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徳田秋聲 (徳田秋声) の文学を中心につぶやきます。
― 亀井麻美 (@kameiasami) · Xより転載 ―

亀井麻美 : 2018/03/31のツイートまとめ

kameiasami

のため、杉並区東田町の借家で眠るように六十八年の生涯を終えた。〉
「近松秋江」(昭和女子大学近代文学研究室編「近代文学研究叢書」第54巻、1973年)
😢
03-31 23:46

〈昭和十九年四月二十三日、花曇りの午前五時、秋江は家人を呼んで果汁を少しとったが、午前七時ごろ、次女の道子が番茶をすすめると、「のむ、のむ」とかすかに反応した。これが家人のきいた秋江最後の言葉であった。
それから二時間後の午前九時十分、一代の情痴作家近松秋江は老衰と栄養失調
03-31 23:41

@tonton1965 隠語辞典の「ひなし(日済し)」をみると、高利貸しみたいですよ。
https://t.co/B9lRHbeN3D
03-31 23:34

@tonton1965 「日済し金(日成し銭、日なし銭)」、毎日元利を少しずつ返済する借金のことだと思います。
03-31 22:26

@tonton1965 いえ、住所検索で赤いピンの立つ場所を航空写真表示にすると、そこは空地になっている、という意味です。
03-31 17:07

@tonton1965 ストリートビューでは見られませんが、Googleマップで万富395-27まで住所を入れて検索すると空地に赤いピンが立ちます。
03-31 16:36

@tonton1965 沢年譜660頁の「(昭和18年11月21日)徳田秋声の日本文学報国会小説部会葬に道子に伴われ列席する」も、徳田道子『光陰』21頁に「病身の父の代理で姉(百合子)が告別式に参列した」とあるように誤りですから、二七会の件も間違い、または思い込みの可能性はあります。
03-31 15:53

@tonton1965 秋江は盲目なので、出席したとすれば誰か付添はいたでしょうが、それが百合子でなく道子だったと、どうして判ったのか。出席者の日記に書かれているとか、道子さん自身がどこかに書いているとか、何か確かな資料がないと何とも言えませんね。
03-31 15:53

「(昭和19年1月27日)偕楽園で行なわれた徳田秋声追悼の「二七会」に出席」
長谷川如是閑著作目録編集委員会編『長谷川如是閑―人・時代・思想と著作目録』(中央大学、1985年11月)年譜。
03-31 14:50

〈久し振りに「廿七会」あり。徳田秋声追悼会なり。今夜は偕楽園中々のご馳走あり。全部の会員集まる〉
(清沢洌『暗黒日記Ⅱ』1944年1月27日条)
03-31 14:34

望月詩史「二七会とその人々 : 一九二八~一九四四年」同志社法学 2016;68(3):979-1021.
https://t.co/7qIrTNFpOI
196頁:『暗黒日記Ⅱ』より、二七会・徳田秋聲追悼会に関する記載引用。
199頁~:二七会活動状況年譜。
03-31 14:18

食物繊維補給しないと…
https://t.co/nAOs1A90ps
03-31 09:11

ズッキーも筋肉痛😅
03-31 08:52

宇都宮のココ @utsunomiya46 がなぜ私をフォローして下さってるのかが謎です。
あと、私の他は公的機関みたいなところを数箇所フォローしてるだけの奇特な方もいらっしゃいます。皆さんファンさんですか(^^;)
03-31 03:21

@tonton1965 なお、秋江の文章にある〈「日々」の「蝸牛の視角」と「読売」の「壁評論」〉は未確認です。
03-31 01:54

@tonton1965 近松秋江「評論の評論〈2〉文芸懇話会の計画」(「新潮」昭和10年7月)全集12巻290頁に〈昨晩、広津君の義弟に当る松沢君と、僕の内(ママ)で一杯飲みながら、いろんな話をして過し〉たのを読売と日々が仰山に解釈して〈広津の「暗」説に団扇を揚げて、僕の「明」説に物言ひを附けてゐる〉とあります。
03-31 01:50

  1. 2018/04/01(日) 04:17:15|
  2. 未分類
  3. | コメント:0
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