳がされた。この習慣は我が家では「こそ練」と呼ばれていた。

ただでさえキツい練習をしてるので嫌だったが、嫌がれば母親から「速くなりたくないの?」と頷くまで詰められる。

こうやって追い込めば追い込むほど結果が出たので、母はどんどんエスカレートしていった。

極め付けはようやく出来始めた友人関係破壊されたことだった。

中学に上がると、小学生選手育成クラスから中学クラスに上がって、ここがジュニア女子選手としては一番上のクラスだった。その上に、高校生の男子さらにその上澄みだけが入る、一番練習ハードクラスがあった。

いま振り返ってみると、私はかなり発達障害的な特性のはっきり出た子どもであり、周りと関わるのがかなり下手だった。だから、キツい練習を何年も毎日一緒にこなしてきたというのにチームメイト連帯感を育めなくて、ずっと浮いていた。浮いているのに才能だけあったから、周りからすると目障りな子どもだっただろうと思う。選手育成クラスというだけあってそこそこ実力主義ではあるので、幸運にもいじめられこそしなかったが(あるいは特性上あまり他人に興味がなく嫌がらせに鈍感だっただけかもしれない)、やっぱり浮いていた。私は人生を通してずっと普通になりたい、と漠然と願ってきたが、その願いはこういう環境のなかで醸成されてきたように思う。

(ちなみに、当時どのくらい浮いていたかというと、なんか男子たちが私に話しかけるのを何かの罰ゲーム一種として扱っているな、と気づいたことがある程度には浮いていた)

けれど、ここで話の合う友達ができたことで、この一瞬だけ練習に行くのが楽しかった時期があった。

私はもともと才能があったので、中学生のクラスを受け持っていたコーチにも期待されていたし、たくさん話を聞いてもらえて、私自身もコーチのことを頼れる大人だと思っていたし、期待に応えたいと思っていた。信頼関係を築ける大人との出会いがここであった。だから、このクラスちゃんと私の記録は伸びていた。

だけど母はその伸びでは満足できなかった。

母にはいわゆる白雪姫の母コンプレックスみたいなものがあって、私が楽しそうにしていると不安になる性質だった。不安を感じやすく、その解消のために誰をどれだけ振り回しても良いと考える傾向があった。

私が楽しんで練習に行き始めた時、母は不満だった。私が苦しんでいないから、きっと負荷が足りないのだと考え、「娘の才能が無駄に消費されている!」と強く不安を感じたのだろうと思う。これでは速くなれない、と母は考えた。

そして、「上のクラスに上がりたいと言いなさい」と母は私に強要した。

私はかなり嫌がった。もともとジュニア女子が入れる中で一番上のクラスではあったし、せっかく話の合う友達ができたのに、その子たちと話せなくなってしまうことも嫌だった。先生の期待を裏切ってしまうことにもなる。すごく抵抗があったことは覚えている。

母は私に、「あん肥溜めみたいなクラスにいたら、あなたダメになってしまう」と言った。

嫌だった。泣いて抵抗した気がする。あまり覚えていない。でも、最終的には「上がりたい」と言わされた。コーチはショックを受けていたと思う。でも最終的には上のクラスコーチに頼んでくれて、私の(母の)要求は通った。

中学1年の女子高校生の男子クラスに入れられて泳ぐことになった。毎日階段をまともに降りられないくらいの筋肉痛になった。まわりはひと回り年の違う高校生の男子しかいないので、友達と話せる機会は減った。肉体の負荷は上がるのに、心の支えは何もなくなり、ただ苦しかったしつらかった。

私が苦しんだので、母の不安は解消された。

そして、精神とはうらはらに、私の肉体はそれに応えた。

実際に大幅に記録が伸びた。一緒に泳いでいた高校生の男子より私は上のタイムを叩き出し、彼らにもよく頑張ったと認められた。中2のころにはジュニアオリンピックで決勝に残り、関東中学で優勝し、全国でも10本の指には入った。国体にも県代表で選出された。県で私より速い選手はいなくて、私がベストを出せばその度に大会新記録、県の新記録だった。母はこのことについて、自分が尻を叩かなければ結果が出せなかったはずなので、自分の手柄だと考えた。

注意して欲しいのは、これらの成果を私自身もまた喜んでいたこである。才能や能力があると見做されることは、特性持ちの人間にとっては他人から受けるマイナス感情を弾く盾にもなる。母の手柄は、私を絞り上げ、苦しめて作り上げられたものであるが、同時に私を守るものでもあった。

