Author:稲美弥彦(russki83mirovoi9)
ロシアやイラン、中国などの反欧米国家に関する情報等について説明して行きます。
国内、韓国、欧米メディアの批判や交通政策などについても語ります。
ロシア外務省は28日、日本が来月中旬に北海道で独仏スペインと共同演習を行うことを非難しました。
【ParsToday国際】ロシア外務省は声明の中で、日本がNATO加盟国である独仏スペインと共同演習を行うことについて、在モスクワ日本大使館に抗議したと明かしました。
同省は、ロシア国境に近い北海道で4カ国が演習を行うことについて「挑発的で、ロシアの安全保障に対する潜在的脅威と見なす」としました。
この共同演習は、日本の航空自衛隊と独仏スペインの各空軍が参加する戦闘機訓練で、来月19~25日の日程で予定されています。また、これと並行して19~20日には茨城県にある自衛隊百里基地でフランス空軍との共同訓練が予定されています。
日本との間に北方領土問題などを抱えるロシアは、かねてから日本の防衛政策を批判してきました。
◆〔特別情報1〕
読売新聞は28日、「天皇皇后両陛下、英オックスフォード到着 思い出の地にお二人で初の訪問」という見出しの記事のない、次のように報道した。
「イギリス訪問最終日、天皇皇后両陛下は、かつて留学したオックスフォードに到着されました。一緒にこの地を訪問されるのは初めてのことです。天皇皇后両陛下は現地時間28日午前11時40分ごろ、イギリス・オックスフォードに到着されました。
最初の訪問先は皇后さまが、外務省時代の1988年から留学されていたベイリオル・コレッジです。両陛下は出迎えを受け、笑顔で握手を交わされました。
天皇陛下は著書『テムズとともに』の中で、『遠くない将来、雅子とともにイギリスの地を再び訪れることができることを願っている』とつづり、また、27日は『思い出の地に雅子と二人で立つことができたのは本当に幸せ』と心待ちにする思いを明かされていました」
天皇陛下は人とのご縁を、長い月日を越えてまでも、とても大切になさってきておられ、その人徳というべき品格が全ての行程に溢れ出て、自然な形で示されていた。
連日、非常にタイトなスケジュールを精力的にこなされ、常に柔和な笑みをたたえながら触れ合う方々と言葉を交わされつつ、堂々と振舞っておられたお姿に、多くの国民が感激していた。
それにしても、この令和の時代における皇室の一大イベントが、各メディアにおいて「特番」を組むこともなく、大きな報道として取り上げられていないことに、奇異に感じている人も多い。
◆〔特別情報1〕
国賓としてイギリスを公式訪問中の天皇皇后両陛下は、首都ロンドンのバッキンガム宮殿を訪ねてチャールズ国王夫妻にお別れのあいさつをされた。
カミラ王妃ともすっかり打ち解けられた雅子様は、カミラ王妃とチークキスを交わされ、続いてチャールズ国王とも自然な流れでチークキスを交わされていた。
雅子様だからこそ醸し出された実に美しいお別れの挨拶だった。
体調を考慮して、公式行事への参加を控えられ、なかなかお出ましの機会が少なかっただけに、雅子様のご様子を映像で観た多くの国民が胸を熱くしたようだ。
そして先の拙記事において、チャールズ国王のスピーチにおいて、この時にあたってというべき、重要なキーワードが織り込まれていたとして「千と千尋の神隠し」について取り上げたが、チャールズ国王のスピーチには、さらにもうひとつ「400年」という重要なキーワードがあった。
それについて、記述しておこう。
◆〔特別情報1〕
読売新聞は26日、「チャールズ英国王、徳川家康からジェームズ1世への書簡も引用して友好語る…あいさつの日本語訳全文」という見出しで、天皇皇后両陛下を国賓待遇で招いた晩餐会でのスピーチの日本語訳全文掲載した。
「千と千尋の神隠し」から「ポケモン」「ハローキティ」に至るまで、日本文化満載の両陛下歓迎スピーチを披露してくれていた。
そして徳川家康からジェームズ1世への書簡にも触れられていたことは、実に興味深いものであった。
該当部分は、乾杯に向けた締めの下りで日本語の「カンパイ!」で締められている。以下、読売新聞記事に掲載された日本語訳から抜粋させて頂こう。
「両陛下、1613年に徳川家康公は、私の先祖であるジェームズ1世にこう書き送りました。『雲と潮により何千里も隔てられてはいても、我々の領土はまるで互いに近接しているかのようです』と。あれから400年以上 経った今でも、この思いは私たちの友情の中心に生き続けています。このように敬愛と希望をもって、私は天皇皇后両陛下と、日本国民の皆さんに、そしてこれからの日英関係の新たな400年のために乾杯を 捧 げます。カンパイ!」
チャールズ国王の「カンパイ」のご発声の合図のもと一同グラスを持って起立し「君が代」が流れた。実に美しい音色で奏でられた「君が代」であった。