あなたは結果で他人を黙らせなさい」というのが、母の持論だった。母は私のために、心を鬼にして私を苦しめていたはずである。叩けば結果が出ることがわかっていたのだから

この頃から試合合宿遠征先に行くと、夜中にこっそり抜け出して、当て所もなく歩き回るようになった。特に裏道や暗い道を選んで歩いた。いま考えると、間接的な自傷だったと思う。酷い目に遭いたかった。私という価値が一気になくなってしまうくらい、誰かに酷い目に遭わされたかった。母が守る『私』という価値と、それに伴う苦しみが分かちがたく結びついていたために、母の目の届かないところで地味な自傷行為に走っていたのだと思う。

体に傷を残すようなことはできなかった。そんなことをした日に母を襲う衝撃と、その衝撃の余波を受ける自分のことを考えたら、とてもではないが無理だった。

しかし、こういう無理は続かないものである。ほどなくして精神的に破綻して、泳げなくなった。中3の秋ごろだったように思う。喘息悪化させ、負荷のキツい練習から逃げ、最後は何か喚き散らして家に帰り、そこからしばらく練習に行けなくなったように思う。詳細は覚えていない。

だけど、そこで辞めるには水泳は私の人生で大き過ぎた。人生の大半を占める一大事業に等しかった。だからそこから高校2年の夏まで、通うスクールを変えて足掻きブランクを取り戻し、記録は少し伸びたし、インターハイにも出た。

ただ、大学受験に切り替えるならこの辺りがタイムリミットだった。結局、わたしはここで引退して受験に切り替えた。水泳のために自分学力よりかなり下の高校に行ったので、辞めてから予備校漬けになった。

受験勉強は圧倒的に楽だった。体の負荷も消えたし、学業自分特性から見ても結果の出しやすい分野だった。あまりにも結果が出やすくて、母も不安にはならなかった。躓きや苦しみも多少はあったが、水泳で受けたそれとは比べ物にならなかった。この時期、私と家族はかなり明るく過ごした。

大学には簡単合格した。願書を出した大学ほぼ全てに受かった。

とにかく家を出たかったので、その名目が立つ大学を選び進学した。

ここから水泳を辞めた後の話に入る。

友達が作れない、学業に身が入らない問題が出る大学1年目

ひとり暮らしをはじめて、やっと手に入れた自由を楽しんだ。でも1年目、ぜんぜん他人との関わり方がわからず、友達が作れなかった。小中高と水泳にかまけていて、相変わらず発達特性的な部分で学校でも浮いていたし、そもそも自分偏差値より随分下の学校に行った(水泳にはリレーメンバーの都合がある)ため、頭の程度が均されている環境でほかの人間と接して友達になる機会がまったくなかったのだ。県大会で何度も優勝し、実家に腐るほどトロフィーがあっても、友達の作り方がわからなかった。この時点で、私の能力は社交性に比して随分歪だったと言えると思う。

ひたすら学校と家を行き来して、家ではゲームばかりやっていた。

1年の後半の方になってようやく所謂オタクサークルに入って、対人能力に似たような問題を抱えた人たちに出会い、それでやっと少し友達ができた。ここから就職活動が始まるまでは、楽しく過ごせていたと思う。彼氏もできた。

とはいえ、あまり成績は良くなかった。勉強したいと思って進学したはずなのに勉強に向かう気力が湧かなかった。どころか、水泳を辞めたことが傷になっていて、「どうせ最後には全部台無しにする、水泳だってあれほどつらい思いをして人生を捧げてきたのにそうやってダメにした」と囁く声が頭から離れなくて、あまり集中できなかった。

漠然と、卒業したら死のうかな、と思っていた。

就活ができない問題が出る大学3年生

学業もそんな感じだったので、いざ3年になってもぜんぜん就職活動を進められなかった。というか授業もギリギリラインだった。

振り返ると、つらい思いをして思春期を生き延びた先に、ようやく手に入れたご褒美としての『自由』がたった4年で終わることに全然納得が行っていなかったんだという気がする。他の人たちは将来を考える精神の準備ができていたのに、私には何もできていなかった。こんな人生の先に、また何十年も続く苦痛が待っていると思って、絶望感があった。

就職留年

このあたりのことはぼんやりしているが、就職活動が出来なさすぎて就職留年した。ちょうどリーマンショック東日本大震災の影響があった時期で、特に女子就活は周りを見渡しても厳しかった。なので就職留年という言い訳は通った。

でも、留年したのに就活全然ちゃんとできていなくて、とうとう親が乗り込んできた。希望する企業の傾向は決まっていたので、母親マイナビリクナビエントリーする企業を選んでくれて、エントリーシートや履歴書に書く志望動機などの文章としてこちらで考えたら、それを母が手書きで代筆してくれたりして、こんな大学生はおそらく他にいないなと思うほど過剰にサポートしてもらった結果、なんとか書類選考が通るようになり、面接を受けたりと就職活動らしいものを進めることができた。

面接が苦手すぎて苦戦はしたが、なんとか内定をもらった。たた、周りがちゃんとこなせていることも自分にはろくすっぽできないとわかって情けなかった。

卒論が出せなくて2度目の留年

このあたりもぼんやりしている。夏くらいに内定が決まって、そこからしか全然ゼミに行かなかった。いや、たぶん特性的に並行してふたつのことができないので、就活中はゼミにも授業にも行けていなかった気がする。内定が決まった後、バイトしろと言われてしていて、必要な授業の出席とバイトくらいはしていたが、ゼミに出てないので卒論が当たり前に書けなかった。英米文学専攻なので卒論英語で書く必要があった。ぼんやり決めたテーマがあるくらいしかなくて、そのまま冬になった。ちょっと書こうとしたけれど当たり前に書けなくて、でもそれを就活を熱心にサポートしてくれた親には言えなくて、卒論提出の日に失踪した。1〜2週間家に戻らず、銀行口座の金が尽きたら死のうかなくらいの気持ちでいた。漠然と死のうと思っていたし、その時が来たのかと思っていた。

結局親に口座の金を引き上げられて、無様にも死ねずに戻った。怒られ、殴られ、彼氏にも心配をかけまくり、色々あったとは思うのだが、この辺りの記憶ぼんやりしている。

ひとり暮らしの家を引き払い、実家カンヅメになって母親監視のもと卒論を書いた。足りない単位のための授業とバイト以外の外出はさせないくらいの感じだったと思う。

ひとり暮らしの家を引き払った時、この時も家がゴミ屋敷になっていたので、ゲーム依存病気だと親に疑われたが、ゲームは単なる逃避行動で、やれない環境であればあっさり辞められた。振り返ってみれば、何らかの支援の網に引っ掛かっておくタイミングがここだったような気がする。ただ、スポーツで結果を出し、世間的には良い大学に行ったような人間が、ゲーム依存なんかで病院に罹るのは外聞が悪い、という意識がなんとなく家族全員にあったのか、結局ここでは必要だったであろう支援とつながることはできなかった。

この環境でなんとか卒論を書いて卒業した。就職は結局バイト先に拾ってもらうかたちになった。

新社会人として

もう一度実家を出てひとり暮らしをはじめた。

働き始めるととにかく眠かった。ひたすら眠かったことを覚えている。仕事でも会議でも寝てしまい、怒られて、怒られたあとは体が一時的闘争反応というか覚醒状態になるので、それで過集中を起こし仕事を進めてなんとか巻き返す、みたいな感じだったと思う。昼に寝てしまうので夜は眠れなかった。その悪循環で昼にまた意識を失った。

本当は病院に行くべきだったと思うが、家に帰るとその気力もなかった。家の電球が切れて、ほとんど暗闇だったのにも関わらずその家を引っ越すまで電球を変えられなかった。1年以上真っ暗闇で生活した。歯が折れて激痛でも病院に行けなかった。ぎっくり腰でも行かなかった。ゴミ屋敷はここでも生産された。

この時期私は相当な困難を抱えていた気がするけれど、同時にどこか安心しているような部分があった。自分価値がこうやって毀損されていくことに対する「ざまーみろ」という気持ちがあった。ちょうどこの頃、母親と完全に連絡を遮断して、実家と絶縁状態になった。直接のきっかけはなんだったか覚えていない。ただ、自分価値ボロボロと溢れ落ち、人生ダメになっていくことについて、母親への不健全復讐欲求が満たされるように感じていたのは覚えている。

この状態を5年くらい続けて、3つくらいの現場経験した。就職先は人売りのSESだった。

コロナ禍でリモートワークが開始する

これは自分にとって大きな転換点だった。寝ているところを他人に見られないのでストレスが大幅に減り、なんとか自分が起きていられる時間帯に仕事を進め、眠りたい時は寝ていることができた。とても褒められた就業態度とは言えないが、それほど能力的なハードルが高い客先でなかった幸運もあって、なんとか巻き返しが効いた。この時期が一番平穏だったように思う。この現場自分にとって一番長く続いたし、終わり方も案件ごと終了ということで円満だった。

この現場が4年くらいで終わり、本社に戻ることになる。

本社に戻る。眠気の問題ふたたび

リモートワークが終わり片道40分くらいの通勤生活が数年ぶりにスタートする。10年近く戻っていなかった本社に知った顔はほとんどなく、コミュニケーションが得意そうな子たちの若い顔が並ぶ。すでにこの時点でうまくやっていけるか不安ではあった。

自社開発の案件アサインされるも、やはり眠気の問題が復活し、怒られる。仕事客先常駐とは違い、粒度の粗い仕事を上手いことやっておいてというような感じで振られるため、勝手全然からず、先の見通しが立たない。作業をうまくこなせず、進捗が出せない。学歴スポーツの成績だけ見れば能力はあるはずだと思われているので、サボっていると見做される。寝てるよね?なんでコミット全然出ないの?

年次だけは無駄に高いので直属の上司もおらず、まともな相談先もなく、周りの子たちは若くてこんなことを相談できる相手ではなく、結果誰にもうまく頼れずにひたすら信頼を失い続け、頼みの綱だった週1回のリモートワークも許可を取り消される。

社長から新卒みたいなことを注意させないでくれる?」と言われる。怒られて、闘争反応になった勢いで、なんとかメンタルクリニックの予約を取った。

そうやって通院治療を開始したのが、2023年10月ごろ。

日中の眠気、夜の不眠、集中困難、ゴミ屋敷などの問題が主訴。

これらの問題は通院治療を開始したところでたちどころに解消するようなものでもないので、年末年始休みを挟んだ後、ボツボツ休みが増え、雪崩れ込むように職場に行けなくなって休職開始。

心理検査(WAIS-Ⅳ)の結果、言語理解ワーキングメモリ・処理速度の間で有意差50を超えた。言語理解・知覚推理凸、ワーキングメモリ・処理速度凹のタイプだった。

この結果と、現在社会生活が送れていない実態をもって、5月ごろにADHDと診断された。

現在は、投薬治療カウンセリングを受けている。

・総括

概観してみると、今の私を状態説明する要点は、下記のようなものであると考えられる。

特性を持って生まれ子どもが、いわゆる体育会系世界に入れられ、なまじ才能があったがために、支援 Permalink | 記事への反応(21) | 22:15

2024-02-03

anond:20240203085740

簡単にいうと、ジジイ社会の中心にいるからだろうな

ITに限らずだけど、新しい物が広まったりしていくにも、どうしても金と投資というのが必要になってくるけど、

新しい物に対して理解が低いジジイオッサンなどの古い世代は、そこへの投資価値というのも理解できてなかった

伝説迷言ドコモにはプラダフォンがある」からもわかるけど、新しい物が出ても古い物で代用できると考えがち

まったく違う物だという事が理解できないんだな

そういうのが積み重なって、日本IT分野で立ち遅れた

あんだけ世界的な電気機械家電メーカーがあったのに軒並みダメになってるのはそういう事だろうと思う

2024-01-24

2030年増田に聞きたい

このプラダの、スーツ水泳帽を合わせるコーデは流行ってる?

答え合わせをおねがいしたい!

https://www.prada.com/jp/ja/pradasphere/fashion-shows/2024/fw-menswear.html

俺の予想は「流行っていない」だ!

頼む!

2023-12-22

anond:20231222065623

ラッダイト運動を引き合いに出してるから当然知ってると思うが、家内制手工業から工場大量生産に置き換わった時も一緒なんだよ。

今まで職人が何年も弟子入れし、何十年と技術を磨き上げ、何時間もかけて作っていた製品が、機械化することで誰でもできる作業で大量に作れるようになった。

プラダや偽グッチがあるように模倣簡単だ。

でもそれで誰か困るようになったか?なってないだろ。

権利保障法整備と徹底的な取り締まりによってブランド物の職人仕事価値はいまだに高いまま保たれている。

イラスト世界も同じようにすることは可能だよ。

2023-11-29

お手軽なアルミ窓の断熱

プチプチ(3層)+ハニカムシェードベスト

プチプチホームセンターで42m巻きを買って、ハニカムシェードニトリの遮光を買えば掃き出し窓1枚当たり1万以下。

中空ポリカの内窓作ると高すぎてインプラスの内窓をネット注文して自分で取り付けしたほうが良くなりそう。

プラダンの内窓は暗くなるので場所限定される。

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